五

 

 黒贄達が駆けつけた中善寺邸は、大部分が焼け落ちて黒焦げになった柱が疎らに残っていた。まだくすぶっている木々には誰かの死体が引っ掛かっていたりする。

 玄関周辺だけの壁だけがなんとか残っている。そこには死体が山盛りになっていた。グチャグチャに裂けて原形を留めていない肉塊達。銃身のねじ曲がった重機関銃が白煙を昇らせていた。

「中善寺さん」

 重機関銃の傍らで俯せに倒れて動かぬ女に黒贄は声をかけた。黒贄の傷がいつの間にか完治しているのは永遠の謎だ。ついでに不渡の火傷も治っている。

 血塗れで背中にナイフも刺さっていたが、依頼人・中善寺典子はどうにか顔を上げた。左目は抉られ、右目も血で濁っている。

「ク……クッキー、ちゃん……」

「ええ、クッキーちゃんですよー」

 黒贄は両手に抱えていたチワワを中善寺の目の前に差し出した。胴体にガムテープが巻かれているのは輪切り部分を繋ぎ合わせるためと傷口を隠すためだ。

 ぐったりとして死んでいるように見えたチワワが、主人の顔に近づけられて微かに鼻をヒクつかせ、クーンと弱く鳴いた。

「ああ……クッキーちゃん……」

 中善寺典子の死相が、なんともいえない喜びの微笑を形作った。八津崎市を襲った悲劇も、彼女が殺し合い傷ついて夫と屋敷を失ったことも、全てがどうでも良くなってしまいそうな、そんな微笑だった。

「いやあ、重畳でござゴベボバァッ」

 中善寺とペットの温かい交流に目を潤ませた不渡が、一際派手な喀血をした拍子に前のめりに転び、神速の妖刀が中善寺の首筋へ伸びた。

「おっと危ない」

 黒贄が咄嗟にチワワを放り出して中善寺の頭を掴み、刃の届かない位置まで引っ張った。不渡の妖刀が床を裂いただけで戻っていく。

「かたじけない。あ」

 不渡が目を見開いて黒贄の手元を見た。

「あ」

 黒贄も自分の手を見下ろして間の抜けた声を洩らした。

 不渡の刃を避けた中善寺の頭が、胴体からちぎれていた。黒贄の異常な腕力のためだ。血は少ししか出なかった。

 中善寺典子は、口を微かに動かしたが声にはならなかった。「クッキーちゃん」と言おうとしていたのかも知れない。瞼が力なく下がり、彼女は息絶えた。

 床に投げ捨てられたチワワは、衝撃でガムテープの一部が剥がれ、胴が外れていた。鼻を何度か弱く動かして、チワワも息絶えた。

 依頼人とペットの死体を、二人の殺人鬼は黙って見下ろしていた。気まずい風が二人の間を通り過ぎた。

「ま、いいか」

 黒贄があっさり言って微笑した。不渡が重々しく頷いた。

 これで、第一の依頼は完了した。

「さて、それでは二番目の依頼に移りますかな。もう時間もおしてますし、かぶる仮面を探しましょう」

「こんなものがあり申した」

 焼け残った箪笥を漁って、不渡が何やら取り出した。

 それは、新品未開封のパンティストッキングであった。色は薄茶色だ。

「ううむ。銀行強盗みたいですが、この際、背に腹は代えられませんな」

 黒贄はちょっと渋い顔をしたが、封を破ってパンストを取り出した。

「それから奇声を考えないといけませんな。今回はクッキーちゃんの『ク』から始めてみましょうか。ク……クックルクーいやこれじゃいけませんな」

「黒贄殿の『ク』でもありますな。クワラバゲニョンゲニョンというのは如何かな」

 律儀な不渡も黒贄の儀式に付き合っている。

「いやちょっと遠慮しときます。クミャラバは前に使いましたし、クッパラニョー、クミャラゲニョラ、ううむ、うまくいきませんな」

「では、クンドラベッタラドッポレならどうだろうか」

 大真面目な顔で不渡は提案する。そして黒贄は満足げに告げた。

「よし、決めました。ウガンダラバビョーにします」

 全然『ク』から始まっていなかった。

 自分の案が却下されても不渡は不満そうな顔は見せなかった。その代わりに彼は目を細め、一気に五メートルも跳びすさっていた。あれほど続いていた喀血がやんでいる。

 これまでの緊張感に欠けた空気が、一変していた。

 仮面を手に入れ、奇声を決め終えた黒贄礼太郎から、不気味な冷気のようなものが放射されていたのだ。不渡の全身に鳥肌が立っていた。

「流石……やはり、貴殿は……」

 糸のように細めた目を少しずつ開いていき、不渡もまた高圧の殺気を噴いている。

 黒贄は黙っていた。静かにパンストを開いて頭からかぶり、余った先端を後ろに垂らした。薄茶色の繊維に締めつけられて端正な顔が歪み、別世界のオブジェのように見える。

 ただ、その二つの黒い瞳が、無限に深い虚無を湛えて輝いていた。感情などというものを超越した、絶対零度の瞳。

「よろしいのか、武器は」

 仕込み杖から妖刀むぐらぬぐらを抜き放ち、不渡静磨は問うた。何万人もの血を吸ってきた刀身は、ぬめるように赤く輝いている。不渡は、鞘を捨てた。

 何も持たぬ両手を垂らしたまま、黒贄礼太郎は状況にそぐわぬ間の抜けた言葉を洩らした。

「ウガンダラバビョー」

「しぇいっ」

 鋭い気合と共に不渡が跳んだ。末期癌患者とは思えぬ、上段からの鋭い打ち込みであった。妖刀は黒贄の頭頂部から股間までを真っ二つに……。

 いや。その刀身を、黒贄の左手が無造作に受け止めていた。素で掴むのではそのまま手を切り落とされて終わりだ。しかし黒贄は親指と他の指とで刀身を挟み込んで固定していた。片手の白刃取りだ。肉が少し切れており完璧ではないが、人間の反射神経では到底不可能なことだった。

「うぬぬ」

 不渡が目を限界まで見開き、驚愕を露わにした。これまでなすがままに切り刻まれていた黒贄からは想像出来ぬ豹変ぶりだった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄が右手を伸ばし、不渡の両腕を纏めて掴んだ。病人の細腕があっけなく砕けた。それでも不渡は妖刀を離さない。不渡は歯を食い縛って耐えていたが、その表情は嬉しそうにも見える奇妙なものだった。

 黒贄が刀身を摘まんだ左手首を捻った。パキャン、と、妖刀むぐらぬぐらが半ばほどで折れた。

「おお、馬鹿な、幾ら試みても折れなかったものを……」

 不渡が呻いた。刀身のぬめるような輝きが急速に失われていく。同時に不渡の体にも異変が生じていた。四十代の外見がみるみる年老いていくのだ。皺が増え、ただでさえ少ない肉が減り、髪が抜け落ちていく。不渡の手から折れた妖刀が落ちた。

「ウガンバラバビョー」

 黒贄が、右手で不渡の両腕を掴んだまま、左手の折れた切っ先を振り翳した。

 白内障で濁った目がそれを見上げ、不渡はしわがれ声で呟いた。

「これで死ねる、でも怖い、死にたくない、本当は死にたくない、いや死ぬ、痛い、いや心地良い、これが死か、かたじけない、死がやってくるうぎょばぎぎぎぎぎぎ」

「ウガンダラバビョー」

 黒贄がゆっくりと、不渡の痩せた額に刀の切っ先をめり込ませていった。不渡の体が弱く痙攣する。

「ぎぎぎべべべべ……ぎっ」

 深々と突き刺さったのを更に引き下ろして、顔面から喉、胸へと刃が裂いていく。

 血は殆ど出なかった。カスカスに乾いた内臓が垂れ下がっただけだった。

「ウガンダラバビョー」

 漸く黒贄は不渡の両腕を解放した。脳天から下腹部までを切り開かれた不渡の死体が、力なくその場に崩れる。

 日本の剣客・不渡静磨は敗北した。午前三時四十七分、死亡時の得点は二十一万六千六百二十六点であった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄礼太郎は半分になった妖刀を片手に中善寺邸を去っていった。パンストの奥で光る絶対零度の瞳は、この程度ではまだまだ満足しそうにない。

 焼け残った玄関には、中善寺典子とペットのチワワの死体、不渡静磨その他諸々の死体が残された。

 

 

「午前四時になる」

 腕時計を見て『鋼鉄の皮膚を持つ男』バナサイトは呟いた。警察署や市役所やエベレストタワーのあった八津崎市の中心部は、今も膝の高さほどの血水に浸かっている。

 あった、というのは、既に警察署もエベレストタワーも倒壊して跡形もないからだ。市役所の口の字型の建物は大部分が吹っ飛んでしまい、一階と二階の一部しか残っていない。

 その無惨なフロアに、大量の死体が詰まっていた。津波で流されてきたのか誰かが押し込んだのか、首を斬られたり内臓を零したりした犠牲者達が奇跡のように整然と立ち並んでいるのだ。芋蔓式に繋がれたタフゥモブの犠牲者や、ブラドの手による串刺し死体、バーニングマイケルに焼かれ炭化した死体、更には風船状に膨らまされた人皮もあった。鉄棒にフックで吊られた死体は皮一枚で繋がった首をブラブラさせている。ざっと見渡しただけで二千体はあるだろう。

 市役所の残骸は中庭に向かってすり鉢状に傾斜していた。まるで野球場のように、観客となった死体達は中庭を見下ろしている。いや、ここは野球場ではなく闘技場に違いない。

 木々が切り払われた中庭の隅で、金属のぶつかり合う響きが絶え間なく続いている。今も『気狂い肉屋』バーンドルフとロシアの惨殺機械・十三号が身を削り合っているのだ。少しずつ移動しながらの四時間に及ぶ激闘の末、互いに再生能力が限界に近づいたようで、バーンドルフは裂けた傷口をあちこちに晒しているし、十三号も補修出来ない破れ目から機械部品を零していた。

 バナサイトは離れた場所でそれを眺めるだけで、介入しようとはしない。そうさせないだけの鬼気が、バーンドルフと十三号から漂っていた。

 中庭の別の場所では水面下の戦いが行われているようだ。半魚人タフゥモブの背ビレと人食い兵士ハリー・ザ・フォーガトンの銃剣が、水面からチラチラと現れては渦を巻いて消える。立ち上がればそれで済むのに、わざわざ視界の悪い水中を這うようにしてやり合うことにどんな意味があるのか。しかしそれを笑う権利は誰にもない。

 別の隅では中国の拳法使い・怨公が腕組みして立っている。骨が露出していた両手も少し肉が再生しているようだ。そのやや後ろに立つのはネパールの生き神センジュだ。引き摺るようにして腰溜めに構えた巨大ククリは、怨公の隙を狙っているようでもあった。

 バナサイトの視線と怨公の視線が絡み合った。常にいかめしくひそめられた怨公の眉がヒクリと動いたが、バナサイトは別の隅に視線を移した。

 血液風呂を愛する女殺人鬼エリザベート・ドラクールと涼しげに談笑しているのは、その夫である串刺し公ブラド・ドラクールであった。ちぎれた首が元通りに繋がっており傷痕もない。バナサイトの視線に気づくと、ブラドは赤く光る目でウインクをしてみせた。

「カウンターが壊れたのだと思っていたが。見かけ以上にしぶとい男だな」

 バナサイトは呟いた。カウンターに加算されないまま、ブラドが死んだと思って放置してしまったのだろう。

 やり損ねた仕事を完了するために動き出すかと思われたが、バナサイトはドラクール夫婦から視線を外し、中庭の中央に据えられた物体を見た。

 数ヶ所からスポットライトで照らされたそれは、五メートル四方の大きさの、鋼鉄の箱であった。表面の塗装は何度も塗り直されたもので、一部には蔦が絡まっている。ドアや蓋はなく、代わりに側面の一ヶ所に横五十センチ、縦三十センチほどの隙間が開いていた。その奥には真の闇が覗くだけで、中に何があるのかは誰にも見通せなかった。

 暗い隙間の上にある『市長室』という表札が、この箱の正体を示していた。

 八津崎市の中枢であるこの場所を最終決戦の場とすべく、彼らが自然と集まったのは、殺人鬼の本能の成せる業であったろうか。

 市長室の表札の横には、大きな張り紙がしてあった。ポスターの裏面を使っているらしいそれには、『俺が市長だ! かかってこい殺人鬼共!』と下手糞な字で書かれていた。

 市長の代わりに勝手に張り紙をしたと思われる人物は今、市長室の屋根にぐったりと横たわっていた。津波によって運ばれたのか、それともヤケクソになって自ら乗ったのかは分からない。

 眠っているのか瀕死なのか死んでいるのか判別し難い男は、八津崎市警察署長の大曲源であった。口から舌をはみ出させて半分白目を剥いた、くたびれ果てたその姿は殺人鬼達のやる気を削ぐのに充分なものを持っている。

「市長か。五百点ごとき今更どうということはないが、一応ターゲットだからな……」

 腕組みをして考え込むバナサイトの頭上から、二本の腕が素早くナイフを突き立ててきた。逆手に握り締めたナイフは貫通力を重視したものか細身で錐のように尖っている。

 二本のナイフはバナサイトの右耳と左鼻孔に入っていた。

 しかし、ナイフはすぐに折れた。バナサイトは平然と振り向きざまに裏拳を見舞うが、襲撃者はそこにはいない。

 『スキナー』ベネトルディであった。彼は市役所の建物の端から三十メートル以上を跳んできたらしい。

「やっぱり駄目か。お前とは相性が悪い」

 ベネトルディは被害者の皮で作った仮面を昏い笑みに歪ませた。彼は着地せずバナサイトの肩を踏みつけて再度跳躍した。中庭の中央にある市長室の壁に、虫のようにへばりつく。

「ベネトルディッ」

 頭皮を裂かれた恨みのあるエリザベート・ドラクールが両腕を振った。常人の目には捉えられぬ極細のワイヤーが幾重にもベネトルディを襲う。ベネトルディはそれを正確に見切って壁を這い避けた。ワイヤーは市長室の壁に当たるが鋼鉄は切れない。屋根に横たわる大曲の右足がワイヤーで切断される。義足なので血は流れない。

 その時、何を思ったのか、ベネトルディは市長室の隙間に頭から潜り込んだ。唯一の外界との接点である細い隙間を、細身のベネトルディはすんなり抜けた。

「あだだだだすっ」

 市長室の中から不気味な悲鳴が洩れたのは次の瞬間だった。バーンドルフと十三号以外の全員が、市長室を見守っていた。

 悲鳴はすぐに途切れた。隙間から薄っぺらいものが何枚も飛び出して、赤い水面にベチャリと落ちた。

 それは、ベネトルディのかぶっていた、人皮の仮面であった。首の辺りで破れ、新しい血がついている。

 重ね着していたのであろうそれぞれの仮面の額部分に、『不受理』と印鑑が押されていた。

 最後に、厚さ五センチほどになった生首が飛び出して落ちた。ベネトルディのものであろうが、潰れて元の顔など分からなくなっている。その額には何故か『受理』の印鑑が押されていた。

 ベネトルディの胴体は、戻ってこなかった。市長室は変わらぬ静寂を保っていた。投げ捨てられた仮面と生首は、やがて赤い水の中へ沈んでいった。

 イタリアの皮剥ぎ魔、ベネトルディは敗北した。午前四時二分、死亡時の得点は十二万三千六百九十二点であった。

 殺人鬼達は表情を変えずに市長室を見つめていた。客席の死体達も殺人鬼の死を静かに見据えている。センジュが「五百点じゃあ割に合わんのう」と呟いた。

「興味深い素材だ」

 火を噴くトランクに引っ張られ、ドクター・Mが中庭の別の隅に着水した。顔の上半分は吹っ飛んだままで、腹部と背中も破れているが、彼はイギリスの殺人紳士たる気品を保っていた。

 ドクター・Mは右手のステッキを市長室に向けた。レーザースピアが壁に丸い円を描くが、塗装が焼けて焦げ目が残っただけで壁に穴は開かない。

「ふむ。鉄板の向こうに別の層があるようだ」

 目がないのにドクター・Mはどうやってものを見ているのだろうか。

 水音が闘技場に近づいてくる。黄金の棺を背負ったミイラ男はファラオだ。彼の能力を知らぬ多くの殺人鬼達は横目で見ただけだが、怨公一人が顔色を変えた。

「良いかな、ちょっと貴公らに……」

 棺桶を下ろしてファラオが皆に何やら話しかけようとした。ドクター・Mが素早く反応した。レーザースピアが往路でファラオの両膝を切断し、復路で胴を斜め切りにする。元々動きの鈍いファラオが避けられる筈もない。

 ファラオはゆらりと後ろに仰け反ったが倒れはしなかった。切断面が一旦霧状になって再生していく。

「焼きたまえ、マイケル。それが最も安全だ」

 ドクター・Mが冷たく告げた。

 数瞬遅れてファラオの後方からどす黒い火線が伸びた。中庭に着いたばかりのオーストラリアの焼殺魔、バーニングマイケルの仕業だった。

 ファラオの乾いた肉があっという間に炎に包まれた。映画よろしくノソノソと手足をもがかせるが、殺人鬼達の見ている間にその肉が炭化し、更に灰になっていく。分解された肉体の再構成は得意でも、熱で粒子が変質してしまえばどうしようもなかったろう。炎の奥からしぼんだ目が何か言いたげに動いていた。

「僕に命令するな」

 火線を引き戻し、バーニングマイケルがドクター・Mを睨んだ。その隙を衝いて水中からハリー・ザ・フォーガトンが躍り上がり、かなり縮んだがまだ燃えているファラオの体に頭から食らいついた。バーニングマイケルが呆然としている間に、ゴクリ、ゴクリ、と丸呑みにしていき、ほんの数秒で完全に胃の中に収めてしまった。ここぞとばかりの荒業であった。どれほどの消化力を有しているのか、あの腐蝕性のファラオを食べてもハリーは溶けなかった。

 結局、ファラオが何を言いたかったのか、誰にも分からないままだった。

 推定エジプト出身のミイラ男・ファラオは敗北した。午前四時六分、死亡時の得点は三十一万二千五百七十三点であった。

「ぼ、僕の獲物を取るなっ」

 バーニングマイケルのケロイドの顔に朱が差した。襲う火線をハリーは素早く躱し、膝までしかない赤い水にツルリと飛び込んで消えた。飛び込む寸前に、バーニングマイケルに向かって敬礼をして。

「まあ落ち着きたまえ」

 バーンドルフと十三号の打ち合う音を背景に、ドクター・Mの声が市役所中庭に響いた。取り囲む死人の観客達は黙ってそれを聞いている。

「世界一の殺人鬼王を決める大会だ。得点に拘ってもあまり意味はない。殺し合い、最後に生き残った一人が王となる。それは皆も分かっているのではないかね」

「確かにその通りじゃ。しかし、最初に誰と誰がやり合うのかのう」

 センジュが狡猾な瞳を光らせて闘技場内を見回した。

 それに答えたのは別の声だった。いや、それは答えではなかったのかも知れない。

「ウガンダラバビョー」

 全く力の篭もっていない、間の抜けた声であった。だが、その場にいた全員が、バーンドルフと十三号までもが動きを止めていた。

 客席の死体達を踏み越え、パチャパチャと血水を掻いて歩いてくるのは、着古した礼服に頭からパンストをかぶった長身の男だった。右手に折れた赤い刀身を握っている。

 パンストで本来の顔が判別出来ないが、その薄茶色の繊維の向こうで、あらゆる感情を超越した瞳が絶対零度の輝きを放っていた。

「ウガンダラバビョー」

 殺人鬼探偵・黒贄礼太郎は、再びその異様な奇声をパンストの奥から洩らした。

 エリザベート・ドラクールが自分の肩を抱いて身を震わせた。その仕草に何を感じたのか、ブラド・ドラクールの白い顔が赤く変わった。タフゥモブとハリー・ザ・フォーガトンが並んで水面から顔を出し、黒贄を凝視した。怨公が眉をひそめ、センジュが「ほう」と呟いた。バーニングマイケルが自分の禿げ頭を撫でた。バナサイトが両の拳を握り締め、メキメキと軋み音を立てた。ドクター・Mが唇を笑みに歪めた。

 黒贄に最も近かったのはバーンドルフと十三号であった。一人と一台はラバーマスクに覆われた顔と金属板の顔を見合わせ、二人同時に黒贄に向かって打ちかかっていった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は身構えもせず、歩みも止めなかった。バーンドルフの二本の肉切り包丁が黒贄の右側面を、十三号のプロペラと右腕の太い刃が黒贄の左側面を襲う。四時間も戦ってきた分、見事に息が合っていた。

 黒贄はほぼ無抵抗だった。バーンドルフの右の包丁が黒贄の首を薙いだ。パンストの生地が裂けて喉も裂け、首の前半分ほどが切られてパックリと傷口を開けた。左右の頚動脈から血が噴き出す。十三号のプロペラが左肩を削り肉片と骨片を散らし、緩く湾曲した刃が黒贄の左脇腹を貫いた。血の絡んだ切っ先が黒贄の右脇腹から覗く。

「ぬおっ」

 左の包丁で更なる致命傷を加えようとして、バーンドルフが血走った目を見開いた。彼の左手首から先が消失していた。鋭利な断面から鮮血を断続的に噴いている。黒贄は何もしていない訳ではなかったのだ。首筋を裂かれながら右手に持った刀身でバーンドルフの左手首を切り飛ばしたのだろう。その左手首は、肉切り包丁を握ったまま黒贄の頭上でクルクルと回っていた。

 十三号のプロペラは黒贄の左肋骨辺りで引っ掛かって止まってしまっている。バーンドルフとの戦いで切れ味が鈍っていたのか、それとも黒贄の筋肉の力か。右肘から伸びた長い刃も、黒贄の胴を貫いたまま抜けないようだ。十三号の内部からモーターの悲鳴が聞こえている。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は妖刀むぐらぬぐらを逆手に持ち替え、バーンドルフのラバーマスクに突き立てた。サクッと気持ちの良い音がして、折れた切っ先はバーンドルフの額に深々とめり込んでいた。しかしバーンドルフも怯まない。黒贄の首を完全に切断すべく右手の包丁を横薙ぎにする。

 それを弾いたのはバーンドルフの左手の包丁だった。妖刀から手を離した黒贄が落ちてくる左手首を受け止めて、まだ包丁を握ったままのそれを一つの凶器のようにして振るったのだ。バーンドルフの腕は黒贄の倍以上太かったが、弾き飛ばされたのはバーンドルフの方だった。

「ウガンダラバビョー」

 気管が切られたのにどうやってか発音しながら、黒贄がバーンドルフの左手首を横に振った。バーンドルフは一歩下がって避けようとしたが、手首一つ分見切りを誤っていた。パクッとバーンドルフの喉が裂けた。黒贄の傷と同程度か、それよりも深い。バーンドルフの頭がユラユラと頼りなく揺れる。これまで他人にしてきたことを、バーンドルフは自分がされている。

「パヒュー」

 バーンドルフの喉から不気味な音が洩れた。気管が完全に切断されているのだ。

 それでも、バーンドルフは反撃しようとした。右手の包丁を黒贄の脳天に向け再度振り下ろそうとする。だが、黒贄の投げた左手首と包丁がその前腕を切り裂いていった。前腕の骨が二本共割られたようで、バーンドルフの腕がグンニャリ曲がる。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の右手がバーンドルフの左上腕を掴んだ。まだ唸っている十三号の背を押して方向を変えさせる。肋骨に引っ掛かっていたプロペラが外れて勢い良く回り始めた。太い刃の方は結局黒贄の胴から抜けず、十三号の右肘がちぎれた。

 バーンドルフと十三号は、黒贄によって向かい合わせにさせられていた。バーンドルフが手足をバタつかせ、十三号の足の裏が何かしているらしく水面が泡立っているが、黒贄から逃れることは出来なかった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄が二人を押した。向かい合わせのバーンドルフと十三号の距離がどんどん縮まっていく。鋼鉄のプロペラが、両者の間で回転していた。バーンドルフの血走った目がせわしなく動いている。

 バーンドルフがプロペラを防ごうとして、ブラブラの右手を伸ばした。握力を失ったため包丁が弾き飛ばされ、指が手が前腕が、そして上腕が、次々とプロペラに巻き込まれ肉片となって散っていく。

「ウガンダラバビョー」

 バーンドルフが何か叫ぼうとしたらしく、マスクの下で口元が動いた。しかし出るのは切れた気管からの不気味な音だけだ。静まり返った中庭に黒贄の奇声とプロペラの唸りだけが響く。

 バーンドルフの突き出た腹が、プロペラに呑まれた。筋肉が散り、はみ出た腸が踊るようにして消えていく。続いて肋骨が飛び、内臓がどんどんミキサーにかけられていく。返り血と肉が黒贄にかかる。十三号は先のない右腕を無意味に振っている。もうスペアはないようだ。

「ウガンダラバビョー」

 そしてバーンドルフの顔面が、プロペラに触れた。ラバーマスクが破れたが、素顔も見えぬまますぐに肉片になっていく。額に刺さっていた刀身が飛び、頭蓋骨が削れ、そして脳が飛び散った。バーンドルフの手足が痙攣した。頭部の半分以上が失われた頃に、漸くプロペラの回転が止まった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄はそれでも力を緩めなかった。前半分のないバーンドルフの肉塊と、十三号のボディが恐るべき力によって挟み合わされる。止まったプロペラの羽がへし曲がり、十三号の左腕が折れた。肉と鋼鉄がベッタリと密着した。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は更に力を加え続けた。バーンドルフの肉が潰れる。メキッ、メキッ、と、十三号の装甲もひしゃげていく。左肩の肉が大部分飛んでいるのに、信じ難い黒贄の筋力だった。十三号の内部からブザー音が鳴り始めた。

「ウガンダラバビョー」

 ゴキャン、と、十三号の胴が潰れた。ブザー音が急に途絶える。装甲の隙間から煙が立ち昇る。黒贄の両手の間が、十センチほどになっていた。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は左手を十三号の頭に回した。十三号の胴があっけなく折り畳まれる。バーンドルフの肉が間に挟まれたまま。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の腕が無造作に動いていく。バーンドルフと十三号は何度も押し潰され、次第に団子のようになっていく。肉と鋼鉄の混ざった団子に。

「ウガンダラバビョー」

 直径五十センチほどまで縮んだそれを、黒贄は野球ボールを投げるように放り投げた。時速百八十キロで飛んだ塊が市役所の残った壁にめり込み、衝撃で口の字の観客席がドッと揺れた。二千の死体達が上半身を踊らせる。まるで喝采しているように。

 ドイツの『気狂い肉屋』バーンドルフは敗北した。午前四時十二分、死亡時の得点は十二万六千二百点であった。

 ロシアの惨殺機械『トリナーッツァトゥィ』十三号は敗北した。同じく午前四時十二分、破壊時の得点は十六万三千五百十六点であった。

 黒贄の胸に、妖刀むぐらぬぐらの刀身が刺さっていた。バーンドルフの額からプロペラで弾かれてそこに刺さったのだ。黒贄はそれを抜いて、自分の喉へ斜めに突き刺した。前半分を切られて不安定になっていた首が、刃の楔によって固定された。腹を横に貫通した十三号の刃は放置している。

「ウガンダラバビョー」

 変わらぬ口調で奇声を発して立つ黒贄礼太郎に、エリザベート・ドラクールが堪えきれぬように呟いた。

「いいわ……凄く、いい……」

「よし、じゃあ今夜はあいつの血で風呂に入ろう」

 ブラド・ドラクールが大声で宣言して飛び出した。それは嫉妬なのか、或いは妻のために大きな獲物を取ってみせようとする男の本能か。ブラドは両手に一本ずつ木の杭を持って黒贄へと走り寄った。

「口を開けろ」

「ウガンダラバビョー」

 パンストの向こうで黒贄が奇声を発する際に口が開いた。しかしブラドの二本の杭は黒贄の口ではなく胴体に抉り込まれた。礼服とシャツを破り、杭の一本が胸の中心から背中に抜け、もう一本が腹部から斜めに上がって首筋の左側から抜けた。心臓を含めて内臓はメチャクチャだろう。首筋から抜けた杭には小腸が絡みついている。

「騙されやがって、馬鹿め」

 ブラドは赤い唇を歪めてせせら笑った。その肩を黒贄が掴んだのは次の瞬間だ。

「ウガンダラバビョー」

「貴様っ」

 ブラドの指から爪が長く鋭く伸びた。右手の爪が刃のように黒贄の胸を撫でていき、五本の深い傷をつける。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は体に刺さった杭を放置してブラドの左腕を掴んだ。腕があっさり肩からスッポ抜け、血が噴き出す。

「こ、この……」

 叫んだブラドの口に、ちぎれた自分の左腕が根元から突っ込まれた。後頭部を破って上腕骨が姿を見せる。ブラドの手足がビクンと震える。黒贄は更にブラドの右腕を掴んで引っこ抜いた。今度は先の方からブラドの腹に突っ込んだ。貴族の衣装が破れ、五本の爪が背中から顔を出した。

 慌てるブラドの頭を黒贄の手が掴んだ時、ヒュルリと風が鳴って黒贄の動きが止まった。

「その手を離しな。でないと頭も胴も輪切りになるよ」

 伝法な言葉遣いでエリザベート・ドラクールが告げた。彼女の両手から伸びた極細のワイヤーが、黒贄との間でピンと張っていた。

 黒贄は、手を離さなかった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は、もがいているブラドの頭を掴んだまま、横に大きく振ったのだ。張っていたワイヤーにブラドの胴が引っ掛かり、腰の上で綺麗に輪切りとなった。切れた腸が腹腔から零れる。

「あっ」

 エリザベートが反射的にワイヤーを緩めた。そこへ重い肉塊が飛んできた。躱す余裕もなく激突し、彼女はひっくり返った。骨の折れる音がした。

 黒贄がエリザベートに投げつけたのは、ブラドの上半身であった。既にブラドの頭は割れ脳がはみ出している。

「畜生っ」

 のしかかっているブラドを蹴りのけ、血水から身を起こしたエリザベートの顔面に、今度は別のものが激突した。

 それは、黒贄の腹に刺さっていた木の杭だった。先端がエリザベートの美貌を砕き顔を消滅させ、杭が完全にめり込んで、後頭部を破って抜けた。割れた骨片と潰れた脳が一緒に飛び出し、頭に杭を完全に嵌まり込ませて、エリザベートは血水に沈み込んだ。そして二度と浮かんでこなかった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の無感動な奇声が響いた。

 ハンガリーの鋼線使い、エリザベート・ドラクールは敗北した。午前四時十四分、死亡時の得点は二十七万八千三百二十八点であった。

「おのれ……俺の妻を……」

 脳をはみ出させても、ブラドはまだ生きていた。血水の中をもがく彼の両肩から新しい肉芽が育ち始めている。

 しかし容赦なく、虚無が迫っていた。

「ウガンダラバビョー」

 ブラドの目の前まで接近した黒贄は、パンストの左側面が少しと礼服の右脇が裂けている。エリザベートのワイヤーで切れたものだろう。

「今度は僕の番だ」

 黒贄の後方からバーニングマイケルが炎を放った。背負ったドラム缶に入っているのはガソリンか、人の血か。ホースの先からどす黒い火線が黒贄へと伸びる。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄が素早くブラドの上半身を拾い、自分の前に掲げて盾にした。黒い炎がブラドを包み、不死の肉体を焦がしていく。

「アヂヂヂヂ」

 ブラドの端正な顔が炭化して崩れていく。黒贄の指も焦げていくが、勿論気にする様子もない。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は左手でブラドを掲げたまま、右手で自分の胸に刺さった杭を引き抜いた。傷口から血が噴き出すのも構わず、腕の動きだけで杭を投げる。一直線に飛んだ杭はバーニングマイケルの胸を貫いて背中のドラム缶もぶち破った。ドラム缶の穴からドロドロした血液が溢れ出す。

「あ」

 黒い爆発が起こった。血と肉と骨と鉄片が飛散して、雨となって辺りに降り注いでいく。本物の火炎放射器が爆発した時よりも派手だった。地響きで観客達が虚ろに踊る。

 バーニングマイケルは、胴と両腕を殆ど失って、背骨の名残りと僅かな肉だけで、頭部を支えていた。ケロイドの頭皮も吹っ飛んでなめらかな頭蓋骨を晒している。いや、頭蓋骨も一部が爆ぜ、ピンク色の脳を覗かせてさえいた。

 肺を失った状態で、バーニングマイケルは口をパクつかせ、なんとか小さな声を絞り出した。

「ハゲ……じゃ……ない……剃って……」

「ウガンダラバビョー」

 歩み寄った黒贄がブラドの燃えカスを上から叩きつけた。バーニングマイケルの頭が潰れて背骨も分解し、ケロイドの下半身も崩れ落ちた。炭化していたブラドも衝撃で粉々になり、彼の存在した痕跡は残らなかった。

 オーストラリアの焼殺魔、バーニングマイケルは敗北した。午前四時十五分、死亡時の得点は三十八万四千八百七十八点であった。

 ルーマニアの串刺し公、ブラド・ドラクールは敗北した。午前四時十五分、死亡時の得点は二十一万二千五百五十二点であった。

 黒贄の周囲の水面が波打ち始めていた。それはやがて黒贄を中心とした渦となり、周りの水位が次第に上がっていく。客席の死体達も波に煽られて不思議なウェーブを演じてみせた。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の足元から水が引き、死体の転がる地面が見えてきた。黒贄が脇腹へ手をやり、十三号の湾曲した剣を引き抜いた。

 突然、盛り上がっていた水が四方から黒贄へと殺到した。赤く濁った津波に黒贄が呑み込まれる。水は生き物のように黒贄を包んで離れず、他の殺人鬼達は黙ってそれを見守っていた。

 十秒ほどで水が落ち、周囲へ引いていった。黒贄は同じ姿勢で立っていた。いや、十三号の刃を水平に持ち上げている。

「ウガンダラバビョー」

 緩く湾曲した刃に、タフゥモブが胴を貫かれていた。毛髪も耳もない頭と爬虫類に似た暗緑色の鱗を晒し、びっしりと牙の生えた口を開いてタフゥモブは奇妙な声で鳴いた。

 黒贄の右首の肉が大きく爆ぜている。タフゥモブが食いちぎったのだろう。既に頚動脈から血が流れ出てしまったため、新しい出血は多くない。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は右腕を大きく振り上げた。刃からタフゥモブがすっぽ抜けて自由になる。

 タフゥモブが飛ばされたのは、真上だった。再び落ちていく先に黒贄が刃を握って待っている。タフゥモブは顎を目一杯開き、鉤爪の生えた手を伸ばして反撃の準備を整えた。

「ウガンダラバビョー」

 刃と鉤爪が交錯した。黒贄の後頭部が鉤爪で抉られて骨片と脳を散らす。パンストも破れたが顔はなんとか隠せている。

 タフゥモブの首が、胴から離れて宙を飛んでいた。断面から緑色の体液が零れている。

 地面へ逆さに着地したタフゥモブの胴に、黒贄が悠然と追いすがって刃を振り下ろした。

「ウガンダラバビョー」

 タフゥモブの胴が二つに割れた。刃はそのままアスファルトにめり込み、黒贄は手を離した。

 ケニアの半魚人・タフゥモブは敗北した。午前四時十八分、死亡時の得点は十四万六千二百九十六点であった。

 地面から血水が引いていた。とすると三途川が氾濫して都市が水浸しとなったのは、タフゥモブの能力であったのだろうか。市役所の観客達もしんなりとうなだれる。

「ウガンダラバビョー」

 パンストの奥で黒贄の瞳が虚無を湛えている。残る殺人鬼のうち、老人二人の方へ黒贄は足を向けた。怨公の頬が、ヒク、ヒク、と動いている。自分の中の衝動を抑えているように。

 黒贄が三歩進んだ時、近くにあったマンホールの蓋が開いて銃剣が飛び出した。黒贄の左膝を裏側から切り裂き、靱帯を切断したらしく膝がカクンと折れて黒贄がよろめく。

 マンホールから飛び出したハリー・ザ・フォーガトンが、黒贄の背中を刺しまくった。数秒間で五、六十回は刺しただろう。銃剣が血で染まる。そのうちの数撃は黒贄の脳を刺していた。

「ウガンダラバビョー」

 素手の黒贄が振り返り、ハリーを掴もうと手を伸ばした。指先は焦げている。

「ハヒャッ」

 この時とばかりに、ハリーが口を開けて黒贄の右手に食らいついた。噛みはせずにそのまま呑み込もうとする。無謀な行為だが、ハリーも自分の消化力に自信があるのだろう。

 しかし、それはやはり無謀な行為だった。

「ウガンダラバビョー」

 肘まで呑まれながら、黒贄は右腕を引っ張った。肉の軋みは短く、ブジャリ、と、ハリーの顎が裂けた。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は更に引いた。外れた下顎と一緒に喉が裂けていく。大量の血が流れ、ハリーの迷彩服を染めていく。ハリーは丸呑みを諦めたらしく、銃剣で黒贄の右肘を断とうとした。

 細い刃が肘関節を貫通した時、黒贄の左手が自動小銃M16を掴んでいた。

「ウガンダラバビョー」

 パキョリ、と、M16の古い銃身が折れた。ハリーが目を見開いた。泣きそうな顔になった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄が右手を完全に引き抜いた。肉の塊がハリーの中からついてきた。

 それは、裏返った胃袋であった。常人の三倍はある大きなものだ。

 胃袋の中から小さな金属の板が転げ落ちて、澄んだ音を立てた。

 アメリカ陸軍のIDタグであった。ずっと胃の中で溶けずに保管されていたのだろうか。

 不死の源である胃を失い、ハリーは前屈みになって大量の血を吐いた。IDタグを不思議そうに見つめながら。

「ウガンダラバビョー」

 折れたM16の銃身を、黒贄はハリーに振り下ろした。頭頂部から凹ませて心臓まで、銃身がめり込んだ。潰れた頭から脳と眼球が飛び出した。

 倒れて動かなくなったハリーは、二度と再生することはなかった。

「ウガンダラバビョー」

 ハリーの胃袋をビリビリに破って、黒贄は投げ捨てた。

 元アメリカ軍人『忘れられたハリー』ハリー・ザ・フォーガトンは敗北した。午前四時二十分、死亡時の得点は四十三万六千五百十三であった。

「わしらは井の中の蛙じゃったのう」

 センジュがしみじみと言った。

「こんな化け物がいるとは知らなんだわ。分かるじゃろ、エンさん。こやつはわしらのことなど、何とも思っとらんぞ」

 センジュの言葉をどう思うのか、怨公は答えなかった。ただ、彼は腕組みを解いて全身を小刻みに震わせていた。堪えていたものを解放するように、怨公は叫んだ。

「うるあらあああららあああああああ」

 大音声に客席の死体達も震えていた。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄が奇声で応じた。片足を引き摺りながらやってくる黒贄を怨公が全速力で迎え撃った。水の上を走れる脚力が飛び蹴りとなって黒贄の顔面を襲う。

 ブロックの腕は間に合わず、蹴られた黒贄の首が大きく仰け反っていた。固定していた妖刀が外れ、前半分が再び断面を覗かせる。しかし元々脆くなっていて後ろに揺れた分、蹴りの衝撃も半減したようだ。そうでなければ黒贄の頭は破裂していただろう。

「ひょあああああああ」

 引き攣った高い声を発しながら、怨公の両掌が黒贄の胸に触れた。怨公の足元の地面に亀裂が走る。

 ブバッ、と、黒贄の体から色々なものが飛び散った。皮膚を破って筋肉や骨の欠片や、ちぎれた内臓の一部が飛び出した。後頭部からは脳が零れ出し、右の眼球がパンストを破って飛び出した。一撃で、黒贄の質量の五分の一が失われた。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は動きを止めなかった。手刀を突き込むように右手を怨公へ伸ばす。それを怨公は余裕で躱し、いや下から打った拳が黒贄の右肘を破壊した。

 その時、上方から凄いスピードで何かが降ってきた。重いものだが風切り音は鋭い。

 センジュの、全長二十六メートルのククリナイフだった。彼は怨公ごと黒贄を両断しようとしているのだ。

「ウガンダラ……」

 黒贄が両手を上げて、挟み込むようなポーズを取った。真剣白刃取りをしようというのか。

 重い衝撃音がして、ククリが止まった。

 センジュのククリナイフは、黒贄の頭から鳩尾までを、完全に縦に割っていた。黒贄の両手は間に合わなかったのだ。

 ククリが止まったのは、頭上ギリギリの場所で真剣白刃取りを行った、怨公の仕業だった。背後から不意討ちで仕掛けられた巨大な刃を正確に受け止めるとは恐るべき技量だ。

「むう。いかんのう」

 センジュがククリを取り戻そうとするが、怨公が挟み込んで離さない。振り向いた怨公の顔が、ギロリとセンジュを睨んだ。

「ウガンダラバビョー」

 すぐに怨公は向き直った。黒贄が左手を伸ばしてくるところだった。怨公は動けない。頭に触れるか触れないかで止まっているククリから手を離す訳にはいかないのだ。

「センジュッ、わしの名前は……」

 怨公が叫び終わる前に、黒贄の手刀によってその首が飛んでいた。怨公の怒った顔が、水平にクルクルと回りながら地面をこすっていった。

 中国拳法界の至宝・怨公は敗北した。午前四時二十二分、死亡時の得点は四十五万二百二十八点であった。

「しめたっ」

 怨公の力が抜けた瞬間、センジュはククリを引き戻そうとした。だがすぐに彼は皺だらけの顔を渋く歪めた。

 黒贄の右手がククリの刃を掴んでいるのだった。左手は左右に分かれた上半身を纏め、裂けたパンストを引っ張って再び顔を隠す。割れた頭部を固定するのにもパンストは役に立った。

「離してくれんかのう。わしの大事なクックリじゃから」

 センジュが優しげな口調で呼びかけた。彼は黒贄が従うと思っていたのだろうか。

「ウガンダラバビョー」

 準備の整った黒贄が行ったのは、ククリを離すことではなく、持ち上げることだった。

「おおっ」

 瞬間、愛用のククリから手を離すかどうかが、運命の分かれ目であったろう。そしてセンジュはククリを離さず、一緒に持ち上げられた。怨公の死体はまだ直立している。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄はククリを持ち上げたまま数歩進み、市役所の残った壁にセンジュごと叩きつけた。壁が砕けて破片が飛び散る。死体達が喜んでいるように激しく揺れた。

 その時になってセンジュはククリから手を離し、跳躍していた。

「ウガンダラバビョー」

 奇声と共に、ククリナイフの巨大な刃がセンジュへと迫っていた。黒贄が投げつけたそのスピードは、センジュが操っていた時の百倍速かった。

 センジュは右脇腹から左肩まで、自分のナイフによって斬られていた。センジュの軽い体が二つになって落下していく。刃は、心臓をも両断していた。

 センジュの上部分は、まだ立っている怨公の肩の上に落ちた。二人の老人が不気味な合体シルエットを作る。

「わしも、後五十年、若かったら……のう、エンさん……」

 苦笑して呟き、センジュは震える右手で怨公の胴を叩いた。怨公の体が前のめりに倒れた。センジュの顔も地面にぶつかり、一度だけバウンドした後で、動かなくなった。

 ネパールの生き神・センジュは敗北した。午前四時二十三分、死亡時の得点は三十九万九千六百二十七点であった。

「見事なものだな」

 ステッキを右手にトランクを左手に、ドクター・Mが言った。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の答えは同じだ。

「しかし、私のレーザースピアが防げるかね」

 ドクター・Mがステッキを黒贄に向けた。白い熱線が伸びる。

 黒贄が素早い反応を見せた。左膝を踊らせながらも驚くべきスピードで走り、市長室の陰に駆け込んだのだ。レーザースピアが市長室の壁に当たるが、焼けるのは表面だけだ。

「意外に賢いではないか」

 ドクターの下半分だけの顔が笑いかけ、そして凍りついた。

「ウガンダラバビョー」

 市長室が、超特急でこちらに滑ってくるのだ。黒贄が市長室に近づいたのは盾にするためではない。

 凶器にするためだったのだ。

 ドクター・Mが逃げようとした。左手のトランクが火を噴いて、彼の体も持ち上がる。

 しかし、間に合わなかった。市長室の壁に捕らえられ、衝撃でドクター・Mの骨が砕けた。トランクが手から離れて勝手に空へ飛んでいく。市長室の屋根から大曲が転がり落ちる。

 市長室はドクター・Mを前面にくっつけたまま滑り続け、崩れかけた市役所の壁に激突した。客席の死体達が両腕を上げて前後にゆらゆら揺れた。

 壁と、市長室との隙間は、ゼロだった。少しして、新しい血が地面に広がっていく。

 トランクはそのまま八津崎市の夜空を上っていく。まるでまだ操縦している者がいるように。

 と、地上の何処かで小さな光が生じ、トランクに穴が開いた。炸裂弾だったのだろう、貫通した向こう側からトランクの中身が飛び散っていく。二度、三度と銃撃は続き、トランクは原形を留めないほどに崩れていった。

 トランクから零れ出したものは、人間の内臓と、脳の破片であった。

 ドクター・Mは、自分の重要臓器をトランクに隠していたのだ。

 廃墟となったビルの屋上で、ライフル銃を構えた神楽鏡影が苦い笑みを浮かべていた。レーザースピアで切り裂かれた彼の体は元通りになっている。

「やれやれ。やっとこれで依頼完了だ」

 神楽はライフルを投げ捨てると、八津崎市の深い闇へと消えていった。

 イギリスの殺人紳士、ドクター・Mは敗北した。午前四時二十四分、死亡時の得点は三十二万七千三百八十三点であった。

 そうして、市役所中庭のコロシアムには、黒贄礼太郎とバナサイトだけが立っていた。

「私を最後に選んでくれて、感謝する」

 バナサイトの声は微かに震えていた。

 歓喜のためだ。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄の奇声は常に無感動だ。パンストの中で二つに割れた顔の、無事な左の目が絶対零度の冷たさで虚空を見据えていた。

 バナサイトの方が黒贄より二十センチ近く低い。だが体重と筋肉の厚みは圧倒的にバナサイトの方が上だった。

「今この場で君と戦えることを誇りに思う。これが、事実上の決勝戦だ」

「ウガンダラバビョー」

 バナサイトの表情が消えた。ゆっくりと両手を前に伸ばし、空気を揉むように指を蠢かせながら黒贄へ近寄っていく。

 黒贄もまた応えるように、両手を無造作に上げた。

「最後にものを言うのは腕力だ。そう思うだろう」

「ウガンダラバビョー」

 二千体の観客が虚ろな顔で静かに見守る中、互いに、相手が目の前に位置していた。

 黒贄の右手とバナサイトの左手が、握り合わされた。

 バナサイトの右手と黒贄の左手が、握り合わされた。

 無表情だったバナサイトが、堪えきれぬように笑みを作った。

 ミリ、ミリ、と骨の軋みが聞こえていた。それがどちらの骨なのかは分からない。或いは、両方かも知れない。

 均衡状態を保っていたのは、十秒ほどだった。

「ウガンダラバビョー」

 ガクンと、肘が曲がったのは、バナサイトの方だった。笑っていた顔が驚愕に歪む。

「馬鹿な……」

 バナサイトが歯を食い縛った。額に青筋が浮いている。

 ブチ、ブチ、と、手の甲の皮膚が裂けたのは、黒贄の方であった。だが、同時にバナサイトの膝が曲がった。

「ウガンダラバビョー」

 バナサイトの顔に焦りが浮かぶ。これまで流したことのない汗までが滲み始める。

 バナサイトの握力によって、黒贄の手の肉が裂ける。折れた骨が手の甲から突き出した。

 それでも、膝をついたのはバナサイトだった。どれだけの力がかかっていたのか、衝撃で大地が揺れ、二千の死体達が一斉にピョコンと跳ねてバンザイした。

「ウガンダラバビョー」

「力比べで負けたことはないんだ。どんな奴にも。どんな奴にもだ」

 バナサイトはとうとう仰向けに倒れた。背中がぶつかった衝撃でまた大地が揺れ、二千体の観客が一斉に跳ねて更に宙返りした。一部は着地に失敗して首が折れる。

 バナサイトの上に黒贄がのしかかる。バナサイトの右手と黒贄の左手が、バナサイトの顔面に乗る。

 ミシ、ミシミシ、と、骨の軋みが。

 バナサイトの鼻が折れ曲がった。彼の瞳が焦りから恐怖に変わった。黒贄はさほど力を込めているようには見えなかったが、バナサイトの全力がまるで通じていない。

「ウガンダラバビョー」

 バナサイトの瞳が、恐怖を通り越して、歓喜に変わっていた。超一流の殺人鬼が、自分を遥かに凌駕する殺人鬼に向けた尊敬と、そんな相手によって人生を終えることの満足感であったのだろうか。

 しかし、黒贄礼太郎の左の瞳は、何処までも深い虚無であった。

「ウガンダラバビョー」

 ボグン、と、バナサイトの顔面が陥没した。眼球がグニョリとせり出してきて、とうとう眼窩から転がり落ちた。既にバナサイトの左手は、地面に押しつけられて潰れていた。地鳴りが続いている。死体達が揺れてぶつかり合った肉が拍手のような音を鳴らしていた。

「ウガンダラバビョー」

 バナサイトの頭蓋骨が、はっきりと分かるほどに陥没した。眼窩から脳味噌がはみ出してくる。バナサイトの両足が大きくヒクつくが、それは一度だけだった。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄がもう一押しすると、バナサイトの頭が完全に潰れた。鼻の穴や口からも脳をはみ出させて、バナサイトは、動かなくなった。

 アメリカの『鋼鉄の皮膚を持つ男』バナサイトは敗北した。午前四時三十分、死亡時の得点は五十六万七千三百五十三点であった。

「ウガンダラバビョー」

 大会参加者が皆殺しとなった闘技場で、黒贄は周囲を見回した。大曲源が死んだように横たわっているが、彼の興味はそんなものには向かないようだ。

 中庭の隅に、中善寺典子の生首と、ペットのチワワの上半身が転がっていた。タフゥモブが死んで水が引く前に、流れてきていたのだろう。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は二つの死体を拾い上げた。別の隅に、ファラオが残した黄金の棺がある。

 既に持ち主のいないそれに歩み寄り、黒贄は棺の蓋を開けて中善寺とチワワを放り込んだ。

「ウガンダラバビョー」

 黒贄は蓋を閉じた。

 観客達の拍手が次第に小さくなっていった。

 

 

  六

 

 午前六時。八津崎市の暗黒の夜は明けた。

 第一回世界殺人鬼王決定戦の参加者達は全員死亡し、八津崎市の市民も一パーセント以下に減っていた。

 パンストを脱いだ黒贄礼太郎が、朝陽を気持ち良さそうに浴びて立っていた。左肩から胸まで肉が爆ぜているし首の前半分は水平に斬られているし、胴体には無数の穴が開いているし、後頭部には脳が覗き、頭から鳩尾まで縦に真っ二つとなり、右目は飛び出しているが、とにかく黒贄は微笑を浮かべ、大きな仕事を果たした達成感に酔っているようであった。

 市役所残骸に詰まった死体達も、今は力なくうなだれてお辞儀していた。

「ああ、爽やかな朝ですなあ」

 ふと黒贄は足元を見た。

 右足の下に、瀕死の大曲源が転がっていた。

 大曲の目が半ば虚ろに、半ば恨みを込めて、黒贄を見上げていた。

「いやあ、本当に爽やかな……」

 踏んでいる足をどけもせず、黒贄は決まり悪げに目を逸らした。

 

 

  七

 

 二週間後、黒贄礼太郎事務所に一通の手紙が送られてきた。

 差出者は世界殺人鬼協会であった。

 書面には、『黒贄礼太郎殿 あなたを第一回世界殺人鬼王と認定します』と書かれていた。

 賞状とトロフィーも翌日届いた。

 

 

  エピローグ

 

 テレビにトーク番組が映っていた。女性司会者と四人のコメンテイターが大きなテーブルを囲んでいる。

 コメンテイターの一人は、礼服を着た長身の男だった。『私立探偵 黒贄礼太郎』というテロップがついている。彼は右手にギロチン装置の刃の部分だけを持っていた。

 黒贄の左隣に、スーツを着た男が座っている。しかしサングラスをかけたその男の顔は死人のように青黒かった。首には包帯が巻いてあり、ピクリとも動かない。

 その男には、『猟奇犯罪研究家 奇嶋夕仁』というテロップがついていた。

 奇嶋の更に左隣にいたコメンテイターが黒贄に聞いた。

「それで現場に携わる探偵として、『くろにえ』さんはどう思われるんです」

「いえ、私は『くらに』です」

 黒贄がにこやかに訂正しながらギロチンの刃を振った。コメンテイターの首が飛んだ。

「うわあああっ、何をするんだ『くろにえ』さんっ」

 更に左隣のコメンテイターが叫んで立ち上がった。

「いえですから『くらに』ですって」

 黒贄がギロチンを振った。そのコメンテイターの首も飛んだ。

「やめて下さい。生放送中なんですよ『くろにえ』さん」

 女性司会者が黒贄をたしなめた。

「ですから『くらに』ですと何度も言っているじゃないですか」

 それでもにこやかに黒贄は言って、ギロチンの刃を振った。

 女性司会者の首が飛んだ。

 画面が突然暗転して一枚絵に変わった。テレビ局のマスコットキャラクターが万歳している絵に、『このまましばらくお待ち下さい』と書かれていた。

 

 

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