その男は、白いTシャツにジーパンという格好だった。長身で、分厚い胸幅や狂暴なまでに太い腕が目立っていた。
男は、右手に大きな剣鉈を持って、立っていた。
男は、黄色い仮面を被っていた。いや、それは仮面と呼ぶべきものだろうか。男の被っているそれの大きさは、男の肩幅くらいあった。金太郎飴のような、平べったい円筒形。厚紙で作ったような被りものだ。
男の顔のあるべき平らな部分には、黒のマジックで簡単な顔が書かれてあった。目と、口を、それぞれ一本の曲線で描いただけのものだ。
マジックの顔は、にこやかに笑っていた。
男は、道の真ん中に立っていた。
「ママー、あのお面、笑ってるよ。おかしいね」
通りすがりの母子。幼児が母親に言った。
「そうね」
買い物袋を提げた母親も笑ったが、仮面の男が持っている鉈を見て顔色を変えた。
「な……」
鉈の一振りで母親の首が飛んだ。凄い腕力だった。
血が噴水のように噴き出して、幼児の顔にもかかった。
「ママー」
幼児は泣き出した。
仮面の男は襲いかかった。押し倒し、馬乗りになり、幼児の顔に腹に胸に、鉈の尖った切っ先をメタメタに刺し捲った。
仮面の男は歓喜の声を上げなかった。笑い声も上げなかった。ただ黙々と、鉈を振り続けた。息さえ洩らさなかった。ただ幼稚な仮面だけがニコニコと変わらぬ笑みを浮かべていた。
第四十二夜 正義の名において
フン。
今、お前はさぞ楽しいだろう。
嬉しいだろう。
なあ、そうだろ?
何故なら、ひとかけらの罪悪感も感じずに、他人を滅多打ちにぶちのめすことが出来るのだからな。
何故なら、俺が悪で、お前が正義だからだ。
罪もない人をぶちのめすのが悪で。
その悪人をぶちのめすのが正義。
やっていることは同じでも、本質的には全然違うことだ。
と、お前らはそう思っている。
でも、楽しいんだろ?
人間は本来、他人をぶちのめすのが好きなんだ。
俺達は、きちんと支払うべきものを支払って、他人をぶちのめす楽しみを味わっている。即ち、罪悪感と、自分もまたぶちのめされるというリスクだ。
だがお前らは、それを支払う必要なく、他人をぶちのめすという楽しみを味わえるのだ。正義の名において。
正義、正義、正義。なんて素晴らしい言葉だ。
なんて便利な言葉だ。
お前らはただの寄生虫だ。お前らは他人の悪に寄生して生きているんだ。お前らは他人の悪を待ち構え、正義の名において悪人をぶちのめす機会を虎視眈々と狙っている、ハイエナに過ぎない。
さあ、やれよ。
正義の名において俺をぶちのめし、手足を切り落とし、目玉を抉り出し、耳鼻を削ぎ、悪魔さえ目を背けるような残虐な拷問にかけるがいい。
正義という免罪符を有効に活用して、その醜い暴力性と残忍性を満足させるがいい。
さあ。
やれ。
第四十三夜 微笑み
友人に誘われて嫌々参加した合コンもひとまず終了し、飲み屋を出た弘は一人溜息をついた。まだ九時過ぎだ。気の合った人達は二次会やカラオケなんかに出掛けていく。
「どうしたの」
優しい声に弘は振り向いた。
長い髪の女が立っていた。先程の合コンでは向かいのテーブルの隅に座っていた。たしか名前は涼子とかいっていた。
弘の好みのタイプの女性だった。
だが……。
「何が。どうもしないさ」
弘はぶっきらぼうに答えた。出来れば答えたくなかった。出来れば近寄りたくなかった。相手に好感を持っていれば尚更。
涼子は言った。
「だって、コンパの間あなた全然喋らなかったじゃない。一度も笑わなかったし」
「放っといてくれ。それが俺の生き方なんだ」
弘は暗い表情を変えなかった。
「生き方って」
「関係ないだろう。どうでもいいじゃないか」
弘は背を向けようとした。
「聞かせてよ」
彼女は言った。
弘は躊躇った。だが正面から真摯に見つめる彼女の瞳に負け、ぽつぽつと語り出した。
「……僕が六才の時、家はマンションの十二階だった。その時僕には四才になる妹がいた。僕らは一緒によく遊んでいたよ。……でも、父親にお気に入りのおもちゃを買ってもらって、ベランダではしゃぐ僕の腕が妹に当たった。ベランダの柵は高かったが、すぐ側にダンボールの箱があって、妹はそれに乗って遊んでいた。そして妹は柵を越えて落ちた。……即死だったよ。はしゃいでいた僕は、その時どんな顔をすればいいのか分からなかった」
弘の顔が、一瞬泣きそうに歪んだ。
「僕は笑うのが怖い。はしゃぐのが怖い。人生は何が起こるか分からない。調子に乗ってはしゃいだ時に、大事なものが壊れてしまうような気がするんだ。僕のせいで。そんな時、僕はどんな顔をすればいいのだろう。……だから僕は笑わないし、失う可能性のあるものは求めないことにしているんだ」
弘の説明を、彼女は黙って聞いていた。馬鹿にするような様子もなく、真剣に聞いていた。
「でも、それじゃあ何も進まないんじゃない」
彼女が口を開いた。
「……」
「そりゃあ、人生は何が起こるか分からないけど、だからって亀のように縮こまっている訳にはいかないわ。それじゃあ何のために生まれてきたのか分からないもの。折角の自分の人生なんだから楽しまなくちゃ。大事なものを失った時は、その時に思い切り泣けばいいのよ」
「……そりゃ……そうだけど」
「さあ笑って」
彼女は自らも微笑んで見せた。その素晴らしい笑みは、弘の固い心を解かしていく。
「さあ、笑ってみて。人生がきっと明るくなるわよ。人生楽しまなきゃ損でしょ。さあ、笑って」
誰かにそう言ってもらえることを、弘は待っていたのかも知れなかった。
弘は生き方を変えることを決め、慣れない笑みを作ってみた。彼女が喜んでくれることを信じて。
その途端、彼女の頭が爆発した。彼女の微笑みが弾け、血と肉片と脳漿が飛び散った。それは弘の顔にもかかった。
弘は絶叫した。弘は大声で泣き出した。弘は笑いながら泣いていた。
「ほら見ろ、ほら見ろ、ほら……」
弘の声は夜の街に虚ろに消えていった。
第四十四夜 山に登る
険しい山道が続いていた。それは、私の人生そのものを表しているようだった。四十六にもなって初めての登山。下半身は疲労で重く、膝と腰が耐え難く痛んだ。
だが私は構わず登り続ける。それが私の生き方だから。
私は振り向いた。
五メートル後ろを、妻がなんとかついてきていた。背負った荷物は私よりかなり軽かったが、彼女の顔は鉛色の疲労に覆われていた。
「頑張れ。もう少しだ」
私は言った。
妻は黙っていた。口をきく余裕もなさそうだった。
結婚生活二十年。二人の間は既に冷め切っていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。私の仕事が忙しかったせいか。それとも子供が出来なかったせいだろうか。
いや。私は考える。
それは、どんな困難にも屈しない、いや、目標が困難であればあるほどがむしゃらに進んでいく私の性質に、妻はついていけなくなったのだ。
この登山で。
この山を二人で登って、二人で頂上まで行きつくことで、以前の関係を取り戻そう。
きっとうまく行く。きっと。
妻が遅れ出した。
私は妻を励ました。妻は無表情だった。私は妻の荷物を持とうかと言った。妻は黙っていた。私はペースを落として妻を待ったが、妻はとうとう疲れ果てて尻餅をついた。
差し延べられた私の手を、妻は振り払った。
「もう疲れたわ。これ以上登るのは無理よ」
妻は言った。
「なら休憩にしよう。少し休めば元気も出てくる筈だ」
私は言った。
「うるさいわね。放っておいてよ。元々私は山登りなんて嫌だったのよ。勝手にあなただけ登ればいいじゃない」
妻はヒステリックに叫んだ。妻の私を見る目は憎悪に光っていた。
一時間後、私は山頂にいた。
「ほら、いい眺めだろ」
私は妻に話しかけた。正確に言えば、妻の生首に。
妻の首は、何も答えなかった。
私は妻の生首を暫く見つめていたが、やがて山頂から力一杯投げ捨てた。血のついた登山ナイフも一緒に捨てた。
山はただ、荒涼たる風が吹きすさんでいた。
第四十五夜 俺が許す
篠原誠は不安だった。彼は今、本屋で二冊の本を手に取っていた。店員の目がこちらに向いていないことを確認しながら、本をコートの内側に……。
いや、そんなことをしてはいけない。篠原は迷っていた。本を万引きするのは犯罪だ。到底許されることではない。真面目に生きてきた私の経歴も評価も全て失われてしまう。万引きは、許されない悪なのだ。
その時、声が聞こえた。
「俺が許す」
篠原は自信満々に、本をコートの内側に隠した。
そのまま本屋を出ようとすると、店員が前に立ち塞がった。
「ちょっと待って下さい。あんた本をコートの中に隠してるだろ」
篠原はドキッとした。
「万引きだよそれ。立派な犯罪だよ。こんないい年して何やってんだよ」
篠原は動揺していた。ああやっぱり見つかってしまった。とんでもないことになってしまった。私は悪いことをしてしまった。私の人生はこれでお終いだ。全て駄目になってしまった。
その時、声が聞こえた。
「俺が許す」
その声は、店員には聞こえなかったようだった。
「警察に連絡するからね」
そう言って横を向いた店員を篠原は突き飛ばした。店員は本棚にぶつかり倒れ、本がバラバラと落ちた。篠原は悠々と本屋を出ていった。
車を運転して家に帰る途中、目の前に突然子供が飛び出してきた。篠原は慌ててブレーキをかけたが、ドスンという嫌な衝撃があった。
「だ、大丈夫か」
篠原は慌てて車から降りて駆け寄った。子供は頭から血を流していた。何か言いたいのか口をパクパクさせていたが出てくるのは鮮血だけだった。手足も骨折しているようだった。
篠原は恐慌に陥っていた。どうしようどうしよう。とんでもないことになってしまった。とんでもないことをしてしまった。私の人生はこれでお終いだ。
その時、声が聞こえた。
「俺が許す」
篠原は安心して子供の体を放り捨てた。篠原は大勢の人々の見ている前で平然と車に乗り込み、発進した。また何か轢いたようだったが、気にならなかった。
次の日、篠原は血の付いた包丁を握り震えていた。道端には血塗れの死体が転がっていた。
ああ私はとんでもないことをしてしまった。ひ、人を殺すなんて。それも恨みも何もない無関係の人を。通り魔をやってしまった。なんて悪いことをしてしまったんだ私は。こんなことが許される筈がない。私は終わりだ。私の人生は終わりだ。
その時、声が聞こえた。
「俺が許す」
篠原は包丁を振り回し、逃げ惑う通行人達を追い回して次々と犠牲者を増やしていった。何も恐れるものはなかった。そして警官隊に射殺された。
第四十六夜 日記
父が死んだ。胃癌。四十五才の若死にだった。
優しい父だった。いつもにこにこして、怒った顔など一度も見たことがなかった。出世などにあくせくせず、常に自分のペースを貫いていた。この間私が数学のテストで三十二点を取った時にも、目を吊り上げて怒った母と違って「そんなテストで人生が決まる訳じゃない。若いうちはもっと遊ぶべきだ」と笑い飛ばした。
父の葬式には、会社の人達が大勢出席した。皆口々に、「彼はいい人だった。彼の大らかな笑顔に何度救われる思いがしたか分からない」などと父の死を惜しんでくれた。
私は、父を尊敬していた。
四十九日も過ぎ、母と二人で家の大掃除をしていた時、父の書斎に飾ってあった額縁の裏に、一冊のノートが隠されていた。
「何だろう、これ」
私はパラパラとめくってみて、それが父の日記帳であることを知った。
「お母さーん」
驚いて母を呼ぼうとして、私はその前に少し読んでみる気になった。
某月某日 同期の樋口が部長に昇進した。俺よりも早く部長になりやがった。俺の方が奴なんかの何十倍も優秀なのに。あんな糞野郎に抜かれるとは。許せない。ぶち殺してやる。呪って呪って、呪い殺してやる。
某月某日 牧原のミスが、俺の責任になった。畜生。あの牧原の糞馬鹿野郎め。俺に迷惑をかけておきながらすいません程度で済ませやがって。いつかぶち殺してやる。手足を切り落として、目玉を抉り取ってやる。内臓を引きずり出してそこら中にばらまいてやるぞ。
某月某日 全く俺の周りには糞野郎ばかりだ。糞野郎糞野郎糞野郎。どいつもこいつもぶち殺してやる。一人残らずバラバラに引き裂いて、世界を血の色に染めてやる。皆殺しにしてやる。殺して肉を食ってやる。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる。
某月某日 数学のテストで貴子が三十二点だった。なんて馬鹿な娘だ。こんな優秀な俺の子が、こんな糞馬鹿な娘とは許せない。いつかお仕置きしてやらねばならない。手足を折り曲げて逆さ吊りにして生皮を剥いで脳味噌を……
呪詛に満ちた日記帳を私は慌てて閉じた。手が震えていた。
「貴子ー。どうしたの」
台所で母の声が聞こえた。
「ううん。な、何でもない」
声がうわずりそうになるのを必死で堪えた。
私は父の日記帳を新聞紙で厳重に包み、ごみ箱に捨てた。永遠に父の秘密が暴かれることのないように……。
第四十七夜 僕の死体
外は、強い風が吹いていた。
僕は机に座ってずっと勉強をしていたが、喉が渇いてきたので何か飲もうと思って台所へ向かった。
冷蔵庫を開けると、ジュースの横に生首が収まっていた。
青白い顔で、僕を睨んでいた。生首を取り出すと、まだ固まっていない血がポタポタと滴り落ちた。
僕は台所の窓を開け、外へ生首を投げ捨てた。窓はすぐに閉める。
僕はジュースを取り出してラッパ飲みした。
脱ぎ捨てた衣服がたまってきた。洗濯をしなければならない。何から何まで僕がしなければならない。何故ならここには僕しかいないからだ。
洗濯機の蓋を開けると中に生首が入っていた。
全く、しょうがないなあ。僕は生首を取り出して、さっきと同じように窓の外に投げ捨てた。
洗濯が終わると、蒸し暑いのでシャワーを浴びようと思った。
風呂場の戸を開けると、胴体付きの死体が長々と横になっていた。胸や腹に何箇所も刺された痕があった。
僕は死体の両脇を抱え、ふうふう言いながら引きずっていった。死体の血塗れの足が床に二本の血の筋を作った。またそれもきれいにしなければならない。僕は苛立った。それとも他の奴がやってくれるだろうか。
僕は死体を引きずって、玄関の扉を開けた。
家の周りには、無数の死体が積み上げられていた。首を切られた死体、腹を裂かれた死体、焼かれた死体、食われた死体。僕の家の他には、世界には無数の死体しか存在しなかった。長い年月にも腐ることなく、それは延々と滞積を続けていた。
全ての死体は、同じ顔を持っていた。
全て、僕の顔だった。
全て、僕の死体だった。
僕は無言で死体を引きずっていき、死体の山に参加させた。
その死体も僕の顔をしていた。
冷蔵庫の死体も、洗濯機の死体も、僕の顔だった。
世界は、僕の死体で埋まっていた。
僕は家の中に戻り、戸に鍵を掛けた。奴らが入ってこないように。窓を閉めるのもそのためだ。
それでも奴らは時々入ってくる。そして互いに殺し合い、死体を放ったらかしにしていく。
僕はシャワーを浴びて勉強机に戻った。
僕は、ずっと勉強を続けている。
ここには僕以外誰もいない。僕と僕と僕と僕がいるだけだ。僕はずっとここで勉強を続けている。気がついた時からずっと、そうやって生きている。僕は一体どのくらいこうしているのだろう。十万年か、それとも一億年か、それとも……。外の世界は存在しない。外には僕の死体があるだけだ。そのうちの何割かは僕自身が殺したものだ。僕は何のために勉強をしているのだろう。でもそれ以外にすることが……
部屋のドアが乱暴に開かれた。
僕は机の引き出しを開けながら素早く振り返った。
戸口に、斧を持った僕が立っていた。その顔は憎悪と狂気に歪んでいた。
「アゲピャー!」
斧を持った方の僕は高い雄叫びを上げた。
僕は引き出しの中にしまっておいた出刃包丁に手を伸ばした。
僕が斧を振り上げて襲いかかってきた。
僕は包丁を突き出したが、間に合わなかった。
僕の斧が僕の頭に深く深く減り込んでい、く……。
第四十八夜 焼
私は友人Kと共に街を歩いていた。Kは何処か人間離れしたところのある男だった。
「あーあ、腹減ったなあ。焼き肉でも食いたいな」
Kが言った。
「焼き肉か。いいな。でも予算がちょっとな……」
Kの食欲を考えて私が答えた時、通りの向こうで騒ぎが上がった。
「ん、どうしたんだろう」
人だかりが出来ていた。その中心に黒い煙が上がっているのが見えた。
「見に行ってみよう」
私達は人だかりの方へ近づいていった。
Kは強引に人込みに割り込んで、ぐいぐいと中心へ進んでいった。そのお陰で私もそれを見ることが出来た。
そして私は後悔した。
それは、燃え盛る人間だった。辛うじて男であることくらいは分かるが、全身が炎に包まれ、表面は醜く焼けただれ、焦げていた。
男は、地面に横になったまま、動かなかった。
男の傍らに、空のポリ容器が置かれていた。ガソリンの臭いが私の鼻をついた。
「焼身自殺だよ」
誰かが呟いた。
もう助からないことは、誰の目にも明らかだった。
肉の焦げる嫌な臭いが、周囲に漂っていた。
「もう行こう。だが焼き肉を食べる気はしなくなったな」
私がげんなりして言うと、Kは嬉しそうな顔をして言った。
「これで予算の心配はなくなったぞ。タレ持ってこい」
Kはそれを実行した。
第四十九夜 知覚
私は今ワープロで文章を打ち込んでいると打ち込んだのが画面に見えているのも画面に見えているのを感じている。
私は今どんな文章を書こうかなと考えているのを感じていると正直にそのまま打ち込んでいるのが画面に見えているのも画面に見えているこれも見えているこのままだといつまでも終わらないなあと思っているのを感じている。
私は段々訳が分からなくなってきたと思い始めているのを感じている。
私はこんな筈ではなかったのにと思っているのを感じている。
私は以上の文章を画面で確認して少し可笑しさを感じて自分の顔が笑みを浮かべたのを感じていると画面に映ったのも感じている。
私はこの文章をどうやって終わらせようかと考えているのを感じているのをキーボードで打ち込んでいく自分の指が見えている。この指は自分の意志で動かしていると思っていると感じている。
そもそも人間に意志なんてあるのだろうかと思ったと感じた。ただ映画でも見ているように、私は全てを受動的に感じているだけではないのだろうかと思ったと感じた。
突然私の胸に痛みを感じた。耐えられないほどの激痛だと打ち込んだのが見えているとも打ち込んだのも見えていると打ち込んだのも見えていると打ち込んだのも見えている。どうして私はこんな時にキーボードを打ち続けているのだろうと思ったと感じた。きっとこれは心筋梗塞の発作だから救急車を呼ばなければいけないと思ったと感じた。私は自分が焦っているのを感じた。と、こんなことまでわざわざ打ち込んでいる自分は変だと思ったと感じたと打ち込んでいる自分はますます変だと思ったと感じた。どうして私は救急車を呼ぼうとせずにこんなことをやっているのだろうと思ったと感じたと打ち込んでいる自分を感じたと打ち込まれたのが画面に見えていると打ち込んだのも画面に見えていると打ち込んだのも画面に見えている危険だからそろそろやめなければならないと思ったと感じたと打ち込んでいるのが見えていると感じていると打ち込んでいるのが画面に見えている。予想外に文章が長くなって嬉しいけど目の前が真っ暗になって来たのを感じていると打ち込んでいるのが画面に見えなくなってきていると打ち込んでいるのが見えなくなっている。
何も感じられなくなったと感じている。
私はどうやら死んだらしいと思ったと感じた。
でもそれなら誰がこの文章を打っているのだろうと思ったと感じたと打ち込まれているのが画面に……
第五十夜 可愛い猫
知り合いから子猫を貰ってきた。
小さくて可愛い。こんな小さな生き物が生きているということが信じられなくなる。無邪気な目をして、ミイミイと弱々しく鳴いている。
俺はこの子猫に『ミイちゃん』と名付けた。
可愛くて、可愛くて、仕方がない。
可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて仕方がない。
成猫に比べ、体に対する頭の比率が大きい。それでもやっぱり頭も小さい。
俺は、危険なことを思いついた。
この頭の大きさなら、俺の口の中にも入りそうだ。
勿論食べたりはしない。ただ可愛いミイちゃんが、この異常な状況に対しどんなリアクションを示すかという、サディスティックな興味が湧いていた。
俺はミイちゃんを抱え上げ、その頭を、大きく開けた俺の口に近づけていった。
ミイちゃんは困ったような顔で鳴いていた。
ミイちゃんの頭は、俺の口の中にかっぽりと填った。
エヘヘヘヘ。やった。出来た。
突然俺の舌に激痛が走った。
驚いたミイちゃんが俺の舌に噛みついたのだと気づくより早く、反射的に俺の顎に力が入っていた。
ぶつり、という嫌な感触があった。
ミイちゃんの首を食いちぎってしまったのだ。パニックに陥った俺は口の中のものを呑み込んでしまった。
その場には、可愛くて可愛くてたまらなかったミイちゃんの、首のない死体だけが残された。