窓

 

 僕は自分の机で勉強を続けていた。スタンドの光だけで、部屋の電気は切っている。

 この薄暗がりと、夜の静けさが、僕は好きだった。照らし出された騒々しい昼の世界と違い、夜は神秘的な力を感じさせる。

 数学の問題集をやっているのだが、これがなかなか進まない。僕は解けない問題を飛ばしていくことが出来ない性格なので、一度詰まると全く進まないまま時間だけが過ぎてしまう。

 ふと時計を見ると、もう午前二時を過ぎている。

 両親も兄もとっくに眠っているだろう。僕は損したような気分になり、もう寝ることにした。

 問題集とノートを畳み、僕は立ち上がった。寝る前にトイレに行こうと思って、部屋のドアを開けた。

 真っ暗な廊下へ進み出ると、足に何か柔らかい塊が当たって転びそうになった。

 何だろう。こんなところに。兄が置きっ放しにしていたのだろうか。兄の部屋は隣だ。僕はちょっと腹が立った。

 手探りでスイッチを見つけ、僕は廊下の電灯をつけてみた。

 廊下には父と母と兄が寝巻き姿のまま転がっていた。その胸に腹に首筋に刃物によるらしい傷がパックリと開いていた。廊下は血の海だった。三人とも死んでいた。その顔は凄い形相のままで固まっていた。

 僕がつまずいたのは、父の死体だった。

「うわああああああ」

 僕は慌てて自分の部屋に戻り、後ろ手にドアを閉めた。何が起こったのだろう。僕はどうすればいいのだろう。皆死んだ。殺されたんだ。もしかしたら僕も……。

 その時、部屋の窓に人影が見えた。白い不気味な靄に混じり、血みどろの異様な顔が窓に貼りつくようにして僕の方を覗き込んでいた。その顔は笑っているようにも泣いているようにも見えた。そいつは右手に大きな鉈のようなナイフのような凶器を握っていた。凶器もそいつの手も血で染まっていた。そいつの服は返り血で真っ赤になっていた。

「うわああああああああ」

 僕が叫んだのとほぼ同時に、窓ガラスが割れて、そいつが部屋の中に飛び込んできた。

「オマエハ……」

 そいつは何か言いかけたが、僕は自分の身を守ることで精一杯だった。凶器を防ごうと、僕はのしかかってくるそいつと揉み合いになった。

「うわああああああああああああ」

 夢中で何が何だか分からなかった。我に返るとそいつは床に倒れ、動かなくなっていた。そいつの胸の辺りから血が染み出していた。僕の右手には鉈のようなナイフのような凶器が握られていた。

 僕が刺したのだ。

「うわああああああ、うわあああああああ」

 人を殺してしまった。で、でもそいつが僕を殺そうとしていたんだから正当防衛の筈だ。そうだきっとそうだ。ああでも僕はどうすれば……。

 僕の部屋に、割れた窓から白い不気味な靄が入り込んでいた。

 突然ドアが激しく叩かれ、僕はビクリとした。

「ドウシタ」

 向こう側に、まだ誰かいるのだ。

「うわああああ、来るな、来るな」

 僕は鉈のようなナイフのような凶器を握りしめた。僕の手にも血がついていた。

 ドアが勢い良く開かれて、何かが飛び込んできた。部屋を覆い始めた白い靄に隠れ、その姿を詳しく確認する暇はなかった。僕は必死に刃物を振り回した。何かに刺さる感触があった。獣のような叫びが上がった。

「うわあああ、うわあああああああああああ」

 僕は刺して刺して刺し捲った。やがてそいつも動かなくなった。僕は安堵の息をついた。

「ドウシタノ」

 その時、更に奥の廊下から別の声が聞こえた。

「うわああああ、うわあああああああ」

 どうしてこう次々出てくるんだ。もう耐えられない。僕は反撃に移った。暗い廊下へ飛び出して新たな気配に刃物を突き刺した。不気味な叫びが上がった。僕は倒れたそいつに馬乗りになってザクザクと刺し捲った。畜生、どうだ、ざまあみろ。

「ウワッ、ドウシタンダ」

 また別の気配。僕はそいつに襲いかかって刺した。ひしゃげた叫び。僕は何度も何度も突き刺した。ざまあみろ、くたばれ。

 僕の顔にも両手にも服にも、返り血がべっとりと付いていた。

「うわああああああああ、うわあああああああああ」

 僕は廊下を通り抜け、凶器を握ったまま玄関を飛び出した。外は白い靄に包まれて先が殆ど見通せなかった。僕は何をしているんだろう。僕が殺したあいつらは一体何者だったのだろう。それにこの靄は何だ。僕は訳が分からないまま、白い闇をさ迷い歩いた。

 暫く歩くうち、靄の中に人家が見えてきた。助けを求めることが出来るかも。いやでももしかしたら、そこにいる奴も僕に襲いかかってくるかも知れない。僕はどうすればいいのか分からぬまま、フラフラと近づいていった。

 そこは玄関ではなく、部屋の窓だった。その外観には不思議と見覚えがあった。窓の奥には淡い明かりが見えた。勉強机があり、パジャマを着た少年が座っていた。

 その少年の後ろ姿には、見覚えがあった。

 少年は立ち上がり、ドアの奥に消えた。やがて光が洩れ、叫び声が聞こえてきた。少年が部屋に戻りドアを閉める。

 ふと、少年が、窓の方を見た。少年と僕の目が合った。

 少年は、僕の顔をしていた。

「うわああああああああ」

 僕の顔をした少年が叫んだ。驚いた僕は足を滑らせ、窓へ前のめりにぶつかった。窓ガラスが割れた。

 これからの展開を僕は理解した。無駄と分かっていながらも僕は話しかけようとした。

「お前は……」

 お前は僕なんだ。やめてくれ。

 僕の手から凶器をもぎ取った僕が、引き攣った顔をして僕の胸を突き刺した。

 

 

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