青少年倫理道徳復興委員会

 

 老人はリモコンのボタンを押した。

 

 

 テレビの画面に赤い幕が映った。スピーカーから華々しい音楽が流れ出す。

 コンピュータ・グラフィックスらしい幕には、『大人を舐めるな』という題名が大きな文字で描かれていた。右下に第八十三回とある。

 二、三秒して赤い幕が左右に開き、スタジオ内に設けられた広いステージとセットが見えてくる。背後の壁は陰鬱にくすんだコンクリートで、刑務所のような荒んだ雰囲気を漂わせていた。ステージの左の壇には高い机があり、資料の束が載っている。ステージの右側には机と椅子が四つ並んでいた。木製の地味なそれらは裁判所に似ていた。

 ステージの中央に、鋼鉄製の不気味な椅子が置かれていた。高い背もたれは何の装飾もなく、肘掛けと椅子の脚には、手首足首を固定するベルトが付いている。

 盛大な拍手がスタジオ中に鳴り響いていた。ステージ手前の客席には一般人の男女が詰まっている。数百人から千人はいるだろうか。どちらかといえば年配の客が多く、未成年と思われる者は一人としていなかった。彼らは期待に満ちた笑顔で拍手を続けた。

 くすんだ壁の中央に、両開きの扉がある。その鋼鉄製の扉が押し開かれ、タキシードを着た一人の男が登場した。拍手が勢いを増した。

 男は優雅に一礼した。怒涛の拍手が応える。若い女性が客席から黄色い声を上げる。

「霧沢さーん」

 男が手を振り返す。嬌声が跳ねる。

 タキシードの男に画面がズームした。三十代後半のがっしりした体格の男だった。髪を綺麗に撫でつけ、良く日に焼けた、整った顔立ちの美男子だ。だが彼の眼光は並々ならず鋭いもので、隠しても隠しきれぬ野獣のような迫力を全身から発散していた。顎の左側には古い刃物傷がある。蝶ネクタイも何処となく居心地悪そうだ。

 男が左の裁判長席に座ると、一旦拍手がやんだ。その頃には音楽はフェイドアウトしている。

 タキシードの男は危険な微笑を湛え、良く通る声でいつもの台詞を読み上げた。

「国民の皆さんお待たせ致しました。文部省・青少年倫理道徳復興委員会がお送りする『大人を舐めるな』の時間です」

 歓声と拍手がまた沸いた。

 続いてタキシードの男が言った。

「司会を務めますのは外人部隊に十四年在籍し、中東で五百人以上の敵兵を殺しました霧沢智章、通称エクスターミネーター霧沢です。今週も宜しくお願い致します」

 頭を下げた霧沢に、割れんばかりの拍手が巻き起こる。

「では今週のパネリストの皆さんのご入場です。まずはレギュラー陣から」

 霧沢が中央の扉に左手を差し延べた。鋼鉄の扉が開き、奥の闇から喪服姿の女性が現れた。四十代半ば、一文字に引き締められた口元や、切れ長でやや三白眼になった目は、強い意志と憎悪を語っていた。

 喪服の女性のプロフィールを霧沢が読み上げる。

「一人息子は凄絶な苛めに遭い、遺書を残して自殺しました。学校も警察も取り合わず、思い余った彼女は加害者少年宅に押しかけ、金属バットで次々に撲殺。少年犯罪許すまじ。被害者の代表、三木百合子さんです」

 温かい拍手が三木を迎えた。三木は重々しく頷いて、右の机の一つについた。

 次に現れたのはジャージを着た四十才前後の男だった。ラガーマンのようなごつい体格だ。疲れた顔でのっそりと歩く。

 霧沢がいつものプロフィールを読み上げた。

「教育現場は戦場です。生徒に刺されること三回、体罰で訴えられること七回。それでも前線で戦い続ける究極の戦士、私立橋爪学園中等部体育教師、黒崎源次さんです」

 力強い拍手の波。黒崎は大儀そうに手を振り返し、席についた。

 三番目に現れた男に、観客はブーイングと野次を飛ばした。それでも毅然と胸を張って入場するのは五十代前半、灰色の背広を着た紳士だった。豊かな白髪に気品のある顔立ちで、丸縁の眼鏡をかけている。

 霧沢がプロフィールを述べた。

「少年の未来を閉ざしてはなりません。それがどれほど凶悪な殺人鬼でも。少年よ、犯罪を犯したら彼に相談しろ。どれほど罵声を浴びようと、卵をぶつけられようと、悲壮なまでにヒューマニズムを貫き通す信念の男。少年犯罪専門弁護士、笹村誠二郎さんです」

 ペキャリ、と、丸い物体が笹村の額に当たり、ドロリと黄色い液体が流れ出た。観客の一人が実際に卵を投げつけたのだ。客席がドッと沸く。女性スタッフが慌ててタオルを持って駆けつけた。

 笹村は顔と眼鏡を拭きながら、憮然として席についた。

「では、今週のゲストです」

 爽やかな笑顔を浮かべて入場したのは十代後半の美少年だった。真面目そうな顔立ちだがブランドもののスーツを嫌味なく着こなし、男の色気も漂わせている。奥様方が黄色い声を飛ばす。

 霧沢がプロフィールを述べた。

「主演映画『青春の砂漠』が空前の大ヒット。隙のない美貌とはつらつとした演技でスターダムを一気に駆け上がったアイドル。先月発売のデビューシングルは既に二百万枚を突破しています。少年少女のヒーロー、佐原京平さんです」

「宜しくお願いします」

 佐原は司会者の霧沢と観客に、深く頭を下げた。最後の席に座る。

「それでは最初の被告をご紹介しましょう。まずはこの映像をご覧下さい」

 霧沢が高らかに述べ、正面の壁を示した。両開きの扉の上には、白い大型のスクリーンが設置されていた。

 スクリーンに都会の街並みが映し出された。ラッシュアワーの時間帯らしく、背広や制服姿の通行人が多い。彼らは怯えた顔で同じ方向に目を向けている。映像がその視線を追って進む。カメラマンが走っているためか、ブレが激しい。

 歩道に人が倒れていた。若い女性だ。背中から血を流し、細い声で助けを求めている。既に救急車が着いており、救急隊員が担架を持ち出した。右腕を血で染めた男性が隊員に何か喋っている。大勢の野次馬が遠巻きに眺めている。

 映像は先へ進む。サラリーマンらしき中年の男性が仰向けに倒れていた。既に死んでいるのは一目で分かる。首筋が大きく裂けている。大量に流れ出た血液が、男の下に大きな血溜まりを作っていた。青白い顔は虚空を睨む。

 更に映像が進み、老女の死体を映した。滅多刺しにされた衣服が真っ赤になっている。近くにショッピングカートが転がっていた。その先にはセーラー服の少女の死体があった。断末魔に歪んだ顔は刃物でパックリと割れ、頭蓋骨が見えていた。傍らで同じ制服の少女が泣きながら、警官に事情聴取を受けている。

 数台のパトカーが停まっていた。警官達が野次馬を遠ざけている。地面に落ちていた血塗れの剣鉈を、手袋を填めた刑事が拾い上げる。カメラマンの接近に気づいても、警官達は追い払おうとはしなかった。

 右手のパトカーの後部座席に、両脇を警官に挟まれて、一人の少年がいた。白いシャツには返り血がべったりと着いている。髪はボサボサで手入れをしていない。

 犯人らしいその少年の顔に、モザイクは入っていなかった。邪悪な喜悦に歪む少年の顔が、ズームアップによってはっきりと映し出された。カメラが見ていることに気づくと、少年は手錠の掛かった両手を上げ、ピースサインを作ってみせた。警官達がその腕を押さえる。

 スクリーンの映像はそこで途切れた。

 霧沢が述べた。

「ニュースなどでご存知の方も多いと思います。二週間前、仙台市で起きた通り魔事件です。病院で亡くなった方も含め四人が死亡、七人が重軽傷を負いました。ではその犯人、速見孝正十六才の入場です」

 客席が盛大な拍手を贈った。正面の扉が開き、屈強な男達に両脇を抱えられて、少年が登場した。灰色の囚人服を着せられ、髪は坊主頭になっている。逮捕された時のふてぶてしさは既に消え、怯えと憎悪の入り混じったようなぎこちないものになっていた。色白の、痩せた少年だった。

 看守のような服を着た男達が無表情に、ステージ中央にある鋼鉄の椅子に少年を据えた。手際良く少年の手足を椅子に固定する。少年はなんとか逃れようとするが、拘束は少しも緩まない。

「な、何だよー、これ。解けよう」

 少年は情けない声を出した。観客がドッと笑った。

 カメラが切り替わり、数瞬、画面に客席が映った。観客達は皆、残忍な期待に満ちた顔でステージを見守っている。

 壇上の霧沢に画面が戻った。霧沢は澄まし顔で資料を読み上げていく。

「盛岡生まれ、父は速見正治、母は佐代子。父親の仕事の都合で小学校の間に三度転校し、友達は少なかった。当時の担任などによると、大人しく内向的な少年だった。学校の成績は良かったが、中学二年の時に父親が交通事故で死亡、母親が働きに出るようになってから学校も休みがちになり、自宅でテレビゲームに浸るようになる。中学三年生時、飼っていた柴犬を棒で叩いているところを近所の住人が目撃している。成績は下がっていたが本人の強い希望で進学校を受験し、失敗する。滑り止めの私立高へは入学せず、一日中部屋に引き篭もるようになった。日に何度か、意味不明の叫び声が屋敷の中から聞こえ、近隣の住民は怯えていた。母親には暴力を振るって金をせびり、得た金はゲームソフトとナイフの購入に充てていた。逮捕後、彼の部屋でゲームソフトが七十二本、刃物が十八本見つかっている。まあ、事件までの概略はこんなところです」

 途中、壁のスクリーンに少年の写真が何枚か映し出された。クラスメイトと写っている小学生時代の少年は、まだ淡い微笑を持っていたが、中学の卒業写真の少年は、暗い瞳でカメラを睨みつけていた。

 霧沢が少年に向かって言った。

「では早速質問です、速見孝正君。君は何故、通り魔なんかやって四人も殺したんだね」

 だが当の少年は、忙しなく周囲を見回しながら震え声で勝手なことを喚くだけだ。

「何だよ、解けよこれっ。何だよお前ら、なんでこんなことすんだよっ」

「だから何故、四人も殺したのかい」

 霧沢の瞳が不気味な光を帯び始めていた。それに気づかず少年は、タキシードの霧沢に向かって怒鳴る。

「あんた誰だよ、早く解けよ、解けってんだよ」

 霧沢の表情が、薄い微笑を浮かべたまま固まった。彼は優雅な動きで壇を下り、縛りつけられた少年の側へ歩いた。カメラがそこへズームされたため、パネリスト達がどんな顔をしているのかは分からない。

「ほ……」

 少年が言いかけた時、霧沢の右腕が霞んだ。

 ボテリ、と、少年の左側頭部から、何かが床に落ちた。客席から割れんばかりの拍手と歓声が沸いた。

 少年は、信じられないというふうに、目を見開いて凍りついていた。流れ出した血が顎まで伝っていく。少年は何が起こったのか確かめようとするが、手を固定されているので触れようがない。

 血走った眼球を動かして、少年は霧沢の右手を見た。

 霧沢は、刃渡り十センチほどのスイッチナイフを握っていた。ブレードには片手で開けるようにサムホールという丸い穴がある。袖の裏に隠していたものを、霧沢は一瞬で抜いたのだ。

 刃には、新しい血が付着していた。

 霧沢は微笑を湛えたまま、床に落ちたものを左手で拾い上げ、少年の目の前に突きつけた。彼の言葉を聞き逃すまいと、拍手がすぐにやむ。

「君の耳だよ。左耳だ」

 ねっとりと、優しい声で、霧沢は告げた。また拍手が爆ぜる。

 正確に付け根の部分で切り落とされた耳介の、恐ろしく鋭利な断面を、霧沢は少年に見せた。血塗れの耳がアップになって画面に映った。

 霧沢の口調がここで一変した。

「俺の顔を知らないのか、困った奴だ。ということは、視聴率六十七パーセントのこの超優良教育番組も観てないんだな。今時こんな馬鹿がいるとは珍しい。テレビゲームばかりやってて世間知らずの糞餓鬼に育っちまった訳だ」

 カメラが霧沢の横顔を映した。彼の瞳の中に、高圧の怒りと狂気が渦を巻いていた。彼は少年の耳を放り捨て、歯を剥いて笑った。

「いいか、これは国策なんだよ。お前らみたいな餓鬼共が好き勝手やって社会を乱さないように、見せしめにするのさ。飛びきり残酷な方法で処刑して、それを日本全国に放映してやるんだよ」

 霧沢の迫力とその内容に圧され、少年の全身が震え出した。

「た……助けて。助けてーっあづっ」

 少年はもがきながら引き攣った悲鳴を上げた。霧沢の右手がまた閃いて、今度は少年の右耳が落ちていた。また拍手。

 もう、少年の顔は、血と涙でぐしゃぐしゃになっていた。

「痛いよ、痛いよーっ。お母さーん」

 恐慌状態で泣き叫ぶ少年の鼻の下に、霧沢がナイフを当てた。

「うるさいな。黙れよ」

 少年の動きが止まった。霧沢が軽く右手を動かせば、鋭利な刃は鼻を丸ごと殺ぎ落とすことだろう。霧沢が少年の右耳を革靴で踏みつけ、体重をかけてこねた。また拍手。

 霧沢が足をどけた。床の上に、潰れた皮膚と軟骨の残骸がへばりついていた。少年は涙で目を滲ませながら、それを見下ろした。

「他人を殺すのは平気なのに、自分が死ぬのは怖いのか。自分が散々殴ってきた母親に、今更頼ってどうするんだ」

 霧沢が言った。

「いいか、もう一度聞くぞ。ちゃんと正直に答えろよ。半端な返事をしやがったら鼻を殺ぎ落とすぞ。その次は眼球を抉ってやる。いいな」

 少年が慌てて頷いた。霧沢が漸くナイフを引く。

 霧沢は少年の鼻先に顔を近づけて、一語一語、ゆっくりと述べた。

「どうして、通り魔をやって、四人も、殺したんだね」

 少年は、霧沢から逃れようと頭を仰け反らせ、怯えた声で答えた。

「それは、その……ムカ……ムカ、ついた、からです」

「ほほう、ムカついたからです、か。素晴らしい答えが飛び出したものだ」

 霧沢が肩を竦めた。観客の笑い声が響く。

 少年は必死に自己弁護を吐き連ねた。

「だって、だって、皆、社会が悪いんだ。クラスの奴らが皆で僕を馬鹿にしやがったんだ。僕を不合格にした高校が悪いんだよ。この腐った社会が、僕の人生を滅茶苦茶にしやがったんだよう。お、お前らなんかには、僕の気持ちは分からねえだろっ」

 霧沢のナイフが素早く動き、少年の鼻が丸ごと落ちた。待ってましたとばかりに拍手が爆発した。いいぞ、もっとやれと誰かが叫んだ。

 少年の顔の中心には、赤い二つの縦穴が残った。流れ出る血が顔面を染めていく。少年の顔は、人間ではない不気味な生き物に変貌しつつあった。

 ナイフに付着した血液を少年の服で拭い、霧沢が言った。

「分からないね。親の世代が子供の気持ちなど分からないのは昔からのことだ。お前だってもし大人になったら、若い世代の気持ちなど分からなくなるだろうさ。だからそれでいいんだよ。腐ってるのはお前さ。腐ったお前が、四人の善良な市民の人生を滅茶苦茶にするどころか終わらせちまった。腐った社会は正さねばならんが、腐った少年は正しようがない」

 観客達がまた笑った。霧沢が客席へ向かってにこやかに呼びかけた。

「皆さん、悪いのは社会でしょうか、それとも少年でしょうか。社会だと思われる方は手を挙げて下さい」

 カメラが客席に向いた。手を挙げている者は一人もいなかった。

「どなたもいらっしゃいませんね。では、悪いのは少年だと思われる方」

 霧沢の声に応じ、観客の全員が手を挙げた。皆、ニヤニヤしながらステージを見つめていた。

 少年が呻いた。流れた血が灰色のシャツを濡らしている。

「ひ……ひどいよ。僕にだって、人権はあるんだぞ。人権侵害だ……」

「未成年者に人権はないんだよ」

 霧沢が冷たく答えた。

「二十に成人式があるだろ。成人は、人に成ると書くんだぜ。お前らはまだ、人間じゃないんだよ。人間になるためには、頑張って社会の仕組みを学ばないといけない。お前はそれを怠ったんだよ」

「どうせ殺すんだろっ、早く殺せっ」

 絶望した少年が逆襲に出た。血の混じった唾を霧沢に吐きつける。霧沢は軽くそれを躱し、ナイフで優雅に∞の字を描いてみせた。その見事さに、観客が盛大な拍手と声援を贈る。

 少年の唇と頬が、大きくX印に裂けていた。何が起こったのか分からなかったのだろう、ポカンと口を開けた拍子に、頬の肉が弁のように外向きに揺れた。笑い声と拍手。

 数秒経ってから新しい痛みに気づき、少年が悲鳴を洩らした。それは口の中に入ってくる血液のため、ゴベボボと不気味なものになった。

 霧沢がやはり少年の服でナイフを拭き、折り畳んで袖の裏に戻した。その後で、カメラに向かって微笑んだ。

「人間は学習する動物です。社会のルールを破ればどうなるのか、良い子の皆さんもこの番組で学んで下さいね」

 教育番組に相応しい台詞に、観客達が温かい拍手を贈った。

 血みどろの怪物と化した少年を置いて、霧沢が司会者席に戻った。

「次に、事件の被害者や御遺族の方のインタヴューがあります」

 正面のスクリーンにVTRが映った。先程の映像にも出ていた男性が、右腕を三角巾で吊って登場した。奴を死刑にして下さい、と男性が言った。制服姿の女子学生が泣きながら、真由を返してよと叫んだ。喪服を着た中年の夫婦が、娘は何も悪いことをしてないのに、どうしてこんな目に遭わねばならないんだと嗚咽した。そんな映像が七、八人続いた。パネリストの三木百合子はハンカチで目元を押さえていた。

 映像が終わり、霧沢が言った。

「では、この少年の処遇について決めて頂きたいと思います。今週の選択可能なメニューはこちらです」

 正面の白いスクリーンにリストが表示された。画面に映ったそれは、以下の通り十項目あった。

 一、取り敢えずの焼印放免。

 二、挽回のチャンスを、特別矯正少年院送致。

 三、気色悪いぞ蛆責めの刑。

 四、これぞ阿鼻叫喚、生皮剥ぎ塩責めの刑。

 五、悟りの境地に、手足切断達磨の刑。

 六、伝説の秘湯、硫酸風呂。

 七、焼き魚の気持ちが分かる、肛門から口まで串刺し刑。

 八、厚さ一センチの奇跡、ローラープレス。

 九、秋刀魚に良く合う卸し金の刑。

 十、百グラム五円、挽肉の刑。

 客席にいる大人達の、期待のざわめきが聞こえてくる。そして次第に拍手が大きくなり、スタジオは巨大なうねりに包まれた。

 少し待ってから、霧沢が両手を挙げて観客を制した。すぐに静寂が戻る。

 蝶ネクタイに軽く触れ、霧沢が述べた。

「八番と九番は新しいメニューですね。さて、順番に説明しましょう。一番はお馴染みの通り、被告の額に人間失格の烙印を押してしまいます。最も軽い刑罰でしょう」

 説明に応じてスクリーンに、番組の過去の映像が映った。泣き叫ぶ少女を屈強な男達が押さえつけ、霧沢が赤熱した鉄の焼印をその額に押しつけている。煙が立ち昇る。

「二番は網走の特別少年院で過ごして頂きます。矯正されるか死ぬまで出られません。ご覧下さい、矯正完了者の素晴らしい笑顔を」

 客席から笑い声が洩れた。

 スクリーンには虚ろに微笑む若者の姿が映った。目はどんよりと濁っている。左右のこめかみは不気味に凹んでおり、傷跡が残っていた。まるでロボトミー手術でも受けたみたいだ。

「三番は受ける方も観る方もおぞましい刑罰です。これまでの受刑者十二人中九人が発狂しています」

 巨大なガラスケースに溢れ、蠢く蛆虫達の映像。体長が二センチほどもある大型の蛆だ。ケース内で溺れる少年の顔にも蛆がたかり、皮膚を削り食らっている。

「四番ですが、女性の皮下組織は強靭で皮を剥ぐのが難しいため、男子専用になります」

 指など細かい場所以外、全ての皮膚を剥がれた赤い少年が、狂ったように踊っている。その体に男達が四方から塩を撒きかけていく。顔も頭皮もない少年が、まるで笑ってでもいるかのような、異様な悲鳴を上げている。

「五番の刑罰を受けた被告達は、全国の動物園で飼育されています。餌代が勿体ないですね」

 テーブルの上に大の字に縛られた少年。霧沢がチェーンソーでその手足を切断していく。返り血が霧沢の顔にかかる。白衣の医師達が手際良く切断面を縫合していく。

「六番は、骨まで溶けて跡形もなくなるまで、極上の硫酸風呂に浸かって頂きます。まさしく生命は海から生まれ、下水道に還るのです」

 巨大な水槽の中で助けを求める少年を、男達が上から棒で押さえ、硫酸を掻き混ぜている。溶け出した血肉が水を赤く濁らせる。

「嘗て串刺し公と呼ばれたブラド・ツェペシ公は、太い木の杭で捕虜の腹部から背中までを貫き通し、庭に飾って楽しんだといいます。七番は更に高度な技を用い、肛門から口へという長い道程を辿るのです」

 泣き叫ぶ少年を男達が押さえつけ、霧沢が長い杭を刺していく。尻から多量の血が溢れ出し、少年の裸の腹が膨れていく。

「新着八番は、巨大なローラーで足先から頭の天辺まで、ゆっくりじっくりこってりと、万遍なくプレスして頂きます。厚さは二十センチから一センチまで調節可能です」

 まだ処刑された者がいないため、スクリーンにはプレス機の映像だけが出た。平らな金属の台に被せるように擦れ擦れを、ゆっくりと回転しながら重いローラーが滑っていく。

 観客は惜しみない拍手を贈った。画面が一瞬客席を捉えた。人々は瞳を潤ませ、新しい処刑法への期待に顔を輝かせている。

「九番も新着です。強力な大型卸し金が、被告の体を足先から少しずつ削っていきます。しかし正直なところ、秋刀魚には合いません」

 観客がドッと笑った。正面のスクリーンには、大型の機械が幅五十センチほどもある卸し金を振動させる映像。

「十番は鋼鉄製のプロペラが、どんな凶悪犯も三十秒で挽肉に変えてしまいます。百グラム五円でも買い手のつかない屑肉です」

 水平に設置された巨大なプロペラが、次第に加速して見えないほどになっていく。その上に吊られた少年の足先が、プロペラに呑み込まれて血と肉片を散らし、ガラスケースの内側にへばりつく。少年は目を剥いて叫んでいる。

 霧沢は微笑を湛えたまま、メニューの説明を終えた。駄目押しに観客が盛大な拍手を送った。椅子に固定された血塗れの速見少年は、振り返ってスクリーンの映像を見ることも出来ず、説明を聞きながら体を震わせていた。

「では、通り魔殺人犯速見孝正十六才の処遇について、パネリストの皆さんの御指南をお受けしたいと思います。まず、三木さん、あなたならどれを選ばれますか」

 三木百合子がズームアップされた。喪服の彼女は机の上の厚紙にマジックで何か書き、それを前に立ててみせた。

 白い紙には端正な字で、「九番、卸し金」と書かれていた。

「このような悪魔をのさばらせてはいけません」

 赤い目をして三木は言った。

「人の痛みが分からない者は、自分が痛みを味わってみるべきです」

 賛同の拍手が客席から沸いた。

「なるほど。では、黒崎さん」

 ジャージの黒崎源次は気怠げに厚紙を取り、机の溝に立てた。

 乱暴な字で「挽肉」と書かれていた。

 片方の眉を軽く上げ、霧沢が言った。

「黒崎さんはいつも十番しか選びませんね」

「だって、面倒臭いしね」

 欠伸しながら黒崎が答え、観客を笑わせた。

「とにかく屑どもは皆挽肉にして、豚にでも食わせればいいんだよ。社会に出たって害になるだけだし、飼料になった方がよっぽど役に立つさ」

 観客が賛同の拍手を贈った。

「続いて、笹村さんは」

 弁護士の笹村誠二郎は、厳しい顔をして厚紙を立てた。「二、矯正施設」と書かれており、ブーイングに見舞われる。

「念のため申し上げておきますが、未成年者にも人権は認められています」

 笹村は言った。

「加害者の人権はあっても、被害者には人権がないのか、とは良く言われることです。その抗議にも、私はなるほどと思います。しかし、だからといって加害者を処刑してしまっては、我々も加害者と同じではありませんか。少年が改心して罪を悔い、社会に償って初めて、被害者や遺族の皆さんの苦しみも報われるのではありませんか」

 客席からは、ブーイングに混じって疎らな拍手が上がった。

「御高説御尤もですが、既に今の少年犯罪はそんな段階を通り越していましてね」

 冷静に霧沢が応じた。

「処刑は単なる復讐や娯楽ではありません。社会の未来のためにやっていることです。この番組で少年少女が犯罪の愚かさを学んでこそ、被告の死も報われることになるでしょう」

 霧沢の言葉に、爆発的な拍手が沸いた。三木百合子が何度も頷いている。

 笹村は憮然として黙り込んだ。

「では今週のゲスト、佐原さん。同じ年代の者としては如何でしょう」

 アイドル佐原京平の目は、正義の怒りに燃えていた。

「許せません。こんな奴のせいで、僕ら未成年者が皆悪者だと思われるのは辛いです」

 彼が立てた厚紙には、「八番のローラープレスです」と書かれていた。

「現代の少年少女を代表して、ローラープレスを選択します」

 勇気ある選択に、応援の拍手が起こった。

「さあ、二番の矯正施設、八番のローラープレス、九番の卸し金、十番の挽肉、と、この四つが候補に上がりました」

 壁のスクリーンから他の選択肢が消え、残った四つの頭にAからDの記号が付けられた。

「それでは少年の処遇を、本日スタジオまで来て頂いている千人の一般市民の皆さんに、決めて頂きたいと思います。どうぞ皆さん、椅子に備えつけの投票装置をお取り下さい」

 画面が客席へズームされた。観客達が肘掛けに格納されていた装置を取り外し、嬉々として手の中に握る。色違いで四つのボタンが付いた装置は、細いコードで椅子へ繋がっていた。

「手の中に握り込めますので、押したボタンを隣の方に見られる心配はありません。御自分の希望されるものを、正直な気持ちでお選び下さい」

 観客達の顔は皆それぞれに、正義感と残忍さと、他人の運命を支配する愉悦と、僅かばかりの躊躇がない交ぜになっていた。

「それでは皆さん、どうぞーっ」

 霧沢が高らかに合図した。画面に壁のスクリーンがズームされて映った。四つの選択肢の右端で、数字のドラムが勢い良く回転を始める。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、早速ローラープレスが三桁に達した。続いて卸し金が、そして挽肉が後を追う。数字の回転が少しずつ遅くなり、やがて、完全に、止まった。

 得票は、矯正施設が三票、ローラープレスが二百八十七票、卸し金が三百七十四票、挽肉が三百三十六票であった。

「おめでとうございます。被告の刑は卸し金に決まりました。矯正施設に三票も入りましたね。笹村さんの御高説も報われたようです」

 観客がドッと笑った。

「うあああああ。うああああああああああっ」

 それまで黙っていた血みどろの少年が、突然大声で喚き出した。

「嫌だっ。嫌だあっ。うああああああああああっ」

「おやおや、今からそんなに叫んでいては、いざという時に声が枯れて悲鳴が出せなくなるよ」

 霧沢の冗談に観客がまた笑った。

 看守服の男達がまた現れ、少年を椅子ごとずらした。代わりにステージの袖から大仰な装置が登場し、中央で停止した。客席から狂ったような拍手が巻き起こる。

 大根卸しにあらぬ人体卸し機は、車輪付きの鋼鉄製ベッドに、露骨でグロテスクな機械が取りつけられたものだった。頭の形に合わせて凹んだ鉄製枕はベッドと一体化されている。ベッドは僅かに傾いており、頭側の方が下になっている。足からの出血を減らして長持ちさせるためだろう。即ち、卸し金が待ち構えているのはベッドの足側の端だった。派手な金色に輝く卸し金は、二センチ毎に菱形の棘が生えている。棘は緩やかにカーブしており、肉を抉る際に絶妙な痛みを与えられるだろう。卸し金を支える太いアームは歯車を介して大型のモーターに繋がっている。側面のコントロールパネルには幾つかのボタンと丸いダイアルが付いていた。ダイアルは卸し金の振動速度を調節するためのものか。ベッドの裏から回り込むように伸びた四本のアームは、受刑者を逃がさないようにしっかりホールドしてくれる筈だ。

「うああああああっ。うああああああああああっ」

 刑具を目の当たりにして、また少年が叫んだ。看守姿の男達は無表情に立っているだけだ。

「本来ならばここですぐ処刑に入る訳ですが」

 カメラに向かって意味ありげに霧沢が言った。

「実は今回、被告の重要な関係者が、まだ一人残っているのです。親孝行で正しい子に育って欲しい、そんな願いを込めてつけた名前が孝正。にも関わらずこんな屑に育ってしまいました。その心中察するに余りあります、被告の実母、速見佐代子さんです」

 少年の体がビクリと震えた。正面の扉が開き、伏し目がちの地味な雰囲気の女性が登場した。

 客席からは拍手もブーイングも聞こえなかった。

 覚悟を決めてきたのだろう、速見佐代子は、白装束であった。

「どうぞこちらへ」

 霧沢に手招きされ、被告の母はステージの前に立ち、客席とカメラに向かって深々と頭を下げた。

「速見佐代子です。この度は私の息子が、本当に申し訳ないことをしました。被害者と遺族の皆さんには、幾らお詫びしてもお詫びしきれません」

 霧沢が言った。

「子供を躾けるのは親の義務です。しかしご主人が亡くなられてからは複数のパートに出られ、子供に接する機会が少なくなりましたね。これは難しい問題だと思います。しかし出来るならば、子供がこんな大それた犯罪を犯す前に、我々に相談すべきでした。『大人を舐めるな』では出張躾けサービスもやっているのですよ。棍棒を持った二十人の執行委員がすぐさまお宅を訪問したことでしょう」

「本当に申し訳ありません。その日その日を生きていくのが精一杯で、こんな番組が始まっていることなど存じ上げませんでした」

 速見佐代子は涙ぐんでいた。

「それでは佐代子さん、本当に、宜しいのですね」

 霧沢が念を押し、速見佐代子は重々しく頷いた。

「はい。私が息子の代わりに、刑を受けます」

 客席がどよめいた。パネリスト達も目を見開いた。孝正少年の異形の顔からは、既に感情を読み取ることは出来ない。

 霧沢が優しい声で言った。

「この『大人を舐めるな』の歴史の中でも、親御さんが身代わりを志願されたことは数えるほどしかありません。佐代子さん、限界だと思ったら遠慮なく仰って下さい。刑を中止して息子さんに続きを受けてもらいますからね」

 速見佐代子は黙って首を振った。そして、人々が息を詰めて見守る中、彼女は自ら鋼鉄のベッドに上り、横になった。男達がアームを動かして彼女の体を固定する。

 霧沢が機械のスイッチを入れた。ヴーンという低い唸りを上げ、歯車が回転し、卸し金が左右に大きく往復を始めた。速見佐代子の顔が強張るのが見えた。

「始めますが、宜しいですか」

 厳かな霧沢の問いに、彼女は歯を食い縛って頷いた。

「はい」

 霧沢が、調節ダイアルを低速へ回し、赤いボタンを押した。

 卸し金が、ゆっくりと、足の裏へ向かって進み出した。

 アップになって、彼女の素足が右側に、迫る卸し金が左側に映った。画面の右下に四角い枠が出来、別のカメラが彼女の緊張した顔を映した。スタジオは静寂で満たされ、機械の唸りしか聞こえなかった。

 やがて、卸し金の棘が足の裏の皮膚を掠めた。横に何本もの赤い線が残る。速見佐代子の顔がヒクリと震える。

 更に卸し金が進み、皮膚がズタズタに抉れ、血が滲み出した。一瞬白い骨が見えるが、それはすぐに出血で隠れ、その後をすぐにまた卸し金が通り過ぎていく。彼女は目を閉じて口を一文字に結ぶ。

 ゴリ、ゴリリという音が響き始めた。卸し金が骨を削り始めたのだ。彼女は堪えきれずに唸り始めた。それでも悲鳴は噛み殺している

「ううう。ううううう」

「如何です。やめますか」

 枕元に立って霧沢が尋ねた。速見佐代子は唸りながら首を横に振った。

 溢れ出した血がベッドから零れ、ステージの床を濡らした。骨を削る音が大きくなっている。足をもがかせようとするが、金属のアームに押さえつけられて逃れられない。

「ぎゃあああああっ」

 とうとう彼女は遠慮のない悲鳴を上げ始めた。裂けんばかりに口を開いて絞り出す絶叫がスタジオ中に響き渡る。

「ぎゃあああああああああああっ」

「やめますか」

 霧沢が尋ねた。彼女は叫びながら首を横に振った。

 画面の右上に別の枠が生じ、不肖の息子孝正少年の顔が映し出された。身代わりとなった母親の絶叫に、少年は血走った目を見開いたまま凝固している。

 鋼鉄のベッドから落ちるものに、血とは別のものが混じり始めた。磨り下ろされた肉と骨であった。

 肺の空気を出し尽くし、ヒュウウウウウウ、と、速見佐代子が息を吸った。彼女の眼球は今にも飛び出しそうに見える。

「うぎゃああああああああっ」

 また彼女は悲鳴を再開した。卸し金は休みなく進んでいる。既に足首から先が消失していた。

「中止しますか」

 霧沢が再度尋ね、そして彼女は首を振った。恐るべき精神力だった。一瞬画面がパネリスト席の三木百合子を映した。彼女は溢れる涙を拭っている。

 霧沢が少年へと向いた。

「どうかね孝正君、君の代わりにお母さんがこんなに苦しんでいるじゃないか。自分から進んで刑を受ける気はないかね」

 少年は慌てて首を振った。霧沢の目が一瞬だけ怒りに見開かれ、すぐに元に戻った。客席から少年を非難する声が洩れた。

 霧沢がまた速見佐代子に言った。

「佐代子さん、あなたは頑張りましたよ。充分に親としての務めを果たしました。残りは息子さんに引き継いでもらいましょう」

「うぎゃあああああああああああっ」

 それでも叫びながら彼女は首を振った。やがて、ベッドに固定されたまま背筋を仰け反らせ、痙攣を始めた。眼球が裏返り、口から泡を噴いている。

 霧沢は停止ボタンを押した。その頃には、彼女の両膝から下はなくなっていた。

「失神されてしまいました。これまでにしましょう」

 霧沢が穏やかに告げた。速見佐代子にはもう聞こえていないだろう。男達がアームを外し、彼女を担架に乗せて退出していく。

 霧沢が言った。

「母の愛は強し。いやはや、素晴らしいものを見せて頂きました。こんなどうしようもない糞餓鬼でも、親は愛しているのです。テレビを観ている少年少女の皆さんも、勉強になったことと思います」

 そしてにこやかに、霧沢は告げた。

「では、いよいよ孝正君の番だ」

 少年の血みどろの顔が、唖然とするのが識別出来た。X字に裂けた頬の弁が揺れた。

 客席から盛大な拍手が沸いた。

「だ……だって……」

「お母さんは頑張ったけど、途中で力尽きてしまったよ。だから君が残りをやってあげないとね」

「嫌だああっ、ずるいぞおおっ」

 少年は泣き叫んだ。男達が枷を外すと、少年は必死に抵抗した。だが男達は四人がかりで少年を押さえつけ、無表情に処刑機械へと引き摺っていく。

「お母さーん、なんで気絶なんかすんだよっ、この馬鹿あーっ」

 自分を守ろうとした母親に対する勝手な言い草に、霧沢の目の色が変わった。袖のナイフを素早く開き、手首の回転を加えながら少年の顔面に突き入れた。

「あひいいいっ」

 高い悲鳴が上がった。少年の閉じた左目から、新しい血が流れ出していた。霧沢のナイフに、細い神経の糸を引っ掛けて、眼球が一つ、ぶら下がっていた。

 霧沢は一瞬で、少年の左目を抉り出してみせたのだ。

 おおおっ、と、客席から歓喜の声が上がった。

 更に霧沢のナイフが横殴りに閃いた。男達に押さえつけられた少年の額が、真横に大きく裂ける。

「ぎいいいいいっ」

 少年がまた叫ぶ。霧沢は左手に白い手袋を填め、額に開いた傷口に、指先を突っ込んだ。

「ぎえええっええっえええええっ」

 構わず霧沢は傷口をこじ開けていった。頭皮がばっくりと剥がれ、滑らかな頭蓋骨或いは薄い筋膜が覗く。ビリ、ビリ、と音を立てて、傷口が拡がる。

 霧沢の瞳は完全に散大していたが、同時に目をカッと開いているため、逆に瞳が小さくなったように見える。極大の狂気に身を任せ、霧沢は瞬き一つせずに作業を進めていった。

 後頭部までしっかり剥いで、霧沢は漸く手を離した。短い頭髪を生やした少年の頭皮が、かつらのように後ろに垂れ下がった。

「あいいいいっいいいいいいいいっ」

 細い悲鳴を洩らす少年の腹部を、霧沢が靴先で鋭く蹴りつけた。ぐぶっと呻いて少年が沈黙する。

「親の心子知らず」

 冷静な顔に戻り、霧沢が言った。観客が爆笑した。

 男達が少年の体を鉄のベッドに載せた。四本のアームで脇腹と太股を押さえる。白衣の男が少年の腕に何かを注射した。

「苦痛を持続させ、失神出来ないようにするための薬剤です」

 霧沢が説明した。

「ぐうううう、たすっ」

 少年が何か言いかけた。

「ではスタートです」

 霧沢が赤いボタンを押した。卸し金が振動しながら少しずつ進み出した。観客の拍手がスタジオを満たし、少年の声が聞こえなくなった。

 そして、その拍手を少年の悲鳴が圧倒した。

「ぐあああああああああっえええええええっうええええええええええっ」

 それに競り勝とうとするかのように、観客の拍手が更に増した。

「えええっがあああああっだじいいいいいいっおええええええええええっ」

 霧沢がにこやかに見下ろす。パネリスト達の目は弁護士の笹村を除き、惨殺の悦楽に酔っている。笹村は憮然とした顔を崩さない。カメラが観客席も映した。涎を垂らさんばかりにして拍手を続ける人々。

「えええっ、へくっ、へくっ……ヒュウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥ……うがあああああああああああっ」

 息継ぎを交えながら、少年は叫び続けた。負けじと拍手も続いた。ベッドから夥しい血と肉片と砕けた骨が零れ、少年の身長が減っていく。

「ああああああああっいいいいいいいいいいっへへっへへへへっひゃはっえええええええええっうあああっあああっああああああああああっぎいいいいいいいいっいいっああああああああっああっあっ、へくっ、へくっ……ヒュウウウウウウゥゥゥゥゥゥ……あああああああっえひいいいいいいいっえええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ……」

 暴れ狂っていた少年の悲鳴が、次第に小さく、弱いものになっていった。体躯のヒクつきも乏しくなり、別のカメラで映す少年の顔色も、白く変わっていく。

 悲鳴が聞こえなくなり、少年の右の目が動かなくなった頃、霧沢が卸し金を停止させ、少年の首筋に触れた。

 そして彼はにこやかに告げた。

「処刑完了です」

 見事な仕事ぶりを賞賛すべく、観客が最大の拍手を浴びせた。カメラに映った彼らの目は、満足げに潤んでいた。

 血塗れの卸し金は、少年の腰上まで達していた。

 看守服の男達が、死体の載った卸し金機を運び出し、床の血をモップで拭いていった。パネリスト達も観客も、大きく息を吐いて興奮を静めていった。

 霧沢が言った。

「いつもはここで出張処刑サービスのビデオに移る訳ですが、今週のスケジュールはちょっと違います。次の被告です。まずはこの映像をご覧下さい」

 壁のスクリーンに一枚の写真が映し出された。荒れ地に転がった一人の少年の死体。背中に回された両手首を縄で括られ、首が異様な角度に折れ曲がっている。断末魔に見開かれた少年の目は白く乾燥していた。

 霧沢が説明した。

「先月の新聞やニュースでご存知の方も多いと思いますが、被害者は広島市平和中学二年、里村直樹さんでした。御両親の許可も頂きまして、今回は現場写真を使用致しました。皆さんはこの残虐な殺され方を目に焼きつけて下さい。行方不明となった十四時間後、警察が工場跡地で発見したものです。御家族の悲しみは察するに余りあります」

 スクリーンに四十才前後の男女が映った。被害者里村直樹君の御両親、という字幕が出る。

 母親が泣きながら訴えた。

「直樹は優しい子で、家事の手伝いなども良くしてくれました。飼い犬やインコを一番可愛がって世話をしていたのもあの子です。何故直樹がこんなことに……」

 その後は嗚咽に変わり、言葉にはならなかった。

 父親は赤い目をして、ずっと口を横に引き結んでいた。

 母親の話が終わって十秒ほどして、漸く父親が言った。

「私は犯人を、絶対に許しません」

 スクリーンの映像はそこで終わった。パネリストの三木百合子はまた涙を滲ませていた。

 霧沢が資料を読みながら続けた。

「さて、問題の犯人ですが、事件の大きさに怯えた一人が自分の親に相談し、判明した訳です。犯人は身近なところにいました。平和中学の同級生、安西邦夫、太田宏、柿村真二、来島誠人、中村大介、三浦泰典、芦田ミカリ、四条春美の八人です。検証を重ねた結果、この八人は一年以上前より執拗な苛めを直樹君に加えていたことが分かりました。しばしば呼び出しては金をせびり、万引きをさせたり煙草の火を押しつけたり裸にして写真を撮ったりプロレス技の練習台にしたりと、やりたい放題にやっていたのです。では、グループのリーダー格であり、両手を縛った上バックドロップにかけて直樹君を殺害した、安西邦夫十四才の入場です」

「うわあああああっ、やだよう、やだよおおうううっ」

 中央の扉が開いた瞬間から情けない喚き声が聞こえ、看守服の男達に押さえつけられた安西邦夫が登場した。観客の盛大な拍手がそれを迎える。

「やだようっ、死ぬなんて思わなかったんだようっ」

 この番組のことを良く知っているようで、少年の顔は恐怖と涙で歪んでいた。鋼鉄の椅子に手足を固定されても少年はもがき続けた。十四才にしては長身で、丸々と太った体に粗暴な顔立ちをしている。

「広島市生まれ、父は時雄、母は佳奈美。父親は市内の暴力団の組員で、懲役には二度、計四年行っている。被告は保育園にいた頃より他の園児への乱暴が目立っていた。小学二年の時に、クラスメイトの頭を椅子で殴りつけ、七針縫う大怪我をさせている。学校の成績は極めて悪く、通信簿には常に自己中心的な振る舞いと反抗的な態度について記載されていた。中学一年の時、担任の女性教諭を蹴り倒し、全治二週間の怪我をさせている。……苛めの詳細について、学校側は知らなかった、責任はないの一点張りでしたが、担任を始め数人から供述を得ることが出来ました。尚、平和中学の教師陣についても処分を検討中です」

 プロフィールを読み上げた後、司会者席から霧沢が聞いた。

「安西邦夫君、君は何故里村直樹君を苛めの対象に選んだのかね」

「嫌だああああっ、助けてええええっ」

「安西くに……」

「俺じゃないんだようっ、俺のせいじゃないいいっ嫌だあああっ」

 霧沢の目つきが一変した。傍らに立っていた看守服の男の腰から警棒を引っ手繰り、電光石火の早業で少年に向かって投げつけた。それは狙い違わず、喚き散らす少年の口を直撃した。

「あぐっ」

 警棒と一緒に、折れた歯が四、五本床へ落ちた。

「あうううう」

 少年の切れた唇から血の混じった涎が垂れた。

「次は顔の皮を剥ぎ取るぞ。もういい。黙ってろ」

 地を這うような低い声で霧沢は告げ、少年は瞳を慄かせて何度も頷いた。拍手が沸いた。

「死ぬなんて思わなかった、か。相手は人間だから、死にもするさ。人形か何かだと思っていたのかねえこの糞は」

 憎々しげに呟いてから、霧沢の目の光が正常に戻った。

「どうやら被告は発言出来ない様子ですので、代わりの方をお呼びしましょう。被告の御両親の登場です」

 鋼鉄の扉が開き、看守服の男達に伴われて三十代後半の夫婦が現れた。画面上に二人の名前が字幕で示された。

 被告の父親である安西時雄は、息子に輪をかけた巨漢で、身長百九十センチ、体重百三十キロはあるだろう。藍色のスーツは特注に違いない。右頬を斜めに走る大きな傷痕は刀傷か。頭髪は完全に剃り上げ、油を塗ったように頭皮がてかっている。母親の安西佳奈美は地味な服装の、疲れきったような顔をした女で、落ち着きなく周囲を見回している。

「俺の息子をどうしようってんだ、てめえらっ」

 男達の腕を力ずくで振り払い、安西時雄が凄みを利かせて怒鳴った。パネリストの内、僅かに動揺したのはゲストの佐原京平だけで、他の三人は平然としていた。この手の騒動には慣れているのか、或いは常に覚悟しているのか。

 椅子に固定されている少年が、父親の登場に自信を取り戻したらしく、ふてぶてしい表情になった。

 微笑を湛え、霧沢が答えた。

「お宅の馬鹿息子さんが善良な同級生を苛め抜いた挙句に殺害してしまわれたので、社会のために処刑してしまおうという訳ですよ」

 霧沢の落ち着きに少しばかり怯みかけたが、すぐに凶暴な表情を取り戻して安西時雄が反撃した。

「その場にいたのは俺の息子だけじゃねえだろうが。他にも七人いただろ。そいつらはどうしたよ。なんで邦夫だけが責められなきゃなんねえんだよ」

 嬉しそうに眉を軽く上げ、霧沢が答えた。

「それではスクリーンをご覧下さい」

 安西夫妻が振り返ってスクリーンを見上げた。同時に、赤熱した鉄棒の映像が映し出される。

 その平たくなった先端が、泣き叫ぶ少女の額に押し当てられた。ジュッと肉の焦げる音がして、煙が昇っていく。泣き声が、獣じみた悲鳴に変わる。

 焼印が離れると、少女の額に火傷の痕が『いじめっ子』という言葉を形作っていた。

 カメラが引いていき、縛られ座らされた七人の中学生を映した。字幕でそれぞれの氏名が表示された。

 安西時雄は唖然として、スクリーンに見入っていた。

「という訳で、彼らにもそれなりの罰を受けて頂きました。担任や校長の額にも『教師失格』の烙印を検討中です。邦夫君は直接の殺害犯ですし、ここに登場して頂いた次第です」

 霧沢が説明を終えると、客席から拍手が爆発した。口笛まで鳴らす客もいる。

「ちょっと待って下さい」

 パネリストの笹村誠二郎が口を挟んだ。

「苛めという問題は簡単に善悪で割りきれるものではないでしょう。私達を含め、誰しも子供の頃には弱い者苛めをした経験がある筈です。記憶にないとしても、人は無意識の内に他人を傷つけているものです。今回は被害者が亡くなってしまったことで問題が表面化した訳ですが、同じことをやっていても罰を受ける子と受けない子が出てくるのは不公平ではありませんか。意識もせず皆と同じようにやっていたことが原因で、七人の子供達は罪の意識に苦しむだけではなく、この先一生烙印を背負い、世間に後ろ指を差されながら生きなければなりません。まだ幼い彼らにそれを望むのは酷ではないでしょうか」

 真剣な口調で訴える笹村の言葉には、多少の説得力があった。疎らな拍手が聞こえた。

「そ、そうだよ。弁護士の先生もいいこと言うじゃないか」

 被告の父親が頷いた。

「なるほど、御高説は至極御尤もです」

 霧沢が穏やかに言い、そして続けた。

「しかし、だからと言って人を苛めて良い訳ではないし、人を殺して良い訳でもありません。こうやって烙印を施すことは、今も苛めを続けている子供達に、一定の基準を与える意味があるのです。また、人生は元々過酷なもので、傷つかずに生きていける筈などないのです。額の烙印が彼らを成長させてくれることを祈っています」

 客席の拍手は、笹村の時に比べて千倍も大きかった。笹村は口をへの字に曲げた。

「だ、だがよう、俺の息子はどうなるんだよ。ここで処刑されちまったら成長も何もねえじゃねえかよ」

 また安西時雄が怒鳴った。母親の方は夫の腕にしがみついたまま周囲を見回すだけだ。

「この糞息子に殺されてしまった里村直樹君の成長は既にありませんよ」

 霧沢は言った。

「ここで処刑されて見せしめになってもらった方が、社会のためになるのです。こんな屑の未来よりも、国民全体の未来の方が大切ですからね」

 観客がまた拍手を贈る。

「こ、この野郎っ」

 安西時雄がスーツの内側から短刀を抜いた。客席がどよめく。安西佳奈美が細い声を上げてへたり込む。看守服の男達が慌てて警棒を握る。出演者の持ち物検査をやっていないのだとすれば不用心な話だが、或いは全て見越した上かも知れない。

「退きなさい」

 霧沢は冷静な口調で男達に告げた。安西時雄に向かって優雅な足取りで歩いていく。構えもせず一見無防備だが、霧沢の眼光は別の印象を与えた。安西時雄は引き攣った怒号を上げながら、短刀を腰溜めに突進していく。

 熟練の闘牛士のように霧沢が身を翻し、安西はその横を通り過ぎただけだった。

 ブバッ、と、安西時雄の顔から血が爆ぜた。彼の両目を割って、赤い横線が一直線に走っていた。

「あがあああああいいいいいっ目が、俺の目があっ」

 安西時雄が叫びながら蹲った。手から短刀と共に数本の指が落ちる。霧沢のナイフはほんの一瞬で二つの仕事をやってのけていた。観客が狂喜の歓声を上げる。

 安西時雄の背後に、ゆらりと霧沢が立った。木琴でも叩くように軽くナイフを振ると、安西時雄の両耳があっけなく切れて落ちた。

「いででで」

 耳のあった場所を安西時雄が押さえた。その右手を霧沢が掴み、ナイフを滑らかに往復させた。

「あへえええっ」

 安西時雄の右手首が裂け、皮膚と数本の靭帯を残してブラブラになっていた。更に霧沢がナイフを動かして、手首を完全に切断する。

「手、てえええっ」

 右手首を押さえた安西の左手を霧沢が捕らえた。後は同じだった。暴力の世界で羽振りを利かせてきた安西時雄は暴力によって両目と両手を失った。観客の拍手は津波のようだった。

 椅子に固定された少年は、父親の解体を呆然と見守っていた。

「やめろっやめろおおっ」

 安西時雄は床を這って逃げようとした。霧沢のナイフが低い軌道で二度踊り、安西の両膝の裏が断ち割られた。

 安西のスーツでナイフを拭いて袖に戻し、霧沢が言った。

「取り敢えず、蛆責めのケースにでも入れといてくれ。これで暫く餌をやらずに済みそうだ」

 看守服の男達に運ばれながら、安西時雄が叫んだ。

「こ、こんなことしやがって、ただで済むと思うなよ。ヤクザを舐めんじゃねえぞ。俺の組のもんが黙っちゃいねえ。これからは精々暗い夜道には注意するこったなっ」

「言い忘れてましたが安西さん」

 蝶ネクタイの傾きを直し、霧沢が穏やかに告げた。

「あなたの所属されている倉科組ですが、ほんの三十分ほど前、警察に一斉検挙されましたよ。抵抗した者は射殺されまして、組長以下九人が死んでいます。あなたの組はもう終わりですな」

 目から血を流す安西時雄の顔が、蒼白に変わった。そしてそのまま運び出されて消えた。客席からは満足の拍手。

「さて、安西佳奈美さん、被告の母親として、あなたはどうされますかな」

 扉の前でへたり込んでいる安西佳奈美に、霧沢は言った。

「あ、あ、嫌、あの……」

 安西佳奈美は激しく首を振り、逃げ出そうとして扉を掻いた。鋼鉄の扉が開かれ、安西佳奈美は這い逃げて消えた。客席から笑い声が上がった。

 霧沢は少しばかり寂しげに肩を竦め、被告の少年に言った。

「これで、君を守ってくれる者は誰もいなくなってしまったよ」

 少年は言葉もなく、ただしゃくり上げて泣いていた。

「では、被告の処遇について決めて頂きたいと思います」

 霧沢がスクリーンを示した。並んだリストには、既に使用された九番が消えている。

「クラスメイトに陰湿な苛めを加え、最後はプロレス技にかけて殺害した安西邦夫十四才。さあ、三木さんはどれを選ばれますか」

 被害者の代表・三木百合子はいつもより更に厳しい顔で、厚紙を机に立てた。

 「八番、ローラープレス」と書かれていた。

「息子を自殺に追いやったのも、このように粗暴で無神経で、思い遣りというものを全く持たない、どうしようもない者達でした。こんな理不尽を許してはなりません。苛めっ子は根絶すべきです」

 怒りと悲しみに目頭を熱くして、三木は一際高い声で訴えた。客席から共感と賛同の拍手が沸いた。

「では、黒崎さんは如何でしょう」

 体育教師・黒崎源次は大儀そうに厚紙を立てた。

 やはり「挽肉」と書かれており、先程と同じ紙であった。

 霧沢は両眉を上げ、妙な微笑を作った。黒崎が黙って同じような笑みを返す。観客が爆笑した。

「次に、笹村さん」

 弁護士・笹村誠二郎の示した厚紙は、やはり「二、矯正施設」であった。

「もう何も言いません。皆さんにはスタジオの熱狂に惑わされず、自らの内にある良心に従って判断して欲しいと思います」

 客席は沈黙した。観客を映さぬ画面からは、彼らの表情を知ることは出来ない。

 霧沢は穏やかな瞳で笹村を見据えていた。

「最後に、佐原さん、如何ですか」

 少年少女の星・佐原京平は真剣な顔で厚紙を立てた。解答の仕方次第で、彼の人気も大きく運命を変え得るのだ。

 厚紙には、「五番、ダルマの刑」と書かれていた。

「選択には相当悩みました。僕も小学校の頃には、それほどひどくはなかったですけど苛められたことがあります。でも、さっき笹原先生が仰ったみたいに、多分僕も、自分では気がつかないうちに人を傷つけたことがあると思うんです。被告には、自分のやった罪について動物園でじっくり考えて欲しい。同時に僕らも苛めについて考えていかねばならないと思います」

 隙のない佐原の言葉に、観客は大きな拍手を贈った。

「さて、二番の矯正施設、五番の達磨の刑、八番のローラープレス、十番の挽肉、と、この四つが候補に上がりました」

 壁のスクリーンには四つの選択肢だけが残った。

 うぎゃああああ、と、安西時雄のものらしい悲鳴がスタジオの何処かから聞こえてきた。霧沢は片方の眉を軽く上げて続けた。

「ではいよいよ、少年の処遇を、一般市民の皆さんに決めて頂きます。皆さん、投票装置をお持ち下さい」

 客席が映る。人々が嬉しそうに装置を握り込む。

「それでは皆さん、ボタンを押して下さいっ」

 霧沢の高らかな声と同時に、画面が壁のスクリーンを拡大した。四つの選択肢の右端に数字が踊り始める。

 画面の隅に四角の枠が出来、霧沢や出演者、そして観客達の顔を次々に映していった。霧沢は微笑を湛えたまま、出演者達は硬い表情で或いは無表情にスクリーンを見上げている。観客達は、自分の投票したものが当選するかどうか、期待を込めて見守っている。

 やがて、数字の回転が止まった。

 矯正施設が十二票、達磨が百九十三票、ローラープレスが四百八十六票、挽肉が三百九票であった。

「おめでとうございます。被告の刑はローラープレスに決定しました。良かったですねえ安西邦夫君、潰し甲斐のある体で」

 拍手と爆笑がスタジオを包んだ。

 椅子に固定された少年は、血の気の失せた死人のような顔色になっていた。

「うああああああっえやだあああああっ」

 恐怖に耐えきれず叫び出した少年の元へ、風のように霧沢が走った。ナイフが閃いた。

 少年の膨れた左右の頬を、唇の上下の肉と一繋がりにして囲むように、赤い筋が走っていた。

「あえっ」

 少年が顔を歪めると、その赤い筋で皮膚がずれた。

 ペリッ、と、頬の肉が唇ごと、少年の顔から、剥がれ落ちた。霧沢のナイフは口腔内まで貫通していたのだ。少年の歯茎と銀冠混じりの歯列が完全に露出した。そこだけ切り残しがあったようで、外れた肉板が左の顎、幅二センチほどだけで繋がってブラブラと揺れた。

 霧沢は左手で肉の板を掴み、無造作に引っ張った。ビヂッと音がして、肉がちぎれた。

「あ……」

 グロテスクな顔になった少年は、目を見開いたまま、悲鳴を呑み込んだ。傷口から血が滲み出して、歯列を赤く染めていく。

 少年の頬と唇の肉を床へ放り捨て、霧沢は微笑した。

「まだ叫ぶ時じゃないんだよ。これから、台の上で思う存分、叫んでもらうんだからね」

 盛大な拍手が沸いた。

 ステージ袖から、男達が処刑装置を運んできた。客席の興奮が更に増す。

 画面が回り込み、装置を様々な角度から映してみせた。太い四本の脚で支えられ、厚さ十センチもありそうな鋼鉄の板が水平に据えられていた。板は真っ平らで、左右の端に近い部分に、ロープを掛けるためのフックが幾つか生えている。鉄板の両側面には溝の深いレールが付いていて、台の上にそびえる巨大なローラー装置が、アームを伸ばしてがっしりと食らいついていた。やはり鋼鉄製のローラーの幅は、台よりも少し狭い程度で、径は五十センチほどもある。歯車と強力なモーターが露出し、簡単な制御パネルも見えていた。

 看守服の男達が少年を椅子から引き剥がした。既に少年は失禁していた。

「あああ、えええ、あえええ」

 必死に抗う少年を、男達は無表情に台の上に据えた。俯せにして、太いロープを幾重にも掛けて少年を固定する。ローラー装置は少年の足側の端にあった。白衣の男が少年に気絶止めを注射する。

「まあ、今回は最初ですし、五センチというところで行きましょうか。あまり薄くし過ぎると、早く絶命してしまうかも知れませんから」

 霧沢が制御パネルを操作した。低く唸りながらローラーの位置が下がる。床との隙間は五センチ。

「ああああっああええっ」

 頬と唇を失った少年の声は、意味不明なものになった。きつく固定されて身じろぎも出来ず、血走った目だけがギョロギョロと動き回る。

 霧沢が客席に向かっていった。

「実は今回、作動ボタンを押すのは私ではありません。相応しい人物が待機しておられます。では、被害者里村直樹君の父親、里村敏明さん、どうぞお入り下さいっ」

 客席から温かい拍手が起こった。正面の扉が開き、先程スクリーンの映像に登場した男性が姿を現した。

 里村敏明は、インタビュー映像よりも白髪が増え、十才も老けてしまったように見えた。彼は台に据えられた少年を冷たく一瞥して通り過ぎ、霧沢の隣に並んだ。

「里村敏明です。今回はこんな機会を与えて下さった青少年倫理道徳復興委員会の皆さんと、適切な処罰を選んで下さった客席の皆さんに深く感謝致します」

 声を震わせて里村は謝辞を述べ、まず霧沢とパネリスト達に、次に客席に向かって深々と頭を下げた。もう一度温かい拍手が贈られた。

「家内は参加を躊躇いまして、今は自宅でこの番組を観ている筈です。この少年を処刑したところで直樹が戻ってくる筈がないことは、私も承知しています。しかし、私達にも打ち明けられぬまま苛めに耐え続けて死んでいった直樹の魂が、少しでも浮かばれるように、そして、今後直樹のように苛められて苦しむ子供達が少しでも減るように、私は作動ボタンを押したい。それが親としての務めだと思っています」

 とうとう堪えきれなくなったのか、里村敏明は顔を歪め、滲み出す涙を拭った。客席から拍手が沸いた。三木百合子がまた泣いていた。台の上の少年も泣いていたが、それは自分の犯した罪の重さに対する慙愧の念などでは決してないだろう。

「では、里村さん、ローラープレスの作動ボタンをお押し下さい」

 霧沢が里村敏明を制御パネルの前に導いた。赤いボタンを指先で示し、霧沢が頷いた。

 里村敏明が、右手の人差し指を、ボタンの上に置いた。

「なおきいいいいいいいいいいっ」

 顔をくしゃくしゃにして叫びながら、里村敏明はボタンを押した。

 台の上のローラー装置がゆっくりと動き出した。ローラーを回転させながら、レールを滑って少年の足先へ近づいていく。秒速一、二センチというところだろう。画面がローラーの動きをアップにして映す。

 伸ばされた足先は、五センチの隙間を余裕で通り抜けた。だが踵の出っ張りはそうは行かない。そこにローラーが触れ、一瞬引っ掛かって止まるかと思いきや、そのまま通り過ぎた。あっけなく両方の踵が潰れ、ゴリリ、と音がした。

「おぎぇえええええええっ」

 少年がグロテスクな口を開いて悲鳴を上げた。痙攣するように、背筋が僅かに反って手足がヒクヒクと震える。客席の拍手が爆ぜる。

 ローラーが踵を過ぎて下腿に移ると、骨格へのダメージは減ったのだろう、少年が長い溜息をつく。砕けた踵の骨が側方へずれて、奇妙な形となっていた。

 ふくらはぎの筋肉が押し潰され、少年が顔を歪める。ローラーが膝へ近づくにつれて、また少年の悲鳴が始まった。

「いででででででで」

 ミシ、ミシ、ゴリ、ゴリリ、と、骨の軋む音がリアルに伝わってきた。おそらく台にマイクが取りつけられているのだろう。画面の四隅に小さな枠が出来、少年の顔や里村敏明の顔、パネリストや観客の顔、霧沢の落ち着いた顔を映していった。蛆のプールでもがきながら濁った悲鳴を上げている安西時雄の姿も、数秒だけ映った。観客は皆喜悦の表情で狂ったように拍手を続けている。

 ゴキョリ、と、一際大きな音が響いた。膝の骨が砕けたのだ。

「おぎゃあああああああっ」

 少年が悲鳴を上げた。削げた頬から流れる血と涎が、鋼鉄の台を濡らしている。ローラーが容赦なく同じスピードで進んでいく。でっぷりと太った大腿が潰れていく。

「ああああえだあああああっ」

 ゴギゴギブチッ、と、大きな音が続いた。骨盤が砕け、五センチの厚さに押し縮められていく。ローラーの過ぎた両足は逆に紫色に腫れ上がっている。肛門から内臓がはみ出したか、灰色のズボンの股間が真っ赤に染まり、膨らんでいく。

「ええええええっおああああっええっでえっへえええっ」

 ローラーが腰を過ぎた。内臓が潰れ、背骨がゆっくりと砕かれていく。少年が首を振ってもがく。今にも飛び出しそうな両目から血が流れている。

「ごええっあおおおっええおおおっ」

 少年の太かった腰は、五センチの厚さに縮小されていた。それは異様な光景だった。

 被害者の父親である里村敏明は、唇を引き結び、黙ってそれを見守っていた。

「おおおおおおおおゴボッ」

 ローラーが胸に達しようとする頃、少年の喉が大きく膨らんで、口から舌と一緒に赤いものがはみ出した。裏返った食道や胃の一部であろうか。すぐその後に、バツンと音がして、灰色のシャツが赤く染まった。腹壁が破れ、内臓が飛び出したのだろう。初めて目にする刑罰の残忍さに、観客が最大の拍手で賛辞を贈る。

 メチメチメチ、ビギビキ、ゴキゴキ、と、骨の砕ける音が連続した。ローラーが肋骨を潰していくのだ。折れた肋骨の先が皮膚と服を破って突き出した。既に悲鳴は上げられず、少年の頭が小刻みに震えている。赤い眼球は裏返っているようだ。

 胸部を完全に潰し終わり、首に達した。頚椎の砕ける音。少年の口から赤いものが更にせり出してくる。

 ゴキョリゴリリ、と、少年の頭蓋骨が砕けた。赤い眼球が飛び出して、すぐその後から血の混じった脳がはみ出してきた。観客が嬉し怖しの黄色い声を上げる。

 そして、ローラーは、少年の上を、完全に、通り過ぎ、頭側の端で自動停止した。

 台の上には、潰れて訳の分からなくなった肉塊が載っていた。

 わざとらしく霧沢が、少年の元首筋らしき部分に指を当てた。数秒して頷く。

「処刑完了です」

 にこやかに霧沢が告げた。カタルシスに酔いしれた観客が大満足の拍手を贈った。里村敏明が、もう一度深く頭を下げて、ステージを去っていった。その背に観客が拍手と温かい声援を贈った。

 看守服の男達が、潰れた肉塊の載ったローラープレスを運び去る。皆が長い息を吐いた後で、霧沢が言った。

「さて、残り時間も少なくなって参りました。今週最後の被告です。まずはこの映像をご覧下さい」

 壁のスクリーンに、若い女性の姿が映った。或いはまだ十代かも知れない。この番組では珍しく、顔をモザイクで隠している。

「すると、彼は最初は紳士的な態度を取っていた訳ですね」

 インタビューアーである霧沢の声が響き、モザイクのかかった女性の顔が頷いた。

「はい。テレビの彼は凄く真面目でいい人に見えたし、私は芸能界での人の噂とか、あんまし興味なかったから。隣のスタジオで収録やってて偶然会って、食事に誘われた時は、ドキドキしちゃって」

 答えながら、女性は目元をハンカチで拭った。彼女の声は特殊処理されている。

 女性は、芸能界の人間らしかった。

「それで、その誘いを受けた訳ですね」

「ええ。こんなことになるなんて思ってなかったから。待ち合わせの時間は夜の九時で、ちょっと遅いかなって思ったけど、バーみたいなとこに連れてかれて、彼未成年なのに、平気でお酒飲んでて、あら、意外だなって思った」

「それで、あなたにもお酒を勧めた」

「あんまり飲んだことなかったけど、ちょっと冒険してみる気になって……。で、すぐに訳分かんなくなってた。多分、何か薬が混ぜてあったと思うわ。気がついたら……」

 女性はここで声を詰まらせた。

 霧沢が聞いた。静かな声に、冷たい怒りが含まれていた。

「四人がかりで犯されていた訳ですね」

「……はい」

 女性が嗚咽した。ハンカチを持った手が震えている。顎の先から涙の雫が落ちた。

「一人がビデオカメラ持ってて、写真も何枚も撮られたわ。今度から、携帯に電話したらすぐに飛んでこいよって……このことを誰かに洩らしたら……写真とビデオをばら撒いてやるって、言われた。そしたらもうお前は終わりだって。どうせグラビアアイドルなんて使い捨てなんだって……ううっ」

 画面の隅に別の枠が生じ、何故かパネリスト席の佐原京平を映した。佐原は目を細めてスクリーンを見ていた。これまでと違った表情だった。

「それで、その腐れきった悪餓鬼どもの名前をもう一度言って頂けますか」

 モザイクの女性が頷いて、はっきりとそれを口にした。

「佐原京平と、同じ事務所のアイドルグループで、セイクリッド・ブルーの三人です」

 スクリーンの映像はここで終わった。画面は慌てて立ち上がる佐原京平を、アップで映し出していた。客席が驚きと嫌悪、そして残忍な歓びにどよめいた。

「ということで、三人目の被告は強姦脅迫魔佐原京平、本名佐原文治十七才です」

 霧沢がにこやかに、しかし野獣の目をして告げた。すぐに拍手が沸いた。

「う……嘘だ」

 真っ青な顔で、少年は呟いた。

「罠だ。だ、誰かの陰謀だ。ぼ、僕はそんなことしてない」

「佐原文治君、君は博多での番組収録から戻って、すぐにテレビ局に急行させられたよね。実は昨日から丸一日かけて、警察と委員会で君のマンションを捜索させてもらった。他の女性アイドルも含めて、ビデオや写真が山ほど出てきたよ。テープの日付を見ると、十五の頃からやってたようじゃないか、ええ、このマセ餓鬼が。ローレックスの時計やらブランドのスーツやら、あれは貢がせてるのかい」

「う、うう、うわああっ」

 少年が逃げ出そうとした。その背を掴んだのは、いつの間にか立ち上がっていた体育教師、黒崎源次だった。すぐに看守服の男達が走り寄り、少年を捕らえる。

「今日来て頂いている一般市民の皆さんには申し訳ないのですが、この被告の刑は既に決まっておりましてね」

 霧沢が少年に歩み寄る。少年が細い悲鳴を上げる。

「嫌、嫌だっ、助けて、ぼ、僕は人気アイドルなんだぞ。じ、事務所が黙ってないぞ」

「本日付けで事務所は君を解雇したよ。ただし、事務所の監督の仕方に問題がなかったか、調査が入る予定だ。場合によっては会社を潰すことになる」

「や、やったのは、ぼ、僕だけじゃないだろ。セイクリッド・ブルーだってやったんだ。奴らはいいのかよっ」

「ああ、彼らかね」

 霧沢は意味ありげに笑った。片手を挙げて合図すると、正面の扉が開き、三人の少年が看守服の男達に引っ張られて登場した。両手と両足に鉄の枷が填まっている。

 震えながら泣いているセイクリッド・ブルーの三人は、額に烙印を入れられていた。その文字は「強姦魔」となっている。

 それを見て、被告の顔が泣きそうに歪んだ。

「あああ、ああ、たすっ」

 霧沢の前蹴りが、佐原の股間を直撃した。ゴミョリ、と、異様な音が聞こえた。

「あううううっ」

 少年の眼球が裏返った。体がヒクつき、口から泡を噴く。

 スーツのズボンに、赤い染みが拡がっていく。一撃で睾丸が潰れ、陰嚢が破れたようだった。拍手でスタジオが沸き返る。画面が観客を映した。最後の処刑に観客は皆立ち上がって拍手を贈っていた。

 霧沢が左手に手袋を填めた。ステージ袖から現れた看守服の男が、霧沢に鉄の棒を手渡した。

 その平たい先端は赤熱し、何かの文字を映していた。

 霧沢は微笑しながら、少年の額にそれを押しつけた。肉の焦げる音と煙。悶絶していた少年がまた悲鳴を上げる。

 焼印を離すと、少年の額には、「強姦魔」の文字が残っていた。

「実は六時間前に告知を行っておりまして、テレビ局前の広場には善意の人々が集まっております。この強姦魔四人には、そこを通り抜けて帰って頂きましょう。無事に通ることが出来れば放免です」

 壁のスクリーンが広場の光景を映し出した。数千人の人々が集まって、少年犯罪者の登場を待ち侘びている。看守服の男達が、彼らに凶器を配っていた。釘を生やしたバットや、長いバールや、鋭い先端を持った熊手。皆、我先に凶器へ手を伸ばす。とても凶器が足りそうにない人数だ。

 看守服の男達が、少年の手足に枷を填めた。左右の手枷は直接繋がっており、足枷を繋ぐ鎖は五十センチ程度の長さしかない。到底走れるものではない。

「では、出発です。スタジオの皆さんは経過をスクリーンで御観賞下さい」

 霧沢が言い、男達が少年達を押して、扉から出ていった。観客は拍手でそれを送る。カメラマンがその後を追っていき、スクリーンに少年達の姿が映った。佐原は内股になり、男達に支えられてやっとのことで歩いている。

 画面の下をスタッフロールが流れ始めた。霧沢がステージの前に進み出て、誇らしげに一礼する。観客が盛大な拍手と声援を飛ばす。テレビ局の廊下を歩かされる少年達がスクリーンに映っている。偶然擦れ違った局員が、少年の顔に唾を吐きかけていった。

 少年達は泣きながら、男達に押されて歩く。嘗て何十万人もの若い女性を虜にした顔は、烙印で使い物にならなくなった。

 スタジオからはそれを見ながら人々が拍手を続けている。パネリストの三木百合子も拍手している。黒崎源次は大儀そうに、笹村誠二郎は憮然としつつも拍手している。

 いよいよ少年達がテレビ局を出た。怒涛のような人々の歓声が彼らを迎える。その中へ、男達が無表情に、四人の少年を押し出した。人の波が、無数の凶器が、少年達を呑み込んだ。人々の狂気の笑み。正義の制裁の愉悦。

 少年達の悲鳴は、人々の歓声に掻き消された。

 スタッフロールは流れ続ける。カメラに向かって霧沢が、高らかに告げた。

「それでは、今週はこの辺でさようなら。参加して下さった善良なる一般市民の皆さん、どうもありがとうございました。テレビの前にいる少年少女の皆さんも、この光景を肝に銘じて下さいね。最後に、締めの言葉を」

 カメラに向かって霧沢が、ビシリと、右手の人差し指を鋭く差し上げ、危険な笑みを浮かべて言った。同時に観客が大声で同じ言葉を叫ぶ。

「大人を舐めるなっ」

 感動の大きな拍手と共に、スタジオの風景がブラックアウトしていった。スタッフロールはまだ流れている。

 やがて画面は、テレビ局前の広場を映した。ここでも人々が盛大な拍手を贈っている。

 広場の中央に空きが出来、血溜まりが広がっていた。

 四つの血みどろの、肉の塊が、そこに、転がっていた。

 華々しい音楽と共に、画面に赤い幕が下ろされた。

 幕には、「提供 文部省 青少年倫理道徳復興委員会」の文字があった。

 やがて幕もブラックアウトして消えた。

 

 

 老人はリモコンのボタンを押した。テレビの下にあるビデオ機器が停止した。老人は別のボタンを押した。画面に「取り出し」の文字が浮かび、機械からディスクが吐き出された。老人はゆっくりとそこまで歩き、ディスクを大事そうにケースへ戻した。

 老人は八十才を超えているようだった。それでも背筋は伸び、足腰もしっかりしているらしく、かくしゃくとした印象があった。白髪の頭頂部は薄くなっている。深い皺の刻まれた顔にも鋭い瞳にも、枯れてそのまま染みついてしまったような憂いが見えた。

 白い髭に隠れて分かりにくいが、老人の顎には、刃物による細い古傷があった。

「霧沢さんはそのビデオが好きなんですね。他の皆さんはホールで立体テレビや体感ゲームを楽しんでますよ」

 白い個室の入り口に、白い服を着た若い職員が立っていた。気配にはとうに気づいていたのだろう、老人は振り向きもせず、ディスクケースを棚に戻す。

 棚には、ビデオディスクが百巻以上も並んでいた。

「途中から観せてもらいましたけど、とても残酷な番組があったんですね。昔の日本は荒んでいたんだなあ」

 ホームの職員の言葉に、老人は皮肉に鼻で笑った。

「ふん。今の社会よりはましじゃ」

 職員は不思議そうに首を傾げた。

「へえ。どうしてですか。現代の社会はこんなに平和じゃないですか。犯罪って言葉は歴史の教科書には出てきますけど、実際に目にしたことはないですもの」

「お前らには分かる筈もない。分かりようがないんじゃ。もう出てけ。わしを独りにしといてくれ」

「そうですか。じゃあ、お食事の時にはまた呼びますよ」

 別段嫌な顔もせず、職員は立ち去った。

 老人は独りになった。

「わしと笹村は、委員会内で最後まで反対していた。その意味で、笹村とは同志だった」

 ベッドの傍らの椅子に、老人は腰を下ろした。窓から外には灰色の高層ビル街が並び、空は見えない。

「うまく行っていたんだ。犯罪発生率は、驚異的に低下していた。たとえ一般視聴者の目的が、自身の残虐性を満たすことであったとしてもな。……笹村が勘違い野郎に刺殺されて、もう科学者どもを止められなくなった。いや、政府はどうせやるつもりだったんじゃろう。……今の若者は、制御チップが自分の頭に入っとるなど夢にも思わんじゃろうな。ロボットと変わらんわ」

 老人は、吐き捨てるように言った。

「昔は良かった。あの頃はまだ人間が、生き生きとしていた。正義と悪、愛と憎悪、そして快楽と苦痛……。世界は、終わった……」

 老人は目を閉じて、長い溜息をついた。

 

 

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