霧の村

 

 私の故郷は山奥の小さな村だ。昔から霧が出るので有名な所だった。盆のため久し振りに帰ることになり、細い山道を運転するうちに霧が濃くなってきた。

 全く前が見えない。私は道路の脇に車を止め、暫く待つことにした。

 こんな霧の濃い日は、あのことを思い出す。二十五年前、私が八才であった頃の出来事を。

 

 私は村の同年代の子供の中で、ガキ大将と言える存在だった。よく仲間を引き連れて、近くの川や林で遊び回っていた。弱い者苛めをすることはなかったし、私は彼らから慕われ、頼りにされていたと思う。

 その日は村外れの空き地でチャンバラごっこをして遊んでいた。私の他に四人の子供がいた。彼らの名前は今となっては覚えていないが、仲の良かったことは確かだ。

 ふと気づくと周囲に霧が出ていた。

 私達は村の大人から厳しく言われていた。霧が出てきたらすぐに家に帰れ、と。

 絶対に、霧の中には、入ってはいけない。霧の中には、魔物がいるのだ。そう戒める大人達の顔に尋常ならざるものを感じ、言い付けを破ったことはそれまで一度もなかった。

「帰ろう」

 私は皆に言った。

 だが、その時には既に、空き地は霧に囲まれていたのだ。何処を通っても、厚い霧の壁にぶち当たってしまう。

 私達は、霧が晴れるまで空き地で待とうとした。しかし、じりじりと、霧の壁は私達の方へと迫ってくるのだ。

「どうしよう、大ちゃん」

 一人が泣きそうな声で言った。私の名は大介といった。

「突っ切ろう」

 私は提案した。

「村はこっちだ。皆で手を繋いでいけば、大丈夫だよ」

 順番に手を繋ぎ、私が先頭に立った。皆、不安そうな表情を隠さなかった。

 仲間の手の温もりだけが、唯一の救いだった。

「行くぞ」

 私達は霧の中に進んでいった。

 真っ白な視界。何も見えなかった。私は道の記憶を頼りに村の方へ歩き続けた。

 暫く歩いたが、少しも霧は晴れなかった。

「痛い」

 後方の仲間が悲鳴を上げた。

「どうした」

「転んだのか」

 私達は後ろの子に呼びかけたが、返事はなかった。

 止まることが怖かったから、私達はそのまま進んだ。手を繋いでいる限り、皆、無事についてきている筈だった。

「うわあ、助けて」

 別の子の声がした。

「どうしたの」

 私は聞いたが、やはり返事はない。

 白い闇の中、不気味な圧迫感に怯えながら、私達は進んでいった。

「ウギャッ」

 また悲鳴が聞こえた。

「大ちゃん、助け……」

 最後の声は、私が手を繋いでいる子のものだった。

「皆、どうしたの。大丈夫」

 歩きながら、私は背後に声をかけたが、誰の声も返ってこなかった。ただ、四人分の足音だけは続いている。それに混じって、ヒューヒューという、笛のような不自然な音が聞こえていた。

 こうして、手を繋いでいる限り、大丈夫だ。私が強く握ると、仲間の手も強く握り返してきた。皆、無事だ。ちゃんとついてきている。その手の温もりが証拠だった。

 その時、急に霧が途切れ、視界が開けた。見なれた村の道だった。

「霧を抜けたよ」

 私はほっとして後ろを振り返った。

 続いて出てくる私の仲間達は、首から上が存在しなかった。服が血に染まっていた。歩きながら、首の辺りから、ヒューヒューと空気が洩れていた。

「うわあ」

 私は叫んだ。慌てて手を振り解こうとしたが、首のない仲間の手は、私を放そうとしなかった。逆にズルズルと、私は彼らに引っ張られた。元の白い霧の中へ。

「助けて」

 私は叫んだが、村は静まり返っていた。霧の日は皆、家の中に閉じこもっているのだ。

 霧の壁に触れるか触れないかという時、霧の中から何かが閃いて、私の肩を切り裂いていった。十二針縫うことになったその傷を作ったのは、血のついた草刈り鎌だった。

「うわ、わ」

 第二撃が来た。鎌を持つ腕を、私は自由な方の手で掴んだ。

 そのまま私は霧の中へ引きずり込まれた。相手の力は強かったが、私は必死に抵抗した。手を放せば、あっという間に私は首を斬られてしまうだろう。もみ合っているうちに、鎌が相手の何処かに刺さった。

「グギャアアアアアアア」

 魔物の悲鳴を、生涯私は忘れないだろう。それきり私は意識を失った。

 目覚めたのは、病院のベッドの上でだった。私は一週間も眠っていたらしかった。他の仲間達がどうなったのか、私は教えられることはなかった。死んだことだけは確かだろう。

 あれ以来私は、外で遊ぶことをしなくなった。私はこの村を怖れ、中学を卒業するとすぐに都会へ出た。

 

 霧が晴れてきた。私は車を再発進させ、夜になる前に実家に着いた。

「ただいま」

 私は大きな声で言いながら、玄関を上がっていった。

「お帰り、遅かったね」

 居間には母がいた。

 テーブルの上に、水の入ったコップが置かれていた。その中で揺れているものを見て、私は息を呑んだ。

「そ、それは……」

「おや、知らなかったのかい」

 母は私の方を見た。その左目は空洞だった。

「私の左目は、二十五年も前から義眼だよ。誰かさんに鎌でやられてね」

 恐い微笑を浮かべ、母は言った。

 

 

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