朝のラッシュアワー時。赤信号の横断歩道を全速力で駆け抜ける男がいた。
彼が主人公、並川徹である。
あっ轢かれた。
死んだ。
第二夜 ひろくん
加奈子は台所で夕飯の支度をしていた。
肉を切るのに使っている包丁は、刃が厚く重く、骨まで楽に切断することの出来る高級品で、彼女はこれを気に入っていた。
「ひろくーん。ちょっと料理を手伝って」
五才になる息子の名を呼んだ。
返事はない。
「ひろくーん」
やはり返事はない。家の中は妙に静まり返っていた。
「全く。また何処かで悪戯でもしているのかしら」
加奈子は独り愚痴をこぼしながらも微笑んだ。彼女は息子のやんちゃで好奇心旺盛な部分も愛していた。
切れ目を入れた肉にかける調味料を出すために、彼女は包丁を持っていない方の手で戸棚の取っ手に触れた。
その途端、
「ばあー!」
その戸が内側から凄い勢いで開き、何かが飛び出してきた。
ひろくんだった。母親を驚かせるために、狭い戸棚の中に苦労して体を押し込んで、じっと待ち構えていたのだ。
「キャー!」
突然のことに加奈子は悲鳴を上げ、反射的に愛する我が子へ包丁を叩きつけていた。
包丁はうまい具合に首を切断し、ひろくんの生首はおどけた表情のまま宙を舞い天井をバウンドした。
第三夜 ゲロゲロ殺人事件
牧原刑事は事件の唯一の目撃者を見つめていた。八十六才の痴呆気味の老人。耳が遠く目も悪い。だがなんとしても、この老人からゲロゲロの手がかりを得なければならなかった。
正体不明の殺人鬼、ゲロゲロ。奴は何処にでも現われる。手にした大きな鉞で、あっという間に数人から数十人を殺戮し、闇の中へと消えていく。既に百二人の市民がその鉞の手にかかった。「ゲロゲロ」という渾名は、犠牲になった警官が死の間際に残した言葉だった。
助手の明石刑事が老人に聞いた。
「犯人は、どんな顔をしていたんですか」
「は?」
老人は耳に手をやって聞き返した。
「犯人は、どんな、顔を、していたかと、きいてるんですよ」
明石刑事は苛々していた。何十回もこの老人に同じことを聞いているのだ。
「そんなこたぁわしゃ知らん」
老人はあっけらかんとして答えた。明石刑事の額に、青筋が浮き始めていた。
「だって、あなたは最初、犯人を見たって言ったじゃないですか」
「そんなこと言ったかのう。そんな何日も前のこと、いちいち覚えとられんわい」
殺人の起こったのは、ほんの一時間前のことなのだ。
明石刑事が爆発しそうだったので、牧原刑事が老人に優しく声をかけた。
「何か覚えていませんか。どんなつまらないことでもいいんですよ」
老人は暫く思案顔だったが、やがて意地悪な笑みを浮かべて言った。
「そうそう、思い出した。犯人の顔には、目が二つ、鼻が一つ、口が一つあったわい」
「じゃあお前がゲロゲロだ」
牧原刑事はコンマ三秒の早業で老人を撃ち殺した。
明石刑事が晴れやかな笑顔を見せた。
「目撃者が犯人か。よくある手ですね。それにしても犯人が見つかって本当に良かった」
「お前もゲロゲロだ」
牧原刑事は明石刑事を撃ち殺した。
「俺もゲロゲロだ」
牧原刑事は銃口を自分のこめかみにあてて引き金を引いた。
部屋には血に塗れた三つの死体だけが残った。
こうしてゲロゲロ殺人事件は解決した。
第四夜 親愛なる君へ
黒崎誠が郵便受けを空けると、中に一通の手紙が入っていた。
手紙か。珍しいこともあるものだ。黒崎は裏側を見た。
差出人は、伊郷友弘となっていた。
誰だったか。黒崎は首を捻った。見覚えのある名前だ。ずっと昔……。
黒崎は家の中に戻り、自分の書斎で手紙の封を切った。
「親愛なる黒崎殿」で、手紙は始まっていた。
黒崎は、なんだかくすぐったくなった。彼を親愛なるなどと呼んでくれる者は、誰もいなかったからだ。
黒崎は続きを読んだ。
「お久し振りです。お元気ですか。私は伊郷友弘、あなたとは佐山小学校で同じクラスでした。もう覚えておられないかも知れませんね。なにしろあれから三十年近く経つのですから」
黒崎はやっと思い出した。あの冴えない、いつもおどおどしていた伊郷。そんな奴がいたことを、今の今まですっかり忘れていた。
「あなたにはよく苛められましたね。今では良い思い出です」
そういえば、苛めたような気がする。それはもう頻繁に、今振り返ると恐くなるくらい。黒崎は苦笑した。
「やっとあなたの住所を突き止めることが出来ました。早速ですが用件を言いましょう殺してやる」
黒崎は、目を疑った。
それは、赤い字で大きく書かれていた。丁寧だった字体が突然崩れていた。
「殺してやる殺してやる目玉を抉り出してやる全部の指を切り落として手足をバラバラにしてやる皮を剥いで内臓を全部抜き出してやる生きたまま解剖してやる脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き混ぜてやる焼いてやる焼いて食ってやるお前の家族を皆殺しにしてやる妻も二人の子供も殺してバラバラにして食ってやるぞ覚悟しろいいか殺してやるすぐに殺してやる待っていろすぐに……」
黒崎は、続きを読むことが出来なかった。彼は文面から目をそらし、溜め息をついた。息が震えた。
不意に背後で気配が動いた。
振り向いた黒崎の目の前に、四十才になった伊郷友弘の歪んだ笑みがあった。
突き出された包丁の尖った先端が黒崎の顔面を突き破り、脳まで達した。
第五夜 怒りの果て
しつこい講義だ。
教授のつまらない話がずっと続いている。
武雄は苛々しながら時計を見た。規定の五時を、三十分以上もオーバーしている。
六時に、琴美と待ち合わせの約束があるのだ。そろそろ出ないと間に合わないかも知れない。
全く、自分の自慢話ばかり得意げにべらべら喋りやがる。自分がどんな発見をしたとか、大学時代の同級生にはこんな有名な奴がいるとか。きっと誰からも評価されてなくて、学生に自慢することくらいしか出来ない程度の人物なのだ。武雄の心の中に黒い悪意が広がっていった。
もう、出ていってやろうか。でも武雄の席は最前列、つまり教授の目の前だ。しかも、大学の固定された横長の机は、武雄の両隣にも学生が座っているため、出るとすれば机を乗り越えて前へ出なければならない。教授の前でそんな真似をするのは無謀すぎる。
いっそのこと、教授をぶん殴ってやろうか。突然、危険な閃きが武雄の頭に浮かんだ。
勿論、そんなことをすれば退学ものだ。同級生達は武雄を馬鹿扱いするだろうし、両親は何のためにここまで勉強させてきたのかと失望するだろう。
いいさ。
どうにでもなれだ。
武雄は開き直った。これまで彼を縛りつけてきた勉強、両親の期待、そして社会の全て。積もり積もった憎しみが、今ここで爆発しようとしていた。
よし、後五分待とう。五分経っても教授が講義を終えなければ、飛び出していってぶん殴ってやる。自分の人生、今後の運命を、それに委ねよう。
そう決めてしまうと、苛々は何処かに消えてしまった。武雄はむしろ期待をもって時計を眺めていた。
そして。
秒針がその運命の時を刻んだ。
「うがあ!」
武雄は吠えながら机を載り越え勢い良く飛び出した。教授を殴るために。束縛を破り真の自分を生きるために。その時足先が机に引っかかった。バランスを崩して武雄は真っ逆さまに床に落ちた。首の骨が折れて死んだ。
あっという間の出来事だった。
次の日の朝刊に小さく記事が載った。
「大学生 謎の奇行
首の骨を折って死亡」
九月二十二日の午後五時頃、OO大学の講義室で社会心理学の講義中に、同大学の
学生菱元武雄さん(十九)が突然叫び声を上げて席を飛び出し床に転倒、頚椎骨折
により死亡した。その場に居合わせた同級生達も、「彼は大人しい人だった。一体
何が起こったのか分からない」と話しており、捜査当局では自殺の可能性や、薬物
使用の有無についても調査中である。
第六夜 怪物
怪物が、何処かに潜んでいる。
ここは人里離れた山奥に建てられた、秘密生物研究所。政府の機関として、殺人ウイルスを始め様々な生物兵器の研究・開発が続けられていた。
その内の一体が、檻から逃げ出したのだ。
餌の生肉をやろうとした研究員の手に食らいつき、アメーバのような触手で彼の全身を包み込んであっという間に吸収、そして巨大化した。
強制的に発現させた突然変異により、研究者にも予想外の怪物に育ってしまっていたのだ。
逃げ出そうとした研究員が三人食われ、殺すより捕獲して研究材料にすると主張した所長も奴に食われた。麻酔銃も散弾銃も奴には効かず、所員は次々に食われていった。十二人いた所員のうち、既に十人が怪物に食われた。
怪物はその柔軟な肉体で換気管を通り、所内を自由自在に移動しているようだった。
今、奴が何処に隠れているのか分からない。
生き残っている二人の研究員、佐野啓司と高木詩織は、研究所を脱出する積もりだった。怪物を始末せずに放置して、研究所の外に出てしまったら、どんなことになるのか分からない。もしかすると世界が滅ぶかも知れない。しかしまずは自分達の命が第一だ。逃げるしかない。
研究所の出口は一つだけ。そこには厳重に鑰が掛かっている。
鑰を二人は持っていない。鍵は事務室にあるのが一つだけだ。
事務所は一番奥の部屋だった。怪物が待ち構えているかも知れない。といって、このままじっとしていても死を待つばかりだ。救助が間に合う見込みは限りなく薄い。それに政府の奴らは研究所を二人と怪物ごと閉鎖して、焼却してしまうかも知れない。
二人は、恐る恐る事務室へ近づいていった。天井や壁の向こうから怪物が体を引きずる無気味な音が聞こえてくるような気がして、二人は度々身をすくませた。
事務室の中は、薄暗く、見通しが悪かった。明りをつけようと壁のスイッチを押しても、何故かつかない。電源が壊れているのかも知れなかった。
二人は中へ忍び入り、急いで机の引き出しを漁った。
「あったわ」
ほっとしてそう言った瞬間、詩織は何かに足を取られ転倒した。
「奴だ!」
啓司が顔を引き攣らせて叫んだ。
怪物が、部屋の暗がりに潜んでいたのだ。
詩織の足は怪物の触手に食いつかれていた。怪物の分泌する酸によって肉が溶ける嫌な音がした。
詩織は苦痛に顔を歪めながらも、鍵を啓司に投げ渡した。
「逃げて、あなただけでも逃げて。……私、ずっとあなたのことが好きだったの」
彼女の言葉が、この極限状態において啓司の心を激しく動かした。
そうだったのか、なら僕は君を助ける、ここで逃げたら僕はきっと一生後悔する、たとえ死ぬことになっても構わない、いや、死ぬ時は一緒に死のう。
啓司は駆け寄って、詩織の腕を引っ張った。
「君を見捨てたりはしない。実は僕も、君のことが……」
詩織は涙を流しながら微笑んだ。
だが怪物は徐々に彼女の体を這い上がっていた。もう腹の辺りまで呑み込まれている。
「畜生!」
啓司は渾身の力で詩織の腕を引いた。
ベリッと音がした。
詩織の腹が裂け、内臓がぞろりとはみ出したのだ。
その瞬間、啓司の心は一気に萎えてしまっていた。
「もう駄目だ。許してくれ」
啓司は詩織を放し、逃げ出そうとした。
その足を、詩織の腕が捉えた。凄い力だった。
「助けて、お願い、見捨てないで」
すがるように見上げる詩織の目には、さっきとは別の涙が光っていた。
「ええい、放せ」
啓司は自由な方の足で、詩織の腕を顔を蹴りつけた。力一杯、蹴り続けた。
それでも詩織は放さなかった。容赦ない蹴りによって変形した顔の、元は形の整っていた口から、邪悪な怨念の言葉が洩れた。
「絶対に放さないからね……地獄の底まで道連れにしてやる……」
二人は、互いに抗いながら、ずるずる、と、怪物に、呑み込まれ、て、いった。
やがて無人と化した研究所の壁を破り、巨大な怪物が外の世界へ記念すべき一歩を踏み出した。
第七夜 立場
会議の時間はとても眠い。それぞれが好き勝手に無駄なことを喋っている。今日もどうせ何も決まらないまま終わるのだろう。僕のようなぐうたら社員は居眠りするしかない。帰ってテレビでも見てる方がましだ。
と、平田課長が恐い目で僕を睨んでいる。僕は慌てて姿勢を正したが、眠いものはしょうがない。思わず欠伸が出た。大きな欠伸だ。
あれ?
どうなったんだ。突然何も見えなくなった。停電か。でも何も聞こえない。何か変だ。体の感覚がおかしい。手足が失くなって、丸い塊にでもなってしまったようだ。締めつけられているような感じがする。狭いところを通っているような。いてっ。何かにぶつかった。壁のようなものにぶつかったようだ。一体何がどうなったのかさっぱりゲボバァ!
俺は机に吐き出した「それ」を、二十数年間の恨みを込めて渾身の力で叩き潰した。
その饅頭のような肉塊は、緑色の血と粘液を撒き散らして破裂した。肉塊から俺の口の中へと伸びている数本の細い紐状のものを引きちぎった。それは俺の中枢神経系に繋がっていたものだ。
俺は自由だ。俺はやっと自由になれたのだ。俺は自分の手足を自分の意志で広げ、生まれて初めての自由を満喫した。
全く、この寄生生物め。
奴は俺が生まれた時から俺の中に住み、俺の体を支配していた。俺はただ見ているだけで、自分の体を自分の意志で動かすことが出来なかった。奴が大きく欠伸した拍子に自分の本体を吐き出しちまって、漸く俺は開放されたのだ。
もしかすると、奴は、自分のことを普通の人間だと思っていたのかも知れない。
「さ、阪井君、ど、どうしたんだね。な、何だねそれは」
上司や同僚達が半ば恐怖の眼差しで俺を見ていた。
「何でもありませんよ」
俺は冷たく笑い、潰れた肉片を床に投げ捨てた。
これから何をしてやろうか。そう考えるうちに気だるい眠気に襲われ、大きな欠伸をしようとして俺は急に怖くなってやめた。
第八夜 仮面
俺は洗面所の鏡を見つめていた。そこには青白い自分の顔がある。血走った目は時折自分の意思に関わりなく宙をさ迷い、口元は痙攣するようにひくひくと動いていた。
それは、怖れのためなのか。
顔には赤い点がぽつぽつと張りついていた。返り血だ。両手も真っ赤に染まっている。俺は念入りに手を洗い、そして顔を洗った。
もう一度鏡を見る。血の斑点は消えたが、引き攣った表情は消えていなかった。
……人は皆、仮面を被っている、誰もが内面を隠し、偽りの笑みで顔を飾っている、本来、表情というものは、その人の気持ちを表すものだった筈だ、それが、どうしてこんなことになってしまったのか、表向きは善人らしく振る舞い、陰で悪を行うことが、この世界を渡っていく最良の政策なのだろう……
俺はポケットから折り畳みナイフを出し、付着した血と小さな肉片とを洗い落とした。
自分の顔をじっと見つめ、ナイフの先端を耳の前の皮膚にあててみる。
……俺は偽りが嫌いだ、嘘をつくことが出来ないし、思ったことは正直に口にしてしまう、俺に自分の欠点を指摘された奴らはその場では怒らず、反論せず、ただ照れ笑いで誤魔化して終わる、だがその後で陰湿な復讐が始まる、無言電話、重要な情報が回されず、仲間外れにされ、そして俺は僻地へ左遷されることになった、上司のあの澄ました顔、結婚の約束をしていた恋人は俺が左遷の話をした時は優しい顔で慰めてくれたが、その後ぷっつりと連絡が途絶えた……
俺はナイフで右耳の前から顎を通って左耳へ、そして額の周囲へと切り込みを入れていった。
予想していたほどには痛くなかった。ただひりつくだけだ。血の玉が皮膚の切れ目から滲み出してくる。
……どうしてその顔でそんな台詞が言えるのだ、どうしてそんな平気な顔で嘘をつくことが出来るのだ、そして俺は一つの結論を導き出した、奴らは仮面を被っているのだ、奴らは内面を表した醜い本当の顔の上に見栄えのいい仮面を被っているのだ、と、だから俺は奴らの本当の顔を見るためにナイフで……
俺はナイフを置いた。
指を、顎の下の切れ目に差し入れた。
皮膚をつまんで、引っ張ると、意外なほどあっけなく、顔の皮膚が肉と一緒に剥がれていく。
……何故だ、何故、皆、同じ顔をしている、上司の間宮も、恋人の恵子も、通行人達も、仮面を剥げば、現れてくるのは皆同じ顔、無表情な、醜い、そう、まるで髑髏のような顔、奴らの本当の顔は、皆、髑髏のようだ、もしかすると、いや、まさか、でも、俺も……
顔が全て剥がれ落ち、俺は鏡に映ったものを見た。
髑髏のような顔だった。
パトカーのサイレンが聞こえていた。
第九夜 マジシャン
「世紀のだーい、マジーーック!」
マジシャンが声高に叫んだ。
狭いホールだが観客は満員だ。拍手、拍手、拍手。
助手が台を押してステージに現れた。人が一人横になれそうな細長い台だ。ただ誰もそこで眠ろうとは思わないだろう。寝転べばその人の腹部にあたる位置に、巨大なギロチンが口を開けているのだから。
「この切れ味をとくとご覧なれ」
マジシャンは大根を持ち、ギロチンの刃に当ててみせた。軽く動かしただけなのに、大根のスライスが何枚も出来ていった。
観客の、怖れと期待の混じった溜め息。
「それでは、観客の皆さんの中でどなたか一人、協力して頂きたい」
マジシャンはカイゼル髭を撫でながら客席を見回した。
「そう、そこのあなた、黄色の服のご婦人、どうぞステージの上へ」
指差された女性は戸惑いの表情を浮かべながらも、同伴の男性に目配せされ、弱々しい笑みを作ってステージに上がる。
拍手、拍手、拍手。
マジシャンに指示されて、婦人はこわごわと台の上に横になった。
その胴体を隠すように、半円筒形の金属の覆いを被せる。その覆いには、真ん中にギロチンの通過する隙間が空いていた。
誰もが、どんな仕掛けになっているのだろうと考えを巡らせていた。婦人は不安げな眼差しを客席に向けていた。
「それでは」
マジシャンはギロチンのスイッチを押した。重い刃がストンと落ちた。
「ギャアアアアア!」
凄い悲鳴に観客はギョッとなった。演技と呼ぶにはあまりにも生々しい悲鳴であり、狂ったような女性の表情だった。初めから仕込んであったのか、台から床へ血が滴っていた。
マジシャンは平然と片手を上げた。二人の助手が台の両端を持って引くと、台が二つになって離れた。片方にはちゃんと婦人の頭があり、もう片方にはちゃんと婦人の足が見えていた。婦人は白目を剥いて、気絶しているようだった。凄い演技だ。とても素人とは思えない。
上半身の方の台から、何かがぼとりと落ちた。気づいた観客の大部分は、それは内臓のようだと思った。
「世紀のだーい、マジーーック!」
マジシャンが誇らしげに叫んだ。
観客達は惜しみない拍手を贈る。
「それでは次のマジックに移ります」
マジシャンが言った。唖然とした観客達の視線の中を、二つの台は別々にステージの袖へと消えていった。
第十夜 百年
おキヨお婆ちゃんの百才の誕生日を祝いに、一族郎党が一人残らず駆けつけた。八十二才の長男鉄太から、生後二週間の曾々々孫の聡まで、その数総勢五百七十六人。この日のために建てられたおキヨ会館の大ホールで、全員揃って大宴会だ。
ようもここまでなったものよ。上座に据えられたおキヨは、独り感慨に耽っていた。
夫・和人は三十四才の若さで病死、おキヨは十人の子供を抱えて奮闘した。昼夜休む暇もなく働き通し、悪夢のような空襲を潜り抜け、戦後の飢餓を乗り切った。いっそのこと子供達と心中してしまった方がどんなに楽か。そう考えたことが何度もあった。
それでも、おキヨはやり抜いたのだ。
わしの育てた家族。わしの一族。よくもここまで大きゅうなった。
こいつらはわしの宝じゃ。ホールを元気に走り回る、名も覚え切れない幼児達を微笑みながら眺め、おキヨはそう思った。
「おキヨお婆ちゃん、百才の誕生日おめでとう!」
五百七十六人の大合唱にホールは揺れた。
皆の笑顔の祝福を受け、おキヨの目には涙が滲んでいた。
「ありがとうよ。お前達がこんなに大きくなって栄えて、わしゃもう安心して死ぬことが出来るよ」
「そんなこと言わないで下さいよ。今まで苦労してきた分、お婆ちゃんにはもっともっと長生きしてもらわなくちゃ」
五十六才になる孫の誠二が言った。
その時突然、轟音と共にホールが揺れた。
吹き飛ぶ爆風。悲鳴と混乱。天井が崩れ落ち、逃げ惑う一族に降りかかる。そして火が。
何が、どうなったのか。
おキヨが気づいた時には、辺りは一面瓦礫の山と化していた。
あちこちに見える、血塗れの手足。焼け焦げた死体。
「誰か、誰か生きている者は」
おキヨは必死で呼びかけたが、返事はなかった。
五百七十六人の、おキヨの一族は、一人残らず死んでいた。
「わしの……わしの、百年は……」
おキヨは死体の中にへたり込み、さっきとは別の涙を流した。