第三話 ゾンビでGo

 

  プロローグ

 

 高級ホテルの一室にある畳敷きのスペースで、四人の男達が難しい顔を突き合わせていた。皆スーツを着ているが、粗暴さを分厚い皮膚でまったりコーティングしたような顔つきはまともなサラリーマンには見えない。

「で、どうするんだ。これから」

 太った男が眼鏡をかけた男に問うた。苛ついた口調だった。

「逃げるさ」

 眼鏡の男が答えた。平静を装っているが、微妙に視線が泳いでいるのは不安のせいだろう。

「ばれるまで後二週間くらいは余裕があると思ったが、まあ仕方がない。急いで高飛びの用意をすれば間に合うさ」

「それよりも俺が聞きたいのは金だ。山分けの約束だったが、隠し場所を知ってるのはお前だけだ。早いうちに分配しておこうじゃないか」

 そう言ったのは頬に刃物傷のある男だった。眼鏡の男が答える。

「大丈夫だ。金は絶対安全なところに隠してある。俺を信用しろ」

 刃物傷の男が唇を歪めた。

「言っちゃあ悪いが、あまり信用出来ないね。今回の不手際はお前のせいだぞ。一部の客は追っ手を出したかも知れん」

「俺のせいじゃない。単に運が悪かっただけだ」

 眼鏡の男が歯を剥いて反論する。それを太った男がたしなめる。次第に彼らの声が高くなり、険悪なムードになってきた。

 が、それまで黙っていたサングラスの男が口を開いた。

「誰かノックしたぞ」

 男達の動きが停止した。ドアは内側からロックしてある。互いの顔を見合わせて、眼鏡の男が声をかけた。

「誰だ」

 同時にベキッと音がしてドアが開き、一人の男が入ってきた。壊れたドアノブが床に落ちる。

「ちょっとすみません。まずはコンセントをお借り出来ませんか」

 男は長身で、アイロンがけとは無縁そうなヨレヨレの礼服を着ていた。ネクタイはしておらず、上がり口に残した靴は薄汚れたスニーカーで、ホテルの従業員でないことは明らかだ。

 礼服の男は、右手に電気ドリルを握っていた。電源コードは二メートル半ほどだ。ハンドル部分に八十一と書かれた紙きれが貼られている。

「な、何だお前は」

 男達が唖然としている間に、礼服の男は勝手に上がり込んで壁のコンセントにプラグを挿し入れた。

 回転し始めたドリルの先を突き出しながら礼服の男は言った。

「黒贄と申します。ところで三宅卓治さんはどなたですかな」

 言い終えた時には一人死んでいた。太った男の左こめかみを電気ドリルが貫いたのだ。ビュルビュルと嫌な音を立てながら、黒贄がドリルを引き戻す。脳と骨の小さな欠片がドリルの溝から飛び散り、男のこめかみの穴からは血が溢れ出した。眼球を裏返し、太った男は前のめりに倒れ手足を痙攣させた。

「お、追っ手かっ」

 サングラスの男がスーツの内側に手を入れた。拳銃を取り出すつもりだったろうその右手首をドリルが貫いた。男が上げた悲鳴は喉にドリルが刺さって中断された。気管に穴が開き、男が喉を押さえて蹲る。黒贄が笑顔で男の後頭部にドリルを突き刺した。

「うわっわわっ助けてくれっ」

 頬傷の男が逃げようとした。一つしかないドアへ向かって黒贄の前をすり抜けようとするが、あっさり左手で肩を掴まれ、背中から血染めのドリルを食らう。

「あぎっぎぎっぎいいっ」

 ドリルは心臓を貫いたようで、頬傷の男は崩れ落ちた後二、三度床を掻いただけで動かなくなった。

「みみ、三宅卓治は俺だっだっだからっ殺さないでくれっ」

 立ち上がった眼鏡の男は後じさりするが、すぐに背中が壁にぶつかる。

「良かった。あなたが三宅さんでしたか。ご安心下さい。私は生け捕りを頼まれているだけですから」

 黒贄は穏やかな口調で告げた。ただし瞳孔が散大しきった瞳は殺る気満々だ。ドリルが回転して血を飛ばし、黒贄は一歩、二歩と近づいて電気ドリルを三宅の額へ向けた。三宅は動けずに目を見開いて最期の瞬間を待っていた。

 ドリルの先端が三宅の額を抉ろうとした時、急にモーター音に力がなくなり回転が停止した。

「あ」

 黒贄は振り向いた。コンセントからプラグが抜けている。三宅の立つ壁際までコードの長さが足りなかったのだ。

「ちょっと待ってて下さいね」

 黒贄は戻ってプラグを別の壁のコンセントに挿した。

「さあ、続きを……」

 黒贄が顔を上げた時、三宅は姿を消していた。

 

 

「奴を逃がしたのか」

 受話器の向こうの声は怒りを含んでいた。

「申し訳ありません。今からまた追いかけます。次は絶対大丈夫ですよ」

 電話ボックスの中で黒贄は見えない依頼人に頭を下げる。

「絶対大丈夫だなんて、どうしてそんなことが言える」

 詰問する声に、黒贄は自信溢れる口調で答えた。

「延長コードを持っていきますから」

 

 

  一

 

 二階の自分の部屋で、少年はテレビゲームをやっていた。仮面をかぶった殺人鬼がチェーンソーを振り回して一般市民を虐殺していく横スクロールアクションだ。大勢の警官が発砲してくるし終いには自衛隊が戦車まで繰り出してくる。銃弾砲弾の雨嵐などお構いなしに殺人鬼はチェーンソーを振りまくる。人を殺すたび体力があっという間に回復する。

 が、ステージボスの登場で立て続けに千発以上の弾丸を浴び、とうとう殺人鬼は倒れた。ゲームオーバーの文字を見ながら少年は呟く。

「いっつもここで死ぬんだよなあ。手前の市民を殺さなくて盾にすればいいのかな。攻略サイトは見たくないけど」

 少年は十才前後だろう。スポーツが苦手そうな細い手足だが勉強も得意そうには見えない。丸い顔と団子鼻には愛敬があるが、その目はテレビゲームのやり過ぎで濁っている。

 少年は立ち上がり、大きく伸びをした。コンティニューを選ぶ前に窓を開けて換気する。冷たい夜の空気が流れ込んできた。

「あ、満月だ」

 少年は夜空を見上げた。中天にかかる満月は妙に大きく、赤みを帯びていた。

 満月の淡い模様を眺めるうちに、少年は急に目を見開いた。大きな生き物の影が満月の前を横切ったのだ。

「蝙蝠かな。でもかなり大きかったけど……」

 少年は窓から身を乗り出して広い夜空を見回すが、もう巨大な蝙蝠らしき影は闇に紛れて何処にもいなかった。

 今度は代わりに正面の通りで物音が聞こえていた。少年は夜空から下界へ視線を落とす。

 屋敷の前の道を、何十人もの男達が同じ方向に歩いていた。街灯がなく月明かりだけなのではっきりしないが、襤褸ぎれだけを纏っているような服装だ。ホームレスだとしてもひど過ぎる。また、彼らの歩き方がおかしかった。うなだれて妙にスローモーで、足を重たげに引き摺っている。

「ゾンビみたいだ」

 少年は顔をしかめて小さく呟いた。すぐに窓を閉めてロックする。自分の部屋を出て階段を下り、リビングに駆け込んだ。

「どうした、陽」

 ソファーに寄りかかってテレビを観ていた両親が振り返り、父親の方が聞いた。

「ゾンビ。……ゾンビがいる。沢山、家の前を歩いてる」

 少年の緊張した声に母親は吹き出し、父親は渋い顔で首を振った。

「ゲームばかりしてるからそんなことになるんだ。たまには勉強しなさい」

「違うよ。本当に……」

 少年が抗弁しかけた時、玄関の呼び出しベルが鳴った。母親が立ち上がり、台所のインターホンに向かう。

「きっとゾンビだよ」

「陽、いい加減にしなさい」

 父親が叱る間、母親は不思議そうな顔で受話器に耳を寄せていた。

「誰だ。こんな時間にセールスマンか」

 父親が尋ねるが、母親は首をかしげた。

「変なのよ。『くるしわ』とか『さぶろう』とか、訳の分からないことを言ってるわ」

「悪戯か」

 父親が立ち上がり、母親から受話器を取り上げた。「何のつもりだ」と不機嫌に問うその顔が、次第に怒りで赤らんでくる。

「全く、ふざけやがって」

 父親が部屋の隅に立てかけていた木刀を手に取った。

「駄目だよ。ゾンビだよっ」

 少年の叫びを無視して父親は玄関へと消えた。

「お父さん、ゾンビに食べられちゃうよ」

「陽ちゃん何言ってるの。この辺は殺人鬼はよく出るけど、ゾンビなんかはいないわよ」

 母親が気楽に少年の頭を撫でる。だが玄関の方から父親のものらしき悲鳴が聞こえてきた。

「ぐわっいてっごわわったすっ」

「あら」

 母親の動きが止まった。

「ほら、やっぱり」

 少年の顔は泣きそうになっていた。

 襤褸を纏った男達が土足でリビングに入ってきた。全身が土塗れで、干からびた顔はミイラのようだ。肉が落ちて頭蓋骨が覗いている者もいる。目はただの腐った空洞で、眼球の代わりに蛆虫の群れが嵌まり込んでいた。

 男の一人が、父親の生首を口に咥えていた。片頬を齧り取られた父親の顔は、情けない泣き顔を作っていた。

「な、何ですかあなた方は、出てって下さい、警察を呼びますよ……」

 えらく常識的な母親の台詞はゾンビ達には意味を持たなかった。無数の手に捕らえられ肉を食いちぎられていく。頭蓋骨ごと母親の頭頂部を齧り取ったゾンビが、首を反らせた際にベギッと音がして喉が割れ、折角飲み込もうとした肉片がそこから零れ落ちた。

「ほら、ゾンビだ、やっぱりゾンビだ」

 少年は震える膝を支えるのがやっとのようだった。ゾンビ達が少年を取り囲んで捕らえたが、食べようとはしなかった。

 三十体以上いたゾンビ達がのっそりと正面の道を空けた。少年は泣きながら、道の先に立つ者を見た。

 小柄で痩せた、法士服のような襤褸を着たゾンビがそこにいた。肉は失われているが皮膚は比較的保たれていて、土混じりの白髪は紐で束ねられていた。白濁した眼球が虚空を見据えている。

「われなんじのからをいただかん」

 小柄のゾンビが抑揚のないしゃがれ声で言った。

「嫌、助けてあば」

 他のゾンビ達が少年の口を無理矢理こじ開けた。小柄のゾンビが歩み寄る。

 小柄のゾンビが口を一杯に開いた。メチッと音がして乾いた頬が破れた。

「あああ、あああああ」

 少年は逃げようともがくが、ゾンビ達の腕力は強大で、身じろぎすら出来なかった。

 小柄のゾンビの口から、黒い虫のようなものが這い出してきた。

 

 

  二

 

「庸幻死書というものをご存知ですか」

 いつの間にか壁際に立っていた神楽鏡影は黒贄礼太郎に尋ねた。

「ほほう、あの庸幻死書がどうかしましたかな」

 黒贄はサバイバルナイフに錆止め油を塗りながら、別に驚くふうもなく聞き返す。

「……。とか言いながら、知らないんでしょう」

 神楽は嘲るように唇を軽くめくり上げた。鋭い犬歯が覗く。

「う。残念ながら」

 黒贄は少し鼻白んだ。

 裏通りに面した廃墟のような四階建てビルの最上階、黒贄礼太郎探偵事務所は相変わらず血臭に満ちていた。壁には多種多様な仮面が飾られ、棚には生首の入った瓶が収まり、下の段には処理しかけのまま忘れられた誰かの胴体が腐臭を放っていた。棚の横の椅子には骸骨が座っている。

 正面の机につく黒贄礼太郎は二十代後半から三十代前半に見えた。着古した礼服はヨレヨレで、肘の辺りがテカついている。ワイシャツには血の染みがつき、ネクタイはしていない。机の下から覗く靴は薄汚れたスニーカーだった。色白で彫りの深い顔立ちは西洋人と勘違いされそうだが髪も瞳も漆黒だ。髪は左右がアンバランスで、切れ長の目は幾分眠たげにも見えた。冷酷さを暗示する薄い唇はいつも何かを面白がっているような淡い微笑を浮かべている。

 黒贄から目一杯離れて立つ神楽鏡影は、二十代から四十代のどの年齢でもおかしくなさそうな、不思議な雰囲気を持っていた。袖の広い黒の着物姿は占い師である表稼業に違わぬものだが、その内側に別の服を着込んでいるようだ。彼の美貌は黒贄と対照的で、大型の肉食獣に似た獰猛な優雅さを誇っていた。温和を装っているその瞳は鋭さを隠しきれていない。艶のある黒髪は肩の辺りで自然に纏まっている。

 神楽鏡影は、知る者には『闇の占い師』と呼ばれ、裏で暗殺業を営む男だ。直接凶器で殺すか呪殺するかはケースバイケースだと、嘗て神楽は語っている。

 黒贄がサバイバルナイフを置くと、神楽は壁際に立ったまま説明を始めた。

「庸幻死書とは室町時代に書かれたとされる魔術書です。戦後になって京都の富豪の蔵で発見されるまでは、誰もその内容を知らず噂だけの存在でした。現在も写本が三十冊程度しかなされず、多くの魔術師にとっては依然として幻の書です。著者は不明ですが陰陽道とも密教とも異なる独自の魔術体系を伝えています。ただ、それ自体は材料や儀式の手間を考慮すると、他の魔術と比較して特に優れているという訳ではありません」

「ははあ、珍しい本なんですね。しかしあなたはお読みになっておられるようですな」

 黒贄が大して興味なさそうな口調で返す。

 神楽は静かに頷いた。

「ええ、写本ですが一冊持っています。問題は記されている術法ではなく、余禄として収められている雑記の方です。当時の術師達の暗闘ぶりや、帝や有力貴族達の寿命予測など内容は様々です。ちなみに寿命については調べられる範囲で確認しましたが、当たっているのは八割程度でした。……で、その雑記に、死泉についての記述があるのです」

「なるほど、死泉ですか」

 黒贄が顎を撫でて難しい顔をしてみせる。

「どうせあなたは知らないでしょうから説明しますが、死泉というのは当時最も恐れられていた妖術師の名前です。反魂の術……死者を生き返らせる術を得意としていたそうです。現代ではネクロマンサーと呼ばれるでしょうね」

「ほほう、ネクロマンサー……」

「勿論、あなたは知らないでしょうが」

 と、神楽は駄目を押し、黒贄を完璧にやり込めた。

「死泉は冥界の門を開こうとしていたそうです。つまり、この世とあの世を繋ごうとしていたのですね。そんなことになれば死者がこちら側に溢れ出して大変なことになりますから、幕府の軍と当時の陰陽師・高僧らが協力して、死泉と彼が操る死人達を追いやり、冥界の門ごと封印したと庸幻死書には記されています。ただし、封印の効力も永遠ではなく、六百年後には死泉が解放されてしまうのだとか」

「それは大変ですね。で、その六百年後というのはいつになるのでしょう」

「今年です」

 神楽はあっさり答えたが、その鋭い瞳は緊張感に満ちている。

「封印場所の特定がうまく行かず、再封印が間に合いませんでした。昨夜、石込町で封印が破れ、死泉と配下の死人が数百体、復活を果たしています。約十二時間を経過した今、今では死人は二千を超えているかも知れません。何故なら彼らが凄まじい勢いで住民を殺戮し、新鮮な仲間を増やしているのですから」

「はあ、そうだったんですか。困りましたな。八津崎市に生きた人がいなくなれば、私がここにいる意味がなくなってしまいます」

 今度は黒贄も真剣に考えているようで、薄い唇をへの字に曲げていた。いかにもというように神楽が深く頷く。

「そうでしょう。ですから何としても事態を収拾せねばなりません。早速石込町へ向かい、冥界の門が開かれる前に死泉の居場所を突き止めて下さい。死泉を倒せば支配力が失われ、死人達もただの骸に戻ることでしょう。私も準備をして再度石込町へ急ぎますから」

「よく分かりませんが了解しました。ではくじを引いて頂けますかな」

 黒贄が机の上の箱を指差した。上面に手が入りそうな丸い穴が開いている。

 数秒、神楽は黒贄の顔とくじの箱、机の上に置かれたままのサバイバルナイフへと視線を走らせていた。

 やがて小さく息をつき、慎重な足取りで机に近づき、いつでも攻撃を回避出来る体勢で手を伸ばして、箱の中から一枚、くじを引いた。それを机に置くと、黒贄に背を向けずにスルスルと壁際へ下がった。

「どうかなさいましたか」

 黒贄が不思議そうに尋ねた。

「いえ、気にしないで下さい」

 神楽は微笑したが、その目は笑っていなかった。

「ふむ、二十二番ですか」

 黒贄は神楽の選んだ紙片を開いて、左の部屋へ入っていった。ついでにサバイバルナイフを仕舞っている。

「それでですね、神楽さん。報酬の件なんですが、この間みたいに阿弥陀くじで決めるというのは如何ですかね。結果を四つくらいにして、十万円、あなたの命、あなたの命、あなたの命、と」

 喋りながら戻ってきた黒贄は、長い柄のモップを握っていた。先端には灰色の雑巾が挟んである。

「どうですか神楽さ……あ」

 神楽鏡影は、既に事務所から消えていた。

 机の上に、古い一万円礼が十枚、重ねて置かれていた。

 

 

  三

 

 太陽はそろそろ天の頂きにかかろうとしていたが、雲もないのに妙に空は薄暗く、淀んだ空気には腐臭が篭もっていた。

 石込町と他区域との境にある通りを数台のパトカーが塞いでいた。既に通る車もなく町は閑散としており、ショットガンや拳銃を持った十数人の警官が緊張した顔で詰めている。ライフルを携えた者もいた。

 パトカーのボンネットに尻を載せ、左手に煙草を右手にカロリーメイトの缶を持ち、喫煙と食事を同時に行っている男がいた。警官の制服ではなく、くたびれた地味なコートを羽織っていた。ワイシャツの襟は黄ばみ、折れ曲がったネクタイは首に巻いているのではなくワイシャツに直接縫いつけてある。年齢は三十代の後半であろう。短めの髪には寝癖がつき、頬と顎を不精髭が覆っている。

「おや、刑事さん。いらしてたんですか」

 モップを肩に載せた黒贄礼太郎が不精髭の男に声をかけた。警官達が黒贄を振り向く。

 煙草の火をボンネットで押し消しながら大曲源は言った。

「よう、クロちゃんかい。でも俺を呼ぶ時は刑事さんじゃなくて、署長さんと呼んでくれよ」

「了解しました。しかし私も、くらに、ですから、クロちゃんではなくクラちゃんと呼んで下さい」

「分かってるってクロちゃん。ところで今日はこの町に用事かい。大変なことになってるがな」

 全然分かっていない大曲に、黒贄も別段怒りはしない。

「ええ、死人相手は気が乗りませんが、仕事ですから仕方がありません」

「ゾンビ共がウジャウジャいるぞ」

 大曲が親指を立てて後方、石込町側を指し示す。土塗れの襤褸を着た死体が二十体以上、アスファルトの上に転がっている。その全てが、髪のない干からびた頭部に穴を開けているか、頭を丸ごと消失させていた。警官隊の銃やショットガンによるものだ。血は出ていない。

「映画で観た通り、頭が弱点だな。警官が五、六人、ゾンビに噛まれて病院で手当てを受けているんだが、死んでゾンビになる訳じゃあないようだからその点は安心だ。ただ、何しろ数が多くて処理しきれん。主要な道は封鎖させてるが、警察も人手不足でな。隙間から洩れてるかも知れん」

 大曲が喋っている間に、通りの向こうから若い男が現れた。パジャマ姿で、靴も履いていない。

「生存者ですかね」

 警官の一人が大曲に判断を仰ぐ。

 向き直って液体カロリーメイトを飲み干し、大曲は答えた。

「違うだろ。撃て」

 狙撃班がライフルを構えるのとほぼ同時に、パジャマ男がこちらへ向かって突進してきた。五十メートル近くあった距離がみるみる縮まってくる。男の素足は足の裏がベラリとめくれ、赤い足跡を残している。パジャマのズボンは赤く染まり、シャツの下から腸が顔を出して揺れていた。

 高い銃声が死の町に響く。パジャマ男の左肩が弾けた。頭部を外したのは狙撃手の動揺故か、或いは標的の動きが速過ぎたためか。一瞬よろめくが、男は倒れない。

「躊躇うな。しっかり狙え」

 大曲の面倒臭そうな叱咤が飛ぶ。

 パジャマ男の血の気のない顔が大きく口を開け、虚ろな声を発した。

「あああああ。ああああああ」

 他の警官達も発砲を始めた。男のパジャマに赤い穴が増えていく。死んであまり時間が経っていないようで、布地に血の染みが広がっていく。

 拳銃弾が左目を潰したが、脳に決定的なダメージを与えられなかったのかパジャマ男は変わらぬ疾走を続けてくる。恐慌寸前の警官達とは対照的に、大曲と黒贄は冷静にパジャマ男を観察していた。

 パジャマ男との距離が十メートルを切った時、大曲が右手人差し指を伸ばした。指先に開いた小さな穴から光線が閃き、指の動きに合わせてパジャマ男の両足を薙いだ。

 両膝があっけなく切断され、パジャマ男が前のめりに倒れた。後方のアスファルトにも黒い切れ目が出来ていた。尚も這って近づこうとする男に、黒贄が「ほい」と気軽にモップを振り下ろした。頭が潰れて脳がはみ出し、漸く男は動かなくなった。

 熱さを確認するように人差し指に触れ、大曲が言った。

「高出力の熱線は燃料をえらく食うんだ。今の二秒で五千円分は使っただろうな」

 大曲の半身は機械であった。パジャマ男の膝部分には焦げ目がついていた。

「それは大変ですね。私だったら勿体なくてとても使えません」

 脳味噌が絡まったモップを黒贄は再び肩に載せた。パジャマ男を見下ろす目は冷めている。死体を殺したところで楽しくも何ともないのだろう。

「出来立てのゾンビは動きが速いみたいだな。気をつけるよう他の封鎖地点にも連絡しとこう」

 大曲は早速部下達に指示している。

「古い皆さんは六百年も昔のものだそうですから。それだけお年を召されれば体にガタも来るでしょう」

「へえ、クロちゃんはこの事件のこと、何か知ってるのかい」

 片眉を上げて大曲が問う。

「依頼の内容を軽々しくお話しする訳にはいきませんので。では、行って参ります」

 黒贄は大曲に一礼して、モップ片手に歩き出した。大曲も疲れた声で彼を送った。

「そうかい。じゃあ頑張りな。政府に自衛隊の出動を要請してるんだが、まあ、来ねえだろうなあ。八津崎市は鬼門だからなあ」

 後半はただの愚痴に変わっていた。黒贄が死体を踏みながら通りを進んでいく。

 黒贄が見えなくなって少し後、別の角から中年の女が現れた。

「た……助けて……」

 顔は血塗れで、片足を引き摺っている。左手の指は何本かない。

 間髪入れずに狙撃手のライフルが火を噴き、女の胸の中心に風穴が開いた。女の顔が驚きに歪んだ。大量の血を撒き散らして倒れ、やがて動かなくなった。

「生存者だったみたいだな」

 顔面蒼白になった狙撃手を横目に、新しい煙草を出しながら大曲が呟いた。

「まあ、いいか」

 

 

  四

 

「お掃除お掃除〜」

 通りに黒贄の歌声だけが響いていた。所々に自動車が放置されている。窓が割れドアが開いたままになっているもの、塀に衝突して鼻面を潰しているもの。道の真ん中で燃え盛っているワゴン車もあった。車内に死体はない。それどころか通りには死体が一つも見当たらない。地面には血の染みが散在するしちぎれた手首や腸の一部らしきものがたまに落ちているが、本体は存在しない。ゾンビ達の食料として持ち去られたのか、それとも自分で歩いていったのか。

「誰も手伝ってくれないので〜一人でお掃除〜」

 人がいた。隠れ場所から引き摺り出されたのか、アパートの前で一人の男が五、六体のゾンビにたかられている。右腕を付け根からもぎ取られ、腹部を破られて内臓を食われながら、男の上げる悲鳴は既に弱々しくなっていた。ゾンビは襤褸を着た古いものが四体、パジャマ姿とスーツ姿の新しいものが二体だ。特に古いゾンビは消化器官などとうに干からびており、食べた肉が腹壁を押し破って零れ落ち、それをまた食べて、また零してを繰り返している。広がっていく血溜まりを一体のゾンビが啜っている。

「あのーもしもし、死泉さんは何処におられるか教えて頂けませんかね」

 黒贄がゾンビ達に声をかけた。全てのゾンビが同時に食事をやめ、黒贄の方を振り返る。無表情なゾンビ達と微笑を浮かべた黒贄が数秒間見つめ合う。

「……うああおあああ」

 スーツ姿の新しいゾンビが、血塗れの口を開いて虚ろな声を洩らした。

「なるほど、うああおあああにおられるのですね。しかしそれはどの方角ですかな」

 再度尋ねる間にゾンビ達は立ち上がり、黒贄へ襲いかかってきた。

「ほりゃほりゃ」

 真っ先に近づいたスーツのゾンビに、黒贄は両手で握ったモップの先端を突き出した。口の高さから上がちぎれて吹っ飛び、残った下顎から血を滲ませてスーツが倒れる。続いて黒贄はモップを横殴りに振った。雑巾を挟んだ金属フレームの端がパジャマのゾンビの側頭部にぶち当たり、爆発した頭蓋骨と脳の破片を散らす。

 動かなくなった仲間達を踏み越えて、ミイラ状のゾンビ達がのっそりやってきた。

「お掃除お掃除スーイスイ〜」

 気楽な歌声と共に剛力で振り回されたモップが、次々とゾンビの頭を粉砕していく。ゾンビ達は声も上げずに乾いた脳をばら撒いて前のめりに倒れていく。

「うごおおお」

 と、さっきまで食われていた男がゾンビになって立ち上がり、黒贄の足にタックルした。片腕でしがみつき、右の脛に齧りつく。新鮮な死人の咬筋力は皮膚を破り黒贄の脛骨の一部を砕いていた。

「で、うごおおおというのはそもそもどの方角なんでしょう」

 平然と尋ねながら黒贄は右足を蹴り上げた。しがみつく男がそのまま吹き飛ばされる。いや、脆くなっていた腹部がちぎれ、上半身だけが飛んでいた。直線的な軌道を描いて十メートル以上離れたマンションの三階の壁に激突した。潰れた頭を下にしてずり落ちていく。

「ふうむ。やはり死人相手は全く楽しくないですな」

 黒贄が気怠く呟くうちに、ゾンビ達が集合してきていた。通りの先から後方から脇道から裏道から、玄関を開けて屋敷から、螺旋階段を転がり落ちてマンションから、アパートの窓から、マンホールの蓋を持ち上げて下水道から、ゾロゾロゾロゾロとゾンビ達が歩いてくるのだった。既に黒贄は二百体を超すゾンビ集団に取り囲まれていた。古いものと新しいものの比率は三対七くらいだ。古いものは襤褸を纏って俯き、新しいものは手足が欠けたり内臓がはみ出したりして顔も服も血塗れだった。

「おやおや、死泉さんのところに案内して下さるのですかな」

 しかしゾンビ達は答えなかった。一様に無表情のまま、押し合いへし合いして黒贄へ殺到する。先頭の古いゾンビが転んで後続に踏み潰されるが、彼らはそんなことは気にしない。

「お掃除お掃除〜」

 黒贄のモップがリズミカルに踊り、近づくものから順番にゾンビの頭を叩き潰していった。飛び散った新しい脳と古い脳が地面で一緒くたになる。力なく倒れるゾンビを踏み台にして次のゾンビが迫る。それをまた黒贄が潰す。横殴りのモップで四、五体の頭が吹っ飛んだ。雑巾が血と脳漿に塗れる。

「拭いても拭いても益々汚く〜不思議なお掃除〜」

 いつの間にか通りはゾンビで賑わい、足の踏み場もないほどになっていた。或いは死泉が遠隔操作で集合させたのかも知れない。ミイラ化した古いゾンビ達は新しいゾンビ達のパワーに押されふらついている。石込町の住民である新しいゾンビ達は、首の折れた股引姿の老人から、足がなく両手で地面を掻き進む少女まで、老若男女勢揃いしていた。

 黒贄は見事な職人芸で新旧合わせて五十体ほどのゾンビを処理したが、子供ゾンビの頭を上から叩き潰した際に、モップの柄が中途でポキリと折れた。

「ありゃ、お掃除が……」

 残った柄を若い女ゾンビの顔面に突き刺して後頭部まで貫通させ、黒贄は手ぶらになった。ゾンビ達が黒贄の手足や肩や首筋に噛みついてきて、礼服ごと肉をちぎり取っていく。

「仕方ありません。泳ぎますかな」

 言うなり黒贄は両腕を振り回し始めた。ゾンビ達の頭を掌で潰し、同時に黒贄の体が浮き上がる。ギュウギュウ詰めのゾンビ達の頭上を、黒贄は胴体を水平にしてクロールで進んでいった。ゾンビ達は低く呻きながら両手を伸ばすが、黒贄の手掻きとバタ足によって撥ねつけられる。

 死人達の上を泳ぐ礼服の殺人鬼というシュールな光景に、しかし、笑う者はいない。千体を超すゾンビ集団が黒贄を掴もうとして追うため、黒贄とゾンビ達が巨大な波となって荒れ果てた町を移動していった。後には頭を潰されたゾンビの骸が点々と転がっているだけだ。

 数百メートルをそれで進んだろうか、やがて何を間違ったか死体と殺人鬼の波は大きな洋館の玄関をぶち破り、階段を転がり下りて地下室の扉が見えてきた。高さ一メートル八十センチ、幅一メートルほどの、分厚そうな鋼鉄の扉だ。

「お、これは失礼」

 黒贄はゾンビ達の上から降りて、背中を齧られるのも構わずに地下室の扉をノックした。寿司詰めとなったゾンビ達は殆ど身動きが取れない状態に陥っている。

「もしもし、ちょっとお聞きしたいことがありますので扉を開けて頂けますか」

 鋼鉄の扉の奥で、誰かが話す声が聞こえた。女の怯えた声と、男の冷静な声。別の男の頼りなげな声。

 やがて、男のはっきりした声が返ってきた。

「近くにゾンビはいないか」

「はい、沢山来ておられますが」

 肩に噛みつく古いゾンビを取り敢えず押しやりながら黒贄は答えた。ゾンビの首がブチッとちぎれたが、頭はまだ離れない。

 少しの沈黙の後で、声が再び問うた。

「じゃあ、あんたは何故無事なんだ。もう死んでいて、ゾンビの仲間になっているのか」

「いえ、まだ死んだことはありませんが。お腹も空きますので仕事をして稼がないといけません」

 ゾンビの雪崩を黒贄が背中で支えている。軋み音が続き、重みのため階段の一部がボクンと凹んだ。

 やがて扉の向こうから届いた声は、冷淡なものだった。

「扉は開けられない。帰れ」

「まあまあ、そんなことを仰らずに」

 黒贄が扉のレバーを掴んだ。大して力を込めたようには見えなかったが、扉の中で金属の割れる音がしてレバーがブラブラになっていた。

「お、おい、やめろ」

 声が慌てる。室内の気配が動き出す。

「ではちょっとお邪魔しますね」

 黒贄が扉を押すと、ロック部分がメキッと嫌な音を立てた。

「や、やめろ、開けるな。殺すぞっ」

 脅す声は悲鳴に近かった。それでやめるような黒贄ではない。更なる一押しで木枠が歪み、扉が内側へ開いた。黒贄が身を軽く屈める。

「お邪魔しまーす」

 「お邪魔」の「魔」の辺りで真正面から襲った鉈が、黒贄の顔面を縦に割っていた。鼻を真っ二つに裂いて額から下顎まで正中線を綺麗になぞってめり込んでいる。しかし黒贄は挨拶の言葉を喋り終え、地下室へ足を踏み入れた。

 扉の向こうにいた男はポカンと口を開け、黒贄の顔に食い込んだままの鉈と、鉈を離した自分の右掌を交互に見つめていた。が、黒贄の背後から飛び出してきたゾンビに足を掴まれて悲鳴を上げる。

「閉め、閉めてっ、早くっ」

 若い女が叫んだ。

「分かりました」

 黒贄は頷いて鋼鉄の扉を閉め始めた。既に十体近いゾンビが地下室に踏み込んでいたが、それも扉ごと押し戻す。ゾンビに捕まって手足をバタつかせていた男も扉に巻き込まれた。

「イダダダダ、タズゲテ」

「え、何ですか。もう一度言って下さい」

 男に尋ねながら、黒贄の容赦ない怪力が扉をグイグイ押していく。雪崩を起こして積み重なったゾンビ達がベキョリグチャリと潰れ、新しいものは口から臓物や脳味噌を吐いて圧縮されていく。床を這っていた古いゾンビが腰辺りでちぎれた。やがて扉が、完全に閉じられた。ゾンビ達の頭部の一部や手や指が隙間からはみ出している。

 巻き込まれた生存者の男は、頭と左胸、左腕だけを室内に残していた。鋼鉄の扉と木の枠の隙間は、一センチもない筈だ。

「タ……ス……」

 弱々しく言うと、男は大量の血を吐いた。男はそのままうなだれて、動かなくなった。彼の左肩に噛みついた古いゾンビは、首だけになっても咀嚼運動を続けている。

「ふむ」

 黒贄は地下室の中を見回した。電源が落ちているのか電灯は点いておらず、代わりに吊られたキャンプ用のランタンが淡い光を投げていた。広さは十畳ほどか。物置として使われていたようで、壊れたテーブルや椅子に汚れたクッション、錆びたストーブなど雑多なものが散らばっている。

 右の壁に大きな棚があった。板が分厚く頑丈な作りとなっており、鋸やらハンマーやら大工道具が収まっていた。黒贄は棚に歩み寄った。手を離すとすぐ、外から大量の肉に押されて扉がゆっくりと開き出す。挟まっていた男の体が床までずり落ちた。

 黒贄は棚を反対側から押していき、開きかけた扉を棚で完全に塞いだ。黒贄は片手で軽々と押していたが実際にはかなりの重量があるのだろう、棚は鋼鉄の扉をしっかりと受け止めびくともしなかった。

「さて、改めて皆さんこんにちは。黒贄礼太郎と申します」

 鉈に顔を割られたまま、黒贄はにこやかに一礼した。流れる血が顎から鉈の柄を伝って床まで滴っている。

「だ、大丈夫ですか」

 恐る恐る尋ねたのは小太りの中年男だった。白い下着のシャツに寝巻きらしいタオル地のズボンはこの屋敷の主人であろうか。

「ええ、大丈夫です。ご覧の通り腕白で、生傷が絶えません」

 そう答える黒贄は顔面の鉈だけでなく、体の数十ヶ所がゾンビによって食いちぎられ肉が見えている。上半身だけで床を這う古いゾンビの頭を無造作に踏み潰して、黒贄は続けた。

「それで皆さんにお聞きしたいのですが、死泉さんという方をご存知ですか」

 地下室には中年男を含めて五人の生存者がいた。クッションの上に座る若いカップルはお揃いのジャケットで、女の方の右足には包帯が巻かれていた。ゾンビに襲われてこの屋敷に逃げ込んだのだろうか。それから中年男に寄り添うようにして立つ同年代の女は妻であろう。白い美容パックを貼ったままの形相は恐怖に強張り、両手に出刃包丁と刺身包丁を握り締めている。出刃の方には既に血がついていた。最後は脚の折れたテーブルの陰から顔だけ出して震えている少女だった。年齢は十四、五才だろう。

 ちなみに鋼鉄のドアに挟まれて圧死した男は二十代後半で、作業服を着ていた。この屋敷の住人とどんな関係があるのかは不明だ。

「しせん……ですか。誰ですかそれは」

 中年の男が首をかしげた。

「六百年前の魔術師の方だそうです。昨夜封印が解けて甦ってしまわれたのだとか」

「こんな状況で、何をそんな馬鹿なことを言ってるんだ」

 カップルの男の方が苛ついた口調で吐き捨てた。男に向き直り、パック顔の中年女がヒステリックに叫ぶ。

「馬鹿なことって、この状況自体が既に馬鹿げてるじゃないの。ゾンビ映画なんて私は大嫌いなのよっ。誰か、早く何とかしてよっ」

 二本の包丁が刃先を震わせ、手当たり次第に刺しかねない雰囲気だ。

「ま、まあ落ち着け。包丁を向けるなよ」

 若い男が慌ててなだめる。

「やはり死泉さんのことはご存じないですか。困りましたな。居場所を探すのが私の仕事なんですが、やはり生命力に満ち溢れた相手でないと勘も働きません」

 顔の鉈は取らずに黒贄は頭を掻いた。

「……僕のことを……探してるの……」

 喉に大量の液体が引っ掛かったような濁った声が床から聞こえた。黒贄が振り返り、五人の生存者も蒼白な顔でそちらを見る。

 棚の横に転がっているのは、黒贄が扉を閉める際に挟まれて圧死した男だった。胴体を斜めに分断され、左胸と頭と左腕だけになっている。破れた作業服の間からはみ出した心臓が無意味な拍動を続けていた。

 外見の年齢に不相応な言葉遣いをしたその男は、だらしなく口を開け眼球は裏返ったままだ。

「おや、死泉さんとはあなたでしたか。これは失礼しました」

 黒贄が男に頭を下げると、その拍子に鉈が外れて落ち、スコンと床に刺さった。

「この男の、口を使っているだけだよ。本体は、別さ。移った脳で、今の言葉を勉強、したんだ」

 ゾンビとなった男は喋りながら、上向いていた眼球が少しずつ本来の位置に戻り、虚ろな瞳が黒贄を見据えた。

「変な、男だ。何者だ」

「先程も申しましたが黒贄礼太郎です。クラちゃんとお呼び下さい」

 黒贄は丁寧な口調でゾンビに応じる。生存者達は息を呑んで見守るだけだ。

 死体の男の緩んだ頬が、ゆっくりと邪悪な笑みを作った。

「で、クラちゃんが、僕に何の用」

「あなたのおられる場所を教えて頂けませんかね。後は依頼人の方が何とかなさるでしょうから」

「教えてあげたら、何かくれるの。おじさんに、僕のゾンビになって欲しいな」

 鉈を食らっても揺るがなかった黒贄の顔が、大きく仰け反っていた。二つに割れた薄い唇をへの字に曲げて、彼は溜息をついた。

「おじさん……ですか。ちょっと悲しいですな。まあ、それはさて置き、私はこれまで死んだことがありませんし死ぬ予定もありませんので、ゾンビにはなれそうにないですね。その代わり、あなたにしてあげられることがありますよ」

「へえ、何かな」

 への字の唇を逆の向きに戻して悪魔の微笑を浮かべ、黒贄は告げた。

「仕事で殺人は引き受けない主義ですが、今回は特別サービスです。一瞬でペチャリと踏み潰してあげましょう」

 死体の男は暫く死体のまま、反応しなかった。中年男が唾を呑む音と、少女の緊張した息遣いが薄暗い地下室に響いた。

 やがて、死体の男が血の塊を吐きながら低い笑い声を洩らした。

「は、は、は。へ。へ。うへへ。け。けけ。け、けけ。……面白いおじさん、だな。クラちゃん、は」

「たまにそう言われますよ、おじさんは別にして。自分では真面目なつもりなんですがね」

 黒贄の顎から滴る血は、汚れた床に赤い水溜まりを作り始めていた。

「じゃあ死ね」

 死体の男が跳ねた。左腕で床を叩いただけだが異常な跳躍力を見せ、黒贄の首に食らいつこうとした。中年女がパック顔を歪めてひしゃげた悲鳴を上げた。

 黒贄もまた恐ろしく俊敏な反応を見せた。後ろざまに倒れながら右足の蹴りを放ったのだ。見事なオーバーヘッドキックは死体の男を後方へ弾き飛ばしていた。男は向かいの壁に激突し、肉の潰れる嫌な音がした。頭も左胸部も左腕も一緒くたになって厚さ十センチほどの肉塊と化し、それは壁に貼りついたまま落ちなかった。

「ゴールですかな。それともレッドカードですかな」

 黒贄が起き上がって悠然と呟く間に、地下室の外が騒がしくなってきた。棚で塞いでいる扉の奥も気配が動いているが、天井から無数の足音が聞こえてくる。地下室の床にまで僅かながら振動が伝わっていた。

「な、何が起こってるんだ」

 中年男が意味もなく左右を見回す。

「どうやらゾンビの皆さんが集合して、地下室まで穴を掘り抜こうと頑張っておられるようですね」

 正中線に赤い筋が走った顔で黒贄が冷静に説明した。

「天井から一階の床までは鉄筋コンクリートのようですが、この分では数分以内に天井を破られるでしょうな」

「ど、どうにかならないの」

 若い女がすがるような目で黒贄を見た。黒贄は割れた顎を撫でる。

「ふうむ。まあ、ならないこともありませんが、どうも死人相手は気が乗りませんしねえ」

「何とかしなさいよっ、あんたがここに来なければ私達は見つからなかったのよ。あんたのせいじゃないのっ」

 顔パックの中年女が甲高い声で叫ぶ。包丁を握る両手に更に力が込められており、夫は慌てて離れた。

「ううむ、困りましたねえ」

 黒贄が首をひねっている間にも、天井の音が激しくなっていた。道具を使ってコンクリートを砕く音に、素手で引っ掻く音。それがあちこちから聞こえている。鋼鉄の扉をゾンビ共がノックしている。棚が少しずつずれている。そちらを横目に見て黒贄は呟いた。

「凶器はあれがいいでしょう。仮面はどうしましょうかね」

 黒贄が目を留めたのは、部屋の隅に転がる溶接器具と溶接工用の金属製マスクだった。のっぺりした緩い曲面で、目の部分にだけ横長のガラス窓がついている。もしかすると作業服の男が使っていたのかも知れない。

「あれで決まりですな。しかし、決めの言葉も必要ですな。ア……アバラニャー、アバレニャー、アレバニョー」

 真剣に考え込む黒贄を、生存者達は唖然として見ている。パラパラとコンクリートの破片が落ちてきて、彼らは急いで天井に目を向けた。天井の中央部が破れ、径五センチほどの穴が開いている。若い男がランタンを持ち上げて照らすと、穴の向こうからミイラの乾いた顔が覗いていた。

「き……来やがった」

 ゾンビの顔が消え、やがて干からびた手が現れて穴を広げ始めた。天井の別の箇所にも穴が開いた。二ヶ所、三ヶ所と増えていく。

「アラバマニョー、これは駄目ですな、アッパラニョー、少し立ち戻ってアベラニョー。うむ、これでいいでしょう」

 一言も喋らない少女は、テーブルの陰から不安げに黒贄を見上げていた。つぶらな目をした、可愛らしい少女だった。

「アベラニョー」

 黒贄はそう言って、少女に向かって微笑んでみせた。

「……。アベラニョー」

 不思議そうに、少女はその言葉を唱えてみた。

 黒贄の微笑が深くなり、その瞳の奥で深い闇が渦を巻き始めた。しかし薄暗い地下室で、彼の瞳を確認出来た者はいなかっただろう。

 天井の穴が大きくなっていた。ゾンビの上半身が逆さにはみ出して、両腕が宙を掻く。パック顔の中年女が引き攣った悲鳴を上げる。中年男は頭を抱えて蹲っていた。

「では、始めましょうか。まずは景気づけに……」

 溶接マスクを拾い上げ、黒贄が嬉しそうに動き始めた。

 

 

 三階建ての洋館をゾンビの群れが取り囲んでいた。庭だけでなく塀の外側にも隙間なく溢れ返っている。数は二千から三千体近く、石込町のゾンビの大部分が集合しているようだ。少数派となった古いゾンビ達は踏み台役として積み重なっている。彼らは仲間を踏み越え掴み越えて塀を登り、窓を破って邸内に乗り込み、地下鉄のラッシュアワー並みの人口密度となっていた。

 昨夜までは平凡な日常を営んでいた石込町の住民は今、普段着や仕事着や寝巻き姿で、耳鼻が欠けたり手足が欠けたり内臓をはみ出させたり首が折れたりした体を動かして、血の気を失った一様な無表情さで作業を続けていた。即ち、一階の広間でテーブルの脚やブロック塀やゴルフクラブや金槌を振り下ろし、或いは素手で床板を剥ぎ取り、地下室に繋がるコンクリート壁を着実に削り取っているのだ。階段を下りて地下室の入り口に集合したゾンビ達はタイミングを合わせて扉を叩き続けている。両腕が折れ骨が露出するようになると、後続の健康なゾンビと交代する。

 彼らは一見、食欲という原始的な本能に従う怪物であったが、今行われているものは見事に統制された集団作業であった。魔術師・死泉の指揮の下、彼らは侵入者である探偵・黒贄礼太郎を始末するために死力を尽くしていた。

 既にコンクリート壁は数ヶ所で貫通し、穴はゾンビが通れるほどの大きさに育っていた。地下室の中から「来やがった」と若い男の舌打ちが聞こえている。中年女の引き攣った悲鳴も聞こえる。

「アベラニョー」

 意味不明な奇声が下から洩れ、ゾンビ達は動きを止めた。耳を澄ましているかのように。彼らは息もしないので、ほぼ完全な静寂が落ちた。

 いや、その静寂を破って、何か重いものを動かす音がした。続いて、大量の何かが床に雪崩れ込む音。地下室の扉が、開いたのだろうか。

 その少し後で、誰かの絶叫が地下室の天井を震わせた。

「きゃあブッ」

「うわああっ、きょうこおおエバッ」

 最初は若い女。それから若い男の悲鳴。

「な、何をするんだあんたうぎゃブベッ」

 中年の男の悲鳴。

 彼らのそれぞれの悲鳴と共に、ゴジュッ、ボジュッ、という不気味な音が聞こえた。重い物体が柔らかいものを潰す音。

「ナンダ、コイツ……」

 顔面が裂けて一部脳の見えている男のゾンビが、支配者死泉の感想を虚ろな声で呟いた。

「助けて、助けてえげえええええっゴベッブブブブブブブッババッバッ……バッ……ボ……」

 中年女のやけに長く続くみっともない悲鳴が聞こえた。

「嫌っおねがゲブッ……」

 そして最後に、泣いているような少女の儚げな悲鳴は、一瞬で掻き消された。

 やがて、悲鳴の聞こえなくなった地下室から、篭もった奇声が再び響いた。

「アベラニョー」

 凍りついていたゾンビ達が我に返ったように作業を再開した。穴から差し込む光で地下室の様子が垣間見えた。十数体のゾンビが室内へ侵入を果たし、動き出している。

「アベラニョー」

 奇声と共に、大量の肉が潰れる音がした。吹っ飛んだゾンビ達が壁に激突して天井まで振動が伝わった。

「アベラニョー」

 メチブチュボキベチャゴビョと物凄い音が続いた。その不気味な音は階段を移動して地上に飛び出した。メチャクチャに潰れ果てた肉塊が向かいの壁まで飛散した。

 血と肉片を全身に浴びて、黒贄礼太郎の長身が地上に姿を現していた。顔を覆った溶接マスクはガラス窓部分が血で汚れ見通しが悪くなっている。しかし、その向こうに霞む二つの瞳は、世界に幸福や希望が存在する可能性を完全粉砕する、恐ろしく冷たい光を放っていた。

「アベラニョー」

 黒贄が両手で持っていたのは、高さ百八十センチ、幅一メートル、厚さ十センチの、鋼鉄の扉だった。多くのゾンビを押し潰したその扉の角に、悲しげな少女の生首が引っ掛かっていた。

 二千を超えるゾンビ達が一斉に黒贄へ殺到した。両腕を伸ばして掴みかかる芸のなさを、黒贄の扉が迎撃した。

「アベラニョー」

 平面部分でぶっ叩かれたゾンビ達が十体ほど纏めて飛んでいく。屋敷の壁にめり込んだ彼らのはみ出した内臓と手足が絡まって、誰が誰のものやら分からない。

「アベラニョー」

 次は扉を刃のように薙ぎ払い、十五体近くが胴体を両断されて崩れ落ちた。ゾンビ達も怯まない。仲間の残骸を踏んで血みどろの腕を伸ばしてくる。黒贄がまた扉を振った。斜めに斬られて飛んだ彼らの上半身が天井に潰れ貼りつき、ちぎれた内臓をボタボタと落とす。

「アベラニョー」

 黒贄が扉の平面部分を五、六体のゾンビに叩き下ろした。彼らの頭が潰れ胴が潰れ足も潰れて、厚さ三十センチほどの肉塊となって床にくっついた。

「アベラニョー」

 黒贄が胸の前に扉を掲げ、前にグイグイ押していった。ゾンビ達が押され、その後ろのゾンビ達にぶつかり更に押し、五十体以上のゾンビが団子になってしまった。黒贄はそれを軽々と、屋敷の壁と挟んでプレスする。ポキャグチョとゾンビ達が潰れていく。壁が耐えきれずに崩壊して庭まで突き抜け、黒贄は巨大な肉団子をブロック塀に押しつけた。五十数体のゾンビが厚さ四十センチ弱になり、扉の横へ肉塊がはみ出した。

「アベラニョー」

 それでもまだゾンビ達は大量にいる。若い女のゾンビが黒贄の肩を掴んで肉を引きちぎる。黒贄が扉を振り、女も含めて十数体を潰す。更に後続が襲いかかる。

「アベラニョー」

 黒贄の礼服は血肉でコーティングされ、ドロドロになっていた。溶接マスクも窓が真っ赤だが、それでも絶対零度の輝きが透けて見える。

 ゾンビ達が四方八方から殺到してくる。潰れたゾンビを踏み越えて。黒贄が鋼鉄の扉を振ってゾンビ達を潰しながらどんどん歩いていく。ゾンビ集団が取り囲んだままそれについていく。

「アベラニョー」

 溶接マスクから洩れる篭もった奇声が町を移動していく。三千弱のゾンビ集団が通った後には、車に轢かれた犬や猫のような、訳の分からなくなった肉塊が散在していた。

 

 

  五

 

「困った奴だ。放ったらかしにしてた方が良かったかな」

 子供の声で、その小柄な影は呟いた。

 薄暗い洞窟を数百体のゾンビが行き来していた。その多くは新鮮で、屈強な体格をした男のゾンビだった。点々と、ゾンビの頭より少し上の高さで揺らぐ青い炎が、広大な洞窟を淡く照らしている。蝋燭でもランプでもなく、何の支えもない空間にその炎は浮かんでいた。約二メートルごとに整然と並ぶ炎は数百はあるだろう。つまりそれだけの広さを洞窟は持っていることになる。幅は十メートル弱、長さはこの場所から見渡せるだけでも五十メートルを超えている。

 巨漢ゾンビの肩の上にバランス良く立ち、小柄な影は配下の死体達を見下ろしていた。彼の向く先は行き止まりになっていて、ゾンビ達はツルハシやスコップやハンマーを使って岩壁を掘り続けている。原始的な方法だが下手な削岩機よりも早いのは、人間の限界を超えたゾンビ達の筋力のせいだろう。先頭集団が削り取った岩の破片を他のゾンビ達がザルやバケツや素手で次々に運び去る。彼ら自身が掘り進んできた通路を逆に辿り、それはおそらくは地上へと繋がっているのであろう、緩い坂道となっている。

「黒贄礼太郎か。面白い奴だな。でもこっちの用の方が大事だもんな」

 青い光の中に立つ小柄な影はやはり子供の言葉遣いをしていたが、その声には抑揚がなく棒読みに近かった。

 死泉は、十才前後の少年の姿をしていた。貧弱そうな体を大人向けのコートで包んでいるため手は袖の中に隠れ、裾の下はすぐ足首となっていた。素足に運動靴を履いている。

 少年の顔色は悪かったが特に怪我はしていなかった。丸い顔に団子鼻は愛敬がある筈だが、今、青く照らされる横顔が宿すのは不吉さだけだ。血走った目は殆ど動かず、洞窟の先を見つめながら別のものを見ているようでもあった。

「幻真め。雑魚共が束になって、よくも僕を封印しやがったな。でもいいんだ。あれから何百年経ったか知らないけど、僕はこうして復活したし、冥府の門はすぐそこだよ」

 そう言って、少年の顔で死泉は笑った。あどけない、残忍な笑みだった。

 と、死泉が巨漢ゾンビの肩を蹴って前方へ跳躍した。ほぼ同時に死泉の頭があった空間を二筋の銀光が薙いだ。

「ひゅっ」

 宙返りしながら死泉が両腕を振った。コートの袖から緑色の粘液が糸のように伸びていく。その先には黒ずくめの男がいた。落下途中であるその男は、一秒前まで死泉が立っていた巨漢ゾンビの頭を踏みつけて真上に跳んだ。黒い足袋の下ぎりぎりを緑の糸の一本が通り抜ける。男が右手の刃を翳すと、それに触れる寸前でもう一本の糸は二筋に分かれ、男はその間をすり抜けた。

「僕の結界にうまく入り込んだね」

 ゾンビ達の間に着地した死泉が平板な声で言った。虚空を見据えていた彼の瞳は今、洞窟の天井に向けられている。

 高さ五メートルほどのその場所に、黒ずくめの男が文字通り背中で張りついていた。右手のジグザグに湾曲した短剣は、刃に精緻な彫金で複雑な紋様が描かれている。左手に握るのは鎌状のナイフだ。両足は岩の出っ張りにかかっているが、それでも背中に吸盤でもついていないことには不可能な姿勢であった。ただし、凹凸の多い岩壁に吸盤は役に立たないだろうが。

「魔術師のくせに、いい反応だ」

 低い声で告げる男は黒い頭巾で顔を隠していた。覗く二つの目は強靭な意志の光を帯びていたが、同時にそれは獰猛で冷酷な光でもあった。

「魔術にも反射神経は要るからね」

 そう言う死泉のコートは、左肩部分が裂けていた。浅く皮膚を切ったようで、うっすらと血が滲み出す。

 岩運びのゾンビ達が死泉を囲んで防壁となる。作業を急いでいるようで、掘り進める役のゾンビ達は変わらず道具を振るっていた。

 頭巾の中で、男は低く笑ったようだった。

「同感だ。だがそのガキっぽい言葉遣いはどうにかしな」

「しょうがないよ。若い脳味噌じゃないと魔術の……回路、を仕込めないもの」

 小学生の脳内で回路という言葉を探し当て、死泉は言った。一部のゾンビが静かに動いて洞窟の逃げ道を塞ぐ。

「大体、おじさんは誰。なんで僕を殺そうとするの」

「魔術師相手に名乗る魔術師はいないさ。ただ、現世と冥界の間に穴なんか開けられちゃあ迷惑なんだよ。ネクロマンサーのお前には都合がいいのかも知らんが」

 少し考えて、死泉は応じた。

「へえ、今の言葉だと僕はネクロマンサーなんだね。でもおじさん、そんなお喋りばかりしてて、僕を殺せるの」

 数百体の虚ろな視線に晒されながら、神楽鏡影のマスクの口元が微かに動いた。冷笑を浮かべているように。

 青い闇の中に、二つの赤い光点が生じ、輝きを増し始めた。

 神楽鏡影の瞳だった。

 黙っている神楽に何を思うのか、死泉は無表情のまま右手を上げた。ゾンビのうち百体近くが静かに膝を屈めた。

 次の瞬間、彼らが一斉に神楽に向かって跳躍した。死体の異常な筋力は五メートルの距離をあっけなく越えさせた。

 同時に、彼らと逆の動きを神楽は行っていた。天井を蹴って下向きに跳び、ゾンビ達の細い隙間をすれ違ったのだ。銀光が自在に閃き、五、六体のゾンビの頭部が胴体から転がり落ちる。神楽を捕らえ損ねた百体のうち一割ほどは天井に頭を激突させて自滅した。

 しかし地面にも圧倒的多数のゾンビが待ち構えている。伸ばされる数百本の手を切り払い、神楽は黒い影となってゾンビ達の只中に飛び込んだ。地面すれすれを恐ろしく低い姿勢で駆け、両手の刃が死体達の脛を切断していく。短い凶器でしかも片手で四肢を切断する神楽の筋力もまた異常なものだった。

 その間に死泉が痩せた胸を膨らませ、一杯に息を吸い込んでいた。少年の肉体でここまで可能かと思えるほどの大きさになると、口を窄めて少しずつ吐き出していく。その息は濃い黄色をしており、前方にゆっくり広がっていった。

 ゾンビをすり抜け、切り払いながら死泉に接近していた神楽が、黄色の靄に触れかけたところで急に後方へ飛びすさった。ゾンビ達に背をぶつけ、上に跳んで逃れようとするが背の高いゾンビに左足を掴まれる。

「よし、これで終わウエッ」

 勝利の笑みを浮かべた死泉の左胸から、ジグザグになった刃が突き出していた。それが大きく抉られる前に死泉は前に跳んで刃を抜こうとした。だが背後の気配はその動きを読んでいたかのように死泉についてきて、きちんと刃を抉りつつ斜め上へと薙いだ。破魔の紋様が描かれた短剣は少年の心臓を引き裂いて肋骨を割り鎖骨を切断して抜けた。神経を断ち切られて少年の左腕が力なく揺れる。

「お前の時代にこんな術はなかったか」

 少年の体に致命傷を負わせた男が言った。黒装束に頭巾で顔を隠した姿は、やはり神楽鏡影のものだった。

 神楽は死泉の前と後ろに、同時に存在していた。

 自由な方の神楽にゾンビ達が殺到する。抵抗もせずあっさり捕らえられたかと見えたが、そこにはゾンビ達が互いに掴み合っているだけで肝心の神楽は存在しなかった。まるで幻であったかのように。

 ゾンビに足を掴まれた方の神楽は一瞬の遅れが命取りになると悟ってか、ジグザグの短剣で自身の左膝を切断すると右足だけでゾンビの頭を踏み台にして跳んだ。彼の左手はいつの間にか黒の手袋ごと溶け、薄い肉の絡みついた骨だけでナイフを握っていた。それが黄色の靄に触れた代償なのだろう。

 再びゾンビ達に守られた死泉は、自分の左胸を確認して悔しげに顔を歪めた。多量の出血が続き、コートが真っ赤になっていた。

「やってくれたね。また体を取り替えなくちゃいけないじゃないか」

「最も恐ろしいことは、何だと思う」

 死泉の愚痴など聞こえぬが如く、神楽が洞窟の天井から問うた。左膝はすぐに出血が止まり、僅かながら新しい肉が盛り上がり始めている。この男は再生能力を持っているのだろうか。

「知らないね」

 みるみるうちに血の気が失せていく顔で死泉は応じた。ゾンビ達がまた膝を曲げてジャンプの準備をしている。

「自分の完全な無力と無価値を思い知らされることだ」

「何言ってるんだい。訳が分かんないや」

 死泉は吐き捨てた。ゾンビ達が再び跳躍した。百発の死体ミサイルはまたも不発に終わった。彼らの手が届く寸前に神楽は天井の一角を叩いて崩し、開いた穴に素早く潜り込んでいたからだ。そこに古い地下道が通っていたことを予め知っていなければ、不可能な脱出法だった。ゾンビ達のうち不器用な者はやはり頭を岩にぶつけて活動を終結させる。

「すぐに分かる……思い知らされる……すぐに……」

 穴の中から洩れる神楽の声が遠ざかっていく。ゾンビの数体が穴に体を突っ込んで追跡を始めるが、追いつくことはないだろう。

「僕に止めを刺さなくていいのかな。何しに来たんだろう、あいつは」

 そう呟く死泉の肌は死人の色に近づいていた。

 地道に岩堀りを続けていたゾンビ達の方から、それまでと違ったボスンという音がして、死泉は振り向いた。

「わあ、見つけた……」

 死泉の声に初めて感情が混じった。それは、邪悪な歓喜であった。

 岩に開いた穴から新しい光が洩れていた。白く澄んだ、冷たい光。求めていた空間へ辿り着いたらしい。ゾンビが穴を広げていくと、奥に広がる部屋が見えてきた。一メートルほどの菱形にカットされた水晶が四隅に浮かび、それが光を放っているようだ。洞窟の青い闇は今、白い光に駆逐された。

 壁は幾何学的な模様で埋め尽くされていたが、正面に白い膜の張ったような部分があるのを認め、死体となった死泉の体が震えた。左腕はもう動かなかったが。

「あったあった。あの時のままだ。そうだよ、幻真などがこの部屋に入れる筈がない。あそこを通って冥界の王と会えば……」

 その時、地鳴りのような物凄い音が後方から響き、死泉は虚ろな目を見開いて地上に繋がる通路へ向き直った。

「何だ。地上のことを忘れてたけど、まさか……」

 通路の向こうから、赤い雪崩がやってきた。

 それは大量の潰れた肉と骨と脳と内臓がグチャグチャに入り混じったものだった。幅十メートル高さ五メートルの洞窟一杯に溢れたそれが、凄まじい勢いで死泉の方へと迫ってくるのだった。

「な、何だこれ」

 そう言う間にゾンビ達が雪崩に呑み込まれて一瞬で潰れ、雪崩の一部となっていく。死泉は逃げようと身を翻した。何処に逃げるつもりだったのか、死体の少年の足が一歩を進めた時、彼は流れに巻き込まれた。足を取られて倒れ、その背に膨大な質量の肉がのしかかった。少年の腰が潰れ背中が潰れ、残った血液が左肩の傷口と少年の口から噴き出した。容赦ない肉の雪崩は少年の肩を潰した。首が潰れて少年の頭部があり得ない方向に曲がった。少年の頭が潰れた。濁った二つの眼球が飛び出したが、地面をバウンドする前に肉の雪崩に呑み込まれていた。六百年前の強大な魔術師死泉は、自分の下僕であった数千のゾンビ達の肉塊によって押し潰された。

「アベラニョー」

 雪崩の中から洩れた声は、死泉に届いていただろうか。

 肉の雪崩はそのまま岩壁を完全に突き破り、水晶に照らされた部屋に飛び込んだ。手や足や潰れた頭やちぎれた腸や肝臓の欠片や肺の一部や折れた肋骨が混じりに混じった大波が、正面の壁にあった白い膜を破ってその奥へ進んでいく。

 

 

「アベラニョー」

 乾いた風の吹く荒野に、礼服を血と肉片塗れにして黒贄礼太郎は立っていた。右手には変形して元の形が分からなくなった鋼鉄の扉を持っている。

 やはり血に塗れた溶接マスクを、黒贄は血みどろの左手で拭った。あまり綺麗にならなかったが、絶対零度の輝きを放つ二つの瞳がガラス窓の向こうに透けて見えてきた。

 五百メートルほどの長さで、荒野に赤い道ができていた。血と肉片で出来た道だ。道の片方の端に黒贄が立ち、もう片方の端には楕円形をした白い平面が浮かんでいる。その向こう側に、洞窟と繋がった幾何学模様の部屋が覗いている。

「アベラニョー」

 黒贄はこの薄暗い世界を見回した。空は隙間なく黒雲が覆い、太陽が見えない。荒野は果てしなく広がっているだけで、他には何もない。乾いた地面の所々には人骨のようなものが転がっている。

 いや、それ以外にもあった。

 断続的な地響きがして、黒贄に接近するものがあった。それの通った後には巨大な窪みが残る。長径二十メートルもある足跡には、指が六本あった。

 黒贄の前に、巨大な黒い生き物が立った。身長百三十メートルを超える、人間に似た形の生き物だった。

「アベラニョー」

 黒贄が間の抜けた奇声を発すると、巨大な生き物は何やら訳の分からない声を返した。と、その巨大な手で黒贄を摘まみ上げ、自分の顔の前まで持ち上げた。

 仮面をかぶった黒贄をじっと見つめ、生き物がまた何やら声を出した。どうやら笑っているらしかった。

「アベラニョー」

 黒贄が鋼鉄の扉を投げた。巨大な生き物は頭が破裂して死んだ。黒い脳や肉片が雨となって世界に降り注いだ。

「アベラニョー」

 地響きを上げて倒れた巨大な死体を黒贄は引き摺っていき、世界の境界線まで戻って死体で蓋をしながら去った。

 

 

  六

 

「あーあ」

 パトカーのボンネットに尻を載せていた大曲源が、大きく伸びをしてついでに欠伸をした。下の地面には煙草の吸殻が大量に積み重なっている。

 石込町は、廃墟となっていた。ここから見える範囲だけでも建物のほぼ半数が倒壊しており、復興にはかなりの手間と金がかかりそうだ。ただし、復興するだけの住民が生きていればの話だが。

 瓦礫の上を歩いて、赤い男がこちらへ近づいていた。

「署長」

 疲労しきった顔の警官が大曲に声をかけると、大曲署長は何でもないことのように答えた。

「ああ、クロちゃんもやっと仕事が終わったらしいな」

 黒贄の礼服が赤く見えたのは勿論、へばりついた大量の血と肉片のせいだった。仮面を外して縦に筋の走った顔で、黒贄礼太郎は穏やかな笑みを見せた。

「おや、署長さんも大変ですね。まだやってらっしゃったのですか」

「クロちゃんがこうして戻ってきたんだから、俺の仕事も終わりだろうな。お疲れさん」

 生存者の捜索などについては大曲は全く考えていないらしい。或いは、この町に生存者などいないと悟っているのか。

「私もくたびれましたよ。お腹も空きましたし、肩も凝って仕方がありません」

 黒贄はそう言って血塗れの自分の肩を叩いた。

「じゃあ事務所まで送らせようか。乗りな。そのくらいのサービスはしてやるよ」

 大曲はそう言ってパトカーの一台を指差した。担当らしい警官がかなり嫌そうな顔をした。黒贄が座ったシートは、念入りに洗っても血肉の匂いが一ヶ月は抜けないだろう。

「こりゃありがとうございます。今度依頼に来られた時は少しお安くしますよ。五十円ほど」

 黒贄は礼を言ってパトカーの後部座席に乗り込もうとした。その背中を見て大曲が眉をひそめた。

 黒贄の背中に、黒い虫のようなものがへばりついていた。径十センチほど、ミニチュアの脳みたいな本体に、脚というより触手のようなものが十数本、黒贄の首と肩に絡みついている。小さな眼球が二つクルクルと動いて、大曲と目が合った。

「クロちゃん……」

「え、何ですか」

 聞き返しながら黒贄が後部座席にどっかりと背を預けた。ペチャリと音がして、虫のようなものが黒贄の背とシートに挟まれて潰れた。緑色の体液がシートに撥ねた。

「……。いや、何でもない」

 大曲がげんなりした顔で手を振ると、黒贄は軽く一礼してドアを閉めた。

 黒贄を乗せたパトカーが、廃墟の町を出発した。

 

 

  七

 

 それから一ヶ月の間、何故か世界中で誰も死ななくなった。

 

 

  エピローグ

 

 小さな公園だった。滑り台が一つと、その終点に砂場が一つ、それと木製のベンチが一つだけの、住宅地の隙間に設けられた公園。

 地味なスーツを着て眼鏡をかけた男が、そのベンチを黙って見つめていた。

 周囲の景色を確認し、男は頷いた。サラリーマンを装っていても、その顔に染みついた悪どさは隠しようがない。

「ここだ。ベンチも動いてない」

 男はベンチの前にしゃがみ込み、その右側の脚の下を手で掘ろうとした。

「三宅さーん。三宅卓治さーん」

 およそ緊張感に欠ける声に、男は凍りついた。軋みの聞こえそうな動作でギクシャクと首を回し、男は振り向いた。

 道路を挟んで公園のほぼ真向かいにある喫茶店から、礼服を着た長身の男が駆けてくるところだった。男は右手に電気ドリルを持っている。そのドリルから延びたコードは延長コードに繋がっていた。コードリールを使っているのか、開け放しになった喫茶店の入り口からスルスルと電源コードが引き出されている。喫茶店からコンセントを借りたのだろう。

「三宅さーん、お久しぶりですねー」

 黒贄礼太郎は満面の笑みを浮かべて近づいてくる。眼鏡の男・三宅は逃げようとしたがすぐに追いつかれて腕を掴まれた。恐るべき握力に骨が悲鳴を上げ、三宅自身もまた悲鳴を上げた。

「た、助けてくれええっ。金のありかは教えるっ」

「そんなことより三宅さん、今回はコードリールまで持ってきたんですよ。ほら、コンセントからこんなに離れても使えます」

 そう言うと黒贄はハンドルを握り締めて電気ドリルを作動させた。螺旋状の溝を掘られたドリルが高速回転を始め、高い音を立てる。

「た、たすっ」

 叫ぶ三宅の顔を左手で掴み、黒贄は電気ドリルの先端を三宅の額に近づけた。

「ほらほら、いい感じでしょう」

 と、ドリルが急に勢いを失って回転が止まった。黒贄が慌てて振り返ると、道路をダンプカーが過ぎていくところだった。電源コードが轢かれて内部が断線してしまったのだ。

 憮然として向き直った黒贄と顔を見合わせ、三宅は曖昧な笑みを浮かべた。

 だが、黒贄は奇策を絞り出した。

「ウィーン、ギュルギュルギュル」

 効果音を口で言いながら、黒贄は回転していないドリルを三宅の額に押しつけた。実際にはウィーンでなくゴキュッと音がして、ドリルが三宅の額にめり込んだ。

 

 

「それで、奴を捕らえたのか」

 受話器の向こうの声に、電話ボックスの中で黒贄は頭を下げた。

「ええ、コードリールが役に立ちました」

「でかしたぞ。よし、三宅の奴を生かしたまま連れてこい。何としても金のありかを吐かせてやる」

「あ」

 黒贄は電話を切った。

 

 

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