第八話 あなたは恐怖の大王ですか? はい/いいえ

 

  一

 

 大路ミラクル探偵社の朝は早かったり遅かったりする。

 建前としての営業時間は午前十時から午後六時で年中無休ということになっているが、所長の大路幸太郎が昼過ぎまで寝ていて業務が始まらないこともある。ただし、そんな時は客も来ないので特に問題もなかった。

 朝食は大路が早起きした時は出前となることが多い。そうでない場合は鋼源十郎が作る。風原真も自炊した経験がないではないが、鋼の料理は異様に美味かった。「美味い飯は大事だからな」と言い、たまにスーパーでごっそり食材を買ってくる。冷蔵庫は大型のものが一台追加された。

 ちなみに大路は全く料理しない。水上は鋼が作った昼食に「ふうん、まあまあね」とコメントしたことがあったが、「あんたの腕前はどうなんだ」と聞かれ、すぐに話題を変えた。

 今日は大路も鋼も寝坊していたので、風原はトーストにマーガリンを塗って食べた。毎月初めに取り敢えずの給料として百万円くらいをポンと手渡されるのだが、地味な替えの服を数着買ったくらいで風原には特に使い道はなかった。

 歯磨きを済ませ、ビル内を掃除することにして道具を持って一階のトイレに行くと、既に誰かが掃除しているところだった。

「あ。お疲れ様です」

 風原が声をかけると男が振り向いた。七十才くらいで頭頂部まで禿げ上がった、温和そうな老人だ。

「おはようございます。いつもお世話になっております」

「は、はあ、こちらこそ、おはようございます。お世話になってます」

 たまに出くわす老人だった。自己紹介されたことはなく名前も知らない。ビル内の清掃をやってくれていることが多く、通いの管理人かも知れないが、大路がそういう話をしたことはなかった。

 風原は代わりに二階のトイレを掃除した。それから三階のトイレに向かうと既にあの老人がやっていたため、モップ掛けに移る。モップ絞り機能つきのバケツがあるのでワシャワシャやって、三階の廊下を拭き始めてふとトイレの方を見ると、ドアが開いたまま老人の姿は消えていた。五秒前までは気配があったのに。

「行方不明……いや違うな」

 老人が急に現れたり消えたりすることは何度もあったので、風原は気にしないことにした。

 二階と一階のモップ掛けを終えて二階に戻ると、キッチンで老婆が食器を洗っていた。

「あ、おはようございます」

「おはようございます。いつもお世話になっております」

 エプロンを着けた老婆は穏やかで人の良い笑みを返した。

「あー、こちらこそすみません。僕の使った食器も洗ってもらって」

「いえいえ、いいんですよ。私達夫婦は随分とお世話になってますからね」

「はあ……。すみません、僕は特にお世話してないんですけど……」

「いえいえ、大路様と皆様がここにいらっしゃるだけで私達は成仏出来そうですので」

「はあ。成仏、ですか。仏に、成る……お坊さんかな……」

 首をかしげ、それから顔を上げると老婆の姿が消えていた。食器はもう洗い終わっている。

「急に現れたり消えたりする人って、意外に多いんだなあ。行方不明になるだけじゃないんだ」

 風原は感心して呟くと、一階の事務所エリアに入って業務の開始を待った。

 

 

  二

 

「ふうむ……」

 大路は真剣な顔で新聞を読んでいた。

「ありませんねえ。そろそろだと思うのですが」

「何がそろそろなんだい」

 相変わらず昼間から酒を飲んでいた鋼が尋ねる。

「恐怖の大王ですよ。七月も下旬になりましたし、そろそろ降ってこないとおかしいんですよ」

「……あー。なんか予言がどうたら言ってた奴か。この星の予言者の」

「ええ。ノストラダムスです。なのに新聞でもテレビでも、恐怖の大王のニュースが一切ないんですよ」

「はー。ふうん……。まあ、予言ってのはそういうもんだよなあ。未来を読むのは難しいし、予言が広まったせいで未来が変わっちまうこともある。しかも多分一般人の予言者だろ。ちょっとなあ……」

「しかしですね。私のこの体重は恐怖の大王のためだと思うんですよ」

 自分の腹を叩いてみせる大路の体重は、大幅に増量して二百キロを超えていた。伸縮自在のスーツがパッツンパッツンになり、胴体がほぼ球体と化している。自分で意識的に食べまくったという訳ではない。出前を注文すると間違って倍の量が届いたり、注文していない店からの出前が届いたり、外食に行くと大食いキャンペーンをやっていて同じ値段で量が倍だったり、コンビニに行くと間違って大量発注してしまったので助けて下さいというプリンが山積みだったりして、そういうのを大路はニコニコと全て受け入れていたら十日ほどでこんなことになってしまったのだ。

「しかも、ですね。体重は減りながら増えていて、この状態なんです。おそらく恐怖の大王の準備が着々と進んでいるのではないでしょうか」

「ふうん。まあ、所長がそう言うんなら、そうなんだろうな」

 鋼がやる気なさそうに言った。

「あの。恐怖の大王って、何なんですかね」

 風原が尋ねると、よくぞ聞いてくれた、というように大路が丸い顔を輝かせた。

「恐怖の大王は一九九九年七月、つまり今月に空から降ってくる予定の、謎の存在なのです」

「はあ。空から降ってきて、何をするんですか」

「アンゴルモアの大王を甦らせるそうですよ」

「はあ。……。すると、アンゴルモアの大王というのは、何者なんですかね」

「それはですね。分かりません」

 あまりにも自信満々に大路が答えるものだから、黙ってカードに魔力を込める作業をしていた水上が目を瞬かせていた。

「しかし、なんだか楽しいことが起きそうな気がしますよね」

「はあ。よく分かりませんけれど、そうなるといいですね。楽しい方が、いいですもんね」

 風原はぎこちない笑みを返した。

 そこで呼び出しのチャイムが鳴る。風原がドアへ向かうが、客が自分で開けて事務所に入ってきた。

「依頼がある」

 地味なスーツを着た猫背気味の男が無愛想に告げた。

 鋼は表面的には平然としていたが、室内の空気は冷たく張り詰めたものになっていた。

「おや、イクスプラクさん、まだこちらにおられたのですか」

 大路が新聞から顔を上げて来客に声をかける。

「昨夜イリアに戻ってきたばかりだ」

 文明管理委員会のAクラス戦士であり結界士、『歪め屋』イクスプラクは簡潔に答えた。常に眉をひそめた陰鬱な表情に、生気のない目。しかし同じ表情のまま範囲内の全ての敵をねじり潰すことで有名な男だ。

 ちなみにイリアとは地球を含むこの宇宙型世界の名称だった。

「お忙しいんですね。で、依頼とはやはり恐怖の大王関連でしょうか」

「何だそれは」

「今月空から降ってくる予定の方です。アンゴルモアさんを甦らせるんですよ」

 ニコニコして説明する大路に、イクスプラクは珍しく助けを求めるように他の所員を見た。

 仕方なく水上が補足した。

「この星に伝わる予言の話ね。あまり気にしている人はいないみたいだけれど」

「そうか。依頼は恐怖の大王のことではない。四神会の件だ」

「ああ、そういえばこの星にもいたんでしたね。まだ捕まっていなかったのですか」

「そのようだ」

 大路は責める口調でもないし、イクスプラクも平然としたものだ。実際、別の世界で忙しく働いていたのだから彼の責任ではなかった。

「四日前にホワイトハウスが攻撃されてな。大統領と関係者は建物ごと消えた」

「ほほう。白い家……」

「アメリカ大統領の官邸ね。アメリカはこの星の最強国家」

 不勉強な大路のために水上が説明する。

「ふうむ。それにしてはニュースになっていませんね」

「破壊規模が爆弾テロで片づけられるレベルじゃなかったからな。直径三キロのあらゆる物質が消滅して綺麗なクレーターだ。地形と建物はすぐ再構成して、人間はダミーロボットに演技させている。いずれ病死や事故死で少しずつ処理していくことになる」

「では今のところ『リセット』するほどの事態ではない、と」

 大路の言葉に鋼が顔をしかめ、水上は動きを止めた。彼らは『リセット』の意味を知っていた。

 イクスプラクは頷いた。

「ああ。惑星上のネットワークとメディアも押さえて余計な情報が流れないよう厳戒態勢を取っている。そして三日前にアリゾナの砂漠で直径七キロのクレーターだ。これはすぐに『重界』が封鎖して実行者を逃がさないようにしているが、陽動の可能性が高いとも考えている」

「ふむ……。では、我が社への依頼というのは具体的にどんなものになりますか」

「アリゾナの方は委員会が対応する。それが陽動で本命が別にあった場合はその阻止を依頼したい。オスライルの件で少しは辿れる因縁があるんじゃないか」

 委員会は横浜の騒動を把握していた。イクスプラクは続ける。

「四神会が潜伏しているにしても人数が少な過ぎるから、侵略ではなく破壊工作だろう。捕獲出来るならそれに越したことはないが、やり方はそちらに任せる。報酬は十億ルース。足りないなら俺の権限で増額するが」

「いえ、報酬はいいんですよ、どうでも。しかし、うーむ……」

 大路は腕組みして悩んでいるポーズを取ろうとするが、体が膨れ過ぎていて腕が届かなかった。

「何だ。オスライルへの義理で引き受けにくいか」

「いえ、そういうのとは違います。彼についてはなるようになるでしょうから。ただ、どうでしょうねえ……。イクスプラクさん、四神会は恐怖の大王を降らせてくれると思いますか」

「報酬は先払いでガルーサ・ネットのお前の口座に振り込んでおく」

 イクスプラクはそれだけ言ってさっさと出ていった。

「ふむ……。ルースの報酬となると、きちんと分けておくべきでしょうね。鋼さんと水上さんも口座はありますよね。後でそちらにも振り込みます。風原さんにはこの国の通貨で渡すことになりますが……ええっと、二億五千万ルースはこの国の円にすると……」

「委員会管理下だと現地経済を乱さないための制約があるから、この星だと下ろして使っていいのは一億ドル……百二十億円までね」

 水上の説明に風原は目を丸くした。

「なんか凄い額ですね。でも、僕は働き分のお給料を貰えればそれで……」

「私も先に大きな報酬を貰ってるから要らないわね」

「俺も、まだ目的のものは貰ってねえが、適当に飲み食いもさせてもらってるから別にルースは要らんなあ」

 三人は謙虚に分け前を辞退した。契約を重視するカイストにとっては、契約外の報酬を貰うのは筋違いであり忌避すべきという考え方もある。

「そうですか。皆さんがそうおっしゃるなら仕方ありませんね。報酬は不本意ながら私が総取りにします」

 で、大路はニコリとして改めて告げた。

「ところで思い出したのですが、夏のボーナスを皆さんにまだ払ってませんでしたね。一人二億五千万ルース、または百二十億円をお支払いしましょう」

「そっかあ。俺らは社員だし、ボーナスなら頂くしかないかあ」

「社員なら仕方ないわね。ボーナスありがとうございます」

「はあ、ありがとうございます。ボーナスを貰うのは初めてですっ」

 和気藹々とした空気になった後で、咳払いして鋼が言った。

「いや、ボーナスはいいんだけどよ、事件解決の目途はついてんのかい」

 水上が答える。

「一応、手がないこともないわね。イクスプラクも言ってたでしょう。オスライルの件。あの時、依頼人の書いた手紙をオスライルは受け取った」

「あー、手紙に何か仕掛けてたのか。追跡用の魔術とか」

「そこまであからさまなものだとすぐ向こうの魔術士に処理されてしまうでしょ。手紙に依頼人の『縁』を残しただけ。私と依頼人の縁から、手紙、オスライルと辿ればいい訳。で、ひとまず行く先は横浜ね」

「あのヤクザのビルか。今もあそこにいるとは思えんがな」

「まあ、まずは、出発しましょうか」

 よっこらせと大路が立ち上がった。ソファーには巨大な凹みが残っていた。

「所長も来るんですね」

「それはもう、大きなイベントになりそうですからね。特に恐怖の大王……」

「MUW号で行きましょう。こんな時が来ると思って準備してましたから」

 大路の台詞はスルーして、水上は微笑した。キャンピングカーは表面を我力強化済みで、万全の状態になっていた。

 所長が直々に命名したキャンピングカーの名称はミラクルウルトラワンダー号、略してMUW号であった。

 

 

  三

 

  孝志へ

 

 あなたが字も読めるだろうと探偵社の方に言われたので、手紙を書いてみることにしました。ちゃんと受け取ってもらえたのならいいのですが。

 あなたが言っていた、やるべきこととか、世界についてのむずかしい話は私には分かりません。

 だから、大切なことだけを書いておきます。

 あなたは、今でも私の息子です。

 どうか、元気でいて下さい。

 もしやるべきことを終えたなら、それとも疲れてしまったら、いつでも帰ってきて下さい。

 私はずっとあの家で待っています。

 

              母より

 

 

 既に何度も読み直した手紙だった。すべきことが定まったのなら感情に行動を左右されてはいけない。それは絶対正義執行教団に所属する者なら魂に刻まれている原則の一つだ。

 だから相沢孝志ことオスライルは、手紙を読んで行動指針を変えるようなことはない。ただ、果たすべき役割とは関係のない顔の表情を苦渋に染めるだけだ。

 オスライルは便箋を畳んで封筒に戻し、スーツの内ポケットに収めた。彼の外見年齢は二十代前半で、肉体の実際の年齢は生後六ヶ月だ。

 そして、カイストとしては三十二億才だった。一億才でAクラスに到達する者もいる中で、Bクラスの上澄みにいるものの何処か突き抜けられず足踏みを続けている、そういう無数のBクラスのうちの一人だった。だがオスライルは自らの強さについて焼けつくような渇望と焦燥を抱いている訳ではない。彼が求めているのは「正しいことを成す」ことであったからだ。

 絶対正義執行教団の長ハイエルマイエルが四神会を結成したのは二億年ほど前だ。四神とは四人のビッグネームである『光の王』ハイエルマイエル、『不死者』グラン・ジー、『呪殺神』サネロサ、『八つ裂き王』フィロスのことだ。教団はサネロサ系の呪術士達を嫌悪していたし、無差別殺戮者のフィロスは宿敵であったが、彼らと手を組んででも倒すべき巨大な悪が存在した。

 それは、無限牢という永遠の牢獄。

 あらゆる魂に挽回の余地は残されるべきであるという思想から、絶対正義執行教団はどんな邪悪なカイストを罰する際も墜滅まではさせない。墜滅とはカイストとしての記憶も能力も全て失ってただの一般人に戻ることで、悔恨も、やり直したいという希望もそこには既にないのだ。

 だが無限牢は更に悪かった。墜滅して一般人に戻るどころか、魂が消滅するまで永遠に隔離し続けるという施設だ。約二百億年前に稼働していた無限牢は『彼』に破壊され、文明管理委員会は壊滅寸前に陥り二度と無限牢を使わないことを宣言させられた。それなのに、『彼』が死んで行方不明となった隙に、委員会は改良した第二無限牢を建設・稼働し始めたのだ。オアシス会は会長である『彼』の捜索に注力しており表立っての戦争が出来ない状況で、教団としては無限牢を何よりも優先して破壊すべきと決断し、とにかく賛同する戦力を集めることにしたのだ。

 妥協して結成したとはいえ、フィロスやサネロサを含む悪行嗜好のカイスト達にも共闘の条件を呑ませることが出来た。教団が定義した明確な悪事……言葉による欺瞞、不必要な殺生、不必要な苦虐を、四神会に所属している間は慎むこと。殺人狂のフィロスに殺戮を控えさせたのは奇跡に近い大偉業であるが、これは委員会という殺す相手がいるから可能なことであって、戦争が終わってしまえばフィロスは元の無差別殺戮者に戻るだろう。

 その戦争はどうやら、敗戦に終わりそうだが。

 オスライルはアジトの狭い通路を歩く。最初は魔術士ネグロ・デ・モルタが作成した亜空間であったが、少しずつ現実空間と融合・定着させて今は狭い居住区画を残した大部分が現実空間となっている。安全を考えれば亜空間のみにすべきだが、どうやら現実の座標を正確に把握する必要があるらしかった。

 通路から広間に出ると現実空間に切り替わった。金属の壁から表面加工された岩肌に変わる。ネグロの手によるコーティングは表面をなめらかにするだけでなく、外部からの熱伝導を遮断していた。オスライルは時折ごく僅かながらこの現実空間が移動しているのを感じることがあった。

 ここは地球の地下百二十キロメートル、地殻の下、マントルの上層に位置していた。

 広間から繋がる複数の通路のうち、気配を感じた中央の通路をオスライルは進む。岩石を掘り抜いて作った空間だが通路の幅や天井の高さ、壁の平面性には僅かな歪みもなかった。魔術士としてのネグロの技量の高さと執拗さを示していた。

 突き当たりにドアがあり、ネグロ達の気配はその向こうにいた。オスライルの接近に気づいて気配が身構えたことを感知する。

 オスライルはドアを開けた。

 完璧な球形にくり抜かれた空間だった。径五十メートルほどで、中心部から入り口を含めた内周部まで放射状に金属の床が伸びている。

 その中心部に設置された円筒形の機械をネグロ・デ・モルタとバリネースティがいじっていた。

「その機械は何だ」

 オスライルは尋ねた。

「お主の役割はわしらの護衛じゃ。余計なことを知る必要はない」

 ネグロがしゃがれ声で答えた。右手は機械に触れているが、左手はボロボロのローブの袖に隠れている。黒々と光る目がオスライルを見据えていた。

 バリネースティは問答をネグロに任せ、機械のパネルをいじるふりをしている。白衣を着た長身、色白の男だが、その体は生物ではない。魔力を通しやすいゲル状の物体で人の形を作って操作しており、本体となるコアは腰の辺りに埋まっていた。人間の肉体にこだわらない魔術士が使う依り代の一つだった。彼もBクラスの魔術士だが戦闘は不得手ということで、戦うところをオスライルは見たことがない。

「私に知られるとまずい機械なのか」

 オスライルは更に突っ込んだ。表情も声音もいつもと変えてはいないが、緊迫した嫌な空気になっていた。

「どうしたオスライル。これまでお主は黙々と護衛だけやって、わしらが何をやっとるかなど興味を持たなんだろう。何故今になってそんなことを聞く」

「確かに私の本分はお前達の護衛だ。だが嫌な予感がした。もしかすると我が教団の『三悪』に該当することを、お前達はやろうとしているのではないか、とな」

「ふむ……」

 ネグロは否定も肯定もせず、次の言葉を待つ。

「最初は委員会を駆逐してこの惑星を支配するものと思っていた。アイルの供給地とするためにな。だがそれにしては増援がなく、支配するにはこちらの戦力が足りない。ならば、委員会の拠点を急襲し戦力を削る作戦か、とも考えた。だがお前達はそういう動きをしていない。……その機械は、惑星破壊爆弾ではないのか」

「であればどうする。これは四神会の正式な作戦行動じゃ。当然お主らの首領であるハイエルマイエルの承認も得ておる。お主は団長の方針に逆らうのか」

「この惑星の人口は六十億だそうだな。委員会のエネルギー・プールとしてはそれなりの大きさとなり、潰すことに戦略的意義はあるのだろう。……だが、それが六十億人の殺戮に釣り合うとは思えない。ならば、三悪の一つ『不必要な殺生』に当て嵌まることになる」

 エネルギー・プールとは我力をストックしたタンクのような設備のことだ。カイストはそこから我力を補充してダメージを回復させたり、膨大な時間がかかる大魔術を早く完成させたりすることが可能だった。文明管理委員会の管理下の世界では一般人の住民から僅かずつ我力を徴収する巨大魔道具を設置しており、エネルギー・プールを満たすのに役立てていた。

 文明管理委員会と四神会の間で続いている無限戦争……戦死したカイストが転生後に戦線復帰する泥沼の長期戦において、最初押されていた委員会がじりじりと盛り返して現在の圧倒的優勢に至ったのは、エネルギー・プールの存在が大きかった。

 そして四神会は、委員会の拠点にある我力徴収魔道具とエネルギー・プールを破壊することよりも、その我力の源を根本的に断つことを選んだのだった。

 グッ、グッ、と、ネグロの喉から濁った笑い声が洩れた。

「お主が死んでおった間に戦況は更に悪化したのじゃよ。最早お上品な原則論を振り翳している段階ではない。わしら自身の消滅がもうすぐそこまで迫っておるのじゃ」

「……そうか」

「おや、納得したのかな」

 ネグロが意外そうに尋ねる。絶対正義執行教団の構成員は頭が固く、他者の説得に耳を貸さないことで有名だ。

「後で団長に連絡して確認を取ろう。もし教団が惑星の破壊を承認したということなら、私は教団を脱退する」

 オスライルは何の逡巡も苦悩もなく宣言した。

 彼は団長ハイエルマイエルや他の幹部達に可愛がられていた。幹部レベルまで成長しながらもまともな感性を保っていたからだ。

 そして、自分の正義に従って教団の方針に逆らうことは、特に禁忌でも何でもなかった。まだ真の正義は定まらず、彼らは真摯に探し求めなければならなかったからだ。教団の定める明確な三悪の一つ、『不必要な殺生』の不必要度合いについて、団長と教団の解釈と自身の解釈が異なってしまったとしても何ら恥じるところはない。たとえ教団を抜けて嘗ての同志全員と敵対することになろうとも、自分が正しいと信じるのならばそれはなすべきことなのだ。

 オスライルの判断に、今世の母親の存在が影響したかどうか。更にはその精神の揺らぎに『無手勝』の力が関わったかどうかは、誰にも分からないことだった。

「それは残念じゃの。じゃが疑問が一つある」

 ネグロはオスライルの言った『後で』の意味を理解していた。ここにいる四神会のメンバーを皆殺しにしてから、ということだった。

 時間稼ぎの台詞を述べながら左袖を少しだけモゾリと動かした。準備していた攻撃魔法、かと思わせるがまだ発動はなく決定的な敵対行動ではない。

「何だ」

 ネグロの意図に気づいているかどうか、オスライルは正当な手順を踏むために尋ね、同時にネグロの左袖に注意力の配分を割いた。

 その瞬間、オスライルの背後から音もなく曲刀が振り下ろされる。毒塗りの刃が首にめり込む寸前にオスライルが身を翻し、数条の光線が閃く。じっとしていたバリネースティが反射的に身を竦める。

 オスライルは体を斜めにしてその場で空中スピンし、危なげなく着地した。油断なくネグロ達を視界の端に収めつつ、両手の指先は淡い光を帯びていた。光線を放って消費された右手人差し指から薬指までは光が消えているが、それも少しずつ我力が集まって輝き始める。

 ミライアがオスライルの背後に立っていた。いつの間にか忍び寄っていたのだ。隠形を邪魔しないよう、体にフィットするグレイスーツを常に身に着けていたが、傷を癒すため頭にはかぶっていなかった。ほぼ正中線に沿って頭頂部から首の中ほどまで真っ二つに割られた傷は、細い糸で縫い合わされていた。機能はある程度回復していたようで、鋭く細められた目がオスライルを冷たく見据えていた。

 そのミライアの体に、三本の黒い横線が走っていた。首筋と、両腕を含めた胸部と、腰。オスライルの光線が通り抜けた跡だった。切断された両腕はそれぞれ曲刀を握ったまま落下中で、断面は黒く炭化していた。

 ズッ、と、ミライアの体が切断部分でずれ、足の力が抜けて崩れ落ちていく。が、その腹部の筋肉がピクリと動いた瞬間、オスライルの追撃が胴体を縦に割った。それで予備脳が破壊され、ミライアは完全に動かぬ肉塊となって通路の床に散らばった。

「で、疑問とは」

 左手をネグロ達に向け、改めてオスライルは尋ねた。右手でなく左手の中指の光が消えているのは、両手をなるべく均等に使うように心がけているためだ。片手の光線を撃ち尽くして補充する前にもう一方の手が破壊された場合を考えてのこと。

「あー、うむ」

 ネグロが時間稼ぎの台詞を紡ぎ出すより先に、新たな声がかかった。

「すみません、仲間割れですか」

 声は下から聞こえた。オスライルは驚愕を表に出さず視線と右手をそちらへ向ける。

 球形の空間の、底の辺りに男が膝を抱えて座っていた。

「何者だ」

 オスライルが問う。問答無用で即攻撃するのが最適解であったが、分かっていてもそうしないのはやはり筋を通す性格故だ。

「四神会の増援です。空(くう)です」

 男は力のない声で答えた。外見的には二十代前半で、白いローブを着た痩せた男だった。先の尖った木靴を履いている。顔の肉は薄く無表情で、首を少しかしげているが、その目はオスライル達ではなく虚空を見つめていた。

「増援とは聞いとらんが、空、か。セカンドネームは」

 ネグロは慌てず名を確認する。

「いえ、ただの空です。四神会に、参加したばかりなんですけど。フィロスに誘われて。それで……」

「いつからそこにいた」

 今度はオスライルが尋ねた。向こうが発言するまで気配を感じなかったのだ。それが隠形の技術ならミライアよりも優れていることになる。

「ちょっと前からです。一時間ほど前、かな。多分。いや、僕は、何処にでもいるんで。ある意味。それで、僕は、どっちを消せばいいんですかね」

 やり取りを聞いていたのなら分かりそうなものだが、空という男の思考様式は常人とは違っているのかも知れない。

「そっちじゃよ」

 ネグロが率直に答え、左袖をオスライルに向けた。そこから飛び出したのは黒い球体で、ネグロの胸の高さに留まって浮かぶ。光線による攻撃をねじ曲げるか吸収するための魔術だろう。

 その行動を戦闘開始の合図と解釈し、オスライルは左手の四本の指から光線を発射した。

 が、四条の光線は十センチも伸びないうちに突然消えた。

「むっ」

 オスライルは自身の左肘から先が消えたのを認めると、空という男に向けていた右手から全弾を発射、しようとしたが、その時には右腕も消えていた。

 音もなく、爆破でも斬撃でもなく、瞬時に消えた。淡く光る微細な塵のようなものが舞うのが見える。肉体が原子レベルまで分解された名残り。腕の断端から血が噴き出し始める。

 最大の武器を失っても足が残っている。オスライルは跳躍しようとして、自分の体がないことに気づいた。

 頭部だけとなったオスライルは、前歯を噛み折った。惑星破壊爆弾と思われる機械へ舌の力で飛ばそうとして、彼は消えた。

 オスライルのいた場所に、光る塵だけがフワフワと舞っていた。

「ううむ。『空っぽの空(くう)』か。墜滅したという噂じゃったが。百億年も何をしとった」

 老獪なネグロの声音に畏怖が滲んでいた。

「墜滅してはいません。休んでいました。リハビリです。ゆっくりと。自由を満喫して。はい。自由は、いいですよね。のんびりと」

 空は膝を抱えたまま、やはりネグロ達を見てはいなかった。

 バリネースティがブルリと粘体の身を震わせた。

「ああっ。あのティムカトゥランの……」

 台詞を続ける前にバリネースティの首から上が消えていた。

「その名は聞きたくないんで。本当に。次言ったら、全身消しますんで」

 空の表情は変わらず、しかし声音に怒気が篭もっていた。

 バリネースティは頭部を失ったまま立ち尽くしている。コアが無事なので頭部を再生させることも可能な筈だが、暫く大人しくするつもりのようだ。

「あれはひどかった。本当に。無期限の奴隷というのは、良くない。死霊術士は、良くない。いつになったら、解放されるのか。分からない。永遠かも。『泣き男』には、感謝している。本当に。永遠というのは、良くない。だから無限牢は、壊さないと。あっと、そうだ。それで僕は、この星を消せばいいんですかね」

 目を瞬かせ、漸く空はネグロ達に視線を向けた。

「いや、星を消すのはこの機械でやるからお主の手を煩わせるまでもない。もう測定と計算が終わったからの。それまでわしらの護衛を頼めるかの。委員会の手の者が万が一襲ってこんとも限らんのでな」

「分かりました。消すものがあれば教えて下さいね。消しますので」

 空は素直に頷いた。

 

 

  四

 

 文明管理委員会の地球監視施設にある牢獄に、ザトゥ・ルメルは収容されていた。

 六畳ほどのスペースにシャワールームとトイレと小さな洗面台が詰め込まれ、家具は小机が一つだけだ。窓はなく、間隔の狭い鉄格子にも壁・床・天井にも我力強化が施されていた。

 また、カイスト用の拘束機が首に巻かれている。我力使用を大幅に制限する装置で、無理に外そうとすると全身の激痛と麻痺を食らうことになる。

 ただし、捕らえられたカイストには自殺という選択肢が存在する。死んで別の場所に転生してしまえばいいのだ。しかし死にたての状態なら魂捕獲装置に捕まり、そのまま無限牢に送り込まれるリスクがあるため、委員会の施設内でわざわざ自殺する馬鹿はいない。

 ザトゥ・ルメルは実際のところ、絶望してはいなかった。『無手勝』が「そう悪いことにはならない」と言ったのだから。ならば少なくとも、無限牢送りにはならない筈だ。

 拘束機がついていても鍛錬を怠る訳にはいかない。身長二メートルの巨体で逆立ちして、人差し指だけで腕立て伏せを続けていると複数の足音が近づいてきた。

 足音が部屋の前で止まり、「ザトゥ・ルメル。出ろ」と言われるまで彼は腕立て伏せを続けていた。

「やれやれ。やっと無罪放免かい」

「いいや、尋問だ。上級審問官がおいでになっている」

「へえ。長老クラスか」

「そうではないが、その方の機嫌一つでお前を無限牢送りに出来るレベルの権限はお持ちだ」

「ふうん。で、服は着せてもらえるんだろうな」

 今のザトゥに許されているのはトランクスとタンクトップ一枚だけだった。

「ダメだ」

「ククッ。そんなに俺が怖いか。『もどき』さん方よ」

 無道者の蔑称で呼ばれても、施設の職員達は黙っていた。

 ザトゥは指二本逆立ち状態から腕の力だけで跳び、天井にぎりぎり触れぬ高さで宙返りして足から着地した。我力に頼らずともこの程度の肉体制御が出来るというデモンストレーション。

 決まり悪そうにする職員達は改造手術や薬物によって強靭な肉体を持っているが、拘束機もついていないのに我力を殆ど感じさせなかった。志を失い、ただ消え去りたくないだけの理由でカイストを続ける脆弱な無道者。いつもはもっとましな職員がいるのだが、荒事のため出払っているようだ。

 職員のリモコン操作で鉄格子が上がっていき、ザトゥは大人しく連行された。

 尋問室に入ると上級審問官が既に待っていた。

「アルメノス・エルメネク、Aクラスの検証士だ」

 名乗った男は職員よりも痩せこけていたが、内包する膨大な我力を滲ませていた。装飾のない無地のローブを着て、髪を真っ直ぐに下ろしている。

 額には水平になった天秤のマークのタトゥーがあり、左目は枠つきの黒い金属板で覆われていた。モノクルのように眼窩周辺の骨で挟んで固定しているのだが、光を目に入れないように隙間のない形に調整されていた。

「『閻魔帳』か。俺も大物になったもんだ」

 ヒューと口笛を吹き、ザトゥ・ルメルは椅子に腰を下ろす。

「重要人物は君ではない」

 冷徹な声音で告げ、委員会の敵を数多く断罪してきた『閻魔帳』アルメノス・エルメネクは向かいの椅子に掛けた。

「で、また同じ質問をするのかい。いい加減面倒臭くなったんだが」

 捕まって一ヶ月が過ぎ、これまで三回尋問を受けていた。この地球のあるイリアだけでなく、他の委員会管理世界も含めた過去の悪行の掘り起こしと、ペナルティを払う意思があるかの確認。委員会の記録を参照しつつBクラスの検証士が尋問を行ったのだ。それなのに、何故後からわざわざAクラスが出てくるのか。

「聞きたいのは風原真という人物についてだ」

 アルメノスがアイシールドの横の出っ張りに触れると、カチャリと金属板が横に開いて左目が解放された。同心円状に虹色となった特殊な虹彩が露わとなった。あらゆる虚偽を打ち破り真実を抉り取る左目。

「誰だいそいつは」

「君が大路ミラクル探偵社によって捕縛された時、車両に乗っていた男だ」

「ふうん……」

 瞬きもせずザトゥの反応を観察しつつ、アルメノスは続ける。

「錬金術士によって強化された爆弾を君が投擲したが、この風原という男の持っていたバッグに収まって爆発しなかった」

「ああ、あいつのことか。あれがどうかしたのかい」

「……。君は驚いて一瞬動きを止め、そのために捕縛されることになった。……何を見た」

「奇跡みたいに爆弾がうまいことバッグに入ってたな」

「誤魔化したな」

 アルメノスが告げた。読まれることはザトゥも分かっていた。しかし、口にする訳にはいかなかった。

「コー・オウジは現場でしばしば一般人をスカウトする。その殆どは、一般人としての感性と思考による不規則行動を期待してのものだ。……しかし、そのごく一部に、一般人のふりをした怪物が混じっていることがある」

 アルメノスの左の瞳が奇妙な動きをしていた。虹のそれぞれの色の幅が広がったり狭くなったりしている。何の感触もないが、ザトゥの脳内と魂の記憶を探っているのだ。

 ザトゥは黙っていた。

「風原真の経歴を調べた。行方不明になったという親族・関係者、直前まで勤務していたのに突如消滅した飲食店。その一部は、最初から存在しなかったことになっている。完全ではないが、関係者の記憶が改竄されているのだ。風原真の戸籍は何度も書き換えられているが誰もそれを把握していない。彼がコー・オウジに雇われた後の動きも確認した。列車の衝突事故が起きた地下鉄霞ヶ関駅。消滅した横浜のビル。異常な手段でカイストになった某人物にも取材し、バエスキアの儀式場も検証した。だが、肝心なところが見えない。乱暴に削り取られたかのように隠蔽されている」

 アルメノスはザトゥの知らない情報、わざわざ教える必要もない情報を並べてみせる。無関係そうな情報でも刺激すれば何か出てくると考えているのか。

「ザトゥ・ルメル。君はあの時、何を見た。風原真とは、何者だ」

「黙れっ」

 ザトゥがいきなり怒鳴ったので職員達が身構えた。どうせ何も出来ないのだろうが。拘束機がついていてもザトゥは素の身体能力だけで彼らに勝つ自信があった。アルメノス以外には。

「それ以上口にするな。俺は巻き添えを食うのは御免だ」

 アルメノスは静かに虹色の瞳でザトゥを観察していた。

 問題の男は遠くにいるだろう。だが、もしかすると距離など関係ないかも知れない。

「俺が驚いて、一瞬動きを止めたと言ったな。他の奴らからはそう見えたのかも知れないが。……。一瞬じゃなかった。俺に言えるのは、言っても許されるのは、多分、ここまでだ」

 十数秒の沈黙の後、アルメノスは黒いアイシールドを元の位置に嵌め戻した。

「質問は以上だ」

 アルメノスの額にうっすらと汗が滲んでいた。

「君はおそらく……メッセンジャーの役割を負わされたのだろう。委員会が『それ』を受け入れやすいように」

 ザトゥ・ルメルには無限牢収容ではなく、十万年の強制労働が課せられた。最近の委員会としては、非常に軽いペナルティだった。

 

 

  五

 

 北アメリカ大陸。アメリカ合衆国アリゾナ州の広大なソノラ砂漠に、文明管理委員会の戦闘班が集まっていた。

 地球の文明レベルを遥かに超える科学兵器で武装した一般戦闘員が六百人。その一部は殺害したばかりのカイストの魂を捕獲するための装置を携帯している。元は高い志もあったろうが、委員会のシステムに慣らされてしまい高みには昇れなくなった者が多い。それでも数合わせにはなる。

 周辺エリアの状況を探る探知士が十四人。砂漠を囲むように国を跨いで配置され、彼らを守るためにそれぞれ戦闘員がついている。

 敵が逃走した場合に備えて検証士も数人召喚していた。現場や死体や残した品から少しでも情報を吸い出すためだ。Aクラスの検証士アルメノス・エルメネクは自衛のためそれなりの戦闘力を持っているが、こんな前線には出てこない。

 Bクラスの戦士が六人、魔術士が五人。一般戦闘員を率いている者もいれば、単独で詰めている者もいる。彼らのうち戦士二人と魔術士一人は『重界』バルザナを護衛していた。

 バルザナはAクラスの結界士であり魔術士だが、特に前者としての力が有名だ。彼の強力な結界は中にいる者の力を封じ、動きを封じ、エネルギーを封じ込める。弱い敵なら全身の細胞の活動が停止して即死するし、同格のAクラス相手でもエリアを狭めれば充分に束縛可能だった。彼はこの力で多くのカイストを捕縛し、無限牢に放り込んできた。

 直径十五キロまで狭めた結界の縁で、魔術士の隠蔽処理に守られているバルザナの許に『歪め屋』イクスプラクが到着した。

「どうだ、敵の様子は」

 バルザナが着実に結界を縮めて敵を追い詰めていき、イクスプラクがトドメを指すのが今回の方針だった。

 夜明け前の砂漠に動くものは見えず、死んだように静まり返っている。中に偶然いた一般人は既に全員死亡し、外から近づいた者は戦闘員が精神操作で追い返した。

「妙な感じがする。いる筈なんだが、感触が、どうもな……。それより取り敢えず、『無手勝』との交渉はどうなった」

 バルザナは大柄で筋肉の塊のような体つきをしていた。武器は持たず近接戦闘は得意ではないが、結界で動きの鈍った相手を殴殺するだけの力は持っている。

「ここが陽動だった場合に本命の阻止、という内容で受けてもらった。……ところで、恐怖の大王を知っているか」

「何だそれは」

「この惑星の暦で今月、空から降ってくるらしい」

「降ってくる、か。危険なものなのか。空から降る危険物と言ったら、月くらいしか思いつかんな」

 バルザナはいかつい顎を撫でる。近くにいる戦士二人と魔術士は黙って警戒を続けていた。

「それは最後の手段だろう。『無手勝』がいるからそんなことにはならんと思っているが……奴も愉快犯的なところがあるからな。……。それで、妙な感じとはどういうことだ」

「うむ。敵は一人、相手の結界に触れている感触があるからBクラス以上の結界士か、魔術士だ。ホワイトハウスの件で待機していたから、砂漠にクレーターが出来て三分以内に俺の結界で囲んで、封じ込めたとは思っているのだが……」

「逃がしたのか」

 イクスプラクの陰鬱な瞳がバルザナを睨む。

「いや、今も気配と反応があるからいる筈だ。だがどうも、その反応が軽いのだ。弱いというより、軽い。普通なら俺のかける圧に必死に抵抗する感触があるのだが……。もしかすると、Aクラスかも知れん」

「四神会でAクラスの結界士となると、残ってるのは三、四人か。魔術士ならもっといるな」

「そいつらとは全員やり合ったから知っている。こんなフワフワ、スカスカの感触ではない。柔らかいというか、存在が薄いというか……いや、昔、こういうのがいたな。最後はティムカトゥランの奴隷に……」

 バルザナは言葉を続けることが出来なかった。彼の喉が声帯ごと抉り取られたように消滅していたからだ。

「何っ」

 イクスプラクは驚愕しながらも本能的に前方の砂漠へ攻撃した。勢い良く右腕を振ると空間の歪みが広がっていき景色がねじ曲がる。大地がめくれて砂が巻き上がり、岩山がクニャリとへし曲がっていく。連携慣れしているためバルザナの結界には干渉せず、扇状に広がった空間歪曲の効果範囲は一秒で五キロメートル。敵の気配はなく姿も見えないが、その範囲内に潜んでいたなら肉体が歪みねじれ、死亡するか何らかのダメージは受けただろう。

「ブフッ」

 バルザナが何か叫ぼうとしたが気管の断端から血の混じった空気が洩れるだけで声にならず、ただ手のジェスチャーで伏せろと言いたいようだ。本来なら喉を抉る一撃でついでに頭も消えていたかも知れない。それを咄嗟の結界密度配分調整によってガードしたのは歴戦の証だった。

 しかし、その時には夜の砂漠のあちこちに淡い光が見えていた。配置していた戦闘員達の頭や胸部、或いは全身が消失し、小さな光の粒子となって散っている。六百数十人の約半数が一瞬で死んだ。バルザナの護衛にいたBクラスの戦士二人の片方と魔術士も頭を消されていた。

 殺気もなく、攻撃自体見えず聞こえず『重界』の結界をあっさりすり抜け、敵の位置さえ分からず、Aクラスの研ぎ澄まされた戦闘勘が僅かに死の気配を覚える程度。攻撃を免れた者達は単に運良く狙われなかっただけだった。

「チッ。やられたな」

 イクスプラクが舌打ちする。彼の右腕は肘から先が消えていた。血管を収縮させて断端からの出血を止め、しかめ顔で砂漠を暫く見渡した後、振り返ってバルザナに問うた。

「奴はまだいるか」

 バルザナは生き残った戦闘員に創傷保護剤をスプレーしてもらいながら、首を横に振った。

「なら一旦撤収だな。『空っぽの空』が四神会に参加した可能性を上に報告すべきだろう。まともに相手をするならAクラスの増援が必須だ」

 イクスプラクはつまらなそうに言った。

 死傷者を収容して後片づけと偽装処理をするのに二時間ほどを要した。巨大なクレーターについてはこれから大地を修復することになる。マスコミ対策を含めた情報管理は専門の構成員に任せ、イクスプラク達は不可視の宇宙船に乗って出発する。船に積んである小型のエネルギー・プールからBクラス以上が優先して我力を補充していく。自力で回復しないと成長の糧にならないのは分かっているのだが、大規模な戦争、特に終わりのない無限戦争中はそうも言っていられない。

 ロンドンの拠点へと向かう予定に、イクスプラクが注文をつけた。

「東京へ寄ってくれ。『無手勝』の進捗を確認したい」

 イクスプラクとバルザナは平然としていたが、船内は微妙に重い雰囲気になっていた。

 生き残ったBクラス達が話している。

「敵が本当に『空っぽの空』なら、この惑星丸ごと奴の領域と思った方がいいな。安全な場所はない」

「瞬間移動するし何処にいても攻撃される。気配もなくいきなりポンッ、てなもんだ」

「だが、今回は本気じゃなかったのかね。攻撃が適当だったし、中途半端だ」

「本当に空なのかな。アルボル戦争を最後に活動歴がないんだろ。普通は墜滅してると思うよな。百億年も何してたんだ」

「アルボル戦争で解放されるまで、ずっと死霊術士にこき使われてたんだろ。『死を弄ぶ者』ティムカトゥラン……」

「おいっ」

 イクスプラクの鋭い視線を受け、その戦士は目を見開いて一瞬固まった。

「な、何だ」

「……。いや、何でもない」

 イクスプラクは告げ、窓の外に目を向けた。

 『重界』バルザナが喉を抉られたのはティムカトゥランの名を口にした時だった。だが今回は何も起きない。空は聞いていなかったらしい。あの怪物は数万キロの広大な結界を張れるが、その内部の細かい事象を全て把握している訳でもないのだろう。

 ステルス宇宙船は時速三万キロで移動している。出発から約三十分、そろそろ日本列島に到着するというところで、空中におかしなものを認めてイクスプラクが操縦士に命じた。

「おい、止めろ」

 船は反動もなく急停止した。ざわめくカイスト達を掻き分けてイクスプラクは後方の窓に向かい、上空一万メートルからゆっくりと降下しているものを睨んだ。

「おいおい、これが恐怖の大王だってのか」

 イクスプラクは不機嫌に顔を歪め、吐き捨てるように呟いた。

 

 

  六

 

 時間を少し遡り。MUW号は横浜に無事故無違反で到着した。

 水上麗羅は妙にニコニコして楽しげにハンドルを握っていた。運転は危なげなく、頭の中に地図が入っているようでルート選択に迷うこともなかった。

「水上さん、楽しそうですね」

 後ろからもそれが分かったようで、テーブルを囲むシートに腰掛けた風原真が珍しく声をかけた。

 一瞬だけバックミラー越しに目を合わせ、水上が答える。

「何事も上達するというのは嬉しいものよ。ローカル限定で百年後には殆ど役に立たない技術でもね」

「いや車の運転って大体何処の世界でも似たようなもんだぞ。ただ、なあ、このMUW号、今度こそ完全にぶち壊れそうな気がするんだがなあ」

 助手席の鋼源十郎が余計なことを言った。それからふと羨ましそうに後ろの大路を振り返った。

 大路幸太郎はキャンピングカーの冷蔵庫にあったピザを温めて食べていた。それだけでなく缶ビールも飲んでいた。丸っきり旅行気分のようだ。鋼は戦闘に備えてさすがに飲食を控えていた。

 MUW号は倉庫街を抜け、繁華街の少し手前で減速する。以前訪れた際に上階が消滅した『剛間総合開発事業』のビルは元通りになっていた。ただし看板は掛かっておらず、テナント募集中のようだ。

 その隣の丸ごと消されたビルは、地面は整えられたものの更地のままだ。あの戦闘の翌朝に、ガス爆発で住民が多数死亡したとニュースになっていた。それで崩れた建物を取り壊したという体にしたのだろう。

「オスライルはあそこの隅に現れたが。今もアンカーは残ってるか」

 更地を指差して鋼が尋ねる。

「いえ……ここじゃないわね。もう少し……」

 水上は亜空間ポケットから紐のついた細長い紙片を取り出し、運転しながら左手で吊るしてユラユラと揺らし始めた。安全運転でなくなってしまったが文句をつける者はいない。

 紙片はオスライルに渡した母親の手紙の、便箋の端を細く切り取ったものだった。

 更地の前を通り過ぎ、交差点を左折して、また左折。紙片の揺れる動きははた目には違いが分からないが、水上は何か感じているようだ。もう一度左折して、結局来た道を戻っていく。倉庫街に入り、港が見えてきた。

「ああ、ここね」

 MUW号は減速せず埠頭から飛び出して、東京湾にドボンとダイブした。

「えっ、運転ミスじゃないよな」

 思わず鋼が尋ねる。

「大丈夫よ、防水処理してるから」

「そうかあ。防水なら安心だな」

「でも変ね。この車、下へ進むレバーがないわ」

「そっかあ……」

「冗談よ」

「ああ、やっぱ冗談だよな。ワハハ」

「水上さんの冗談を初めて聞いた気がしますね。はははは」

「ははははー。はあ。はははっ」

 鋼と大路に釣られて風原も笑っていた。水上もニヤついていたし、全員妙にハイテンションになっていた。

 内部に水が入ってこないまま、車自体は何故かゆっくりと沈み始めている。窓の外が全て水中となり、完全に水没するとMUW号は垂直に降下していった。車体は傾くこともなく、大路は平然とピザを食べ続けている。

 濁った水の中を時折魚が泳いでいる。ヘッドライトに照らされる景色は次第に暗く、漆黒に変化していき、突然ガヅッ、と何かにぶつかるような音がして車体が揺れた。

 同時にミチミチミチ、という音が車内後部で聞こえ、鋼が振り返る。

「おや、今かなり体重が減りましたね。十五キロくらい」

 ピザを食べていた大路の丸々とした体が、一回り縮んでいた。といってもまだ二百キロ近い超肥満体ではあるが。

「え……ええっと、侵入者用の魔術トラップに引っ掛かったみたい。作動はしなかったけど」

 ばつの悪そうな顔で水上が報告した。

「なるほど。専用通路にトラップや警報機を仕掛けておくのは当然ですよね」

 大路は頷いた。

 車の周囲は径十数メートルの黒いトンネルと化していた。一定距離ごとに小さな光点があって通路を淡く照らしている。四神会の魔術士が用意した隠し通路はおそらく彼らのアジトに繋がっている筈だ。このトンネルは地上と行き来する際に使っていたものか。或いは緊急脱出用のものか。

 と、またミチミチと音がして大路の体が一段階縮む。

「あー、今度はセンサーみたい。慎重に進めば解除も出来たんだけれど、キャンピングカーからだと、ちょっとね」

「なるほど。大丈夫ですよ。そのために沢山食べてきたのですからね」

 大路が余裕の表情で応じる。オーブンレンジがベルを鳴らしたので、風原は焼き上がったピザを大路の前の皿に追加した。

 トンネルは下へ続きながら緩やかにカーブしていた。水中なのかどうかも分からなくなっているが、乗員が感じる浮遊感覚は自然落下よりややゆったりしたものだ。

 と、またミチメジメジ、と嫌な音がして、大路の体が一気に痩せた。通路の壁に海藻みたいなものがへばりついていたのが一瞬見え、すぐに通り過ぎた。

「あー、あの、魔術士の使い魔ね。運良く見つからずに通過出来たみたいだけど……」

「大丈夫ですよ。まだ余裕がありますから」

 体重百キロくらいまで減った大路が告げる。

「ところでさ、そんなにハイペースで痩せて平気なのかい」

 鋼が振り返って尋ねる。ほんの数分で体重が半分以下になったのでさすがに心配になったようだ。

「慣れてますからね。まあ、実はですね。体重が減る時って、凄く痛いんですけどね。自分では何もしない私が支払う代償としては、格安の条件だと思いますよ」

 カイストは基本的に嘘をつかない。真実を積み上げることによって高めてきた我力が揺らいでしまうからだ。だが、どれほどの痛みが全身を駆け巡っているのか、穏やかな微笑を浮かべる大路の顔からは全く想像出来なかった。

 それからトンネルはグネグネと蛇行し、MUW号は時にゴツンと内壁にぶつかったり微妙に傾いたりしながらも順調に降下していった。大路の体重はゴリゴリと削れ、水上の顔に冷や汗が滲んでいた。

 と、一定距離ごとの光点が見られなくなったと思いきや、黒いトンネルは別種の黒さへと変わる。車体ではなく空間自体が揺れたような奇妙な感覚の後、ガガヅンッ、バギャッ、と一際大きな衝撃が襲ってきた。ピザが皿から跳ねて大路の口に飛び込んだ。

 MUW号は前のめりに傾いた状態で停止していた。側面に接しているのは岩で、フロントガラスの先に薄暗い空間があった。丸く湾曲した壁。巨大な球形の部屋に車は鼻面を突っ込んでいた。どうやらほぼ岩盤の中に転移してしまったらしい。

 球形空間の中心部には内周へ向けて放射状に広がる金属の床があり、そこに二人の男が立ってこちらを見上げている。その片割れがボロローブの老人ネグロ・デ・モルタであることに気づき、水上の手がハンドルから離れ別にものに触れた。

 ピシュリ、と、黒い光が閃いた。水晶の手から放たれた光線が我力強化を施されたフロントガラスを自ら切り裂いていく。込めた魔力を破壊力に変換しただけの単純な代物だが、伝説の魔道具の異常な変換効率によって格上殺しの威力を備えていた。

 が、敵二人をまとめて薙ぎ払おうとした黒い閃光は、寸前でグネリとねじ曲がり二人の上へと逸れていった。コーティングされた壁に亀裂が走る。

 ネグロの前に黒い球体が浮かんでいた。空間を歪めて飛び道具を回避する魔道具だった。横に立つ白衣の男が両腕をMUW号へ向ける。掌から撃ち出された粘体弾は自身のボディの一部を使ったものだ。発射速度も狙いも微妙なのは男が戦士でなく魔術士であるためか。水上に当たりそうな弾を鋼が素早く刃を伸ばして防ぐ。弾かれるのではなく刃にへばりついて溶かし始めたのを見て鋼は舌打ちする。手首から生やした刃をある程度引っ込めると溶解部分は自切して車の外に落とした。それだけの暇があったのは、四神会側から新たな攻撃がなかったためだ。

「おやおや、よう来たのう。探偵さんじゃったか。ただのう、どうやってここまで来たのかな。ダミーの通路を使ったようじゃが、あれはここまで繋がってはおらんぞ」

 ネグロがしゃがれ声で告げた。

「いやあ、すみません。ちょっと道に迷ってしまいまして」

 後部スペースから随分と細くなった身を乗り出してきて、大路がにこやかに応じる。水上と鋼の緊張感が強まるのを見て、それから改めて大路を観察し、ネグロが唸った。

「ふむう。妙な気配じゃな。名を聞いても良いかな」

「大路ミラクル探偵社の所長、大路幸太郎と申します」

「オオジ……ミラクル……なるほど。『無手勝』コー・オウジか。あの時、格下相手にやけに苦戦すると思ったが、お主の手の内じゃったか。しかし自ら戦場に出向くとは余程自信があるようじゃの。一度も負けたことがないという噂は本当じゃったか」

「うーん。負けたことは何度かありますねえ。試合に負けて勝負に勝つみたいな感じで。まあ、私は楽しければいいので」

 チーン、とオーブンレンジが出来上がりを知らせて鳴った。風原が熱々のピザを取り出して皿に乗せ、大路の横までやってきて「どうぞ」と差し出した。

「ありがとう」

「所長、次を焼きますか」

「そうですね。まだまだ食べられそうです」

「分かりました。焼きます」

 風原は笑顔で奥へ引っ込んだ。

 この状況で日常的な会話を交わす一般人に、白けた空気が漂う。大路は平気でピザをパクついていた。

 ゴホン、とわざとらしい咳払いをしてから鋼が言った。

「えー、対決前のトークタイムと解釈して進めさせてもらうが、ミライアの奴はどうした。隠れてんのか」

「ミライアか。あやつは死んだぞ。十五分ほど前じゃな」

「そっかあ。ならオスライルはいるかい。母親の手紙を渡した手前、あんま殺し合いたくねえんだよなあ」

「うむ、オスライルも死んだ。十五分ほど前じゃ」

「そっかあ……。もしかして俺達が来る前に委員会とやり合ったとか」

「そういう訳ではないぞ。当世風に言うと、『音楽性の違いからバンドを脱退した』というところじゃ」

 自分の冗談が面白かったのか、ネグロはグッ、グッ、と濁った笑い声を洩らした。

「ふうん。もしかしてあんたらって、内紛してんのか」

「たまにの。もう片づいたし、今おるのは仲良しばかりじゃよ。多分のう」

「ふうん……」

 鋼は気楽な態度を保ちつつ、目だけを横へ向ける。球形の部屋の出入り口にカイストが二人、顔を出していた。話している間に到着したのだ。まとう緊張感と手に持った武器からCクラスの戦士と推測される。

 それから鋼の目は部屋の下へ向けられた。白いローブを着た男が丸い底の辺りで膝を抱えている。気配は薄く、発言もせず、これまでのやり取りを聞いているのかも判然としなかった。

「ところで、四神会の皆さんはここで何をしようとしてるんですかね。多分悪いことだろうとは思うんですが、折角ですので聞かせてもらえませんか」

 ピザを半分ほど食べ終えた大路が思い出したように質問した。

「うむ。今なら良いぞ。惑星破壊爆弾をな、持ち込んでおったのじゃよ。暫く測定と計算に手間をかけたが、実はのう、七分前に起動と投下を済ませたところでな。撤収の準備をしとったところじゃ」

 ネグロ達の立つ金属のフロア中央部には、何も置いていなかった。部屋の底の丸い蓋は爆弾の投下口で、既に使われた後だった。

 つまり、手遅れ、ということらしかった。

 ネグロの回答に水上が眉をひそめた。彼女はそれまで会話を見守りながら、水晶の手にこっそり我力を注いでいた。ただ、似たような戦闘準備は四神会側もやっていることだろう。

「惑星破壊爆弾。って、人のいない惑星ならともかく、六十億も人がいて委員会が管理してるんなら無理でしょ。シールドが張ってある筈よ」

 科学技術がある程度以上進歩すれば惑星を破砕したり消滅させたりすることも可能だった。しかし、委員会としては文明が崩壊し人類が滅亡しても惑星は再利用したいし、強大なカイストの気まぐれで人の住む惑星を破壊されたくもない。そのため惑星内部、人類の到達困難な一定の深さに強力なシールドを維持しており、我力を含めた破壊力の浸透を防いでいるのは有名な話だった。Aクラスでもシールドに守られた惑星を砕いたり割ったりするのは相当に時間がかかり、その間に委員会の戦力が押し寄せてくるのだ。

 よって、理論的にはあらゆる惑星を消し飛ばせる惑星破壊爆弾も、地球には通用しない筈だった。ちなみに委員会管理下でないフリー・ゾーンと呼ばれる世界でも、カイストの有志が似たような方法で世界を守っていることは多い。

 鋼がチラリと大路を振り返り、その自信と余裕が失われていないことを確認した後で、答えを告げた。

「呼吸孔だろ。シールドには内部に篭もったエネルギーを逃がすための小さな穴があって、隠蔽状態でシールドの表面をグルグル移動してるんだってな。測定と計算ってのはその穴を探してたんだろ」

「ほう。ただの戦士と思っとったが、意外に物知りじゃの」

「俺はオアシス会の探索組でね。頭ん中にデータベースがガッツリ入ってんのさ」

 鋼はニヤリとして自分のこめかみを指で叩いてみせた。

「オアシス会か。お主らが正式に参戦してくれれば、四神会もこんなことにはならなんだろうにのう」

「仕方ねえさ。人はそれぞれ優先事項が違うんだからよ」

「うむ。確かに、仕方のないことじゃな。それで、呼吸孔のことを知っておるなら、もう手遅れということも分かるじゃろう。爆弾は呼吸孔を抜けて潜り続け、惑星の内核に到達した時点で起爆する。委員会のエネルギー・プール補給源を一つ潰したことになるのう」

「うーん。それが、全く手遅れじゃない気がするんですよねえ」

 大路が伸縮スーツの上から自分の腹の肉をつまんだ。痩せた後の余った皮ではなく、それなりの厚みが残っていた。

「まだ贅肉に余裕がありますし。何より、ですねえ、どうもさっきから体重が減ってないんですよ。つまり、私達の勝ちはもう決定してしまったみたいなんです」

「そうかなあ」

 別の声が言った。

 MUW号の車内、運転席の後ろに立つ大路のすぐ横に、膝を抱えた男が座っていた。そこには一瞬前までいなかった。白いローブを着て、先の尖った木靴を履いた男は、車内の面々でなく虚空を眺めていた。ギョッとして振り返ろうとする水上と、驚愕する暇もなく手首から剣を生やし立ち上がりかける鋼。大路の思考力はまだ侵入者に反応せず、風原は真剣にオーブンレンジを見つめていた。

 音もなく、探偵社の四人の首から上が消えた。

 

 

  七

 

 霧のような灰色の闇が、彼らを覆っていた。

 何も見えず、何も聞こえない。何かに触れている感触もなく、そもそも自らの体があるのかないのかも分からない。そんな曖昧な闇の中に、彼らは浮かんでいるような沈んでいるような、或いは拡散して広く漂っているような、よく分からない状態で過ごしていた。

 ザザ。ザザ、と、時折ノイズのように、音や光の断片が掠めることがある。何かに触れるような感覚も。味覚や嗅覚を刺激されることもあった。ただしそれはほんの一瞬で、明確な形になる前に消えてしまう。

 どれだけの時間が過ぎたろうか。

 ……ア……ア……

 ノイズでしかなかった小さな断片が、形のようなものを持ち始める。

 ……ア……アアア……

 音であるのか、或いは脳に直接届く思念であるのか。それとも脳が勝手に形を持たせているだけなのか。そもそも脳は存在するのか。

 ……ロ……ロ……

 「ア」と「ロ」。次第に大きくなっていくノイズの中で、なんとか識別出来そうなものはその二音だけだった。

 ア、アアア、アアアアア。

 ロロ、ロ、ロロロロロ。

 アアア、アロロ、ロアアアアロ、アロロアアロ。

 でたらめに繰り返されるアとロが、BGMのように闇の中に流れている。

「俺は……もっと」

 声がした。ちゃんとした意味のある声だった。

「俺は、もっとやれることがあった筈だ。奴を見た時にもっと警戒すべきだった。あの白いローブの男。怪しい奴だった。すぐ攻撃すべきだった。通じたかどうかは分からんが。でもやるべきだった。俺は未熟者だ。四千世界に格上は山ほどいるってのに。もっと全力を尽くすべきだった。俺のせいで負けちまうなんて。駒として役に立てなかった。俺のせいで『無手勝』に傷をつけちまった。契約に全力を尽くさなかった。俺のせいで取り返しのつかないことに……」

 男の太い声だった。最後の辺りは泣いているようにも聞こえた。

 それは、苦渋に満ちた魂の呻きだった。

「そうなンデすか」

 別の声がした。男の声のようだったが何処かイントネーションがおかしかった。

「私は……どうせ……」

 今度は若い女の声がした。

「私は中途半端な存在で。無理して強がって。私が本当に欲しかったものは違っていて。道を間違ったのかも。でも認める訳にはいかなかった。確かなものなんて本当はなくて。中途半端な私は。ああ、本当は私は……。何もない。私は独りで……。このまま何も手に入れられないまま、墜ちて、消えていくのだろうか。私は……」

「そうナンですカ」

 さっきの声が言った。

「えー、何でしょうこの状況は。どなたか分かりますか」

 中年の男の声がした。

「さっきまで四神会のアジトに乗り込んで話をしていたと思うのですが。何がどうなっているのでしょう。負けた訳ではないと思うのですが」

「そうなんでスカ」

 さっきの声が言った。

「いや、ソウナんです。あレッ、そうな、んでス……。アタまがなイノデ。あたマガナいと、ちゃントかんガエられない。あたマ、あタま、マず、つくリマス……」

 少しして、声が再開された。

「はい、大丈夫です。やっぱり頭がないと、ちゃんと考えられませんよね。ちゃんと形がないと。ちゃんとした形があるのはいいですよね」

「ふむ。それで、どういう状況ですかね。それから、あなたはどなたでしょう」

「状況は、僕達の頭が消えたところです。ああ、僕の頭は作りましたけど。見えるようにしますね」

 灰色の闇が動いた。何処かに一つの白い光点が生じ、それが広がって闇を押しやっていく。BGMのように続いていたアとロの声も小さくなるが、消えはしない。

 MUW号の車内の景色が見えた。上から俯瞰している視点で。運転席に座る水上麗羅と、手から剣を生やして立ち上がりかけた鋼源十郎。ピザの皿を持つ大路幸太郎。オーブンレンジの前にいる風原真。

 風原を除いた三人の首から上は存在しなかった。刃物で切られたのとは異なる、微妙に凹形に窪んだ断面だった。頸動脈の断端から血が噴き上がりかけた状態で、凍りついたように静止していた。

 或いは、時間の流れが止まっているように。

「こんな感じですね。あ、僕は風原真です」

 声が言った。ただし車内にいる風原はオーブンレンジを見つめているだけで、口も動いていなかった。

「死んでるやん、俺ら」

 鋼の声が呆れたように言った。

「はい。頭は消えましたね」

 風原の声が応じる。

「ええっと、これって、私達の頭も作れるの。作るというか、元通りに出来る」

 水上の戸惑った声がする。

「はい、出来ますよ。魂がここにいるんで、戻せます」

 ポンッ、と瞬時に三人の頭が生えた。何事もなかったみたいに。表情は何故か皆淡く微笑した状態だった。

「へえ。生き返れるんだ。ってか、俺の顔、髭が増え過ぎてねえか」

 一週間ほど不精髭を伸ばしては適当に剃る生活の鋼だ。新しい頭部の不精髭はいつもより密度が濃かった。

「そうですかね。ならちょっと修正します」

 ポンッ、と不精髭の密度が下がった。

「んー。なんか髪の毛も減ったような気がするんだが」

「いやそんなことはどうでもいいでしょ。で、まず、うん、分からないことばかりだけど、まず、ね、この男は何者なの。白いローブの。多分Aクラスよね。私達の頭を消し飛ばしたのはこいつでしょ」

 水上の口調はまだ慌てていた。

 大路の横に膝を抱えて座っている白いローブの男。彼もまた静止していた。

「空(くう)だ。『空っぽの空』と呼ばれるAクラスの結界士だ」

 新たな声が告げた。

「おっ、誰だあんたは」

「オスライルだ。死んだばかりなので魂がこの場に留まっていたようだ。今、目が覚めた」

「ふうん。で、『空っぽの空』ってのは」

「随分前に墜滅したと思われていたカイストだ。結界の有効範囲が広く、侵蝕結界の一種なんだが効果の発現がでたらめに速い。結界内を瞬時に移動出来るのも厄介でな、彼を相手にするのは複数のAクラスでも非常に苦労したという話だ。その気になれば結界内の全てを一瞬で粒子レベルに分解出来るから、『空っぽ』という二つ名がついた」

「あー、なんか聞いたことあるな。百億年前のアルテノア・ボルモート最終戦争で、ティムカトゥランの……」

「その名を出すなっ」

 怒った声が何処からか響いた。同時に車内にいた鋼の首から上が消滅する。

「ありゃ、また俺の首が消えちまった」

「あー、また作りますね」

「髪は減らさないでくれよ。というか今のは空かよ。こいつも会話に参加出来んのかよ」

「まずかったですか」

 風原の声が尋ねる。既に鋼の頭部は再生していた。

「いや、まあ、まずいってほどじゃねえが。話の続きだ。その死霊術士にこき使われてたんだろ。自分の意志じゃねえのに戦争で大活躍させられてよ。で、なんで今頃復帰してんだ」

「僕は自由を愛しているので。委員会の暴挙には絶対反対なんで。無限牢。永遠に閉じ込めるというのは、良くない。時勢に疎くて。フィロスから教えてもらったのが、つい最近なんで」

 膝を抱えたまま肉体は微動だにせず、空の声が答えた。

「その気持ちは分かりますよ。ただ、今回は立場的には敵同士ですからねえ」

 大路の声が言う。

「敵同士なら、仕方ない。とにかく。動けないんだけど。縛られるのは嫌なんだ。もう二度と。僕を縛るなああああっ」

 動かぬ空の周囲に無数の小さな光が生じる。座っている床が、空気が分解されているようだ。

「あ、すみません。縛ってる訳じゃないんですけど。僕らが時間の外にいるだけで。すみません。取り敢えず殺しますね」

 次のピザを焼くみたいなあっさりした口調で風原が告げた。

 俯瞰視点で見える車内の様子に、その外側のあちこちから灰色の闇が侵蝕した。アメーバの仮足のように、いやそれが細くなって触手と化し空の体に伸びていく。その灰色はザラザラした無数のノイズの塊だった。

 触手の先端が空に触れる寸前、唐突に消滅して短くなった。空の力が対抗しているのだ。彼を中心に破壊が広がろうとして無数の淡い塵が舞う。

 そこに無数の触手が殺到した。どれだけ消されても断端からまた先が伸び、灰色の闇の領域から続々と追加される。それらは探偵社の者達や物品をうまく避けながら空へ伸びる。車内は灰色の触手で埋め尽くされた。

 数百本の触手が瞬時に消える。見えない破壊が押し返そうとしてまた無数の触手に包まれる。

 音もなく死の攻防が繰り返され、そのうち触手の一本が空の腕に触れる。ローブの布地が、その下の皮膚と肉が、水滴を垂らした水彩画みたいに曖昧に溶けて滲んでいく。

「痛い。あれっ、痛くない、いや痛いかも。痛くないような、痛いような」

 空の呟きが闇に響く。その間にも次々と触手に食いつかれ空の姿がどんどん溶けていく。足が背中が、顔が、頭頂部が、どんどん溶けて滲んでいく。酸などによる溶解ではなく、空間ごと歪んで触手の灰色に混じっていく。空という存在が、崩壊していく。

「あ、やっぱり痛い。痛い痛いいたたたたたた溶ける、僕が崩れ、る。逃げ、られないいいイタタタタタタタタ」

 瞬間、消滅領域が爆発的に広がりかけ、すぐに触手の津波に押し潰された。空の姿は呑み込まれ、見えなくなる。

「イタタタタタタ……タタ……あ、気持ちい……」

 空の声が途切れた。触手の波が周囲の闇に引き戻され、空の座っていたところには床の浅い窪みだけが残っていた。それもすぐに修復され、空の痕跡はなくなった。

 灰色の闇の中に空の声はもう、聞こえない。後は遠くに「ア」と「ロ」の音が繰り返されるのみだ。

 Aクラスの結界士『空っぽの空』は消えた。地獄の攻防は止まった時間の中で終了し、居合わせた者達の体感でも二秒も経っていなかった。

「あ、本当に死んだの。逃げたんじゃなくて」

 水上の声が疑問を呈する。空は結界内なら何処にでも一瞬で移動出来るという話だ。

「死んでると思います。バラバラにしたんで。魂もバラバラですけど」

「えっ。そう……」

「魂ってある程度バラバラになっても時間かけて戻るらしいよな。なんか復帰したばかりの奴をバラバラにして申し訳ない気もするが」

 鋼の声が補足した。

「ついでにあっちの人達も殺しときますね」

 見える範囲が車内から球形の広い部屋まで拡大した。中央の床に立っているネグロ・デ・モルタと白衣の魔術士。それから入り口付近にいるCクラス戦士二人。停止している彼らを灰色の触手が襲いかかりあっという間に分解吸収していった。

「ああ、なんかあっけなく片づいちまったな」

 鋼の声は感慨深げだった。オスライルの声が続く。

「それよりも、爆弾の件がある。惑星破壊爆弾だ。既にマントル層に投下されたのではないか。委員会の展開しているシールドの穴を抜けて、中心部へ向かっている筈だ。回収可能だろうか」

「爆弾ですか。やってみます」

 風原の声がして、体感時間で数秒。グニョリ、と灰色の闇から仮足が伸びてMUW号の車内に高さ一メートルほどの円筒形の機械を落とした。ヒレのようなものが数ヶ所についている。

「爆弾ってこれですかね。拾ってきました」

「ああ、それだ」

「いやここに置くなよ」

 鋼の突っ込み。

「あ、すみません。じゃあ砕いときます」

 爆弾はすぐ仮足に呑み込まれて消えた。

「では、依頼達成ですかね」

 大路が気楽に言う。

「いやちょっと待って。待って。この状況。ええっと、風原君、よね、あなた。あなた、誰。何。一体何者」

「えっ。だから、風原真、じゃないですかね、僕は。多分……」

「自分のことなのに多分がつくのかよ」

 鋼の呆れた声。

「え、じゃあ、おそらく、風原真です」

「あんま変わってねえぞ」

「な、なら、そうですね。きっと、風原真です。ちゃんと形があるので。風原真の形なんです」

「ちゃんと、形、ねえ。……お前さ、アロロアだろ」

「ほほう、何ですかなそれは」

「え、僕はアロロアなんですか。で、アロロアって何です」

「アロロア……聞いたことがあるような……」

 水上の思案する声。

「私も名前だけは聞いたことがある。世界の外の混沌に棲む魔物の一種ではなかったか」

 オスライルの声が言った。

「えっ、魔物なんですか、僕」

「魔物というか、生き物というか……とにかく混沌領域にそういう存在がいるという話だ。詳しいことはよく分かっていないままだと思う」

「お前さあ、バエスクがこっち側に出てきた時、知ってるとか言ってたろ。あれも混沌領域の魔物だもんな。で、バエスクがお前見て逃げた」

「え、バエスクって何ですか」

「お前……。まあいい。それから、このザラザラした闇は多分混沌なんだろ。ここが世界の外なのか、お前の棲んでた混沌をここに持ってきたのか、お前自身が混沌で、この闇がそのままお前なのかまでは分からんがね。で、さっきからずっと流れてるだろ。『アアア、ロロロ』『アロロロロ』ってな」

「そういえばなんか聞こえますね」

 風原が今気づいたみたいに言う。

「……。で、だ。昔、うちの会長、オアシス会の『彼』が殲滅機関とやり合った時に、ゾーンって召喚士がアロロアを呼び出したらしいんだ。『彼』がなんとかぶっ殺したけど、ドロドロの化けモンで、『アロロロアロロロ』って言ってたらしい」

「え、僕って殺されたんですか」

「二百億年くらい前の話だ。それから今までどうしてたのか知らんが、取り敢えず転生したんじゃねえか。混沌領域のドロドロした生き物が、ちゃんとした人間の形に収まったって訳だ。たまにはみ出てるみたいだがな」

「はあ。よく分かりませんけど、そんなふうに言われてみるとそれっぽい気がしてきますね。そうかあ、僕はアロロアというんですね」

 風原は説得されかけていた。

「鋼って酒ばかり飲んで馬鹿っぽく見えてたけど、意外に頭が回るのね」

「そりゃあ探索組だからな。ってお前、サラッと毒吐くよな」

「あっ、そうだっ。水上さん、結婚して下さいっ」

「えっ」

「えっ」

「ほほう」

「何だ、この状況で何を言っている」

 最後の声はオスライルだ。

「あの時は酔い止めありがとうございましたっ。女性に優しくされたのは初めてです。だからきっとこれは運命なんです。最強不滅の存在になるので結婚して下さいっ」

「あー、なんか海でそんなこと言ってたよな。彼氏に立候補とかなんとか。そっかあ。いきなり結婚と来たかあ」

「ちょっ、ちょっと待って。こんなとこでいきなりそんなこと言われても……」

「えっ、ダメですか」

 沈黙。灰色の闇は小さく「ア」と「ロ」だけを奏でている。

 やがて、水上の声が問うた。

「……その、私だけを……永遠に、私だけを愛してくれるの」

 声は少し震えているようだった。

「愛します。永遠に」

「な、なら、その、プロポーズ、お受けします。ずっと一緒に……いて、ね」

「あああっありがとうございますっ。永遠に一緒ですっ」

「おめでとうございます、所長としてもこれ以上の喜びはありません。仲人は任せて下さいね」

「いやあ、おめでとさん。永遠の奴隷いや何でもない。いやあ、めでたいなあ」

「私からもおめでとうと言っておこう。永遠とは非常に重いが、約束が守られることを祈っている」

「あっ、ところでさ。オスライルも生き返らせるって出来るのか。死にたてっぽいし魂はここにいるんだろ」

「あ、出来ますよ。元の体のことよく知らないので、適当に用意しますけどそれでいいですか」

「いいのか。ありがたい。体は後から自分で調整出来るからそれで構わない」

「じゃあ作ってみます」

 相変わらず車内の面々は静止したままだ。その大路の横に膝を抱えた男が出現した。白いローブで、頬のこけた無表情の、空だった。

「その体は……いや、それでいい。ありがとう」

「ならさ、母親のとこに帰ってやりなよ。四神会の用事は終わったんだろ」

「いや、終わった訳ではないが……。そうだな、まずは、帰ってみることにする。それが筋だろうな」

「じゃ、これで終わりかね。風原、そろそろ時間を進めてもらっていいか。というかこっからどうやって帰るんだ。通路を後戻り出来んのか」

「おっと、私も大切なことを思い出しましたよ」

 急に大路が言った。

「え、何です」

「風原さん、恐怖の大王に興味があったりしませんか」

「はあ、恐怖の大王ですか。特には……」

「風原さん、あなたは実は、恐怖の大王だったりしませんか。私はきっとそうだと思うんです」

「えっ。いや、違うと思いますけど……」

「あなたは恐怖の大王ですよね」

「えー。多分、違うと……」

「あなたは恐怖の大王ですよ、ね」

「……はい。そんな気がしてきました」

「よしっ。これで全ての謎は解けましたっ。……あ、ところで水上さん、実は真の名にアンとかゴルモアとかついてませんか。ねえ、アンさんですよね」

「帰りましょう」

 水上の声は冷たかった。

 そうして、時は動き出した。

 

 

  八

 

 不可視の宇宙船から飛び出した『歪め屋』イクスプラクは、ゆっくりと落ちていく男に空間座標確保で宙を歩いて接近し、声をかけた。

「おい、お前。何やってる」

「えっ。僕ですか」

 パラシュートに吊られた男が驚いた顔でイクスプラクを見上げた。二十代前半の若者で、何故か頭に金色の王冠をかぶっている。また、パラシュートには大きく漢字で『恐怖』と書かれていた。

「何をやってるかというと、ですね。恐怖の大王をやらされています」

 若者は、風原真だった。

「やらされているのか。『無手勝』のせいだな」

「ええっと、所長に言われて……。空から降って、アン・ゴルモアの大王を蘇らせないといけないんです。アン・ゴルモアは水上さんがやってくれるんです。そして結婚式を始めるんです」

 風原の表情は何処か悲しげでもあり、同時に嬉しげでもあった。

「そうか。大変だな。……頑張れよ」

 イクスプラクは疲れた声で告げ、風原は「ありがとうございます」と礼を言いながらフワフワと落ちていった。

 

 

*** 四神会による爆弾テロ事件 業務記録 ***

 

・依頼人:イクスプラク。四百六十六億才。文明管理委員会幹部。

・依頼内容:地球に潜伏中の四神会による破壊工作を阻止して欲しい。

・経過と結末:以前の事件で繋がりのあったオスライルの縁を辿り、MUW号で四神会のアジトに侵入した。遭遇した四神会のメンバーを殲滅し、投下されていた惑星破壊爆弾も回収・処理して依頼を達成。恐怖の大王も無事降ってきた。

・報酬:十億ルース

・今回の被害:一般人の被害は特になかった。

・今回減った体重:百七十キロ。事前準備には推定五百キロ以上。

 

・各所員の感想(個別提出)

 鋼源十郎:色々あった。

 水上麗羅:ついドキッとしてプロポーズを受けてしまい、永遠の約束までしてしまいました。私はどうすればいいんでしょうか。どうか所長、アドバイスをお願いします。

 風原真:なんかうろ覚えなんですが、いつの間にか水上さんにプロポーズしてしまったみたいなんです。結婚って、何をどうすればいいんでしょうか。所長、助けて下さい。

 

・所長としてのコメント:これぞハッピーエンドですね!

 

 

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