第一話 生首島の狂宴

 

  プロローグ

 

 狭い裏通りで瓦礫に邪魔され、停車したセルシオの後部座席から男が降りた。運転手には待機しているように伝え、一人で歩き出す。

 男の年齢は三十代後半であろう。やや太り気味で、後退しかけた額は脂で光っているがスーツも腕時計も高級品だ。廃墟のような通りを見回す顔には怯えが滲む。それでも力強い足取りはプライドが支えているのだろうか。

 道にはみ出す瓦礫は高層マンションの倒壊したものだった。三階部分まではなんとか原形を留めており、壁の斜めの断面は巨大な刃物で切られたようにも見える。まだ住んでいるらしく洗面所で顔を洗う老人がいた。下水へのパイプは途中で折れており、溢れた水は床の端から地面に滴っている。

 高層マンションが崩れたため向かいの畑に日光が良く当たっていた。大根やキャベツなど種々の野菜を育てているようだ。畑は鉄条網で囲われ、『野菜をぬすんだやつは殺す』と下手な字で書かれた立て札があった。畑に幾つか立つ血みどろの案山子は妙に生々しい。まるで本物の腐乱死体のように。

 スーツの男は身震いし、畑に近寄らないように足を進めた。廃屋も全て取っ払ってしまったようで畑はかなり広い。

 汚れた作業着姿の男がジョウロで水を撒きながら歌を歌っている。メロディはメチャクチャだが本人は上機嫌なようだ。

「大きく育て〜沢山実がなれ〜美味しくなあれ〜野菜野菜野菜〜」

 スーツの男に気づいて作業着の男が歌をやめた。ギロリと睨みつけて問う。

「お前、まさか俺らの野菜を狙ってるんじゃねえだろうな」

「い、いえ、滅相もありません」

 スーツの男は慌てて首を振った。

「ふん。ならいいが。畑に一歩でも入ったら殺すぞ」

 作業着の男の麦藁帽子は天辺が破れ、黒い角らしきものが伸びていた。スーツの男は足を速める。

 四階建てのビルが見えてきた。壁面は隙間なく緑の蔓に覆われている。ネットを張ってトマトやナス、キュウリなどの蔓野菜を育てているのだ。水は屋上から撒くのかも知れない。

 看板が四枚突き出している。四階にあるのは『黒贄探偵事務所』と書き殴られた地味な看板だ。三階部分の看板は更に下手な字で『アルXイル狩場出帳所』となっている。二階の看板は金属板に字を彫り込んだシックなもので『剣里火探偵事務所』とある。一階の看板は小さく、スーツの男がかなり近づいてやっと読める程度の細い字だ。

 『草葉陰郎事務所 享年三十一』となっていた。

 スーツの男は重い鉄扉を開けて中に入った。

 一階のフロアは右前方に薄い壁で仕切られた部屋がある。左には小さな墓が一つ設置され線香が立ててあった。風が煙と匂いを運んできた。

 墓石には『草葉陰郎』と刻まれていた。

 墓の横を分厚い鉄板が天井から床まで貫いていた。柱という訳ではなさそうだ。片方の縁は刃のように鋭くなっている。

 部屋の扉に貼り紙がある。スーツの男は歩み寄りそれを読んだ。恐ろしく小さな字でびっしりと書き込んである。

 『草葉陰郎探偵事務所 草葉陰郎 享年三十一 御依頼受付も探偵活動も雨の日に限ります。あの世についての御相談も承ります。私の墓に御線香を上げて頂ければ幸いです。ついでに御供え物も頂ければ言うことはありません。どうせ食べられないだろうなどと仰らないで下さい。供えて下さる御気持ちが有難いのです。ちなみに好物は鹿児島名物のかるかん饅頭です。京都の生八橋もいいですね。いえ別に御供えを強要している訳ではありません。ただ私のような無力な存在に対する憐れみを』

 これ以降は文字が滲んで読めなかった。

 今日は晴れている。スーツの男は階段を上った。

 二階はすぐ黒い扉で塞がれていた。やはり彫金で『剣里火探偵事務所』という札がある。丁寧に『つるぎさとび』というルビまで彫ってあった。札の下に貼り紙があり、『暫く休業します。』と書いてあった。スーツの男は更に階段を上る。

 三階は仕切りがなくフロア全体が見渡せた。手前と左右の壁をぶち破って無理矢理嵌めたような大型の窓があり、そのそばに植木鉢が並んでいる。ミニトマトやサヤエンドウなど全て実のなる植物だ。奥の壁に両開きの扉があるが、向こうに部屋を作るスペースはなくビルの外に通じているとしか思えない。天井から床まで分厚い鉄板が一枚突き抜けている。階段の近くに『アル×イル狩場出帳所 野菜で兵士かします』という立て札が立っていた。

 フロアの中央で三人の男がカセットコンロを囲んでいた。汚れたロングコートや破れたジャケットを着て、一人は口が妙に大きく牙がはみ出していた。鍋で何かを煮込みながら別に生の野菜を食べている。

「ああ、美味いなあ、野菜は」

「美味い美味い。こっちに来て良かったなあ」

「イッショウココニイタイナ」

 片言の日本語で喋る者もいたが、皆涙を流しながら人参や大根を齧っていた。鍋の中身は野菜スープだった。

 スーツの男が呆然としていると一人が鋭い視線を向けた。

「何だ。野菜を盗む気か」

「い、いえ違います、探偵さんに依頼を……」

 スーツの男は急いで答える。

「ああ、魔王様に用か。なら上だ」

 別の男が素っ気なく指差した。スーツの男は一礼して四階への階段を上ろうとする。その時よろめいて鉢の一つを蹴倒してしまった。

 男達の目が狂猛な怒りに燃えた。

「あっと、すみません」

「き、貴様っ大事な野菜をっ」

 男達が鉈や剣を抜いて襲いかかった。一人の胸部からは鋼鉄の棘が飛び出した。スーツの男は悲鳴を上げる暇もなく切り刻まれ五十分割され肉片は拾い集められ窓から捨てられた。

 男達は恭しく鉢を起こすとカセットコンロのそばへ戻った。

 少しして四階から長身の男が下りてきた。着古した略礼服に薄汚れたスニーカーという格好で、不思議そうに首をかしげている。

「あのー、お客さんが来ませんでしたかな。予約が入っていたのですが」

 男達が生野菜を齧りながら平伏した。

「はい、魔王様。客が一人上がってきましたが、大罪を犯しましたので処刑して外に捨てました」

「ありゃあ、残念です。久々の依頼でお肉が食べられると思ったのですが」

 魔王と呼ばれた男はションボリとうなだれる。

「魔王様、肉がよろしければ捨てた死体を回収してきますが」

「いえ、結構です」

 魔王は溜め息をついて階段を上っていった。男達はすぐコンロに戻った。

 

 

  一

 

 最初は風を切る音だった。

 無人島に上陸した八人の男女は午前中のうちにテント設営を済ませ、探検のため森へと入っていった。年長者で三十代後半、若い者は二十代前半だろう。それぞれラフな格好で、落ちていた枝をステッキ代わりに振り回しながらの気楽な行進だ。雑談しながら獣道らしき細い筋を辿る。

「静かね」

 女の一人が言った。鳥の鳴き声もなく小動物も見かけない。年長の男が言う。

「この島は衛星写真でも見つからなくて、漁師の間でも幻の島と言われてたらしいね。季節によって海中に沈むという説もあって、動物がいないとすればそのせいかも知れないけれど、生えている木を見るとそんな感じはしないね」

「鳥はいるな。あれ」

 若い男が右方の大木を指差した。他のメンバーも目を凝らす。曇り空の下、黒っぽい葉が密集しているように見えたが違っていた。

 葉のない枯れ枝に、無数の烏が留まっているのだった。数千羽になるのではないか、殆ど身じろぎもしないのが不気味だった。

「うわぁ、気持ち悪い」

 女の一人が顔をしかめた。男が言う。

「あいつらあんなに沢山集まって、何食ってんのかね」

「さあ、木の実でも食ってるんじゃないか。それか共食いとか」

 別の男が冷めた口調で答える。

 風切り音が聞こえてきたのはそんな時だった。

 ヒュン、ヒュン、からビュンビュン、という唸りに変わり、木々の奥で影が動いた。皆がそちらに目を向けた。何かが飛んできて男の一人に当たりドブッ、と不気味な音がした。

 影から男の胸まで鎖が繋がっていた。鎖は服を破って胸を貫いていた。背中から金属の先端が顔を出している。返りのついた鋭い刃。流れ出た血が布地を広がっていく。

「あれっ。ブフッ」

 胸を貫かれた男はキョトンとした顔で鎖を見つめ、口から血を吐いた。

「ケッケッケッ」

 影が笑い声を上げた。鎖が引っ張られ、男がよろめく間もなくスポンと刃が抜けていった。円柱状に削いだ肉をくっつけたまま、三十メートル以上の距離を戻っていく。

 男の胸に開いた直径十センチほどの風穴を、仲間達は呆然と見つめた。穴からどんどん血が溢れ出して、男は泣き笑いのような表情を浮かべながら前のめりに崩れ落ちた。

 鎖を握るのは小柄な男だった。汚らしい浴衣に素足で、首から上は黒い頭巾をかぶって目元以外を隠している。しかしその目元も暗い闇で奥が見えなかった。

「ケッケッ、ケケケ」

 ねじくれた刃から肉片を抜いて捨て、黒頭巾がまた笑った。やや高い、邪悪な笑い声。鎖をまた振り回し始める。右手横の垂直回転から頭上の水平回転に移るにつれ風切り音が高くなる。

「ウヘヘヘヘ」

 黒頭巾とは別の笑い声が混じった。その頃になって漸く仲間の死を理解した男女が悲鳴を上げ始めた。

「うわあああ」

「きゃあああああ」

 側方から静かに飛来した物体が女二人の首筋を通り抜けた。悲鳴が途切れた。

 目を見開いたまま、右の女の首が前に、左の女の首が後ろに転がり落ちていく。鋭利な刃物による断面は二本の頚動脈から鮮血を噴き上げ、気道から洩れた空気がプヒューと音を立てた。

 二人の首を切断した凶器が回転して血糊を散らしながら飛んでいく。長い腕が伸びてそれを受け止めた。

「ウヘヘヘ」

 全長七十センチ、鋼鉄製の大型ブーメランを握るのは二メートル近い長身の男だった。痩身で手足も細長く、繋ぎの作業着の袖と裾は寸足らずだ。両掌に鎖を巻きつけているのはブーメランを受け止める際の負傷を防ぐためか。黒いフルフェイスヘルメットのシールド部にはヒビが入っているが、中の顔は暗くて見えない。

「ウヘ、ヘヘヘ」

 フルメットの男が篭もった笑い声を洩らしながら長い腕を振った。鋼鉄のブーメランが音もなく宙を滑ってくる。

「に、逃げろっ」

 凍りついていた五人のうち一人の男が叫びながら仲間達を押した。我に返った男女が海岸へ走り出した時、逃げろと言った男の胴は斜めに断ち切られていた。胸部から上は前のめりに倒れて顔面を土に打ちつける。男は凄い形相になり血を吐きながらも這っていこうとしたが、五十センチも進まないうちに力尽きた。

「ケケケケ」

「ウヘヘヘヘヘ」

 笑い声が近づいてくる。長身のフルメットがブーメランを鉈代わりに振り下ろし、瀕死の男の首を切断した。

 残った四人の男女は必死に駆けていた。女二人は泣いている。男の一人が息を切らしながらも言葉を吐き出した。

「死んだ。殺された。古畑さんも、安生さんも。なんで、なんでこんなことに。何なんだあいつら。無人島だって聞いてたのに……」

 もう一人の男は喋る余裕もなく真っ先に逃げようとしていた。前を走る女の肩を掴んで引っ張ったのは少しでも早く逃げようという気持ち故か、それとも他人を生け贄にして自分だけ助かろうという魂胆か。女は体勢を崩し転びそうになる。

「こよりっ」

 喋っていた男が女を抱き支える。そのため少し遅れ、先頭はもう一人の男となった。男の顔は醜い笑みに引き攣れていた。

 木の陰から飛び出した人物が前に立ちはだかり男の笑みが凍った。

「ヒャヒャッ」

 虎の頭をかぶった上半身裸の屈強な男だった。虎はマスクでなく本物の毛皮を使っているようだが、やはり目と口の奥は暗い闇に隠れていた。高く振り上げた両腕は右手に蛮刀を左手にサーベルを握っている。

「おわっ」

 たたらを踏む男の左肩に蛮刀が吸い込まれ一気に股間まで通り抜けた。ガポッと内臓を零しながら二つに分かれ倒れていく。

「ぎゃあああああ」

 別の女が叫んだ。虎頭の男がサーベルを振った。あっけなく女の首が飛ぶ。

「オヒャヒャヒャ」

 虎頭は狂ったように笑いながら、まだ立っている女の胴を二刀流で切り刻んでいく。みるみる腕が落ち胸部が開き心臓が落ち腸が零れる。虎頭は女の死体が倒れる前に足首まで分割してしまった。

 だがその間に男女二人が横を駆け抜けていた。泣いている女の腕を男が引っ張っている。男は二十代半ばで純朴そうな顔をしていた。女はそれより二、三才下だろうか、綺麗な顔立ちは涙でグシャグシャになっている。

 前方にテントが見えてきた。もうすぐ海岸に着く。だが後ろから不気味な笑い声が迫っていた。

「ケケケ、ケケッケッ」

「ウヘ、ウヘヘ、ヘヘヘヘ」

「ヒャヒャ、オヒャッヒャッ、ヒャヒャ」

 女が木の根に足を取られた。男が振り向いて受け止める。その頭上擦れ擦れを無音のブーメランが通り過ぎていった。偶然体勢を崩さなかったら二人の首は飛んでいただろう。

「逃げるんだ。早く」

 男が女を叱咤する。女は泣きながらも頷いて走る。風切り音が聞こえる。男は咄嗟に女を庇って後ろに回った。

 ゴズブッ、と男の左肩に鎖つきのねじくれた刃がめり込んでいた。振り向いた女が口元を押さえる。男は悲鳴を上げる代わりに「逃げろ」と叫んだ。

「で、でも、仲根さんが……」

「俺はもういい。逃げろっ君だけでも」

 鎖に引かれて男が後ろへよろめく。

「ヒャヒャヒャ」

 蛮刀とサーベルを振り上げたまま虎頭の男が追ってくる。凄いスピードで逃げきれそうにない。

「こより、逃げろおおお」

 男が叫びながら駆け出した。逆向きに、虎頭の男へ。少しでも女が逃げ延びる見込みを増やすために。

「オヒャッ」

 しがみつこうとした男に蛮刀が振り下ろされる。めり込んでいく刃を女は最後まで見なかった。女は涙も拭わず必死に駆ける。男の死を無駄にせぬように。

「ケケケケ」

「ウヘヘヘヘ」

 笑い声が追ってくる。女はテントの横を過ぎて波打ち際を走り岩場に着いた。木の幹に結んでいたロープを震える手で解き、小型クルーザーに飛び移る。

 女が振り向くと覆面の三人は四十メートルほどの距離にいた。俊足の襲撃者達が遅れた理由が判明した。

 彼らは、犠牲者達の生首を小脇に抱えていた。全ての死体から首を切り取り回収したらしい。断末魔に歪んだ顔と虚ろな瞳。

 女を助けた男の生首もそこにあった。女は挿さったままのキーを回しエンジンをかけた。クルーザーが岸から離れ進み出す。鋼鉄のブーメランが船体の縁を少し削っていった。彼らは泳いで追ってくることはせず、岩場に立って笑いながらクルーザーを見守っていた。

「ヒャヒャヒャ」

「ケケケ、ケケケケ」

「ヘヘ、ウヘヘヘヘ」

 女は耳を塞ぎ目を閉じて、デッキに蹲った。

 

 

  二

 

 しとしとと雨の降り続く午後、若い女が木製の古いドアを見つめていた。裏通り、野菜畑に囲まれた不気味なビルの最上階。

 『黒贄礼太郎探偵事務所』と彫り込まれた札。札の上にマジックインキで『クラニレイタロウ クロニエじゃありません』と書き込まれ、更に上に『アルメイル魔王』とある。札の下には『受付時間は午前十時から午後六時までです。それ以外の時間帯には探偵として応対出来ない場合があります。』と下手糞な字の貼り紙があった。

 女は眉をひそめ鼻をヒクつかせた。ドアの向こうから漂ってくる濃厚な血臭に気づいたのだ。

 しかし女は大きく息を吐いた後、決心したのかドアを二度ノックした。

「ほいよ」

 待ち構えていたようにすぐドアが開き、若い男が顔を出した。

「へい、らっしゃい。依頼かい」

 男は丸顔で、プニプニとかツルツルとかいう表現がいかにも相応しそうな肌をしていた。髭は生えておらず、二十センチほどの髪はやや疎らな代わりに元気良く逆立っている。青いビニール製の上着とズボンはどうやら雨具のようで、靴も長靴だ。威勢の良い口調だがあまり迫力はない。大きな丸い目がグリグリと動いて女を見つめている。

「あの、黒贄礼太郎さんですか」

「ちゃうちゃう、俺は助手。まあ入りな」

 男がドアを大きく開いて室内に招いた。女は一礼して足を踏み入れ、凍りついた。

 黒服の男が女に向かって土下座していた。汚れた床に額を触れさせて「ようこそいらっしゃいました」と慇懃に述べた。

「あ、あの……」

「驚かせてしまい申し訳ありません。二ヶ月ぶりのお客さんなもので、ついつい嬉しさのあまり。まあまあどうぞ、おかけ下さい」

 額を床に擦りながら移動して黒服の男が長椅子に案内した。公園にあるような色褪せた木製ベンチだ。

「はあ、すみません」

 女が腰を下ろすと男は正面にある机の向こうへズリズリと回り込み、巨大な背もたれの黒い椅子にヒョコンと収まった。

「さて、私が黒贄礼太郎です」

 背筋を伸ばしてみると長身で、百九十センチを余裕で超えているだろう。肉はそれほど分厚くないが骨格はガッチリしている。略礼服はアイロンがけもしないまま着古してしまったようであちこちに皺が寄り、肘の辺りはテカついている。ネクタイはしておらず、ワイシャツには点々と赤い染みが残っていた。髪は自分で切っているのか左右非対称で、彫りの深い整った顔立ちだが皮膚は血の気がなく蝋のようだ。切れ長の目は眠たげにも見え、薄い唇は何かを面白がっているような微笑を浮かべていた。

「ちなみにこちらは助手のスライミー藤橋さんです」

 左のパイプ椅子に背をもたせ、小さな事務机に足を載せた横着な姿勢で雨合羽の男が片手を上げた。自分ではかっこつけているつもりなのだろうが、弛んだ体は今にも椅子から転げ落ちそうだ。

 女は自己紹介をする前に一通り室内を見回した。壁は奇妙な品々で埋め尽くされていた。ホッケーマスクやバケツの残骸、ニコニコピザのマスコットであるニコニコ君のピザを模した頭部、両目部分に穴の開いた政治家のポスターなどなど。剥ぎ取った人間の顔の皮らしきものもあった。上の方には何やら『第一回世界殺人鬼王』などという賞状が飾られている。

 右の棚には広口の大きな瓶があり、中では少女の生首が透明な液体に浸かって眠るように目を閉じている。その隣には黄金のトロフィーがあり屈強な男の像が斧と鉈を振り上げている。更にその横には大きなルビーの嵌まった王冠があった。別の段には人間の心臓や肝臓らしきものが濃厚な臭気を放っている。

 棚の向こうに革が少し破れているがそれなりに高級な椅子がある。座っているのは本物の骸骨だ。骨と骨を針金で繋ぎ合わせ、骨折と思われる箇所も丁寧に修復してあった。髑髏の虚ろな眼窩が静かに来客を見据えている。

 右のドアは開いていて、流し台などが見えた。生活のための部屋だろう。左のドアはドアノブのロック以外に南京錠も掛けてあった。

 女は正面に向き直る。黒贄礼太郎の机は木製で所々に焦げ目が残っていた。ダイヤル式の黒電話機と一辺三十センチほどの箱が載っている。箱の上面には丁度手が入るくらいの丸い穴が開いていた。黒贄の座る椅子は漆黒で、横幅三メートル、背もたれの高さは何処まであるのか天井を突き破っている。子供向け特撮ドラマで悪の帝王が座っていそうな椅子だ。ただし、真ん中辺りで縦に割れたのを修復した跡があった。

「私は……平井こよりといいます」

 喋り出した依頼人は二十二、三才に見えた。暗い灰色のジャケットに青い綿のズボン。はっきりした目鼻立ちで笑うと快活な印象を与えるだろうが、俯きがちの瞳には暗い翳りが染みついていた。この世の残虐を目の当たりにした者の瞳。

「社会人になって一年目です。簡単な事務の仕事でしたけれど。大学時代からの婚約者がいて、そのお知り合いがクルーザーを持ってらっしゃったんです。それで、この夏の休暇に、無人島で一泊することになったんです」

「ほほう、クルーザーですか。羨ましい話ですね。こちらは食費にも困る状態でして」

 黒贄が気怠げに言う。同時に彼の腹がキュルルルと鳴った。

「クルーザーってどんな野菜だ」

 スライミー藤橋が興味津々の様子で尋ねる。黒贄が苦笑して答えた。

「違います、クルーザーは野菜ではありません。野菜などの食べ物を保管する機械のことですよ」

 平井は突っ込むべきかどうか迷っているようだったが、結局スルーして話を続けた。

「その無人島なんですが、地図にも載っていなくて知る人ぞ知るといった感じの島らしくて。生首島って呼ばれているそうです。気味の悪い名前とは思いましたけど、その時は楽しみの方が先でした」

「ふむ、あの生首島ですか」

 顎を撫でながら黒贄が頷いた。平井はちょっと驚いたように聞き返す。

「生首島をご存知なんですか」

「いえ、全然知りませんな」

 自信満々に黒贄が答え、平井は絶句した。

「ギャハハハッ馬鹿でー」

 藤橋が弛んだ腹を抱えて笑い出す。平井こよりは流石にムッとしたようで黙って藤橋を睨んだ。

「ひっ」

 平井の視線を受けて藤橋が豹変した。嘲笑から一気に泣き顔へと崩れると、三才児のように泣き喚き始めたのだ。

「ひええええん。ごめんなさいごめんなさーい。うわああああん」

 椅子から転げ落ちた後は平井から少しでも逃げようと壁にへばりつく。藤橋の体がブヨブヨと更に弛んできた。輪郭が崩れて軟体動物のように手足も胴も曲がり出す。頭も頭蓋骨が抜けたみたいにしんなりと垂れ始めた。終いには頭部が胸部にめり込んでいく。

 唖然とする平井に黒贄が説明した。

「いやあ、藤橋さんは気の弱いお方で、ちょっと怒られただけで溶けてしまうんですよ。その代わり切っても突いても死なないのでうちの助手には最適な人材ですが」

「あ、あの……そんな人が、いるん、ですか」

 平井が慎重に尋ねる。

「世界は広いですからね。ほら、藤橋さん、大丈夫ですから泣くのをやめて下さい。話が進みませんよ」

「うわあああん。……。もう、怒ってないの」

 グニャリと頭部の名残りが振り向いて色素の薄くなった瞳が平井を見上げる。

「別に、怒ってません」

 平井がぎこちなく答えた。

「本当に」

「本当です」

「なんだ、泣き損だったぜ。チッ」

 途端にスライミー藤橋は横柄な態度に戻ってパイプ椅子に座り直した。ドロドロだった輪郭も人間の形を取り戻していく。中の水分が漏れたらしく床と壁が濡れている。雨具を普段着にしているのはそういうことらしい。

「さあ、続けなよ大将」

「ええっと、それで、生首島の話でしたね」

 黒贄が先を促した。

「はい。漁師の人達の噂で大体の場所を聞いていて、見つからなければクルーザーの中で一泊するくらいの気持ちで。私と婚約者も含めて、八人が参加して、それっぽい島が見つかったので上陸しました。……私以外、全員殺されました。生首にされて」

「ほほう」

 黒贄が興味を持ったらしく軽く身を乗り出した。

「無人島と思っていたら人がいたんです。三人共、バイクのヘルメットや頭巾や、虎の頭をかぶって顔を隠してました。ブーメランや鎖つきの武器や刀で、笑いながら人を切り刻んでいきました。私の婚約者も私を庇って……彼が助けてくれなかったら、私も死んでいたでしょう」

 平井の声は次第に重く、苦しげなものになっていった。場面を想像したのか藤橋は身震いして、全身がゼリーみたいに揺れる。

「覆面ですか。弱りましたな」

 黒贄が困り顔で顎を撫でる。

「どうかしましたか」

「キャラがかぶってしまいますので。あ、どうぞ、続けて下さい」

「……。クルーザーの運転を少しだけ習っていたので、なんとかエンジンをかけて逃げることが出来ました。後は沿岸警備隊に拾ってもらって。……あれから一ヶ月以上経ちましたけど、今でもあの笑い声が耳にこびりついています。人を殺すことを、心底楽しんでいるような笑い声。毎晩、夢に見るんです。覆面の殺人鬼達に追われて必死になって逃げて……私は、友人や婚約者を見殺しにして一人で逃げてしまうんです。それでも追いつかれて、体を切り刻まれて、悲鳴を上げながら目を覚ますんです」

「ふうむ。それで、警察には相談なさいましたかな」

 黒贄が尋ねた。

「勿論しました。暫くは島が見つからず、沿岸警備隊も協力して、生首島の位置がはっきり分かったのは二週間前です。警備隊の人と警察官が二十六人で上陸して、二十四人殺されました。逃げ延びた二人のうち一人は片腕を失って、もう一人も精神病院に入院しているそうです。それから自衛隊を出動させるかどうかで揉めていたそうですけど、そもそも生首島が日本領なのかという問題があって、そのまま問題が立ち消えになってしまうかも知れないんです」

「なるほど。上陸すると皆殺しにされる謎の島ですか。……まさかとは思いますが、その島では野菜を作ってませんでしたか」

 黒贄が聞きながら藤橋と気まずげな視線を交わす。

「えっ。野菜ですか。多分、作ってなかったと思いますけど」

「その島は太平洋沖だったりしますか。いえ飽くまで念のためですが」

「いえ、日本海側です」

「ああ、なら安心ですな。いえいえこっちの話ですからお構いなく。それで、私に何をお求めですかな」

「復讐……という訳ではありません」

 平井こよりは言った。

「ただ、自分の気持ちに区切りをつけたいんです。あの覆面の殺人鬼達が何者なのか、何のために私の婚約者達を殺したのか、はっきりさせたいんです」

「何の理由もなく他人を殺す人も、この世には沢山いるものですよ」

 黒贄の言葉には実感が篭もっていた。

「そうかも知れません。でも、理由がないならないで、やっぱりきちんと見届けたいんです。それに、婚約者と他の人達の遺体も回収して、ちゃんと埋葬してあげたいし……。探偵さんにはそれを手伝って頂きたいんです」

「分かりました。引き受けましょう」

 黒贄は重々しく頷いて、用心深く値段の交渉に移った。

「報酬は……そうですねえ、さん、いや五万くらいで如何でしょう」

「七万っ」

 横から藤橋がひと声かける。黒贄は迷惑そうな顔をしてみせるが実際は出来レースかも知れない。

「じゃあ間を取って六万円ということで如何ですかな」

 黒贄の提案に平井は頭を下げた。

「その値段でよろしければ、お願いします」

「では契約成立ということで。まずはこのくじを引いて頂けますかな」

 黒贄が机の上の箱を差し出した。穴の中には折り畳んだ紙片が積まれている。

「はあ……」

 戸惑いながらも平井は右手を突っ込んだ。藤橋がプヨプヨした両手をすり合わせて拝む。

「百一番にはなりませんように。百一番にはなりませんように」

「えっ、何ですかそれ」

 平井が手を止めて聞くと、藤橋はまた泣きそうな顔で言った。

「だって百一番の人、恐いもん」

「まあどうぞどうぞ」

 黒贄に促され、平井は仕方なく一枚引いた。藤橋は拝みながら見上げている。黒贄が嬉しそうに紙片を開く。

「四十八番ですな」

「ああ良かった。なんでえ脅かしやがって」

 藤橋は安堵の息をつく。

「あの、これってどういう……」

「ええっと四十八番は、前はグリズリー君でしたが今はどうなってましたかね」

 黒贄が呟きながらポケットから鍵を出して左のドアに歩み寄る。二つの錠を外してドアを開け、奥の部屋の様子が覗けた。平井の顔が強張った。

 壁と棚に様々な道具が飾られていた。剣鉈や植木鋏、金属バットにゴルフクラブ、更には削岩機などもあった。また、一メートル近い長柄のついた巨大な刃が床に突き刺さっていた。一階まで続く分厚い鉄板はこれだったらしい。

 全て、凶器として使用可能な品だった。

 黒贄は室内を暫く漁っていたが、不審げに手ぶらで戻ってきた。

「おかしいですな。見つかりません。もしかするとこっちですかな。……ああ、ありましたよ、四十八番です」

 生首瓶や内臓のある棚を見渡し、黒贄が取り出したのは金色のトロフィーだった。丈五十センチで、地球の上に立つ男の像となっている。右手に幅広の斧、左手に剣鉈を握って大きく振り翳した男。顔はのっぺらぼうに目だけがあった。台座には『第一回世界殺人鬼王決定戦 優勝 黒贄礼太郎』と刻まれている。トロフィーの裏に四十八と書かれた紙が貼ってあった。

「ううむ。大事な品なのですが、選ばれてしまったからには仕方がありませんな」

 黒贄が残念そうにトロフィーを撫でる。

「あ、あの……それ、何に使う……いえ、やっぱりいいです」

 平井は尋ねかけてやめた。何となく分かってしまったのだろう。

「折角ですから出張所の皆さんも参加する気はありますかねえ」

 黒贄が言うと藤橋が面倒臭そうに答えた。

「ああ、あいつらなら畑で踊ってたぜ。恵みの雨だから嬉しいんだろ」

「私を連れていってくれませんか」

 背後の声に平井は振り向いた。入り口ドアのそばに男が立っていた。髪もスーツもびっしょり濡れて床に水溜まりが出来ている。ドアの開く音はしなかったのに、いつの間に入ってきたのか。

「あひぃぇいいっ、で、出たあっ」

 黒贄と藤橋が同時に叫んで部屋の隅に飛んだ。抱き合ってガクガク震えながらずぶ濡れの男から離れようともがいている。ゴグンッ、と壁が陥没した。藤橋の輪郭がまた崩れ始めている。

「草葉さん、入る時はノックをして下さいと、何度も言っておいた筈ですよ。わた、私は別に、あなたを怖がっているんじゃないんですよ。ただだ、あなたが急に入ってきたから、ちょっと驚いただけなんです」

 黒贄は腕に力が入り過ぎ、藤橋の胴を抱き潰してしまっていた。

「すみませんね。私も男同士の抱擁など見たくなかったのですが」

 ずぶ濡れの男はそれから平井の方を向いた。

「初めまして、草葉陰郎という無力な探偵です」

 草葉は三十才くらいに見えた。昔の文学青年のような色白の優男だ。濡れた髪を額にへばりつかせ、俯きがちの陰気な笑みを浮かべている。平井は眉をひそめながら挨拶を返す。

「はあ、初めまして」

「生首島の件は私も参加させて下さい。無報酬で結構です。この三日ほどは雨が続くそうですから。いえ、別に迷惑はかけませんよ。大してお役にも立てませんが。では、出発しましょうか」

 言うだけ言ってしまうと草葉はさっさとドアに向かった。開けもせずドアにぶつかるかと思われたがそのまま幻のようにすり抜けてしまう。

 口を半開きにして平井は黒贄を振り向いた。黒贄は渋い顔で立ち上がる。

「仕方ありませんな。流石の私も幽霊を殺すことは出来ません。藤橋さん、行きますよ」

「ええっ、僕も行くの。そんな恐いとこやだよう。幽霊もやだよう」

 子供言葉で藤橋が駄々をこねる。

「幽霊なんて何も出来ませんから怖がる必要はないですよ。あなたは私の助手なんですから働かないと野菜が食べられませんよ」

 黒贄は自分のことを棚に上げて諭す。

「チェッ。仕方ねえなあ」

 藤橋は黒贄と同じことを言って渋々立ち上がった。

「では、よろしくお願いします」

 平井こよりも立ち上がり、黒贄と一緒に部屋を出た。藤橋は後に続きかけてふと棚を確認した。

 大きなルビーの嵌まった魔王の王冠に、『六十八』と書かれた紙が貼ってあった。

 藤橋は紙を剥がし、依頼人用のベンチに貼り直した。

 

 

  三

 

 翌日午後一時、沿岸警備隊の巡視艇は小雨の中を進んでいた。平井こよりの知人の小型クルーザーは所有者の遺体が未回収で、正式な死亡確認が取れないため使用出来なくなっている。関係者である平井の頼みと八津崎市警察の口利きによって、沿岸警備隊は平井達を生首島へ送ることだけ了承した。依頼人と探偵一行は港近くのビジネスホテルで一泊し、朝食を済ませてから出発した。黒贄は十人分の弁当を平らげ、スライミー藤橋は野菜サラダばかりを注文し、そして草葉陰郎は皆の食事を羨ましげに見守っていた。ちなみに宿泊費と食費は平井持ちだった。

 雲に覆われた空は暗いが海はそれほど荒れておらず、既に位置の判明している生首島へと一直線に進んでいる。平井こよりは雨具をつけてデッキに出た。前方に目を凝らすがまだ島影は見えない。

 船首の縁の上に草葉陰郎が立ち、やはり前を見据えていた。揺れでバランスを崩したり足を滑らせたりすればすぐ海に落ちてしまいそうだが、猫背気味の姿勢は微動だにしない。物理的な影響を受けないのだろう。海の上を走り空を飛ぶことも可能ではなかろうか。陰気な彼がその気になればだが。

 平井は濡れた手摺りを伝って船首へと歩き、後ろから声をかけた。

「草葉さん。何か見えますか」

 いつでもずぶ濡れの草葉陰郎はゆっくり振り向いた。白い顔に髪がへばりついている。

「いえ。前途は闇ばかりです」

 ニコリともせず草葉は言った。平井は鼻白んだが続けて尋ねる。

「草葉さんは、亡くなった人の依頼を受けたりなさるそうですね」

「ええ。それが私の本来の仕事です。現世でお金を貰っても使えませんから」

「あの、私、考えてたんですけど。草葉さんは無報酬でいいって言いましたけど、もしかして、この事件で殺された人から依頼を受けてるんじゃないんですか」

 草葉は表情を変えなかった。少しの沈黙の後に幽霊探偵は答えた。

「少し違います。しかし今あなたに詳細を説明するつもりはありません。探偵としての守秘義務にも関わりますからね」

「そうですか。……でも」

 フードの中にも雨は降り込んでいく。平井こよりの濡れた顔には張り詰めたものがあった。

「草葉さんは死んだ人と話が出来るってことですよね。……私の婚約者、仲根完二っていうんです。仲根さんを呼び出したり、いや、それが無理でもメッセージのやり取りとかは出来ませんか」

「それは出来ません」

 草葉は即答した。

「どうしてですか。全ての死人と話せる訳じゃないってことですか。あの世が天国と地獄に分かれてるとか」

「確かにそういうこともありますが、仲根さんの場合は事情が違います」

「どういうことですか」

「いずれ分かります」

 草葉は陰鬱に平井を見下ろしていた。これ以上伝えるべきことは何もないというように。

「おい依頼人の姉ちゃん、もうじき到着だってよ。弁当食べとかねえか」

 デッキに顔を出したスライミー藤橋が言った。片手に生のゴボウを持っている。平井は振り返って答える。

「いえ、私お腹空いてませんので」

「そうかい。ゴボウは腹持ちがいいんだよな」

 藤橋は嬉しそうに呟きながらゴボウをツルリと丸呑みにした。歯は見せかけだけで、体内に入った食物を何十時間もかけて消化するらしい。

 平井はフッと力の抜けた息を洩らした。船内に引き返そうとするその背に草葉の力ない声が届いた。

「生首島が見えてきました」

 平井の表情が厳しくなった。すぐに船首に戻り前方を見つめる。

 暗い水平線に小さな緑色の点があった。次第にそれは左右に広がっていき、茶色の岩肌も見えてくる。

「苦痛の島ですよ」

「えっ」

 平井は聞き返したが、草葉は何の補足もしなかった。

 島の緑から一際高く突き出た木が見える。他の木と違って妙に黒い。

「あの木……覚えがあります。改めて見ると、あんなに大きかったんだ。烏が沢山留まっていて……」

「今も留まっています。あれは『目』です」

「どういう意味です。誰の目なんですか」

「いずれ分かります」

 草葉は先程と同じ言葉を返した。

 巡視艇は岸から五十メートルほど離れて碇を下ろした。

「悪いがここから先はボートを使ってくれ」

 船長が言った。他の乗組員も不安げな顔をしている。二十名以上が殺戮されたことを知っているのだ。

「ありがとうございました」

 平井は頭を下げる。

「それから、礼服の兄さんはなんだか元気がないが大丈夫かね」

 船長が指差した。黒贄礼太郎は壁に背をもたせて座り、悲しげに金色のトロフィーを撫でている。

「大将は仕方ねえな。ほら、出発だぜ。仕事しないと肉が食えねえんだろ」

 藤橋に促され、黒贄は渋々立ち上がった。

「別に私は凶器を惜しんでいる訳ではないんですよ。凶器は使ってこそ凶器なのですから。ただ、これは記念すべきイベントで頂いた大切なトロフィーなんです。参加者の無念の想いが沢山詰まった……」

「ならくじのリストに入れなきゃ良かったろ。本当にうちの大将は馬鹿だぜ」

 藤橋は平気で魔王に悪態をついていたが、小型ボートへ乗り込む段になると急に尻込みを始めた。

「俺は海は苦手なんだよなー。水分が逃げ出して体が縮んじまう。真水は逆なんだけどな。畜生、転覆とかしねえよな」

「あなた達、いい加減にしてくれませんか」

 草葉陰郎の冷たい一喝で二人は慌ててボートに乗り込んだ。続いて平井が乗り、草葉もゆらりとボートの端に座った。

「気をつけろよ」

 船長が上から手を振った。

「はい。行ってきます」

 平井こよりの声には緊張と決意が漲っていた。黒贄がオールを漕いで岸へと進める。助手の藤橋は何もしない。平井の視線に気づいて彼はお手上げのポーズをした。

「俺の握力は十五キロしかないんだぜ。肉体労働なんて無理さ」

 では何のためにいるのかという突っ込みは皆やめておいた。

 岩場でなく波打ち際にボートを寄せ、黒贄が砂浜まで引き摺り上げた。礼服のズボンが海水に浸かるが既に雨で濡れており気にする様子もない。

 次第に強くなる雨の中、四人は生首島に上陸した。

 平井は用心深く周囲を見回して人影を探る。木々の手前に潰れたテントが残っていた。

「トロフィーの代わりにこれを使うというのはどうでしょう」

 黒贄はアルミ製のオールを持って提案するが誰も返事をしないので諦めてボートに戻した。

「こちらです」

 草葉が先頭に立って森へ入っていく。次に両手でトロフィーを抱えた黒贄、そして「おい大将、この葉っぱ食べられねえかな」などと言いながら藤橋が続く。最後が平井だった。雨のせいで地面がぬかるみ、靴が泥で汚れていく。

「死体が見当たりませんな」

 黒贄が言う。靴や衣服の一部などは落ちていたが確かに死体はなかった。腕や足も見かけない。

「やっぱ食ったんだろ。野菜がねえからそういうことになるんだ」

 藤橋が尤もらしく勝手な解釈をつける。

「烏が食べたのかも知れません。あんなにいるし」

 平井が大木を指差した。島の何処からでも見える高い木は、葉の代わりに何千羽もの烏が留まっている。雨にもかかわらず、葉のある他の木に移ろうとはしない。大部分がこちらに首を向けて見下ろしているようだ。

「食べられてはいません」

 草葉が言った。

「ふむ。では死体はどうなったのですかな。草葉さんはこの島の事情をご存知のようですが」

 黒贄が尋ねるが、草葉は急に立ち止まり別のことを告げた。

「来ます。気をつけて下さい」

「もうですか。流れとしてはもう少し探索の描写も必要では」

 黒贄は訳の分からないことを言う。

「ん。何が来るって」

 草をちぎって食べていた藤橋が顔を上げたところに側面から旋風が襲った。高速回転するブーメラン。反応の遅れた藤橋の首筋を鋼鉄の凶器が通り抜けていく。ドブゥォンという水っぽい音がした。雨具のフードが破れて落ちる。平井が細い悲鳴を上げた。

「ありゃ、ひでえな」

 藤橋の首は肉が波打っただけで傷も残らなかった。屈んでフードの切れ端を拾い上げる。

 雨音に風切り音が混じる。前方から飛んできた鎖が草葉の胸板を素通りした。先端のねじれた刃が黒贄の抱えていたトロフィーにぶつかり高い音を響かせる。

「ああっ傷がっ」

 地球部分についた細い傷を認め黒贄が嘆く。鎖は木々の間に引き戻されていった。

「ケケケ」

「ウヘヘ、ヘヘヘヘ」

 再び聞くこととなった不気味な嘲笑に平井は身を震わせた。前方に人影が二つ浮かび上がる。四十メートル近い距離があったが、向こうは充分届く武器を持っている。

 浴衣姿に黒頭巾をかぶった小男は、鎖を頭上で振り回して半径一メートルの円を描いていた。凄まじい回転速度で全て弾いているため、男の立つ場所だけ雨が落ちない。

 繋ぎの作業着に黒いフルフェイスヘルメットをかぶった男は七十センチほどのブーメランを右手に持っていた。二メートル近い長身に細長い手足。両掌に細い鎖を巻きつけている。

 平井こよりが二人の怪人を指差して叫んだ。

「あれです。あいつらが皆を……」

「オヒャヒャーッ」

 そばの木陰から突然飛び出した三人目の襲撃者が狂笑を轟かせた。隆々とした裸の上半身に剥製らしき虎の頭をかぶった男。大きく振り上げた両腕に蛮刀とサーベルが握られていた。

「アヒイィッ、お助けええっ」

 藤橋が甲高い悲鳴を上げてバンザイする。その両肩に二枚の刃が打ち込まれた。

「ヒャヒャ、オヒャヒャ」

「ごめんなさい助けて下さい全部僕が悪いんですごめんなさいごめんなさい謝ります」

 刃は泥を斬るような抵抗を残し脇腹から抜けるが藤橋の両腕は落ちず雨具が裂けるだけだ。

「許して下さいごめんなさいごめんなさい」

「オヒャヒャ、ヒャヒャッ」

 土下座まで始めた藤橋を延々と刃が切り刻む。勢いで藤橋の頭頂部からゴボウが顔を出した。消化力が弱いためまだ殆ど溶けていない。

 斬撃が無駄なことに気づいたか、虎頭が別の獲物を探すように平井の方を向いた。目の空洞には闇が覗く。立ち竦んでいた平井こよりの瞳に、次第に赤い憎悪が滲んでいく。

 黒贄が襲撃者に声をかけた。

「まあまあ落ち着いて下さい。まずは話し合おうではありませんか。私は平和主義者ですから不毛な争いは好みません。何しろこのトロフィーは記念すべき第一回おっと」

 右からブーメランが迫っていた。黒贄は身を屈めて躱すが背中に別の凶器が突き刺さる。鎖つきの刃。

「おりょ」

 ズポンと円柱型にくり抜かれて背中の肉が去っていく。後ろに気を取られた黒贄に虎頭がサーベルで斬りかかった。

 パキーン、と硬い音がして金色の何かが飛んだ。

「ああ、ああぁぁ」

 黒贄の口から絶望の声が洩れた。

 ぬかるんだ地面に落ちたのはトロフィーの小さな部品だった。幅広の斧を持った右腕。上腕半ばで折れている。黒贄の体勢が崩れたためサーベルの狙いが逸れたのだ。

「ぁぁぁあああ」

「オヒャヒャヒャ」

 黒贄の嘆声が次第に大きくなってくる。虎頭の男が笑いながら蛮刀を振り下ろした。濡れた刃が礼服を裂いて左肩から鳩尾へ割っていく。

「あああああああっ」

 黒贄の怒りに満ちた叫びが島を揺るがせた。

 蛮刀が宙を飛んだ。それを握る太い右腕と共に。上腕半ばでちぎれた断端は醜く潰れている。刃物でなく鈍器による傷。黒贄が両手で握ったトロフィーを叩きつけたのだ。草葉陰郎が陰気な微笑を浮かべていた。

「オヒャッ」

 虎頭は怯まなかった。左手のサーベルを黒贄の胸に突き込んでくる。黒贄がトロフィーで叩き落そうとするが、刃はすり抜けて左胸から背中まで貫通した。すぐに抉られ、本来なら心臓が破壊された筈だが黒贄の動きは止まらない。

「このトロフィーはあああっ」

 お返しとばかりに突き出したトロフィーが虎男の裸の胸にめり込んだ。バギャメギャと肉と骨をぶち破る音に、パキンと金属の折れる音が混じった。

 トロフィーの先端が虎男の背中から抜けた。地球の上に立つ男の像は剣鉈の左手も折れていた。虎頭が黒贄の胸からサーベルを抜こうとしているが物凄い筋力で締めつけているらしく微動だにしない。

「大切なあああああ」

 黒贄が右のスニーカーで虎男の裸足の左足を踏みつけ、トロフィーを真上に持ち上げた。足を踏まれているため体は持ち上がらず、ブチゴギュと胸から首まで裂けていく。

「オヒャブブッ」

 虎男の頭部はちぎれながら最後に不様な声を洩らした。右側の皮と薄い筋肉だけでなんとか繋がった状態で、背中へひっくり返ってブラブラ揺れる。虎男の手足が二、三度大きく痙攣し、胸の裂け目から血を流しながら仰向けに倒れた。その拍子に頭部はちぎれてぬかるみを転がった。

「記念品なんだああああっ」

 黒贄は怒っていたが極端に吊り上がった口角は笑っているようにも見えた。左胸にはサーベルが刺さったままだ。金色のトロフィーは血肉に塗れ、殺人鬼像の両腕は欠けている。

「ごめんなさいもうしません全部私が悪いんです許して下さい助けて下さい」

 藤橋はまだ土下座で謝り続けていた。

 黒贄の背中に新たな凶器が突き刺さった。湾曲した鋼鉄のブーメランだがこちらは全長四十センチほどとやや小型のものだ。右肩甲骨を砕き肺を破って右胸から先端が顔を出している。

「それはね、凶器は使ってこそ凶器だというのは分かりますよ」

 黒贄は声のトーンを落としてゆっくりと振り向いた。そこに大型のブーメランが雨粒を散らしながら迫る。黒贄は血みどろのトロフィーを振って弾き飛ばした。ガギンとまた部品が落ちる。地球の上に立つ殺人鬼像は上半身がなくなっていた。

「ケケ、ケケッケケ」

 四十メートルの距離を保ったまま、風切り音をさせて黒頭巾の小男が鎖を回している。仲間の死にも動揺はないようだ。だが小男の横にフルメットのブーメラン使いがいない。

「ウヘヘッ」

 いつの間に忍び寄ったか、黒贄達から七、八メートルほど離れた木の枝から長身のフルメットが飛びかかってきた。空中で小型ブーメランを投げながら、黒贄に弾かれた大型ブーメランを受け止めるという絶技を見せる。

「ただですねえ、もう少し凶器に対する優しさというか敬意というか……」

 喋っている間に小型ブーメランは黒贄の右脇腹を切り裂いていき、ひっそり佇む草葉陰郎を素通りしていった。黒贄の腹から腸が零れ出す。既に礼服は大量の血で染まっていた。

「ヘヘヘ」

 フルメットが黒贄へと落ちながら大型ブーメランを剣のように振り下ろす。迎え撃とうと踏み込んだ黒贄の右太股を鎖つきの刃が貫いた。

「ケケケケッ」

 小男の笑い声。しかし黒贄のスピードは緩まない。鋼鉄のブーメランと金色のトロフィー、二つの凶器が交錯する。

 黒贄の右肩に食い込んだブーメランは、先に刺さっていた小型のブーメランにぶつかって停止した。

「凶器を大事にいっ」

 掬い上げたトロフィーがフルメットの股間を直撃した。ゴキャメヂャと凄い音をさせて骨盤が潰れ、ちぎれた下半身が高く飛んでいく。

「ウヘッ」

 フルメットの上半身はその場で後方宙返りを繰り返した。ブーメランを離した両腕は数ヶ所でグニャグニャに折れ、はみ出した腸と一緒に回っている。

「凶器に愛をっ」

 黒贄が大上段からトロフィーを打ち下ろした。フルメットを胸まで陥没させ、襲撃者の上半身は回転をやめ真下に叩きつけられる。ぬかるんだ地面を二メートルもバウンドした。金色の部品が飛んだ。殺人鬼像の下半身。大事なトロフィーは台座と地球だけになってしまった。

「ケケケ」

 黒頭巾は鎖を自分の腕に巻いて懸命に引っ張っているが、黒贄はびくともせず刃も抜けなかった。逆に黒贄が右太股を素早く後ろに引くと、あっけなく小男が飛んできた。四十メートルの距離をノーバウンドで。

「ケケケケ」

 黒頭巾の笑い声がやってくる。黒贄はトロフィーを野球のバットのように水平に振りかぶった。さっきバウンドしたフルメットの上半身が落ちてくる。

 フルメットの上半身と飛んできた黒頭巾の体が、黒贄の目の前でぶつかり合い一つになった。奇跡のようなタイミングだった。

「凶器バンザイッ」

 黒贄の超高速スイングが二つの肉体を破裂させた。手足も内臓も頭巾もバラバラになって飛び散っていく。黒頭巾の腕は巻きつけた鎖がピンと張り、肘部分でちぎれて上腕だけ彼方に飛んでいった。

 破裂したものがもう一つあった。黒贄の握るトロフィーは地球部分が跡形もなくなり、とうとう台座だけになっていた。

 三人の襲撃者は始末された。黒贄は狂気の笑みを留めたまま辺りを見回した。スライミー藤橋がまだ土下座で謝り続けている。

「ごめんなさい全部僕が悪いんです許して下さいうええん許してええ」

「凶器を大事にっ」

 黒贄が早速駆け戻って藤橋の頭に台座を振り下ろした。

「ぶべっごめんなさい許して下さい」

「凶器を大事に凶器を大事に凶器を大事に」

「ごめんなさい許して下さいごめんなさい許して下さい」

 ベチャリボチャリと黒贄が叩き続け、藤橋はひしゃげたり戻ったりを繰り返しながらひたすら謝り続ける。平井こよりは呆然とそれを見守っている。

 無意味なやり取りが三十回ほど繰り返された頃、草葉陰郎が溜め息混じりに告げた。

「ああぁ、あのー、それ味方です」

「あっ本当だ」

 黒贄と藤橋が互いの顔を見合わせて同時に同じことを言った。

 一段落ついた四人は雨の中、改めて襲撃者達の残骸を見渡した。胸部が裂け、首のちぎれた虎頭。潰れたフルメットは肉片と絡まり、黒頭巾は木の枝に引っ掛かっていた。

 黒贄は大小二本のブーメランが突き刺さったままで、左肩から鳩尾まで切り込まれた傷は動くたびに開いて肺や心臓の断面を晒す。流れ出す大量の血はすぐに雨で薄められていく。

「黒贄さん、大丈夫ですか」

 平井が尋ねた。

「大丈夫です。人間、根性さえあれば意外に生きていけるものですよ」

「大将のは根性とは違うと思うけどな」

 さっきまでの平謝りは何処へやら、藤橋は口笛でも吹き始めそうな余裕を見せている。雨具の上着はズタズタで、でっぷりした上半身を露出させていた。頭からはみ出したゴボウは押し戻している。

「でも、これで終わりました……。仲根さん達の仇を取ることが出来て。ありがとうございました」

 平井は濡れた手で頬の雨粒を拭った。もしかすると涙だったのかも知れない。

 だが草葉が首を振って告げた。

「残念ながらまだ終わっていません。彼らの頭を確認してみて下さい。ちょっとしたことが分かります」

「ふうむ。私も感触で気になってましたが」

 黒贄は大切なトロフィーの台座をあっさり放り捨て、太股に繋がる鎖を引き摺りながら虎頭の生首へ歩いた。拾い上げて虎の口を開き、中を覗き込む。

「なるほど。ちょっとしたことが分かりました」

「どうしたんですか」

 平井が問う。

「頭がありません。覆面の中は空っぽですな」

 黒贄が虎頭を両手で挟むとあっけなくペシャリと潰れた。首の肉が落ちるが顎から上は出てこない。

「へえ、そりゃ確かにちょっとしたもんだぜ」

 藤橋が尤もらしく頷いてみせる。黒贄は離れた木へ歩き、枝に掛かっていた黒頭巾を手に取った。ひっくり返すがやはり空っぽだ。

「ど、どういうことなんです。この人達、どうなってるんですか」

 平井は訳が分からないという顔をする。

「首がないのはまあたまにあることですからいいんですが、私はそれよりもっと大きな疑問があります」

 黒贄が眉をひそめ顎を撫でる。

「この人達は口がないのにどうやって笑っていたんでしょうね」

「いえそんなことよりも問題は」

 草葉が昏い瞳で言った。

「目がないのにどうやって私達を認識していたかということです。あれが彼らにとっての目です」

 草葉が指差したのはやはり無数の烏が留まる大木だった。

「ははあ、随分沢山目をお持ちですな」

「あれらはあの木から離れることが出来ません。そのため多数の目を揃え、あの高所から島の全域が観察出来るようにあらゆる方向に向けているのです。目が得た情報を元に遠隔操作しているのですが、本体から分離して結界の外で動かせる端末はご覧の通り三体程度となります」

「本体って……本体って何なんですか」

 平井が聞いた。顔にへばりついた前髪を直しもせず草葉が答えた。

「お教えします。狂頭杯です」

「ほう、あの狂頭杯ですか」

 黒贄がいかにもな顔で頷いてみせる。誰も何も言わないので黒贄が咳払いした。仕方なく藤橋が尋ねる。

「大将は狂頭杯を知ってたのかい」

「いえ、それが全く知りませんな」

 草葉が表情を変えずに続ける。

「狂頭杯はあの木の下にあります。これから向かいますから歩きながら説明します」

「ではちょっとだけお待ち下さい。次の凶器を準備しますから。丁度材料も揃ってますし」

 黒贄が太股から鎖つき刃を引き抜いた。グボッと嫌な音がして肉が抉れる。四十メートル以上ある鎖を手繰り寄せ、ついてきた小男の腕を捨てた。自分の体に突き刺さっていた大小のブーメランを抜いて、片方の端付近を摘まむ。鋼鉄の刃があっさりひん曲がりくびれが出来た。そこに鎖を巻きつける。更にサーベルの柄にも巻きつけ、ぬかるみに落ちていた蛮刀も拾って柄に鎖を巻いた。

 先端にねじれた刃があり、大小の鋼鉄製ブーメランとサーベルと蛮刀が続く、異様な鎖凶器が誕生した。

「では、行きますか」

 嬉しそうに黒贄が言った。

 四人は不気味な大木に向かって歩き出した。草葉が先導するが既に目標は見えている。藤橋は小男が着ていた浴衣を剥ぎ取って使っていた。破れているが裸よりはましだろう。黒贄は凶器の連なる片方の端を背負い、鎖の残り部分は束にして左手で持つ。

 草葉が説明を再開した。

「狂頭杯とは魔術武器の中でも非常にマイナーなものの一つです。杯を中心にした結界に生き物の頭部を配置しておけば、首から下の部分を自在に操れるようになります。骨格と筋肉を分解して再構成し、巨大な一体の怪物を作ることが多いそうです」

「ふうむ。前に似たようなことをやってる方がいましたなあ。ゾンビ使いで、死体を繋ぎ合わせて大きな肉饅頭を作っていた方が。思い出したらなんだかお腹が空いてきましたよ」

 黒贄が腸の垂れた腹をさする。

 大木に近づいてきている。元々そんなに広い島ではない。大木の丈は四十メートル近く、幹の幅も数メートルはありそうだ。枝から見下ろす無数の烏。

「ゾンビと違って肉は腐敗せず、生の潜在能力を百パーセント発揮することが出来ます。狂頭杯の欠点は、組み上げた肉の本体が結界の内部に留まっていなければならないということです。そのため攻撃手段としてよりも、拠点防御などに使われることが多かったそうです」

 後ろの平井が草葉に問う。

「私は魔術のことは良く分かりませんけれど、そういう術を使った人がいるということですよね。その人があの首のない男達を操って皆を殺した、全ての黒幕ということですか」

「少し違います。術者は狂頭杯の実験をしていたのですが……伏せて下さい」

 やる気のない警告に少し遅れて銃声が鳴った。木の幹に当たったらしいがもしかすると草葉を貫通したのかも知れない。平井は一瞬身を竦ませるがすぐにぬかるみに伏せた。慌てて黒贄と藤橋も伏せる。

「あなたは別に伏せなくてもいいのでは」

 草葉に指摘され、黒贄は照れ笑いしながら立ち上がる。

「いやあ、確かにそうですねあっはっはっ」

 その黒贄の首筋と胸に小さな銃創が開いた。草葉が告げる。

「彼らが決して頭を狙わないことに気づいていましたか。まだ材料を集めるつもりなのです」

「ハハ、ギョハハハ」

 狂ったような笑い声が聞こえてきた。一行は大木の根元が見えるくらいに近づいていたが、警官の制服を着た男が守護者のように立ち塞がっている。両手にリボルバー式の拳銃を構え、予備を何挺もベルトに差していた。上陸した警官から奪ったものだろう。この体も含めて。

 拳銃使いの首から上を見て、黒贄の顔が驚愕と敗北感に歪んだ。

「これは、こんな仮面は……流石の私も……」

「ゲハハハハ、ハハッ」

 警官の頭部はビーチボールだった。赤白黄色の縦縞模様でしっかり膨らんだ表面を雨が伝っていく。顔であることを完全に放棄した載せ物。

「あんな斬新な仮面に私はどうやって対抗すればいいのでしょう」

「仮面に対抗するより拳銃をなんとかすべきではないですか」

 嘆く黒贄に草葉が冷静な突っ込みを入れた。絶え間ない銃撃が黒贄の体に穴を追加していく。黒贄にとっては何の意味もないが、流れ弾が依頼人に当たる危険もあった。

「そうですね。仮面も大事ですが凶器も重要ですからね。では伏せていて下さい」

 黒贄が鎖を振り回し始めた。ブーメランや蛮刀がぶつかり合い雑な金属音を発するが、頭上で水平に回すうちに響きが高く、なめらかになっていく。鎖と凶器が同心円状の残像と化した。

「ギョハッ、ゲハハハッ」

 弾が空になるとビーチボール警官は拳銃を放り捨て、ベルトから次の拳銃を抜いて撃ち続ける。

 黒贄が少しずつ鎖を伸ばして半径を拡大していく。周囲の葉が散り木の枝が落ちる。黒贄は本来の微笑を赤い愉悦に変えていった。

「ホッ」

 短い呼気と共に黒贄が鎖を投げた。ねじれた刃とブーメラン二本とサーベルと蛮刀が一連の凶器となって長い距離を飛ぶ。避ける暇も与えず警官へ。

 凶器はビーチボールの上を過ぎた。草葉が「おや」と呟いた。

 鎖で繋がった凶器達は向こうにそびえる大木に激突した。いや、幹をこそぎ取った、と表現すべきか。一メートル近い木片が外れて飛んでいく。

「ハハハ、ゲハハッ」

 警官が発砲を続ける。黒贄の額と左頬に穴が開く。方針を切り替えて生首の回収より本拠地の保護を優先したのか。

 だが黒贄は倒れない。引き戻した鎖凶器にスピードを乗せて再び投擲した。進路上の雨粒を霧散させ凶器の列が飛ぶ。

 バゴォンと凄い音をさせて大木の幹が爆ぜた。弾け飛んだ巨大な破片が別の木をぶち倒す。衝撃が地響きとなり大木の枝が揺れた。烏が幾つか落ちてくる。

 幅数メートルの幹が芯まで抉れていた。嫌な軋みがひどくなる。

「倒れるぞー」

 黒贄が楽しげに声を上げた。数千羽の烏を枝に留まらせたまま、四十メートルの巨大な木が少しずつ傾いていく。

「こちらに倒れてきます。依頼人が潰れてしまいますよ」

 慌てたふうもなく草葉が指摘する。

「そう言われるとそんな気もしますね」

 黒贄が戻ってきた鎖凶器を再び頭上で回して加速させた。高い破裂音は音速突破を示すソニックブームか。四十メートルの巨木は四十五度の角度まで迫っていた。

 三度目の投擲は黒贄の手元以外霞んで見えた。ドグァバンとまた派手な音をさせて木片が散り、枝から外れた烏もパラパラと落ちてくる。

 倒れくる大木が大きく左にずれていた。何十トンあるか分からない塊を黒贄は一撃で押しやったのだ。左の林に大木は落ちた。下敷きになった木々が折れ、倒れていく。

「ギョハッ、ギョハハハ」

 ビーチボール警官はまだ発砲を続けていた。しかし目となる烏を失ったため急に狙いが狂い出す。撃ち尽くしては次の拳銃に切り替えることを何度も繰り返し、とうとう全ての拳銃を使い切った。

「ハハハハッ、ゲハハハ」

 虚しい笑い声を捨て台詞に、警官は背を向けて逃げようとした。黒贄が鎖凶器を投げてあっさり警官の胴を破裂させた。小型のブーメランの端が掠ってビーチボールが破れた。

 平井こよりは立ち上がり、泥塗れになった雨具を見下ろした。どうにもひどい格好だ。雨が少しずつ泥を洗い落としていく。

「何だこりゃ。腐ってくぜ」

 藤橋が外れた烏の一羽を摘まみ上げた。首を持ったのだが簡単に胴体がちぎれてしまう。まるで元々切断してあったように。地面に残った体の厚みは失われ、羽根が腐液をへばりつかせ抜けていく。頭部も眼球がはみ出してみるみる溶けていった。

 草葉が説明した。

「頭部が結界から出てしまいましたから、本来あるべき状態に戻ったのです。枝は地下にある結界の範囲一杯に広がっていました。狂頭杯のネックは感覚器なのです。目や耳は頭部にあり、それらが得た情報を狂頭杯が享受することは出来ますが、狂頭杯が首から上の要素をコントロールすることは出来ません。眼球を取り外せば機能しなくなりますし、頭部を結界の外に持ち出してはこの烏のようにすぐ腐敗してしまいます。術者自身が感覚対策の術を用意していれば別ですがね。ちなみに烏達は羽ばたくための筋肉も全て本体の材料に使われ、頭部を支えて向きを変えさせるだけの殆ど剥製のようなものです」

「ははあ、なんだか難しくて良く分かりませんが、取り敢えずお目当てはその地下にあるということなんですね」

 黒贄が大木を指差した。折れ残った部分、太い根の絡み合うところに人が通れそうな隙間がある。その奥は闇だった。

「まあ、そういうことです」

 草葉が頷いた。

「では、仮面を決めてしまいましょうか。ビーチボールにも対抗出来そうなものを……」

 黒贄は周囲を見回すが、木々と腐った烏の残骸と拳銃と警官のバラバラ死体くらいしかない。

 と、黒贄は警官の足が履いていた長靴に目を留めた。泥で汚れた黒い長靴。

「やはり、本家のプライドを保つためには思いきった選択も必要ですよね」

「へえ、うちの大将は本家だったのか」

 藤橋が妙に感心している。黒贄は警官の足から長靴を脱がせた。脛に当たる部分にサーベルの先端で三つの切れ目を入れる。両目と口のための穴。長靴の太さは到底人間の頭が入るようなものではないが、ゴム製なのである程度の柔軟性は期待出来るかも知れない。

 黒贄はまだかぶらず、切れ目を入れた長靴を左手に持って進み出した。

「次は奇声を決めましょう。ハから行きましょうか。ハニョマー、ハニャーン、ハニョーン、あれっこれは何処かで聞いたような気がしますから駄目ですな」

「穴ん中はきっと真っ暗だぜ。怖えよなあ」

 藤橋が体をプルプル震わせる。草葉が見てきたように訂正した。

「いえ、内部は魔術で点されたランプがありますから明るいですよ。後七、八年は光が持つそうです」

「ハニョハニョー、ハニョメルメー、ハニャホニョー」

 黒贄は奇声を吟味しながらすんなり隙間をくぐった。奥からの攻撃はない。

「あなたはここで待っていた方がいいかも知れません」

 草葉が平井こよりに告げた。

「危険だからですか。でも折角ここまで来たんですから……」

「それもありますが、問題は別です。私の話で気がつきませんでしたか。操れる肉体は生身で、狂頭杯は首から上は支配出来ないんです」

 草葉は平井の心を探るように上目遣いで見据えていた。思案顔だった平井が急に目を見開いた。

「つまり、生きているということですか。仲根さんも、まだ生きて……」

 平井こよりは駆け出していた。藤橋を追い抜いて木の根の隙間をくぐる。薄暗い穴は斜め下に続いている。黒贄は十メートルほど先を歩いていた。

「決まりました。ハニャホニャポーです」

 平井が急に停止した。濡れた顔と首筋に鳥肌が立っている。お気楽だった黒贄の雰囲気が変質したことに彼女は気づいたのだ。

 先に光が見える。黒贄はその中へと消えた。

「な、仲根さん……」

 平井は勇気を奮い起こすように拳を握り締め、震える足でねじくれた穴を下りていった。フードを下ろして湿った髪が露わになる。

 光。平井こよりは眩しさに目を細め、手を額の前に翳した。沢山の人の話し声がする。大きな重量が地面を擦る音も。

 

 

  四

 

 地下空間は生首に囲まれていた。中央には巨大な怪物が今にも襲ってきそうな体勢で黒贄礼太郎と対峙している。

 洞窟は径四十メートルほどのドーム型で壁はなめらかに削られていた。一定間隔でランプが掛かっている。球形のガラス内部で炎が点っているが燃料タンクは見当たらない。平らな地面に赤い線で大きな幾何学図形が描かれている。それは洞窟の広さギリギリまで広がり、真円となった外縁は一際太い線になっていた。狂頭杯の結界になっているのだろう。

 結界の縁近くに、凄まじい数の生首が並んでいた。いつの間にか集めたのか、千人分を超えるのではないか。人間だけでなく犬や猫、熊の生首もあった。烏や鳩、雀や鼠の小さな生首もあった。更には鮫の頭部、そして鯨の巨大な頭もあった。それらが全て目をギョロつかせ、歯を剥いて大声で叫んでいるのだ。肺がないのにどうやって声が出せるのか。いやそもそも首だけでどうして生きていられるのか。

「殺せええ、ぶち殺せ。俺達と同じにしろおっ」

 中年の男の生首が憎悪に顔を歪めていた。

「痛い、苦しい、僕を殺してくれえ」

 若い男の生首が辛そうに叫んでいる。

「助けて、助けて、お願い」

 女の生首が泣き腫らした目で哀願していた。

 犬はギャンギャン切なげに鳴いている。多くの生首が思い思いに憎悪や苦痛や絶望を吐き出していた。怨念の洪水に平井は後ずさりしかける。

 傍らに立つ草葉陰郎が言った。

「正確には一度死んで、脳が腐敗する前に結界内に持ち込まれ蘇生させられたのです。二十六年かけて集められ、動物も含めると千二百十七体。その中には私達を襲撃した体の持ち主もいます。彼ら自身の意志とは関係ありませんが」

 しかし、上陸した人々を襲う行為に、本当に生首達の意志が関係ないといえるだろうか。怨念に満ち満ちた彼らの顔、顔、顔。自分だけがこの苦痛を味わうのは耐えられない、一人でも多く道連れが欲しいと彼らの顔は語っていた。

 スライミー藤橋は洞窟内を覗いてすぐに悲鳴を上げながら逃げ去っていった。

 結界の中央に立つ巨大な怪物はとぐろを巻いた蛇に似ていた。腹側に無数の足が並んでいるため百足の方かも知れない。幅は二メートルほど、体を真っ直ぐに伸ばせば全長は数十メートルになるだろう。表面は人間の皮膚で覆われ、ヌメヌメと湿っている。たまに指や臍と思われる部分や動物の毛皮の部分もあった。足は節足動物のそれではなく、先端は剥き出しの骨が数本まとまって爪のようになっている。

 長大な体の先端に頭部はなく、やはり骨で構成した無数の牙が密集していた。それぞれの根元に筋肉がついており牙が蠢いている。食べるのではなく八つ裂きにするための機構だろう。

 これが、狂頭杯で組み上げた本体であった。

「始めましょうか」

 黒贄が静かに告げ、長靴を逆さにして頭にかぶろうとした。爪先側を前に、踵側を後ろにして。やはり口径が合わず、無理矢理入れようと引き伸ばすうちビリリッと踵側の端が破れていく。

 丈の半ばほどまで裂け目が出来たが、黒贄は逆さにした長靴になんとか頭を押し込んだ。靴の爪先部分が擬似リーゼントを形作っている。中で鼻が潰れているだろう、顔の部分は凹凸がなくなり、三つの歪んだスリットが開いているが口の位置は少しずれていた。

 両目のスリットから虚無が覗いていた。散大しきった瞳孔の深い闇の奥には、人間の感情も、いや殺人の悦楽すらも、何も、なかった。

 ガリガリと骨の先で土を引っ掻いて巨大百足が動いた。正面からの体当たりで無数の骨の牙が黒贄を襲う。黒贄は棒立ちのまま吹き飛ばされた。洞窟の壁に叩きつけられずり落ちる。既にズタズタだった体に数十の新たな傷が加えられ、折れた骨牙が何本か刺さっていた。生首達の一部は「ざまあみろ」と叫ぶ。百足に目はないが、生首達の目がその役割を担っている。

 両足を地面につけた黒贄は何事もなかったように歩き出した。歪んだスリットから気の抜けた声が洩れた。

「ハニャホニャポー」

 生首達が静まり返った。巨大百足が震えたように見えたのは気のせいか。草葉陰郎は陰気な微笑を浮かべた。平井こよりが唾を呑む。彼女は、覆面の魔人達への復讐を覆面の化け物に依頼してしまったのだ。

 黒贄が鎖を振り回し始めた。ジャラジャラという響きがビュルルーへと変わる。半径一メートル半のコンパクトな円を描き、大小のブーメランやサーベルや蛮刀が残像を一周させる。

「ハニャホニャポー」

 黒贄が鎖を投擲した。巨大百足は鎌首をもたげるような姿勢だったが、その晒した腹部が爆発した。皮膚が破れみっしり詰まった筋肉が飛び散り内臓が零れ出る。心臓らしきものも幾つかあった。千人分以上の内臓。

「死だ。死が来たぞ」

 置かれた生首の一つが低く呟いた。

 巨大百足は再び突進してきた。黒贄は緩やかにサイドステップしながら、引き戻した鎖凶器を前面で垂直回転させる。一種のバリヤーだ。

「ハニャホニャポー」

 プロペラに巻き込まれた渡り鳥のように巨大百足の鼻面が爆ぜた。骨牙の破片が肉と一緒に散る。巨大百足は身をくねらせてもがくが怪物に痛みがあるかは分からない。

 と、黒贄の腹を破って太い触手が飛び出した。百足から何十本も尾が伸びて静かに地面を這い、奇襲のチャンスを窺っていたのだ。背中から貫いた尾は黒贄の腸や肝臓を溢れさせる。

「ハニャホニャポー」

 黒贄が鎖凶器を後ろへ無造作に振った。太い尾が蛮刀で断ち切られブーメランに潰された。

「ハニャホニャポー」

 黒贄が鎖凶器を投げる。再び百足の巨体に穴が開く。百足が触手の尾をまとめて叩きつけてくる。黒贄が左へ飛ばされるが空中で投げた鎖凶器が十本近い尾を潰した。壁を蹴って百足の正面に着地し、再び鎖を振り回す。

 生首達がまた騒いでいた。「殺せ」と叫ぶ者もいれば「死なせてくれ」と泣く者もいる。狂ったような笑い声を上げる者もいた。覆面達の不気味な笑い声は生首由来だったのだろうか。

 巨獣と魔物の対決の最中、平井こよりは結界の縁寄りに並ぶ無数の生首を見回していた。そのうち若い男の生首を認めて身を震わせる。

 「ぶち殺せっ首を落とせえっ」と罵り散らしている生首の名を彼女は呼んだ。

「仲根さん……」

 男の生首が気づいた。首は動かせないので目だけを平井の方へ向ける。

 近づいてくるかつての婚約者の姿に、仲根完二が示したのは感激でなかった。

「こよりいいいっ。貴様っ俺を見殺しにしやがってええっ」

 仲根の顔は、燃え盛る憎悪で鬼の形相と化していた。

「えっ」

 平井は凍りついた。

「俺を見捨てて逃げやがったっ。俺が、こんなになったのはお前のせいだっ」

「で、でも……仲根さんが私に『逃げろ』って……」

「それでも俺を庇うのが婚約者の務めだろうがっ。それをお前は一人で逃げやがったんだっ」

 仲根の醜く歪んだ顔に深い皺が刻まれている。近くには一緒に島に上陸した仲間達の生首もあった。「平井、お前だけ逃げた。お前だけ逃げた」と邪悪な罵声を浴びせる。

 平井はよろめくように、それでも仲根の生首へと歩み寄った。仲根は叫び続けた。

「俺が首だけになってこんなに苦しんでいるのに、お前は五体満足で今頃のうのうと現れやがって。俺の苦痛の十分の一でも味わってみやがれ。いやお前も同じ目に遭うべきなんだ。首だけになって俺の横に並びやがれ。あははははっ。くたばれこより、くたばれくたばれくたばれ……」

 仲根の罵倒がやんだ。

 平井こよりは仲根の生首を拾い上げ、抱き締めていた。雨粒とは異なる透明な液体が彼女の頬から仲根の額に落ちた。

「ごめんなさい」

 平井こよりは言った。

「ごめんなさい。私のせいで、こんなことになって。私が代わりに捕まっていれば、あなたをこんなに苦しめることもなかったのに……ごめんなさい」

 沈黙する仲根の生首を代弁するかのように、元仲間の生首達が勝手なことを喚く。

「そうだ平井、お前がこうなれば良かったんだ。私らの代わりに捕まれば良かったんだ。今からでも仲間入りしろ」

「黙れっ」

 仲間を怒鳴りつけたのは仲根自身だった。

「畜生。畜生……お前に、そんなことを言われたら、憎めなくなるじゃないか。畜生……」

 鬼の形相はやがて泣き顔に変わり、彼は苦い声を絞り出した。

「馬鹿野郎……こより、謝るなよ。益々俺が惨めになる。苦しかったんだ。お前のせいじゃない……ただ、苦しかっただけなんだ。苦しくて、誰でもいいから憎む相手が欲しかった、だけなんだ」

「仲根さん……」

「こんな情けなくて、醜い俺を、君に見られたくなかった。君を守り抜いて死んだ、かっこいい俺として覚えていて欲しかった。早くここから逃げろ。二度とこんな島に来るな。俺のことなど忘れて幸せになってくれ。早くっ」

「仲根さん。大丈夫よ。強い人を連れてきたから、きっと仲根さんも解放してあげられる」

 涙でグシャグシャになった平井こよりに、冷水を浴びせるように草葉が告げた。

「それが、状況は一進一退というところです」

 他の生首の罵声に混じって時折破壊音が響く。平井はそこで二人だけの世界から地獄の洞窟へと戻って顔を上げた。

「ハニャホニャポー」

 黒贄が奇声を発して鎖で結んだ凶器を叩きつける。巨大百足の体に大穴が開く。だが数分は戦っている筈なのに傷が少ないのは何故か。百足の尾は太さと数を増して次々と黒贄に打ちかかる。

「ハニャホニャポー」

 黒贄が鎖を振り回して撃退するが一部の攻撃は食らってしまう。胴は皮膚が全開状態で内臓の半分ほどが外に垂れ下がっていた。左膝が不安定にグラグラしている。逆さ長靴の爪先や側面にも傷が出来、底部分には何本か骨が刺さっていた。

 地面を芋虫のように這う肉片に気づき、平井は目を瞠った。黒贄がぶち破り飛散させた百足の肉と骨が独りでに本体へと戻っていくのだ。開いた穴を肉が再び塞ぎ、または蠢く尾に回収されて太さを増す。

「方法が徹底的に間違っています。狂頭杯が組み上げた怪物を叩いていても埒が明きません」

 草葉が指差した先を平井は目で追った。

 地面に描かれた幾何学図形の中心、即ち結界の中心に土を盛って固めたテーブルがあった。

 そこに不気味な器が載っていた。高さ三十センチ、幅四十センチほどの金属製……酸化して表面の曇った銀かも知れない。大まかな形状としては中間部のくびれた上下対称で、そのくびれ部分から三角形の板が生えて水平に並んでいる。花のがく片のように、或いは回転鋸のように。器の表面に施された精緻な彫刻は、上半分は人間の顔が埋め尽くし、下半分には胴や手足が積み重なっているというものだ。器の中に赤いドロリとした液体が入っている。誰かの血液か。

 これが狂頭杯だった。最初の時点で見えなかったのは巨大百足がとぐろを巻いて隠していたのだろう。

 草葉が説明した。

「方法は二つあります。一つは生首達を蹴り出すか押し出すかして、結界の外に移動させること。しかし生首は千を超えており、怪物を無力化するまで非常に手間がかかります。もう一つの方法は、あの狂頭杯を破壊するか、ひっくり返して中の液体を空にすることです。黒贄さんにも一応お伝えしましたが、あの状態の彼には何を言っても通じませんからね。あ、いえ、別にあなたにあの暴風雨の真っ只中に飛び込めと言っている訳ではありません。ちゃんと適任者が……」

「あひいいいぃ肉が追ってくるううっ」

 地上に繋がる穴からスライミー藤橋が駆け戻ってきた。その後から肉塊が這って入ってくる。

 警官の制服を着た手足や胴の残骸だった。地上の大木を守っていたもの。少し遅れて作業服や筋骨隆々の死体も肉塊同士で適当に繋がって入ってくる。地上の襲撃者達。生首がまだ無事なら操れるのだ。それらはグニョグニョとまとまりながら巨大百足の体に合流した。

「助けてええっ」

 藤橋は草葉にしがみつこうとして素通りしたため、蹲って平井の足にしがみついた。草葉が声をかける。

「藤橋さん、ちょっとあそこにある狂頭杯を壊してきてくれませんか」

「あいいいい怖いよ怖いよ助けてよおお」

「藤橋さん、杯を倒すだけでもいいですから、行ってきてくれませんか」

「怖いよおお肉が追ってくるよおおお僕をいじめるよう」

「藤橋さん、あなたにしか出来ないことです。どうかお願いします」

「うえええええん怖いよ怖いよおおおお」

「……。早く行け、クズ」

 地獄の底から響くような低い声音に藤橋は飛び上がった。「あひいいいい」と悲鳴を上げながら狂頭杯へと逃げ走っていく。平井はちょっと呆れ顔になって草葉を見たが、草葉は澄ましたものだ。

「ひいいいぃ助けてえええ」

 バンザイして弛んだ体を揺らしながら藤橋が駆ける。そこに巨大百足の尾が襲いかかった。人間の皮膚に覆われ、先端に肋骨らしい湾曲した棘を持つ尾。二本が藤橋の腹と胸に突き刺さる。浴衣が裂け、ドプンと水っぽい音をさせて体が破れるがすぐ元に戻ってしまう。水面に小石を投げた時のように。

「ハニャホニャポー」

 黒贄の投げた鎖つき凶器の列が他の尾を粉砕した。百足が長い胴をうねらせて黒贄に体当たりする。黒贄は勢い良く飛ばされるが壁を蹴ってすぐ戻る。また骨が折れたようだが黒贄の動きは止まらない。百足のちぎれた尾が本体に這い戻っていく。

 タイプの異なる三つの不死者が入り乱れるさまを、婚約者の生首を抱えた平井とずぶ濡れの草葉は黙って見守っていた。

 何度か尾の攻撃を受けながらも藤橋が狂頭杯に到着した。杯が傷つくのを恐れたか、百足の藤橋への攻撃は慎重になっている。頭を殴られゴボウをはみ出させながら藤橋は狂頭杯を持ち上げようとした。生首達が「そうだ、壊せ」と叫んだ。「やめろ、死ね」と怒鳴る者もいた。泣きながら藤橋が叫ぶ。

「うううううん。重くて動きませーん。動かないよおおおう」

 草葉が低く舌打ちした時、百足の尾をぶち破って一連の凶器が飛んだ。

「ハニャホニャポー」

 先端のねじれた刃と大小のブーメランとサーベルと蛮刀が、次々と藤橋の背をぶち抜いていった。水っぽい肉が飛び散る。もしかすると黒贄は百足の尾を狙ったのでなく藤橋を狙ったのかも知れない。

「あぶはばあっ」

 藤橋がひどい悲鳴を上げた。同時にガギャベギャリと金属音を響かせて、狂頭杯が破裂した。生首の彫刻と、胴体手足の彫刻が、バラバラに散っていく。中の赤い液体がテーブルを汚していく。

 生首達が「ほううぅぅ」と溜め息のようなものを吐いた。憎悪に歪み狂った顔が穏やかな表情に変わっていく。

「こより……愛してる」

 平井に抱かれながら仲根完二の生首が言った。肌の血色が失われ紫色に変わり、角膜が白濁して髪が一部抜け落ち、首の断面からドロリとした腐液を洩らし始めた。狂頭杯の力が失われ、捕らえられていた彼も本来の状態に戻ったのだ。

 腐敗して動かなくなった婚約者の生首を、しかし平井こよりは尚しっかりと抱き締めた。

 結界の縁近くに並んでいた千以上の生首も腐乱死体やミイラと化していた。何年前のものか、ほぼ白骨化したものもあった。

 黒贄と戦っていた巨大百足は動きを止め、力なく地面に倒れた。途端に肉も骨もバラバラとなり溶け腐っていく。洞窟内を腐臭が漂い始めた。

 歩いて回り込み、草葉陰郎が指差して言った。

「あれが魔術師の滅宮です」

 土のテーブルの向こう側にローブのようなものを着たミイラが横たわっていた。首と胴は繋がっているから狂頭杯の材料にされた訳ではないようだ。狂頭杯が壊れる前からミイラだった筈だ。

「二十六年前、五十程度の生首を揃えて実験中に、滅宮は脳卒中の発作で不慮の死を遂げました。そのため狂頭杯が暴走し、自らを増強するために新たな生首を求めることとなったのです」

 草葉は明言しなかったが、おそらく幽霊探偵に狂頭杯の始末を依頼したのは死んだ滅宮であったのだろう。

 草葉の説明が平井こよりの耳に届いていたかどうかは分からない。ただ彼女は腐った生首を抱いたまま、噛み締めるように言った。

「仲根さんは、最後まで素敵な人でした」

「後でご本人にそう伝えておきます」

 草葉が微笑を浮かべた。

「ハニャホニャポー」

「ごめんなさいごめんなさいいいい」

 土下座して謝り続ける藤橋を、長靴をかぶった黒贄は鎖凶器でずっと叩き続けていた。

 

 

  五

 

 大切なトロフィーは接着剤で修復されて今も棚に飾られている。ただし斧と剣鉈を持つ両腕は回収し損ねたためミロのヴィーナス状態となっていた。

 トロフィーにはまだ四十八と書かれた紙片が貼ってあった。

 

 

  エピローグ

 

「ははあ、これはなかなか良い品ですよ。いやいや、凄く良い品です」

 依頼人の引いたくじの九十七という数字に、黒贄礼太郎は満面の笑みを浮かべそう言った。

「はあ、良い品ですか」

 初老の依頼人は曖昧な笑みを返す。

「はい、良い品なんです。ネパールの伝説的な人物が愛用していたものでして、いえその人のお名前は忘れてしまいましたけれど」

 黒贄は立ち上がって左のドアへと歩き、二つの鍵を開けた。助手のスライミー藤橋は机に突っ伏して鼾をかいている。油断して半透明になった頭の中で、丸呑みにしたキャベツが漂っていた。

 黒贄は凶器保管室に入った。鋸や槍や大鉈など多数の凶器が並ぶ中、床から垂直に生えた物体に目を留める。

 一メートルの長い柄に、二十五メートルもの刃を持つ巨大ククリナイフであった。見えているのはブレードの根元までだが、この四階から一階までをぶち抜いて更に地中に埋まっている。

「ええっと、どちらがエッジ側でしたかな」

 黒贄は両手で柄を握りちょっと動かしてみた。途端に下から「ぎげえええ」という物凄い悲鳴が聞こえてくる。三階の誰かが被害に遭ったらしい。

「ありゃ、逆でしたか」

 慌てて黒贄が逆に引っ張った。勢い余って巨大な刃が床を裂き壁も天井もぶった切り、丁度一周して停止する。

 ビルが二つに割れた。

 依頼人はベンチごと真っ二つになっていた。ゲプッと血の混じった息を吐いて左右に倒れる。

 スライミー藤橋はまだ鼾をかいていたが、頭の中でキャベツが二つに割れていた。

 

 

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