……アイデアが浮かばない。
助けて下さい。アイデアが浮かばないのです。
このままでは奴に殺されてしまう。
あの怪物・狂気太郎に。
私は、14号です。
奴にその名以外で呼ばれることはありません。地獄のような日々の果てに、私は自分の本名も忘れかけています。
私が狂気太郎に捕らえられたのは四ヶ月ほど前のことです。小説家を志していた私は様々な賞に応募する傍ら、落選した小説や短過ぎたりして賞に出せない小説を自分のホームページに掲載していました。ホームページを訪れ小説を読んで下さる方は少なかったのですが、たまに来る真摯な感想に少しずつ手応えのようなものを感じていました。今年や来年は無理としても、二、三年後、或いは五年後くらいにはなんとか小説家としてデビュー出来るのではないかと、そんな希望を抱いていました。
狂気太郎が私へメールで感想を送ってきたのは、半年ほど前になるでしょうか。奴はメールの中で、私の小説をべた褒めしてくれました。いや、文章や構成の仕方には改善すべき点があることは指摘されましたが、何よりも私が小説の中で意図したこと、小説の真のテーマを正確に把握してくれていました。
理解者がいる。私のことを理解し、共感してくれる人がいる。私は感動しました。また、狂気太郎の運営しているホームページも訪れて、載っている小説を読みました。その内容の陰鬱さには最初驚きましたが、小説の異様な迫力と緊張感に圧倒され、共感を覚えたものです。私もこんなふうに真剣に小説を書きたい。私はそう思いました。それからも何度かメールでのやり取りは続きました。この頃の狂気太郎の態度は非常に紳士的なものでした。私は奴に好感を覚えました。
そして四ヶ月前、奴の方から現実に会ってみないかと提案がありました。私もその頃には奴を信頼していましたし興味もありましたので、一も二もなく承諾しました。そうして奴の指示通り、夜の公園で白い服を着て、右手に花束を持って待っていたのです。
私は腕時計を何度も確かめ、胸の高鳴りを抑えていました。後三十分で、狂気太郎に会える。
だが突然背中に鋭い痛みを覚え、私は振り向きました。するとそこには、サングラスをかけた不気味な男が立っていたのです。その右手には空の注射器が握られていました。急に目の前が真っ暗になり、私は意識を失いました。
気がついた時、私は既にここにいました。じめじめした薄暗い部屋。明かりは廊下の方にありました。窓はなく、代わりに廊下に面した部分には太い鉄格子が填まっています。部屋の隅にある径三十センチほどの穴はトイレのようです。
私はそこに、手枷と足枷をつけられて、転がっていました。
ここは、牢獄だったのです。
「気がついたかね」
冷たい声がしました。サングラスをかけた不気味な男が鉄格子の向こうに立っていました。
「あなたは誰です。私はなんでこんなところにいるんです」
私が尋ねると、男はクックッと低い声で笑いました。
「俺は狂気太郎だ。お前はこれから、俺のために小説を書くんだ」
そう言って、狂気太郎は鉄格子越しに、電源コードの繋がったノートパソコンを差し入れたのです。
「必死にアイデアをひねり出して、精々面白い小説を書くがいい。役に立たん奴は殺してしまうからな」
そう言い残して、狂気太郎は出ていきました。私は狭い牢獄の中で、ノートパソコンと共に取り残されました。
そして、地獄の日々が始まったのです。奴は次々にこんな話を書けと注文をつけてきます。期日までにはなんとか仕上げないといけません。最初の頃、原稿の提出が六時間遅れたために、私は右足を切断されました。「両手さえあればキーボードは打てるだろう」と、奴は平然と言います。たまに壁の向こうから悲鳴が聞こえます。奴は複数の執筆係を監禁しているのでしょう。それで私が14号というのも納得が行きます。そもそも、狂気太郎自身は小説など書いたこともなくて、全てを拉致監禁した者達にやらせているのではないでしょうか。ホームページの小説が緊張感に満ちている筈です。不評ならば殺されてしまうのですから。ある時は食事に人の生首が出ました。「キリ番イベントに使ったこいつのショートショートが不評だったからだ」と奴は言いました。『絶望の歌』の追加分のうち三話は私が書きました。そのうちの一つはそれなりに好評だったようで、なんとか私は生き永らえています。しかし『赤いスナップ』に誤字があったため、私は左足を切断されました。
今日もまた、奴がやってきました。
「記念すべき200000カウントのキリ番イベントを、お前に任せてやる。キリ番獲得者はゲンスルーさんだ。何かショートショートをという注文だ。二時間以内に仕上げろ」
そう言って去る狂気太郎の右手には、チェーンソーが握られていました。
ああ、恐ろしい。もう、残り時間が十五分しかないのです。それでもアイデアは浮かびません。ゲンスルーという名前で何か出来ないでしょうか。ゲンさんがボールを投げてゲンスルー。ああ、無意味だ。というか投げたらゲンスローだ。ゲンスルーというのは『HUNTER×HUNTER』というコミックに登場する爆殺魔・ボマーだそうです。ボマー、ボマボマ。ああああ、意味不明だ。駄目だ、焦るばかりで頭が働きません。
ああああ、もう残り時間が五分を切りました。私はどうすればいいのでしょう。もうこのままプレッシャーと恐怖に押し潰されて、狂ってしまえば楽になるのでしょうか。
あああああ、何も浮かばずに残り二分を切りました。あ、鼻歌が聞こえてくる。奴が上機嫌に鼻歌を歌う時は、誰かが死ぬ時だ。ああ、鼻歌がこちらに近づいてくる。
あああああああああ、残り時間が一分を切りました。鼻歌が凄く近い。もう奴はドアの向こうにいる。ああ、アイデアが何も浮かばない。頭の中ではもう奴の鼻歌だけがグルグルと回っています。もう狂ってしまいそうだ。狂ってしまえばきっと……。
ああああああああああああ、時間切れだ。あああああああああああああああ。ドアの向こうから、チェーンソーの唸りが、聞こえてきます。ああああああああああああああ、あははははははははは、あはははははははははは、あひゃっひゃっひゃっ、うべべべべべ、うきゃきゃきゃきゃ、えひゃっひゃっひゃっ、はははははははひゃー、ゲンスルーさん、おめでギャーッ