第一番 あーくん

illustration by Fakir
 

 あーくんは生まれる前に死んだ。

 

 

  第二番 丼

 

 仕事の帰りに地味な定食屋を見かけた。同じ道をこれまで何度となく通ってきたが、見るのは初めてだ。それくらい地味な店だった。家に帰っても食事を作ってくれる者のない私は、ここで夕食をとることにした。

「いらっしゃい」

 暖簾をくぐると、新聞を読んでいた四十才くらいの店主が立ち上がって迎えた。客は誰もいない。やはり繁盛していないのだろう。

 私はカウンターに座り、メニューから適当に選んだ。

「そうだな、親子丼を一つ」

 それを聞いた時の、店主の顔に浮かんだ怖れにも似た表情は、何だったのか。

「……。へい」

 店主は奥に消えた。

 私はラックに挟まっていた週刊誌を読みながら、のんびりと待っていた。テレビはない。週刊誌は一年くらい前のものだった。

 十五分ほどして、店主は丼を抱えて現れた。あっけに取られるほど大きな器だった。

「どうぞ」

 私の前に置かれた丼には、鶏肉と卵の代わりに、二つの生首が載っていた。

 三十代半ばの女の首と、五才くらいの男の子の首。

 最初は度肝を抜かれたが、私の鋭い観察眼はこの特製親子丼の弱点をすぐに見極めていた。

「私は親子丼を注文したんだよ。だがこの二人には血の繋がりがないね。これは親子丼じゃない、他人丼だ」

 指摘された店主は、痛いところを突かれたようだった。

 だが彼は言った。

「お客さん、義理でも、親子は親子じゃないですか」

 その頬を、涙が伝っていった。

 私は店主の言葉に心を打たれた。

「そうだな。すまなかった。これは親子丼だ」

 私は丼を全て平らげた。死後かなりの時間が経っているのだろう、生首は腐りかけていたが、私は頭蓋骨を噛み砕き、脳味噌を啜った。

「お代は結構です。全部食べてくれて、嬉しかった」

 彼は言った。

 次の日の朝刊で、私は定食屋の主人が自殺したことを知った。

 

 

  第三番 社会というもの

illustration by Fakir
 

 その青年が座る席は決まっている。入り口のすぐ近く、窓際の席。

 香澄がこの喫茶店にウェイトレスとして働いて半年になるが、彼は週に二回は必ず、夕方この店にやってくる。注文するものはチキンカツセットとクリームソーダ。クリームソーダはたまにチョコレートパフェに化ける。男なのにパフェとは、笑いたくもなるが、本人は大真面目な顔だ。

 料理が来るまで、彼は黙って窓の外を眺めている。知的で落ち着いた雰囲気の横顔を、香澄もまた眺めている。十分に顔見知りの筈なのに、まともな会話をしたことがない。名前も、どんな仕事をしているのかも知らない。

 香澄はこの青年に、なんとなく好意を持っていた。それは、恋愛とかいう感情とは、少し違ったニュアンスになるだろう。

 今日は夕方から急に土砂降りの雨になった。来ないだろうと思っていると、傘を差して彼はやって来た。肩と膝下はすっかり濡れてしまっていたが、彼は特に気にしているふうでもなかった。

「いらっしゃいませ」

 香澄の挨拶に、青年は軽く会釈して返し、いつもの席へと座った。

「チキンカツセットと、……クリームソーダをお願いします」

 選ぶものは決まっているのにメニューを睨みながら、いつもの口調で彼は言った。

 料理を待つ間、青年は窓の外を眺めていた。ひどい雨なのに、通りを見る青年の視線は変わりない。

 彼は、何も見ていないのかも知れない。香澄はふとそんなことを思った。

 出来たチキンカツセットを香澄が運んだ。

「どうも」

 青年は言った。

 彼が誰にともなく小さな声で「いただきます」と言って食べ始めるのを、香澄はカウンターの奥から黙って見つめていた。

 青年が半分ほど食べた時、別の客が席を立った。一時間ほど前からいた男だった。デリカシーのなさそうな、暴力的な雰囲気を発散する、あまり近寄りたくないタイプの男だ。この客を見て、店長はそそくさと店の奥に消えてしまった。

 男はレジで支払いを済ませ、傘立てから傘を抜いた。

 何気ないそぶりだったので、香澄は疑問を感じなかった。

「待った。その傘は僕のだ」

 それまでチキンカツを無心に食べていた青年が、突然声をかけた。

 香澄はハッとした。今、傘立てには一本も傘がない。

 つまり、男は、青年の傘を持っていこうとしているのだ。

 男は一瞬ギクリとした表情を見せたが、それはすぐにふてぶてしい歪んだ笑みに変わった。

 青年は立ち上がり、つかつかと男の方へ歩み寄った。

「返してくれ」

 男の雰囲気に怯えることもなく、青年は正面から男を睨んだ。

「いいじゃんかよ。この土砂降りだ。人間、困った時はお互い様だ」

 反省している様子は全くない。

「それがないと、僕が困る」

 男はニヤニヤしたまま、傘を離さなかった。

 青年が傘を掴んだ。

 すると男が傘を持ってないほうの手で、青年の顔を殴りつけた。かなり力が込められていたのだろう、青年の体がぐらりとよろめき、傘から手が離れた。

「あ」

 思わず香澄は声を出していた。ギロリと男がこっちを見た。香澄は怖くなって、黙り込んだ。

 丁度その時、店の奥から店長が現れた。香澄は助かったと思った。流石にこんな非常事態では、店長も何かしないわけにはいかないだろう。

 店長は一目で状況を察したようだった。そして店長のしたことは、「さあ掃除掃除」と慌てて奥に逃げ込むことだけだった。

 青年は、殴られた頬を押さえていたが、その目の光は強かった。

「……」

「あんまり俺の手を煩わせるなよ」

 男はニヤニヤ笑いを崩さずに、青年の傘を持って店を出ようとした。

 その肩に青年が手をかけた。

「何だよしつこいな」

 振り向いた男の両目に、青年の指が深く突き込まれた。容赦のない攻撃だった。

 男の眼窩から眼球が糸を引いて飛び出した。

「アギイッ」

 男は倒れ、床を転がり回った。

「痛え、痛えよう。見えねえよう」

 青年が男の頭に蹴りを何度か入れると、男は気絶したのだろう、動かなくなった。

 香澄は息を呑んでいた。この青年がこんなことをするとは、信じられなかった。

 青年は無表情だった。

 叫び声に驚いた店長が飛び出してきた。転がる男の顔からはみ出た眼球を見て悲鳴を上げる。

「ヒイッ、け、警察だ。警察を。警察警察」

 店長は再び奥へ走っていった。

「……」

 声を失った香澄に、青年が言った。

「クリームソーダを早目に持ってきてくれないか」

 青年は冷静だった。いつもと全く変わらない口調だった。

「は、はい」

 カウンターのこちら側で急いで用意する間に、青年は自分のテーブルに戻った。

 ちり紙で指の血を拭き、青年はゆっくりと食事を再開した。

 警察がやってきても、きっと彼はこの態度を貫くのだろう。

「中途半端な悪を、何故皆許すのだろうな。一番厄介なものなのに」

 ふと青年が、疲れた声で呟いた。皆という言葉に自分も含まれていることを自覚して、香澄の胸は痛んだ。

 

 

  第四番 人食い地蔵

illustration by Fakir
 

 人気のない、林の中の一本道。

 道の傍らに、ぽつんと、その地蔵は立っていた。野ざらしにされた地蔵は、顔や服の細かい部分が風雨に削られて不明瞭になっている。

 はっきりと分かるのは、丸い空洞になった目と、半開きにしたまま大きな笑みを形作る口だった。

「これが『人食い地蔵』さ」

 ケンが得意顔をして僕らに言った。

「ふーん」

 僕と洋一は、まじまじとその不細工な地蔵を眺めた。前から噂には聞いていたが、実物を見たことがなかったのだ。休み時間にふとこの地蔵の話が出て、それなら案内してやると、放課後に仲間三人で訪れることになったのだ。

「これって、本当に人を食うのかな」

 僕は聞いてみた。この町では伝説になっている地蔵だが、僕はあまり詳しい話を知らない。江戸時代の頃からあったというが。

「二年前もこの林で四人死んでるだろ。死体の一部が見つからなかったっていうじゃないか」

 人一倍臆病な洋一が、小さな声で言った。

「野犬か何かじゃねえの。この辺って多いじゃんよ」

 自分が面白がって案内したくせに、ケンは意外と冷めていた。地蔵の頭をペチペチと叩いてみせる。

「こんな石の塊が、人を食うわけないってーの」

 地蔵の足元に、饅頭が一個置かれていた。まだ、新しいようだ。

「誰か、お供えしてるぞ」

 僕の言葉に、洋一が緊張した顔で応じた。

「聞いたことある。地蔵が人を食べないように、代わりの食べ物を置いておくんだ。一日でもお供えを忘れると、地蔵が怒って人を襲うんだって」

 それを聞いてケンが笑った。人を小馬鹿にしたような笑い方だった。

「迷信深い奴がいるもんだぜ」

 ケンの足が動いた。踏みつけられて潰れた饅頭は中身をはみ出させ、コロコロと転がっていった。

 洋一はそれを見て、一瞬泣きそうな顔になった。でも、気弱な彼は、文句など言える筈もない。

 ケンは、洋一を怖がらせるために、わざとそんなことをしたのかも知れない。

 嫌な奴だ、と僕は改めてケンのことを思った。ケンは友人だし面白い話を色々知っているけど、その傲慢で乱暴な態度は鼻につく。

「もう帰る。来て損した」

 僕は洋一を促して道を戻り始めた。黙って見ていれば、ケンが地蔵にどんな悪戯をしでかすか分かったものじゃない。

 ケンはまだ物足りなそうだったが、僕らがどんどん歩いていくので、仕方なくついて来た。

 あいつとは、もう付き合わないようにしよう。洋一と並んで歩きながら、僕はそう思っていた。太陽は相変わらず燦燦と照り続け、僕らの肌を焼いていた。

「あ」

 突然、後ろでケンが声を出した。

「何だ」

 また良からぬことでも思いついたのか。僕らは振り向いた。

 ケンは、ぼんやりと立ち止まっていた。彼らしくない表情だった。

 彼の、額の部分から上が、なくなっていた。何か強暴な力で削り取られたように。たらたらと、血が顔を伝っていく。

 僕らは、目の前の光景が信じられなくて、声も出せずにいた。

「あれ」

 ケンは手を上げて、自分の頭に触れようとした。

 そのまま、彼は前のめりに地面に倒れた。丸く削れた頭蓋骨の大きな穴から、脳の残りが零れ出た。

 まるで、頭を誰かに食われたみたいだ。

 ケンが倒れて、その後ろに隠れていたものが姿を現した。

 それは、さっきの地蔵だった。

 道の真ん中に立っているそれは、口元から胸にかけて、べったりと血がついていた。

 地蔵は動かなかった。ケンが悪戯で抱えて来たんじゃないか。僕はそう思おうとした。

 でも、ケンの頭が欠けているのは事実だし、地面に広がっていく血も本物だ。

 地蔵は、全く変わらぬ不細工な顔で、静かに僕らを見つめていた。怒ってもいないし、泣いているわけでもない。その半開きの大きな笑みが、赤く染まっているだけだ。

「うわ、うわわわわわ」

 洋一が、声にならない声を上げた。

「に、逃げろ」

 僕は叫んだ。そして同時に走り出した。二人とも足がガクガクしていたが、必死に逃げた。追ってくる気配はなかった。

 運動の苦手な洋一が、だんだん遅れ始めた。

「急げ」

 僕は振り向いた。

 洋一は地面に倒れていた。

 その腰の部分から下が、なくなっていた。はみ出た腸が長く伸びていた。

 半分になった洋一の傍らに、血塗れの地蔵が立っていた。

 地蔵は全く動かなかった。僕らが走っている間に、確かに位置は移動している。でも、僕が見ている時は動いていない。

「た、助けてよ。痛いよー」

 洋一が、泣きながら僕を見て言った。

 僕は、そのまま逃げ出した。もう洋一は助からないだろう。自分の身を守るだけで精一杯だ。

 少し走って振り返ると、地蔵は五メートルほど後方に立っていた。

「うわああああああ」

 僕は叫びながら走った。

 また振り向くと、地蔵は三メートルまで近づいていた。

 見ている間は、地蔵は微動だにしていない。

 でも、振り向く度に、地蔵は確実に近づいてくるのだ。

 また振り向いた。

 地蔵はすぐ後ろにいた。

 僕はその時になって気がついた。

 これは、『だるまさんが転んだ』なのだ。

 見られていない時に動いて、見られていれば動けないのだ。

 だったら、ずっと見ていればいい。

 そう考えた僕は、もう地蔵から目を離さなかった。じりじりと、後じさりをして、地蔵から距離を取っていった。

 十メートルくらいになった時、僕は瞬きをした。

 眼を開けると、地蔵が目の前にいた。空洞の目が、僕をじっと見つめていた。

 瞬きもダメなのだ。僕は絶望した。

 大体、なんで僕がこんな目に遭わなくちゃならないんだ。悪いのはケンなのに。

 そうだ。謝ろう。僕は思った。

 きっと、心を込めて謝れば、許してくれるだろう。

 僕は土下座して、動かぬ地蔵に頭を下げた。額を地面に擦りつけて、謝罪の言葉を絞り出そうとした。

「地蔵様ごめんなさい、僕らが悪か……」

 目を離したのがまずかったのだろう。

 ゴチャリと初めて音がして、首筋に鋭い痛みが走り、そこで僕の人生は終わった。

 

 

   第五番 理想都市

illustration by Fakir
 

 我々はついに、伝説と言われた理想都市ナバラを発見した。

 ここでは誰もが平等に幸福を享受出来るという。苦悩もなく、他の生き物に不幸を与えずとも生きていける、真の理想郷。

 何千年も前の話だから、皆、作り話とばかり思っていたのだ。

 だが今、我々の前の巨大な建造物は、伝説の通りに高さ八十メートル、幅が二キロにも渡って現実にそびえ立っていた。都市全体が、屋根のある箱型の構造になっている。窓はない。平らな壁は石造りに見えるが、よく調べてみると、未知の金属で出来ていた。

「入り口が見つかったぞ」

 探知機を抱えた仲間が興奮した声で叫んだ。

 壁に僅かな隙間がある。偉大な都市に傷をつけるのは気が咎めたが、入れないのだから仕方がない。電磁ノコギリと軟化装置を使い、なんとか扉をこじ開けることが出来た。

 期待と怖れを抱きながら内部に足を踏み入れた我々を、眩い光が迎えた。屋根があるのに明るいということは、電気が通っているということだ。

 つまり、この都市には住人がいるのだ。

 だが、感動は五秒ほどで驚愕に変わった。

 我々は、理想都市の光景に、唖然として見入っていた。

 建物の内部には、無数の脳が並んでいた。大きさから見て、人間のものだ。

 円筒形の透明な容器の中で浮いている、剥き出しの脳。それぞれの容器には管が繋がっていて、液体が流れている。台となる機械は、ゆっくりとランプが点滅している。

「これは……生きている」

 仲間の一人が呆然と呟いた。液体は、栄養剤なのだろう。

「何だこれは一体……」

 容器に収められた脳は、約五十センチ毎に隙間なく並んでいた。この都市に、どれだけの数の脳が存在するのか。低い天井から察するに、上にも多数の階がある筈だ。それが全て同じことになっているとすると……。

 我々は慄きながらも、中央の廊下を進んでいった。途中、別のエリアがあった。巨大な培養槽に多数の胎児が丸くなって浮かんでいた。その臍帯は胎盤ではなく機械に繋がっている。胎児は、右の方がより小さく、左に行くにつれて成長して赤子と言っても差し支えないほどになっている。それらがゆっくりと、左へとベルトコンベア式に流れていく。

 培養槽の左端では、機械の手によって手術が行われていた。眠っている赤子の頭蓋骨を切り開き、脳だけを取り出している。我々はそのおぞましさに目を背けた。

 作業ロボットが脳をあの円筒形の容器に収め、運んでいく。おそらく、老化して死んだ脳の代わりに配置するのだろう。

 中央にエレベーターがあった。我々は慎重に一つずつ上の階を探索していった。どの階も同じだった。脳の維持が、完全に機械だけでコントロールされている。

 容器内を循環する液体を、仲間が調べた。

「麻薬だ。耐性も副作用もなく、至福感だけを得ることの出来る、理想の麻薬だ」

 何だ、これは。

 何なんだ、この都市は。

 最上階だけが違っていた。そこにはやはり人の姿はなかったが、都市全体のコントロールを行っているのだろう、我々でも操作出来そうな制御室があった。鍵もかかっておらず、近づくと自動的に扉が開いた。

 パネルには見たことのない文字が並んでいたが、自動翻訳装置を使うと、大体の意味は読み取れた。

「このボタンが、メインの電源スイッチになる。もしこれを押したら、都市全体の働きが止まることになるだろう」

「……」

 伝説の理想都市、ナバラ。

 確かに我々の科学ではまだ及びもつかない、素晴らしいテクノロジーだ。そして、ここの何百、何千万という住人は、幸福なのかも知れない。だが……。

 これに意味はあるのか。

 少し考えて、私はボタンを押した。横で見ていた仲間達も、黙ってそれを見ていた。

 

 

  第六番 多呂三郎と愉快な仲間達

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 空はぽっかりと晴れている。

 僕らは今日も鎌を持って出発した。

「愉快だ」

「愉快だ」

 十人の仲間達は皆、顔を輝かせ、口々に言い合っている。

 勿論、僕も言っている。

「愉快だ」

「愉快だ」

 僕らは街へ出た。

 沢山の人々が歩いている。

「愉快だ」

「愉快だ」

 さあ行こう。

 僕らは鎌を振り上げて、人込みの中へと突入した。

「愉快だ」

「愉快だ」

 僕らがニコニコしながら振る鎌が、通行人の首を斬っていく。

 悲鳴が上がる。

「愉快だ」

「愉快だ」

 僕らは仲良く行進しながら、逃げ惑う人々に鎌を振っていく。

 無数の首が宙を舞う。

「愉快だ」

「愉快だ」

 でも……。

 とうとう僕は口にしてしまった。

「ちっとも愉快じゃない」

 仲間達の動きが止まった。

 僕を見る皆の顔が、泣きそうに歪んだ。

 

 

  第七番 後継ぎ

 

 政界の魔物と呼ばれた中場哲造も齢八十を過ぎ、広大な敷地に立てられた豪邸で死の床に就いていた。

「わしももう長くない」

 哲造はこの時のために呼び寄せた、三人の息子達に言った。彼らは神妙な顔で正座して、老いた父親の話に聞き入っていた。

 五十二才の長男哲也に、哲造は顔を向けた。

「哲也よ、わたしが死んだらお前が跡を継ぐのだ。リーダーとして、この中場家を盛り立て……」

「嫌です」

 父の話を中断し、哲也がはっきりとそう言った。驚愕する哲造の目の前で、哲也は懐から短刀を取り出して自分の腹を切り、首筋を突き刺して息絶えた。

 二人の弟達は、黙ってそれを見ていた。

 哲造は暫く絶句していたが、気を取り直して、四十九才の次男幸造に言った。

「お、お前が後継ぎになるのだ。中場家の未来はお前の手に……」

「お断りします」

 幸造は強い口調で言った。彼は懐から拳銃を取り出して自分のこめかみに当て、引き金を引いた。

 平然と座っている四十四才の三男、哲成だけが残った。

 恐る恐る、哲造は言った。

「哲成、お前が跡を……」

「嫌だ」

 哲成はすぐに答えると、天井の梁に縄をかけて首を吊った。僅か五秒の早業だった。

 哲造は呆然と、三人の死体を見つめていた。

「昼食でございます」

 若いメイドが食事を盆に載せて現れた。この屋敷に住む者は、もう彼女しかいなかった。

 哲造はメイドに言った。

「わしの跡を継いでくれないか」

「嫌!」

 メイドは悲鳴を上げ、舌を噛み切って死んだ。

 広い屋敷に、年老いた哲造だけが一人取り残された。

 足の弱った彼は、廊下を這っていった。

 メイドの部屋では、丁度テレビで哲造の息のかかった代議士が演説をしていた。生放送らしい。

「あいつに跡を継いでもらうことにしよう」

 哲造は誰にともなく呟いた。

 その途端、代議士はステージから飛び降り、首の骨を折って死んだ。

「これはいいわい」

 味をしめた哲造は、前から憎いと思っていた政敵達の名を挙げて、跡を継いで欲しいと呟いた。次々と彼らは自殺した。床を走るネズミに、跡を継いでくれと声をかけるとコロリと死んでいく。哲造はそれを食料とし、床を這いながらその後も三十年生きた。

 

 

  第八番 よおっ

 

「よおっ、久し振りだな。元気に生きてるか」

「ヤッホー、生きてるよ」

「じゃあ死ね!」

 

 

  第九番 スクーター

 

 榊真吾の運転する自動車の、十メートルほど前を、スクーターが走っている。

 せっかちな榊は追い抜きたいのだが、追い越し禁止車線なので仕方なく後ろについて走っている。榊の後ろにも苛々した様子の自動車の列が続いていた。

 スクーターに乗っているのは若い女だった。ヘルメットを被っておらず、風になびく長い髪が見えている。そのスタイルの良い後姿からも、かなりの美人であることが予想された。

 顔が見たいな。

 榊はそう思いながら、追い越せない状況を半ば楽しんでもいた。

 奥手な榊はこれまで女性と付き合ったことはない。好みの女性をみれば、その人との生活を夢想して楽しむのみだ。きっかけがあれば。榊は思う。何かちょっとしたきっかけがあれば、勇気を持って踏み出せるのだろう。

 次の信号で右折するつもりなのだろう、スクーターが中央へと動いた。

 その時スクーターが転倒した。女が榊の車の正面に投げ出された。

「うわっ」

 咄嗟に榊は力一杯ハンドルを切った。榊自身も信じられないほどの反応だった。奇跡的に榊の車は女を避け、中央線を越えて右側にはみ出したものの運良く対向車はなく、再びハンドルを戻して元の車線に収まった。

「良かった」

 榊はホッとしながらバックミラーを見て、女の無事を確認した。

 その一瞬。

 女の顔が見えた。凄い美人だった。榊は電撃的な思考でこれからの展開を想像した。きっと榊は急いで車を停め、女を助け起こしに走るだろう。榊は言う。危ないじゃないか、でも無事で良かった。ありがとうございます。女は言う。あなたがうまく避けてくれなかったら、私は死んでいたわ。それが二人の運命の出会いなのだ。それがきっかけで二人は結婚し、幸せに暮らすのだ。

 夢想はほんの一瞬だった。

 バックミラーには、倒れた女に迫る後続のダンプカーが映っていた。女が轢かれた。ぐちゃりと、女の顔が頭が潰れ弾け、脳味噌がはみ出した。

「な……」

 なんてこった。榊は唖然としていた。

 榊の青春は終わった。

 けたたましいクラクションの音で榊は我に返った。

 榊がバックミラーを見ている間に、車は赤信号を無視して交差点へ突入していたのだ。

「うわあああ」

 しまった。右から猛スピードで突っ込んでくるトラック。運転手の引き攣った顔が見える。それがどんどん近づいて……。

 ガシャン。

 榊の人生は終わった。

 

 

  第十番 世界はいつから……

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 ブツン。

 

 窓際の席には、時折涼しい風が入ってくる。

 皆川順一はぼんやりと授業を聞いていた。日本史はつまらない。いや、正直に言ってしまうと国語も数学も英語も好きじゃない。というか順一は勉強が嫌いだ。

 あーあ。早く家に帰ってプレステがやりたいよ。小さく欠伸をしながら順一はそう思った。

「……そして太平洋戦争が終わったのが、一九四五年八月十五日だ。つまり今から五十三年前のことになるな」

 日本史の前田先生が喋っている。

「嘘ばっかり」

 順一は先生には聞こえないように小さく呟いた。

「五十三年前には、世界は存在しなかったんだよ。世界が始まったのは、十七年前のことさ」

 順一は、歴史を信じていない。自分が生まれた瞬間に世界が始まったのだと思っている。自分が何処にいても自分が側にいるし、自分がいない世界なんて考えられない。だから、自分が存在する前は、世界はなかったのだ。

 順一が独り哲学的な思考を楽しんでいる時、隣りの席の荒間浩介が順一の耳に囁いた。

「君の言うことも嘘だな。世界が始まったのは二秒前さ。君は勝手に植えつけられた人生の記憶を信じているだけさ」

 浩介の言葉に順一は戦慄した。

 その時世界が……。

 

 ブツン。

 

 窓際の席には、時折涼しい風が入ってくる。

 皆川順一はぼんやりと授業を聞いていた。日本史はつまらない。いや、正直に言ってしまうと国語も数学も英語も好きじゃない。というか順一は勉強が嫌いだ。

 あーあ。早く家に帰ってプレステがやりたいよ。小さく欠伸をしながら順一はそう……

 

 世界はこの場面だけを果てしなく、十億年も繰り返し続けている。

 

 と、自分を神と信じている存在は思っているが、本当のことは誰も知らない。

 

 

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