四

 

 午後六時、世界殺人鬼王決定戦開始の合図は、ヒュルヒュルと何かが空を飛び交う音と立て続けの派手な轟音であった。それは季節外れの打ち上げ花火に似ていたが、花火と違う点はそれが地上から打ち上げられたのではなく空の彼方から飛来してきたということと、咲いたのが美しい大輪の光ではなく建物の破片や黒煙であったことだ。

 開始の合図は百発近い大陸間弾道ミサイルであった。核弾頭でなく通常弾頭であったのは、点数となる市民の数を必要以上に減らさぬためであろう。

 この時点で、六百六十六人の参加登録者は殺し合いの末、三百数十人まで減っていた。五百七十万人いた市民も逃げたり殺されたりして五百万人弱となっていた。

 双方が、本番の開始を知った。

 歓喜の叫びを上げて凶器を振り回していた殺人鬼。逃げ惑っていた市民。大っぴらに殺人鬼狩りを楽しんでいたヤクザ。死体の転がる通りで静かに時を待っていた殺人鬼。どさくさに紛れて略奪していた市民。へっぴり腰で発砲していた警官。公園でバラバラ死体に包まれて寝ていたホームレス。自宅でテレビを見ていた家族。病室で死の瞬間を待っていた末期癌患者。

 全員が、本番の開始を知った。

 『気狂い肉屋』バーンドルフは広大な貯蔵庫内で包丁をタッチアップ中にそれを知った。

 『スキナー』ベネトルディはバッグから人皮のコレクションを出して眺めていた時にそれを知った。

 タフゥモブは三途川の赤い流れの中でそれを知った。

 『鋼鉄の皮膚を持つ男』バナサイトはホテルの前で腕時計を確認していた時にミサイルの直撃を受けてそれを知った。

 バーニングマイケルはスクラップの隙間で足掻きながらそれを知った。

 大曲源は署長室で溜息をつきながらそれを知った。

 センジュと怨公はカフェテラスで茶を飲んでいてそれを知った。

 ハリー・ザ・フォーガトンはジャングルジムの天辺で雄叫びを上げながらそれを知った。

 ブラドとエリザベートのドラクール夫婦は串刺しと輪切りの死体に囲まれてそれを知った。

 神楽鏡影は闇に紛れ、夜の訪れを待ちながらそれを知った。

 ガラヤンバは拾い集めた死体を縫い合わせていてそれを知った。

 十三号は車検場で点検を受けていてそれを知った。

 中善寺典子は豪邸で愛犬の帰宅を待ちながらそれを知った。

 ファラオは棺桶の中でそれを知った。

 ドクター・Mはエベレストタワーの屋上で冷笑を浮かべながらそれを知った。

 そして、黒贄礼太郎と不渡静磨は、クッキーちゃんを捜して死体の増えた街を彷徨っている間に、それを知った。

 八津崎市の大殺戮が、超大殺戮へと変わる瞬間であった。

 

 

「いやあ、始まりましたねえ」

「始まりましたなあ」

 黒贄礼太郎と不渡静磨は互いに穏やかな口調で語り合ったが、二人の顔は既に血塗れだった。

 二人の殺人鬼は並木道を歩いていた。彼らの後方には無数の死体が転がっている。恐怖の形相を真っ二つに割られた市民。首を失い倒れても鉈を振っている殺人鬼。警官は頭頂部から股間まで縦に二等分され、内臓を広くぶち撒けている。その大部分が不渡の妖刀によると思われたが、顔の中心から後頭部まで同じ大きさの穴が開いている死体は、物干し竿によるものだろうか。

 不渡静磨の仕込み杖は相変わらず返り血とは無縁だが、白かった彼の着物はむらなく真っ赤になっている。草履は血溜まりを踏んでベチャベチャと嫌な音をさせていた。彼の左胸の殺害数カウンターはまだゼロを示していた。いや、今、土下座で命乞いをしていた男の首を刎ねた際に、カウンターがカチリと動いて一に変わる。規定の時間に達したので作動し始めたのだ。

 黒贄の礼服には不渡による刀傷とは別に銃創も幾つか追加されている。側頭部にはミサイルで吹っ飛んだらしい建材の破片が突き刺さっていた。四メートルの物干し竿からシェパードの死体は消え、代わりに前の端には胸を貫かれてうなだれた中年男の死体を、後ろの端には頭を貫かれた若い女の死体をぶら下げていた。

「それにしても、クッキーちゃんは見つかりませんねえ」

「そうですなあ」

 不渡は相槌を打ちながら、前を行く黒贄の背を居合い抜きで貫いた。散々刺されて脆くなっていたのだろう、黒贄の胸の中心部が纏めてゴロリと転がり落ち、直径二十数センチの風穴が開いた。心臓も落ちたが勿論不渡のカウンターは動かない。気にするふうもなく黒贄は周囲を見回している。

「おや、あれはクッキーちゃんですかな。クッキーちゃーん」

 言うが早いか、黒贄は物干し竿を投げつけた。二人分の死体がついたまま四メートルの凶器が唸りを上げ、曲がり角の陰から顔を出していた動物に突き刺さった。ギャインと悲鳴が飛ぶ。

 悪魔じみた笑みを浮かべて黒贄が駆け寄ると、胴を斜めに貫かれ、二つの死体に潰され瀕死となった犬が転がっていた。だがチワワではなく、中型犬のシベリアンハスキーだ。

「ありゃ、違いましたか」

 物干し竿を拾い上げ、黒贄は残念そうに言った。シベリアンハスキーは吐血して小さく痙攣した後、竿に吊られた三番目の死体となった。もし目的のチワワだったら黒贄はどうするつもりだったのだろうか。

「違いましたなあ」

 追ってきた不渡もまた喀血しながら黒贄に倒れかかるようにして妖刀を振り下ろした。血の色をした刃は黒贄の背中の穴から胸へ抜け、そこから下へ滑り鳩尾、右腰へと胴を裂いていった。三十センチほどの長さの傷口は、背中側から切れた腎臓を覗かせ、腹側から腸をはみ出させた。

「仕方ありませんな。捜索を続けましょう」

 胴体に9の字の穴が開いた黒贄は物干し竿を肩に乗せて歩き出した。零れ落ちた腸が地面をこすっている。不渡も口元についた自分の血を袖で拭ってついていく。

「助けてくれえっ」

 前方から数十人の市民が駆けてくる。何かに追われているらしく、必死の形相でしきりに後ろを振り返っている。

「おや、どうしたんでしょうね」

 立ち止まった黒贄と不渡の横を人々が走り抜けていく。反射的に澄んだ金属音が連続し、人々の首がすれ違うそばからゴロゴロ落ちていく。不渡のカウンターの数字が増えていった。

「あれあれ」

 後ろの惨状を確認しようとして黒贄が振り向いたが、その拍子に水平回転した物干し竿が二人の首を飛ばした。

「ありゃ、しまった」

 物干し竿を持ち直してもう一度向き直ると、丁度バンザイポーズで駆け寄ってきた若い男の胸に竿の先端が突き刺さり背中から抜けた。

「そんなに慌てて一体どうしたんですか」

 黒贄は男に尋ねた。胸を貫かれ吊られた男は大量の血を吐いてもがいた後で、弱々しく一言だけ洩らした。

「さ……殺人、鬼……」

 そして男は物干し竿の四番目の死体となった。

 黒贄と不渡は並木道の先へ目を向けた。二人の男がこちらに歩いてくる。お揃いのズボンとシャツを着ているから兄弟であろうか。一人は片端を斜めに切って尖らせた鉄パイプを握っていた。背の高いもう一人は右手に鋸を、左手に金槌を握っていた。三つの凶器から新しい血が滴っている。

 逃げてきた人々が、黒贄の物干し竿に吊られたものと周囲に転がる首なし死体に気づいてたたらを踏む。一部は慌てて脇道へ駆け込もうとしたが、その陰から伸びた銃剣に一秒五回刺しの早業で刺しまくられ、血を噴きながら引き摺り込まれていく。

 十五、六人が何処に逃げることも出来ず、立ち竦んだまま身動きが取れなくなった。

「大丈夫、案ずることはない」

 泣き顔となった彼らの前に不渡静磨がよろめき出た。

「さあ、早くこちらへ逃げゴフッ」

 喀血して前のめりに倒れた瞬間、跳ね上がった赤い光が全員の首を切断した。半数以上は刀の届かない位置にいたのだが、これが妖刀むぐらぬぐらの力であろうか。不渡のカウンターが猛スピードで回っていく。

「おいおい、俺達の獲物を横取りすんなよ」

 二人の殺人鬼がそこへ到着した。倒れている不渡へ早速凶器を振り下ろそうとしたところへ、黒贄が声をかけた。

「あの、大会参加者の方ですかね。バッジをつけておられないようですが」

「あっ忘れてた」

 二人の殺人鬼はポケットからカウンターを出してシャツに取りつけた。

「教えてくれてありがとう」

 二人の殺人鬼は頭を下げた。その拍子に、背の高い方の頭に黒贄が無造作に持っていた物干し竿が突き刺さった。先端があっさり後頭部へ抜けた。

「あ、兄貴っ」

 叫んだもう一人の胸に妖刀むぐらぬぐらが突き刺さっていた。刺した刀を手掛かりにして、不渡がなんとか立ち上がる。

「かたじけない」

 不渡が妖刀を収めた際に、殺人鬼の胸部から頭頂部までは両断されていた。不渡のカウンターが一つ加算される。黒贄が背の高い殺人鬼に尋ねる。

「すみませんがクッキーちゃんが何処にいるかご存知ありませんか」

「あばばばっばばっばろろろっ」

「え、長い地名ですね。もう一度言って下さい」

 黒贄が聞き直した時には、背の高い殺人鬼は物干し竿の五番目の死体になっていた。

「困りましたな。クッキーちゃんの情報を得る前に、皆お亡くなりになってしまわれる」

 黒贄は溜息をついた。

 殺人鬼兄弟から逃れて通りの端に蹲っていた数人が、立ち上がって黒贄達を褒め称えた。

「ありがとうございます。あなたは命の恩人です」

「いえいえ、ただの偶然ですよ。ところで皆さんはクッキーちゃんを……」

 問いかけながら、黒贄は彼ら目掛けて物干し竿を投げつけた。

 

 

 高級ホテル『ダークレッド』の玄関前に、クレーター状になった径五メートルの大穴が開いていた。大陸間弾道ミサイルの傷痕だ。周囲にはコンクリートやアスファルトの破片と誰かの肉片らしいものが散らばっている。

 玄関周辺のガラスは全て割れ、その破片を踏みながらやってきたホテルの従業員がクレーターを覗き込んだ。

「お客様……大丈夫ですか」

 恐る恐る声をかけた相手はクレーターの底で立ち上がろうとしているところだった。大量の埃をはたいて払おうとしているが、そもそも茶色のスーツが襤褸きれのようになっている。

「ひどいものだ。服を新調しなければならない」

 バナサイトは愚痴ったが、さほど困っている訳でもなさそうだ。彼のヘラクレスのような肉体には掠り傷一つなかった。

「紳士服店は何処にあるかな」

「え、ええ、この通りを真っ直ぐ行って交差点で右に曲がれば、左側に見えてくる筈です」

「そうかね。行ってみることにしよう」

 ちぎれたスーツの生地からカウンターを外し、バナサイトはズボンに取りつけた。クレーターを這い出して地上に立つと、混乱の街を見回す。彼は時間を確認しようとして、腕時計が潰れていることに舌打ちした。

「さて、凶器はどれにするか」

 と、黒のベンツがホテルの前で停止した。助手席の窓が下り、粗暴な顔つきの男が喚きかけてきた。

「おい、この辺に殺人鬼はいるか。俺達は狩りをやってんだ」

「これを使わせてもらおう」

 バナサイトはベンツの前に立ち塞がった。軽く屈んで車体の下に右手を差し入れ、左手はボンネットに乗せる。

「お、おい、何やってんだ」

 運転席の男が顔を出して叫ぶ。

「私が殺人鬼だ」

 答えると同時にバナサイトがベンツを持ち上げた。

「おわわわっやめっ」

 バナサイトはやめなかった。男四人が乗り込んだ二トン近いベンツを軽々と、まるで縫いぐるみでも振り回すようにひっくり返したのだ。屋根が地面に激突し、車体の重量も加わってあっけなくピラーが潰れる。割れた窓から血が流れ出し、バナサイトのカウンターがゼロから四へと変わった。

 バナサイトは再度ベンツを持ち上げて、今度は右側面を叩きつけた。ベキャリと音がして側面が凹む。次は左側面を。

 絶句してそれを見守っていたホテルの従業員は、背後から忍び寄る気配に気づかずにいた。その細長い手足をした男は、ガラスの破片を踏んでも音をさせなかったのだ。

「この辺でいいだろう」

 ベンツを十数回地面に叩きつけ、バナサイトは凶器の作成を終えた。四人分の肉塊が入ったベンツは既に、幅一メートル、長さ五メートルの巨大な鈍器と化していた。

「そういえば近くに時計屋は……おや」

 バナサイトが振り向いて、眉をひそめた。

 ホテルの従業員はポカンと口を開け、全身を赤く染めて立っていた。切り裂かれた制服が周囲に散っている。

 顔面を含め、頭頂部から爪先までの全ての皮膚が失われ、彼は赤い肉を晒していたのだ。バナサイトが目を離していたのは三十秒ほどだが、その間に従業員に何が起こったのか。

「いかん、殺さないと数に入らないんだったな」

 足音をさせず駆け戻ってきたのは『スキナー』ベネトルディだった。彼は裸足で、両足首を鋼鉄製のアンクレットが飾っていた。背中側から剥いでいき完全な一枚皮として獲得した従業員の皮膚をバッグに詰め、右腕を軽く振ると袖の中からナイフが現れた。刃渡りは十五センチほどか、皮を剥ぎやすいようにエッジが膨らんでいる。

 自分の身に何が起こったのか気づかないのか或いは気づきたくないのか、瞼を失い瞬きも出来ずに立ち尽くす従業員の前で、ベネトルディは皮剥ぎ用ナイフを閃かせた。

 従業員の、筋肉が丸見えになった首に、真横の線が走った。すぐに鮮血が噴き出し始め、彼は前のめりにくずおれた。

「これでいい」

 胸のカウンターを確認してベネトルディは言った。その陰気な目がバナサイトの目と合った。ベネトルディの姿が霞んだ。

 バナサイトがベンツの棍棒を振った。金属のぶつかる音が、何度か重なって鳴った。

「素早いじゃないか」

 感心したようにバナサイトが言った。ベンツは空振りだったらしい。

「硬い奴だな。眼球も狙ったのに、お前の角膜はダイヤモンドで出来てんのか」

 五メートルの距離を置き、四つん這いの姿勢となったベネトルディが言った。彼は両手にナイフを握っていた。左手のナイフは先端が欠けている。また、両足首のアンクレットからは鉤状の刃が生えていた。おそらくはバネ仕掛けであったろう。

「大会は始まったばかりだが、やるかね」

 ベネトルディは首を振った

「いや。あんたが沢山点数を稼ぐまで待つさ。それに、あんたのようなごつい皮膚は欲しくない」

 蜘蛛のように、ベネトルディは跳躍した。手足に吸盤でもついているのかホテルの壁に張りつくと、そのまま滑るように陰へ消えていった。

「ふむ。ならば点数を稼ぐとするか」

 バナサイトは車道を歩き出した。あらゆる方向から悲鳴が聞こえているが、まだ車の通りは多かった。目を血走らせた運転手がクラクションを鳴り響かせている。

 バナサイトは道路の真っ只中でベンツを振り回した。通りかかった車が次々と吹っ飛ばされていく。軽ワゴン車などはホテルの壁まで飛ばされてペチャンコになった。

 ズボンにつけられたカウンターが、凄い勢いで回っていた。

 

 

「花火も上がったし、そろそろ出発しようかね、エンさん」

 市境に近いカフェテラスでまだ茶を飲んでいた二人が、漸く腰を上げた。

「何処に出発する」

 いかめしい顔で怨公が問うた。

「これから八津崎市内を回って殺しまくるんじゃよ」

「何のために」

「エンさん、本当にボケてしもうたんじゃなあ」

 センジュは感慨深げに呟いた。傍らに置いてあった刃渡り二十五メートル、全長二十六メートルの巨大ククリナイフを拾い上げる。銀色の大きな弧を描かせて、それを肩に担いだ。

「俺はオンだ」

「まあ、とにかく適当に殺しまくればいいんじゃよ。胸につけたカウンターとやらが勝手に点数をつけてくれるじゃろう」

「分かった」

 引き結ばれていた薄い唇を曲げ、初めて怨公は笑った。飲み干した空の湯飲みを上に放ると、落ちてくる湯飲みに右掌で触れた。予備動作のない軽い動きだったが、パスッと乾いた音を立てて湯飲みが砕け散った。欠片ではなく、完全な粉末状になっていた。

 巨大ククリナイフを担いだ老殺人鬼と素手の老殺人鬼が街を走った。死体とスクラップ車両しかない寂れた通りを抜け、人の多い繁華街へと恐るべき速度で進む。途中で出会った市民は先頭を行く怨公の一撃で即死していった。肘が刃物のように相手の肉体を削り飛ばし、掌底が肉も骨も粉々にして飛散させる。どれほどの鍛錬を積めばそんなことが可能になるのか。

 その怨公の間合いの外をタンクローリーが通り抜けた。怨公の後ろにいたセンジュが巨大ククリを水平に持ち、バレリーナのように一回転した。ヒュオオオン、と不気味に風が鳴る。

 タンクローリーが急に蛇行を始め、派手に左へ曲がった。と、トレーラー部とタンク部分がそれぞれ上下二つに割れ、上の部分が前方へずれ落ちていった。タンクから大量のガソリンが零れ道路にぶち撒けられる。

 運転手も真っ二つになっていたのだろう、センジュの胸のカウンターが一だけ増えた。ガソリンに何処からか引火したらしく、通りが爆発炎上した。しかし二人の老殺人鬼は遥か先を走っており、熱気が彼らの背に届くことはない。

 繁華街に二人は到着した。大会騒ぎも何のその、学校帰りの学生や疲れ顔のサラリーマンや日本刀と銃で武装したヤクザ達が道に溢れ返っている。向こう側では別の殺人鬼が暴れていた。

「ここが良かろう。わしらも頑張ろうやオンさん」

 センジュが巨大ククリを水平に切り払っていった。獲物が密集しているため一薙ぎで四、五十人の胴を両断出来る。学生もサラリーマンも無職もヤクザも逃げる者も向かってくる者もぼんやりしている者も纏めて真っ二つにされていく。みるみるセンジュのカウンターが増えていき、地面にはウンウン唸りながら上半身だけで血溜まりをもがく人々が増えていった。引き摺った腸はもうどれが誰のものやら分からない。センジュは楽しそうにクルクルとスピンを続けていた。

 まんべんなく殺していくセンジュとは対照的に、怨公は人込みの中を一直線に突き進んでいった。手刀でサラリーマンの首を刎ね掌底で学生の腹を破裂させ右の蹴りでOLの頭をちぎり飛ばし同時に左の蹴りは浮浪者の胸を貫通する。水の上を走れる脚力で大通りの端から端まで、数百メートルを一気に駆け抜ける。T字路に行き当たると正面の建物の壁を蹴って反転し、再び人込みへと飛び込んだ。人々が左右に逃げた後には、幅二メートルの死体の列が出来ていた。

 混乱の繁華街で、黒スーツのヤクザが走る怨公にライフルを向けた。高速殺戮走行中の怨公と黒スーツの距離が三十メートルに達した時、自分を狙う銃口に怨公が気づいた。冷酷な目が見開かれ、怨公は服の裾を翻して宙を舞う。

「けええええっ」

 怪鳥のような雄叫びを発し、美麗な飛び蹴りが三十メートルを一気に越えようとした。銃声がそれを打ち消した。怨公が宙でひっくり返る。また銃声。黒スーツの度胸と技量も大したものだ。

 足から着地し、怨公は両手を前に掲げて声もなく笑った。

 両手の親指と人差し指の間に、それぞれ一つずつ、小さな金属片が挟まれていた。

 秒速千メートルで撃ち出されたライフル弾を、怨公は指で摘まみ止めたのだ。

「化け物……」

 そう呻いた黒スーツが上体を仰け反らせた。怨公が指で弾いた銃弾が、右目と額に命中して脳までめり込んだのだ。

「火傷した」

 怨公は両手の指をペロリと舐め、殺戮を再開した。

 近い者から順番に殺し始めた怨公に、半径二十五メートル五十センチの竜巻が接近していた。ただしこの竜巻は何も撒き上げず、真っ二つになった人間の死体をボトボト地面に落としていくだけだ。

 中年男の顔面を肘で削り取った怨公を、背後から風鳴りが襲った。血塗れの刃が触れる寸前で怨公は身を屈め、ぎりぎりで避けた。風圧で髪が数本抜ける。

「今、俺を殺そうとしたか」

 振り向いて厳しい目つきで睨む怨公に、センジュは回転をやめて気楽な口調で呼びかける。

「そういえばオンさん、カウンターはちゃんとつけとるかね。つけとらんと殺しても点数にならんぞ」

 怨公は自分の胸を見下ろした。カウンターが五百二十六となっている。

「ちゃんとつけとる」

「それは良かったのう。お互いに頑張ろうや」

「そうだな」

 怨公は頷いて、逃げていく人々へ飛び蹴りを食らわせていった。そこへセンジュが後ろから追いすがってククリナイフを横へ薙いだ。二十数人が輪切りにされ崩れ落ち、またぎりぎりで怨公だけが躱す。

「今、俺を殺そうとしたか」

「そういえばオンさん、あんたの名前の読みは『オン』で良かったんかの。それとも『エン』かの」

 少し考えて、怨公は答えた。

「分からん。帯に名前は書いてあったが、読みは書いてなかった」

「そうかい。それは残念じゃのう。まあ、お互い頑張ろうや」

「そうだな」

 怨公は頷いて、逃げ散った人々を追った。

「もっと稼いでくれてからでもいいかのう……」

 その後ろ姿を見守り、センジュは小さく呟いた。

 溢れ返っていた市民の三分の一が死体になって通りを埋め尽くした頃、残り三分の二は脇道へ逃げ去るか建物の中に逃げ込んでしまっていた。

「家の中に逃げられると面倒じゃのう。きちんと整列して待ってくれれば楽なんじゃが」

 センジュはビルの前で巨大ククリを振った。角度を水平から少しずつ上向けていき何度もスピンする。銀光が鉄筋コンクリートの壁に吸い込まれていった。

 センジュが隣の建物に足を向けた後で、六階建てのビルが最上階部分から順に、斜めの輪切りとなってずり落ちていった。同じく輪切りとなった死体を内部に覗かせながら、地面に激突して砕けていく。

 やはり獲物がいなくなった通りを見回して、怨公は十三階立てのオフィスビルへ歩み寄った。正面の自動ドアの右横、分厚そうなレンガデザインの壁に両掌で触れる。

「ふんっ」

 力を込めたようには見えなかったが、鼻から短い息を吐くと共に、怨公の足元の地面に放射状の亀裂が走った。

 怨公はゆっくり数歩下がり、腕組みして成果を観察する。

 十秒ほど経ったろうか。ビシリ、と、硬いものが砕ける音がした。音がビルのそこかしこで聞こえ始め、その頻度が増し、激しくなっていく。

 ビルの壁に、無数の亀裂が走り始めた。それはあっという間に拡大していき、全体を覆い尽くす。窓ガラスが砕けて中から大勢の悲鳴が聞こえている。

 独りで頷いて、怨公は呟いた。

「俺がボケているのは生まれつきだ。それを忘れたセンジュの方がボケてきたんじゃないか」

 十三階建てのオフィスビルが、内側へしぼむようにして崩壊した。小さな破片が煙のように舞う。怨公のカウンターが凄い勢いで回っていく。

 ビルで唯一残っていたのは、幅一メートル高さ一メートル半の壁、怨公が触れた部分だけであった。

 

 

 夕陽を受けた三途川は益々赤く染まっていたが、今日はいつもより格別赤みが強かった。

 三途橋は完全に崩れ落ち橋脚だけが残っているが、赤い激流がそこにぶつかって飛沫を散らしている。

 約五メートル間隔で並んだ橋脚に、芋蔓状に連なった死体が結びつけられていた。ロープではなく植物の蔓が腰に巻かれているようだ。一本の蔓で十数人、多いところでは三十人近くを繋げていた。犠牲者の首筋は噛みちぎられており、血を失った白い顔が虚ろに揺られている。たまに腕を失ったり頭の上半分が欠けたりしている死体もあった。彼らの下流は更に濃い赤みを帯びていた。

 そんな三途川に沿った道を、大勢の人々が上流側から下流側へと走っていた。普段着であるしその必死の形相からすると、町内マラソンをやっている訳ではなさそうだ。

 彼らの後方からプロペラの回転音が迫っていた。

 ロシアの殺人ロボット・十三号が両腕を前に出して走っている。いや、直立したまま足を動かしていないから走っているのではない。足の裏から生えた数個の車輪で地面を滑っているのだ。

 両手首から先はそれぞれ鋼鉄製のプロペラになっていた。まるで双発飛行機だが、そのプロペラが飛行目的でないことは明らかだ。

 逃げ惑う数百名に、十三号は時速八十キロ近い速度で追いついた。そしてそのまま追い抜いていく。

 プロペラの唸りが、ブバババババッ、という不気味な音に変わった。

 半径五十センチのプロペラに巻き込まれ、人間の形をしていたものが無数の細かい肉片となって散っていく。狂ったような人々の悲鳴。体育会系の若者の左半身が飛散した。力尽きてしゃがみ込んだ女子高生の肩から上が消滅した。息子らしき男に腕を引かれてよろけていた老婆の胴が破裂して下半身と生首だけが残った。丁寧にカーブして放置車両を避け、市民を順番にミンチへ変えていく。十三号のベストにつけられたカウンターの数字がどんどん増えていく。

 数百人を一通り処理し終え、十三号はそのまま時速八十キロで通り過ぎていった。

「た……助かった……」

 地面に横たわっていた数人が荒い息をつきながらも安堵に顔を緩ませた。予め倒れておくことでプロペラの攻撃から逃れることが出来たのだ。運の悪い一人は十三号の車輪に轢かれて頭を割られていたが。

 血と細かな肉片でドロドロになった地面を掻いて、生存者が立ち上がろうとした時に近くで水音がした。彼らはそちらを見た。

 禿げ頭の半魚人が、土手を登ってくるところだった。体の表面は暗緑色の鱗に覆われ、粘液のようなものを滴らせている。鋭い鉤爪の生えた指と指の間には、水掻き状の膜が張っていた。

「うわわっ化け物っ」

 タフゥモブは早速叫んだ男に飛びかかり、大きな口でその首筋にゾブリと噛みついた。蔓で腰に巻きつけられた殺害数カウンターが一を加算した。

 残った人々も疲れた体に鞭打って逃げ出そうとしたが、タフゥモブの方が十倍も素早かった。次々に首筋を食いちぎられ息絶える。

 まだ手足を痙攣させている者もいたが、タフゥモブは彼らの腰に蔓を巻きつけて一繋ぎにした。蔓の端を持って三途川へと引き摺っていく。クチャクチャと口の中ではまだ肉片を噛んでいた。

 河原にずっと放置されていた棺桶がゴソリと動いて、タフゥモブは目を向けた。

 男の絵が描かれた黄金の棺が開き、ボロボロの包帯を纏った痩身の男が身を起こした。

 腕時計を確認し、包帯男・ファラオは低くしわがれた声で呟いた。

「しまった、二度寝した。すぐ起きるつもりであったのに」

 棺桶から出て大きく伸びをし、ファラオは周囲を見回した。立ち止まって観察していたタフゥモブの丸い目と、ファラオのしぼんだ目が合った。

 痩せて乾いた肉に魅力を感じなかったのか、タフゥモブが先に視線を外し、三途川へ入っていった。橋脚まで泳ぎ、芋蔓状の死体をくくりつける。

「では、余も始めるか」

 自分の棺桶を背負って、ファラオは街へと歩き出した。

 

 

 高層マンションのベランダに奇妙なものが吊られ、風に揺れている。空気が抜けてしぼんだビニール人形みたいなもので、既に三十以上のベランダでそれぞれ一個から四個程度吊られていた。

 それは、人間の生皮だった。複雑な凹凸のある顔の皮膚から指先まで、僅かな剥ぎ損ねも破れもなく完璧に剥ぎ取られていた。頭髪もついたままだ。後頭部から臀部まで一直線に切れ目があり、そこからナイフを差し入れて全身の皮膚を剥いだのだと思われる。もし相手が死体だったとしても人間業とは思えない。

 ベネトルディが別のベランダに現れ、鼻歌を歌いながら新しい人の皮を吊るした。乾かすつもりなのだろうか。皮に血は殆どついていない。

「あ、そうだった」

 室内に戻ったベネトルディは、全身の皮膚を剥かれて呆然と立っている人体模型のような男に、悠然と歩み寄ってナイフを振った。

 喉を裂かれて血を噴きながら、漸く男の悪夢は終わった。ベネトルディはそれを見届けもせずベランダから隣の部屋へと移っていく。

 吊られた皮の、目の部分の穴だけが、恨めしげにそれを睨んでいた。

 

 

 午後七時。血の色をした太陽が地平線の彼方へ沈み、八津崎市に夜が訪れた。赤く染まっていた都市が闇に溶け、照明が無数の光点となって星空のように淡く浮かび上がってくる。

 いや、もっと強い光源もあった。揺らめいている大きな炎。繁華街の通りが百メートル以上にわたって燃えている。ぶち撒けられたガソリンが今もアスファルトを焼き、ひしゃげた車両や炭化した元人間をまだまだ焦がし続けている。別の場所では十数階建てのビルが燃えている。炎に追われ、絶望した人々が窓から次々と飛び降りていく。高級ホテル『ダークレッド』も燃えていた。消防車など来る筈もない。隣の建物へ火はどんどん燃え移り、市内を赤い炎が黒煙が侵略していく。家に篭もっていた人々が火事で逃げ出し、待ち構えていた殺人鬼の餌食となっていく。大事なものなのか、桐の箪笥を背負って出てきた男は、鉈を持った殺人鬼を箪笥で叩き潰した。

 エベレストタワーの屋上で、ドクター・Mはスコッチを味わいながら八津崎市を見下ろしていた。彼の殺害数カウンターはまだゼロのままだ。

 悲鳴が聞こえる。標高八百八十四メートル八十センチのこの場所に、地上の人々の悲鳴が、殺人鬼達の雄叫びと笑い声が、巨大なうねりとなって届いているのだ。エベレストタワーが不安定に揺れているのも、阿鼻叫喚のうねりと無関係ではないだろう。

 街は、逃げ回る人々と追う殺人鬼達の坩堝と化していた。死体の転がっていない道はなく、悲鳴の洩れない建物はない。あらゆる地面は血で染まり、窓や壁には肉片がへばりついている。裏通りでは抗う女に馬乗りになって鋸で首を切り落とそうとしている殺人鬼に、武装したヤクザグループが笑いながら自動小銃の掃射を加えている。騒ぎに乗じて死体から金品を奪っている者もいる。それを見咎めた警官が何も言わず背後から撃ち殺した。二人の殺人鬼が取っ組み合い、互いの眼球を指で抉り出そうとしている。

 数百人の殺人鬼と数百万の市民。そして百数十の暴力団から送り出された約一万人のヤクザ。激増した市の人口に間に合わぬ四千人の警官。それらが渾然となって混乱と恐慌と殺戮と略奪の地獄絵図を繰り広げている。悲鳴と血と雄叫びと肉片と狂笑と刃の煌きと呻き声と銃声と脳漿と炎で八津崎市が満ち満ちていく。

 ドクター・Mの瞳は、甘い愉悦に潤んでいた。

 バーンドルフが黄泉津通りで肉切り包丁を振るっている。皮一枚残して首を切断され、バタバタと倒れる犠牲者。一般市民もヤクザも泥棒も警官も一緒くたになっていた。数千の死体が通りを血に染めた頃、バーンドルフは殺戮を休止して死体を『肉のほねかわ』に運び始めた。

 ブラド・ドラクールとエリザベート・ドラクールが夫婦で殺しまくっている。極細ワイヤーで一気に数十人の体を切断するエリザベートに比べ、一人一人に杭を刺して立てていくブラドのペースは遅い。彼なりの矜持があるのだろうが、それにしても大量の杭は何処から取り出しているのだろうか。通りを一列に並ぶ串刺し死体はある意味壮観だ。

 バナサイトはスクラップを棍棒代わりに振り回して歩いている。逃げる人々を走って追う訳でもなくマイペースなものだ。ヤクザと警官が一緒になって銃撃を続けているが、新調のスーツに穴を開けるだけで本人は平然としていた。元ベンツの棍棒は血塗れで、衝撃を受け続けてかなり小さくなっていた。

 炎に巻かれ人々が逃げていく。それを物陰から銃剣で貫き、引き摺り込んでいくのはハリー・ザ・フォーガトンだ。ベトナムでどんな体験をしてきたのか、神出鬼没の彼は殺した相手を必ず食べていた。

 ヴードゥー魔術師ガラヤンバは死体集めに熱中しているようだ。縫い合わされて巨大化した肉の塊がエベレストタワーからも小山として見えている。

 十三号は二つのプロペラで人々をミンチに変えていた。集団が全滅すると、足の裏のジェット噴射で巡回飛行し、新しい獲物を探している。

 三途川ではタフゥモブが活動範囲を広げていた。上流から下流まで、繋がれた死体が長い帯を作って揺れている。

 センジュと怨公が競い合うように殺戮を続けている。おそらく現時点での最高得点者はこの二人のどちらかであろう。巨大ククリナイフで建物ごとぶった切るセンジュと、一撃でビルを崩壊させる怨公。彼らの通った後には瓦礫が残るばかりだ。

 ベネトルディはマンションの住民を全滅させ、隣のマンションに壁伝いに移動するところだった。放置された無数の生皮が虚ろに揺れている。後で回収する気があるのかどうか。

 ファラオは棺桶を背負って市の中心部へと歩いていた。異様なその姿に目を留めた人々が、急に胸を押さえてバタバタと倒れていく。その体が泡を立てて溶けていくのを確認して、ドクター・Mは目を細めた。

「興味深い現象だな。あれが何によるものか判明しないうちは、近づかない方がいいだろう」

 そしてドクター・Mは郊外の一角に目を留めた。

 礼服を着た長身の男と、着物姿の痩せた男のコンビが、キョロキョロ周囲を見回しながら歩いている。口に手を当てて何か叫んでいるようだ。礼服の男は殺害数カウンターをつけていない。

 二人の後方には、無数の死体が転がっていた。傷口の大部分は鋭利な刃物によるものだが、鈍器で潰されたような死体もあった。

 丸腰である礼服の男を、着物の男がしばしば刀で刺している。丸腰の男は穴だらけだが痛がるそぶりも見せず、自分を攻撃する男と共に行動しているのだった。

「黒贄礼太郎か」

 ドクター・Mが呟いた。その声にはある種の感動が込められていた。殺人鬼が優れた同類に覚えるもの。羨望と対抗心。

「たった一万点では割に合わぬだろうな。しかし個人的に、仕留めるだけの価値はある」

 そう言いながらも、ドクター・Mはエベレストタワーの屋上から動かなかった。

 蹂躙される八津崎市を眺めつつ、ドクター・Mは冷蔵庫から次のスコッチを取り出した。

 

 

 高級住宅街の一角に中善寺の屋敷はあった。高い塀に囲まれた広大な敷地はさながら森のようだ。

 鉄製の大きな門は歪み破られていた。玄関へと続く長い道には所々に死体が転がっている。逃げ込もうとしたのか逃げ出そうとしたのか、一般市民らしい普段着と、使用人らしい制服の死体。途中で殺し合ったものか、二挺斧を持った殺人鬼の死体もあった。

 屋敷の玄関はメチャクチャに崩れていた。爆発でも起こったのか、ドアも周囲の壁も粉々に砕かれ飛散している。

 そして玄関の前に、無数の肉塊が積み重なっていた。死体は百人分を超えると思われるが、原形を留めずバラバラになっているため正確な人数は掴めない。

 肉塊の中から、右手に棍棒を持った男が立ち上がった。左顔面が吹っ飛び脳が見えているが、男は雄叫びを上げて邸内へ進もうとした。男の胸には殺害数カウンターが飾られていた。

 ガガガガガ、と、派手な火薬音が続いた。男の血みどろの体に無数の穴が開き、内臓をどんどん落としていく。手足が消し飛んで倒れ、芋虫のようにモゾモゾと動いていたが、頭が完全に破裂して、漸く男は動かなくなった。

「クッキーちゃんが帰ってくるまで、死んで堪るもんですか」

 玄関奥の小ホールに重機関銃を据え、鉢巻を巻いた中善寺典子が鼻息荒く呟いた。重機関銃は三脚に支えられ、自在に射撃角度を変えられるようになっている。中善寺の厚化粧には点々と返り血が飛び、殺意と狂気に彩られた目がギラギラと光っていた。

 彼女の近くには使用人や執事達の死体が転がっていた。来襲した殺人鬼に殺されたものだろうが、二人ほど、重機関銃によると思われる爆ぜた傷口を覗かせていた。

 窓ガラスを割って、ナイフを持った殺人鬼が襲ってきた。中善寺はすかさず銃身を旋回させて応戦する。毎分二千発の連打を食らって殺人鬼が爆発する。続いて二階から侵入したらしい強盗達が階段を駆け下りてくる。それも重機関銃が肉塊へ変える。ベルト式の弾帯があっという間に銃身に吸い込まれては消えていく。今度は玄関に数十人が押し寄せてきた。一般市民も混じっていたようだが中善寺は容赦なく銃弾を叩き込んでいく。肉塊が量産され玄関に血の海が広がっていく。

「クッキーちゃんを待つのよっ殺人鬼なんか皆殺しにしてやるわっそうよっ皆殺しよっ」

 死体で溢れた屋敷で独り、中善寺は叫んだ。

「の……典子……ただいま……」

 玄関の肉塊の中で、左半身を吹っ飛ばされた中年の男が呻いた。

「あら、あなた、お帰りなさい」

 中善寺典子は赤い微笑を返しながら、瀕死の夫に取り敢えず二百発ほど撃ち込んだ。

 

 

「急がなきゃ、急がなきゃ」

 廃墟と化したビル内で全身ケロイドの男が同じ台詞を繰り返していた。新しい火傷も古い火傷も混ぜ合わさってグロテスクな模様を作り上げている。服は焼け残ったジーンズが腰巻のようになっているだけだ。皮膚に直接縫い留められた殺害数カウンターはまだゼロを示している。オーストラリアから持参した火炎放射器は失われ、彼は歩きながら何かを探していた。

「出遅れた。もう九時だ。急がなきゃ」

 男は、バーニングマイケルだった。車両の山からやっと脱出したらしい。

 物置部屋にドラム缶が見つかった。蓋はなく中身は空だ。ホースもあったのでドラム缶にガムテープで貼りつけた。

「燃料は……燃料がない」

 バーニングマイケルは惨殺死体の転がるビル内をウロウロした後、何を思ったのか男子トイレに入って洗面台の蛇口をひねった。

 流れ出したのは透明な水道水ではなく、ドロドロになった濃い血液だった。おそらく貯水タンクに大量の死体が詰め込まれているのだろう。

 バーニングマイケルは陶製の洗面台を壊してドラム缶を蛇口の下に押し込んだ。ドラム缶にどす黒い血が満たされていく。

 満杯になったドラム缶にビニールシートで蓋をし、バーニングマイケルはそれを背負ってロープで括りつけた。ふと、鏡に映った自分の姿を見て動きが止まる。

「ハゲじゃないぞ。剃ってるんだ。そうだ、ハゲじゃない」

 一本の毛髪もないケロイドの頭を撫で、バーニングマイケルは自分に言い聞かせるように呟いた。ライフル弾で撃ち抜かれた筈の右目は既に再生している。

 ドラム缶内から繋がったホースがサイホン原理によって血を滴らせていた。ホースの端をガムテープで右手首に固定する。

 滴る血が、どす黒い炎に変わって前方へと伸びていった。鏡が熱で溶けていく。

「よし、行こう。ハゲじゃない。ハゲじゃないぞ……」

 バーニングマイケルは即席の火炎放射器を背負って、燃え盛るビルを出発した。

 結局、彼にとって燃料など何でも良かったらしい。

 

 

 八津崎市の市役所は口の字型になった建物で、木や草花で飾られた広い中庭は、中心に奇妙なものが据えられていた。

 それは、約五メートル四方の鋼鉄の箱だった。どれだけの年月、この中庭で風雨に晒されてきたのか、表面の塗装は何度も塗り替えられた痕跡があった。壁には蔦が絡んでいる箇所もある。

 完全に密閉されてみえる箱の一ヶ所にだけ、横五十センチ、縦三十センチほどの隙間が開いていた。奥は真っ暗で何も見通せない。

 隙間の上に、『市長室』という表札が掛かっていた。

 ここが、八津崎市長の仕事部屋であるらしかった。しかしドアもないのにどうやって出入りを行うのか。室内と外界を繋ぐ唯一の隙間は大人が通り抜けるには小さ過ぎる。

 もしかすると、出入りは行われないのかも知れなかった。

 市役所周辺からは悲鳴と怒号が聞こえているが、中庭はそんなことも知らぬげに静かだった。数ヶ所からライトを浴びてひっそりと照らされている市長室に、一人の若い職員が息を切らしながら駆けてきた。

「し、市長、町はもうメチャクチャです。助けて下さい」

 市長室の隙間に顔を近づけた、職員の姿が消えた。一瞬で中に引き摺り込まれたのだ。

 数秒後、隙間から何かが飛び出して、地面に転がった。

 それは、職員の潰れた生首だった。

 額に、『不受理』と印鑑が押されていた。

 中庭はいつまでも静かだった。

 

 

 八津崎市が燃えていた。消し止める者のない火事は何処までも延焼を続け、既に市内の半数近くの建物が炎に包まれている状況だ。

 赤い炎に混じって、毒々しい暗赤色の炎が拡大を始めていた。バーニングマイケルが通りを歩きながら、五十メートルも伸びる炎の舌で建物を焼きまくっている。コンクリートも鉄も溶け、逃げ出た人々が見る間に炭化したり灰になったりしてバタバタと倒れる。どす黒い炎は他の炎にも乗り移り、疫病のように独自に広がっていく。バーニングマイケルの殺害数カウンターは凄い勢いで回っていた。

 五百七十万であった八津崎市の人口が二百万を切った午前零時、八津崎市警察署長大曲源は崩れ果てた警察署の建物をバックに立っていた。左手には脊髄にコードで繋がった短機関銃を持ち、右手にはハンドバズーカを持っている。寝癖のついたまま逆立った短髪が、生ぬるい強風に吹かれて揺れた。疲れた顔はより一層の疲れを湛え、くたびれたコートの裾は焦げていた。首筋の人工皮膚が一部めくれて蛇腹状の金属装甲が見えている。

「署長ってのは大変だ。なあ」

 大曲は力なく苦笑して、短くなった煙草を吹き捨てた。

 同意を求められた警官は、しかし返事をしなかった。既に大の字の死体となって地面に横たわっていたからだ。防弾チョッキには鉄の棒が三本突き刺さっている。

 署にいた警官で、生き残っている者はいなかった。

「百点ーっひゃくてんんんんんん」

 前方から十数人の殺人鬼が怒涛の勢いで迫る。手に手に斧や鉈やナイフや金棒を持った彼らは六時間の殺し合いを生き延びた強者達だ。体中に銃創や刀傷を帯び、内臓を露出させたり腸を引き摺ったりしているが、全く意に介している様子はない。彼らのカウンターはそれぞれ五千から一万前後あった。

「いらっしゃーい」

 大曲はやる気のない声で応じ、早速ハンドバズーカの一撃を加えた。煙の尾を引いて飛ぶ砲弾をどう思ったのか一人が真正面から受け止める。血と肉の大爆発。大曲は短機関銃の弾幕を容赦なく浴びせていく。殺人鬼の半数は俊敏に転がったりして避け、残りは炸裂弾をまともに食らって内臓を撒き散らしても平然としていた。大曲がバズーカを捨て右手人差し指を伸ばし熱線を発射しようとしたが、回転しながら飛んできたトマホークが右胸にぶっ刺さった。金属装甲を破るガキョンという嫌な響き。仰向けに倒れた大曲に、バッテリー式丸鋸を持った男が飛びかかる。

 その瞬間、大曲の右膝からズボンの生地を破ってミサイルが飛び出した。彼の右足は義足だったのだ。丸鋸の男は直撃を受け、二十個くらいに分割されて飛散した。

 だが、残りの殺人鬼達が眼前まで殺到していた。ある者は目を輝かせながら、ある者は涎を垂らしながら、ある者は自分の腸を振り回しながら。

「たった百点だろ、そこまでムキになるなよ……」

 愚痴る大曲に緊迫感はない。何故ならそれ故に、彼はこれまで生き延びてきたのだから。右手人差し指の熱線が一人の足を切断したが、二本目のトマホークが大曲の右手を地面に縫いつけた。左手の短機関銃が殺人鬼達の肉を削っていくが彼らの勢いは止まらない。ドラム弾倉があっという間に空になり、大曲は反撃手段を失った。

 起き上がろうともせず、降りかかる刃を前に大曲は最期の溜息をつこうとした。

 ビュオオオオオン、という美しい風鳴りが大曲の上を通り過ぎた。

 十余人の殺人鬼達が、首と胴をほぼ水平に切断されて数十個の肉塊となって落ちた。大曲の横に転がった金棒はまだ前腕がくっついていた。

 大曲の後方二十メートルの場所に、白い服の小さな老人が立っていた。グルカ族の生き神・センジュ。肩に担いだ刃渡り二十五メートル、全長二十六メートルの巨大ククリナイフが燃える街を背に異様なシルエットを作っている。殆ど返り血を浴びていないのはその凶器のとんでもないリーチ故か。

「おっ」

 仰向けのまま顔を後ろに向けて大曲は救い主を見ようとした。その不精髭の顎すれすれを再び鋼鉄の刃が通り過ぎる。分断されてもまだのたうっている数人の殺人鬼に止めの一撃を加えたのだ。頭を割られ脳をぶち撒けて、とうとう全員が息絶える。

「じいさん、ありがとよ。助かったぜ」

 大曲が礼を言う。トマホークの刺さった右胸は今も火花を飛ばしていた。右手は手首がブラブラになってしまい、配線も切断されている。もう使い物にならない。

 センジュは自分の胸の殺害数カウンターを確認していた。二十八万三千八百六十九。

「こりゃあいいのう。たった三振りで十万近く増えたわい」

 嬉しげに破顔して、センジュは漸く大曲を見た。

「礼には及ばんよ。のう、百点の坊や」

 大曲が右眉をひそめ左眉を上げるという難しい表情を見せた。

「俺も殺すつもりかい。そんだけ稼いでるんだから百点くらい見逃してもいいんじゃねえか」

「そう謙遜するでない。百点を笑う者は百点に泣くんじゃよ」

 そう言うと、センジュは皺だらけの顔で愛敬たっぷりのウインクをしてみせた。

 大曲は逃げようとしなかった。立ち上がるその一瞬で自分の首が飛ぶことを理解しているのだろう。彼は溜息を一つついて大儀そうに言った。

「仕方ねえな。なら俺も必殺技を使わせてもらうとするか」

「ほう、どんな必殺技じゃの」

 五メートルほど距離を縮め、センジュは聞いた。それには答えず、大曲は急に胸を押さえて呻き出した。

「う、苦しい。心臓発作だ。うう、死ぬ、死にそうだ、もう駄目だ、ぐえっ、死んだ」

 棒読みの台詞を終えると大曲は全身の力を抜き、口から舌をはみ出させて白目を剥いた。そのままピクリとも動かない。

 大曲は、死んだふりをしているのだった。

 センジュは呆れ顔でそれを見守っていたが、やがて決心したのかククリナイフを高く振り上げた。しかしそれでも反応しない大曲に、センジュもククリを止めて溜息をつく。

「どうしたものかのう。こんな間抜けを斬ってはクックリが穢れるかも知れんが……」

 と、センジュが視線を大曲の先へと向けた。何者かの足音が近づいてくる。そして、何かを引き摺る音が。

 ラバーマスクとエプロンをつけた男は『気狂い肉屋』バーンドルフだった。右手には血塗れの肉切り包丁を持ち、首を切られた七、八人の死体を纏めて左腕に抱いている。エプロンに飾られた殺害数カウンターは、十二万六千二百八を示していた。死体を運ぶタイムロスを考慮に入れれば、恐るべきハイペースだ。

 バーンドルフがセンジュに気づいて足を止めた。センジュが「ふむ」と小さく頷いた。

 死んだふりの大曲源を挟んで、二人のAランク殺人鬼が向かい合った。ラバーマスクの穴から覗く血走った目と、年齢に似合わぬ黒々とした目が睨み合う。

 バーンドルフが死体の束を捨て、腰に差していたもう一本の包丁を左手に握った。肉切り包丁の二刀流だ。刃が独自の燐光を発しているように見えるのは、握る者の恐るべき力量故か。

 高く差し上げていたククリを、センジュが自分の真後ろにまで振りかぶった。巨大なククリナイフが、小柄なセンジュの陰に完全に隠れている。

「ヒュ」

 鋭い吐息と共に二十五メートルの刃がバーンドルフへと伸びた。上からと思われていた攻撃は水平方向で胴を狙っていた。

 重い金属音が響いた。鋼が高速でぶつかり合い火花が散る。

 バーンドルフは身を屈めて躱すのではなく、二本の肉切り包丁を交差させ、巨大な刃を挟んで受け止めたのだ。超重量の衝撃にもバーンドルフはよろめかない。

「ほう、やるのう」

 嬉しそうにセンジュは言った。バーンドルフは無言だったがマスクの奥の目は喜悦に光っていた。二本の包丁で挟んだままククリのエッジを伝い、センジュへ向かって真っ直ぐ駆けていく。長靴のドタドタという音と、金属のこすれ合う引き攣った音。

 センジュがククリを引いて再び振りかぶろうとした。だが、二本の包丁は魔法のようにククリのエッジに吸いついて離れない。バーンドルフはククリについていきながらセンジュへ近づいていく。長靴に腹を踏まれ、大曲が「ぐえっ」と呻く。

 両者の距離が五メートルほどになった時、センジュが腰を低くしてククリナイフを持ち上げた。肉切り包丁で挟んでいたバーンドルフも一緒に浮かせられ、瞬間、肉屋の瞳に驚愕が湧く。だがバーンドルフは空中で体勢を整え、センジュへ向かって落下しつつ肉切り包丁を振った。

 包丁は空を切った。センジュが同時に後方へ跳んでいたからだ。

 充分に振りかぶった巨大ククリを、センジュは皺だらけの笑みを浮かべて振り下ろした。

 バーンドルフの瞳が一際強く光った。彼は真上から神速で迫る刃を、右手の包丁で左から右に叩きつけて軌道を逸らしたのだ。ククリの刃がアスファルトを割ってめり込んだ。

「なかなかアダッ」

 着地したセンジュが急に顔を歪めた。バーンドルフも突進しようとして止まり、センジュの足元を見る。

 径一メートルほどのマンホールの蓋が浮き上がり、隙間から伸びた銃剣がセンジュの右足甲を貫いていたのだ。下水道を移動して獲物を探していたハリー・ザ・フォーガトンの仕業だった。

 すぐに銃剣が流れ、センジュの右足をサンダルごと裂き割った。刃は第二指と第三指の間を抜けていく。

 もう痛がったりせず、センジュが巨大ククリを振り下ろした。銃剣は素早くマンホールの中へ消え蓋も閉じるが、数トンの刃が蓋ごと地面を割って地中へ潜り込んでいく。センジュにとっては鉄もアスファルトも豆腐と変わらないらしい。

 地面の下から悲鳴らしいものが洩れた。センジュは黙ってククリナイフを引き上げる。土とコンクリートの欠片が落ちる。

「どうするかね、肉屋さん」

 むしろ優しげに、センジュはバーンドルフに問いかけた。バーンドルフはセンジュの傷ついた足を、それが癒合せず血を流し続けるのを見ていた。

 自分以外の者によって負傷した敵。好機と捉えているのか、それとも今襲うのはフェアでないと考えているのか、彼の血走った目から推測するのは不可能だ。

 だが、バーンドルフはセンジュから距離を取り、後方を振り返った。大曲はというと口から血を吐きながら死んだふりを続けている。

 換気扇のような、いやもっと高い機械の唸りが聞こえる。

 プロペラになった両腕を前に突き出し、ロシアの惨殺機械・十三号が足の裏の車輪で滑ってくるのだった。被害者の挽肉が前面に貼りついて凄いことになっているが、ベストについた殺害数カウンターは十六万三千五百十六と表示していた。

「肉にしか興味はないが……」

 ここに来て初めてバーンドルフは口を開いた。だがその台詞が終わる前に、時速八十キロの人型双発機が襲いかかってきた。すかさず二刀流の肉切り包丁が迎撃する。

 体ごと弾かれたのは双方だった。

 十三号の右のプロペラが妙な音を立て、回転が遅くなっていく。鋼鉄の羽の一枚がひん曲がり使い物にならなくなっていた。

 バーンドルフの右肩が爆ぜ、鎖骨の一部が見えていた。ラバーマスクに表情は隠されているが、瞬きもしない目に苦痛の色はない。

 十三号の右手首から鋼鉄の羽が三枚とも抜けて落ちた。腕を真横に上げると、前腕が上腕内へ吸い込まれていき、代わりに緩やかにカーブした太い刃が生えてきた。長さは約一メートル、刃の峰は幅三センチくらいあるだろうか。車輪も引っ込んで鋼鉄の足裏を直接地面につける。左のプロペラはまだ回り続けている。

 相手の戦闘態勢が整うのを、バーンドルフは静かに待っていた。右肩の傷は出血が止まり、肉が盛り上がり始めている。

 板金加工によって一枚の金属板で形作られた十三号の顔は、穏やかな微笑を浮かべていた。目の穴からはカメラが覗いている。

 肉切り包丁を持った『気狂い肉屋』バーンドルフと、殺人機械十三号の、互いの存在と持ち点を賭けた潰し合いが始まった。

 鋼鉄を打ち鳴らす音が激しく続き、肉片と金属片が散っていく勝負をよそに、センジュは地面に座り傷の応急処置をしていた。裂けた右足に布を巻いて止血する。

「年を取ると傷の治りが悪くなっていかんわい。おーい、百点の坊や、近くに病院はないかの」

 死んだふりをしていた大曲が目を閉じたまま左手の短機関銃を動かした。その銃口の先をセンジュの視線が追う。崩れた警察署の左後方に病院の看板が見えていた。壁の一部は穴が開いているが、窓からは明かりが洩れている。

「すまんのう。まだ医者が生きとりゃいいが」

 センジュは礼を言うと巨大ククリを拾い上げ、右足を僅かに引き摺りながら病院の方へ歩いていった。

 先程とは別のマンホールから、また蓋を押し上げて男の白髪頭が覗いた。

 銃剣を装着した古いM16突撃銃が、男が『忘れられたハリー』ハリー・ザ・フォーガトンであることを示していた。

 ハリーの頭が、二つに割れていた。右側頭部、厚みにして三センチほどがパックリと円盤状に裂け、顎の肉で繋がっている程度だ。頭蓋骨と脳の断面が見え、髄液と血液を垂れ流している。

 センジュのククリの成果が、これだった。

 怒っているとも笑っているともつかぬ不思議な表情で、ハリーは自分の頭の一部を手で掴んだ。無造作に引っ張ると顎の肉がちぎれ、完全に分離する。

 右耳のついた肉と骨と脳の円盤を、ハリーは大きく開いた口の中に突っ込んだ。ゴリゴリと音を立てて咀嚼する。

 ハリー・ザ・フォーガトンは、自分の一部を五秒で飲み下した。

 その時から再生が始まっていた。肉芽が盛り上がるだけではなく、脳も骨も凄まじいスピードで再構築されていく。骨が閉じ皮膚が覆い、白髪と耳も生えてきた。

 この男は、失った部分と同じものを食べることで肉体を高速再生するらしい。それ故にベトナムのジャングルで生き延びてきたのだろう。

 ハリーの頭部の傷が完全に元通りになった頃、センジュは百メートル以上先を行っていた。下水道経由で近づくつもりなのか、ハリーは再びマンホールの蓋を閉めて姿を消した。

 その蓋を吹き飛ばし、大慌てでハリーが地上へ飛び出したのは二秒後だった。

 ハリーの迷彩服が裂け、後頭部から背中の半ばほどまで赤い線が縦に走っていた。ハリーの逃げる動きに合わせ、切り口から一部の皮膚がペニャペニャと揺れる。ちなみに彼の殺害数カウンターは七万四千二百七十六であった。

「チッ、逃した」

 マンホールから次に現れたのは、イタリアの皮剥ぎ魔・ベネトルディだった。既にハリーは瓦礫の下へ潜り込んで消えている。

 使いきれなかった皮剥ぎ用ナイフを片手に、ベネトルディはスーツ姿で地上に立ち、周囲を見回した。横たわっている大曲に目が留まる。

「人工皮膚は要らん」

 そう吐き捨てると、昏い目を光らせながらベネトルディは去っていった。また別の獲物を探すつもりなのだろう。彼のカウンターは五万千七百三十三だった。

 バーンドルフと十三号の激戦が続いている。大曲は薄目を開けてそれを見て、小さく呟いた。

「内臓が潰れちまったみたいだ。また機械部品が増えちまう。……さて、どうすっかな。逃げても殺人鬼は溢れてやがるし」

 そして、大曲は言った。

「もう面倒臭え。寝とこう」

 大曲は目を閉じた。やがて、軽い寝息まで立て始めた。

 

 

 怪獣が町を破壊している。高さ二十メートル、幅十メートルほどの円筒状の胴に、触手のような腕のようなものが十本ほどくっついている。足はないようだが、地面に触れた部分がモゾモゾと動き、滑るように移動している。

 太さ一メートルもありそうな腕がビルを殴り、壁を壊していく。比較的緩慢な動作だがパワーはあるようだ。中に隠れていた人々が悲鳴を上げる。それを腕が摘まみ上げ、あっけなく握り潰す。死体は放り捨てずに自分の体の表面にくっつけているようだ。

 その怪獣は、無数の人間のパーツが縫い合わされて出来ていた。何万人分の死体が使われているのか、胴も頭も手足もメチャクチャに再構成されているので何が何やら分からない。何百トンもの重量を支えるために、下部になるほど剥き出しの骨が多く組み込まれている。怪獣の腕らしきものも、大量の骨と筋肉を絡み合わせて作られていた。体表に生えた無数の人間の腕が、新しい死体を素早く解体してロープで縫いつけていく。

 一体、魔術師ガラヤンバは、何処まで巨大化すれば気が済むのか。

 ガラヤンバの本体は、屍の山に隠れて見えなかった。ただ、胴の上部に死体の顔がずらりと並び、虚ろな目で燃える町を見つめていた。

 

 

 八津崎市内では生存者より死体の方が圧倒的多数を占めるようになっていた。通りを逃げ惑う市民の姿も珍しくなり、最初の頃は張りきっていたヤクザ達も、及び腰だった警官達も、僅かに生き延びた者が疲れ果てた顔で幽鬼のように歩いているだけだ。建物は大半が炎に包まれ、逃げ隠れする場所もなくなり、不死身の殺人鬼達が食べ残しはないかと徘徊を続けている。

 ただただ、膨大な数の死体だけが横たわっていた。死体のない場所はなく、血に濡れていない地面もない。

 数百万の無惨な死体から流れた血が、血溜まりから血の海を作り、高い場所から低い場所へと滑っていく。

 その一部は三途川に注ぎ込み、赤い水を更に赤く変え、粘度を上げていく。

 大量の血によって川の水位が増していく。荒れ狂う流れから撥ねた飛沫が河原と土手を染めていく。

 午前一時半、三途川は氾濫した。血と水の混ざり合ったものが小津波となって土手を乗り越え道路を進み建物にぶつかっていく。潰れた車両が水に呑み込まれ、死体が押し流され、燃え続けていた家屋は漸く鎮火の気配を見せ始めた。いや、そのまま倒壊していく建物も多かった。禿げ頭の半魚人タフゥモブが陸波に乗って踊るのが見えた。逃げるのにも疲れて棒立ちになっていた人々を、波と一緒になって攫っていく。タフゥモブの腰のカウンターは六万八千六百三十八だった。

 八津崎市は、本当に血の海に浸かり始めていた。

 

 

 警察署前の広場でバーンドルフと十三号の壮絶な一騎討ちが繰り広げられていた頃、焼け残ったビル内で別の戦いが静かに続いていた。

 電灯の多くが壊れ、一部の部屋から洩れる微かな光だけが荒れた屋内を浮かび上がらせている。壁も天井も血と煤で汚れ、床には死体が積み重なっていた。

 死体の幾つかは、肉を噛みちぎられていた。若い女の頬に残る歯形は、人間のものだ。

 死体の幾つかは、皮膚を失い皮下組織と筋膜を露出させていた。中年の男の死体は途中で放棄されたらしく、剥がされたのは胴体の皮膚だけで手足と顔がまだ残っていた。男の首筋に細身のナイフが深く突き刺さっている。

 ボダリ。

 天井についた血の染みが雫を落とし、床の血溜まりにぶつかって嫌な音を立てた。

 瞬間、ドアの裏と天井の穴から二つの影が飛び出し、宙で交錯した。金属のぶつかり合う澄んだ音。二度、いや三度。

 すれ違ったすぐ後に、一方からもう一方へナイフが飛んだ。刃渡り十センチほどの細いナイフが二本。相手は着地前に短槍のような武器で叩き落す。ナイフの狙いは正確だったが、それを弾いた相手の動きも正確だ。

 ドアの裏から飛んだ影は向かいの部屋へと消えていた。天井から飛んだ影は何処に消えたのか分からない。残っていた電灯の一つが切られ、闇の領域が増す。

 二つの気配は完全に消滅した。恐るべき隠形の使い手達だ。常人がここに迷い込めば、自分に何が起こったのか分からぬまま一秒で殺されていただろう。

 再び静寂が支配するかと見えた刹那、低い声が響いた。

「さっき指を切り落としたのに、もう元通りに生えてやがったな。しぶとい奴だ」

 声の主はベネトルディだった。ナイフを投げたのも彼だ。皮剥ぎ用のナイフ以外にも多数用意しているらしい。

 もう一人は沈黙を守っていた。その代わり、声のした方へ何かが飛んだ。さほどのスピードはない。

 それを細身のナイフが貫き、壁に縫い止めた。ナイフが飛んできたのは声がしたのとは別の方向からだった。

 縫い止められたのは三十センチほどの人間の皮膚だった。おそらく、ベネトルディを引き裂こうとして相手の手に残っていたものだろう。それを囮に使った訳だ。

 死体の山が持ち上がり、隠れていた人影が跳ねた。ナイフを投げてきた気配へと……。

 重い音がした。肉が壁にぶつかる音。血みどろの死体が服を着た人間風船に命中し、勢い余って壁に激突したのだ。既にベネトルディはそこにおらず、人間の皮膚に空気を吹き込んで作った囮を残していた。死体の山から飛び出したのもやはり市民の死体であった。相手が放り投げたのだ。二人の殺人鬼は互いを騙そうと必死になっている。

 再び、二つの影が跳んだ。空中ですれ違うかに見えた二人はぶつかり絡み合い、血溜まりへ落ちていく。

「うげっこいつっ」

 ベネトルディが叫んだ。彼の右脛に迷彩服を着た白髪頭の男が齧りついていたのだ。二時間近くに渡る冷戦の相手はベトナムの人食い兵士ハリー・ザ・フォーガトンであった。

 ハリーは落下しながら銃剣を突き上げた。切っ先はベネトルディの肛門を狙っている。咄嗟に体を反らせてベネトルディが避け、銃剣は彼の股間をすり抜けた。

 ベネトルディが体を反らせたまま右腕を振った。それは彼の脛から離れないハリーの首を深く走り抜けた。異様な体の柔軟さであり、腕の長さであった。二人は死体と血の上に落ちた。

「へっ」

 立ち上がったベネトルディの足に、完全に切断されたハリーの生首がまだ噛みついていた。両手で頭を掴み、無理矢理引き剥がす。肉の裂ける嫌な音がして、ベネトルディは苛立たしげに呻いた。

 ズボンの生地と何重にも着た人の皮と一緒に、ベネトルディ本体の肉がちぎれたのだ。傷口には噛み砕かれた骨まで覗いていた。

 しかし、ベネトルディは人の皮をかぶった顔に昏い微笑を浮かべ、ハリーの生首を自分の顔の前に差し上げてそれに見入った。素晴らしい戦利品を眺めるように。

 ハリーの目は今も生気に溢れ、ベネトルディを見返していた。彼の瞳の中にあるのは食欲だ。

 その生首に手を伸ばすものがあった。

「うひょぇっ」

 ベネトルディも流石に驚いて生首から手を離し後方に跳んだ。天井に張りついた彼の目が大きく見開かれる。

 ハリーの生首を掴んで立っているのは、首を失ったハリー自身だった。彼は自分の生首を、断続的に血を噴いている胴の断面に置いた。

 ハリー・ザ・フォーガトンは、自分の首を元通りに繋げようとしているのではなかった。

 彼は力一杯自分の胴に生首を押しつけていた。肉がひしゃげ、骨が砕ける音。生首が潰れていく。

 少しだけ、潰れた生首が胴にめり込んだようだ。食道内に。

 ハリー・ザ・フォーガトンは、自分の首を、食べようとしているのだった。

 どれほどの幅を彼の食道は持っているのか、首筋はなんとか中に入ったが、顎の部分でつっかえた。

 ハリーは右手にM−16を持ち、銃剣で自分の生首を縦に割った。後頭部が切れ残ったようで、自分の顔の裂け目に手を突っ込んで開き、頭を二つにちぎり分ける。脳の断面がはっきりと見えた。彼は、呑み込みやすいようにそうしたのだ。

 まず頭の右半分を食道に押し込み、続いて左半分を無理矢理押し込んだ。最初は膨れ上がった胸部と腹部が、見る間にしぼんでいく。同時に首の根元から、新しい肉が盛り上がってきた。

 呆然と見守っていたベネトルディが、吐きそうな声で言った。

「化け物め……」

「イエース、アイムアモンスター」

 肉の突起の先端に出来た、まだ径五センチくらいの顔が、嬉しそうに小さな声で答えた。

 天井を蹴ってベネトルディが襲いかかった。まだ再生しきっていない好機と思ったのか、単に冷静さを欠いていたのか。

 小さな顔でハリーは応戦した。素早く拾い上げた自動小銃を真っ直ぐに差し向ける。皮剥ぎ用ナイフと銃剣がぶつかり合って火花を散らした。

 再び終わりなき戦いが繰り広げられるかと思われたその時、廊下の端から部屋の窓から、大量の赤い波が攻め込んできた。あっという間に死体も机も押し流されビル内は水で埋まり水位がみるみる天井まで上がっていく。

 ベネトルディもハリー・ザ・フォーガトンも、波に呑まれて見えなくなった。

 

 

 血の海に膝まで浸かりながら、怨公がファラオを滅多打ちにしていた。

 ビデオの数倍速再生を見ているような異常な光景だった。猛スピードの拳や肘や掌底や蹴りが当たる度にファラオの体が変形し肉が吹き飛んでいく。

 怨公の殺害数カウンターは、三十万六千二十六であった。

 ファラオの殺害数カウンターは、十八万三千七百二十八であった。

 もし、片方がもう片方を仕留めれば、合計五十万弱の点数となる。

 ファラオは成すがままにされていた。棺桶は斜め後ろで血の海に浮いている。包帯が裂け乾いた肉が粉となって散る。肋骨が露出し、内部の布袋が見えた。ミイラ化の際に抜かれた内臓を元の場所に詰めているのだろうか。しかしそれも怨公の蹴りで背骨と一緒に背中を突き抜けていった。ファラオの胸にでかい風穴が開いた。

「ところで貴公は……」

 喋りかけたファラオの顔を、怨公の別の足があっけなく蹴り飛ばした。生首がクルクル縦に回りながら、真上に三十メートル以上も飛んだ。

「ふん。何程のこともない」

 怨公は呟いて胸のカウンターを確認した。

 数字は増えていなかった。

 それから自分の腕を見て、怨公は眉間の皺を深めた。

 右手の肉の大半が溶け去り、骨が見えていた。左手も三割方溶けている。血の海から足を抜いてみると、剥き出しの骨が靴を履いていた。

「な、何じゃこりゃあっ」

 怨公のいかめしい顔が歪んだ。

 ファラオは腐食性の微細粒子を、常に周囲へ発散しているのだろうか。或いはファラオの肉自体が毒なのか。

 半分以下に減っていたファラオの体積が、元の量に戻りつつあった。大きく開いた傷口に靄のようなものが漂い始め、新しい肉が盛り上がっていく。真上に飛んだ筈の生首が落ちてこないのは、途中で粒子に分解されたのか。包帯も一緒に再生を始めていた。

「あいやああああっ、お母ちゃああああんっ」

 三才の子供のような甲高い声で怨公が叫んだ。これまでの冷酷なイメージからは程遠い、彼の泣き顔であった。実際に涙まで滲んでいる。

 そのまま泣き崩れるかと思われた一瞬、怨公の両手が霞んだ。

 ポン、と、軽い音がした。骨だけの両掌を前に突き出した、極めの姿勢だけが見えた。

 その掌が本来なら触れている筈の、ファラオの胴体はなかった。

 再生しかかっていた手足も頭部も含めて、一片が一センチ以下の無数の肉片となって後方に散っていたからだ。十三階建てのオフィスビルを粉々にした怨公の奥義だった。

 ファラオが再生するかどうかを見届けず、怨公は頭から血の海に飛び込んだ。黒い服がドロドロの赤に染まる。全身を水に浸けて超スピードの平泳ぎで二百メートルほど泳ぎ、血の混じった水でうがいもして更には飲み込んだ。

 そうやって立ち上がり、手足の腐蝕が止まったことを確認すると、怨公は静かに頷き、再び泣き顔を作った。

「うわああああああっ、お母ちゃああああああんっ」

 怨公は泣き叫びながら、別の獲物を求めて血の海の上を駆けていった。

 完全に再生した乾燥肉・ファラオは、頼りなげに立ち尽くしていた。

「いなくなってしまった。道を聞こうと思ったのだが。何故余が近づくと皆消えてしまうのであろうか。困ったものだ」

 ファラオ自身は、殺意を持っていないのだろうか。

「孤独だ……」

 ファラオは溜息をつくと、再び棺桶を背負って歩き出した。

 

 

 警察署前でのバーンドルフと十三号の対決は、二時間半を過ぎても尚続いていた。この地区にはまだ血の洪水は届いていない。

 十三号のプロペラとバーンドルフの肉切り包丁がぶつかって高い音を弾かせる。バーンドルフのもう一本の包丁が十三号の顔面をぶっ叩いた。右のカメラが衝撃で割れ、ガラス片が散る。鋼鉄の面が凹んでいた。十三号の右腕の剣がバーンドルフの腹部を貫いて背中まで抜けた。血は少ししか出なかった。カーブした太い刃をバーンドルフの分厚い筋肉が締めつけて離さない。十三号はそれでも刃を抜こうとしていた。内部のモーターが悲鳴を上げている。バーンドルフの肉切り包丁が十三号の胴を払う。裂けた金属片が飛び、十三号が後ろへよろめいた拍子にやっと右腕の剣が抜けた。バーンドルフの傷口は肉が盛り上がってすぐに塞がった。

 バーンドルフのエプロンはズタズタになっていた。マスクも一部が破れ、額や左頬が見えている。

 十三号の顔の凹みが少しずつ直っていく。右脇腹の裂けた装甲に内側から金属板が当てられ、自動的に補修されていく。右目のカメラも新しいものに交換された。ベストが破れ、背中にエンボスされた『13』という大きな文字が見えていた。

 二人の殺人鬼の周囲には、肉片と金属片が散乱していた。互いに相手の体を削り続けているのだが、それと同じ速度で再生してしまうのだ。

 十三号がプロペラを盾に突進した。途中で軸の方向が変わり、バーンドルフの首を刎ねようと動く。バーンドルフが肉切り包丁でそれを弾きながら十三号の首を狙う。既にその箇所には何度も修復された跡があった。

 肉と鋼のぶつかり合う広場に、二人の男が蛇行しながら近づいていた。

「クッキーちゃん。クッキーちゃーん」

 捜索から半日を過ぎてもまだ依頼を果たせぬ黒贄礼太郎と、彼を手伝う不渡静磨であった。素手の黒贄は一段と傷だらけになり、内臓の幾つかは行方不明になっていた。首筋には完全に切断された跡があるが、それをホッチキスで繋いでおり、顔の向きが少し左側にずれている。不渡静磨の着物は血塗れだが自分の血と他人の血の割合がどの程度なのかは不明だ。彼の胸のカウンターは十三万四千九百五十六であった。黒贄についていくだけなのにそれだけ増えているのはどうしたことか。また、黒贄がカウンターをつけていればやはり膨大な数字になっていたかも知れない。

「クッキーちゃーん。いやあ、見つかりませんねえ」

 黒贄が溜息をついた。首の傷からも吐息が洩れている。

「見つかりませんなあ。ゴホッ、ゴフッ」

 瀕死の状態で死なぬまま十数万人を殺した不渡は、今も喀血しながら右手が勝手に居合い抜きを繰り返していた。市民が近くにいないので対象は全て黒贄に向かっている。それをやはり黒贄は避けもしないのだった。

「クッキーちゃーん」

「クッキー殿ゴフッ」

 二人は周囲に呼び声をかけながら、バーンドルフと十三号の修羅場へ通りかかった。二人共平気で殺人鬼達の間合いに踏み込んでいく。

「クッキーちゃーん、おやちょっと失礼」

 二人はバーンドルフと十三号の間に割り込んでいった。少し上体を屈めた黒贄の頭頂部をバーンドルフの包丁が削り取っていった。後をついていく不渡は鋼鉄のプロペラに背中を削られたが、反射的に動いた妖刀むぐらぬぐらが十三号の胴をあっさり貫通し、返す刀でバーンドルフの心臓を貫き、ついでに黒贄の後頭部を刺し、刀の切っ先が黒贄の額から生えて出た。黒贄は何もせずに肉屋とロボットの間を抜けていった。

「かたじけない」

 爆ぜた背筋と背骨を晒しながら、不渡は一礼してヨロヨロと黒贄の後を追った。

 地面の上でいびきをかいて寝ていた大曲源が、ふと黒贄達に気づいて声をかけた。

「お、クロちゃ……」

 黒贄は大曲の胴を踏みつけて通り過ぎていった。メチィッ、と金属と肉が潰れる音がした。

「今、どなたか私を呼びましたかね」

 黒贄は辺りを見回すが、背後で痙攣している大曲には気づかなかった。

「む。黒贄殿、何か仰ったか」

 不渡は耳に詰まった誰かの肉片を着物の袖で拭っているところだった。二人はそのまま広場を去っていった。

 大曲源は口から血を吐き、白目を剥いて気絶していた。胸部から煙が昇っている。

 バーンドルフと十三号は、黙って互いの顔を見合わせていた。不渡の妖刀につけられた傷は多少遅れたが再生を果たしていた。

 相手を抹殺するために再び動き出そうとした時、十三号のボディから電子音声が聞こえてきた。

「燃料ガ残リ僅カデス。補給シテ下サイ」

 十三号がプロペラの回転を止めた。

 バーンドルフも足を止め、自分の肉切り包丁を見た。二本共、かなり刃が欠けている。

 十三号が右腕の剣で右後方を指し示した。二百メートルほど先にガソリンスタンドの看板が出ている。照明がついているからまだ営業中らしい。

 バーンドルフは黙って頷いた。彼の予備の包丁は肉屋に置いてある。

 バーンドルフの血走った目と、十三号の二つのカメラが、再戦を期して見つめ合った。そして別々の方向へと去っていった。

「いらっしゃいませ」

 ガソリンスタンドの店員達が十三号に頭を下げた。全員が血塗れで、腰に鉈や拳銃を差している。

 十三号は右腕の剣で給油機の一つを指差した。ハイオクと表示されている。

「満タンでよろしいですか」

 店員が笑顔で尋ねる。十三号は頷いた。首が完全には修復されていないようで、軋み音を立てる。

 背中の小さな蓋が自動的に開き、現れた給油口に店員がノズルを突っ込む。給油されている間、十三号は大人しく立っていた。

 と、十三号が右隣の給油機を見た。

 バーニングマイケルが、血みどろのドラム缶にガソリンを入れていた。彼の殺害数カウンターは二十六万五千百二十二を示していた。

 バーニングマイケルも十三号に気づいたが、互いに攻撃しようとはしなかった。二人にとってガソリンスタンドは特別な場所なのだろう。

「満タン入りました。七千五百四十八円です」

 十三号は胸部の細い隙間からクレジットカードを出して払った。隣ではバーニングマイケルが焦げた札で払っていた。

「ありがとうございましたー」

 二人は出発した。

 

 

 午前三時。八津崎市を覆っていた炎も沈静化の気配を見せていた。既に殆どの建物が燃え落ちてしまったのと、三途川に血水が溢れ出して市内を水浸しにしてしまったためだ。

 五百七十万人いた市民は、今はその一割にも満たないだろう。いや、もしかすると十万人もいないかも知れない。通りを歩く人影は滅多に見かけられず、生き残っている市民は焼け残った建物内や地下室で震えているのだろうか。

 赤い水に足を浸し、殺人鬼達が徘徊する。彼らが求めているのは新しい犠牲者ではなく、同類の大会参加者達だ。世界殺人鬼王決定戦は、他の参加者が持つ得点を奪い合う段階へ本格的に突入した。登録数六百六十六人、大会開始時にはその半数であった参加者の人数も、今は五十人弱ではあるまいか。

 地上八百八十四メートル八十センチ、エベレストタワーの屋上でトランクに腰掛け、ドクター・Mは荒廃した八津崎市を眺めていた。火事が下火となったのと多くの明かりが消えたことで、市は薄闇に包まれている。

 ドクター・Mはスコッチの大半を飲み干してしまっていた。胸にある殺害数カウンターはゼロのままだが、彼の知的な顔に焦りはない。薄い青色の目は、全く酔っていないようだった。

 警察署前の広場ではバーンドルフと十三号が身を削り合っている。攻撃力と再生力が拮抗しているようで、決着は永遠につきそうにない。

 バナサイトが悠然と通りを歩いている。棍棒代わりに使っていた元ベンツは、度重なる打撃により圧縮されて彼の胴よりも細くなっていた。

 腰まで赤い水に浸かり、二人の名も知れぬ殺人鬼が殺し合っている。一人はオーソドックスな斧で、もう一人は大鎌だ。が、斧男が何者かによって水中へ引き摺り込まれ、二度と浮かび上がってこなかった。タフゥモブの背ビレが一瞬現れて消える。当惑している大鎌男を、水面を破って現れた銃剣が刺し貫いた。心臓を刺されながらも大鎌男は反撃した。しかし水中まで刃は届かず、三十回も立て続けに同じ場所を刺されて大鎌男が力尽き、ゆっくり沈んでいく。それを持ち帰ろうとしたハリーに、タフゥモブが追いついて大鎌男の足を引っ張った。ハリーが仕方なく大鎌男の腰を切断して二つに分ける。

 バーニングマイケルは今もホースの先から火線を伸ばし、燃やす余地のありそうな建物を探している。燃料がなくなったが近くにガソリンスタンドもないので、彼は足の浸かった赤い水をドラム缶に汲んだ。

 ブラド・ドラクールとエリザベート・ドラクールの夫婦は八津崎市の大通りを丁寧に進んでいた。死体を見つけてまでわざわざ串刺しにしているのはブラドの趣味なのだろう。

 ファラオは棺桶を背負って何処へともなく歩いている。近づくだけで勝手に相手が死ぬのでただ歩いているだけでいい。ただし、彼が本当は何を求めているのか誰にも分からない。

 怨公が何やら喚きながら凄い勢いで市内を走っている。出くわした他の参加者が一瞬でバラバラの肉塊に変わっていく。怨公はまだ泣いているらしかった。

 センジュは片足を引き摺りながら血の海を進んでいる。小柄な分、胸の辺りまで浸かっている。楽な標的と判断したのか、ハルバードを持った甲冑姿の参加者が真正面から襲ってきたが、水を切って持ち上がった巨大ククリがたやすく相手を両断していた。ククリのリーチは矛槍の十倍以上あった。

 ベネトルディは姿が見えない。何処かに潜んで他の参加者を狙っているのだろう。

 不渡静磨は黒贄礼太郎と一緒にまだ犬を捜している。ドクター・Mが鼻を鳴らしたのは、無意味なことをいつまでも続ける彼らの愚鈍さを笑ったのだろうか。

 そして、ドクター・Mは建物を壊しながら移動する巨大な肉塊に目を留めた。

 魔術師ガラヤンバの操るゾンビは、五十メートルを超える訳の分からない塊となっていた。でたらめに膨張を続けた結果、最早怪獣ではなくアメーバのようなものになっている。繋ぎ合わされた死体部品は自重によって潰れ、地面や壁でこすれた皮膚が破れて赤い肉を晒している。塊の移動した後にはちぎれた肉片が血の海に浮かんでいた。

 ドクター・Mは空になったグラスを置いて、膝の間に立てていたステッキを取り上げた。ライフルを構えるように両手で持って、先端をガラヤンバの巨大肉塊に向ける。

 金属製のステッキの握り部分には、小さな押しボタンが隠れていた。

 銀縁眼鏡の奥で、ドクター・Mの瞳が鋭く光る。瞬きもせず、視線が何かを探るように舐めるように巨大肉塊を這う。

 エベレストタワーの屋上に座るドクター・Mと、肉塊の中にいるガラヤンバとの距離は、二キロ以上あった。

 微妙に彷徨っていたステッキの先が止まった。巨大肉塊の中心からやや上を、それは指していただろう。

 ドクター・Mは緊張も躊躇もなく、あっさりと握りのボタンを押した。

 パスッ、と、軽い音がして、ステッキの先端がカメラの絞り状に開き、光の線が伸びた。それは光速ではないにせよライフル弾の倍の速度で一直線に巨大肉塊へと進み、狙い通りの箇所を貫いた。

 正確に命中したのを確認してドクター・Mがボタンから指を離した。延びたのと同じスピードで光線が縮んでいき、ステッキの中に収まった。先端の蓋も閉じる。

 蠢きながら進んでいた巨大肉塊が、動きを止めていた。ドクター・Mは黙ってそれを観察している。モルモットの脳を覗く研究者のように。

 肉塊の厚みが少しずつ失われ、平たくなっていく。死体の筋肉をコントロールして保たれていた体形が、支える力を失って崩れていくのだ。ゾンビの集合体が、ただの寄せ集めの死体に変わったということか。やがて縫合部分の肉が裂けて繋がりも外れ、バラバラになって落ちていく。血の海に大半が沈んでしまい、やがて、潰れた死体の小山が頭を出すだけとなった。

 ステッキから伸びた光線は、肉塊の内部にいたガラヤンバの本体を貫いたのだ。見えない相手の位置をどうやって掴んだのか。ドクター・Mは透視能力でも持っているのだろうか。

 そして、ドクター・Mは自分の胸の殺害数カウンターを見た。さっきまでゼロだったものが、今は三十二万七千三百八十三となっていた。

「死体を集めているだけかと思ったが、まずまず稼いでいたのだな」

 ドクター・Mは呟いた。冷徹な彼の瞳にも僅かに満足の色があった。

 ハイチのヴードゥー魔術師ガラヤンバは敗北した。午前三時七分、死亡時の得点は三十二万七千三百八十二点であった。

「では、そろそろ狩りを始めるとしようか」

 ドクター・Mは右手にステッキを持ち、立ち上がって左手でトランクを持った。その時背後から別の男の声が聞こえた。

「じゃあ俺も始めていいか」

 張りのある若い声にドクター・Mは素早く振り返った。ステッキが光線を発しながら横薙ぎに閃く。

 光線は、月のない暗黒の夜空に吸い込まれた。

 刹那。声の聞こえた方向とは逆の、ドクター・Mの真正面から、黒い影がスルリと這い上がり襲いかかってきた。両手に握った黒いナイフを振り翳す。

 ドクター・Mはそのまま後方へ跳んだ。重いトランクを提げたまま意外に身軽な動きだ。燕返しに振り戻されたステッキの光線を、黒い影は床に伏せて躱した。そのまま転がって屋上から姿が消える。地上へ落下した訳ではないだろう。

「……いい反応だ。隙を探って八時間も粘ったのにな」

 声はドクター・Mの正面から聞こえた。影が転がって消えたのはドクターから右の方向だ。相手は違った場所から声を響かせることが出来るらしい。

 声の主は、神楽鏡影であった。ずっと彼は塔の壁に張りついて機会を待っていたのだろうか。

 ドクター・Mは屋上の端に立っていた。その首筋に浅く切り裂かれた傷がある。鋭利な切り口は綺麗な筋肉の層を覗かせていたが、それが次第にどす黒く変色して溶解していく。

「面白い酵素が含まれているな。細胞を破壊しながら猛スピードで自己複製を続けている。構造式は記憶したから後で試してみよう」

 自分の肉体が溶けていくのにいつもの口調で喋りながら、ドクター・Mはステッキを自分の首筋に向けた。一瞬だけ光が飛んで、溶け進んでいた傷口が単なる焦げ痕になった。まともな組織ごと毒物を焼き尽くしたらしい。

「殺人鬼のくせに飛び道具を使っていいのか」

 神楽の声が別の場所から響いた。ドクター・Mは冷たく微笑する。

「これは飛び道具ではない。レーザースピアというもので、伸縮自在でリーチ無制限の槍と考えてくれたまえ。ところで君は大会参加者ではないようだが、何処からかの依頼を受けて私を狙っているのかな。CIAか、それともMI6か……ふふ、私はあちこちの政府から恨みを買っているからね」

 ドクター・Mの口調は幾分誇らしげでもあった。

「依頼人について喋るプロはいないさ。お前は何も知らずに大人しく地獄へ落ちればいい」

「ふむ、それもいいだろう。だが、私に触れられるかね」

 ステッキが下を向き、弧を描くように振られた。光の線がコンクリートを撫で、細い裂け目を残していく。

 ゴズッ、と、ドクター・Mの立つ場所を除いてエベレストタワーの天辺が斜めに削り取られた。二十メートル弱の、内壁や最上階の床を含んだコンクリート塊がずれ、遥か下へと落ちていく。レーザースピアの恐るべき威力だ。

 ドクター・Mは何度もステッキを振り、次々に壁を削り落としていった。もし神楽が壁に張りついていたなら一緒に奈落へ落ちている筈だ。

 神楽は、空を飛んでいた。

 落ちていくコンクリート壁の隙間を抜け、黒ずくめの神楽鏡影が上昇してくるところだった。点々と燃えている市街を背景に、彼の背中から生えた二枚の翼が見えた。半透明のそれは鳥のように、いや蝙蝠のように羽ばたいて神楽の体重を支えている。翼は衣服を破らずに生えているので、魔術的なものかも知れない。

「ほう」

 ドクター・Mが嘆息した。しかし彼は容赦なくステッキの先端を向ける。

 神楽が右手の短剣を投げつけた。心臓目掛けて飛来するそれをドクターがステッキで叩き落とし、再度先端を神楽の方へ……。

 乾いた音がして、ドクター・Mの鼻から上が吹っ飛んでいた。髪も眼球も肉も骨もグチャグチャになって飛散する。

「飛び道具禁止は殺人鬼だけだよな」

 神楽が右手に握っているのは、コンパクトなオートマティック拳銃であった。彼は短剣を投げた後すぐに抜き撃ったのだ。銃弾はダムダム弾か炸裂弾を使っていたのだろう。覆面の下で口元が笑ったように見えた。

 頭部の上半分を失ったドクター・Mが、クタリとその場に崩れ落ちた。流れ出た血がコンクリートを染めていく。

「これで仕事完了だ。後の殺人鬼達は適当に片づけておくか。そうだ、黒贄の犬も戻しておかないとな。……だが、おかしい……何か……」

 神楽は独り言を呟きながら、削れて狭くなった屋上へ飛んでいった。死んでいるのは明らかと思われるのに、更に止めを刺そうとしたのか、蹲るドクター・Mに拳銃を向ける。

 神楽が空中で身を翻したのと、光線が閃いたのとはほぼ同時だった。

「馬鹿な……脳味噌が吹っ飛んだのに何故生きてる」

 呻いたのは神楽鏡影だった。彼の右腕が肘の辺りで断ち切られ、焦げた断面を晒している。左手に片刃の長剣を握っているが、ステッキ相手には些か心許ない。

 拳銃を握った右腕が、暗い市街へ落ちていく。神楽はそれを目で追わなかった。一瞬の油断が死を招くことを知っているのだ。

「大事なものは安全な場所に保管しておくべきではないかね」

 両目を含め上半分のない顔で、ドクター・Mはいつもの微笑をしてみせた。

 ドクター・Mの頭蓋内には、元々脳が存在しなかったのだ。

「そういうことかよ。嫌な予感がしてたんだ」

 しかし、覆面の間から覗く神楽の瞳は、尚も満々たる闘志を湛えていた。断たれた右腕から焦げた肉が落ち、新しい肉が生えてきている。再生丸は効力を発揮しているようだ。

 目もないのにそれを認めたのかどうか、ドクター・Mはステッキを振った。白い光線が神楽を真っ二つにするために宙を裂いていく。神楽は半透明の翼を羽ばたかせ避けようとするが、レーザースピアの方が十倍早かった。左の翼が切り裂かれ、神楽がバランスを崩す。錐揉みしながらエベレストタワーの切り立った壁へぶつかっていく。張りついて落下を防ぐつもりなのだろう。

 ドクター・Mがステッキを下に向け、自分の足場も含めて塔をズタズタに切り裂いた。エベレストタワーの上部がバラバラになって崩れ落ちていく。ドクター自身も落下するが、左手に提げたトランクが火を噴き始めた。それに引っ張られ、ドクター・Mは優雅に空を飛ぶ。

 神楽鏡影が、二つになって落ちていく。レーザースピアが命中していたのだ。右肩から左脇腹へ斜めに斬られ、分かれた体を掴もうとするかのように左手が宙を彷徨っていた。

 左手は、長剣を持っていなかった。

「む」

 毒塗りの長剣が、ドクター・Mの腹部から切先を現していた。飛行する彼の背後には誰もいないのに。

 握る者のない長剣が勝手に動き出し、ドクターの腹を大きく抉った。更には刃が上へと進んでいく。

 ドクター・Mはステッキを自分の胴に向けてスイッチを入れた。光線が長剣を二つに折り、溶ける傷口を焼いていく。神楽の剣は力を失ったようで、ドクターの腹から抜け落ちた。

 ドクター・Mの胴には、内臓が存在しないらしい。

 レーザースピアが土台も斬ってしまったのか、エベレストタワーが傾いていく。八百メートル以上の細長い塔が、八津崎市へ倒れかかっていく。

 下敷きになって死んだ市民四百十二人の分も、ドクター・Mのカウンターに加算された。

 

 

 八津崎市を真っ直ぐ南北に貫く大通り。その両側の歩道に数千、いや数万にも及ぶ死体が向かい合わせに整列していた。

 彼らは木製の杭によって臀部から顔や首までを串刺しにされ、無理矢理に立たされているのだった。大部分が一般市民で、警官やヤクザらしい服装の死体も混じる。たまにまだ生きているものがいて、破れた腹から血を流しながら弱々しく呻いているが、彼らの苦しみもそう長く続くことはないだろう。

 杭の一本に生きのいい男がいた。ガスマスクをつけたその男は背から腹へ貫いた杭を両手で掴み、体から引き抜こうとしている。胸には殺害数カウンターが光っていた。

 血肉の絡んだ杭が背から外れた瞬間、ヒュルリと細い音がして男の首が落ちた。続いて胴と手足も輪切りにされ、四、五段重ねの肉塊となって歩道に堆積する。

「オブジェは大人しく飾られていればいいのよ」

 振り向いて冷然と告げたのはエリザベート・ドラクールであった。赤いドレスは市街に溢れる血水によって裾が濡れているが、彼女はそれを喜んでいるようだった。胸のカウンターは今殺した参加者の分も加算され二十五万五千九百七十二となっている。

 エリザベートの両手は真っ赤に染まっていた。無数の人体を輪切りにしてきた極細のワイヤーが、その手の中に握り込まれている筈だ。

 バラバラにされたガスマスクの男の腕が、ピクリと僅かに動いた。エリザベートは再度片手を振り、積み重なった肉塊を更に細切れにした。両者の距離は五十メートル以上あったが、彼女のワイヤーは一瞬で対象に届く。うねるような凶器の優雅な動きは夜の闇に紛れ、常人には到底視認出来ないだろう。

「そろそろ終点だな」

 串刺しにした死体を歩道に立て、ブラド・ドラクールが妻に言った。生きている市民が見つからないため、彼は仕方なく血溜まりに浮いた誰かの死体を使っている。

 二人は、串刺し死体の展示を八津崎市の南端から始め、現在北端に到達しようとしていたのだ。道路を挟んで向かい合わせに立つ死体達は虚ろな目で何を思うのだろうか。

「次はどうしようか。東西に並べていくという手もあるが、もう生の人間は滅多に見かけなくなった」

「他の参加者を探すのはどうかしら。かなり人数も絞られていると思いますわ。時間もおしていますから、私達も優勝を目指して動いた方がよろしくてよ」

「そうだな。趣味もこの辺にしておくか」

 ブラドは自分の進んできた道を振り返ってみた。二メートルの長さの杭を十本ほど、彼は左手に抱えている。何処から杭を補充しているのかはやはり謎であった。返り血をたっぷり浴びたブラドの貴族服は、場違い感も合わせて異様な雰囲気を醸し出していた。血みどろのフリルの横にさり気なくつけられたカウンターは、二十一万二千五百四十六を示していた。

「何人くらい串に刺したかな。十万人くらいは刺したろうか」

「そのくらいは行ってらっしゃると思いますわ」

「もしかすると十五万人くらい刺したかも知れんな」

「そうですわね」

 ブラドの前ではエリザベートは飽くまで控え目な貴婦人であった。

 大通りの遥か先に、光点が浮いた。暗赤色の光。それは炎だった。小さな炎の数が次第に増え、こちらに近づいてくる。

「おお」

 ブラドが感動の声を上げた。

 並べていた串刺し死体が燃えているのだった。おそらくバーニングマイケルの火炎放射器の仕業だろう。それが南風に乗って次々と隣の死体へ移っていく。大通りが、死体のキャンドルによって淡く浮かび上がってきた。

「素晴らしい。私はこの光景を一生忘れないぞ」

「新婚旅行の時を思い出しますわね」

 キャンドルロードに囲まれて、殺人鬼夫婦はうっとりと語り合った。

 バーニングマイケルは通りには現れなかった。彼が火をつけたのは八津崎市の南端であったのか。

 深夜の幻想的な景色に誘われたのか、代わりに脇道からやってきた男がいた。

 長さ二メートル弱、幅四十センチほどの棍棒を抱えた男だった。新調したスーツはボロボロになっているが、剥き出しになった隆々たる肉体は傷一つない。

 バナサイトであった。更に小さくなったベンツの棍棒は、今は犠牲者の血と肉片でまだらにコーティングされていた。

「列の端を飾るのに丁度いい素材が来たな」

 ブラド・ドラクールの赤い唇が笑みを浮かべた。彼の目はバナサイトの胸のカウンターを見据えていた。四十八万七千四百九十七。ゆったりしたバナサイトの歩みでそれだけの市民を仕留めたとは考えられない。他の参加者の得点をかなり奪っているのではないか。

「あの男の皮膚は硬いですわよ。お気をつけあそばせ」

「なあに、口か肛門から押し込んでしまえばいいのさ」

 自分の料理法について話し合う夫婦を前に、バナサイトは何を思うのだろうか。いや、彼の行動原理は単純だ。棍棒を振りかぶり、正面から歩み寄ってくる。

 ブラドがそれに応じて進み出た。バナサイトに対し回り込むように動いている。左腕に抱えていた杭のうち一本を右手に掴む。膝下まで満ちた赤い水がバチャバチャと音を立てた。

 互いに得物のリーチは二メートル、後一歩で間合いに入るという時、ブラドが左腕の杭の束をバナサイトに投げつけた。モーションの殆どない変則的な投げ方だったが、尖った先端を前に正確に飛んでいく。

 バナサイトは避けようともしなかった。杭は全てバナサイトの皮膚に当たって弾かれただけだ。ブラドに向かって大きく踏み出しベンツの棍棒を振り下ろす。ヒュカンと奇妙な音がして、高密度に圧縮されたベンツが中途から切れてすっ飛んでいった。鋭利な断面はエリザベートの極細ワイヤーによるものだ。ベンツ内にいた男達の潰れた肉が断面から少しだけ血を滲ませる。

 長さ五十センチに縮んで空振りしたベンツを踏みつけるように、ブラドがバナサイトへと踊りかかった。

「おいっ口を開けろ」

 居丈高なブラドの命令に、どういうつもりかバナサイトが従った。馬鹿みたいに大きく口を開けてみせる。そこへブラドが渾身の力で杭の先端を押し込んでいく。

 杭は十センチも進まぬうちに止まっていた。バナサイトが噛んで止めたのだ。バナサイトの肩の上に立ち、ブラドが懸命に押しているが、杭はびくともしなかった。

 ベンツの切れ端を投げ捨て、バナサイトはブラドの手から杭を取り上げた。急いで飛びすさり別の杭を拾おうとしたブラドに、これまでと打って変わった素早さでバナサイトが飛びかかる。

 バナサイトは、右手に杭を握っていた。左手がブラドの顔を掴む。

「口を開けてくれ」

 穏やかな口調が不気味だった。メチッ、と骨と肉の潰れる音がして、ブラドの顎が無理矢理開かれた。左右から挟まれて前歯が一本抜け飛んだ。ブラドは目を白黒させて自分の持った杭をバナサイトにぶつけているが、やはり皮膚を通さない。

 離れた場所にいるエリザベートが両腕を振った。血に濡れたワイヤーがバナサイトの顔と首筋に幾重にも巻きついていく。

「やめておきたまえ」

 きつく締めつけられても平気で顎を動かして、バナサイトはエリザベートに言った。エリザベートが構わず両手を引く。バナサイトはびくともしなかった。圧倒的な筋力差だ。

 終いにはワイヤーが切れ、エリザベートが仰け反った。憮然としていた美貌が舌打ちを洩らす。彼女の両手から新しい血が滴っていた。右手の人差し指が付け根部分でブラブラになっている。自分のワイヤーで切ったのだ。

 バナサイトの顔と首筋に、浅い傷痕が残っていたが、ほんの少し血が滲んだだけだった。

「あおああああ」

 ブラドが何やら喚いていたが顎を砕かれ言葉にならない。バナサイトは、杭の先端をブラドの口に差し込んで、丁寧に、奥へと進めていった。ビチビチ、と、肉が裂けてブラドの首が膨らんでいき、肋骨の折れる音が響き、貴族の衣装を破って右下腹部から先端が突き出した。小腸の一部が杭に絡みつき、傷口から筋肉の塊のようなものが顔を出していた。もしかすると心臓だったかも知れないが、それは大量の出血に隠れてすぐに見えなくなった。

「自分が串刺しにされた感想はどうだね」

 バナサイトがブラドに尋ねた。裂けた口と下腹部から杭を生やし、ブラドは白目を剥いたまま答えなかった。バナサイトは興味を失ったように、ブラドの串を放り捨てる。血の水が飛沫を上げた。

「さて、次は奥さんの番だ。夫の後を追う覚悟は出来ているかな」

 バナサイトは別の杭を拾い上げ、エリザベートへと向かってくる。

 エリザベート・ドラクールの顔に浮かんでいたものは、恐怖ではなく、怒りであった。

 見せかけの上品さをかなぐり捨て、彼女は甲高い声で怒鳴ったのだ。

「ブラドッ、ブラーッドーッ。怠けてんじゃないよっ、さっさとこの薄ら馬鹿をやっちまいなっ」

「ふむ」

 バナサイトが立ち止まってブラドを振り向いた。

 血水の中から、串刺しにされたままでブラド・ドラクールが立ち上がるところだった。下腹部から顔を出した杭の先端を両手で持ち、杭を引き摺り出す。はみ出した腸などを腹腔内に収め、裂けた口を押さえ繋ぎ合わせ、ブラドは異様な笑みを見せた。

「恐妻家は大変だぞ。その苦労をお前にも味わわせてやろう」

 ブラドの出血は既に止まり、傷口が見ている間に塞がり始めていた。彼の再生能力は人肉食者ハリー・ザ・フォーガトンに匹敵するだろう。同時に両手の指先から爪が伸びて刃と化す。犬歯どころか全ての歯が鋭く伸びて、鮫の歯のような凶暴なシルエットを形作った。

「なるほど、吸血鬼を名乗るのも伊達ではなかったか」

 バナサイトは別段驚いた顔もせず、杭を片手にブラドへ歩く。先程の数倍のスピードでブラドが走った。長い爪の先で血水を引っ掛け、バナサイトの顔に向けて飛ばす。

「む」

 バナサイトが目をつぶった瞬間の隙をブラドは逃さなかった。一気に眼前まで駆け寄り十本の爪をバナサイトの首に突き刺す。今度は皮膚を破って肉にめり込んだ。

 だが、ほぼ再生したブラドの顔は、焦りに歪んでいた。爪が二、三センチ刺さっただけで、それ以上は一ミリたりとも進まないのだ。

 バナサイトの首に、太い筋肉の束が浮き上がっていた。恐るべき筋力で、鋭利な爪を締めつけて固定しているのだ。

「どんな場合も最後にものを言うのは腕力だと思わんかね」

 バナサイトが諭すように告げ、ブラドへ手を伸ばした。ブラドが牙を剥いて抵抗を試みるが爪は抜けず、首根っこと肩を掴まれる。

「ブラドッ」

 再び怒りに満ちたエリザベートの声。しかしそれは急に途切れた。激しい水音にバナサイトは目をやるが、エリザベートの姿は消えていた。

 バナサイトは正面に向き直って、ブラドの首を引っこ抜いた。ちぎれた筋肉や脊髄の一部が生首についてきた。血が沢山出た。

 その頃、裏通りではエリザベートがベネトルディと対峙していた。ベネトルディは燃え残った壁の陰から顔を出している。エリザベートは左手で後頭部を押さえながら道の中央に立っていた。

「やってくれたわね、この糞っ垂れ野郎」

 憎々しげにエリザベートは言った。金髪を割って、後頭部に縦の切り傷が出来ている。夫とバナサイトの戦いを見守っている間に忍び寄ったベネトルディが、皮剥ぎ用ナイフでやったのだ。反応がコンマ一秒でも遅かったら、彼女は全身の皮膚を奪われていただろう。

「今気がついたんだが、指に傷があるな」

 人皮を使った仮面の奥から、昏い瞳がエリザベートを観察している。

「それがどうしたのさ」

 エリザベートがちぎれかけた人差し指を後ろに隠す。

「その程度の傷なら大丈夫だ。うまく縫って処理すれば分からなくなる。他の場所に傷はないだろうな」

 エリザベートは無言だった。彼女は薄気味悪そうにベネトルディを睨んでいる。両手は敵を輪切りにするための準備を進めていた。

「傷はないんだろうな。……俺が……お前の皮膚は、俺が着るんだからな」

 そう告げると、ベネトルディの姿が消えた。三途川の血水が張っているのに水音もしない。

 エリザベートが両腕を振った。ベネトルディが盾にしていた壁が斜めに断ち切られて倒れる。相手の気配が掴めないのだろう、極細ワイヤーは周囲を手当たり次第に切り裂いていく。

 と、エリザベートが体勢を崩した。驚愕の表情で足元を振り返る。

 低い水位にほぼ全身を埋めて、ヒレの生えた禿げ頭の怪物が彼女の左ふくらはぎに噛みついているのだった。

 タフゥモブの大きな丸い目と、エリザベートの目が合った。

「こいつっ」

 素早く身を翻して攻撃を躱し、タフゥモブは一きれの肉で我慢して赤い水中へ消えた。ワイヤーで切れた背ビレの一部がエリザベートの足元に浮かんでいた。

「なんで私ばかり狙われるんだよ、畜生っ」

 エリザベートはドレスをまくり上げてふくらはぎを押さえた。大きく肉が抉れて出血が続いている。彼女はワイヤーで傷の上を縛って血止めする。

 醜く裂けた傷痕を物陰から見守っていたベネトルディが、悲しげに首を振った。一人で喚いているエリザベートを残し、彼は何もせずに去った。

 

 

「いやあ、見つかりませんなあ、クッキーちゃんは」

「そうですなあ。それにしても、人の姿を見かけなくなり申した。ゴフッ」

 黒贄礼太郎と不渡静磨は相変わらず間の抜けたやり取りを続けながら死の街を歩いていた。黒贄の体は内臓が全て抜け出してあちこちから骨が見えている。元々白い皮膚は更に血の気を失って死体と見紛うばかりだ。不渡も銃創を含め傷が増えているが、逝きそうで逝けない彼の往生を後押し出来ずにいる。この一日で吐いた血液は何トンになるだろうか。

「私達がクッキーちゃんを探している間に、大会参加者の皆さんはかなり頑張られたんでしょうなあ」

 黒贄の声の響きに含まれる微妙な揺らぎは何であったのか。自分の同類達への共感か、それとも対抗心か。或いは、自分の獲物が激減してしまったという愛惜の情であったのかも知れない。

「何百万もの命が、無惨にも失われてしまった……」

 悲しげにかぶりを振る不渡の殺害数カウンターは、二十一万六千六百二十三であった。

「早くクッキーちゃんを探さなければ、大会が終わってしまいますな。クッキーちゃん、クッキーちゃーん」

 黒贄は穴の開いた掌を口に添えて闇に呼びかける。

「クッキー……クッキー殿……」

 黒贄の残った肉を妖刀むぐらぬぐらで刺しながら不渡もついていく。

「クッキーちゃーん」

 水浸しになった道を二人は歩いていく。途中、市民なのか殺人鬼なのか分からない血塗れの男が狂声を上げて飛びかかってきた。黒贄の胸の穴を素通りした不渡の妖刀が男を刺殺する。

「クッキーちゃーん」

 遠距離からバーニングマイケルの黒い火線が伸びてきて、黒贄と不渡を焼いていった。あっという間に黒焦げになった二人はそれでも変わらぬ歩みを続けていく。

「グッギーだーん」

「ゴフホッ、ケホッ」

 口の中まで焼けたせいか声音がおかしくなっているが、二人は死体しかない街を彷徨う。

「フッギーだーん……おや」

 黒贄が立ち止まって暗い夜空を見上げた。小さな白いパラシュートに吊られて、バスケットケースがゆらゆらと落ちてくる。高いビルもない区域で、何処から落ちてきたのかは謎だった。

 ケースの側面には、『クッキー』と書かれていた。

「ブッギーだんでずかな。わーい」

 黒贄が駆け寄って真下で待ち構え、両手を伸ばした。

「おお、これで、黒贄殿の仕事も一件落着と……」

 不渡も焦げた顔で笑みを作り、よろよろと近寄ってきた。黒贄がバスケットケースを受け止めた瞬間、反射的に不渡の妖刀が閃いた。

「あ」

 二人が同時に同じ声を発した。

 バスケットケースが真ん中から縦に割れ、中身が転がり出た。

 それは、胴の部分で真っ二つになったチワワだった。頭にリボンが飾られたその姿はクッキーちゃんに間違いないが、胴の切断面から腸と血が溢れている。チワワは弱々しくクーンと鳴いた。

 慌てて黒贄が犬の断面を繋ぎ合わせてみるが、不死身の殺人鬼達とは違って傷が癒合したりはしない。

「いやあ……かたじけない。ゴホッゴホッ」

 不渡が左手の鞘で自分の頭を叩いたが、右手の妖刀は黒贄の首を刺していた。

「ま、まあ、急ぎましょうか」

 黒贄は言った。

 

 

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