第三章 説教殺人鬼と殺戮愉快犯の公開討論

 

  一

 

 午後十時七分、TTJテレビの緊急ニュースによってモラルの承諾が発表された。すぐに他のテレビ局でも同じ内容が発表され、インターネットのポータルやニュースサイトも大急ぎで追随した。この時刻にもかかわらず街を号外が駆け巡った。TTJの瞬間視聴率は八十パーセントを超えた。モラルと憲法第九条の公開討論は生放送で翌日午後七時開始と設定された。時刻までに両者が到着するかどうかは保証出来ないが、来なければ全国民に笑いものにされることを二人も理解しているだろう。ひとまず時間枠は二時間だが延長の可能性もあるし逆に短縮される可能性もある。全てはその時の状況次第だ。公開討論の視聴率は九十パーセントを超えるかも知れない。他局はTTJに嫉妬した。

 二人の殺人鬼が決まった時間と場所に現れるということは警察にとって唯一の逮捕の機会でもあった。TTJは警察に協力も妨害もしないと明言した。「正直なところ、今の警察の力で彼らをどうこう出来るとは思っていません」とTTJテレビの局長がスピーチしたのだ。警察にとっては赤っ恥だが国民はそれが事実であることを知っている。

 憲法第九条によって左耳右腕左足を切断された御坂草司はまだ集中治療室にいて意識も戻っていないということだ。もし可能な状態であれば明日の特番の司会は御坂が務めることになっている。と言うより、彼以外に二人の魔人と正対出来る人間はいないだろう。軽い失言一つで本当に首が飛ぶ可能性がある。いや、失言がなくても飛ぶかも知れないのだ。

 マスコミは石村総理に緊急記者会見を要求したが、総理は体調悪化を理由に拒否した。それが言い訳であることは皆分かっている。総理に同情している者も少しはいるかも知れない。いずれにせよ、人々はモラルと憲法第九条の対決に気を取られ、総理のことなどもうどうでも良いのだった。

 インターネット上ではモラルを腰抜けと非難していた者達が一気に賞賛へと翻った。悪役である憲法第九条をモラルが如何に惨殺するか匿名達が嬉々として語り合う。どちらが勝つか賭けるスレッドではモラルが驚異的な挽回を見せた。しかし憲法第九条の人気がじりじりと上回っていく。弾丸を叩き落とし鋼鉄を切り裂く圧倒的な剣技にモラルが対抗出来ないだろうという現実的な見方をする者と、ただ単に憲法第九条が勝った方が面白いからという者。善人ぶって人を殺すモラルより欲望に正直な憲法第九条の方を応援するという者。家族や恋人が憲法第九条に惨殺されてもそんなことが言えるかという反論。だがそれはモラルに惨殺された者も同じではないかと横槍が入る。いや、モラルは社会のルールを破った者だけを罰しているのだ。しかしその罰し方は過剰ではないか。実は憲法第九条はモラルによる自作自演ではないかと疑う者もいた。白熱した議論は堂々巡りを続け水かけ論となり罵り合いに変わる。もう危険過ぎて外出出来ないというまともな書き込みもたまに見かけられた。

 憲法第九条に対し一歩も退かなかった御坂草司の人気も高まっていた。搬送先の病院に勤務している者がネット上にリアルタイムで容態を報告していたが、それが病院にばれたらしく午前一時の書き込みを最後に途切れた。少なくとも御坂の容態は安定してきているらしい。利き腕を失い、義足か車椅子で一生過ごすことになるだろうが。彼が特番で二人の殺人鬼にどんな質問を投げるのか、皆楽しみにしていた。しかし午後七時の番組開始までに御坂の意識は戻るのか。意識が戻っても怖気づいて番組に出ないことを懸念する書き込みもあった。それはあり得ないと御坂のキャリアを知る者が反論する。彼は権力者や大企業が隠そうとする真実を暴くために全力を尽くしてきた。その幾つかは握り潰されたし暴力団を差し向けられ痛い目に遭わされたことも一度や二度ではない。それでも御坂は決して怯まず、ニュースキャスターの椅子から引き摺り下ろされもせずに頑張ってきた。御坂草司は社会の改革を目指しているのだとその匿名氏は語った。御坂が憲法第九条を怒らせて番組開始一分で殺されるのではないかと予測する者もいた。彼が右翼と繋がりがあるという書き込みもあった。思想は左翼的だという指摘もあった。御坂は売名の偽善者だと罵る書き込みもあった。

 彼らは夜を徹して書き込みを続け、血みどろの祭りを楽しんだ。

 朝刊はモラルと憲法第九条の記事が紙面を埋め尽くしていた。三森銀行周辺の大虐殺と、憲法第九条とモラルの対決が一面でセットになっている。犠牲者の膨大な氏名が二面以降に並んだがまだ身元の判明していない死者も一割ほどいた。死者の推定は千百人から千二百人ほどで、まだ正確な数が判明していないのだった。悲嘆に暮れる遺族達のコメント。殺人鬼が日本の平和憲法を名乗るとはあまりにも不遜だという評論家のコメント。この国はおかしくなってしまったという市民の投書。憲法第九条による虐殺以降、モラルは人々の前に姿を見せていない。一般人の些細な不正を罰するよりも倒すべき相手が見つかったからだろうとある新聞の社説は語っていた。事件以前の憲法第九条の目撃譚が掲載されているがまだその正体について明確な結論は出ていない。二人の超人の出現を世界が行き詰まった証だとする宗教学者の解釈。世界は変革されるべきなのだと彼は語る。憲法第九条との関係を否定する石村誠三総理の記者会見と、関係をあっさり肯定した憲法第九条の発言が並んで掲載されている。虐殺に加担した総理は辞任するべきだという野党の主張。早急に調査を進めるという副総理のコメント。総理は胸痛を訴えて入院中だという。

 何処のチャンネルでもモラルと憲法第九条の話題ばかりだった。流石に憲法第九条を胡散臭いと評する者はいなかった。多くの人々が会社を欠勤し学校を休んでテレビに見入っていた。野党議員が自衛隊を派遣すべきだと主張している。大物政治家達は密室で会議を続けている。東京、特にTTJテレビ局周辺は人の姿を見かけなくなった。イベントの巻き添えを食って殺される可能性が高いからだ。いや、午後になると次第に若者達が増えてきた。彼らは携帯で友人と喋ったりネットに書き込んだりしながら祭りを待っている。わざわざ北海道や九州から来た者もいた。やがて大勢の警官と機動隊がやってきて一帯を封鎖し始めた。若者達は締め出され渋々ラインまで引き下がる。「こんな感じで昨日は皆殺しにされたよな」と一人が皮肉に笑った。

 モラルも憲法第九条も新たな目撃報告はない。この日、DVDレコーダーや次世代DVDと呼ばれるBDレコーダーが爆発的に売れた。歴史的な番組を永遠に保存するために。午後二時を過ぎ、御坂の意識が戻ったと発表があった。彼は公開討論の司会を務めることを承諾したという。このニュースに日本中が沸き立った。ネットの匿名掲示板では彼の綽名は勇者御坂になっていた。今日の特番をうまくこなせば彼はマスメディアの頂点に立つことが出来るかも知れない。その時まで生きていられればの話だが。

 別のテレビ局の一つがTTJのスタジオにスタッフを送り込んで生中継させてくれと申し出た。放送の公平性を確保するためとか理由をつけて。しかし現場に行くことを局のスタッフが拒否したため提案は情けなくも自壊した。戦場カメラマンより危険な仕事だ。TTJのスタジオも近い時間帯の収録は全て中止となり不要な人員は帰宅させられた。公開討論の担当となったスタッフ達にも、帰りたい者は帰って良いと局長は告げた。半数が去り、半数が残った。番組の放映はなんとかやっていけそうだ。少なくとも彼らが生きている間は。

 午後三時半。野次馬が一万人を超えた頃、自衛隊がやってきた。最初はトラックや歩兵戦闘車が、そして90式戦車までもが。これを期待していたらしい軍事マニアが嬉々としてデジカメで撮り始めた。戦闘ヘリが周辺を飛び回り、他局の報道ヘリを追い出していく。副総理と防衛大臣による記者会見はその後だった。国民の安全を第一に考えた苦渋の決断だったと副総理は言った。しかし国民の多くは自衛隊でも二人の魔人には通じないのではないかと考えていた。立ち入り禁止線は更に広げられ、テレビ局を中心に自衛隊、機動隊と警官隊、そして野次馬と他局の報道陣という同心円状の輪が出来上がった。その輪を破って十数台の救急車が到着した。これから出るであろう負傷者に対応するためか。救急車の一台には御坂草司が乗っていた。彼が車椅子で降ろされるところを戻ってきた報道ヘリが捉え、生中継の映像に国民は歓声を上げた。御坂の姿はすぐ局内に消えた。

 兵士達は自動小銃を肩掛けして立っている。彼らの顔にも不安の影がある。駆り出された警官達もそうだ。無意味どころか危険極まりない任務だと感じながらも、彼らは命令され仕方なくそこにいる。

 テレビでは野党が自衛隊派遣について異議を唱えている。午前中とは全く逆のことを言っていることを彼らは自覚しているのだろうか。市民が巻き添えになる可能性と、憲法第九条を下手に刺激することは危険だというのがその趣旨だ。犯罪者に気を遣うのは国家としての敗北を宣言するようなものだと与党議員が反論し、既に総理が敗北しているじゃないかと言われ黙り込む。二人の殺人鬼を逮捕するのか殺すのか、また意見が割れている。自衛隊が憲法第九条を殺すとはなんという皮肉かとコメンテイターが自嘲気味の笑みを浮かべる。いや逆だ、憲法第九条が自衛隊を殺すのだとタレントが言った。

 兵士達はTTJ局内にも雪崩れ込んだ。彼らはスタジオ内で待機することを要求したが局長が拒絶した。我々を入れないと放送はさせないと中隊長が主張する。放送出来ない腹いせに憲法第九条が殺戮を行った場合、自衛隊は責任が取れるのかと局長は冷たく問う。中隊長が上官と無線で話した末、スタジオ内までは入らないということになった。行き来するスタッフが廊下に居並ぶ兵士達を迷惑そうに一瞥する。自衛隊をここに差し向けたことに何の意味があるのか。政府も一応の努力はしているというジェスチャーなのか。

 午後五時。野次馬の一部はポータブルテレビを用意していた。携帯で頻繁にニュースをチェックする人々。テレビ映像を受信出来る携帯を持った者は簡易充電器と大量の乾電池を用意していた。モラルと憲法第九条は何処にも現れていない。野次馬はコンビニで買ったパンや弁当を食べ始めた。近くの公園では酒宴が始まっている。「ゴミはゴミ箱に捨てないとモラルが来るぞ」と若者が笑った。『頑張れ憲法第九条』という垂れ幕を用意した若者がいて警官に職務質問を受けていた。

 街が夕焼けに染まっていく。働いていた会社員も残業せず自宅へ直行してテレビを点けた。早めに夕食を済ませる家庭も多かった。開始は午後七時だが何が起こるか分からないのでチャンネルはTTJのままだ。TTJ周辺の様子を中継している他局もあったが、ヤケクソのように洋画を流す局もあった。

 午後六時半。野次馬の一人が暗い空を指差して叫んだ。他の者達も次々とそれに倣う。警官が緊張した顔で腰の拳銃に触れ、兵士は自動小銃を持ち直した。しかし命令がないため発砲はしない。人々に出来るのは見守ることだけだ。

 高速で夜空を泳ぐ、薄っぺらな灰色の布。人の形にも見えるそれは、モラルだった。

「モラルだ」

「一反木綿だ、モラルが来たっ」

「モラルッ、モラルッ、モラルッ」

「一反木綿っ一反木綿っ」

 いつの間にかモラルには一反木綿という綽名がつけられていた。野次馬が手を振って声援を送る。

 モラルは平面体のまま一直線に進み、TTJの上階の閉じた窓にツルゥーリと滑り込んで消えた。

 地上では憲法第九条派とモラル派が取っ組み合いの喧嘩を始めていた。

 

 

  二

 

 カツン、カツン、と硬い靴音をさせてモラルが廊下を進む。裾が床を擦りそうなライトグレイのロングコート。同じ色の大きなチューリップハットに隠れ、憤怒の形相をした鬼の面は下半分しか見えない。長過ぎる袖が揺れている。

 殆どの社員が帰った筈なのに何故かこの時間に中年の掃除婦がモップがけをしていた。通りかかったモラルに目を丸くする。

「あらあ、もしかしてモラルさんじゃない。本物よね」

「こんばんは」

 モラルも頭を下げる。

「これから番組に出るのね。応援してるわよ」

「ありがとうございます」

「でも、お仕置きはもっと軽くした方がいいんじゃないかしらねえ。誰だってちょっとした出来心ってものがあるじゃない。特に若い人は羽目を外すもんだけど、成長したらちゃんと社会の一員になってくんだから」

「はあ。考えてみます」

 モラルは少し困っているようだった。

「それでは失礼します」

「頑張ってね」

 掃除婦に見送られてモラルは進む。角を曲がると数人の兵士が自動小銃を向けていた。

「動くな」

 兵士の声は緊張していた。モラルは一旦立ち止まり、冷静に告げる。

「今は撃つべき時ではないでしょう。君達が発砲出来るのは上官の命令があった時と、自分達か市民が攻撃された時だけです。それで君達は、何のためにここに送られたか分かっていますか」

「どういう意味だ。妙な動きをするな」

「説明しましょう」

 モラルが方向を変えた。兵士の銃がピクリと動いたが発砲はしなかった。

「おい、こっちだ。こっちにモラルがいるぞ」

 一人が後方の兵士達を呼んでいる。モラルは構わず右のドアを開けて入っていく。

 そこはタレント用の控え室らしかった。モラルは迷わず進んで奥のドアを開ける。不審顔の兵士数名がついていく。

 奥はメイク室だった。部屋の中央に椅子を置き、その上に一人の兵士が立って天井裏に首を突っ込んでいた。服装は他の兵士と同じ都市迷彩だ。床にテレビ局の見取り図が広げてあった。

「君は自分のしていることが恥ずかしくないのか」

 鋭い声に男が慌てて穴から首を抜いた。

「な、何だっ」

「一般市民と自分の同僚を殺すことに抵抗はないのか。上官の指示だから自分に責任はないと思っているのか。それとも他人の命など知ったことではないのか。天井裏に仕掛けたものを戻しなさい」

 モラルが告げた。椅子に立つ兵士が顔面蒼白と化す。ついてきた兵士達の疑念。一人が尋ねた。

「何をしている。何処の所属だ」

 椅子の兵士が肩掛けの自動小銃をモラルに向けた。他の兵士達があっと声を上げた。彼が安全装置を解除して引き金に触れる前に、モラルの両袖から伸びた鎌が兵士の両上腕を切断した。兵士が椅子から転げ落ち泣き喚く。血の噴き出す断端にアイロンと化したモラルの手が押しつけられて止血した。煙が昇り肉の焦げる嫌な匂いが漂う。他の兵士達は呆然と見守っている。

 モラルの右腕がスルスルと伸びて天井裏への穴を抜ける。やがて引き戻された手は羊羹型の物体を握っていた。半透明のプラケースに収まった白い粘土のようなもの。コードが繋がっていて、モラルが羊羹を引っ張ると新たな羊羹が落ちてきた。コードは更に続いている。モラルが尋ねた。

「これが何だか分かりますか」

 兵士達は息を呑んでいた。転げ回る腕なし男を一瞥しつつ一人が答える。

「……C4。プラスチック爆弾だ。一本一キロとして……」

「二十本ありますから二十キロということになりますね」

「このテレビ局が丸ごと吹っ飛ぶ量だ」

「コードを抜けば大丈夫ですか」

「ま、まあ、そうだが、中に信管が入ってると思う」

 モラルがコードをゆっくり引き抜いた。埋まっていた円柱状の信管が顔を出す。それを捨て、二本目の信管も抜いた。モラルは天井裏から芋蔓式に二十本のプラスチック爆弾を引き摺り出して処理を終えると、両腕を失って転がる兵士に同じ問いを投げた。

「君は恥ずかしくはないのか」

「痛え……畜生……」

 男は憎々しげに呻くのみだ。その口をこじ開けてモラルがプラスチック爆弾の一本を押し込んだ。男が目を白黒させる。残りの十九本を左腕で抱え、右手で男の首根っこを掴んで引き摺っていく。二本の腕を置いたまま他の兵士もついていく。一人が通信機に状況を話している。

 モラルが階段を上る。軽々と引かれ、段差の角にぶつけられ男がモゴゴと呻く。待機していた別の兵士達は両腕のない仲間と大量のプラスチック爆弾に絶句する。もしかすると彼らはモラルが兵士を人質に取っていると思ったかも知れない。

「ちょっとすみません。通して下さい」

 彼らの間を抜け、第四スタジオとなった扉の前に立った。控え室の丁度真上に当たる場所だった。モラルは本番の二十分前に到着した。

 薄暗い中にひしめく機材やコード。先に光が見える。正面奥に見えるのが、昨日のテレビに映っていた緊急特番のセットと同じものだ。ただし昨日あったソファーやテーブルは取り払われ、一人用のソファーが左右に離れて二つ、そしてその中間の位置に車椅子の御坂草司がいた。隣でスタッフが御坂に書類を読ませながら話している。

 入ってきたモラルに気づいてアシスタント達がどよめいた。御坂が顔を上げる。光の下に出たモラルにカメラが向けられる。数人の兵士が困惑顔でついてきている。引き摺られる男は必死に足をばたつかせている。スタジオに詰めていたTTJ局長が繰上げ生放送開始を指示した。御坂についていたスタッフが慌ててその場を離れた。

 硬い靴音を響かせ、僅かな段差を跨ぎ、モラルはセットに上がった。良く通るなめらかな声で彼は言った。

「こんにちは。いや、もうこんばんはですね。初めまして、御坂さん。打ち合わせなど必要ないと思いましたのでこの時間に来ましたが、いけませんでしたか」

「ようこそ、モラル。残念ながら殺人鬼の君に敬語を使うことは出来ない」

「構いません」

 チューリップハットの下から鬼の顔が答える。彼は標的以外にはいつも丁寧語を使っている。スタッフの一人がワイヤレスマイクを持って駆け寄った。発言をはっきり放送するためのもの。「どうぞ」とモラルが頷くと、スタッフはロングコートの襟元近くにマイクを取りつけて下がった。

「君は約束の時間の前に必ず来ているタイプだな。今放送が始まったようだからそのつもりで話したまえ」

 御坂草司は車椅子でもスーツを着ていた。右袖とズボンの左裾は平たく閉じている。左耳は繋がったようでガーゼと包帯で包まれている。いつもとは違う、鼻に載せるだけで固定される眼鏡だった。顔はまだ血の気が薄い。レンズの奥の瞳は好意でも敵意でもない、ただ知的で鋭い光を投げていた。車椅子には小さなテーブルが取りつけられ、分厚い資料が載っている。彼は片手でそれを開いていた。

「それで、状況を説明してくれるかな」

 モラルが引き摺る兵士を見て御坂が言った。別のカメラが近寄る。男は口に詰まった爆弾を吐き出そうとして出来ずにいる。男の目と御坂の目が合った。

「この自衛隊員はスタジオの真下に爆弾を仕掛けようとしていました」

 モラルが羊羹の束を床に置いた。兵士の口に嵌まっていた一本も引き抜く。一部がちぎれて口の中に残り、男は唾液と共にそれを吐いた。

「二十キロのプラスチック爆弾で、このテレビ局を吹き飛ばせる量だそうです。私と憲法第九条をまとめて始末する予定だったのでしょうが、その場合はTTJの社員の皆さんも自衛隊の皆さんも巻き添えを食うことになります。それが自衛隊の方針ですか」

 両腕のない男は何も喋らない。モラルの鬼面がついてきた兵士達に向けられる。カメラがそちらへ方向転換し、スタッフ達の蒼白な顔も映した。

 やがて兵士の一人が言った。

「自分達はカメラの前での余計な発言を禁じられている」

「悪いことでも命令には従うということですか。命令であれば必要な状況でも沈黙し、無関係の市民も殺す、と」

 辛辣なモラルの皮肉だった。カメラはまだ兵士を見つめている。大きく息を吐いて兵士が言った。

「爆弾に関して、自分達は何も聞いていない。この男とは面識がないので本当に自衛隊員なのかどうかは分からない」

 御坂が補足する。

「確かに自衛隊員を装ったテロリストという可能性もある。ただし、万が一本物の自衛隊員だったとしても防衛省は自身の命令であったことを認めないだろうな。もし爆発が起こっていれば真相は完全に闇の中だったろう」

「爆発しなくても闇の中かも知れません」

 モラルが言った。続けて男に問う。

「君は何者で、誰の指示で爆弾を仕掛けようとした」

 腕のない男は答えない。脂汗の浮いた顔に最初の狂乱はなく、冷めた目でモラルを見返している。

 モラルが続けた。

「無関係の人を大勢殺すことに罪悪感はなかったのか」

 男は答えない。

「間違っていると思ったのなら、どうして反対しなかったのか。任務を放棄することも出来た筈だ。そんなに自分の生活が大事なのか」

 男は答えない。

「恥を知れ」

 モラルが左袖を上げた。現れた手袋が別の何かに変わろうとした時、御坂草司がストップをかけた。

「待ちたまえ。公開処刑を放送するために番組を企画したのではない」

 冷徹な声音にモラルは向き直って謝罪する。

「申し訳ありません。ただ、これは処刑ではありません。彼には生きていてもらいますから」

 モラルの左手が大型の中華包丁に変わった。御坂が何か言う前にモラルはあっさりと男の両膝を切断した。傷口から湯気が昇る。包丁は血止めのために熱せられていたらしい。肉の焦げる音をマイクは捉えたろうか。男が目を剥いて凄い悲鳴を上げた。スタッフがウッと呻いて口元を押さえる。

 モラルは手を戻し、四肢のなくなった男をセットから押し出した。切断された両足も後を追わせる。

「これで逃げられる心配はなくなりました。救急車を呼んで下さい。後は警察にお任せします」

 その場にいた者達の一部は意外そうな顔をした。どうしてモラルが彼を生かしたのか不思議なのだろう。老人に席を譲らなかっただけで殺された少年もいるのに、どうして大量殺戮を企てた男が手足切断だけで済むのか。

 御坂草司がモラルに尋ねた。

「もしかして君は、この男の素性も誰の指示かも分かっているのではないのか」

 モラルはそれには答えず御坂に別のことを言った。

「彼が単独犯でないとすれば、真実を知る者は必ず存在する筈です。指示を出した者、指示を経由した者、横で見ていた者、道具を用意した者、図面を渡した者。その中には内心抵抗があった者もいるでしょう。また、彼がこれから口封じに殺されるまで、どれだけの人が関わると思いますか。自衛隊員、救急隊員、医師、警察官、防衛省に内閣、そしてマスコミ。友人や恋人、家族もいるかも知れません」

 モラルの鬼面はカメラに向いていた。

「真相の片鱗に触れた者のうち何人かが勇気を出せば、明らかに出来るのではありませんか。一人では潰されるかも知れない。でも皆で勇気を出せば状況は変わるかも知れません」

 それは御坂への問いではなく視聴者へのメッセージであったのかも知れない。モラルの声音は絶望を含んでいるようでもあり、何処か挑発的でもあった。

 御坂が言った。

「それが君の目的か。しかしそれが実現すると君は本当に思うのか」

「少なくとも、実現を目指しています。それに、TTJは日本のマスコミの中で最も良心的なところだと思っています。様々な圧力やしがらみはあるとしても」

 御坂は流石に苦笑した。

「褒められているのかけなされているのか分からないが、今ここに留まっているスタッフ達が職務に命を懸けていることは確かだ」

 手足のない男の喚き声は続いている。モラルは細長い体で御坂とスタジオ内のスタッフ達に礼をした。

「よろしくお願いします。それで、すみません、私の席はどちらですか」

「好きな方に座りたまえ。詳しい自己紹介は憲法第九条が到着してから始めよう」

 その時、携帯電話に耳を当てていた局長が大声で皆に告げた。

「憲法第九条が来た。自衛隊を殺し回っているようだ」

 

 

  三

 

 殺戮の様子は既に他局で生中継されていた。

 憲法第九条が姿を現したのは午後六時五十分だった。彼は恐るべき登場法によって自分の力を誇示してみせた。

 TTJテレビ局を幾重にも囲む人の輪を、自衛隊や警察の用意した大型ライトが照らしていた。殺人鬼が何処から現れても見逃さないように。

 そんな中、警官の層と野次馬の層の中間辺りに、憲法第九条は何もない上空から真っ直ぐに落ちてきたのだ。近くにいた人々はアスファルトの割れるバグュッという音を聞いた。一部の者は驚きの悲鳴を上げた。喜びとも恐怖ともつかぬどよめきが場を埋める。

 両足で膝も曲げずに着地した憲法第九条は、昨日と同じく黒いTシャツにジーパンという服装だった。いや、今日はシャツの胸に赤く『殺』の文字が浮かび、背中には白字で『憲法第九条』という自分の呼び名がプリントされている。オールバックにした艶のある黒髪。酷薄さと優美さを併せ持つ顔立ち。深みのある瞳は反抗を許さぬ暴君の威圧感を備えている。腰の後ろではベルトとジーパンの間に短剣が挟まっている。鞘と合わせて一体の骸骨を形成する不吉な魔剣。スニーカーの下の地面は十センチほど陥没し、周囲へ蜘蛛の巣状に亀裂が走っていた。

 憲法第九条は獲物を掲げてみせるように、左手で生きた人間を吊るしていた。

 病衣の襟元を掴まれて力なくうなだれているのは、日本国総理大臣・石村誠三であった。

「よう。出迎えご苦労」

 余裕の態度で右手を上げ、憲法第九条はその場にいた者達に挨拶した。総理大臣を前に警官や機動隊は身動き出来ずにいる。野次馬も大半は凍っていたが、一部の若者達は最初の衝撃を過ぎると殺人鬼に拍手を送り始めた。

「憲法第九条ーっ」

「憲法ーっ」

「憲法第九条、もっと殺してくれえー」

 調子に乗って呼びかける怖いもの知らず達に、憲法は石村を振って応じる。総理の情けない姿に笑い声が沸く。石村は目を閉じて屈辱に耐えている。報道陣や野次馬が次々にフラッシュを浴びせる。憲法に声援を送った者をモラル支持者が殴りつけ、また喧嘩が始まった。

 自衛隊も騒ぎに気づき始めた。大型ライトが憲法第九条と石村総理の姿を更に浮かび上がらせる。報道ヘリが低空で近づいている。自衛隊の戦闘ヘリは動かない。歩兵戦闘車も戦車も何もしない。上からの命令は何も出ない。彼らはただ爆破をカムフラージュするだけのために呼ばれた見せかけの兵士だったのか。

「じゃあ、通してくれよ」

 憲法が警官達に告げた。彼らは声もなく脇へ避け、テレビ局の正面玄関まで一直線の道が出来る。パトカーと歩兵戦闘車までが横へ退いた。

 憲法第九条が石村総理を吊るして悠然と進んでいく。大勢の野次馬と警官と兵士に見守られながら。それが花道であるかのように。

 誰も殺さず入城の儀式が終わるかと思われた刹那、喧騒に混じり野次馬の列から発せられた大声が憲法の足を止めた。

「憲法第九条ーっ自衛隊なんか殺しちまえっ」

 一瞬、場が静まり返った。警官が困惑して若者達を睨んだ。誰が言ったのかと野次馬達も互いの顔を見合わせた。兵士が必死の形相で無線に指示を求めている。

 彼なら本当に実行しかねないことを、誰もが分かっていたのだ。

 憲法第九条はゆっくりと振り向いた。吊られた石村総理が全身を震わせていた。

「了解、了解。確かに、日本に軍隊があるのを俺様が見過ごす訳には行かねえよな。リクエストにお応えしてちょっと皆殺しにしちまおうかね」

 憲法第九条は陽気に言った。ニッと牙を剥いて野獣の笑顔に変わる。

 彼が短剣を抜くところを誰も見なかった。十メートルほど離れていた兵士達の首が五、六個まとめて落ちた。うわわああーっ、と人々が声を上げた。声音に歓喜は失せ、野次馬の一部は逃げ出し始めていた。彼らは現実とファンタジーを混同していたのか。

 首のない兵士達の体が薄い輪切りになってポロポロと零れ落ちる。地面に肉のスライスが積まれ血溜まりが広がっていく。

「逃げろっ逃げろっ」

 警官の誰かが叫んだ。

「撃てっ射殺しろっ」

 小隊長らしき男が叫んだ。その頭が縦に割れて左右に倒れた。

「撃つなっ総理がいる」

 別の兵士が叫んだ。その胴から三十センチ角に切られた四角い肉が、ブロックが抜けるようにスルリと落ちた。自分に開いた巨大な風穴を見つめながら兵士は前のめりに倒れる。

「うわああっこいつっ」

 一部の兵士が自動小銃を乱射した。銃身が泳ぎ警官や一般人に弾が当たる。血を流して助けを求める人々。逃げる野次馬。呆然と立ち尽くす機動隊。歩兵戦闘車から機関砲が唸る。砕けたアスファルトが飛散する。巻き添えを食った市民の血と肉片が飛ぶ。

「クク、ク、ケケ、クケ」

 異様な声で笑う憲法第九条の歩みはむしろ遅かった。彼の右腕は霞み、伸縮自在の短剣は無数の煌きでしか捉えられない。石村総理は両手で自分の顔をかばっている。憲法の周囲に無数の金属片が転がっていく。自動小銃や機関砲による連打のうち毎秒何十発が彼に向かっているかは分からない。或いは百発を超えるかも知れない。だが憲法第九条は一本の短剣で全てを切って落としていた。まるで彼の周囲に見えないバリヤーでも張ってあるようだ。

「クケ、ケヒャ、ヒャハッ、ケキョ、キヒャ」

 兵士達が肉塊に変わっていく。迷彩服で間違えられたか野次馬の一人も顔面を削ぎ落とされた。或いは憲法なりの冗談だったかも知れない。二十メートル以上離れていた歩兵戦闘車の砲塔が落ちキャタピラが外れ装甲が次々と外れあっという間に数百の部品に解体された。中には人間の肉片も混ざっている。90式戦車が動き出した。向けられる砲塔に対し、憲法は短剣を持った右手で手招きしてみせた。轟音、そして光の飛散。百二十ミリ滑腔砲によって撃ち出された砲弾は爆発する暇も与えられず一センチ角に分解されたのだ。そして戦車が解体される。テレビ局周辺はバラバラの肉塊で満ち、昨日の三森銀行と同じ運命を辿りつつある。野次馬の大半は逃げ出したが恐怖のあまり立ち竦んでいる者もいた。仲間に引っ張られてよろけながら逃げる少年もいる。少数ながら、この殺戮に歓声を上げる者もいた。そのうちの一人は混乱した兵士によって射殺された。機動隊は盾を持ったまま呆然としているか頭を抱えて蹲るだけだ。自衛隊の兵器が鉄屑に変わっていく。兵士達が銃を捨てて逃げていく。「退却っ退却だっ」叫ぶ上官の顔から顎が切れて落ちる。次は額から上が飛ぶ。四輌目の戦車が解体された。戦闘ヘリ・ヒューイコブラが上空で迷っている。また憲法が手招きした。七十ミリロケット弾も二十ミリ機関砲も使われぬまま、結局ヘリは空中分解して落ちた。すっ飛んだプロペラが警官七人を粉微塵にした。別の戦闘ヘリも報道ヘリも急いで距離を取った。

「クヒャヒャ、ヒャ、あ、そうそう」

 笑いながら半径五十メートルの殺戮を続けていた憲法が急に野次馬達の方へ引き返してきた。

「俺に自衛隊を殺せって言った奴がいただろう。どいつだ。まだ残ってるか」

 野次馬は既に数十人になっていた。そのうち、腰を抜かして動けない若者が突っ立っている一人の男を指差して「あわわ」と言った。

「こいつか」

 憲法の問いに、腰を抜かした男は「あううあ」と頷いた。他局のカメラマンが一人、膝をガクガクさせながらも撮影を続けていた。左の方では一般人でもデジタルビデオカメラを構えている勇者がいる。

 突っ立っている男は二十代前半であろう。目を瞠り口を半開きにして、男は調子に乗った一言の結果に直面させられていた。憲法が総理を吊ったまま近づいてくる。男の全身が小刻みに震え出す。

 目の前で立ち止まり、血糊のない綺麗な短剣を無造作に垂らして憲法第九条は男に告げた。

「いいかい、坊や。目上の人に物を頼む時はちゃんと敬語を使うんだぜ」

 男は返事が出来ない。全身の震えがひどくなり、今にも壊れてしまいそうだった。

 それを冷酷に見据え、憲法が促した。

「坊や、返事は」

「は、はい。はい」

 しゃがれた声で男が答えた。

「坊や、『はい』は一つでいいって教わらなかったかい」

 憲法が唇の端を歪めて意地悪く攻める。

「は、はい」

「よろしい。次からはちゃんと敬語を使えよ」

「はいっ」

「でも死ね」

 男の首が飛んだ。安堵しかけた表情が地面につく前に真っ二つに割れて脳が零れた。

「さて、続きを……」

 自衛隊の残りを探す憲法第九条に、レポーターらしき男が恐る恐る声をかけた。

「あの……け、憲法さん」

「何だい」

「スタジオでは、あなたが来ないなら勝手に始めようかと言ってますよ」

 記者の持つ携帯電話にテレビ画像が映っている。ずっとチェックしていたらしい。

「チィッ」

 憲法は舌打ちしてTTJの玄関へ走った。短剣が素早く背中の鞘に戻る。何も出来ず何もしなかった総理大臣がブラブラ揺れていた。

 

 

  四

 

 TTJのチャンネルに憲法第九条が現れたのは午後七時二分だった。凝固しているスタッフの間を抜けて舞台に上がる憲法第九条をカメラが追う。画面の右下には『緊急討論! モラルvs憲法第九条 彼らは何を目指しているのか』というテロップがついていた。

「よう、お待たせ」

 胸の『殺』の通りに大殺戮を済ませてきた憲法第九条が、右手を上げて気軽に言った。

 カメラが切り替わり、三人の男達が同時に画面に映し出された。いや、四人か。中央に車椅子の御坂草司。向かって右のソファーにモラルが座っている。そして憲法第九条が石村総理を離し、左のソファーにどっかと腰を下ろした。総理は床に落ち、這って逃げようとしたがその背中に憲法のスニーカーが乗って、彼は動けなくなった。死んだふりでもしているつもりなのか再び目を閉じた総理の顔がはっきりと映っている。スタッフがワイヤレスマイクを持って歩み寄る。憲法はあっさり受け取り自分でTシャツの首につけた。スタッフは緊張と震えのあまりセットから降りる時に転んだが、笑い声は起きなかった。

 司会者の御坂草司を挟んで、ロングコートで行儀良く座るモラルと、総理を足置きにしてふんぞり返る憲法第九条が対峙する。七、八メートルの距離があるのは一触即発を避けるためか。しかし二人がその気になれば距離は無意味だ。

「お前がモラルか」

 チューリップハットの天辺からコートの裾が絡む靴先まで値踏みするように観察し、憲法第九条が言った。

「君が憲法第九条か」

 相変わらず鬼面の上部を隠したまま、一呼吸置いてモラルが応じた。それでも相手が見えているのだろうか。彼はさっきからずっと左袖で側頭部を押さえていた。

 憲法第九条が気だるげに言う。

「意外に弱そうだな。噂のモラルがこんな痩せっぽっちの、風が吹きゃ倒れそうな奴だったとはな。でっかいリングでも作って全国中継でデスマッチとかも考えてたが、どうにも拍子抜けだぜ」

「神にでもなったつもりなのか。君は他人の命など何とも思っていないのだな」

 モラルの声には嫌悪感と怒りが滲んでいた。

「ハッ。気違いの殺人鬼に言われたくないね。自分が正しいと思い込んでやがる狂信者が」

 憲法第九条が唇の左端を曲げて嘲った。放送禁止用語が電子音でマスクされることはない。

 モラルが立ち上がりかけたその時、絶妙のタイミングで御坂草司が咳払いをした。動かぬ総理をどう思っているのか冷淡に一瞥し、プリント類の上に左手を置いて御坂は言った。

「まずは、自己紹介から始めましょうか」

 それでモラルが腰を戻した。

「私は司会を務めさせて頂きます、御坂草司です。少なくとも私が生きている間はよろしくお願いします」

 大真面目に皮肉を述べ、御坂は画面に向かって頭を下げた。モラルが無言で礼を返す。彼はまだ側頭部を揉んでいた。

「これからモラルと憲法第九条の公開討論を行う訳ですが、まずは二人の背景を知らねばなりません。交互にインタビューしながら核心に迫っていこうと思います。ではモラルから。一連の騒動の発端となったのは君だ。君は自分のことをモラルと呼んでいるが、本名ではないのだろう」

「はい。申し訳ありませんが、今は本名を明かすつもりはありません」

 左袖を頭から離して姿勢を正し、モラルは答えた。鬼の面のため口が動くところは見えない。

「モラルという呼び名を選んだのはどういう理由で」

「そのままの意味です。今の社会のモラルをなんとかしたいと思ったので」

「今の社会のモラルは腐っていると」

「少なくとも、このままではいけないと思っています」

「君の服装にも何か意味があるのかな。それとも君の好みなのか」

「好みというか、目立つように奇抜なものを考えました。でもあまりかっこつけたくはなかったものですから」

「なるほど、確かに奇抜な服装だね」

 御坂はニコリともせず言った。憲法第九条はニヤつきながら見守っている。カメラが個人にズームすることは殆どなく、常に三人が同時に映っている。いつ何が起こるか分からないためだろう。

「君の正体について、世間では宇宙人説も囁かれているようだ。可能な範囲で教えてくれないか」

「私は……人間で、日本人で、男です。宇宙人でも幽霊でもありませんし、神でもありません」

 最後の台詞はインターネット上でモラルを神と崇める向きに留意したものだろう。

「君は両手を凶器に変えたり体の厚みをなくして何処にでも出入りしたり、高速で空を飛ぶ超能力を持っているようだ。それらの力は生まれつきのものか」

「いいえ、違います。この力が現れたのは二ヶ月ほど前です」

「何かきっかけはあったのかな。どういった経緯で君はその力を手に入れた」

「それは言えません。申し訳ありません」

 軽く頷いてから御坂草司は憲法第九条に顔を向けた。

「それでは、憲法第九条、君の番だ」

「ほいほい、何でも聞いてくれ」

 嬉しそうに憲法が応じる。

「最初に一つ言わせてもらうが、自分の番が後だということで君が怒り出さないのが少し意外だった」

 御坂は皮肉でなく本当にそう思っているようだった。自分の片手片足を奪った男に対し彼は恨みも怯えも見せない。

「まだ始まったばかりだろ。俺が本気になったらすぐ終わっちまうから抑えてんのさ。こんなイベントはじっくり楽しまねえとな」

 憲法第九条は気楽に言った。

「公開討論という私の提案を、君はどうして引き受ける気になった」

「殺人鬼同士が面突き合わせて言葉で戦うってのも妙な感じで面白いかな、と思ったからさ」

 憲法は自身のことも殺人鬼と呼んだ。

「憲法第九条というのは勿論本名ではないと思うが、どうしてこの名を選んだのかね」

「さあねえ。まあなんとなくなんだが、敢えて理由を挙げるなら、有名無実なとことか、無意味なとこが気に入ってるのかな」

 憲法はニヤニヤしながら疎らな顎髭を撫でた。

「いや、ひょっとすると俺が平和主義者だからかも知れねえな」

 突っ込みを入れる者はいなかった。モラルは両袖でこめかみを帽子の上からマッサージしている。頭が痛いのか、それとも精神統一しようとしているのか。

 御坂が質問を続けた。

「君は自分の素顔を全国に晒している。警察も必死に君の正体を探っているが今のところ何も分かっていないようだ。何かヒントをくれないか」

「正体がどうたらなんてことより、ありのままの俺を受け入れて欲しいもんだね」

「君の尖った歯は生まれつきのものか」

 指摘されて憲法はニッと笑って自慢の歯を見せつけた。

「猛獣だからね。獲物の肉を食いちぎるのが大好きなんだ」

「君は飛んでくる弾丸を切って落とせるようだが、人間業とは思えない。どんな修行で手に入れたものなのか。それとも、君の持っているその短剣と関係があるのかね」

「ん。こいつのことか」

 憲法は背中に挿してあった短剣を取り出して鞘から抜いた。スタッフの緊張する気配が画面からも伝わってくる。しかし彼はミラーフィニッシュの美しいブレードを現した後、静かに鞘へ戻した。柄が王冠をかぶった髑髏、ヒルトが両腕、そして鞘が胴と両足に相当する、見事な彫金細工をカメラに見せつける。自慢の凶器に向ける憲法の眼差しは陶然としていた。試しに誰かを斬りかねない雰囲気がある。

「こいつはスケルトン・キングっていう俺の愛剣だ。五十メートルくらいは余裕で伸びるし何でも切れるが、俺にしか使いこなせねえ。弾を落とすのは、まあ、反射神経だな。お前らが幾ら修行したって無理だから諦めろよ」

 憲法はカメラに向かって言った。愛剣スケルトン・キングは誰の血を吸うこともなく持ち主の背中に戻った。スタッフの安堵の気配。

「すると君の能力は生来のものだと」

「その辺はもういいだろ。謎が多い方が面白いからな」

 御坂は憲法第九条からモラルへ視線を巡らせ、また憲法へと戻した。

「私は君達のような力を持った者を他に知らない。歴史上には特殊な力を持った人物や奇跡を起こした人物の記録や伝説が残っているが、少なくとも現代に実在する超人は君達だけだ。この短期間に立て続けに二人も現れたのは何か因縁めいたものを感じる。君達は互いに無関係なのか」

「無関係です」

「ははっ、知らねえよこんな奴」

 モラルと憲法が同時に断言した。御坂が更に問う。

「互いの正体に心当たりは」

「さあな。政府の秘密研究施設を抜け出した実験生物とかじゃねえの。ってのは冗談だが」

 憲法の目を細めた微笑は優越感を含んでいた。

「まあ、心当たりはないこともないんだが、黙っとこう。これ以上ハンデがついてもつまらんしな」

「私もずっと気になっていた。君は、本当に、憲法第九条なのか」

 モラルの問いに憲法も怪訝な顔を見せた。

「どういう意味だ」

「おかしい。姿は見えるのに……」

「何だ。はっきり言えよ」

「君はそこに、存在しているのか」

「ああ。何だそりゃ」

 憲法の眉間に皺が寄る。御坂はそんな憲法の様子を観察している。

「おかしい。人間じゃない……」

 モラルはまたこめかみ辺りを揉み始めた。憲法は不機嫌な顔のままだ。

「すみません。何も分かりません」

 モラルが謝った相手は御坂だった。御坂草司は表情を変えずに続けた。

「次に、この公開討論において最も重要な質問をしたい。君達の目的は何だ」

 即答したのは憲法第九条だった。

「そこのモラルとかいう変態をぶち殺すことだな」

 少し遅れてモラルが答えた。

「社会を正すことです」

 御坂はまずモラルの方を向いた。

「ではモラル、順序としては君からになるだろう。君の言動は登場時から一貫しており名前からも目的を推測しやすいが、君が何を目指しているのか、自分の口でもう少し詳しく語ってくれないか」

「そうですね……。社会は大小様々なルールで成り立っている訳ですけれど、現代はそのルールが破られることがあまりにも多くなったと思います。皆がやっているから、大したことじゃないから、別に犯罪じゃないから、どうせ重い罪にはならないから、ばれなければいい。色々と勝手な理由をつけてルールを破り、ペナルティを払わない。結果として、ルールを守っている真面目な人達が損をする訳でしょう。それどころか、行列の割り込みを注意して、逆上した相手に殺されることもあります。会社の不正を告発した者が上司や同僚から嫌がらせを受けて結局仕事を辞めざるを得なくなることもあります。私が目指しているのは、正しいことをする人が嫌な思いをしなくて済む社会です。そのために私は、ルール違反に対する抑止力になろうと思ったのです」

 チューリップハットと鬼面で表情を隠したまま、モラルは淡々と自分の信念を語った。

「そのためにルール違反者に制裁を加えてきたと」

「そうです」

 御坂が手元の資料に目を落とした。

「君が起こした最初の事件は九月三十日のものだ。JR東海道本線の列車内で、優先席に座っていた高校生一人を殺し二人の足を切断している。それから一ヶ月経ったが、これまでに自分が何人殺したか把握しているかね」

「四百六十七人です。負傷者は二千人を超えると思います。数えていた訳ではなく、新聞からの知識ですが」

「君にとってはルール違反者にペナルティを与える行為だろうが、お年寄りに席を譲らなかったことが死刑に値する罪だと君は思うのかな。神奈川の強姦魔に対しては一人は去勢されただけで生き延びている。お年寄りに席を譲らないことは強姦より重い罪だと」

「いいえ、そうは思っていません」

 モラルに続きを言わせず御坂が畳みかけた。

「また、同じルール違反でもペナルティに差があるのはどういうことだろう。優先席の事件でも強姦魔の事件でも、大怪我で済んだ者もいれば死んだ者もいる。罰の軽重を恣意的に決めていると言われても仕方がないのではないかな。また、君の活動範囲は日本全国にわたってはいるが、小さなルール違反というものは毎日無数に発生している。しかし違反者全員が君によって罰せられている訳でもなく、つまり君に出くわすかどうかは運次第ということになる。被害者はスピード違反で切符を切られたのと同じ心理になりはしないだろうか。皆もやっているのに自分だけが罰せられた、自分は運が悪かっただけなのだと。それは規律を守る生き方には結びつかず、君への恨みを募らせるだけなのでは。その辺りのことを君はどう考えている」

 御坂草司の質問は抉り込むように鋭いものだった。視聴者はどちらかといえば御坂はモラルに味方している、いやするべきだと考えていたかも知れない。だが御坂は司会者として問題点を明確にすべく双方に全力を尽くすつもりらしい。憲法も少し意外そうに見守っていた。

 袖で側頭部を揉みながら、二十秒ほどの沈黙の後、モラルが答えた。

「私が行う制裁の程度に関しては、確かに明確な基準というものはありません。ただし、相手の内面を窺いながらどのような対応にするかを考えています。私はまず相手に話をします。相手のやっているルール違反を指摘して糾弾します。その時、相手の心に何が浮かぶか……開き直りや怒りとなるのか、それとも僅かでも罪悪感を抱くことになるのか。私はそれで判断します」

「君は人の心が読めるのか」

 御坂が微かに目を細めた。自分の心が読まれるというのは気持ちの良いものではない。

「全てではありません。思考と感情、人物に関する情報がどの程度読み取れるかはその時によってまちまちです。ただ、彼については全く読めません。だから不思議なんです」

 モラルが片袖で指した先に憲法がいた。御坂の視線を受け、憲法が肩を竦めお手上げのポーズをしてみせる。

 モラルは続けた。

「相手の心を読んで大体の方針を決めますが、恣意的にやっていると言われても仕方がありません。それに、確かに被害者にとっては運次第と思われるかも知れません。違反者全員に関わることが理想でしたが、私にはとてもそれだけの力はありません。ですから目的を達成するためには過激で人を恐れさせる方法を使わざるを得ませんでした。こんな些細なルール違反で、万が一にでもこんなひどい目に合わされるとすると割に合わないから違反はやめておこう。そう思ってもらいたかったのです。……つまり、私は彼らに正当なペナルティを与えている訳ではありません。私は彼らを見せしめとして使ったのです」

 スタジオが少しざわついていた。所謂『善』や『正義』を志向する者にとって、見せしめという表現は決して使うべきでない言葉に思われたのだ。

「皆さんが嫌悪感を抱いたことは分かっています。私は弁解するつもりはありません」

「君は、自分が悪であることを認めるのか」

 御坂が問うた。

「はい。私は社会のルールを破った者に制裁を加えてきましたが、私の行為自体が法律を破っていることも自覚しています。それでも必要だと思ったから実行したまでです」

「必要であればルールを破っても良いと」

 御坂は感情を込めず確認する。

「良いとは言っていません。ただ逆に、私は皆さんにお聞きしてみたいのです。テレビの前にいる国民の皆さんに。どうすれば今のこの社会を良く出来るのでしょうか。他に効果的な方法があれば教えて頂きたい。今の社会が何処かおかしいと感じている人は多いと思います。正直者が被害を受ける理不尽に悩む人も多いでしょう。社会を何とかしようと試みた人もいた筈です。それでも社会は変わっていません。だから私は行動を起こすことにしたのです」

「効果的な方法はあるぜ」

 黙って聞いていた憲法第九条が片手を軽く挙げて言った。

「人類を絶滅させちまえば万事解決だ。誰も悩んだり苦しんだりせずに済む」

 憲法はニヤケ顔だったがもしかすると本気だったかも知れない。御坂が冷静に突っ込んだ。

「絶滅する人類に君も含まれているのかな」

「いや、俺は御免だね」

「人類も絶滅は希望しないと思うが。ここまでのモラルの主張に対する君の意見を聞きたい」

「そうだな……。実に馬鹿馬鹿しい問答だったが、取り敢えず一つ指摘してやるか。なあ、モラル。正義の殺人は楽しいだろ」

 憲法の言葉にモラルの細い肩がピクリと動いた。

「楽しいよな。何しろ相手はルールを破った悪人だ。悪人相手ならどんな残虐な罰を与えたって許される。罪悪感要らずの正義の殺人を、思う存分堪能出来るって訳だ。お前の言ってることは上っ面で凄え嘘臭いんだよ。お題目を盾にして自分の欲望を満足させてるだけだろ。ええ、この偽善者が」

 憲法の歪んだ唇は笑っているようでもあり怒っているようでもあった。対するモラルの声が少し震えていたのは怒りのためか、それとも怯えのためか。

「許されるとは思っていないし君ほどに楽しんではいない」

「つまり、それなりに楽しんでるって訳だ」

 意地悪く憲法が言った。彼の足の下の石村総理は死んだふりを続けている。誰も総理に言及しないまま議論は進んでいく。

「もう少しモラルに質問をさせてもらおう」

 御坂が資料を左手でめくった。

「十月二十四日に鳥取の米子市で起きた事件を君も知っているだろう。十六才から十九才の少年四人が五十二才のホームレスの男性に集団暴行を加えて死亡させた。ペンチで両手の指を切り落とし、アイスピックで全身を百回以上刺し貫き、最後は灯油をかけて火を点け焼死させたものだ。警察の取り調べで少年達はこのように言っている。被害者は煙草のポイ捨てをしたから罰した、俺達は腐った社会を良くするためにやったんだ、モラルだってやっているじゃないか、とね。君は悪例を作った。今後もこのような便乗犯は増えていくだろう。これについて君はどう考えている」

 人の心が読めるならば、御坂がこの厳しい問いを投げることも或いは分かっていたかも知れない。だがモラルは灰色のチューリップハットを俯かせたまま暫く動かなかった。これまでで一番長い沈黙だった。

 そしてモラルは答えた。

「少年達は法律によって罰を受けることになるでしょう。彼らが本当に社会を正すつもりで殺人を行ったのか、それとも歪んだ欲望を満たすための言い訳にしたのか私には分かりません。ただ、彼らも社会のルールを破ったのであり、相応の罰を受ける義務があります。それは私についても同じことです」

「君自身も罰を受ける意志があるということかな。司法に身を委ねるとすれば、五百人近くを惨殺した君には死刑以外あり得ないだろう。その覚悟があると」

 御坂の言葉にモラルは頷いた。

「はい。でも普通の絞首刑では足りないでしょう。私が他人に行ってきた残酷な仕打ちと同等かそれ以上のものを、私は受ける義務があるでしょうから。私の真似をして誰かを過剰に罰したい人がいるなら、それだけの覚悟を持つべきだと思います」

「捨て身でやっているということか」

 御坂草司が小さく嘆息した。

「しかし、今の法律で君を絞首刑以上の刑罰に処することは出来ないだろう。どのように自分を罰してもらうつもりかね」

「方法は幾つかあるでしょう。テレビで公開処刑という選択肢もあります。本当は抑止力を保つためにひっそりとフェイドアウトしていくつもりでしたが、便乗犯が現れてしまったからには私の末路も明確に示しておく必要があるでしょう。処刑の実行者については私に復讐したがっている人も大勢いると思いますし、そうでなければ自分で自分を処刑することになるかも知れません」

 静かに宣言するモラルに、憲法第九条がわざとらしく告げた。

「俺が手伝ってやろうか。今は殊勝なこと言ってるがいざとなったらバックレるかも知れねえだろ。お偉い理想を吐き終えたところでそろそろ百分割てのはどうだ。それとも微塵切りくらいがいいか」

「死ぬのは君の後にするよ」

 モラルの返事に憲法の表情が止まった。御坂の体が僅かに強張るのが見て取れた。モラルは微動だにしない。

 やがて、憲法第九条が低い声で笑い始めた。

「クク。自信満々じゃねえか。クク、ク、ケケ。クケ。クヒャ、ヒャ」

 番組終了の危機を回避すべく、タイミングを計って御坂が続きを切り出そうとした。

「次に」

 瞬間、憲法第九条の上体がぶれた。銀光の閃き。ガインッ、と金属のぶつかり合うような音がした。「うおっ」とスタジオの誰かが声を上げた。

 音は一度だけで、憲法は短剣を背中の鞘に戻すところだった。モラルは動いていない。間にいる御坂は真剣な視線を二人の魔人に往復させている。

「ふうん。意外に硬いな」

 憲法第九条が言った。

 モラルは無言だった。

 灰色のチューリップハットの天辺に、うっすらと、赤い色が、滲み始めた。

 赤い点であったものが前後に伸びていき、二十センチほどの線となった。少しずつ、赤い線が太くなっていく。

「大丈夫か」

 御坂がモラルに尋ねた。

「大丈夫です」

 モラルはすぐに答えた。声音に乱れはない。その時、チューリップハットの鍔先から血の雫がポタリと落ちた。憲法の足の下の総理が薄目を開けてモラルの様子を確認し、すぐに目を閉じた。

 モラルが倒れないことを見届けてから御坂が憲法の方を向いた。彼の行為を責めることはしない。既に法を超越している二人なのだ。

「では憲法第九条、君への質問に移らせてもらおう。君はモラルを殺すことが目的と言った。その理由は昨日聞いたな。モラルばかりが目立って騒がれてムカつくということと、祭りに参加しないと勿体ないということと、調子に乗っている者を殺すのが好きだということ。それと、石村総理がモラルの件で国民に責められて可哀相だから。それで良かったかな」

「まあ、いいんじゃない。そんなとこで」

 ソファーにふんぞり返って憲法が答える。

 画面の右では奇妙なことが起こっていた。血の滲むモラルのチューリップハット。その裂けた布地が独りでに閉じ、血の色が薄れて元の灰色に戻っていく。ただし、大画面で観ていた視聴者は気づいたかも知れないが、床の染みは消えていなかった。

 御坂は資料をめくる。

「君の目撃情報は意外に古くからあるようだ。現在までにうちへ寄せられた情報は八百四十件で、真偽については不明だが六年前に君を見たという話もある。君に軟派され首相官邸をラブホテル代わりに使ったという女性からの情報が六件。三、四年前に皇居から出てくるのを見たという情報もある。四年前にニューヨーク観光中、君に強盗から助けてもらったという東北の男性の話もある。また、一人の女性は富士の樹海で遭難した際に君に助けられたと言っている。君もたまには人助けをしているようだな」

「一日一悪をモットーにしてる訳でもないからな。気分次第って奴だ」

「だが多いのは犯罪の情報だ。不法侵入に無銭飲食、帝国ホテルのスイートを一ヶ月以上使っていた時は結局政府が料金を負担したそうだね。二年前、新宿の裏通りで金銭目的に君を襲撃した五人の若者が体をバラバラにされて殺されている。警察は目撃者の証言を信じなかったようだ。三年前の沖縄では酔っ払って絡んだ米兵三人が殺されている。寄せられた情報全てが真実としても犠牲者は合計五十六名。打って変わって君が昨日の三森銀行前で殺した人数は現時点で千百三十七人前後と推定されている。今日も数百人は殺したようだな。この二日間と、それ以前の違いは何だろう。どうして君は突然、大規模な殺戮に走ったのか」

 今、TTJ局の周囲では警察が死体の片づけに大わらわだろう。しかしスタジオ内は逆に冷たい静寂で満ちている。誰かの呻き声以外は。

「まあ、確かにこんだけ殺したのは日本じゃ初めてかな。アフリカの何て国か忘れちまったが、内戦やってたところにお邪魔して何万人か試し斬りしたことはあるが、飽きちまってそれきりだったな。日本語以外分かんねえから外国はつまらねえんだ。英語とかペラペラみたいに見えるだろ、俺」

 話の脱線に気づいたのか軽く咳払いして憲法は続ける。

「暫く自粛してたのは……そうだなあ、俺なりに、遠慮してたんだろうなあ。強過ぎるのも困りものでね。子羊共の中に人間が独り混じってるような心境さ。弱い者いじめが気の毒になっちまう。ところが、モラルなんて奴が出てきて超能力でバンバン人殺しを始めた。あいつがやってるんだから俺もいいだろってことで、ちょっと頑張り始めた訳だ」

「殺戮を再開したのはモラルの登場がきっかけだと」

「そういうことだ。つまり俺の殺した分はこいつの責任でもある訳だ」

 当のモラルは両袖でこめかみを押さえて俯いたままだ。

 モラルが反論しないので御坂が質問を進めた。

「君がこの二日間で殺した人達は、ただ偶然その場に居合わせた者や、自分の職務を果たすために勇気を出して留まった者が多く含まれている。また、騒ぎを見物に来た者達も、殺されなければいけないようなことはやっていない筈だ。君は自らの殺戮行為をどう思っているのか」

「どうってのは。いや別に、どうってことはねえが」

 憲法はわざとらしく頭を掻いた。

「罪悪感を覚えることはないのか。他人の人生を勝手に終わらせることに」

「別にないな。人間なんて放っておいてもいつか死ぬもんだし、それが早いか遅いかだけだろ。そもそも、原始時代から互いに殺し合ってきた生き物だぜ。歴史では何百万人虐殺したとかざらだろ。俺が千人や二千人殺したって大した違いはねえやな」

 憲法第九条の態度からは一片の言い訳がましさも引け目も感じられなかった。

「殺すだけなら首を切断するだけで済む。だが乳児を賽の目切りにしたことを始め、君は被害者の体に過剰な攻撃を加えている。何が君をそこまでさせるのだろう」

「何がって言われてもね。なんとなく、かな。あんまりそういうことを細かく考えねえんだよ」

 憲法は顎を撫でて沈思ポーズを取る。

「そうだな……。この神の腕がいけないんだよな。こう、首を刎ねるだろ。でも死体がぶっ倒れるまでは時間がかかる。まあお前らにとっては一瞬かも知れねえが、俺には欠伸が出そうなほど長い時間だ。愛剣も俺の腕もまだ往復する余裕がある。俺は退屈だ。仕方ない、もう一回切っとくか。おや、まだ時間が余ってる。参ったな。暇潰しにもう一回切っとこう。ああっ、まだ時間がある。面倒臭えけどもう一回。そんな感じかな」

 憲法は右の手刀で宙を切る動作を見せて説明した。

「おっと、もう一つあるな。首を刎ねるだけより、色々やってみせた方が視聴者も楽しめるだろ」

「……。被害者の受ける苦痛について考えたことは」

「大丈夫、大概即死だからな。それに、これが一番大事なとこだが、幾ら他人を切り刻んだって、俺の方は痛くも何ともねえんだ」

 スタジオ内で誰かが嘔吐しているような音が聞こえていた。御坂草司は嫌悪感を顔に出すことなく冷徹な質問者に徹していた。

「法律を破ることについては。社会のルールというものを君はどのように考えている」

「ルールね。ああいう弱者同士の取り決めは俺には関係ねえな。大体、モラルちゃんが言ってた通り、破ってる奴ばっかりだろ。他人には守らせといて自分は破る。これがベストかな」

「ルールとは他者への牽制でしかないと」

「だからさあ、俺はあんまり小難しいことは嫌いなんだよ。もっと本能とか直感に従って生きてる訳さ。お前ら弱者にはお勧めしないがね」

 憲法の態度は自分以外の全員を見下していた。

 御坂がモラルの方を向いた。

「モラル、今の発言を君はどう思う」

 モラルは動かなかった。強く押しつけた両袖がチューリップハットを変形させている。頭にめり込んでしまいそうなほどに。

「モラル。大丈夫か。モラル」

 御坂の声が大きくなった。

「は、はい」

 それでやっとモラルが顔を上げた。相変わらずの鬼面だが。

「大丈夫かね」

「はい、すみません。大丈夫です」

 居眠りしていたような声ではなく、苦痛の滲む重い声だった。どう判断したか御坂はモラルに質問することをやめ憲法に視線を戻した。

「社会のルールを破った者は罰を受ける義務があり、自分も罰を受ける覚悟があるとモラルは言った。君はどうだ。君は自分の行った殺戮について、罰を受ける覚悟はあるのか。或いは報いや責任という言葉を使うべきかも知れないが」

 憲法はまた肩を竦め、軽い溜息をついた。

「お前らはつくづく罪とか罰とか覚悟とか責任とか、架空のもので遊ぶのが好きだよな。俺はリアリストでね、人間の作ったそういうファンタジーは信じないんだ」

「それらの概念がファンタジーだと」

「元々生き物ってのは本能で動いてるだけだろ。芋虫に罪とか罰とかあるかよ。お前らが食ってる豚には権利も義務もねえぜ。ただ生きる。死ぬ。それだけだ。生命の尊厳なんて人間が勝手に作った幻さ。人の命が地球より重いなんてたわ言を抜かした奴がいるが、一人の命が地球より重かったら六十億人分をどうやって支えてんだ。アホか。やりたいことをやる。それだけだ。お前らも同じさ。小難しい論理でかっこつけてるが、実際は自分の欲のために動いてるだけだろ」

 憲法の口調には憎悪が滲んでいた。何への憎悪か。偽善への憎悪なのか。だが悪に偽善を憎む権利はあるのか。

「では、結局、君が今やりたいことは何だ」

 御坂草司が聞いた。

「娯楽だ」

 憲法第九条が答えた。

「面白いことがやりてえな。面白くモラルを殺し、国民を楽しませる。それを俺が楽しむ。ワオ、素晴らしい」

 憲法は大袈裟に両腕を広げてみせた。

 モラルが唐突に右袖を高く上げた。御坂の怪訝な表情はやがて得心の苦笑に変わる。

「モラル、意見がありそうだな」

 真面目な生徒が教師に対してするように、モラルは発言許可を求めていたのだった。

「はい。この男の言うように、罪も義務も尊厳も架空のものかも知れません。ルールも正義も、理想の社会などもただの幻想かも知れない。しかし、多くの人々の中にそれらを求める気持ちが存在することだけは確かなのです。その気持ちに従って私は行動するし、人々も努力していくでしょう。幻を真実にするために人は生きている。君が社会や人の命をどうでもいいと思っているのなら、社会にとっても君は必要ないということだ」

 最後の言葉は憲法に向けられていた。

 怒り出すかと思われた憲法は、逆に口の両端を吊り上げていき、ニタリと嫌な笑みを見せた。

「俺が社会にとって必要ないか。さあて、そいつはどうだろうな。おいおっさん、今視聴率はどんくらいだ」

 画面の外に目を向け憲法が問う。やがて渋みのある声が「九十三.二パーセントだ」と答えた。憲法が口笛を吹いてちょっとした驚きを示した。

「ほう、そいつは凄え。だがな、その大勢の視聴者が何を期待してこの番組を観てると思う。間違っても日本の治安を憂いてとか道徳の未来を考えてとかじゃねえぜ。国民が観たがっているのは、憲法第九条とモラルの血みどろの殺し合いだ。他人の不幸をこいつらは面白がって観てる。自衛隊を殺せと叫んだガキみたいに、殺戮エンターテインメントを期待しているのさ。これぞ人間の本能って奴だ」

 派手な手振りを交えながら憲法が画面に話しかけた。声が次第に大きくなってくる。

 御坂が言った。

「視聴者が何を期待していたかについては近くアンケートを取ることにしよう」

「なあ、つまらねえ話ばかりで皆退屈してんじゃねえのか。そろそろ面白いことをやって楽しませてやろうじゃねえか。例えばこの足置きなんかどうだ」

 憲法にグイグイ踏みつけられ、石村総理が声を洩らすまいと目を閉じたまま必死の形相になった。

「ただの足置きだろう」

 御坂がそっけなく断じた。

「おやおや、ひどいこと言われてるな、セイちゃん。モラルよ、この可哀相な足置きに何か言ってやってくれや」

「その男はクズだ」

 モラルは即答した。

「少なくとも一国の指導者たる者が、こんな状況で一言も喋らず身動きもせず、嵐の過ぎ去るのを待つような情けない真似をする筈がない。目の前で国民が虐殺されているのに黙っているような者に、総理大臣と呼ばれる資格はない」

「ふうん。セイちゃん、ご意見は。何か言ってみなよ」

 憲法が総理を蹴転がして仰向けにした。石村誠三総理大臣は仕方なく目を開けた。しかしその瞳は国の指導者の威厳に満ちたものではなく、主人の顔色を窺う怯えた犬のものだった。何か喋り始めたが小声のため聞こえない。

「セイちゃん、声が小さいぜ。おい、マイク」

 憲法がスタッフに促し、男性スタッフが急いでワイヤレスマイクを持って上がる。相手の承諾を得ずに病衣の襟に取りつけた。

 石村総理は改めて、御坂とモラルに血走った目を向け言った。

「君達は状況を理解していない。憲法第九条に逆らえる者はいないのだ。命が惜しければ彼を刺激せず大人しくしているしかない」

「総理、あなたは命が惜しいのですか。国を背負うべき者が、何よりも自分の命が大事だと」

 御坂は形式的に敬語を使っていた。

「わ、私に何が出来るというのかね。殺戮をやめてくれと叫び、土下座して哀願し、殺される。それに何の意味が。私には別にやるべきことが残っている。政治改革に経済の立て直し、それらは皆国のため、国民のためだ」

 総理は言い訳がましくなった。

「あなたがここで死んだふりをしていたことは全く国のためにならないと思いますがね。諦めて何もしない日本国総理大臣の姿をあなたは全国民の目に晒したのですよ。折角なので質問があります。総理、あなたと憲法第九条の関係は」

「どういう関係もない。彼はただの居候だ」

「居候とは」

「彼は、十年ほど前から首相官邸を別荘代わりにしているのだ。不定期で、毎日という訳ではない。前の首相の時もその前も、彼は官邸にいたのだ。分かるだろう、総理だろうが何だろうが彼に逆らえるものではない」

「だから憲法第九条の存在を黙認してきたということですか。彼の殺人も揉み消してきた」

「そうだ。総理は代々そうしてきたのだ。下手に刺激さえしなければそれほど問題にはならなかった。日本でこんな大勢の被害者が出たのは初めての事態だ」

「昨日の時点で憲法第九条の存在を公表すべきだったのでは。そうしていれば自衛隊が虐殺されることもなく、あなたがここに連れてこられることもなかったかも知れない」

「言っただろう。下手に刺激すべきではないと。私が先に発表していれば昨日のうちに殺されていただろう。それに、ただの居候だと言っても国民が信じるかね。信じたとしても、今度は政府の無力を責め立てるだろう。モラルについてそうだったようにね。憲法第九条の力を見ただろう。警察に何が出来るというのかね。自衛隊だって敵う筈がないのだ。人間の力ではどうにもならない相手は存在するのだよ。それでも国民は非難するだろう。政治家の苦労も知らないでね。国民とは責任を他人に負わせて非難するだけの生き物なのだ」

 絶望的な状況に石村総理は精神の均衡を欠いてきたようだった。温厚で通っている彼が決して口にしなかった言葉を吐いている。

 そんな総理を足に敷き、憲法第九条は微笑を浮かべ腕を組んでいる。総理を見下ろす瞳は優越感に満ちていた。彼にとって怖れられることは称えられることと同義なのだろうか。或いは単に情けない総理大臣の姿を嘲笑しているのかも知れない。

 そして、御坂草司はパンドラの箱を開けた。

「総理、スタジオを爆破しようとしたのはあなたの指示ですか」

 総理の表情が凍りついた。憲法の眉がひそめられ、すぐに上げられる。

「な、何を……何を、言っている」

「番組の開始前に自衛隊員の一人がスタジオ真下の控え室に大量のプラスチック爆弾を仕掛けようとしていたのですよ。もしかすると自衛隊員ではないかも知れません。私達ごと憲法第九条とモラルを始末するつもりだったようですが、事前にモラルが発見して取り押さえました。実行犯はそこにいます」

 御坂が左手で指差した。総理の視線が追い、憲法が振り返った。画面が切り替わってスタジオ隅に横たわる男を映した。自衛隊の制服を着た手足のない男。切断された手足がそばにまとめられている。爆弾は運び去られたらしい。男は汗だくになって荒い呼吸と呻き声を続けていた。数名の兵士達が男を見守っている。救急隊も担架を持って到着していたが、男を運び出して良いものか迷っているようだった。

「ああ、あれか。モラルのショボいデモンストレーションだろうと思ってたぜ。そんな陰謀があったとは驚きだ。まさか、爆弾なんかで俺様を殺せると、思っていたとはねえ。がっかりだよ、セーイ、ちゃー、ん」

 画面は正面に戻り、憲法の喋りが次第に猫撫で声に変わっていった。

 石村総理の体が激しく震え出した。

「ち、違う。私じゃない。そんなのは出任せだ。信じてくれ、君の力を知っている私がそんなことをする訳がないだろう」

 彼の弁明は視聴者でなく憲法第九条に向けられていた。モラルが告げた。

「石村総理、君は知っていた筈だ。期待はしていなかったがもし成功すれば儲けものと考えていた。失敗してもテロリストの犯行にするつもりだった。君は少なくとも、計画に同意した」

 総理に対しても君という言葉を使っていた。

「う、嘘だっデタラメだっ。こ、こいつは嘘つきだっ」

「嘘つきはお前だと思うけどなセイちゃん。計画を出したのは誰だ、モラル」

 憲法の問いにモラルは答えなかった。舌打ちして憲法が足に力を込めた。

「セイちゃん、計画者は誰だ」

 ミギッという音が微かに聞こえた。総理の肋骨が折れたらしい。汗塗れの顔を歪めて総理が叫ぶ。

「私じゃないっ蔵元だっ、幹事長の、それと笠置だっ私は反対したんだ、奴らが勝手に進めて」

「幹事長の蔵元史明と、石村派副リーダーの笠置将臣ですね。つまり総理、あなたの盟友達だ」

 御坂が補足する。スタジオが少しざわついていた。総理と有力政治家の大スキャンダルに対する興奮と、これから起こることへの怖れ。御坂の視線が画面横に動く。スタッフの指示が出たのだろうか。

「ふうん。そいつらも悪いが、セイちゃんも同罪だよね。こいつは立派な反逆罪だぜ」

 深みのある憲法の瞳が狂気を帯び始めた。総理の震えは益々激しくなっていた。血を見る予感にテレビの前の視聴者はどんな顔をしているのだろうか。

 だがモラルが水を差した。

「彼の処刑には反対だ」

 憲法どころか御坂までもが意外そうな表情になった。

「へえ、こりゃまた驚いた。違反者殺しまくりのモラルちゃんがテロリストの総理を庇うとはね」

「庇っているのではない。彼を正当な捜査に乗せるべきだと言っている」

 御坂がモラルに問うた。

「何故そう考える。そう言えば君は国会議員の記者会見に乱入したことがあったな。槙三郎議員と暴力団との黒い噂の件だ。この時も君は議員を傷つけなかった。どうして政治家と一般人とで対応が違うんだ。人はモデルを見て育つ。道徳の向上を目指すのなら上の立場の者から正すべきなのではないのか」

 言った後で自分の立場に気づいて御坂は付け足した。

「いや、私が総理の処刑を希望しているという訳ではないが」

 モラルは答えた。

「政治家の違法行為を私が罰しても抑止力にはならないからです。政治家は一人で悪を行っているのではありません。関係者やマスコミ、警察のうち、事実を知っている者が勇気を出して告発すれば済むことなんです。告発者が一人なら潰されるかも知れませんが、潰すのも政治家の指示を受けた他の誰かなんです。告発者が複数いれば、関係者全員が声を上げれば、そして彼らを周りが支えれば可能なことなんですよ。私がやるべきは皆の代わりに悪を罰することではなく、皆が悪を挫くのを手助けすることなんです。国民一人一人が行列の割り込みを注意し、未成年の喫煙を叱り、汚職を告発出来るようになって欲しいんです。一人一人が、間違いを正せる勇気を持ってほしい。私は、勇気を出して行動した彼らが殴られたり殺されたりしないように、少しでも抑止力になっておきたい。私がやっているのは、そういうことなんです」

「なるほど、君の言う抑止力とはそういう意味か」

 御坂が頷いたところに憲法第九条の不機嫌な声が割り込んだ。

「えー、もしもし。ご高説恐れ入りますが、そろそろこっちはこっちの都合で始めちゃってよろしいでしょうか」

 石村総理の震えは止まっていたがぐったりとしていた。彼の腹に憲法のスニーカーがめり込んでいる。内臓が破裂したかも知れない。

 御坂が言った。

「それには承諾出来ない。スタジオで総理が処刑されそれが放映されたとなれば局が潰されるだろう」

「心配するな。国会議員を全部殺しゃあTTJを潰そうとか言う奴もいねえだろ」

 憲法はとんでもないことをさらりと言った。彼ならやりかねない。

「改めて反対を表明する。それに……」

 モラルがチューリップハットの鍔に触れ、少しめくり上げた。赤い鬼の面が目元まで露出したが、目の穴の奥には闇しかなかった。彼は台詞の続きを憲法第九条に告げた。

「私は君が嫌いだ」

 憲法は怒らなかった。逆に彼は笑い出した。上体を反らせて大声で。

「ハハッ。ハッ。クク。ハハッ。クヘッ、ヘヒャッ、クヒャ。ヒャヒ、ケヒ」

 不気味な笑い声がスタジオを反響する。御坂の口元が僅かに強張っている。モラルは両袖を膝の上に軽く置いていた。石村総理の目が開いて、何か言いかけたが言葉にはならなかった。

「ケケ、ケヒャヒャ。ヒャッ」

 突然憲法が上体を乗り出して総理の体を掴み上げた。大きく口を開け総理の左肩に食らいつく。牙が病衣を破ってゾブリと肉に突き刺さる。「アヒイイッ」と総理が悲鳴を上げた。御坂は目を見開いてそれを見ている。同時に上がった別の悲鳴はスタッフのものか。

「やめろ」

 モラルが立ち上がった。上げた右袖から金属の棒が伸びた。先端だけが鋭く尖った、直径二十センチはありそうな太い槍状の凶器は一直線に憲法の顔面に向かっていた。

 チェイィーン、と、澄んだ響きが一度だけ、聞こえた。

 憲法第九条は血塗れの口で狂猛な笑みを浮かべていた。その右手で愛剣スケルトン・キングの美しいブレードが揺れている。

 五メートル以上伸びたモラルの槍が、半ばで断ち切られて跳ねていた。クルクルと空中で回転するうちに金属の光沢が失われ、小さく縮んでいく。床に落ちる頃には血の飛沫が散った。

 御坂草司の車椅子の近くに転がったものは、人間の、素手の、右手首だった。

「む、う……」

 モラルは呻いただけで悲鳴は上げなかった。残った方の金属棒はすぐに引き戻され、彼は左袖で自分の右手首を押さえていた。心拍に同期して噴き出す血液が床を汚していく。数瞬、彼の右腕がコートではなくスーツの袖に見えた。一部が裂けている。だがすぐに色が変わってコートに戻った。

「残念だったな。俺に切れないものはないんだよ」

 口の中の何かをクチャクチャ噛みながら憲法が告げた。総理の肩の肉がごっそりなくなっている。

「うーむ。まずいぜセイちゃん」

 憲法が肉を吐き捨てた。左手で総理の胸倉を掴み上げたまま、右手の短剣を振った。

 石村誠三総理の首から上が、消滅した。いや、彼の頭部は無数の細切れ肉となって周囲に飛び散ったのだ。スタッフの悲鳴。御坂の顔にも肉片がかかった。一センチ角に切られた脳味噌と頭蓋骨。総理の手足がビクビクと踊る。

「ほれ」

 憲法が総理の胴体を真上に投げた。金属がひしゃげガラスの割れる音。天井の照明に死体が激突したらしい。

 ガラスの破片と共に総理の死体が落ちてくる。銀光が煌いた。総理が床にぶつかった。その瞬間死体が分解した。手足は肘から手首、指まで全ての関節部で切断されていた。胴体が縦に二つに割れてガパッと開き、内臓をさらけ出した。胴が開く前にどうやって済ませたのか、小腸は既に数センチごとに切られ焼肉のホルモンに使えそうな状態だった。肝臓も生レバー様に切り分けられている。転がり出した心臓が最後の拍動を見せ、大血管の断面以外の場所からも血を噴き出した。そして数十枚の短冊となって崩れ落ちた。病衣の襟についたワイヤレスマイクだけは何故か無事だった。

 モラルが何も言わず、鬼面を憲法に向けている。右手首から左袖を離す。出血が止まっている。血で染まっていたコートが元に戻り、右袖の長さも復活していた。袖の折れ曲がった箇所はまだ中に手があるように見える。

「治ったように見せてるだけだろ。お前の右手はまだそこに転がってるもんな」

 短剣を片手に立ち、憲法が言った。『殺』の黒いTシャツもジーパンも、一滴も返り血を浴びていない。

 モラルは答えなかった。答える余裕がないのかも知れない。

「こんなものを見て、視聴者が喜ぶと思っているのか」

 御坂草司が聞いた。彼の低い声音には怒りが篭っていた。血と肉片で汚れた眼鏡を彼は左手で外した。彼の体も車椅子も同じように汚れている。

「ああ、喜ぶね。大抵の国民は録画してるだろうが、そのビデオは家宝になっちまうだろうな。あ、今はDVDかな」

「私はそうは思わない。国民は君のような猟奇趣味ではない」

「ハッ。お前らは人間なんぞに何を期待してるんだよ。太古の昔から何も進歩しちゃいねえ。口では綺麗ごと言いながら裏では自分のことしか考えちゃいねえのさ。他人の不幸は蜜の味って言うだろ。俺を応援してる奴らは正直なだけましだぜ」

 憲法は吐き捨てるように言った。

「何がモラルの復権だ。全部無駄なんだよ。存在するのはエンターテインメントだけだ。ピエロになって精々楽しませてやるよ」

「それは違う」

 モラルが声を絞り出した。

「人間に良心がなければ、こんなに苦しんだりはしない。ほんの少しでも善良な人が存在する限り、いや、少しでもそんな人を増やすために、私は戦い続ける」

「今死ぬのにか」

 憲法第九条が芝居がかった動作で右手の短剣を振り上げた。

「憲法、君はエンターテインメントを目指しているのだろう」

 取り出したハンカチで顔を拭いてから御坂草司が言った。眼鏡を取ると視線の鋭さが際立つ。

「ここで簡単にモラルを殺しては、視聴者も面白くないのではないか」

 憲法の主張を逆手に取った指摘だった。憲法の唇が皮肉に曲げられる。彼自身に返り血はついていなかった。

「ふん。そりゃまあそうだが、何か面白い案はあるのかい。それともくだらねえ討論を続けるかい」

「いや、討論は終わりにしよう。君達の考えも分かったし、お互いに平行線で歩み寄る余地がないことも良く分かった。そして、私は知りたい。国民の皆さんは君達の主張をどう受け止めたのだろう。人間の本質は、君達が主張或いは期待していることのどちらに近いのか。君達の勝負の決着は力ずくではなく、人間の本質に一つの結論を出す形で求めるべきではないかと思う」

「つまり、どうするんだ」

 憲法が先を促す。

「投票で勝負を決めよう」

 憲法第九条も流石に両眉を上げて驚きを示した。モラルがよろめきながらソファーに座った。また右袖を押さえている。

「モラルと憲法第九条のどちらを支持するか、国民に投票してもらう。期間は明日から一ヶ月。その間に累積された票数の多い方を勝ちとしよう」

「一ヶ月は長過ぎます。二週間くらいになりませんか」

 モラルが言った。痛みをこらえているような声。

 御坂は首を振る。

「一ヶ月が妥当だと思う。国民にも熟慮の時間が必要だ」

「いかにも不正投票がありそうじゃねえか」

 そう言いながらも憲法は短剣を鞘に収めた。

「票の管理はTTJが責任を持って行う。投票は封書にしてテレビ局まで郵送してもらう。一枚が一票だが、一人が何度送っても構わないことにするのはどうだろう」

「一人で千票とか、送ってしまうことがあるのではないですか」

 モラルが疑問を呈する。

「それでいい。支持する気持ちが強ければそれだけお金と手間をかけるだろうからね。そして毎日集計結果を発表する。やはり面白がって憲法に沢山投票する者がいるかも知れない。覗きと覚醒剤で逮捕された芸能人がウェブサイトの投票で一位になったようにね。それに対抗してモラルに投票する者も増えるかも知れない。それらを全てひっくるめて、君達が主張し、行動してきたことの結果になるのではないかな」

「面白いゲームだ。乗った」

 早速憲法が承諾した。

「だが、不正がないように気をつけろよ。たまにチェックしに来るからな」

「好きにしたまえ。ただし、局内で人を殺さないでくれ」

「それで勝負が決まって、負けた方はどうするんですか。勝った方に首を差し出すとしても、憲法が従うとは思えませんが」

 モラルが問う。

「死を決定することはしたくない。たとえ君達が大量殺人犯でもね」

 御坂が言った。

「負けた方は二度と人前に姿を見せないことにしよう。つまり社会的な死だ。それを守れるかどうかは君達のプライドに懸けて誓ってもらう。モラル、もし君が負けた場合、その場で自殺してみせるのは君の勝手だ」

 憲法が頷いた。

「それでいいんじゃね」

「十一月三日の零時……つまり今夜午前零時から、一ヵ月後、十二月三日の二十四時までにTTJのテレビ局に到着した封書形式の投票を有効とする。発表の時刻など細かいことはこちらで決めさせてもらうがそれでいいか」

「ああ、いいだろ」

「……お断りします」

 拒否したのはモラルだった。御坂が眉をひそめた。憲法がムッとした様子でモラルを見た。画面がモラルの顔のアップになった。しかしチューリップハットと鬼の面は何も示しはしない。

「モラルちゃあん。何かご不満でも。お前でも勝てるかも知れない破格の条件じゃねえか」

「投票の結果が出るまでの一ヶ月間、君はどうするつもりだ。君が大人しくしている筈がない。また大勢の人を殺す」

 モラルが憲法に言った。

「それがどうかしたか。お前だって殺し回ってるだろ」

「君を野放しにしておく訳には行かない」

 憲法が肩を竦めた。

「今片手を落とされたばかりだろ。どうやって俺を殺すつもりだい。泣ける話でもして改心させようってか」

「まだ一つ、試してないことがある」

「へえ、何だ」

 憲法が言い終える前にモラルが猛然と飛びかかった。全身の色が薄れて透明と化し一気に輪郭が崩壊した。彼は液体となったのだ。硬度の通用しない憲法に対応したのだろうが、この状態でどうやって攻撃するつもりなのか。

 憲法は驚いた様子も見せなかった。抜く手も見せぬ無数の銀光が閃くが無形の液体はそのまま憲法の体にかかり……。

「おっと」

 憲法が跳んでぎりぎりで躱した。人間離れした跳躍で画面の外に消える。液体はソファーにかかった。白煙が上がり、ソファーの人工革と床にへばりついた総理の肉片が溶けていく。モラルは自分を酸に変化させていたのだろうか。

「考えたじゃねえか。無駄だけどな」

 画面の外から憲法第九条が笑った。

 ソファーから透明のアメーバが起き上がり、モラルの声で言った。

「やはりそうか。君は何も賭けていない」

 モラルの声には侮蔑の響きがあった。それがどういう意味なのか、モラルは説明しなかった。

「じゃあ、投票勝負ってことでいいな」

 画面が切り替わり、重力を無視してスタジオの壁に垂直に立つ憲法第九条が映った。

 しかしモラルはしつこかった。

「断る」

 画面がセットに戻る。透明なアメーバがロングコートの男に戻った。彼はよたつきながら自分のソファーへ歩く。肘掛けに手を置いて倒れ込むように座る。今の変身で消耗したのか、それとも別の理由があるのか。

「物分かりの悪い奴だな。じゃあどうするってんだ」

 憲法第九条が戻ってきた。まだ煙を上げている自分のソファーには座らず、御坂草司の車椅子の背もたれに左手を置いた。御坂は迷惑そうな顔をしている。

「憲法、元々君は、私を殺すために登場したのだろう」

 モラルが言った。

「私が死ねば、君のいる理由もなくなる」

「本気かね、モラル」

 御坂が問う。憲法は黙ってモラルを観察している。

「憲法を倒せないのなら、自分に出来ることをやるしかないですから。この先、人々が少しでも勇気を出してくれることを願います。それでは、失礼します」

 モラルが左腕を自分の首の高さに上げた。袖から現れたのは大きな黒い棒タワシのようなものだ。それぞれの部品は鋼鉄の針で出来ているようで、全体が唸りを上げて高速回転を始める。それで自分を削り殺そうというのか。

 回転する凶器が自らの細い胴に近づいていく。

「なら俺は百万人殺すぜ」

 憲法が冷たく言った。タワシの回転が止まった。

「勝手に死んでもらったら面白くないだろ。腹いせに百万人殺してやる」

「……君はクズだな。どうあってもゲームをさせたいのか」

 昨日の御坂と同じ台詞をモラルは吐いた。憲法は澄ましたものだ。

「その通り。じゃあ、ゲーム開始ということで。あ、そうそう」

 憲法第九条が御坂の顔を覗き込んだ。眼鏡を外している御坂は目を細める。

「何かね」

「投票ってアイデアは良かったな。だがな、俺様にアドバイスするにはもうちょっと敬語を使った方がいいぜ」

 瞬間、御坂の顔から何かが飛んだ。それは床まで落ちてコロコロと転がった。

 視神経の糸を引いた、一個の眼球だった。

 御坂草司の右目のあった場所が、赤い空洞になっていた。彼の全身に力が入っているのが分かった。しかし御坂は呻き声一つ洩らさずに耐えた。左手は顔を押さえず肘掛けを握り締めていた。

「君に敬語を使うことは出来ない」

 御坂は言った。ピラピラ揺れる短剣を背に収め、憲法は気持ち良さそうに笑った。

「フッ、ハハッ。じゃあな、また来るぜ。票取りに頑張らなきゃなあ。投票用紙に何かリクエストを書いてくれたら、考えてやってもいいからな」

 憲法第九条はカメラに手を振りながら舞台を降りた。Tシャツからワイヤレスマイクを外し、親指と人差し指で簡単に握り潰してから投げ捨てる。スタジオの出口に向かう彼の姿をカメラが追った。と、憲法が振り返りカメラにウインクし、扉ではなく横の壁に大きな穴を切り抜いてそこから去っていった。

 画面は御坂とモラルに戻った。

「一ヶ月の間、君はどのように過ごすつもりだ」

 失った片目をハンカチで押さえ、御坂がモラルに聞いた。

「……今まで通りのことを、続けるだけです。勝負になったからといって方針を変えるのは、意味がないですから」

 モラルの声は弱々しかった。鋼鉄の回転タワシは袖の中に戻っている。

「すみません。あなたを守れませんでした」

「気にすることはない。覚悟を示すことで何かを得ることもある。君のようにね」

「そうですか……それでは、失礼します」

 モラルが立ち上がった。ワイヤレスマイクを外してソファーに置く。マイクは彼が液体化した時もくっついていたらしい。歩き出すがやはり足取りは危なっかしく、数歩進んで彼は前のめりに倒れた。ゴツンと音がして鬼面が床にぶつかった。

「大丈夫かね」

 また御坂が聞いた。

「すみません。失礼します」

 モラルがなんとか起き上がった。急速に体の厚みが失われていき、二次元となって彼は床を滑っていった。そして、追うカメラからも逃れ去った。

 舞台には御坂草司と、石村総理のバラバラ死体が残された。それと、モラルの右手首。

 モラルと憲法第九条の公開討論は、午後七時三十七分に終了した。

 

 

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