第四話 迷探偵大集合

 

  プロローグ

 

 快晴の昼下がり、助手のスライミー藤橋が広大な野菜畑の手入れに情熱を注いでいる頃、血臭漂う黒贄礼太郎探偵事務所では何処となく重苦しい時間が流れていた。

 所長の黒贄礼太郎は自分の机で、皿に載ったものを箸で摘まんでは食べることなく置き戻した。顔をしかめて吟味しつつ、また箸で摘まんで配置を変える。

 皿にあるのは人間の眼球と鼻と唇と耳だった。唇は上下が繋がったまま周囲の頬肉と一緒に切り取ってある。

 黒贄は本物の部品を使って福笑いをやっているらしい。魔王の座を失い、彼の椅子は背もたれのない安物の丸椅子となっていた。

「うむ。違和感の理由が分かりました」

 重々しく黒贄が呟いた。

「耳が一つ足りませんな。しかも……」

 黒贄は箸の先で皿の上の眼球を数えた。それにしてもその箸は食事にも使うのだろうか。

「目が一つ多いようです。余分な一つを捨てるか耳の代わりとして使うかになりますが、どれが別人の目なのか分かりませんな。いや、実は元々三つ目の人だったという可能性もありますが」

 おそらく自分で解体したのだろうけれど。黒贄は喋りながらチラチラ斜め前を見る。彼が集中出来ない原因が部屋の隅にあるようだ。

 黒い蝙蝠傘を差して草葉陰郎がひっそり立っていた。屋内にも拘らず傘の中だけシトシトと雨が降っている。幽霊探偵の髪もスーツも濡れ、暫くそこにいたのだろう、足元の水溜まりはかなり広がっていた。

 陰鬱な瞳を黒贄に向けて草葉は言った。

「その皿に載った三人の犠牲者ですが、成仏するために線香を上げてくれと言っていますよ」

「え、私にですか。困りましたな。残念ながら線香の持ち合わせがありません。食費と凶器以外にかける予算がなくて……」

 黒贄の口調はぎこちない。彼はまだ草葉を苦手としているようだ。

 陰気な笑みを浮かべ草葉が告げた。

「嘘です。二人は成仏しましたし、一人はまだ自分が死んだことも分からず現場を彷徨ってますよ」

「なーんだ、嘘でしたか」

 黒贄は安堵の息をついた。

「それにしても便利な傘をお持ちですね。あの世で購入なさったんですか」

「ええ。通販で買いました」

 雨が降っていないとこちら側に来られないという欠点を、この蝙蝠傘で克服したことになる。それにしても霊界に通販があるのだろうか。草葉の顔からは冗談かどうか読み取れなかった。

「それはおめでとうございます。しかしどうしてお仕事をなさらず私の事務所におられるのですかな」

「仕事がなくて暇ですから。あなたと同じですよ」

 草葉は傘を差したまま室内を歩き回り、やがて棚に飾られた丸口の瓶を指差した。防腐液に浸かった少女の生首。

「この岸川悠里さんですが、首から下も欲しいと言ってますよ」

「ありゃ、そうなんですか。なら近いうちに適当な体を見繕ってきましょう」

「嘘です」

 草葉はあっさり告げた。黒贄はグッと詰まるが何も出来ない。

 更に草葉は椅子に腰掛けた骸骨へ歩み寄った。

「角南瑛子さんは、この小娘の顔の皮を引っ剥いで自分に貼って欲しい、と言ってますよ」

 濡れた手で指差した先、『この小娘』というのは瓶詰めの岸川悠里であった。

 黒贄は目を丸くして立ち上がった。

「う、嘘、ですよね」

 黒贄が恐る恐る尋ねた。

 草葉は黒贄の顔を見て、それからもう一度骸骨を見、少しの沈黙の後、気まずげに答えた。

「その……取り敢えず、嘘ということに……えー、まあ、嘘、です」

 

 

  一

 

 直径十メートルの円形プール。床の上に設置された水槽式で、高さ二メートル弱の側壁は透明な強化プラスチックだった。内部に満たされた水はさざ波のように揺れていた。

 八方から照明を浴びて、プールの中心に若い女が吊られていた。クレーン先端の滑車を通し、ロープが女の両手首をまとめて縛っている。女は二十代前半だろう、ビキニの水着姿はやや貧弱だが顔は可愛らしかった。髪もメイクもしっかり整えられ、ヘッド式のマイクが口元に伸びている。

 六台のカメラを向けられ、女は怯えきった表情で水面を見下ろしていた。プールの中を泳ぐ魚の群れは千尾を超えるかも知れない。

 体長十センチから最大三十センチ程度、ラメが入ったように光る灰色の鱗と赤い目は、小型ながら最も獰猛と言われるダイヤモンド・ブラック・ピラニアだった。

 女の足先から水面までは僅かな距離しかない。ピラニア達は獲物を待ち望むように女の下に集まり、不気味な黒い渦を作っていた。

 クイズの解答者が座るような奇妙なデザインの机と椅子が、プールの右横に並んでいる。座るのは高級スーツや派手なドレスで着飾った五人の男女。彼らは先の尖った白い頭巾で顔を隠し、目の部分だけに開いた二つの穴から水着の女を観察している。その瞳に浮かぶのは赤い悦楽。

 司会者なのか、蝶ネクタイにタキシードの男が正面カメラの前に立っている。年齢は四十代であろう、彼もまた赤いマスクで目元周囲だけを覆っていた。仮面舞踏会などに使われるドミノマスク。

「準備が整いました。赤江美琴は水面から十センチの高さに固定されています。美琴さん、自信のほどはいかがですか」

 タキシードの男が手に持ったマイクに朗らかな声を乗せ、水着の女に問いかける。化粧をしていても血の気の失せているのがはっきり分かる。赤江美琴は弱々しい掠れ声で答えた。

「お願いです……助けて下さい……」

「おや、いけませんね。そんな声では減点されてしまいますよ。ちゃんと歌って下さいね。命懸けで」

 タキシードの男の言葉に赤江は目を閉じた。「嘘よ、嘘……」という呟きを掻き消してタキシードの男の声が響いた。

「それでは赤江美琴さん二十三才、喫煙の不祥事でテレビ出演の機会も減りましたがまだまだ現役のアイドルです。第一曲として、六年前のデビュー曲である『不思議な君と僕』を歌って頂きましょう」

 プールの左側に新たな照明が当たる。ドラムにギター、ベースとキーボードまでメンバーが揃っておりポップなイントロが始まった。彼らもまた黒子の使う黒い頭巾と薄布で顔を隠していた。

 生伴奏に合わせて赤江は歌い始めた。

「不思議〜不思議〜不思議〜君は不思議だね〜」

 本人は必死なのだろうが声は掠れて震えがちで、音程も少し外れていた。もしかすると専用の振りつけもあったかも知れないが、両腕を吊られていては何も出来ない。

「君の目は〜どうしてそんなにまあるいの〜」

 吊られたアイドルの歌声に五人の白頭巾が聞き入っている。いや、彼らは歌よりも恐怖に歪む赤江の顔の方に興味があるのかも知れない。

 一番ともう一度サビの部分だけで曲は終わった。タキシードの司会者と白頭巾達が拍手する。それと正面手前からも布地を叩くような鈍い拍手があった。

 タキシードの男が並ぶ白頭巾達に言った。

「さて、今の曲はいかがでしたか。審査員の皆さん、採点をお願いします」

 白頭巾達が机の上の厚紙にマジックで何か書いた。タイミングを計って一斉に立ててみせる。

 厚紙にはそれぞれ「−5」「−4」「−3」「−7」「−8」となっていた。タキシードの男が数字を読み上げてから告げる。

「合計マイナス二十七点です。それでは赤江美琴さんには二十七センチ降下して頂きましょう」

 タキシードの男が指差した先で、クレーンの操作パネルに黒子頭巾の男が触れた。低い唸りを発しつつウィンチが回転してロープが下がっていく。

「え。嘘。嘘。嫌。やめて。ちょっと。お願い。嘘でしょ。ドッキリでしょこれ」

 赤江美琴は必死の形相で膝を曲げている。力を抜けば足先から十七センチが水中に入ることになる。ピラニアの群れは益々活発に動いている。一部は水面すれすれで口をパクつかせていた。赤江は歯を食い縛って足がつかぬよう耐えている。それを白頭巾達が喜悦の瞳で見つめている。

 タキシードの男が言った。

「それでは二曲目に行きましょう。彼女の最大のヒット曲である『夕闇のスナイパー』です」

「嫌、嫌っ。助けて誰かっ」

 赤江美琴が身悶えするが誰も助けてくれはしない。容赦なくイントロ演奏が始まった。

「あなたを狙い撃ち〜いいい嫌っ助けてお願いいいっ」

 殆ど歌にならず、悲鳴と哀願が繰り返される。赤江の頬を涙が伝い化粧が溶ける。鼻水も漏れていた。

 曲が終わり、疎らな拍手が挙がる。タキシードの男が白頭巾達に採点を求めた。「−10」が四つで、「−8」が一つだった。

「合計マイナス四十八点ですね。四十八センチの降下となります」

 ゆっくり降下しながら赤江美琴は叫ぶ余裕もなく、顔を真っ赤にして太股を上げた。足が小刻みに震えている。しかしやがて力尽き、膝から下が水に落ちる。

 ピラニアの群れが一斉に襲いかかりアイドルは絶叫した。あっという間に赤く染まった水中を凄まじい密度で群れがうねる。赤江は白目を剥き口から泡を吹いていた。

 惨劇を見つめる白頭巾達の目は、酔ったように潤んでいた。

「やはりピラニアはいい」

 正面手前、照明から離れた場所で高級チェアーに身を預けた男が呟いた。気管から空気の洩れているような、細い掠れ声だった。ワイングラスを揺らす白い手袋が闇の中に浮かんでいる。

「これを見るたびに初心に帰った気分になるよ。残念ながら顧客の好みからずれつつあるようだが。正木政治の実験室が公開されてから、益々過激なものが求められるようになってしまった。政治家風情にあんなことをされたら僕達は更に上を行かねばならない。業界の本職としてね」

「左様でございますな」

 傍らに立つ男が相槌を打つ。

「そう言えば探偵を集める企画があったがあれはどうなったかな。表でやる予定だったか、裏だったか」

「まだ決まっておりません。ひとまずはトリックの準備を進めていたところですが」

「そうか。なら裏に回そう」

 掠れ声が言ってワインを飲み干した。傍らの男がボトルから空のグラスへ注いでいく。

 カメラの前でタキシードの男が言った。

「それでは三曲目を歌って頂きましょう」

 

 

  二

 

 まだ正午を過ぎたばかりだったが、空を覆う分厚い黒雲のため世界は暗く染まっていた。土砂降りの雨が陰鬱さを更に強めている。

 ピシャリ、と雷光が閃いて荒野を照らし、コンクリートの建物が浮かび上がる。十階建てほどの高さか、窓は少なく倉庫のようにも見える。看板もないため何の建物なのか分からない。

 黒いリムジンが道のない荒野を進み、建物の前に到着する。乗降場所には屋根が設けられ、客が濡れないように配慮されていた。

 待っていた黒子頭巾がリムジンのドアを開ける。「こりゃどうも」と先に降りた男はやたら大きなトランクを持っていた。黒の略礼服姿だが着古して折り目が分からなくなっている。ワイシャツは点々と赤い染みが残り、ネクタイはしていない。靴は薄汚れたスニーカーだった。年齢は二十代後半から三十代前半だろう。自分で切っているらしい左右のアンバランスな髪に、西洋人と間違えられそうな彫りの深い整った顔立ち。肌の色は不健康に白く、薄い唇は常に何かを面白がっているような微笑を湛えている。切れ長の目は眠たげだ。

 続いて降りたのは車内にいたのに何故か全身ずぶ濡れの男だった。灰色の地味なスーツ姿で黒い蝙蝠傘をステッキ代わりにしている。年齢は三十才前後か、濡れた髪のへばりつく顔は陰鬱なものだ。

「黒贄礼太郎様と草葉陰郎様でいらっしゃいますね」

 黒子姿の男が尋ねた。

「はい。『くろにえ』ではなく『くらに』ですから通称クラちゃんです」

 黒子は読み間違ってはいなかったが、略礼服の男・黒贄礼太郎はわざわざ念押しした。濡れ鼠の草葉陰郎の方は「ええ」と陰気に応じたのみだ。

「それにしても凄い雨ですな。草葉さん、傘は不要でしたね」

 黒贄が言うと、草葉は俯いたまま答える。

「いえ。こんな天気でも突然晴れることはありますから」

「確かにそうですな。人生、何が起こるか分かりませんからね。あっと、あなたの人生はもう終わっちゃってますが」

 黒贄の口調は悪気ない。

「黒贄様、お荷物をお持ちしましょうか」

 黒子が手を差し伸べたが、黒贄は慌ててトランクを引き寄せる。

「いえいえ、大事なものは自分で持っておきたいのでお気持ちだけ頂いておきます……って、ありゃっ、何か変ですな」

 黒贄はトランクに耳を当てて妙な顔をした。床に置いて蓋を開く。迎えの男が絶句した。

 トランクには雨合羽の男が詰め込まれていた。手足も首も異様な向きに折り曲げられて隙間が殆どない状態だ。

 死体かと思われたその男は、目を閉じて軽い鼾を発していた。

「荷物を間違えました。携帯用の折り畳み式鋼鉄の処女を持ってくるつもりだったのですが。こんなことになってしまい残念です」

 黒贄は溜め息をついてトランクを閉じると黒子に手渡した。

「どうぞ、適当に扱っちゃって下さい」

「はあ……」

 黒子は何やら納得行かない様子でトランクを受け取った。幸い車輪がついていたため押していく。

「控え室はこちらです」

 黒子に先導されて黒贄と草葉が建物に入った。リムジンは去っていく。雨の荒野を次のリムジンが近づいていた。

 入ってすぐのところに『第十三スタジオ』という小さな看板が掛かっていた。廊下は殺風景で、壁も床もコンクリートが剥き出しだ。時折見かける赤褐色の薄い染みは何だろうか。ドアは鋼鉄製で蝶番も頑丈そうだ。閂が掛かったドアもあった。

「ふむ、匂いますなあ」

 歩きながら黒贄が鼻をヒクつかせた。面白そうな微笑が深められる。

「黒贄様、何かございますか」

 先導する黒子が振り向いて尋ねる。

「いえ、大したことではありません、血の匂いがするだけですから。私の事務所よりも薄いですし、犠牲者は精々千人未満じゃないですか」

「八百六十三人です」

 横で草葉がボソリと告げる。

「ほら、やっぱりそんなものですよね。……おや、どうしました。案内して下さい」

 黒贄に促され、黒子はぎこちなく進み出した。突き当たりにエレベーターがあり三人とトランクが乗り込む。ボタンは一階から九階までだが、男が複数のボタンを同時に押すと地下へと下降を始めた。

 エレベーターの天井隅に監視カメラが取りつけられている。黒贄はカメラに向かってにこやかに手を振ってみせた。

 どれくらい下降しただろう。扉が開くと相変わらず殺風景な廊下が続いていた。ただし床の汚れはひどくなっている。

「こちらが控え室です」

 黒子が指差した先に、確かに『第六控え室』という札のついたドアがある。札の上に『特別企画 個性派探偵大集合』という貼り紙があった。

 ドアの横に大男が立っていた。身長は二メートルを超え、天井に頭が触れそうになっている。横幅もあり、ドラム缶のような胴体に常人の三、四倍もありそうな太い手足がついている。黒い上下のトレーナーは特注品かも知れない。三十センチはありそうなスリッポンの黒い靴に、黒い手袋。髪は短く刈り、浅黒い岩のような顔が太い首に載って微動だにしない。

 細い目だけが動いて来客達を見下ろすが、大男はどんな感情も示さなかった。

 黒贄は大男の前で立ち止まり、自分の顎を撫でながら品定めするように一通り観察すると、「うむ、まずまずですな」と呟いた。大男は無反応だった。

 黒子がドアを開けて二人の客に入室を促した。

「どうぞ。お荷物はひとまずお預かりしておきますので」

 黒贄礼太郎と草葉陰郎は第六控え室に入った。彼らの背後ですぐに重い音をさせてドアが閉じた。

 部屋はちょっとした会議室くらいの広さがあった。何度も塗り直されたような白い壁。ドアは入ってきたものを含めて四つある。どれも鋼鉄製の分厚いものだ。

 中央に大きな丸いテーブルがあり、四人の男が席に着いていた。室内でもロングコートを着て帽子をかぶった男。机に額をつけ死んだように動かない男。広げた両手を斜め上に向けて何やら呟いている男。背筋を伸ばし瞬きもしない男。互いに無関心な薄ら寒い雰囲気が漂っている。

 壁際に立っていた四十代くらいの男が恭しく黒贄達に一礼した。

「ようこそいらっしゃいました。私は司会を務めさせて頂きます四巡刺彦と申します。どうかよろしくお願い致します」

 四巡はタキシードと蝶ネクタイの礼装に、仮面舞踏会に使われるような赤いドミノマスクで目の周囲を隠していた。おそらく素顔は美男子だろう。良く手入れされた口髭。

「ほほう、あなたが四巡さんでしたか」

 黒贄の言葉に四巡は怪訝そうに聞き返す。

「おや、私のことをご存知でしたか」

「いえ全く存じません」

 黒贄はにこやかに返した。四巡は数秒の後、愛想笑いを取り戻して芝居がかった動作でテーブルを示した。

「どうぞおかけ下さい。全員のご到着まで暫しお待ちを。それからこれをどうぞ」

 四巡が差し出したのは胸につける名札だった。横長の楕円形プラスチックで少し厚みがある。裏の安全ピンで留めるようになっていた。

「なるほど、分かりやすい名札ですね」

 黒贄が略礼服の胸につけたものは『殺人鬼探偵 黒贄礼太郎』となっていた。『くらにれいたろう』と読みもついている。名前の右に丸い窓があり青い光を発しているのは何だろうか。

 続いて草葉に渡した名札はそのまま掌を素通りして床に落ちた。四巡が絶句する。

「失礼。既に名札もつけられぬ儚い存在ですので」

 草葉は落ちた名札を跨いでテーブルへ歩いた。四巡が拾い上げたそれは『幽霊探偵 草葉陰郎』となっていた。やはり名前の右横で青いランプが光る。

「草葉さんはあの辺などいかがですか」

 黒贄は草葉に奥の席を勧めながら自分は反対側に座る。隣の席の男を見て黒贄はちょっとした驚きを示した。

「おや、ブラックソードさん、お久しぶりですね。私の魔王防衛戦を観戦して頂いて以来ですかな。残念ながら負けてしまいましたけれど」

「いや、お主とは昨日会ったが。わしは独りで先に行くと言っておいた筈だ」

 錆びついた機械のように低くザラついた声で男は答えた。

「ありゃ、そうでしたかね。いやはや、最近物忘れが激しくて」

 黒贄は頭を掻いた。

 男のロングコートはほぼ黒に近いダークグレイだった。厚めのウール地には所々汚れや虫食い穴が残っている。コートと同じ色の鍔広帽を目深にかぶり、それでも立てた襟との隙間から素顔が覗ける筈だが、不思議と闇に閉ざされ顎の輪郭くらいしか分からない。艶消しの黒いブーツに黒い革手袋。右腕はやや細く、肘とは別の場所でしんなりと曲がっていた。黒贄との対決で失った右腕。再生能力はあるようだが完治まで時間を要するのだろう。

 時折陽炎のように姿が揺らいだり薄れたりする魔人の胸に、『四次元探偵 剣里火』という名札がついていた。読みは『つるぎさとび』だった。奇妙な名前だが、おそらくは『黒』の字を分解したものだろう。

 その名札を見て黒贄が言った。

「ははあ、そう言えば今は剣さんでしたね」

「どちらでも覚えている方で構わぬが」

 剣は闇の奥で苦笑しているようでもあった。

「さて、他の皆さんも探偵でいらっしゃる、と……」

 改めて黒贄はテーブルを見回すが、残りの三人は新入りを一瞥すらしない。

「私は黒贄礼太郎と申します。通称クラちゃん、なん、ですが……どうも皆さん、自己紹介などお好きではないようで……」

「話しかけるな。受信感度が乱れる。ただでさえ地下は電波が弱いんだ」

 掌を天井のあちこちに向けていた男が血走った目で黒贄を睨みつけた。年齢は三十代後半だろう、額に何故か銀紙を貼り、髪は整髪料で逆立てて円錐形にまとめ、とんがり帽子のようになっている。白いジャケットにはクリスマスツリーなどに飾るイルミネーションを縫いつけてあり、数十個のランプが赤くなったり青くなったりを繰り返していた。バッテリーも持ち歩いているのだろう。

 胸の名札は『電波探偵 響高丸』となっていた。読みは『ひびきたかまる』で、名前の右の小窓はイルミネーションと違いずっと青いままだ。

「はあ、申し訳ありません。アンテナをもう少し伸ばしてみてはいかがですかな」

 黒贄が適当に返すが、尖った髪の男は何処かから届く別のものに聞き入っているようだった。

 四巡が黒贄の傍らに寄って嬉しそうに説明した。

「響高丸さんは二十二才時より幾度も宇宙人にアブダクションされ、頭に受信機を埋め込まれたのだそうです。犯人も事件の真相も全て宇宙人との交信によって得られるとか」

「ははあ、アブダクションというと、あのアブダクションですか」

「そうです。あのアブダクションです」

「……」

 決まり悪そうに黙っている黒贄に気づいて四巡が尋ねた。

「もしかして、アブダクションをご存じない」

「いやあ、『ご存知でしたか』と聞いて頂ければ『全然知りませんな』とお答え出来たんですけど。人生はなかなか思い通りには行かないものですね」

 四巡は余裕を持って頷く。

「人生はそういうものですよ。ちなみに響さんの服装は全て宇宙人の指示によるものだそうで」

「宇宙人だけじゃない」

 と、電波探偵・響高丸は目を剥いて反論した。瞳孔も散大して危ない輝きを帯びている。

「四回アブダクションされて、全て相手が違っていた。宇宙人と未来人と地底人だ。宇宙人は二種類いて、ポルルポラ星人とアンギレド星人だ。こいつらが別々に、俺の体に受信機を埋め込んだ。頭の中に二個、首の後ろに一個、心臓の横に一個だ。四つの勢力が好き勝手なことを俺に言ってくる。人類を守りながら世界征服を目指し、宇宙戦争にも備えないといけないので俺はメチャクチャ忙しいんだ」

「ふうむ。それは大変そうですなあ。ところで地下にいれば地底人からの電波は受信しやすいのではないですかね」

 黒贄に突っ込まれ、初めて響は気づいたようだった。

「そ、それは……だな。……そうか、地底人の電波は直接地底からじゃなくて、東京タワーを中継して飛んでくるんだ。だからやっぱり地下だと電波が弱いんだ。全く、話しかけるからアンギレド星人のメッセージを聞き逃したじゃないか」

 響高丸は髪の毛の先と両掌を天井に向けて再び微調整に没頭する。ドミノマスクの奥の目が皮肉に笑い、四巡は次の男を示した。

「こちらは『疫病神探偵』の薄井幸蔵さんです」

 草葉の隣で机に額をつけた男は皺の具合から四十代であろうか。しかし伸び放題のほつれ髪も髭も真っ白になっていた。洗濯もせず着続けているらしく長袖シャツは垢と土で汚れている。伏せているため顔立ちは分からないが、どうやら目は開いているようだ。

 男の首は常人より妙に長く、その部分の皮膚は青紫色がかっていた。まるで首吊りの後のように。

「家族恋人友人その他関係者が発狂や失踪、自殺に事故死と残らず不幸な目に遭うそうです。携わった事件の八割方は結果的に迷宮入りしてしまうとか。担当刑事も死んでしまいますのでね。ご自身も鬱病で何度も自殺未遂を繰り返しておられますがどうしても死ねないそうで。ちなみに当地へは昨夜新幹線で来られたのですが、駅の手前で脱線して三百人以上の死者が出る大惨事となりました。また、お泊まりになったホテルも今朝火災で全焼しています。このスタジオまでお乗せしてきたリムジンも到着後に爆発して運転手が死にました。薄井さんご本人はいつも無事でいらっしゃるのですが」

 薄井の耳に四巡の説明は入っているのかどうか、彼は枯れ木のように動かなかった。

「ははあ、生きていくというのはやはり大変なことなんですねえ」

 黒贄が感心していた。次に四巡は姿勢を正して微動だにしない男を示す。

「それからこちらが『機巧探偵』の茶伯備次郎さんです。『からくり』と読みます」

 名札についた読みは『ちゃはくびじろう』となっている。男は青い羽織袴にちょんまげを結っていた。白粉を塗ったような顔は多少童顔だが整っていて完全に左右対称だ。その口の下部は腹話術人形みたいに二本の溝が入っている。良く見ると上瞼も独立した一枚板で動かせるようだ。

「なるほど、全くそそられないと思ったらお人形さんでしたか。今は電池が切れているんですかね」

「いえ、電池ではなくゼンマイ仕掛けです」

 四巡は茶伯備に歩み寄りちょんまげを掴んだ。真上に引っ張ると金属の軸が現れる。毛髪に見せかけた取っ手であったようだ。同時に茶伯備の両目が閉じるのが芸の細かいところだ。

 四巡はちょんまげを人差し指で円を描くようにして回し、ギリギリと五十回転ほどさせたところで押し下げて本来の位置に戻した。カチリと茶伯備の両目が開く。

 キリキリキリ、と時々瞬きをしながら茶伯備の首が左右を見回していく。室内のメンツを一通り確認したところで右腕がゆっくりと水平に上がり、上体ごと回して四巡刺彦を指差した。

「下手人ハオ前ダ」

 口がパクパクと動き、一昔前の喋る電子玩具のような割れ声で茶伯備が告げた。

 四巡が黙っていると、今度は左腕が上がった。袖の中に手首が引っ込み、現れたのは大型のドリルだった。

「白状シナイト拷問スルゾ。白状シナイト拷問スルゾ」

 ドリルが高速回転を始めたところで四巡が「はい、私がやりました」と答えた。途端にドリルが引っ込み本来の手に戻る。

「コレニテ一件落着」

 茶伯備は両腕を下ろし、キリキリという作動音が止まった。瞬きもしなくなる。仕事完了ということらしい。

 暫くの沈黙の後、黒贄は悩ましげに言った。

「なんだか、変な探偵さんばかりですなあ」

「あなたも含めましてその通りです。そういう企画ですので」

 四巡は澄ましたものだ。その時ドアがノックされ、次の探偵が到着した。

「こんにちは皆さん」

 挨拶したのは二十代半ばほどの女だった。紺色のスーツ姿で左手のブリーフケースには何かの紋章が刻印されている。胸までかかるシャギーの髪は燃えるような真紅で、蠱惑的な唇もまた赤かった。更には瞳までも赤い。獲物を待つ蜘蛛のような、毒のある美貌。右手に持っていた煙草を喫い、口をすぼめて気だるげに紫煙を吐き出す。黒贄が眉をひそめた。

「申し訳ありませんが煙草は控えて頂けますかな。健康に気を使っているもので」

「あら、不死身の方が意外に細かいことを仰るのね」

 赤毛の女は右手の指を鳴らした。瞬間、手の煙草は消えていた。

「ほほう、手品探偵さんですかな」

「残念ながら少し違いますわ。少しだけ」

 赤毛の女は笑みを浮かべる。氷の冷たさを含んだ優しい微笑。

「あの、どなたでいらっしゃいますか」

 四巡が不審げに尋ねる。

「紅本亜流羽ですわ」

 べにもとあるば、と彼女は発音した。

「紅本さん、ですか。男性の筈ですが」

「今日は殿方ばかりですから女になってみましたの。キャラかぶりも防げますしね」

 平然と紅本は言う。黒贄が「なるほど、性転換探偵ですな」と呟いたが、四巡が首をかしげながらも渡した名札は『悪魔探偵』となっていた。

「それでは、名札を受け取ったという証としてここにサインして頂けますかしら」

 紅本は名札を着ける前にブリーフケースから書類を一枚出してテーブルに置いた。何やら外国語で書いてある。

「あの、サインは芸名でよろしいでしょうか」

「構いませんことよ。この欄に書いて頂ければ」

 ペンを手渡されドミノマスクの司会者は少し迷っていたが、何かに聞き入るようなそぶりの末、書類の下の欄に四巡刺彦と書き込んだ。血のように赤いインクだった。彼の左耳に嵌まる小さな装置は通信機だろう。上からの指示が飛んだのだ。

 紅本にペンを返した後で四巡は自分の右手を見た。マスクの奥の目が細められる。

 親指に血がついていた。

「自分の血で契約書にサインするとは剛毅な人ですね」

 草葉陰郎が陰気に皮肉った。蝙蝠傘は椅子に立てかけられている。

 四巡は草葉を見、もう一度自分の指を確認した。やっと意味を理解したらしく、声音は僅かに震えていた。

「紅本さん、今の書類は何だったんです」

「大したものではありませんからお気になさらないで」

 名札を着けた紅本は早速ブリーフケースに書類を戻していた。釈然としない様子の四巡を放置して室内のメンバーを見渡す。彼女が座った席は剣里火と響高丸の間だった。

「初めまして剣さん。私は以前からあなたのファンなんです。サインして頂けませんか」

 紅本は新しい書類を取り出し、剣にしなだれかかるようにしてサインを迫る。

「さほど活躍した覚えもないが。探偵になって間がないのでな」

「そうご謙遜なさらずとも。地下シェルターに逃げ込んだ総理大臣を始め、数々の不可能な暗殺を成し遂げたではありませんか。骸骨騎士団創設初期の千五百人斬りは伝説になってますわ」

 もし剣里火が素顔を晒していれば、おそらく非常に苦いものになっていただろう。表情の出せる顔であればの話だが。実際の剣は暫しの沈黙の後、錆びた金属の声でこう言った。

「そうか」

「ね。ですからあなたのサインが欲しいんですよ」

「断る」

 剣の返事は簡潔だった。紅本は中身のない笑みを湛えて食い下がる。

「私と契約を交わせば次元移動の能力を強化して差し上げますわ。振り子のように世界間を放浪する宿命から解放され、好きな世界に渡り好きなだけ留まることも可能になりますわよ」

「……。お主にそのようなことが出来るのか」

「出来ますとも。ここにサインして頂ければ」

「そうか。だが断る」

 揺るぎのない拒絶に、紅本の赤い眉が寄り険悪な皺が出来た。

「お主の言った通り、これはわしの宿命だ。宿命から逃れることは許されぬ。わしの殺した者達が生き返ることはないのだから」

 紅本は指先で自分の眉間に触れた。皺がすぐに消え、彼女は笑顔で言った。

「まあ、今すぐにとは申しませんわ。いずれまた機会もあるでしょうから。私は粘り強い方なんです」

 剣はもう答えなかった。紅本は次に響高丸の方を向いた。天井を凝視していた響がビクリと振り返り、血走った目と紅本の赤い瞳が合った。

「響さん、私はあなたのファンなんです」

「警告、警告っ。警告が来たっ」

 響が椅子を倒して立ち上がり、壁際に後ずさりした。紅本を指差して叫び出す。

「地底人が警告した。こいつは悪魔だ」

「そうなんです不本意ながら悪魔探偵と呼ばれているんですよ。ところでこちらにサインを頂けませんか」

「駄目だ。地底人がお前に近寄るなと言ってる」

「では宇宙人は何と仰ってるんですの」

 響は両掌を頬に添えて受信を試みる。

「……うう、アンギレド星人は面白いからサインしてみろと言ってる。ポルルポラ星人は……未来人に相談しろ、だそうだ」

「それでは未来人と交信してみて下さらない」

「うーん……。ここでは受信感度が悪い。未来人の声が届かない」

「受信しないことには話が進みませんわね。受信感度を格段に良くすることは出来ますわ。こちらにサインして頂ければ」

「お、そうか」

 響高丸は早速ペンを受け取り契約書に血のサインを済ませた。優しい冷笑を浮かべ紅本が言った。

「これで契約成立です。未来人のメッセージも受信出来る筈ですわ」

「おっ、聞こえる。未来人の声もちゃんと聞こえるぞ」

 響は嬉しそうに耳を澄ませていたがすぐに不審げな表情となった。

「おかしい。未来人は俺のことを馬鹿だと言っている」

「気になさらない方がいいと思いますわ」

 紅本は適当に言って契約書を素早くブリーフケースに戻した。

「次は私の番ですかな」

 何故か期待している様子で黒贄が尋ねる。だが紅本は素っ気なかった。

「あなたと契約するつもりはありませんわ」

「ありゃ、どうしてですかな」

「不死身の方と契約しても元が取れませんから」

 あっさり指摘され、黒贄は悲しげに言った。

「そうですか。残念です。折角断ろうと思っていたのですが」

「あの、紅本さん、契約ってまさか死んだ後の魂を……」

 四巡が言いかけたところでドアがノックされ、看守服の男達が奇妙な物体を押してきた。

 大型の台車に頑丈そうな木製の椅子が載り、灰色の囚人服を着た男が縛りつけられていた。胴体と手足が革ベルトで固定され、頭にはヘルメットがかぶせられ更に目隠しまでされていた。ヘルメットからは電気コードが伸びて機械に繋がっている。左足首にも別のコードがあった。

 ヘルメットからはみ出した金髪と肌の白さからは西洋人らしい。年齢は四十代であろうか。

「ようこそいらっしゃいました」

 四巡刺彦が司会者の余裕を取り戻して声をかけた。おそらく聞こえているのだろうが来客は黙っている。四巡が名札を出して囚人服の胸に取りつけた。

 『電気椅子探偵 ウィリアム・スコーチマン』となっていた。

 電気椅子探偵の台車は黒贄と茶伯備の間に配置された。四巡が説明する。

「ウィリアム・スコーチマンさんは爆弾テロで七百名以上の犠牲者を出し、死刑判決を受けました。しかしあらゆる分野に及ぶ深い知識と高い推理力が評価され、死刑執行日の延期を報酬に難事件の解決を請け負っているのです。現在までに八百件以上の事件を解決し、十七年を生き延びています。本来は塀の中で事件の詳細を聞いて推理するスタイルなのですが、今回は特別に来日して頂きました。ちなみに現在の死刑執行猶予期間は二十三日だそうです」

 台車の後ろに立つ看守はアメリカの刑務所からの付き添いらしい。電気椅子の後ろにある機械と操作パネルは通電装置だろう。いつでも死刑執行可能という訳だ。

 目隠しもヘルメットも外されず、スコーチマンは苛立たしげに英語で何やら喋った。

 黙っている面々を見回して、仕方なく黒贄が言った。

「日本語が話せないようですが、どなたか通訳の方はおられますかな」

「……。いえ」

 四巡が首を振る。二人の看守も何を言っているのか分からないふうに互いの顔を見合わせている。

「とすると、この方は、目隠しをされて言葉も分からずに、推理をなさる、と。いやはや、実に有能な探偵さんですな」

 そこでまたもやドアがノックされ、次の探偵が入室した。ベタ、バッタ、と這う重い気配に剣里火や響高丸までが振り向いた。代表して黒贄が言った。

「ええっと。鰐探偵、さん、ですかな」

「その通り。クロコダイル科クロコダイル属ナイルワニのピートさんです。容疑者の写真を床に並べると百発百中で犯人を当てるそうです」

 四巡が説明した。黒子姿の男が首輪の鎖を引っ張って室内に招き入れたそれは、全長七メートル近い本物の鰐だった。暗褐色の硬い鱗に長い尻尾、何を考えているのか分からない縦長の瞳。いや、開いた口に並ぶ牙の鋭さは、彼の主な関心が食事であることを暗示している。

 四巡が名札を出してピートの首輪に取りつけようとした。それまでの緩慢な動きからは予想外の俊敏さで鰐の首が伸び、四巡の腕を噛もうとする。

「おっと」

 四巡も素早く飛びのいた。ピートが獲物を追ってどんどん這っていき、鎖を持つ黒子が引き摺られている。

「碇、頼む。碇っ」

 黒子が叫ぶとドアが開いてのっそりと大男が入ってきた。ずっとドアの前に立っていた黒いトレーナーの男だが、今は目の部分だけ開いた黒い頭巾をかぶっている。何も言わずに代わって鎖を握ると、途端に鰐は進めなくなった。足が床を空滑りしているところに四巡が余裕を持って名札を取りつけた。

「碇、ピートさんをそっちに」

 四巡の指示に大男・碇は部屋の奥へ鰐を引っ張ろうとした。前を歩き過ぎる時いきなり鰐が碇の左脛に食らいついた。碇は呻き声も洩らさずそのまま歩いて鰐を引き摺り、部屋の隅に移動してから鎖を引いて鰐の顎を足から剥がした。トレーナーの生地に破れ目が出来たが出血は少なく、肉もちぎれていなかった。七メートルの鰐を無造作に引き回し、牙をめり込ませぬ筋力とはどれほどのものか。

「さて、これで九人の探偵が揃いましたね」

 四巡が改めて言った。そのうち一人は死人で一人は人形で一人は鰐だが。

「予定では十人だったのですが、『予知探偵』の洲上天心さんは残念ながら参加を辞退されました。ちなみに洲上さんから皆さん宛にメッセージを頂いています」

 四巡はポケットから封書を出し、中の便箋を開いて読み上げた。

「『他の参加者の皆さん、この番組は罠です。ご愁傷様。洲上天心』。以上です。では、本番に進みましょうか」

 四巡はドミノマスクの下で邪悪な笑みを見せた。洲上のメッセージに驚くようなまともな者は、この部屋にはいなかった。机に伏せた薄井幸蔵が疲れた溜め息をついただけだ。

 剣里火が軋み声で指摘した。

「撮影はもう始まっておるのだろう。この部屋には六台の隠しカメラが仕掛けてある」

 四巡はそら来たとばかりに親指と人差し指を立てた拳銃ポーズで剣を指した。

「剣さん、ご明察です。控え室で待つ皆さんの様子も番組として重要な部分ですからね」

 そうして四巡は天井の何処かにあるカメラに向かい、参加者と未来の視聴者達に告げた。

「番組のルールを説明しましょう。皆さんには探偵として、これから提示される様々な謎やトリックを解いて頂きます。推理の外れた方、犯人を間違えた方はワンミスとなります。皆さんの名札に青いランプがついていますね。これが一つミスすると黄色に変わり、二度目のミスで赤に変わります。そしてもう一度ミスすると名札はジ・エンドです。名札には高性能の爆弾が内蔵されており、皆さんの心臓を破壊するのに充分な威力を備えています。それから念のため申し上げておきますが、今更名札を外そうとしたり上着を脱ごうとしたりすると遠隔操作で爆発させますからお気をつけ……」

 早速の爆発音が室内に轟いた。テーブルに血と小さな肉片が飛び散り、剣里火のコートとウィリアム・スコーチマンの電気椅子にも血が撥ねる。スコーチマンが「シット」と悪態をついた。

 爆発したのは黒贄礼太郎の名札だった。左手首から先がほぼ吹っ飛び、左胸もポッカリと開いて肋骨の断端や心臓の残骸を晒している。

「いやあ、失礼しました。ちょっといじってみるだけのつもりでしたが」

 断続的に血を噴く左手首で黒贄は自分の頭を掻いた。鮮血が髪を濡らす。

 一向に倒れぬ黒贄に四巡は絶句していた。響が耳に手を当てながら「あいつは化け物だ。ポルルポラ星人が言っている」と呟いた。

 通信で叱咤されたか四巡は小さく首を振り、気を取り直したように朗らかな声で宣言した。

「それでは、最初の謎は右の部屋にあります」

 その時、四巡が示した右のドアの向こうからドジュッという不気味な音が聞こえた。

 鰐を連れてきた黒子姿の男がビデオカメラを構えてドアに歩み寄り、ゆっくりと引き開けた。

 隣の部屋には頭に刃の刺さった男が座っていた。

 

 

  三

 

 部屋にある家具はテーブルと椅子が一つだけだった。出入り口は控え室と繋がるドア以外存在しない。

 テーブルの上に丸い木皿があり饅頭が二十個ほど積まれていた。椅子に座る男は饅頭に手を伸ばしたまま凝固していた。

 ビニール製のジャケットを着たやや肥満体の男だった。刃渡り五十センチほどの蛮刀が後頭部から額まで突き抜けている。これは後ろから突き刺したのではなく切りつけてめり込んだのかも知れない。

 探偵達は声もなく、隣室の惨劇を見つめていた。いや電波探偵の響高丸は「はいそうです。いや違う。うるさい、同時に喋るな」と呟いていたし、疫病神探偵の薄井幸蔵はやはり机に伏したまま微動だにしない。電気椅子探偵のウィリアム・スコーチマンはまだ目隠しを外してもらえず、鰐探偵ピートの尻尾が壁に当たってゴソリと音を立てた。

 ドミノマスクとタキシードの四巡刺彦がドアのそばに寄り、笑みを浮かべたまま述べた。

「たった今発生したばかりの密室殺人です。彼がどうやって殺されたのか皆さんに推理して頂きたあれっ……」

 四巡が妙な声を上げた。頭を蛮刀で割られた男が皿の饅頭を掴んで口に運んだのだ。噛まずに丸呑みし、次の饅頭に手を伸ばしかけたところで男が探偵達に気づいた。

「何見てやがる。お前らの分はねえぞ」

 顔を向けた拍子に、めり込んでいた蛮刀がずり抜けてカランと床に落ちた。水っぽい顔に傷は残っていない。

 黒贄礼太郎探偵事務所の助手・スライミー藤橋だった。トランクから起き出したところで使えると判断され、密室に連れてこられたのか。

「おいおっさん、水くれねえか」

 言ってるうちにドアが閉じられて藤橋の姿は見えなくなった。

「お腹が空きましたな」

 殺人鬼探偵・黒贄礼太郎が先のない左手首で腹を撫でた。

「失礼しました。次に行きましょう」

 取り繕うように四巡が告げる。

「謎は解かずとも良いのか」

 四次元探偵の剣里火が尋ねた。機械の軋む声音に皮肉が込められている。

「予定が狂いましたので、次に……」

「確かに殺人ではなかろうが、実行者は上の階におる。その部屋の天井は全体が浮き上がる仕掛けになっておるな。黒贄の助手が饅頭を食べておる間に無音で天井が開き、ロープで吊られた男が侵入して背後から刃を打ち込んだ」

 淡々と解答が語られる間、四巡は口を半開きにしていたが、やがて作り笑いに戻ると大袈裟に両腕を開いて驚きを示した。

「お見事です。まるで直接見ていたような推理ですね」

「見えておった」

 剣はこともなげに答えた。

「更に言うならば、正面の部屋では十四個に分解した死体を並べておるな。既に死んでおる者の扱いに注文をつけるつもりもないが、左の部屋に男を連れてきたな。手錠を掛けておる。被害者として使うつもりなら許さんぞ」

 四巡の顔が青ざめてきた。剣の透視能力への畏怖か、或いは番組が台なしになることへの不安であったか。幽霊探偵の草葉が剣の後を継いで陰気に語り始める。

「事件の解決には実行犯だけでなく黒幕も明らかにすべきです。今も聞いておられると思いますが、プロデューサーの鮫川極さん。複数のテレビ局から番組制作を請け負い、『ミスター視聴率』、『エンターテインメントの帝王』と呼ばれて二十四年になりますね。しかしあなたの名声は今や裏社会の方に響き渡っています。スナッフビデオの名手として。浮浪者や密入国者を拉致して地下室で殺害することから始め、次第に殺害方法や拷問過程を工夫するようになりました。特に十八番と言われたのはピラニアプールですね。上流階級の資産家や政治家の顧客が増えていき、潤沢になった予算で人選も仕掛けも豪華になっていきました。落ち目になった芸能人から裏社会のタブーを破った政治家までが餌食となり、顧客の嗜虐心を満足させ続けました。この裏物用スタジオの外で行われた撮影も含めると、鮫川さん、千人以上があなたに惨殺されたことになります。そのうち三百三十四名の共同依頼で、私はあなた方を罰することになりました」

 四巡の目はドミノマスクの中で落ち着きなく彷徨っていた。黒子はカメラで草葉を撮り続けている。

「なるほど」

 天井から声がした。煙検知器のふりをしたスピーカーから。力のない細い声だが底知れぬ闇を感じさせた。

 プロデューサー・鮫川極。通信機で四巡に指示していたのは彼だろう。

「この企画がスナッフであることも、全て承知の上で招待を受けた訳だ。まあ、既に死んでいる君を殺すことは出来ないからね。しかし幽霊探偵君、実体のない君がどうやって僕を罰するのかな」

「確かに私は無力で儚い存在ですが、喋ることは出来ます。こうして危ない人を連れてきましたし、警察にも通報しておきました」

 草葉は「危ない人」のところで黒贄を一瞥した。天井のスピーカーが空気の洩れたような奇妙な笑い声を上げた。

「ヒューハ、ヒュハー、ヒュハッ。まず、警察は呼んでも来ないよ。上層部に話は通っているからね。ちなみに警視総監もうちの会員だ。おっと、この台詞は編集でカットしておかないとね。それから君の代わりに僕を罰してくれるという危ない人は、片手になってもうボロボロじゃないか」

 草葉は昏い笑みを浮かべるだけだ。黒贄がちょっと渋い顔で無事な右手を上げた。

「ご心配ありがとうございます。ただそれより気になることがありまして。私は草葉さんからそんな依頼を受けた覚えはないんですよ。報酬も貰ってませんしね。それで、今回の企画でギャラは払って頂けるのですかな」

 スピーカーが沈黙した。悪魔探偵・紅本亜流羽が口元を隠しながら小さく吹き出した。響高丸は「何、これはスナッフ番組だって」と電波に教えてもらったらしく今更驚いている。

 やがて鮫川の声が再開された。

「ギャラは払うとも。ただし後払いだから君達が撮影終了まで生きていればの話だな。密室殺人の謎解きを四つ、犯人当てを三つ、脱出方法解明を三つ用意しているから、見事クリアして生き延びてくれたまえ。三回ミスすれば死んでもらうことになるがね。探偵同士で答えを教え合うのは禁止だ。回答は一人ずつ行い、その間他の探偵は別室に待機してもらう」

「お主の茶番にわしらが付き合うと思うのか」

 言ったのは剣里火だった。スピーカーの細い声が嘲る。

「付き合ってもらうよ。逆らえば名札を爆発させる。外そうとしてそこの彼みたいに内臓を晒さないことだ」

 その黒贄が穏やかに反論した。

「別に内臓を晒すことが法律で禁じられている訳でもありませんからね。たまには出して手入れするのもいいものですよ」

 胸の穴に右手を入れ、潰れた心臓を掴み出してみせる。心臓はまだ動いていて破れ目から少量の血を噴いた。汚いものでも見るように紅本が眉をひそめる。

 剣が言った。

「爆発させてみろ」

 錆びついた声が終わると共に、奇妙な音が聞こえ始めた。吹き抜ける風の音とも違う、口笛に似ているが何処から聞こえているのかはっきりしない、ヒュールルルルという澄んだ響き。黒子が音の出所を探してカメラを彷徨わせる。

「おや、久々に聞きますなあ」

 黒贄が懐かしそうに目を細める。

 剣里火が左手をゆっくりと上げていき、胸の名札に触れた。指を曲げて掴む。ヒュルールルルという美しい音色が続いている。

 名札を掴んだ左手がコートの胸から離れた瞬間、血肉を吹き飛ばして爆発した。

 司会者・四巡刺彦の腹が。

「え」

 四巡が腹に開いた血みどろの穴を見下ろした。間髪入れず胸も腕も爆発した。首も足も立て続けに、誘爆したような八連爆が四巡を粉々の肉片にして室内に撒き散らした。眼球が一つ壁をバウンドして、待ち構えていた鰐探偵ピートの口内に収まった。司会者の爆死を黒贄は不満げに見ていた。紅本亜流羽の頬にも肉片がつき、彼女は長い舌で舐め取った。草葉の体を肉片が素通りした。電気椅子探偵ウィリアム・スコーチマンにつく二人の看守は「Fuck」とか「Oh! My God」とか悪態をついていた。

 赤いドミノマスクが、天井にベッタリと張りついていた。粘っこい血の糸を引いて下がっていき、テーブルの中央にコトンと落ちた。

 不思議な響きがやみ、無傷の剣里火が左手を開いた。革手袋には何も載っていなかった。

 探偵達の胸から残らず名札が消えていた。問題の一瞬で剣が全て回収し、四巡の体内に埋め込んだのだ。

「良い映像が撮れたか」

 剣が言った。黒子の構えたカメラはレンズが血肉でドロドロになっていた。慌てて布を出して拭く。その様子もまた別の隠しカメラで撮られているのだろう。

 もう一人の主催者側の人間である大男・碇は相変わらず動かなかった。黒い頭巾から覗く目に動揺はない。

 四巡が立っていた辺りに白い靄のようなものが漂っていた。もしかすると爆発の煙かも知れないが。悪魔探偵・紅本亜流羽が赤い唇をすぼめると、白い靄は彼女の方へと流れ、口の中に吸い込まれて消えた。

「御馳走様」

 紅本は満足げに手を合わせた。彼女が祈りを捧げる対象は何処にいるのだろうか。

「君達は面白いな。実に、面白い」

 鮫川の声が響いた。スピーカーの隠れた煙検知器から血が滴っているが、プロデューサーの細い声は心底楽しんでいるようだ。

「久々の大ヒット作になりそうな予感がするよ。もう犯人当てなどという小手先はやめだ。まとめて一つのゲームとしよう。君達が生きてこのビルから出ることが出来るかどうか。それだけのシンプルなゲームだ」

 草葉陰郎が切り返した。

「私もゲームを提案します。鮫川極さん、あなたが明日まで生きていられるかどうかというシンプルなゲームです」

「ヒューハッ。考えておくよ」

 それきり鮫川の声は聞こえなくなった。

 白けた静寂の中、黒子はカメラで探偵達の顔を見回していた。

 黒贄が心臓を元の位置に戻して聞いた。

「それで、ギャラは出るんですかね」

 答える者はいない。黒贄はテーブルの上のドミノマスクに目を留めた。右手を伸ばしかけ、「いや、人の使ったマスクを流用しちゃいけませんね」と引っ込める。

「申し訳ありません。剣さん、僕に触れてしまいましたね」

 低い声がした。人生の活力を残らず搾り尽くされたような、枯れた声。疫病神探偵・薄井幸蔵が机に伏したまま喋り始めたのだ。

「確かに名札を外す時に触れたが」

 剣が答える。

「申し訳ありません。あなたは死ぬことになります。申し訳ありませんが、僕と同席した皆さんも全員死にます。僕と関わった人は結局皆死んでしまいます。本当に申し訳ありません」

「そうか、これはお主の力だったか。急にずれ始めたようだ。この世界に合わなくなってきた」

 剣の姿が妙にぼやけていた。ふとまともに戻るがまた次第に輪郭が溶けていく。

「申し訳ありません。僕はこういう星の下に生まれてしまったのです。申し訳ありません。こんな僕が生きているべきではないのですが、自殺さえも失敗してしまうのです。あらゆることが失敗してしまいます。申し訳ありません」

「剣さん、こんな時こそ契約が役に立ちますわ」

 紅本がまた契約書とペンを出してくる。剣は鍔広帽を振って拒絶した。

「不要だ。事を終えるまではこの世界に留まっておれるだろう」

 黒贄が右手を上げて発言を求めた。

「ええっと、よろしいですかな。ゲームは始まってるんですよね。ならば取り敢えず主催者側のスタッフさんはお亡くなりになって頂いてもいいですよね。ブラックソードさんが一人殺してしまわれたのに、まだ私は誰も殺してないんですよ」

 黒子が仲間の碇へ顔を向けた。碇は何とも思っていないようで鰐探偵の鎖を持ったまま動かない。草葉が冷たく告げた。

「その前に、取り敢えずこの部屋を出るべきではないですか。皆さんは私のように無力ではありませんが、ここでじっとしていても埒は明きませんよ」

「それもそうですな」

 黒贄が早速立ち上がり、廊下に繋がるドアノブに右手を伸ばす。

「待て、どうやら建物の構造が変わって……」

 剣が言いかけたが既に黒贄はノブを回していた。台詞が間に合ったとしても黒贄は同じことをしていただろうが。

 ドビシュ、とドアを破り三本の槍が黒贄の胴を貫いた。あっさり背から抜けた三つの穂先が血に塗れている。

「おっと、間一髪でしたな」

 ずれたことを言いながら黒贄は構わずドアを開けた。槍が折れて胴体に残る。

 ドアの向こうはコンクリートの壁だった。槍の通る三つの細い穴が開いているだけだ。

「ふうむ。厚みは二メートルほどですかな」

 黒贄がコンクリートを軽く叩いて確認する。

「すまぬ。このビルはそれぞれの部屋が独立して動くようになっておるようだ。先程までは見えておったが、今はどうなっておるのか分からん。他のドアも迂闊に触らぬ方が良かろう」

 剣の謝罪を薄井が伏したまま訂正する。

「いえそれは僕のせいです申し訳ありません申し訳ありません」

「ふうむ。まあ二メートルくらいのコンクリートなら別にどうということもないのですが。ここはやはり折角スタッフさんがおられるのですから、脱出法を尋ねてちょっと拷問してみるのも良いのではありませんかな」

 黒贄が折れた槍の一本を体から引き抜いて嬉しそうに提案する。血に飢えた視線を受けて撮影役の黒子が身を震わせた。

 床に金属の落ちる音が響いた。鰐探偵ピートを引っ張っていた鎖を碇が離したのだ。ピートを跨いでのっそりと歩き出す。二メートルを超える背丈に丸太よりも太い手足。黒手袋が握り締めた拳は常人の三倍ほどもある。黒頭巾から覗く目は飽くまで無感動だった。

 待ち受ける黒贄の笑みは、すぐ戸惑いに変わった。碇の向かう先は黒贄ではなく、草葉と薄井の後ろを通って仲間の黒子の前で止まったのだ。

 黒子が碇を見上げた。薄布の奥の顔は怪訝そうだ。碇が黙って左手を伸ばし、黒子の手からビデオカメラを取り上げた。

「碇、何を……」

 言いかけた黒子の腹に碇の右拳がめり込んでいた。黒子の背が凄い勢いで壁にぶち当たり、拳と挟まれた腹が潰れたように見えた。背骨の砕ける鈍い音が響く。

「ゴブェッ」

 黒子が舌を突き出し苦悶の声を吐いた。黄色い胃液が薄布を濡らす。

 碇が拳を引き抜いた。黒子の体が前のめりに倒れかかる。壁には拳の形の凹みが残っていた。

 同じ右拳が今度は黒子の顔面を捉えた。バグゥンと異様な音がした。黒子の頭蓋骨が潰れたのは壁に叩きつけられる前だったかも知れない。碇の拳が完全に黒子の頭内に入り込み、血と脳脊髄液が拳を伝って床に滴り落ちた。黒子の手足は真っ直ぐに突っ張り、そのうち力が抜けた。

 碇は黙って拳を抜いた。黒子の薄布の下から潰れた眼球が転がり落ちた。ドシャリと床に倒れ伏す黒子の死体を、探偵達は平然と見守っていた。

 碇は血塗れの右手をトレーナーで拭き、左手のカメラを構えて室内を一巡させた。撮影係を引き継いだということらしい。通信機で鮫川の指示を受けたのだろうが、何故黒子を殺す必要があったのか。

「スタッフが喋ることはないという意思表示か。この男は飽くまで撮影役で、わし達を直接攻撃するつもりはないようだが」

 剣が言った。姿のぶれは少しずつひどくなっている。

「アンギレド星人が助けてくれるそうだ。エヒャヒャ」

 電波探偵・響高丸が引き攣った笑い声を上げた。

「ここまで宇宙船を一機差し向けてくれるそうだ。クヒャヒャ、俺の敵を皆殺しにしてくれるんだとさ。大サービスだぞ。五分以内に到着するって……ん、どういう……やめろ、こんな時にやめてくれ。そんな馬鹿な」

 響は立ち上がり、血走った目で天井に怒鳴り始めた。

「どうなさいましたかな」

 誰も聞かないので仕方なく黒贄が尋ねる。響は泣きそうな顔で答えた。

「とんでもないことになった。ポルルポラ星人がアンギレド星人に戦争を仕掛けた。宇宙戦争の勃発だ。地底人は何をしてる。未来人は……あっ」

 響がキョトンとしてそれを言った。

「俺が今死ぬって未来人が」

 響の足元の床に突然穴が開いた。数枚のねじくれた刃が回転しながら素早くせり上がり、椅子を突き破り響の尻から脳天まで貫通した。イルミネーションを纏った胴が螺旋状に裂かれベラリと開き内臓をぶち撒ける。切断された右腕がテーブルを転がった。二人の看守が悲鳴を上げる。

 響高丸の頭部が円錐形の髪ごとパカリと割れた。髪の芯には金属棒が通っていた。アンテナとして使っていたのだろう。

 ピンクの脳内に小さな機械が入っていた。丸いカプセル状のものがほぼ中心に、四角のチップらしきものがやや下に。頚椎にも円筒形の装置が埋まっていた。二つに割れた心臓にも円盤状の装置がへばりついていた。受信機を埋め込まれたという響の主張は真実だったのだ。

 電波探偵・響高丸は死んだ。ねじくれた刃は現れた時と同じスピードで床に引っ込んでいき、丸い穴は蓋がスライドして元の床になった。注意して観察しないと境目が分からない。ベラベラに開いた響の死体は椅子に倒れ込んで動かなかった。

 その場に留まる靄のような何かを、隣の紅本が吸い込んで「御馳走様」と手を合わせた。

「すまぬ。反応出来なかった」

 死者に謝る剣は肩から上だけが宙に浮いた状態となっていた。残りの部分は別の次元にずれてしまったようだ。

「申し訳ありません。僕のせいです」

 薄井は同じ台詞を繰り返すだけだ。

 黒贄が咳払いを一つして、尤もらしく言った。

「地底人の仕業ですかな」

「違うと思います」

 草葉が素っ気なく答えて立ち上がった。蝙蝠傘をステッキのように握り、右のドアに向かう。

「安全な出口を探してみます。私が戻るまでこの部屋を出ない方がいいかも知れません」

 幽霊探偵・草葉陰郎はドアを素通りして消えた。

 部屋に残されたのは八人と一体と一匹となった。左手を失い胴に槍の刺さった殺人鬼探偵の黒贄礼太郎。今は両足だけが椅子に座る四次元探偵・剣里火。一度も顔を上げない疫病神探偵・薄井幸蔵。余裕たっぷりの悪魔探偵・紅本亜流羽。まだ目隠しも外してもらえない電気椅子探偵ウィリアム・スコーチマンと、付き添いの看守二人。鎖を引き摺ってのんびり這う鰐探偵ピートと、誰にもゼンマイを回してもらえず止まったままの機巧探偵・茶伯備次郎。そして、スナッフビデオ製作者側である大男・碇は部屋の隅でカメラを構えている。

「では、私も探偵らしく知的な調査でもしてみますかな」

 黒贄が持っていた槍を胴体の穴に刺し戻して左のドアまで歩いた。「ううむ」と観察するふりをするが二秒もせずにあっさりドアを引き開ける。

「ありゃ」

 ドアの裏側ノブにロープが繋がっていた。滑車を経て床中央の穴に連なるロープは何を動かしたのか。カタン、と音がしたのは探偵達の部屋の方だった。

 二メートル四方の床が抜けた。アメリカ人の看守の一人が落とし穴に呑み込まれた。下で水音がした。もう一人の看守は穴の縁になんとか掴まり「ヘルプ」と叫ぶ。電気椅子を載せた台車も後ろ半分の支えを失い傾きかけたところ、紅本亜流羽が人間離れした素早さで駆け寄り椅子を捕まえた。不自然な体勢から片手で易々と引き戻す。台車だけは滑って下へ落ちた。

「まだサインを頂いてないのに危ないところでしたわ」

 紅本の台詞は階下からの悲鳴に掻き消された。

 黒贄が落とし穴の縁から覗き込む。近寄ってきた碇もカメラを床下へ向けた。下の部屋も明かりで照らされておりはっきりと様子が見えた。大型のプールで看守がバタついている。水飛沫の奥に灰色の何かが蠢いている。水が急速に赤く染まっていく。

 無数のピラニアの群れが看守を貪っているのだった。助けを求める看守の喉も噛み切られ、派手な水音だけになった。

「申し訳ありません。死にます」

 唐突に疫病神探偵・薄井幸蔵が俯いたまま立ち上がり、自ら落とし穴に飛び込んだ。ドゥプンと陰鬱な音がして、赤い水飛沫も何処か重かった。

 薄井はもがこうともせずそのまま俯せに浮かんでいた。新たな獲物を得てピラニアが一斉に襲いかかる。

 いや、食人魚の群れは薄井に触れる前に方向転換して散っていく。ピラニアが嫌う何かが薄井にあるのか。そのうちピラニアは腹を見せて浮き始めた。水面がラメ入りグレイの死体で埋まっていく。既に骨だけになった看守はピラニアの下に沈んでいた。

 ベシビシリッ、と奇妙な音が聞こえた。水がピラニアと共に一方へ流れていく。上からは見えないがプールの壁か底が割れたらしい。どんどん流れの勢いが強くなり水位が下がっていき、俯せの薄井幸蔵はピラニアの死体に囲まれたままプールの底についた。

「申し訳ありません。また生き延びてしまいました」

 薄井はずぶ濡れになっただけで無傷だった。

「ふうむ。人類が絶滅しても生き残ってしまいそうな人ですなあ。全くそそられませんが」

 黒贄が落とし穴から控え室に視線を戻すと鰐探偵ピートの口から二本の足が出ていた。落ち損なったもう一人の看守を丸呑みしたのだ。

 別の次元に完全にずれ込んでしまったらしく剣の姿はなかった。紅本亜流羽は契約書をブリーフケースに戻している。

 電気椅子からウィリアム・スコーチマンが立ち上がり、コードの繋がったヘルメットを脱ぎ捨てた。肩までかかる金髪が揺れる。目隠しも自分で外すと青い瞳が露わになった。知性と酷薄さを併せ持つ瞳。

 スコーチマンは片頬を曲げて冷たい笑みを浮かべ、紅本に「サンキュー」と告げた。

「ユアウェルカム」

 紅本もにこやかに応じる。ドサクサ紛れに交わした契約の条件は電気椅子からの解放であったらしい。スコーチマンは鰐探偵の口から僅かにはみ出す看守の足首を一瞥し、鼻歌を歌いながらその横を抜け正面のドアへ歩いた。

「グッバイ」

 探偵達に片手を上げ挨拶してから、スコーチマンはドアノブに触れた。

 瞬間、スコーチマンの全身が痙攣を始めた。眼球が裏返り金髪が逆立ち囚人服が煙を上げる。紅本が笑みを深める。碇が早速カメラを向けている。

 服が燃え上がった。炎が髪に燃え移り、皮膚が焼け爛れてもスコーチマンは立ったままで、手はノブから離れなかった。天井に黒い煤がつき、室内を漂う煙に黒贄が咳をした。

 全身黒焦げとなったスコーチマンはその場に崩れ落ちた。ドアノブには炭化した右手首だけが残っていた。

 電気椅子を逃れたウィリアム・スコーチマンは高電圧の電流トラップで人生を終えた。これまでのやり取りを見ることも聞き取ることも出来なかったことが敗因であったかも知れない。彼の自由は三十五秒しかなかった。

 部屋全体が揺れ始めた。何処かでビシバキという建材の割れる音が聞こえる。次第に揺れが大きくなり控え室の壁にも亀裂が走る。これは主催者の仕掛けではなく、関わった者を皆殺しにする薄井幸蔵の力であろうか。

「皆さん、そろそろ移動しませんか」

 黒贄が提案したが、まともに応じる者は部屋に残っていない。紅本は煙の中から何かを吸い込んでいた。

「どうでしょう、ええっと、ゼンマイ探偵さんでしたっけ」

 黒贄が尋ねた相手は椅子に座ったまま放置状態の機巧探偵・茶伯備次郎だった。

「こうするんでしたかな」

 黒贄が茶伯備のちょんまげを右手で掴んで引き上げた。人形が穏やかに瞼を閉じる。ゼンマイを巻くためちょんまげを回そうとしたその時部屋全体が落下した。黒贄の髪が浮き上がる。すぐに強い衝撃が伝わって落下が止まる。部屋を吊っていたか支えていたものが壊れ、下の階にぶつかったようだ。テーブルと椅子が激しく踊り、落とし穴からピラニアの死体が跳ねてきた。常人なら間違いなく圧死した筈だが、おそらく薄井幸蔵は無事だろう。カメラを持つ碇は壁に片手をついて耐えていた。いや、指をコンクリートにめり込ませている。

「ありゃ」

 黒贄は右手のちょんまげを見た。軸が折れ、茶伯備の頭から抜けてしまっている。元の場所に挿し直してみるが空回りするばかりだ。

「探偵さんが壊れてしまいました」

「どうでもいいんじゃありませんか。どうせ人形ですから」

 紅本は魂の回収以外には興味がないらしい。建物が揺れていても平気で煙草を喫っている。

 黒贄は隣にある電気椅子に目を留めた。早速羽織袴の茶伯備を抱えてそちらに座らせる。ちょんまげを失った頭に電気コードつきのヘルメットを載せ、足袋を履いた左足首に電極を繋ぐ。

「これですかな」

 椅子の後ろに据えつけられた機械のスイッチを入れると茶伯備の体から火花が飛んだ。閉じていた目が見開かれ、両腕が上がりメチャクチャに動き出す。

「下手人ハオ前ダ。下手人ハオ前ダ。拷問スルゾ。コレニテ一件落着。コレニテ下手人ハ、白状一件落着」

 ゼンマイ仕掛けの筈がどういう奇跡であろうか。左袖からドリルや鋸やペンチを出したり引っ込めたりさせて茶伯備が叫ぶ。羽織袴はブスブスと焦げ、人形の白い顔も少しずつ黒に変わっていく。

「いやあ、元気になりましたね」

 黒贄が微笑んだ。その右頬に茶伯備のドリルが抉り込まれ骨を削った。

「下手人一件落着」

 看守を呑み込み終えて満腹の鰐探偵ピートが七メートルの巨体を動かし始めた。鎖を引き摺り、傾いた床を這って右のドアへ向かう。鼻面の一押しでドアをぶち破り、一メートルほど上にある隣の部屋へ這い登っていく。

「出口はあちらみたいですね」

 紅本が早速ピートの後を追った。手も使わずに軽々と段差を飛び越える。

「どうにも私が活躍する機会がありませんなあ」

 黒贄が愚痴を零しながら電気椅子ごと機巧探偵を運んでいった。最後に碇が無言で続く。

 隣の部屋にはバラバラ死体が転がっていた。剣の指摘では正面にある筈だったがやはり部屋は移動していたようだ。鰐探偵は迷うことなく左のドアを押し破った。まだ揺れは続いている。災厄はビルを倒壊させるつもりなのか。

 その先にはまた三つのドアがあった。正面のドアから幽霊探偵・草葉陰郎の濡れた顔が浮き出てきて黒贄達と目が合った。

「無力な私なもので、迷子になってました」

 草葉は自虐的な笑みを見せた。鰐探偵ピートは長い尻尾を振りながら右のドアを選ぶ。その先には亀裂の入ったコンクリートの階段があった。左の壁を鼻面で押すと三十センチ角で引っ込んでいき、奥で金属の噛み合う音が響いた。トラップを解除したということか。ピートはどんどん階段を上っていく。

「コレニテ一件落着。一件落着一件落着一件落着……」

 機巧探偵が狂ったように繰り返していた。

 

 

  四

 

 雷雨の中を一台のパトカーが進む。荒野は雨でグズグズに柔らかくなり、タイヤが沈みそうになりながら必死に泥を飛ばしている。屋根に長い金属の棒が結びつけられている。その先端は槍と斧が合体したような刃となっていた。ハルバードと呼ばれる西洋の武器だ。

 ピシャリ、と暗い空が光り大木に雷が落ちた。幹が折れ、燃えながらパトカーの進路に倒れかかる。パトカーは急停車せず逆に加速してくぐり抜けた。車体の側面には『八津崎市警察』とあった。

「ビルが見えてきました」

 運転していた若い巡査が言った。ワイパーが忙しげに動き、絶えず雨粒が叩きつけられる歪んだ視界にコンクリートのくすんだビルがそびえている。

「看板はないですけど多分あれが第十三スタジオビルだと思いますよ。建物はあれだけですから」

 巡査の制帽には幾つも穴が開いていた。何故か上半身は裸で見事な肉体美を晒している。制服のズボンもボロボロに破れて膝下はほぼなくなっていた。腰に拳銃のホルスターは存在しない。上下左右に白目の見える四白眼は殆ど瞬きをせず、散大しきった瞳孔は何処か遠くの理想郷を見つめているようだ。その理想郷はきっと赤い色をしているのだろう。

 殺人鬼警察官・城智志であった。

 城が話しかけた相手は助手席でなく後部座席で足を組んでいた。人を刺し殺せそうなほどに尖ったハイヒール。ギリギリまで短くしたスカートで肉感的な太股を見せつけている。日本人離れしたグラマーな体形で上着の胸元がきつそうだ。短めの髪に、少し険のある冷たい美貌。オレンジ色のシューティンググラスをかけ、両耳のピアスは銃弾型のアクセサリーが下がって揺れている。西部劇のような太い革ベルトは左右のホルスターにオートマチック拳銃とリボルバーを収めていた。傍らにはグレネードランチャーつきの自動小銃と象でも殺せそうな大口径ライフル、そしてポンプアクション式ショットガンが立てかけられていた。

 八津崎市警察署副署長・森川敬子は苛立たしげに唇を噛み、両手の指を組んだり離したりしていた。

「急ぎなさい。もう我慢出来そうにないわ」

 森川の言葉に城は渋い顔をした。

「副署長は今日行きがけに四、五人射殺してたじゃないですか。本官はまだ一人も殺してないんですよ」

「餓鬼がさえずるな」

 森川は言い放った。年齢は五才ほどしか離れていないだろうが、相棒を丸っきり見下している。

「裏社会の大物で手下は百人からいるそうじゃないの。ふふ、楽しみだわ。いいわね、城、敵のボスは私の獲物だから手を出すんじゃないわよ。雑魚共でも私より多く殺したら手足をバラバラに吹っ飛ばしてやるからね」

 血のように赤い唇を舌で舐める。八津崎市の空気にすっかり染まったらしく口調も荒っぽくなっていた。城はげんなりした様子で尋ねる。

「その草葉って人は信用出来るんですか。密告の電話一つで他県まで来てしまって、無駄足にならなきゃいいんですが。本官の使命は八津崎市民を守ることで」

 パトカーの揺れに伴い助手席の下を丸いものが往復している。善良な八津崎市民の生首だ。

「私は記録を確認してるのよ、猿。草葉陰郎という男は八津崎市警にこれまで二十二回通報してるわ。そのうち実際に出動したのは十三回だけど、彼の指摘は全て正しかったようね。信用出来ると思うわ。もし無駄足だったら何処かその辺で適当に殺して帰るだけよ」

 などと言っている間にパトカーはビルの前に着いた。雨避けのある乗降場所で停車する。城智志はパトカーを降り、屋根のハルバードを取り外す。

「あーあ、こんなに濡れちゃって」

 荒っぽくガラスを叩く音。後部座席の森川がショットガンの銃口で窓をつついているのだ。自分でドアを開けるつもりはないらしい。

「あ、申し訳ありません」

 城は恭しく後部ドアを開けた。

 玄関から黒子の格好をした男が現れて城に尋ねた。

「あの、どちら様でしょうか」

 言葉は丁寧だが声音は明らかに不審げだ。

「警察です。通報があったので参上しました」

 ハルバードを片手に城は答える。

「何かの間違いではないでしょうか。通報した覚えはありませんが」

「ここは第十三スタジオということでいいのかしら」

 銃器を携え森川が確認する。

「分かっておられるならお引き取り下さい。警察の方はここには入れないことになって……」

 雷鳴に銃声が混じった。稲光に三人の姿が照らされる。一人は輪郭がおかしかった。

 黒子の首から上が消えていた。ちぎれた肉片や脳の破片が壁に散る。自動小銃の銃口から白煙が昇っている。一発でこれだけの威力を発揮したのは、着弾時に変形して広範囲を抉るダムダム弾か類縁の弾丸を使っているのだろう。不死身の殺人鬼対策かも知れない。

「あれを出しなさい」

 瞳を喜悦に光らせ森川が命じた。城はパトカーのトランクを開けて車輪やフレームなど一式を降ろしてゆく。

 組み立て式の人力車だった。

 ビルの奥からわらわらと黒子達が駆けつけてくる。彼らは拳銃を持っていた。森川が嬉々として大口径ライフルを連射する。象やサイを仕留める弾丸が男達の胴をグチャグチャの肉塊に変えていく。

「出来ました」

 城が言った。完成した人力車に森川が乗り込みふんぞり返る。幌を畳んだままなのは全方向へ撃てるようにだろう。城が引き手となって金属の枠の内側に入り、右手でハルバードを左手で梶棒を握る。

「じゃ、突入よ」

「了解しました」

 城が人力車を片手で引いて駆け出した。玄関を抜けて廊下に転がる死体を踏み、激しく揺れる車の上で森川は見事にバランスを取っている。ドアが開いて黒子達が押し寄せる。森川のライフルが火を噴き、城のハルバードが男達の首を刎ね串刺しにしていく。鋼鉄のドアを城があっさり蹴破った。森川は右手でライフルを、左手で自動小銃を乱射していた。次々と肉塊に変わる男達。死体を車輪が轢いていく。城の体は幾つか敵の弾を受けていたが殆どダメージはないようだ。

「エレベーターが来ません」

 城が言う。

「なら階段を探しなさい。いや、こっちの方が早いわ」

 森川がショットガンで天井を撃ち抜いた。開いた穴を城がハルバードで掻き広げていく。彼の筋力なら人力車を持ったまま上の階まで跳べるだろう。

 警察官の名を借りた二人の殺人鬼は赤い歓喜に顔を輝かせていた。実際に返り血を浴びて赤く染まっていた。

 地震のためか断続的にビルが揺れていたが、二人にはどうでも良かったかも知れない。

 

 

  五

 

 鰐探偵ピートは巨体をくねらせて斜めに傾いた床を滑っていく。その後ろを悪魔探偵・紅本亜流羽、電気椅子で煙を上げる機巧探偵・茶伯備次郎、それを抱える殺人鬼探偵・黒贄礼太郎、蝙蝠傘を持つびしょ濡れの幽霊探偵・草葉陰郎と続く。最後尾で黒いトレーナーに黒頭巾の大男・碇が撮影を続けている。

 部屋ごと移動させる仕掛けは地下の一部だけだった。死体焼却炉や冷凍保管庫や拷問室を通り過ぎ、無事に長いトンネルを登り終えると地上の階に出た。見覚えのあるエレベーターまでの廊下だが、彼らの目的はビルから逃げ出すことではない。

 地盤が緩んできているらしく廊下も壁も全体的に傾いている。配線が切れたのか一部の電灯は消えていた。

「な、なんということでしょう。私の獲物が……」

 散らばる黒子達の死体に黒贄が呆然と呟いた。胴体に刺していた槍は全て抜け落ちていた。仲間の死にも碇は黙々と撮り続けている。

「三十人以上減ってしまって……。まずい、まずいですぞ。後どれだけ残っていることやら。ライフルの特殊弾頭と、この切り口はハルベルト……うぬぬ、まさかあの名前忘れたけど彼ですかな。こんなところまで出張してこられるとは」

 唸っている黒贄を放って草葉が紅本に言った。

「鮫川極はまだ最上階にいる筈です。紅本さん、あなたは逃げないのですか。わざわざ私達に付き合って崩れかけのビルを上る必要もないと思いますが」

 紅本は燃えるような赤毛を掻き上げ答える。

「必要はあるんですよ。鮫川さんにはこの十五年ほど契約をお勧めしてるんですが、間に合ってると言われずっと断られてるんですの。最近商売敵も出てきてしまって、先に契約されてしまうのも嫌ですし。今回窮地に陥れば鮫川さんの気も変わるかも知れません。ですからすぐには殺さずじっくり追い詰めて頂きたいですわね」

 どうせ契約した後はすぐ死んでもらう予定なのだろうけれど。

 草葉陰郎の濡れた顔が珍しく意外そうな表情を見せた。

「悪魔に商売敵がいるんですか」

 紅本亜流羽がその時浮かべた微笑は、知力を邪悪な目的に用いる者の、まさしく悪魔的なそれだった。

「いるのです。『地獄坂』という言葉をお聞きになったことは。失敗のリスクはありますが、死んだ後も魂は渡さずに済むので向こうに契約してしまう方が増えてしまって。全く、八つ裂きにしても飽き足りない厄介な商売敵ですわ」

 草葉は片手で顔を押さえ、考え込む仕草を見せた。肘から雨水が滴り落ちる。

「地獄坂、ですか。今のところ死者からそういう噂は入っていません」

「精々お気をつけになって。私も人類に絶滅してもらっては困りますから。黒贄さんもそうではありませんこと」

 紅本の呼びかけは黒贄の耳に届かなかったようだ。

「これはのんびりしている場合ではありませんな。そうでしょうええっと、電気探偵さん」

 茶伯備次郎は半ばほど焦げて一休みしていたが、黒贄が再びスイッチを入れ通電した。途端に茶伯備は両腕を振り回し喚き出す。

「拷問スルゾ、下手人ハオ前ダオ前ダオ前ダオ前ダオ前ダ」

 茶伯備の頭は百八十度回って黒贄の方を向いていた。ボスン、と茶伯備の顔面が破裂した。作り物の眼球の一つが黒贄の頬の穴にめり込んだ。ドリルの左腕がすっ飛んで壁に突き刺さる。右腕は天を指差したまま燃えていく。羽織袴が焦げ落ち木製の歯車が露出する。

「コレニテ一件落着」

 茶伯備の頭が電気コードを引きちぎりヘルメットごと真上に飛んだ。天井の穴をすり抜けて上階へと消える。

「分かりました。やはり急ぐべきなんですね」

 燃え盛る電気椅子を抱えたまま、黒贄が、ゆっくりと、振り向いた。右頬に嵌まり込んだ茶伯備の目も前を向いている。

 視線の先にはカメラを構える碇がいた。黒頭巾の二つの穴から無感動な瞳が見返している。

「手近なものから順番に片づけるべきですよね」

 黒贄は「こと」ではなく「もの」と言った。

 碇は右手を耳辺りに当て、何かに聞き入るように小首をかしげた。数秒後、彼はカメラを床に置いた。トレーナーの上着の裏に右手を突っ込み、取り出したのは刃の長さが十センチほどの手斧だった。死人の解体などにも使っているのか砥ぎ減りしている。大きな武器ではないが、碇の筋力を得て恐ろしい威力を発揮するだろう。

 鮫川からのお許しが出たのだ。碇は撮影スタッフからスナッフフィルムの演者へと変貌した。

 黒贄が嬉しそうに舌舐め摺りした。

「おっと、凶器と仮面を選ばないといけませんな。それから奇声も……」

 取り敢えず電気椅子を床に置いた時、残っていた人形の胴体が爆発した。焦げた木片に混じって金属光が飛び、碇の遥か後方、廊下の突き当たりの壁に突き刺さった。

 渦巻状になって揺れているそれは、茶伯備次郎の動力源、ゼンマイであった。薄く強靭な金属板は今、赤い血に濡れていた。

「ぐむ、う」

 碇が初めて声を発した。樽のような胴体の中心に、直径三十センチほどの風穴が開いていた。心臓を含め綺麗に切り取られた肉は碇の後方に落ちている。やはり渦巻状になった肉。ゼンマイが碇の胴を貫通していたのだ。

 碇がゆっくりと、膝をついた。黒いトレーナーが赤い血に染まっていく。

「こ、これは何かの間違いです。私はまだ何も……お願いですからまだ生きてて下さい。急いで凶器を選び……」

 黒贄が慌てていた。と、今度は碇の喉から刃が生えた。黒塗りの、両刃の剣の切っ先。黒贄の目が見開かれる。

 ヒュールルルという澄んだ音が何処からともなく響いていた。

 それでも碇は左手で剣を掴んだ。凄まじい生命力だった。握力で挟み込み動かなくしたつもりだったろう。確かに刃はびくともしなくなった。

 そして黒頭巾が縦に裂けた。頭頂部から抜けた黒い刃は途中から先が別の空間に呑み込まれたように見えなくなっていた。先端部を掴まれたまま、剣の中途だけが動いて碇の頭を割ってのけたのだ。

 黒頭巾が左右に分かれて落ちた。碇の岩のような顔は正中線に赤い筋が走っていた。目と目の距離が少しずつ開いていく。碇の頭部が首の付け根まで左右に割れた。右手の手斧が落ちた。左手は痙攣しながらまだ黒い剣を掴んでいたが、握力は既に失われ、刃はスルリと宙に引き込まれて消えた。

 筋肉達磨の大男・碇は何も出来ぬまま倒れ伏し、息絶えた。

「遅れてすまぬ。漸く復帰出来た」

 錆びた機械のような低いしゃがれ声。廊下の別の空中から唐突に男が現れた。ダークグレイのロングコートと鍔広帽。左手に黒い剣を持つ四次元探偵・剣里火だった。

「逆にちょっと早過ぎたようですよ」

 草葉が皮肉る。黒贄は泣きそうな顔で碇の死体を見ていたが、やがて全身を震わせ叫び出した。

「うあああああああ、うあああああああああ」

 右頬から茶伯備の眼球が押し出されスポンと飛んだ。黒贄が駆け出した。階段へ向かっていた鰐探偵ピートに飛びかかり、全長七メートルの巨体を抱え上げる。ピートの尻尾が嫌そうに揺れる。

「ああああああ」

 ピートを抱えたまま黒贄が跳んだ。鰐の頭と黒贄の頭が天井を突き破りコンクリートの破片を散らして二階の廊下に上がる。そこも黒子の惨殺死体が多数転がっていた。銃とハルバードによる傷。

「あああああああああ私の獲物があああ」

 黒贄は続けて跳んだ。今度は鰐の尻尾と黒贄の飛び蹴りが天井を破る。三階もやはり死体ばかりだ。黒贄は四階へ跳ぶ。やはり死体。五階。生者がいない。

「ああああああっ」

 渾身の錐揉みジャンプがそのまま五枚の天井をぶち抜いて十階に到着した。勢い余って黒贄とピートの上半身は屋上からはみ出した。雷雨が一人と一匹の顔を叩く。黒贄の頭は衝撃で少し変形していたが顔は笑みを湛えていた。十階の広いフロアにはまだ三十人ほどの黒子が生きていたのだ。ボスである鮫川極を守るため控えているのだろう。

 天井を蹴って上半身を抜き戻し黒贄がフロアに着地すると、黒子が全滅していた。

「遅れた侘びだ。ここはわしに任せろ」

 剣里火が言った。一瞬で三十人を斬り殺してしまったのだ。

 黒贄は絶句して、力なくその場に尻餅をついた。仰向けにもがくピートの重みでそのまま潰される。

 階をほぼ丸々使ったフロアを囲むように、巨大な回遊水槽が設置されていた。泳ぎ回っているのは灰色にラメの入った小さなピラニアの群れ。建物全体が傾いているため一部水が溢れてフロアを濡らしている。

 声がした。

「ピラニアは凶暴で、川に入った動物をすぐ骨だけにしてしまうというイメージが定着しているが、実際は意外に臆病だ。水槽で飼っていると殆ど動かずに購入者をがっかりさせることが多い。アマゾンでは子供達が平気で川遊びしているよ」

 空気が洩れているような細い声だが、底知れぬ自信を感じさせた。

 フロアの正面に高級な机がある。上に積み重なったモニター機器が些か場違いな印象を与えていた。

 いつの間にか到着していた紅本亜流羽の横、高級な革張りの椅子で男が足を組んでいた。スーツでなくゆったりした黒いセーターで首まで覆っている。白い手袋がワイングラスを揺らしていた。

 エンターテインメントの帝王・鮫川極は大きなサングラスで目元を隠していた。血色が悪く肉の薄い頬は五十代相応の皺を刻んでいる。薄い唇が大儀そうに動いて細い声を絞り出す。

「ただし、このブラック・ダイヤモンド・ピラニアは別だよ。体は小さいが、イメージ通りの獰猛さを誇っている。僕のお気に入りでね。この水槽にも一万尾くらいは飼っているかな。生き餌も週に一度は人間を落としているよ。どうでもいい浮浪者などはビデオにしていないがね。会員の目も随分と肥えてしまった」

 天井や壁には幾つものカメラが取りつけられていた。人間を追尾するように動くものもある。まだ撮影は続けているようだ。

「言うことはそれだけか」

 剣が告げた。凄まじい剣速故か、左手に握る黒い剣に血糊は残っていない。

 紅本がブリーフケースから契約書を取り出した。

「ちょっとよろしいかしら。鮫川さん、始める前に私と契約しませんか。襲撃者に対抗すべく、常人の十倍のスピードと生命力を提供致しますわ」

 鮫川は悠然と赤ワインを飲み干した。テーブルに空のグラスを置いて、細い声で告げた。

「君には何十回と勧誘を受けたが、返事は同じだ。間に合っているよ」

 ピシュ、と風が鳴った。

「あら」

 紅本が顔を仰け反らせた。その喉に水平に線が走り、パックリと開いた。

「今回は諦めますわ、残念ですが。そうそう、黒贄さん、『地獄坂』の件はよろしくお願いしますわね」

 悪魔探偵・紅本亜流羽の首が皮一枚を残してほぼ完全に切断されていた。血も出ず断面は黒い闇ばかりだ。風船の空気が抜けたみたいに紅本の体がしぼんでいき、服とブリーフケースごとペニャペニャになって床に落ちた。

 ポンッ、とそれも跡形なく消えた。

 ヒュールルルル、と澄んだ音色がフロアを響き始めた。剣里火の姿がぶれ、右半身が急に消えた。

 鮫川の椅子が縦に割れた。黒い刃が床までめり込む。だが鮫川の姿はそこになかった。体操選手もかくやとばかりに宙を跳んだのだ。黒い刃が異次元に戻り別の場所から襲う。超高速で黒と白が交錯する。

「ぬう」

 呻いたのは剣里火だった。口笛に似た澄んだ音が途切れ、剣はフロアの隅で片膝をついた。

 ダークグレイのコートが破れ、剣の腹部から腸が零れていた。右手で腹腔内に押し戻す。周波数がこの世界に合わなくなったことを割り引いても、剣の変幻自在な攻撃に常人が対抗出来るものではない。

 鮫川極は両腕を広げ、喝采を浴びるショーマンのように立っていた。部下達の死体を踏んで。

「おお、やっと私の出番ですかな」

 黒贄が我に返って立ち上がり、右手だけでピートの鎖を引っ張った。嫌がる巨大鰐をハンマー投げの要領でブンブン振り回し、プロデューサーに向かって投擲する。

 鮫川が身を屈めつつ両腕を振った。残像が重なって見えるスピードで何往復もする。

 ピートが鮫川の頭上を過ぎて机に激突した。その衝撃で尻尾が外れた。四本の足が切れて落ちた。長い胴体が輪切りとなってどんどんずれ落ちていく。胃の中で溶けかかった看守の死体も一緒に内臓を晒していた。鰐の頭部がコロリと転がって、断面が床についた。

 鰐探偵ピートはぶつ切り肉と化した。

 鮫川は全長七メートルのクロコダイルを空中で十八分割してみせたのだ。

「人間の可能性は無限だ」

 鮫川の細い声は悦楽に酔っていた。

「三十二年前、まだ僕が駆け出しのアシスタントだった頃だ。大手局の下請けで、芸能人がアマゾンの秘境を探検するという企画だった。秘境というのはちょっと大袈裟な表現でね、近くの村の住民は車を持っていたな。生きた牛を一頭買って川に落とし、ピラニアに食われる様子を撮影することになった。クヒュー、ヒュ、ディレクターの悪い冗談で、僕も一緒に縛られた。彼は住民に聞いていたんだ。ピラニアに人が襲われることはまずないとね。しかし、川が違っていた。そこで待っていたブラック・ダイヤモンド・ピラニアは、本物の殺し屋だったのだよ」

 鮫川極は黒のセーターを脱ぎ捨てた。裸の上半身が露わになった。白い手袋も外す。

 首筋から指先まで、肉がゴッソリと削げ落ちて、醜く引き攣れた皮膚が骨の上にかぶさっているだけの体だった。喉仏の下に穴が開き気管まで繋がってしまっている。肋骨の凹凸がはっきり見え、腹筋の代わりに皮膚がきつく巻いて内臓を閉じ込めているようだ。筋肉が殆どないのにどうやって彼は動いているのか。

「慌てたスタッフが僕を引き揚げるまで七十八秒。それだけの時間で僕はこうなった。映像が残っていないのが悔やまれるな。腸も半分ほど食われたよ。首から下の皮膚は全て移植されたものだ。そして、病院に運ばれるまでの六時間で、僕は別の生物に進化してしまったのだ。苦痛は快感に変わり、駆け抜けるアドレナリンが出血を止めた。残った僅かな筋肉が変質して百倍の力を発揮するようになった。問題は動きが速過ぎるとぶれてしまって、映像としては楽しめないことだな」

 鰐を輪切りにし剣の腹を割いたのは、素手の細い指であったのだ。

「そして僕は真理を手に入れた。苦痛と恐怖は、光だ。世界は光に満ち溢れ、今も美しく輝いている。この輝きを広めるのが僕の責務だ」

「まあそんなどうでもいいことはさて置きまして、重大な問題が生じてしまいました」

 落ち着きなくフロアを見回していた黒贄が言った。

「私の使うべき仮面と凶器が見つからないのです。奇声も決めないといけませんし大変ですよ」

 鮫川の細い指が握り締められ、嫌な軋みを上げた。

 その時フロアに開いた大穴からハルバードの先端が顔を出した。「よっ」というかけ声を発して殺人鬼警察官・城智志が上ってくる。左手の梶棒を引っ張ると人力車がついてきた。乱射副署長・森川敬子がシューティンググラスの奥で瞳を光らせる。

「チッ。残りはボスだけね」

「あ、ちょっ……」

 黒贄が手首のない左腕を上げて制止しようとする。だがそれより早く森川は引き金を引いていた。大口径ライフルから貫通力と破壊力を両立させた特殊弾頭が、鮫川を肉塊に変えるべく発射された。

 鮫川の姿が霞んだ。副署長の射撃能力はずば抜けていたが、プロデューサーの反応速度はそれを凌駕していた。銃口の向きと引き金を引く指の動きを見て角度とタイミングを計ったのだろう。斜め前に跳んで躱し、八津崎市警察の二人へと駆け……。

 ガギュンという硬い音に、ドブォブッ、という肉の弾ける音が重なった。

 鮫川極の左胸から左肩、首筋の左半分にかけてゴッソリと消失していた。骨と内臓の爆ぜた方向は前だった。攻撃は鮫川の後ろから来たのだ。撃った森川も驚いている。

 回遊水槽の正面に亀裂が入っていた。鮫川が躱した特殊弾頭は水槽の防弾ガラスにぶち当たり、跳弾して再度鮫川を襲ったのだ。稀な確率に嵌まることとなったのは疫病神探偵・薄井幸蔵に関わってしまった故か。

 鮫川の首が揺れ、サングラスが外れて落ちた。右目周囲はピラニアに食われたらしく瞼ごと失われ、剥き出しの眼球がギョロギョロと動いていた。鮫川の口が何か言いかけたが声にならなかった。それは「馬鹿な」であったかも知れない。

「うわっち滑った」

 水槽から溢れた水が血に混じって広がっており、建物の揺れに踏ん張ろうとした城が足を滑らせ体勢を崩した。その右手からハルバードがすっぽ抜けた。重い凶器がモニター満載の高級机にぶつかり、回転しながら跳ね返った先にやはりフラフラの鮫川がいた。

 ハルバードがうまい具合に鮫川極の首を切断した。生首が後方に転がって顔が上を向いた状態で止まる。そこへ凹んだ机から大型モニターがずれて転げ落ちた。ブラウン管を下向きにして。ブキュッと嫌な音がした。

 鮫川極は、自分の生首が潰れる瞬間をモニターで観ることが出来ただろうか。

 鮫川の胴体が前のめりに倒れ、もう動かなかった。跳弾した水槽の亀裂が広がっていき、ついにぶち割れて中の水とピラニアがフロアに雪崩れ込んだ。食肉魚は少ない水にもがきながらも黒子達の死体に噛みついている。

 鮫川の愛したブラック・ダイヤモンド・ピラニアは、三十二年ぶりに再び鮫川の体を食べ始めた。

 黒贄礼太郎は目と口を一杯に開いて、ムンクの『叫び』のような顔で鮫川の死体を見つめていた。

「わ……わた、し、の……出番は……カタルシス、は……」

 虚ろな声が敵のいなくなったフロアに響く。

 隅で腹を押さえていた剣里火が決まり悪そうに言った。

「これで片づいたか。まあ、その、では、さらばだ」

 剣里火は消えた。

「悠然と、凶器とか仮面とか、奇声とか……考えないで……すぐに、やってしまう、べきだったんですよ……人生は、早い者勝ちなんですよね……」

 両足首がピラニアに食いつかれているが、黒贄はそれにも気づかないようだ。

「では、処刑完了ということで。帰りましょうか副署長」

「ついでにその鰐の一切れ持ってきて。いいベルトが出来そうじゃない」

 ハルバードを拾う城に森川が声をかけた。鰐の皮つき肉を一つ人力車に積んで、二人はさっさとフロアの大穴から去った。

 フロアには黒贄以外、誰もいなくなった。

「ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ。ああーっああああっ」

 黒贄の声が段々大きくなってきた。

「ああーっああああーっ」

 黒贄が水飛沫とピラニアを散らして鰐のバラバラ死体に駆け寄った。鰐の長い尾を掴んで、先のない左手首を突っ込んだ。鰐の生首を拾い上げ、顎の間に思い切り自分の頭を突っ込む。鰐の生首に食いつかれたような姿になった。鰐の顎先が黒贄の鳩尾辺りまで届いている。

「ああーああああっ」

 声は僅かに篭っていた。目の穴がないので何も見えていないだろう。

「ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ」

 黒贄はそのまま走り出した。左腕で鰐の尾を鞭のように振り回しながら。水の抜けた防弾ガラスの水槽をぶち破りその向こうの壁も突き抜けた。

「ああーああああ」

 ビルの十階からダイブした黒贄は不様に胴体着地した。ぬかるみから起き上がり、泥だらけのまま走り出す。

「ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ。ああーああああ」

 黒贄は荒野を迷走していく。時折転びながら、尻尾を振りながら。八津崎市警察のパトカーは別の方向へ走っていた。

 先程まで雷雨だった天気は、いつの間にか晴れ渡っていた。

 ピサの斜塔並みに傾いた第十三スタジオビルの前で、バサリ、と音をさせて蝙蝠傘が出現した。開いた傘の下にだけ雨が降っている。

「やっぱり傘が要りましたね」

 蝙蝠傘を握る草葉陰郎は荒野を独りで歩き出した。

 再び大地が揺れた。ビルの傾きがひどくなり、突然土台ごと浮き上がったかと思うと倒れ始めた。くっついている地下の階が地上まで顔を出してくる。

 地階の壁の亀裂が拡大し、小爆発に押し出されるようにして薄汚れた格好の男が地上に転げ出た。

 無傷の男は、疫病神探偵・薄井幸蔵だった。

「また生き延びてしまった……」

 薄井は疲れた声で呟いた。のそのそと起き上がり、立って空を見る。

 日本晴れの空を無数の光点が飛び交っていた。夏の夜の蛍のように見えるそれは、円盤状のものと細長い葉巻状のものがあった。

 二種類のUFOが互いに戦っていることを知ってか知らずか、薄井幸蔵は眩しげに手を翳しながら呟いた。

「ああ、世界は美しい。生きてると少しはいいこともあるんだなあ」

 皺深い頬が子供のような笑みを形作った。

 次の瞬間、UFOの一つから放たれた光線が薄井幸蔵を蒸発させた。

 

 

  六

 

 忘れられたスライミー藤橋は二ヶ月かけて自力で戻ってきた。

 『迷探偵達の皆殺し大作戦』というスナッフビデオが大ヒットしているらしい。ただし、販売者が誰なのかは不明のままだ。

 

 

  エピローグ

 

「本当は剣さんにお願いするつもりだったんですけれど、ずっと不在なので」

 依頼人の言葉に黒贄礼太郎は尤もらしく頷いた。

「お気持ちは分かりますよ。剣さんは有能な探偵ですからね。それはもう、私の獲物を横取りしちゃうくらい、有能な探偵なのです。分かり過ぎるくらい分かりますとも。……まあ、ということでくじを引いて頂けますかな」

 黒贄が机の上の箱を指差した。上面に手首が入るくらいの丸い穴が開いている。

 と、その穴から黒い手袋を填めた手首が現れた。宙を掴むようにパタパタと揺れ、唐突に引っ込んで消えた。

 依頼人は目を丸くしていた。黒贄は顔をしかめ、黙って箱の中を確認すると、ニッコリ微笑んで告げた。

「どうぞ。一枚お選び下さい」

 依頼人はおずおずと右手を入れ、折り畳まれた紙片を一つ選び出した。黒贄が恭しく受け取って開く。

「ふうむ。六十二番ですか。何でしたかねえ」

 黒贄は左のドアへ歩いた。鍵束を取り出したところで動きを止めた。

 ドアから艶消しの黒いブーツが生えていた。中身が入っているようで足首を曲げ伸ばししている。

「どうかしました」

 依頼人が尋ねる。黒贄の背に隠れてブーツが見えていないようだ。

「いえ、何でもありません」

 黒贄はブーツの底を掴んで押し戻した。ブーツが消えた後もドアに穴は開いていなかった。

 ノブのロックと南京錠を外して黒贄がドアを開けた。その顔面に飛び出してきた鍔広帽が頭突きを食らわせた。

「ぬおおおおぉぉぉぉすまんまだ調子がああぁぁぁ」

 帽子をかぶった生首が宙を転がっていく。続いて片腕が後を追い、更にダークグレイのロングコートを着た胴体が錐揉みしながら天井へ消えた。

 黒贄は、折れた鼻柱を摘まんで修復した。コキッと行き過ぎて鼻筋が逆向きに曲がる。

 溜め息を一つついて、黒贄は絶句している依頼人を振り返った。

「ええっと、何番でしたっけ」

 

 

戻る