狂爪三郎三十三才(仮名)は古くくすんだその店の看板を見上げた。『奇屋』と描かれた文字は下手糞で、ペンキが剥げかかっている。
狭い入り口から窺ってみるが、店の奥は薄暗く、何が売ってあるのかを知ることは出来ない。
狂爪三郎三十三才(仮名)はささやかな勇気を出して、店の中に足を踏み入れた。土間のようになっている店内には、小さな棚が幾つか並んでいるが、収まっているのは割れた陶器やら錆びた鉄屑やら、ガラクタのような品物ばかりだ。どれも厚い埃を被っている。
「いらっしゃいませ」
ベルが鳴った訳でもないのに、奥から着物姿の男が現われた。スルスルと滑るような足取りで歩み寄り、深く頭を下げる。年齢は四十代半ばであろうか、頭は禿げ上がっているが顔はふっくらとして艶も良い。小さな目が、人の良い笑みを湛えて狂爪三郎三十三才(仮名)を見た。
「ここは何を売っているんですか」
狂爪三郎三十三才(仮名)が尋ねると、男は笑みを深めて答えた。
「奇屋を売っております。開店以来八十五年、良質の奇屋をお客様方にご提供するのが私共の誇りです」
「奇屋というのは店の名前ではなく、商品だったのですね。それで、その奇屋とはどのようなものなのですか」
「口で説明するよりも、実際に見て頂くのが良うございましょう。少しの間、ここで待って頂けますか」
「いいですよ」
返事を聞くと男はまた深く頭を下げ、再び奥へと引っ込んでいった。
店に静寂が戻った。狂爪三郎三十三才(仮名)は奇屋が何であるのかについて想像を巡らせながら、店内を改めて見回した。
と、地面に赤い色彩を見つけ、狂爪三郎三十三才(仮名)は身を屈めた。
それは赤というよりも、赤茶色に近かった。乾燥した土に、薄い染みのように広がっている。
まるで、血痕のようだった。
ドン、と、強い足音がして、狂爪三郎三十三才(仮名)は慌てて顔を上げた。
狂爪三郎三十三才(仮名)は、口をポカンと開けたまま凍りついた。
大きな出刃包丁を持ち、鬼の面を被った男が立っていた。
着物が同じだから、さっきの男と同一人物なのだろう。だが柔和だった瞳は今、面の穴から恐ろしく冷酷な光を放っている。
「な、何を……」
狂爪三郎三十三才(仮名)が掠れ声を洩らすと、鬼の面の男は大声で怒鳴った。
「違う、キャーだっ」
男が包丁を振り上げて、物凄い勢いで狂爪三郎三十三才(仮名)に向かって飛びかかってきた。
「うわあっ」
「違う、キャーだっ」
鬼の面の男が包丁で狂爪三郎三十三才(仮名)の胸を刺した。血が溢れ出してくる。
「ギャーッ」
狂爪三郎三十三才(仮名)は叫んだ。
「違う、キャーだっ」
鬼の面の男が狂爪三郎三十三才(仮名)の腹を刺した。
「うげえっ」
狂爪三郎三十三才(仮名)は叫んだ。
「違う、キャーだっ」
鬼の面の男がまた狂爪三郎三十三才(仮名)を刺した。狂爪三郎三十三才(仮名)は倒れて地面に手をついた。
「た、助けてくれえっ」
狂爪三郎三十三才(仮名)は叫んだ。
「違う、キャーだっ」
鬼の面の男が狂爪三郎三十三才(仮名)の背中を刺した。狂爪三郎三十三才(仮名)の口から大量の血が吐き出された。
「キャげぶっ」
狂爪三郎三十三才(仮名)は叫ぼうとしたがちゃんとした声にはならなかった。
「違う、キャーだっ」
鬼の面の男が狂爪三郎三十三才(仮名)の首筋を刺した。狂爪三郎三十三才(仮名)はもう血だるまになっていた。
意識が朦朧となった狂爪三郎三十三才(仮名)は、息を吐くようにして、小声でその言葉を絞り出した。
「キャ……キャー……」
「そう、それだ、もっと大きくっ」
鬼の面の男が狂爪三郎三十三才(仮名)の脳天に包丁を突き刺した。
狂爪三郎三十三才(仮名)は、動かなくなった。