プロローグ

 

「凄い雪」

 ダッフルコートの肩に積もった雪を払って少女が言った。すぐに新たな雪が乗る。白い毛糸の帽子に雪の白が紛れている。

 少女は空を見上げる。灰色の雲に覆われ鈍く淀む空。フワフワと絶え間なく舞い降りる雪。幾つかが少女の美しい顔に触れて少しずつ溶けていく。あどけなさを残しつつ上品で優しげな顔立ち。化粧はしておらず、リップクリームと大差なさそうな薄い口紅だけが彼女の精一杯らしい。無邪気さの奥に儚さと昏い翳りを宿す瞳。やや血色に乏しい白い肌が薄幸な印象を強めている。

「そうだね」

 一緒に歩く少年は当たり障りのない返事をする。今時の高校生の平均よりは高いくらいの身長に、歪みはないがあまり特徴のない平凡な顔立ちだ。少年は淡い微笑を浮かべ、穏やかな瞳で少女を見つめていた。黒いダウンジャケットに灰色の綿パンで、髪は見苦しくない程度の手入れしかしていない。ファッションにはあまり気を配らないらしい。

「風邪引くよ」

 少女は手袋を填めた手を伸ばし、少年の頭に積もった雪を払い落とした。

「ありがとう。でもすぐ積もるよ」

 少年は苦笑する。

「それに僕は風邪を引かないし」

 少年は手袋を填めていなかった。

「今度帽子編んであげるね。マフラーも。完成は多分、次の冬になるけど」

 少女はふと何かを思い出したように笑みを消して俯いた。そんな少女を見ながら少年は「ありがとう」とだけ言った。

 雪は降り続く。地面に落ちた雪はすぐに溶けてしまうが明日の朝には積もっているかも知れない。

 気を取り直したように少女が言った。

「この分だと来週はちゃんと滑れそうね。逆にあんまり吹雪になったら駄目だけど」

「東北だからここの天気とは違うんじゃないかな。でも多分、大丈夫だと思うよ」

 急速に夕闇が迫りつつあった。他愛のない会話を交わしながら二人は歩く。繁華街を離れて人通りは少なくなっている。

「おい、おめーら」

 いきなり声がかかって少女は肩を震わせた。少年はゆっくり振り返る。

 声をかけたのは今すれ違ったばかりの若者だった。二十才前後の三人組。髪を染め、サングラスやピアスやチェーンで身を飾っている。彼らは野卑なニヤニヤ笑いを浮かべていた。

「何ですか」

 少年が尋ねた。一人が嫌味っぽく言う。

「いやさ、おめえらパッと見よお、凄え不釣り合いな訳。お前みたいな何の取り得もなさそうなガキが、どうやってモノにしたんだ。貢ぎまくってんのか」

「はい、そうなんです」

 少年は平然と答えて向き直り、少女を促して歩き去ろうとした。そこに一人が回り込んで立ち塞がる。

「どいてくれませんか」

 少年は欠片ほどの動揺も見せなかった。少女は緊張した顔で少年の腕にすがりつく。それを冷たく見据えて若者が言った。

「お前らみたいなの見てると凄えムカつくんだよ。人の前でイチャイチャすんなってことだよ」

「イチャイチャしている訳ではありません」

 少年は三人の若者を見回した。無感動な瞳。周囲に人影がないのを確認しているようだ。

 少女は逆に人の姿を探しているようだった。不安と緊張。何か言いたげに少年を見上げる。少年は軽く頷いて歩き出した。

「失礼します」

 その胸を若者が押した。少年の上体が僅かに揺らぐが顔は無表情だ。

「俺らを舐めてんのか」

「いいえ、舐めていません」

 少年は言いながらポケットから白い手袋を出した。いや、軍手だ。皆の見ている前で素早く両手に填める。

「駄目っ」

 少女の顔が強張った。少年の腕を強く引っ張るがびくともしない。

 少年が言った。

「来週は修学旅行なんです。旅行中は、万が一にもトラブルは起こしたくないんです」

「それがどうした」

 眉をひそめ一人が問う。

「ですから、丁度いいと言えば丁度いいんです。本来、あなた達のような人が選ばれるべきなんです」

 若者達は首をかしげた。

 少年の瞳に何かが湧き上がってきた。抑えきれぬ、不気味な愉悦。

 少女が若者達に警告した。

「早く逃げて。そうしないと……」

「ハハ、何だってんだ。馬鹿か」

 一人が少女を掌で突こうとした。ゴキュン、と音が鳴った。

 少年の、自由な方の手が若者の手を掴んでいた。いや、正確には指を。

 若者の親指以外の指が、全て逆側に折れ曲がっていた。

「あっ。はな、放せ、ヅウゥゥゥ」

 若者が呻き始めた。他の二人はまだ呆然としている。少女が泣きそうな顔になった。少女の手から自然と少年の腕が離れる。

 少年の唇が吊り上がり、笑みを浮かべた。さっきまで少女に見せていたのとは別の、仮面のように虚ろな笑みだった。

 少年が動き出した。

 

 

 少年と少女はマンホールに押し込まれたものを見下ろしていた。首と手足を折られ、畳まれた三つの死体。鼻にピアスの刺さった顔が少年と少女を向いている。眼球が零れ落ちそうなくらいに見開かれた目は虚空を睨んで動かない。

「殺しちゃったね」

 少女が呟くように言った。

「うん。すまない」

 少年は死体ではなく少女に謝って、小さく溜め息をつきながらマンホールの蓋を閉じた。

 

 

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