第二話 虹夢島リゾート連続殺人事件

 

  一

 

 鋼源十郎は日本酒を手酌で飲みながら橋の下のリンチを見物していた。

 やっているのは制服を着た中学生くらいの少年が五人で、やられているのは同じ制服の少年が一人だ。囲まれて、腰を蹴られてよろめいて、また別の奴に蹴られて倒れ、蹴り起こされ、また蹴られてというのを繰り返している。

 やっている方はあからさまな不良という感じでもなく、遊び感覚で蹴りながらニヤニヤ笑っていた。

 やられている方は目に涙を滲ませながら、無言で耐え続けていた。

 土手の斜面に腰掛けた鋼は、のんびりとそれを眺めている。金属製の猪口に酒をスイと注ぎ、キュッと一口で飲む。またスイと注ぎ、すぐ一口で飲むというハイペースだった。

 と、笑いながら蹴っていた少年達の一人が鋼に気づいた。一瞬ばつが悪そうな表情になるが、仲間がいて気が大きくなっているようで、ふてぶてしいニヤケ笑いが復活してくる。

「おい、おっさん。何見てんだよ」

 声をかけられ、鋼はにこやかに答えた。

「暴力をつまみにして飲んでるのさ」

「何だ、そりゃ」

「暴力はいいよな。分かりやすくてよ」

 鋼の平然とした態度に少年達は表情を硬くした。

「あっち行けよおっさん。そこにいると鬱陶しいんだよ」

「力ずくで追い払ってみなよ」

 鋼の返答に少年達は激高するが、すぐに相手の筋骨隆々とした体つきに気づく。勢いを失って互いの顔を見合わせるうちに、鋼が急に立ち上がった。

「なっ、やんのか……」

 鋼は踵を返して土手を登り去っていった。

「な、何だよ。口だけかよ」

 少年達は安堵して振り返る。蹴られ続けていた少年はまだそこに立っていた。

「おー、逃げてなかったか。偉い偉い。逃げたら明日もっとひどいことになってたもんなあ」

 少年達はリンチを再開した。

 が、数分後、鋼が戻ってきたのに彼らは気づく。

「な、何だよ。なんでまた来るんだよ」

「酒を切らしちまったからな。買ってきた」

 鋼はさっきの一升瓶でなく、紙パックの日本酒を持ってきていた。やはり一升だ。蓋を開けてまた手酌を始める。

「さあ、続けてくれよ」

 少年達は毒気を抜かれ、舌打ちしながら去っていった。

 橋の下には制服が土まみれになった少年一人が残された。やった方は意図的なものだったろう、顔は傷ついておらず、骨折などもないようだ。

 少年は口をへの字に曲げ、滲んだ涙を袖で拭う。つまみがなくなっても飲み続けている鋼に少年は言った。

「助けようとは思わないんですか」

「女なら助けたさ。お前は男だからな」

「それって、男女差別じゃないんですか」

「俺が育ったとこじゃな、男は戦うモンと決まってたんだ。戦う女もいるがな。とにかく、男は自分でなんとかしなきゃいけないのさ。少なくとも、戦う意志がない奴は侮られる。それは、死ぬよりも辛いことだ」

 別に説教する態度でもなく、あっけらかんと鋼は語った。

 黙って下を向く少年の足元に、鋼はヒョイと鉄の塊を放り投げた。

「やるよ、それ。その気があるなら使いな」

 それは武骨なデザインのメリケンサックだった。少年の手の大きさに合わせて今作ったものだ。相手に当たる部分は棘状の突起がついていた。

「……。えっ。いや、これは……」

「一つじゃ足りねえか。じゃもう一つやるわ」

 鋼は同じものをすぐ作って投げる。

「いや、その、こういうのはちょっと……」

「うーん、喧嘩慣れしてないと使いにくいか。なら長物がいいな」

 鋼は背中に手を回すと、シャツの下から引き抜くふりをして体内から槍を出した。長さ一メートル八十センチ、柄まで金属製で穂は十文字になっている。放り投げると、二つのメリケンサックの横の地面に突き刺さった。

「相手に柄を掴まれないようにな。素早く刺して素早く引け」

「いや……あの……警察に捕まります」

 少年は冷や汗を掻いて正論を述べた。

「そうかあ。警察は嫌かあ。なら仕方ねえ。ここに相談しな。安くやってくれるんじゃないか。多分な」

 鋼はポケットから折り畳まれたチラシを出して水平に投げると、手裏剣みたいに回転しながら飛び、槍の柄に当たって落ちた。

 手酌で飲みながら鋼が去った後、少年はチラシを拾って開いてみる。

 「お困り事なら大路ミラクル探偵社へ! おかしな依頼も歓迎します!」という見出しが真っ先に目に入ってきた。

 

 

  二

 

 大路ミラクル探偵社を訪れたその男は不吉な雰囲気をまとっていた。

 外見的な年齢は三十代で、地味な灰色のスーツを着ていた。微妙に猫背で、顔立ちは不細工という訳ではないのだが常に眉をひそめて陰鬱な表情をしている。活気のない死んだような目で所長の大路幸太郎を見据えていた。

 陰気な来客にソファーを勧め、ニコニコして大路は言った。

「お久しぶりですね、イクスプラクさん。いや、この国風のネーミングをするなら、生須風楽(いくすぷうらく)というのはどうでしょう。字はこんなふうで」

 大路は紙に「生須 風楽」と書いてみせた。目だけ動かしてそれを見て、イクスプラクは疲れた声を返す。

「そういうのはやらない」

 自分の名前を勝手にいじくられても怒ったりしないのは、人間が出来ているのか。それとも、相手が大路だからか。

「それで、ご依頼ですか。何しろ私達は探偵ですからね」

 ローテーブルを挟んで向かい合わせにソファーに腰掛け、大路が尋ねた。

「いや。一応、釘刺しに来ただけだ。三日前の銀座の騒動の件でな」

 そう言ってイクスプラクは冷淡な視線を事務所内に巡らせる。鋼源十郎は割り当てられた自分の机に両足を投げ出して、やはり酒を飲んでいた。イクスプラクの視線を平然と受け流す。

 水上麗羅はイクスプラクの来訪を察したのか、少し前から姿を消していた。

 風原真はさっきまで自分の机で書籍を読んでいた。『私立探偵虎の巻 尾行から暗殺まで』というハウツー本で、所長からのお下がりだ。今は二つの湯呑みを盆に乗せて、慎重に運んでくるところだった。

「ど、どうぞ」

 緊張で少しばかり手を震わせながら、ローテーブルに二つの湯呑みを置く。

「うん、ありがとう」

 大路は早速一口飲んだ。イクスプラクは黙って数秒間風原を観察し、大路に言った。

「一般人を雇ってるのか。何の意味がある」

「えっ、僕がいるのは無意味って、ことですか」

 風原が目を見開いて固まった。

「それは……ペットの猫を捜したら、同じ猫が三匹も四匹も出てきたし、お茶も自分では淹れられないし、僕は、やっぱり、役に立ってないと、いうこと、ですか」

 ガクン、ガクン、ガクガクガク、と風原の体が震え出す。鋼はふと衝立で区切られた給湯スペースに目をやった。誰もいないが、視線を戻すと目の前に淹れたてのお茶が置かれていた。取り敢えず一気に飲み干してから、また日本酒の手酌飲みに戻った。

 風原のおかしな挙動をイクスプラクは死んだ目で見ていたが、大路所長は自信満々に宣言した。

「風原さんはうちの有望な所員です。予定調和の膠着状態に混沌を投げ込んでくれることを期待しています」

 風原の震えが止まった。

「……そうか。僕は、期待されてるんだ。ちゃんと、まともに……」

 低い声で呟きながら、風原は自分の机に戻った。「それって褒めてるのかね」という鋼の突っ込みは小声だったので風原の耳には届かなかった。

「で、銀座の件でしたね」

 改めて大路が話を戻す。

「そうだ。水晶の手首の行方などについては、委員会は関知しない。問題は、カイスト同士が派手にやり合って、数千人規模の死者を出したことだ」

 イクスプラクは淡々と告げた。

「うーん、しかしですねえ。まず強奪事件を起こしたのはペドゥーサという魔術士ですし、うちの所員達も彼を追跡中、別のカイストに襲われて自衛しただけです。それに、所員達は一般人や環境に多大な被害を及ぼすような技は使っていません。つまり、我が社は特に悪くありません」

 弁明する大路の態度は穏やかで且つ堂々としていた。

 暫くの沈黙の後、イクスプラクは言った。

「地下鉄駅の崩落は地盤沈下ということにした。魔術戦を見た者達についても記憶処理し、映像記録も消去してある。ザトゥ・ルメルは逃走中だが、いずれ委員会が捕獲する。今回はそれで片づく規模だった。……『無手勝』、聞いておきたい。何処までやるつもりだ」

「私自身が楽しんで、満足するまでです。それが大前提です」

 大路は即答した。

「その上で、私の好みはハッピーエンドです。積極的にこの星に迷惑をかけるつもりはありませんよ」

「うちとしても、積極的にお前と敵対するつもりはない」

「それは良かったです。お互いに友好的な関係でありたいものですね」

 大路はにこやかに返した。

 イクスプラクは結局お茶を一口も飲まずに去っていった。

「『歪め屋』イクスプラクか。いやあ、大物が来たなあ」

 鋼がアルコールたっぷりの嘆息を行った。両足を机に投げ出して気楽な態度を装っていたが、イクスプラクがいる間、いざとなったらすぐ動ける態勢を維持していたのだった。

 イクスプラクは鋼の素性を知っていたのかどうか、一言も声をかけなかったし、鋼の方も敢えて挑発したりはしなかった。

「この星って、『歪め屋』が来るほどにヤバい案件があったのかね」

「どうかしら。四神会があちこちでテロを起こしてるから、この星にも潜伏している可能性はあるでしょうけれど」

 いつの間にか戻っていた水上が鋼に答える。

「ああ、四神会は……まあ、開戦の理由は分かるんだがな。結局やってることが、なあ」

 そんなやり取りを聞きながら風原は本を読んでいるふりをしていた。

 キュルーキュルキュルキュルと、大路の腹が鳴る。

「ふむ。そろそろですかね」

「昼飯かい。出前頼んでたっけ」

「それもありますが、そろそろ新しい依頼が来るんじゃないかと思うんです。面白い依頼が。一昨日はペットの猫探しで、昨日は中学生のいじめ解決。まあ肩慣らしといった感じでしたからね」

「いじめの方は簡単だったよな。いじめてる奴らの手足折って、後は水上がまとめて洗脳してお終いだ。猫の方はなんか、変な感じだったが」

 鋼が片眉を上げて微妙な顔をする。

「依頼人の方は喜んでましたね。七匹全て引き取ってもらえましたし、報酬も七倍でした。七という数字は縁起が良いですねえ。……と、来たようですな」

 呼び出しのチャイムが鳴り、風原が事務所のドアを開けて客を迎えた。

 やってきたのはピザの出前と客の両方だった。

「折角ですからあなたもどうぞどうぞ」

 客にもピザを勧め、大路も早速食べ始める。

「ニコニコピザじゃなかった……。もしかして、ニコニコピザは、最初から存在しなかった……」

 ピザ屋の制服をじっと見ていた風原は、よく分からないことを呟いていた。

「ああ、いや、俺は食べてきたから……まあ少しだけ頂こう」

 ピザを一切れ貰った客は、御厨(みくりや)という警視庁捜査一課の刑事だった。年齢は四十才前後で、坊主頭が伸び過ぎたような髪型に、不精髭を生やしていた。くたびれたスーツには煙草の匂いが染みついているが、灰皿が置いてなかったのでここで喫うのは断念したようだ。どうもエリートとは程遠い人物に見えた。

「ほほう、刑事さんですか。やはり探偵ならば殺人事件を解決するべきだと思っていたんですよ」

「いや、普通は警察が探偵にそんな依頼するなんてあり得ないんだがな。俺ははみ出し者でね。ここって評判いいんだろ」

 御厨刑事はそう言って、風原から受け取ったお茶を飲む。

「ほう、もうそんなに高評価を頂いてたんですか。探偵を始めてまだ三日なのに、実にありがたいことです」

「ん、開業して三日だって。……なんで俺はこんなとこに……うーん……」

 御厨は首をかしげる。鋼は客がいても平気で酒を飲み続け、ニヤニヤして見守っていた。

「まあ折角来て下さったのですから、これは我が探偵社向けの案件だと思いますよ。さて、どんな殺人事件のご依頼ですかな」

「まだ殺人事件とは言ってないんだが……いや実際のとこ、殺人事件なんだがね。虹夢島(にじゆめじま)って知ってるかな」

 気を取り直して御厨は話し始めた。

「ふむ、虹夢島ですか」

 大路は分かったような顔で頷いてみせながら、チラリと水上麗羅を見る。

「伊豆諸島の西にある小さな島ね。一応東京都に所属していて、最近はリゾート開発が進んでいるとか」

「よく知ってるな。さすがは探偵だ」

 刑事は水上に振り向いて笑いかけた。鋼が「どうせデータバンク漁っただけだろ」と呟いたが、刑事の耳には届かなかったようだ。

「その島で、殺人事件ですか」

 大路が尋ねる。

「ああ。二日前のことだ。一晩のうちに十四人も殺されたんだが、まだ箝口令が敷かれててニュースにはなってない。どうも殺され方がおかしくてね。それで……」

「分かりましたっ、引き受けましょうっ」

 大路がやる気満々で叫び、御厨をドン引きさせた。

 

 

  三

 

 風原真は眼下に広がる大海原を、ヘリコプターの窓からボンヤリと眺めている。

 海はとにかく青くて広くて、何もない。東京湾周辺では多くの船舶が動いていたが、今はもう見かけない。

「何もない。僕の人生みたいだ」

 風原の力のない呟きに、隣のシートに座る鋼源十郎が眠そうな顔を向けた。

「そうか。何もないか」

「はい。僕には何も……」

「なら自分で何かを積み上げて、人生を充実させるこったな」

 風原は目を見開いた。重要な真実に気づかされたような顔をして。

「そ、そうか。自分で積み上げたらいいんだ。……でも、何を積み上げたらいいんでしょうか」

「そいつは自分で決めなよ」

 それだけ言って、鋼は正面に向き直り大きな欠伸をした。

「そうか……自分で……でも……」

 風原は下を向いてボソボソ呟いていた。

 その前のシートでは、大路所長が隣の御厨刑事から殺人現場のことを聞いている。

「ふむふむ。背後から銛で心臓を一突き……」

「ふむふむ。密室で首を切り裂かれて……」

「ふむう。ほぼ同じ時刻に離れた別の場所で殺人が……」

「十四人の殺害で、手口が全てバラバラ、と。なるほど、これは推理し甲斐がありそうですねっ」

 大路は嬉しそうだった。今回は推理を楽しむために自ら現場に乗り出してきたのだ。そしてすぐに犯人が分かってしまったら面白くないので、水上麗羅は留守番となっている。水晶の手の調整に時間が必要という理由もあった。ただし、いざという時に連絡が取れるよう、使い魔の烏が一羽、後ろの荷物に隠れていた。

 風原が、ふと思いついたように鋼に尋ねた。

「あ、あの、カイストって、何なんですか。皆さんがよくその話をしてますけど」

「カイストか。そうだな……でか過ぎる望みを持っちまったために、何度も何度も生まれ変わりながら修行を続けてる、物凄くしつこい変態さん達、ってとこかな」

「変態さん、なんですか」

「そうだ」

「生まれ変わるんですか」

「そうだ」

「すると皆さん、物凄く長く生きてるんですか」

「何度も死んでるが、そういうことになるな。俺は七十六万才だし、大路所長は三百億才くらいだったな」

 前の席の刑事やヘリの操縦士に聞こえているだろうに、鋼は平然と語る。一般人がこの手の話を信じないことを理解しているのだ。

「三百億才……。じゃあ、水上さんは何才なんですかね」

「女に年を尋ねるなって言われたことないか」

 鋼が突っ込む。後ろの烏は何も喋らない。

「まあ、俺の勝手な推測だが、そんなに年じゃあないと思うぜ。一千万才も行ってないだろ、多分。年を取るとな、ちょっとした仕草とか物腰とかに出ちまうんだよな。風格みたいなもんがな。それが迫力になっちまう人もいるな」

「はあ……」

 風原はまた俯いて考え事をしているようだった。

 暫くして顔を上げ、彼は言った。

「僕は、カイストになりたいです」

「そうかい。まあ、頑張ってみな」

 鋼は適当に返した。

 前の席で大路が顎を撫でて思案していた。

「ふむ……。島の住民は二百七十二人、滞在していた観光客は、死者を除いて三十人。容疑者はこの三百二人の中にいると思われる訳ですね。警察が……御厨刑事さんを除いて三十七人。現在人の出入りは禁じているのですね」

「ああ。上の方は大ごとにせず穏便に片づけたいらしくてな。俺はそれが気に食わなかったから部外者のあんた方を呼んだって訳だ。その穏便にしたい原因がこいつらだ」

「ふむ。被害者に、国会議員さんと……岩神重工の社長さんですか」

 大路が読ませてもらっている警察の資料は勿論部外秘のものだったが、操縦士もわざわざ咎めたりはしなかった。

「磯村は与党の重鎮だ。前に大蔵大臣をやっていた。岩神重工は与党と深い関係でな。深いというか、あんまり表沙汰に出来ないというか、な」

「ふうむ。このリゾートホテルも、特殊な役割があったということですが、表現を濁されていますね」

「あー、それはな……。ここだけの話だが、金持ちや権力者が安全に女を買える場所がこの島で、このホテルだったって訳だ。それもちょっと特殊な性癖用のな」

「ほほう、もしかして殺人プレイを」

「いやそこまではないが、どうもSMはやってたみたいだ。ペド……小児性愛の方は、この島じゃなくて別のとこがサービスを提供してるらしいが。ま、これは噂だがね」

「なるほど、SMプレイが高じて殺してしまったという線も……」

 大路は勝手な推理を並べていた。

 やがて操縦士が言った。

「見えてきましたよ。虹夢島です」

 虹夢島は長径五キロメートル程度の楕円形をした島だ。面積の半分は未開発の森で、そんなに激しい起伏はない。港は一つ、ビーチは南側と東側にあり、南側ビーチに近いニジユメ・リゾートホテルが問題の現場だった。

「ふむ。いよいよ私の華麗な推理を披露する時がやってきましたね。犯人はあなただっ」

 いきなり指差され、御厨刑事は呆れと失望と絶望の混じった顔をした。その肩にふくよかな手を置いて、大路は優しく告げた。

「大丈夫ですよ刑事さん。事件は必ず解決してみせます」

 鋼が気の毒そうな目で御厨を見て呟いた。

「まあ、解決するっちゃあするんだろうがなぁ。結果的には」

 一行を乗せたヘリコプターは無事ヘリポートに着陸する。

「到着の時間は伝えておいたのに。誰もいないな」

 真っ先に降りた御厨は辺りを見回して不審げな顔をした。

「不測の事態が起きているのかも知れませんね。新たな殺人とか」

 大路がニコニコしてひどいことを言う。

「ここって死体安置所はあるのかい」

 鋼源十郎が何度か鼻をヒクつかせ、御厨に尋ねた。

「ああ。遺体安置所というが、この島にも一応派出所があってな。遺体は全部そこにある筈だ」

「ふうん。じゃあ、これは別口だな」

 ヘリポートのそばに物置らしき幅五メートルほどの箱があった。鋼は歩み寄り、スライド式の扉を開ける。

 中には掃除道具や草刈り機などと一緒に、血みどろの死体が転がっていた。警察官の制服を着た若い男で、首に鎌が突き刺さっていた。

「血の匂いがしたんでな。死後三、四時間ってとこか」

 鋼が言った。御厨が駆け寄り、死体の顔を確認する。

「た……田島巡査だ。この島の派出所に勤めていた」

「ふうむ。十五人目の犠牲者ですか」

「十五人で済みゃあいいがな」

 平然と考え込む大路に鋼が突っ込みつつ、ふとヘリの方を振り返る。風原の後ろ、まだ開いていたヘリのドアから音もなく使い魔の烏が飛び降りたのだが、着地したと思ったらよろめいて、そのまま小さくなって消えてしまった。

「烏が消えたぜ」

 大路の横に立って鋼は小声で告げた。

「ふむ。距離が遠すぎて力が届かなくなったという可能性は……彼女のことですからないと思いますね」

「どうもここは妙な感じがする。誰かの張った結界に入っちまった感じに似てる。所長も気をつけろよ」

「私は大丈夫ですよ。何しろ有能な所員が同行しているのですからね」

 大路は鋼を正面から見返して微笑みかけ、鋼は少しばかり恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。

「まあ、力を尽くすさ」

 ヘリの操縦士を残して、一行はニジユメ・リゾートホテルへ向かう。歩いて二百メートルほどの距離だが途中に人の姿を見かけなかった。警官も、住民も。

 ホテルは十五階建ての、小さな島に不相応なほど高級な建物だった。だがロビーに入っても人影はなく、フロントも無人だ。

「誰かいないのか。おいっ、誰かっ」

 御厨が怒鳴る。ホテル内は静まり返っていて動きはなかった。携帯電話を取り出して同僚にかけようとするが、圏外表示になっている。

「おかしいな。ここは携帯が使える筈だが……」

「次があったぜ」

 鋼がフロントカウンターを軽々と飛び越して向こう側に着地すると、カウンターの裏側を指差した。大路と御厨が身を乗り出して覗き込む。

 カウンター裏、ちょっとしたものを置ける棚スペースに、折り畳まれた人間が無理矢理押し込まれていた。首が折れているし、他にも色々と折れたり潰れたりしていた。制服からはホテルマンのようだ。

「犯人は怪力の持ち主、ということですか……」

 大路がまた考え込む。

 と、御厨の持つ携帯が鳴り出して彼はビクリと身を震わせた。表示は「横井誠司」となっている。すぐに応答ボタンを押して相手に呼びかけた。

「御厨だ、一体どうなってる。ホテルに着いたが誰もいないぞ。それに新しい死体が……」

 向こうから届いたのは最初はノイズだった。大路は耳を寄せ、鋼は素の聴力で聞き取っていた。

 ザザ、ブツ、ブツ、という雑音にまみれながら、やがて低い声が聞こえた。

「こ……くだ……」

「何だ。聞こえないぞ」

「ここは地獄だ」

 今度ははっきりと聞こえた。続いて銃声らしき音が二回。御厨は凍りつき、鋼は天井に目を向ける。

「ここは天国さ」

 また声がした。さっきの男とは別人のようだ。

「誰だお前は」

 御厨が問うが、電話は向こうから切られた。

 鋼が言った。

「なんか推理というよりはホラー風味になってきたな。……で、今の銃声だがこのホテルの上の階だ。十三階か十四階だと思うが、行ってみるかい」

「そうですね、行ってみましょう。多分密室ですよ」

 大路は嬉しそうに答えた。

 一行はエレベーターへ歩いていくが、途中で物音が聞こえ立ち止まる。

 通りかかったトイレの方からだった。

「さっきまで気配は感じなかったんだが。ちょっと離れててくれ」

 鋼が先頭に立って歩み寄り、男子トイレのスライド式ドアを開けた。

「あっ」

 トイレにいた男がこちらを見て声を洩らした。ホテルマンの制服を着て、その服は血まみれで、右手に出刃包丁を握っていた。

 男の前の床にスーツの男が倒れ伏していた。背中に血が滲んでおり、ピクリとも動かない。

 一行が黙って見ていると、血のついた包丁を持ったホテルマンはぎこちない笑みを浮かべて言った。

「すみません、閉めてもらえますか。使ってますので」

「ああ、悪い」

 鋼は取り敢えずドアを閉めた。

「……いや、個室じゃないんだからさ」

 御厨が突っ込んだ。トイレは小便器が五つ、個室が三つはあった。いやそこより突っ込むべきところがある筈だが、刑事も混乱していたのだろう。

「ところで。今の男なんだが、カウンターに詰まってた死体と同じ顔じゃなかったか」

 鋼が大路を一行を振り返る。

「うーん、どうですかね。本人に聞いてみましょうか」

「じゃ、また開けるわ」

 鋼はスライドドアを再び開けた。

 やはり小便器の並ぶ前に男が立っていたが、さっきのホテルマンとは違っていた。

「えっ」

 男が一行を見て目を瞬かせた。三十代くらいでアロハシャツを着ていて、その手に血の付いた金属バットを握っていた。

 刺されたスーツの死体の横に、さっきのホテルマンが倒れていた。頭頂部から後頭部にかけて派手に陥没して血を流している。どうやら即死のようだ。

「何だこりゃ」

 鋼はスライドドアを閉めた。で、また開けてみた。

 アロハシャツの男も血まみれで俯せに倒れていた。その背に馬乗りになった男がこちらを見て「あれっ」と言った。

 アイスピックと柳葉包丁の二刀流で逆手に振り上げているのは、風原真だった。

 鋼は仲間達を振り返る。御厨刑事と大路所長と、大人しくて存在感が薄かったが、確かについてきている風原がいた。

 その風原もトイレで凶器を握る自分を見て「あれっ」と言った。

 鋼はまたドアを閉めた。

「今の人、なんか見たことのある顔でしたね」

 風原の感想はそれだけだった。

「また開けてみるかい」

「開けましょう」

 ニコニコして大路が言った。御厨刑事は頭を抱えていた。

 またドアを開けたら風原も死んでいた。警察官が拳銃を握っている。今銃声はしなかったが、撃ったばかりらしく銃口から煙が薄く昇っていた。トイレの床に転がる死体は四つになっている。

「え、あ、その、これは、違うんです……」

 警察官が何やら言い訳しようとしながら銃口をこちらに向けたので、鋼は取り敢えずドアを閉めた。

「ふうーむ。この国には、ポケットを叩くたびにビスケットが増えるという歌があるんですよね」

「それはビスケットが砕けてるだけなのでは……いや何でもない、忘れてくれ」

 御厨が吐きそうな顔で言った。

「どうもこりゃおかしいな。まともな現象じゃない」

 とか言いながら鋼はまだトイレのスライドドアを開けたり閉めたりしていた。開けるたびに凶器を持った新たな誰かが立っていて、前の人物は死体になって転がっていた。

「ああ、やっぱり……これは妄想なんだ。僕は現実から目を逸らして、勝手な妄想の中にいるんだ……」

 風原は頭を抱えてボソボソ言っている。

「いやこれは現実だぞ。多分。俺が酔っ払ってるんじゃなけりゃな。今は酔ってないし、酔っててもいざとなったら一瞬で醒める筈なんだがなあ」

 鋼も微妙に自信なさそうだった。殺人者の補充は延々と続けられ、トイレの床は死体で足の踏み場もないほどになっていた。更には死体の上に死体が積み上がってきている。

「むっ。これは問題ですね」

 いきなり大路が言い出したので鋼はドアを閉めようとする手を止めた。

「所長、何が問題なんだい。いや何もかも問題だとは思うが」

「あれを見て下さい」

 大路は転がる死体の一つを指差した。喉の裂けた若い女性だった。

「男子トイレなのに女性がいるのは問題ですよね」

「まあ……そうだな」

 新たな殺人者は血まみれの鎌を持ってプルプル震えていたが、無視して鋼はドアを閉めた。

「埒が明かねえから、そろそろ上に行ってみるか」

 鋼が提案した時、ドンッ、と大きな音が外から聞こえた。重いものが地面にぶつかったような音だった。

 一行は互いの顔を見合わせ、結局玄関に戻って外に出てみた。

 若い女が倒れていた。飛び降りたばかりのようで、耳の穴から血が流れ出してくる。まだピクピク動いていたが、頭蓋骨の陥没具合からもう長くはなさそうだ。それと、背中に刺し傷があった。

 御厨がホテルの屋上を見上げると、誰かが立っていた。

「ここは天国だ。ははははは」

 その男は五十代くらいで、上半身裸のがっしりした体格だった。血のついたサバイバルナイフを手に、高らかに笑い声を上げている。

「あ……岩西さん。あなた、死んだ筈では。殺されて……」

 御厨の声は悲鳴に近かった。岩西光輝は岩神重工の社長で、殺された十四人のうちの一人だった。

「んー。ああ、刑事さんか」

 岩西は胡乱げに顔を歪めたが、御厨の素性に気づいて笑みを浮かべた。その目はギラギラと過剰な歓びに輝いている。

「殺されたって。いいんだよ。殺したり殺されたりは。幾らでも殺したり殺されたり出来るんだよ、ここは。だからここは……」

 岩西の言葉が止まり、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 血まみれの女が立っていた。岩西の腹を破って尖った銛の先端が突き出していた。

「この、お前は、大人しく死んでりゃ、いいんだよ」

 岩西と女が揉み合いとなり、よろめいて屋上の柵を越える。一行の見ている前で、二人は絡み合ったまま十五階建てホテルの屋上から落ちてくる。

 ゴシャリと大きな音を立てて地面に激突し、二人は動かなくなった。

「……何なんだ。何なんだよ、ここは。地獄なのか。……頭が、おかしくなる……」

 御厨はこめかみを押さえ、呻きながらよろめき去っていった。

 三人は止めもせずそれを見送って、風原がニコリと微笑んだ。

「僕以外にも頭のおかしくなる人はいたんですね。安心しました」

 返事の代わりに大路の腹が鳴り出した。腕時計を見ると午後六時を過ぎている。それから大路は空を見上げた。

 太陽は中天にあって強い日差しを投げかけていた。

「取り敢えず、夕食にしましょうか」

 大路は言った。

 

 

  四

 

 ホテルの食堂には幾つか死体が転がっていたが、バイキング形式の料理が用意されており、生きた従業員は見当たらないのに作り立てで温かかった。

 死体を放置して好きなだけ皿に取り、三人は同じテーブルを囲んだ。

「ふむ……。あまりお腹が空いていませんね」

 常人の倍の量を食べながら大路が呟いた。

「お腹が空いてないとなんかあるのかい」

 更にその三倍の量を食べながら鋼が尋ねる。

「私の力が使われるとカロリーを消費するんですよ。あまりお腹が空いていないということは、あまり力が使われていないということです。つまり、この島の異常現象に私は関与していないことになりますね」

「ふうん。……そういえば、なんだが。島に着いた時に、結界に入ったみたいな感じって話したがな」

 そう前置きして、鋼はオレンジジュースを飲み干した。アルコールも置かれていたが、さすがにこの状況で飲む気はないようだ。

「死んだ奴を生き返らせる結界ってのがあったわ。俺が知ってるのは条件が割と厳しかったけどな」

「ふむ」

「殺し合いをしたいけど今死ぬのは都合が悪い、でも模擬戦じゃあ物足りないって時に、伯父貴達が用意してたわ。死ぬ前に予め結界を張っとかないとダメだし、その結界から出ちまったら無効になる。それに、生き返らせるのにかなり我力食うから、ロゾムの伯父貴の大出力が必須だった。まあそれはAクラス同士がバンバンやり合う時だったから、一般人を生き返らせる程度ならそれほどコストはかからないかもな」

「ふむ……。では、この事件はカイスト案件ということになりますかねえ」

「多分、な。ただ、術者の気配を今のところ感じないのと、効果がグチャグチャな感じなのが気になる」

 鋼はガラス張りの食堂から外を見る。食事の間も上から飛び降りたり突き落とされたりする者がいて、地面の上に二百体くらい積み重なっていた。死体には同じ顔をした者が何人もいた。ヘリポート近くの物置で発見された巡査の新たな死体も二体ほどあった。

「……刑事さんは、戻ってきませんね」

 ポツリと風原が言った。

「さて、天国を味わいに行ったのか。それとも地獄かな」

 鋼が返したところ、女性の声で突っ込みが入った。

「天国でも地獄でもないわね」

「意外に早かったな。加速歩行持ってたのか」

 三人は食堂の入り口を見やる。喪服のような黒衣の水上麗羅が立っていた。

「長距離移動用の魔術があるから。使い魔との繋がりが切れたので追ってきたのだけれど、随分とおかしなことになっているみたいね」

「私の超絶推理を披露したかったのですが、ちょっと方向性が違ってましたね」

 大路の言葉に水上は首を振り、妖しく微笑した。

「私は所員ですから。所長の活躍のために全力でサポート致しましょう」

 

 

  五

 

 虹夢島では常に新たな殺人が起こり続けていた。

 一昨日の晩に十四人が殺され、翌朝警察が到着してから暫くはまだ、落ち着いていた。犯人が何者なのか、皆疑心暗鬼ながらも、何十人もの警官が滞在しており既に安全になったと考えていた。

 状況が変わったのは御厨が本土へ向かって飛び立った後の夜八時、殺された筈の岩西光輝がホテルのロビーに姿を現した時だ。彼は上半身裸だったが、死体にあった胸と脇腹の刺し傷は存在しなかった。

 悲鳴を上げるフロント係。動揺する警察陣。彼らに注視されながら岩西は狂笑を浮かべ悠然と厨房へ入っていき、戻ってきた時には両手にそれぞれ包丁を握っていた。

「俺を殺した奴は何処だ。禿げ頭の目の細い男だ。俺を細いナイフで刺しやがった。どの部屋の客だ。俺が殺し返してやる。邪魔すんじゃねえぞ」

 岩西はフロントに詰め寄り、ワタワタしている女性従業員をあっさり突き刺したのだ。警官達がワッと取り押さえるその後方を、国会議員の磯村大典(だいすけ)がフラフラと歩いていきエレベーターに消えた。

 信じがたいことだが死体が生き返った可能性、或いは死んでいなかった可能性を考慮し、刑事達は数名の警官と手錠を掛けた岩西を連れて派出所に向かった。岩西を留置場へ放り込み、地下の遺体安置所を開くと、そこにあった死体は十四体ではなかった。

 倍以上、三十二体の死体がベッドがないため床に並べられていたのだ。同一人物の死体が複数あったりもしたが、死因らしき傷は違っていた。岩西の死体はそのまま残っていた。

 彼らは悪夢を見ているのではないかと疑いつつも、本土に報告して指示を仰ごうとした。だが、その頃には携帯も含めて電話が繋がらなくなっていた。或いはたまに繋がっても相手が正体不明でおかしなことを言ってくるのだ。

 警察陣もどうすべきか分からず混乱しているところに、禿げ頭の殺し屋が三人で派出所を襲撃してきたのだった。同じ人物が三人で。岩西を今度こそちゃんと殺すために。警官が二人刺殺されたがなんとか三人を射殺した。すると殺されたばかりの警官と同じ男が首をかしげながらやってきて、「あれえ、なんか僕、死にましたよね」と言ってきたのだ。

 その辺りから狂乱が始まった。刑事も警官達も笑いながら人を射殺したり自殺を繰り返したり、留置場の岩西を射殺したりした。ホテルでも死んだと思われていた者達が続々と戻ってきて暴れ、揉み合い殺し合いとなっていく。襲ってくる元死体に応戦していたホテルマンは、隣で一緒に戦ってくれている者が自分自身だと気づいて発狂した。

 殺し合う狂気の波は夜のうちに島全体に広がり、もう一つのリゾートホテルも殺人者と死体で溢れ返った。森に逃げた者とそれを追う者。それらをまとめて片づけるため笑いながら森に火を放つ者。森は焼けたり鎮火したりいつの間にかまた燃えていたりした。ボートに乗って島を脱出しようとする者もいたが、ある程度離れるといつの間にか島の近くに戻っており、絶望と共に水中銃を持ち出して殺し合いに参加した。

 警察陣の持つ拳銃は撃ち尽くしてもいつの間にか弾丸が補充されており、彼らは積極的に乱射した。それを止めようとするまともな警官もいたが同僚に何度も撃ち殺された。終いには一人の警官が殺人側と制止側に分かれて総勢三十人くらいで争い、全員が発狂してとにかく他人を見かけたら殺すようになっていた。

 積み上がった死体はたまに消えたり別の場所に移動したりしていた。ホテルの大型プールは死体で埋まっていた。最上階のスイートには様々な殺され方をした岩西の死体が二百体くらい詰まっていた。

 そんな狂乱の、ほんの僅かな凪の時間に、大路ミラクル探偵社の一行がヘリで到着したのだった。

 そして今、彼ら四人は地下のVIP用フロアを進んでいた。廊下にはホテルマンやら護衛っぽいスーツの男やらの死体がゴロゴロ転がっている。腹を裂かれた岩西の死体も幾つかあった。

 廊下の突き当たりに近い場所には、同じ顔をした死体が並んでいた。四十代後半で痩せ型、体に古い傷痕が幾つもある。どれもパンツ一枚で、顔が紫色に膨らんだ絞殺体であったり、胸と腹に幾つも刺し傷があったり、物凄い引っ掻き傷があったり、手首を切り裂かれていたりした。

 国会議員の磯村大典の死体だった。

 最奥の部屋の前に立ち、大路が呼び出しボタンを押した。

 やがて、苦しげな男の声が返ってきた。

「誰だ」

「探偵の大路と申します。そろそろこのイベントをお開きにして頂こうと思いまして」

「……。そうか」

 暫くの沈黙の後、ロックを解除する音がして、ドアが開かれた。

 パンツ一枚の磯村大典が立っていた。胸に幾つか新しい火傷があり蝋が付着しているが、取り敢えずはまだ生きている。

「まあ、入りたまえ」

「失礼します」

 鋼を先頭にして四人は部屋に入った。

 VIP用のプレイルームは完全防音仕様で、広いスペースにはキングサイズのベッドに撮影機材、そして様々な拷問用具が揃っていた。傷の残らない程度のソフトな鞭や低温蝋燭から、針やペンチ、そして骨の砕ける指締め具やナイフまで。半田ごてや鋸もあった。

 室内にも死体が転がっていた。二十体以上、やはり磯村の死体で、様々な拷問を受けた後が残っていた。

 ベッド横の豪華な椅子にボンデージ衣装の女が座っていた。尊大で気だるげな姿勢で椅子にもたれ、目元だけを覆う仮面を着けていたが相当な美人なのが分かる。入ってきた探偵社一行に見下すような視線を投げていた。

「何。複数でのプレイは料金に入ってないわよ」

 女が言った。

「いや、プレイはない。どうやらお開きの時間らしい」

 磯村は答えてベッドに腰を下ろした。

 室内を一通り見回して、大路が言った。

「なるほど。あなたのご趣味はMの方だったのですね」

 死体は磯村のものばかりで、女のものは見当たらなかった。

「そうだ。大っぴらには出来ないから、こういった場所でひっそり楽しむしかなかった」

 磯村の態度は冷静で、堂々としていた。

「この島で起きている怪現象については大体ご存知と思いますが」

「ああ、分かっているつもりだ」

 自分の死体を一瞥しつつ磯村は頷く。

「我が探偵社の有能な所員によりますと、この怪現象の原因、いえ、少なくともきっかけは磯村さん、あなたらしいのです。事情を聞かせて頂けますかな」

「……そうか。確かに、これは私の責任なのだろうな」

 磯村は長い溜め息をついて、台の上に拷問器具と共にあった煙草の箱から一本抜いた。ライターで火を点けるが、ボンデージの女が見ているのに気づくとそれを差し出した。女は美味そうに煙草を喫い、磯村は我慢する。

「SMと簡単に一言で語られてしまうがね、サディズムにもマゾヒズムにも色々あると思うんだ。私はマゾの方なんだがね。単なる苦痛や絶望が好きな訳ではない。……私の望みはね、彼女のような美女に冷たく見下ろされながら、最高の苦痛と快楽を味わって死ぬことだった」

「あんたらも、こいつのことどうしようもない変態だと思うでしょ。糞迷惑なことを何度もやらせて」

 女が探偵社の面々に言った。

「美女に見守られながら死にたいというところは、まあ、私も共感出来ますよ」

 大路が微笑して答えた。フン、と女が鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 磯村が話を続けた。

「だが死ぬ訳にはいかないということも分かっていた。私は与党の国会議員で、この若さで大蔵大臣を務めたこともある。それがSMプレイで死ぬのは非常にまずいだろう。だから私はいつも、ぎりぎりで耐えていた。絶頂の瞬間にそのまま殺されたいが、死ぬ訳にはいかない。でも殺されたい。ああ、殺される感覚を安全に何度でも味わえればいいのに、と。鞭で叩かれて絶頂しながら、私はそう、強く願ったのだ。……その時に、声が聞こえてきたのだ。『その願い、叶えよう』とね」

「私も聞こえたよ。アホみたいな話だけどね」

 女が補足した。

「それで、何度でも死ねる環境が出来上がったという訳ですか」

「うむ、おそらくは、そういうことなのだろうな。何者かは分からない。神様なのか、悪魔なのか……。どうやってこんな環境を作り出したのか、想像もつかない。だが実際にそうなっているし、私としてはとても感謝している」

「こうして何十回も殺してもらえた訳ですからね」

 大路が言うと、女の方は嫌そうに口元を歪めた。磯村のリクエストに沿って何十回も殺してあげたのは彼女であった。相当な労力が必要だったろう。

 他の所員は大路に花を持たせるために、ただ黙って見守っていた。いや、風原は首のねじれた磯村の死体に顔を近づけてまじまじと観察していた。

「ただ、お祭りが始まってもう二日経ちました。あなたも国会議員としての仕事があるでしょうし、そろそろお開きにした方が良いと思います」

「……確かにその通りだ。だが、どうすればこの現象を止められる」

「あなたの願いが始まりでしたから、あなたが満足したと宣言すればおそらく終わりますよ」

「そうか。やってみよう。……充分堪能させてもらった。ありがとう。心から感謝している」

 磯村が天井を見上げてそう告げると、何処かから声が返ってきた。

「楽しんでもらえて何よりであった。さらばだ」

 年齢不詳の、よく通る、男の声だった。

 室内に並んでいた磯村の死体がサラサラと塵になって消えていく。水上麗羅が大路に「結界が消えたわ」と小声で告げた。

「幻聴かな。えっ、幻聴じゃない……」

 風原が一人で呟いていた。

「あーあ、やっと終わったかー。丸二日ぶっ続けでプレイなんて、随分と迷惑かけられたもんだわ」

 ボンデージの女が愚痴りながら、棘つきの鞭で力一杯磯村の背中をぶっ叩いた。

「あひぃんっ、ありがとうございますっ」

 磯村が良い声で鳴いた。

 

 

  六

 

 各所に設置してあった島内放送用大型スピーカーからのアナウンスで、祭りの終了が告げられた。以降は人を殺したら生き返らないので大人しくニジユメ・リゾートホテルに集まって欲しい、という内容が繰り返し放送され、人々は仕方なく武器を置いた。

 そこら中に転がっていた死体が消えたこと、また、内側から湧き上がっていた猛烈な殺人衝動が鎮静化したこともあり、彼らは悪夢から醒めたように虚脱した顔をしてよろめき歩いた。殺し合った相手を見かけ、互いにばつの悪い表情になる。

 島の住民にホテルの従業員に観光客、それから警察官も合わせて三百数十人がホテル前の広場に集合した。ちゃんとスーツを着た磯村大典の横には、地味な私服の女王がいた。ちなみに岩神重工社長の岩西に改めて禿げ頭の暗殺者が襲いかかったが、すぐ警官隊に捕縛された。一行を島に運んだヘリの操縦士もしきりに首をかしげながら佇んでいた。

「あっ、あの男がいる」

「ああ、確かにあいつだっ」

 多くの人々が風原を指差して叫んだ。

「え、何ですか。僕は……」

 風原は動揺して口篭もる。

「俺らを一番多く殺してた奴だ」

「俺なんかこいつに二十回は殺されたぞ」

「私も殺されたわ。包丁で滅多刺しにされた」

「この男に笑いながら内臓を抉り出された」

「こいつが十人くらいホテルの屋上から落ちてきて俺は潰された」

 口々に非難され、風原はどんどん俯いていった。

「僕は、覚えがないんだけど……いや、でも、もしかして、僕がやったのかな……僕は人を殺したかったのかな……そうか、僕の本性は殺人鬼で……」

「えー、皆さん、お静かに願います」

 拡声器を介して大路幸太郎の穏やかな声が響き渡ると、皆すぐに沈黙した。

「この二日間、虹夢島の皆さんは大変な目に遭われたことと思います。私は事件の解決を依頼された探偵として、皆さんに申し上げることがあります」

 そして疲れ果てた三百数十人をゆっくりと見渡して、注目されていることを確認してから、大路は続けた。

「犯人は、皆さん全員です。被害者も、皆さん全員です。これで謎は全て解けましたね」

 えらく嬉しそうだった。これが言いたくて依頼を引き受けたのではと思えるほどに。水上は澄まし顔で見守り、鋼は白けた様子で横を向いていた。

「……えっ、謎は、解けてないんじゃ……」

 誰かが反論しかけたが、かぶせるように大路が断言した。

「いえ、解けました。皆さんが見たのは集団幻覚です。集団ヒステリーの一種ですね。いやあ、稀有な体験をなさいましたね」

「え、幻覚、って……。あんなにリアルで、本当に殺されたのに……」

「集団幻覚です。その証拠に皆さんはちゃんと生きておられますよね。殺されたら普通は生き返りませんからね。ということでお祭り騒ぎもお開きですので、皆さんも平和な日常にお戻り下さい」

 大路の自信満々な態度に流されて、人々は疑念を残しながらもその無難な説に乗ろうとしていた。集団幻覚であった方が、殺人の罪悪感や殺された時の痛みを抱えて生きずに済む。ざわつきが少しずつ静まろうとしていたその時、銃声が響いた。

「ここは天国だ。幾らでも殺していいんだ。糞ムカつく同僚だってなあ」

 遅れて広場に到着した御厨刑事は歪んだ笑顔で口からは涎を垂らしていた。撃たれた横井刑事が呻きながら崩れ落ちる。

 御厨は殺しに没頭し過ぎて、島内放送があまり耳に入っていなかったのだ。握っていた拳銃を今度は別の警官に向けて発砲した。笑いながらどんどん撃って、住民の一人も悲鳴を上げて倒れた。

 警官達がワッと飛びかかって御厨を押さえつけた。悲鳴と怒号が飛び交うが、人々の大半は疲れていたし慣れていたのでただボンヤリとそれを眺めていた。

「ボーナスタイムは終わっていたのに残念なことになりましたね。では、帰りましょうか」

 スッキリした顔で大路が所員達に言った。

 

 

*** 虹夢島リゾート連続殺人事件 業務記録 ***

 

・依頼人:御厨一明、四十二才。警視庁捜査一課の刑事。

・依頼内容:虹夢島で一晩に十四人の犠牲者が出た殺人事件を解決して欲しい。

・経過と結末:殺人が起きてから我々が到着するまでの二日間、島に滞在中の人達は殺し合いと自動蘇生を繰り返していた。磯村大典国会議員の一言により、この怪現象は収束した。その後に依頼人は銃を乱射して四人を殺傷し、逮捕された。

・報酬:依頼人が逮捕されたため未払い。

・今回の被害:島内では二日間でのべ一万人以上が殺害されたと推測されるが、生き返ったためノーカウント。最終的な死者は依頼人の御厨一明が射殺した三人であった。

・今回減った体重:夕食を挟んだためはっきりしないが、おそらくは一キログラム未満。

 

・各所員の感想(個別提出)

 鋼源十郎:何が何だか分からなかった。

 水上麗羅:特殊な効果の結界を張ったのが何者かは不明のままです。Aクラスの魔術士か結界士、或いは護包士でしょう。『大愉悦者』カルバ・ハルア・サルマ辺りがいかにもやりそうなことですが、彼は既に無限牢に収容されていますから違いますね。愉快犯のようですから、今後も出来れば関わらずに済ませたいものです。

 風原真:僕は殺人鬼なんでしょうか。

 

・所長としてのコメント:報酬は残念ながら未払いとなってしまいましたが、お金では得られない満足感を味わうことが出来たと思います。

 それから、磯村議員はあの女王様と婚約なさったそうですね。めでたいことです!

 

 

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