プロローグ

 

 平和な街だった。人々が穏やかに仲間と談笑しながら歩く休日の昼下がり。駅前では若者がギターを鳴らし声を張り上げている。宝くじ売り場には『大当たり間違いなし』という看板が掲げられ長い行列が出来ていた。

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。複数だ。次第に大きくなってくる。派手なクラッシュ音に人々が振り返る。

 赤いステーションワゴンが大通りを猛スピードでやってくるところだった。段差を飛びバウンドする車体は既に幾つも凹みが出来ていた。ボンネットには角の生えた烏の絵と『DEVIL CROW』という文字がペイントされている。銃声が続く。ワゴンの窓から顔を出した男が銃を乱射しているのだ。それを追うパトカーも発砲している。

 ワゴン車には三人の男が乗っていた。後部座席の若い男は二挺拳銃で撃ちまくる。助手席の迷彩服の男は自動小銃を使っていた。運転席の男は右手でハンドルを操りながら左手で白い粉の詰まった袋を握り、ストローで鼻から吸っている。

「俺達はデビルクロウだっ。大物になるんだああっ」

 若い男が大声で笑っている。

「明日の朝刊の一面は俺達が貰ったぞ。いいか、デビルクロウだっ。間違えるなよ、デビルクロウだぞっ」

 迷彩服の男が叫ぶ。

 男達は無差別に発砲した。通行人の頭が弾け、併走していたセダンの窓に穴が開く。ショーウィンドウが割れてガラスの破片が散る。悲鳴を上げて逃げ惑う人々と面白がって見物する野次馬達。迫る殺戮ワゴンを避けようとミニヴァンが歩道に乗り上げ人々を轢いていく。歌っていた若者が胴体を潰され血を吐きながらギターに手を伸ばす。愛用のギターも潰れていた。数十台のパトカーがワゴンを追い発砲し、野次馬の一人が流れ弾に当たって悲鳴を上げている。他の野次馬が笑っている。横断歩道を渡っていた女がパトカーに続けざまに轢かれ厚みを失っていく。

「一人殺せば犯罪者だが、百万人殺せば英雄なんだぜえっ。俺達ゃ百万人殺してやる。そしてギネスに載るんだっ」

 逃げる人々の背中を狙いながら若い男が叫んだ。他の車輌は巻き込まれることを怖れて脇へ寄って停める。と、一台の側面にワゴン車の側面が擦れ、若い男と迷彩服は慌てて首を引っ込め悪態をついた。

「すまん」

 ちっともすまなそうに見えない運転手の瞳は散大し、恍惚としている。警察の銃弾がワゴンの後部ガラスにヒビを入れる。運転手は勢い良く白い粉を吸い込み、更にアクセルを踏み込んだ。時速百キロはとっくに超えている。

「もう何人くらい殺したかな」

 揺れる車内で弾倉を差し替えながら若い男が問う。

「四十人かそこらじゃないか」

 手榴弾のピンを抜いて迷彩服が答え、窓から後方に放り投げた。アスファルトを転がった手榴弾は追ってきたパトカーの一台を吹き飛ばす。燃えながら道を外れていくところに別のパトカーが追突して爆発した。

「百万人にゃまだまだだな。じゃあ、頑張らなきゃなあっウヒイイイイイッ」

 若い男が甲高い奇声を上げた。迷彩服が自動小銃を通行人に向けた時、運転手が大きなくしゃみをした。白い粉が袋から飛び散る。ハンドルを握る手が揺れて対向車線にはみ出した。すぐ逆にハンドルを切ったため壁への激突は免れたが歩道に乗り上げる。杖をつく老人を轢き潰し黒服の男を撥ね飛ばしベビーカーと主婦を宙に舞わせ、宝くじ客の行列に突っ込んだ。将棋倒しになった百人以上を次々に轢いていく。「ヒャハッ」若い男が笑った。ボンネットは血で汚れ烏のペイントが見えなくなってきた。ワゴンは次第に減速し、宝くじ売り場に激突して停まった。『大当たり間違いなし』の看板がボンネットに落ちた。

「この下手糞っ」

 衝撃で前のシートに体を押しつけられ、若い男が怒鳴る。

「悪い悪い」

 何とも思っていない口調で運転手が謝る。フロントガラスに額をぶつけてザックリ切れている。鼻に挿さったストローの端から血と透明な液体が滴る。脳脊髄液だろうか。

「動かせるか」

 打った脇腹を押さえながら迷彩服が問う。

「やってみる」

 運転手がエンジンをかけ直そうする。若い男が言う。

「どうする、サツが囲んできてるぜ」

 数十台のパトカーが道を塞ぎ始めている。サイレンの音が重なってうるさいほどだ。続々と応援も集まっているようだ。

「気にするな。殺せばいい」

「そういやそうだな」

 迷彩服の返事に若い男は納得し、「デビルクロウだああっ」と叫びながら撃ちまくる。パトカーを盾に応戦する警官達。エンジンはまだかからない。

 弾丸が飛び交う中、男が一人、ステーションワゴンの方へ歩いてくる。

 歩道に乗り上げた際に撥ねた男だった。怪我はないのか歩みもしっかりしている。いや、左膝の角度が少しおかしく、靴先が横を向いていた。

 男は黒の略礼服を着ていた。アイロンがけを怠っているようで折り目は失われ、肘の辺りはテカついている。ネクタイはしていない。長身で百九十センチ以上あるだろう。肉は厚くないが骨格はがっしりしている。年齢は二十代後半から三十代前半だろうか。髪は自分で切っているのか左右がアンバランスで、彫りの深い端正な顔立ちは肌の白さも加わって蝋人形のようにも見える。車に撥ねられたというのに、薄い唇は面白がってでもいるような微笑を浮かべていた。

 礼服の男は右手に紙片を握っていた。切れ長の目が眠たげにワゴン車の殺人者達を見つめている。

「すみません、ちょっとよろしいですかな」

 礼服の男が殺人者達に声をかけた。

「何だ」

 迷彩服の男が応じながら自動小銃を発砲した。ライフル弾が質問者の腹を貫き背中から血が爆ぜた。礼服の男の白いシャツが血で滲んでいく。ただし、男のシャツには元々小さな赤い染みが幾つもついていた。

「この少年を探しているのですが、ご存じないですかな」

 礼服の男は腹の風穴を気にするふうもなく、ワゴンの横に立って一枚の写真を差し出した。ニキビ面の少年がVサインをしている写真。

「関谷隆春さんです。一ヶ月前に家出なさった後、行方不明だそうで」

「知らねえな」

 若い男の返事と同時に二挺拳銃も火を噴いた。至近距離からの銃弾が礼服の男の額と左胸に穴を開ける。

「そうですか。残念です」

 礼服の男は倒れなかった。額の中心から血と脳漿を洩らしながら平然と運転席を覗き込む。若い男と迷彩服は唖然としている。

「そちらの方はいかがですかな。この写真の少年をご存じないですか」

 運転手はぼんやりと呟いた。

「おかしいな。今日はそんなに吸ってないのに幻覚が見える。ゾンビだ」

「ゾンビではありませんよ。黒贄さんです。生き物ですので仕事をして生活費を稼がないといけません」

 黒贄と名乗った礼服の男はにこやかに答えた。

 いつしか、銃声はやんでいた。重く静まり返った通りを、車輌の隙間をうまく抜けて一台の自転車が泳いでいく。リュックサックを背負った少年だ。礼服の男がそれに気づいた。

「おや、関谷さんですかな。関谷さん、関谷さーん」

 ワゴンの殺人者達を放って礼服の男が走り出した。転がって呻く負傷者を踏みつけ踏みつけ、歩道にあった郵便ポストを素手で掴んだ。バキッとコンクリートの土台が砕けあっけなく引き抜かれる。

「関谷さーん」

 礼服の男は走りながらポストを投げつけた。遠ざかる自転車から狙いは逸れ、パトカーの一台にぶち当たりポストが爆発して郵便物が飛び散った。車体は隕石が落ちたみたいにひしゃげ、他の二台を巻き添えにそのまま地面を滑っていき向かいのビルにぶつかった。

「関谷さーん」

 走る礼服の男の足が別のパトカーにぶつかった。パトカーがひっくり返り軽々と舞い上がる。舞い上がり過ぎる。パトカーは回転しながらビルの四階に飛び込んだ。警官達は頭を抱えて蹲っている。

「関谷さーん、もしもーし関谷さーん」

 礼服の男が電柱を掴んで引っこ抜いた。ちぎれた電線が火花を散らして地面を踊る。礼服の男が電柱を物凄い勢いで振り回しながら自転車を追っていく。野次馬達の首がまとめてちぎれ飛びビルの壁が削られ自動車が叩き潰されていく。人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、一部の者は歓声を上げた。ワゴン車の男達が乱射していた時よりも大きな声だった。

 警官達が慌ててパトカーに乗り込み発進した。礼服の男を追うかと思いきや、逆の方向へ。通りからパトカーは消え、サイレンが遠ざかっていく。どうやら逃げ出したらしい。壁を削られたビルが倒壊して瓦礫の山になった。

 パトカーも警官もいなくなった。野次馬達は礼服の男の消えた方向へ走っていく。残った人々はやれやれと溜息をつきながら日常を再開した。向かいのカフェテラスでは若いカップルが談笑している。

 ワゴン車の男達は、取り残された。

 若い男の手から拳銃が落ちた。

「か……帰るべか、里に」

 若い男が言った。

「……そだな」

 迷彩服の男が泣きそうな顔で答えた。

「おっ、かかった」

 運転席の男が言った。エンジン音はカラカラと変な音も混じっていた。

 

 

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