第一章 仮面の騎士

 

  一

 

 耳が痺れそうな銅鑼の音のすぐ後に、人々の怒号と続けざまの轟音が聞こえてきた。

 轟音の独特の響きにルナンは覚えがあった。彼女の村でも野獣の撃退に使っている、銃とかライフルとか呼ばれている飛び道具だ。村には三つしかない貴重品だが、銃声の激しさからすると数十個もあるのではないか。

 土手の縁まで着くと、その先には不毛の荒野が広がっていた。長旅の疲労も眠気も一瞬で吹き飛び、ルナンはその光景に目を奪われた。

 容赦なく照らしつける陽光の下、荒野では一方的な殺戮が繰り広げられ、あっという間に終わろうとしていた。

 五十人近い男達。殆どは既に死体だった。まだ出来立てらしいのは、断面から勢い良く血が溢れ、ピクピク動いているものもあることから分かる。首を失ったり胴を輪切りにされたりした彼らは、細長い銃を握っていた。ルナンの村のものよりも新しそうで、高性能のようだ。まだ生きている男が銃を構え、その先端が連続して火花を噴いている。銃というものがあんなに早く次を撃てるとは知らなかった。

 銃を撃つ男は黄土色のマントを着ていた。贅肉と一緒に感情まで削ぎ落としたような顔は、彼らが専業の兵士であることを示していた。ルナンも何度か、休息のため村に寄っていく傭兵の一団を目にしたことがある。

 彼らが何を相手にしているのか、ルナンには分からなかった。黒い影が掠めるのが見えたような気がした、くらいだ。

「降参だっ」

 生き残った兵士が銃を捨てて両手を上げた。その首が、あっけなく胴体から離れた。グルグルと水平回転しながら、兵士の生首が真上にすっ飛んでいく。クルクル、クルクルクルクルと。

 あまりの光景にルナンが唖然としていると、馬も怯えたのか、身を激しく震わせた。ルナンはバランスを失い落馬してしまった。そのまま土手の斜面を転がり落ちていく。

「あたた、痛っ」

 土塗れになったが幸い怪我はしなかったようだ。なんとかルナンが起き上がると、目の前に騎士がいた。

 黒い馬の顔。ルナンの顔からほんの数十センチの場所にある。馬の額には角が五本も並んで生えている。大型の馬。こんな馬は見たことがなかった。

 だがそれよりも問題なのは、馬の乗り手が持つ武器の方だった。長柄の武器。その先端がルナンの喉のすぐ前で静止していた。

 それは黒い鎌だった。作物を刈り取る大鎌とは鎌の角度が違っていた。刃が曲がってはいるが、その切っ先が前を向いており、刺すのにも使えそうだった。戦闘用の鎌なのだろう。

 ルナンは、自分の命が既に騎士の手の中にあることを知った。

 右手で鎌を握る騎士は黒いロングコートを着ていた。長い灰色の髪は手入れしていないようで乱れ絡み、ゆらゆらと風になびいている。

「こいつも敵か」

 錆のある低い声で、騎士が誰かに尋ねた。くぐもった感じもあるが、同時によく響く声だった。

 騎士の声がくぐもっているのは、その顔が仮面で覆われていたためだ。平板な、黒い金属性の仮面。両目部分にだけ横長の穴が開いていたが、それ以外には何もなかった。細い穴の奥から冷酷な瞳が覗いているような気がして、ルナンは凍りついた。

 今、兵士達をあっさり皆殺しにしたのはこの騎士で、その武器が、この黒い大鎌であったことをルナンは悟った。銃は凄い武器だ。その筈だ。だが騎士は、この単純な大鎌で、どうやらたった一人で勝利したのだ。降参した敵まで容赦なく首を刎ねて。

 演習場への道を聞いた時、「死んでも知らんぞ」と果物屋が言い捨てた意味を、ルナンは漸く理解した。

「あ……あ……」

 私は違います。そう言おうとしたが、ルナンの舌は麻痺したみたいになっていた。膝が震え、地面に座り込みそうになるのを彼女は堪えた。少しでも動けば大鎌の刃に触れてしまう。

 怪物馬の顔。隙間なく体の表面を覆う黒い鱗。大きな口からは鋭い牙が覗き、明らかに肉食だと分かるのに、馬の目は妙に澄んで、穏やかに見えた。

「そいつは違うな。ただの見物客だろう」

 離れた場所から中年の男の声がした。

 兵士達の血みどろの死体が転がる向こうに、小高い丘があった。傘状の屋根に覆われた、ちょっとした観戦所が設けられている。豪奢な服装をした二人の中年男がテーブルの両側につき、数人の召使を侍らせてこちらを見下ろしている。一人はでっぷりと太った禿げ頭で、もう一人は鷲鼻の痩せぎすだ。

 ルナンに助け舟を出したのは太った男の方らしかった。殺戮を目にしたばかりだというのに、男は満面に笑みを湛えている。逆に痩せぎすは渋い顔だった。

 太った男の指摘を受け、仮面の騎士は大鎌をルナンから離した。馬首を返し、ルナンに背を向けて悠然と去っていく。

 助かった。ルナンは安堵のあまり、乾いた地面にそのままへたり込んだ。

「全滅させるまで十秒もかからんかった。物足りなかったな。だからわしのスケルトン・ナイトには誰も敵わんと言っただろうが」

 太った男が大声で笑っていた。痩せぎすの男への当てつけでもあるようだ。

「その仮面が速過ぎた。科学士に作らせた高価な弾を使っておったのに。命中すれば殺せた筈だ」

 乾いた風に乗って痩せぎすの男の愚痴が届く。

「わしの勝ちだ。約束通り、お前の大事にしているプラド・ルビーを貰うぞ」

 ルナンは状況を悟った。この二人の富豪は賭けをやっていたのだ。太った男の雇った黒衣の騎士と、痩せぎすの男の雇った傭兵集団とを、ルビーを賭けて殺し合わせたのだ。彼らは人間の命など何とも思っていなかった。

 去っていく騎士が、大鎌の柄から小さな金属片を摘まみ取って捨てている。傭兵の撃った弾丸が潰れてへばりついたものであることも、この騎士が飛んでくる弾丸を大鎌で受け止めて防いだことも、当時のルナンには理解の外だった。

 ただ、死の呪縛から解かれ、ルナンは本来の役目を思い出した。ルナンが依頼しなければならない相手は、きっとこの騎士なのだ。

「あ……あの……」

 絞り出した声はしゃがれていた。騎士は止まらず丘へ向かっている。いけない。役目を果たさなければ……。

「あの、い、依頼を……」

 騎士が止まった。馬首を返して、黒い仮面がルナンを向く。

「契約か」

 感情の篭もらない声音で、騎士は聞いた。

「は、はい……。あ、あなたは、キルマさん、ですよね」

「そうだ」

 騎士が答える。ならばやはり、彼が目的の人物ということになる。ルナンの村を救ってくれる、カイスト。

「あの、お、お願いがあるんです。私はあなたに会いにトラケンまで来たんです。私の村を……ワズトーの村を、守って欲しいんです」

「何からだ」

 黒い馬がこちらまで戻ってきた。蹄の音は立たない。馬の脚先は蹄ではなく、太い鉤爪になっていた。

 ルナンは騎士が怖じ気づかないことを願いながら、それを口にした。

「て……帝国軍、バザム神聖帝国の軍隊です。テロッサ王が、皇帝を怒らせてしまって、皇帝は、テロッサの国民を皆殺しにしろって言ったんです。今、ゼトキアって将軍が、十万人の兵士を引き連れて、次々に都市や村を襲っているんです。ワズトーの村にもそろそろやってくる筈なんです。だから……」

「そのゼトキアの部隊を潰しただけでは済まないだろう」

 別段動揺したふうもなく、騎士が言った。

「全滅させても帝国は次の軍を送り込んでくる。撃退すればするほど、帝国は威信にかけて村を落とそうとするだろう。終いには百万の軍勢がその村一つを取り囲むことになるかも知れん」

 ルナンは返す言葉を持たなかった。確かに、帝国の一軍隊を撃破して終わりではないのだ。そこから先のことまで考えていなかった。

 騎士は続けた。

「つまり、ゼトキアの部隊だけでなく、後から押し寄せるであろう帝国軍の全てから村を守れということか」

 ルナンは最初、騎士の意図が分からなかった。拒絶か、或いは嫌味だと思った。

 だが、騎士の言葉は、単純に、質問だった。長い沈黙は返事を待っているのだと気づいて、ルナンは慌てて頷いた。

「は、はい」

「帝国軍だけか。帝国が属国に命じて村を攻撃させる可能性もある。例えばこのトラケンなどがそうだ」

「そ、そんな時も、お願いします」

「或いは、帝国が和平を条件に、村を差し出すようテロッサ王に要求する可能性もある。その場合はテロッサの軍がお前の村を襲うことになるが、それからも守るということか」

 ルナンが呆れるくらいに、騎士は細かいところまで尋ねた。少女は迷いながらも頷いた。

「はい」

「つまり、帝国以外の脅威からも守れということだな」

「はい」

「村の一部の者が、自分が助かるために帝国に寝返って内紛を起こす可能性もある。その場合は、村を守るために裏切り者を排除するか」

 騎士のその問いは、ルナンの胸に鋭く突き刺さった。そんなことは予想していなかった。しかし、切羽詰まった状況では本当に起こることかも知れないのだ。彼女は村の人々の顔を思い浮かべた。

 ルナンは、即答することが出来なかった。

「それは……」

 騎士は黙ったまま、微動だにせずに待った。重い沈黙はルナンを呪縛した。丘の上から太った男がどうしたと騎士に呼びかけていた。

 数十秒が流れ、ルナンは正直に答えた。

「分かりません」

「その時は、俺の判断に任せるか」

「……はい」

 それで良いのかどうか、分からなかったが、ルナンは承知するしかなかった。

「期限はいつまでにする。永遠にという依頼は受けられない。依頼人側が終了を告げた場合は別だが、ひとまず一年として、期間の終わりに契約更新するかどうかを決める形でいいか」

「はい。……では、引き受けてくれますか」

「条件がある」

 騎士は言った。

「まず、村の概念は土地と人を含むだろう。村人が土地から逃走し、広い地域に拡散すると守りにくくなる。だから予め区域を設定し、その中で生活してもらう。区域を出た村人を守ることは契約外だ」

「はい」

「それと、報酬は後払いにしてくれ。果たせない依頼の報酬を受け取る訳にはいかんからな」

「分かりました。それで……報酬の方は……」

 ルナンは口篭もった。それが、彼女が最も心配していたことだった。この冷徹な騎士は、何を求めるだろう。

「何が出せる」

 逆に騎士は尋ねた。

 ルナンは懐から革製の巾着を取り出し、中に右手を突っ込んだ。

 抜き出して開いてみせた掌には、数枚の紙幣と硬貨が載っていた。八百七十ルカしか残っていないことを、ルナンは知っていた。彼女は恥ずかしさに赤面しながら言った。

「今、私が持っているのはこれだけです。ワズトーの村は貧しくて、でも、五十万ルカくらいまでなら、なんとか出せるそうです。それから……」

 騎士は無言だった。嘲笑うことも、怒り出すこともなかった。仮面の穴から二つの瞳が、ルナンを冷たく見据えていた。

 覚悟を決めて、ルナンは続けた。しかしその声は震えていた。

「それから、私自身です」

「それはどういう意味だ。お前の肉体か、精神か。それとも命か」

 すぐに騎士が問うた。どんな感情も含まぬ声で。

「……す、好きなように使ってもらって、構いません。私の腕や足を、き、切り落としてもいいですし、殺しても構いません。何でも言うことを聞きます。奴隷にでもなります。……もし、あなたが望むのなら、私は……」

 あなたに抱かれても構わない。そう言いかけた時、この不気味な騎士は尋ねた。

「俺が何故、スケルトン・ナイトと呼ばれているか知っているか」

 その声音にゾクリとするものを感じ、ルナンの全身に鳥肌が立った。依頼を受けてくれるかどうか、ここが正念場のような気がした。

「……いいえ。知りません。あなたのことも、昨日聞いたばかりです」

 ルナンは、正直に答えた。

 馬上の騎士の、大鎌を握っていない方の手が動いた。意外に繊細な、細い指。

 その手は、顔を覆う仮面に触れた。

 カシャリ、と、音がして、平板な黒い仮面が外れ、ルナンは、息を呑んだ。

 騎士の顔は、髑髏であった。

 皮膚はなく、顎の側面や額の付近に薄い筋肉がへばりついているだけだった。歯茎もなく、顎の骨に直接歯が挿さっている。瞼のない眼窩に収まった二つの丸い眼球が、真っ直ぐにルナンを見据えていた。肉が去って久しいような、乾いた白い顔面の骨。仮面を取ったところで表情など作りようもない顔だった。

 ルナンは、こんな人間が存在することが、信じられなかった。こんなふうになって、人間が生きていけるということが、信じられなかった。仮面の下に髑髏を模した別の仮面を着けているのではないかと考えてもみたが、顔の大きさと露出した眼球を見ると、やはり自前の骨らしい。

 カイストとは、こういうものなのか。

「どう思う」

 唇もないのに、きちんとした発音で騎士は尋ねた。

 ルナンは、答えることが、出来なかった。騎士がどんな答えを期待しているのかも分からない。

 ただ彼女は、この顔で生きていかねばならぬ騎士の、仮面を着けて生きていかねばならぬ騎士の、人生を想った。それはどんなに辛い人生なのだろう。

「怖いか」

 続けて騎士が問うた。

 首を振ろうかとも思ったが、正直に彼女は頷いた。

 ルナンの目頭が熱くなり、視界が涙で滲み始めていた。少女は嗚咽を堪えた。

 騎士への同情は、冒涜になるような気がしたからだ。

「もし俺が依頼を果たし終えたなら……」

 騎士の言葉に、ルナンは顔を上げた。

 仮面を掴む繊細な騎士の左手が、人差し指だけ伸ばして、唇も肉もない自らの口元を示した。

「お前に、口づけをして欲しい。一度だけでいい。それが、報酬だ」

 騎士の口調も態度も、村のにやけた若者達の肉欲に彩られたそれとは異なっていた。表情を作れない二つの眼球に、ルナンは真摯な光を感じていた。

「分かりました」

 そんな簡単なことでいいのかと、ルナンは思えない。きっとこの騎士にとっては、口づけの報酬はとても重いものなのだ。ルナンはしっかりと、頷いた。

「では、依頼者よ。名前を教えてくれ」

「はい、ルナンといいます」

 騎士の雰囲気が変わった気がした。恐い感じにではなく、奇妙な感じ……ルナンは視線を強く感じた。騎士に見つめられている。何かを確認するみたいに。

「あの、何か」

 ルナンは尋ねた。

「何でもない。こちらの都合だ」

 雰囲気は元に戻っていた。感情を抑えた、冷徹な騎士に。

「何をやっている、キルマ。祝勝の酒宴が待っているぞ。今日でお別れだ。ご馳走をたらふく食っていけ」

 太った男が丘から下りながらキルマに怒鳴る。痩せぎすの男は渋面のまま去っていく。その後を召使達が追う。

 ご馳走と聞いて、ルナンの腹が勝手に鳴り出した。昨日から殆ど何も食べていなかったのだ。ルナンの顔は恥ずかしさに上気した。

 仮面を着け戻して、騎士が言った。

「一緒に来るがいい。奴との契約はこれで終わった。新しい契約に入る前に、報酬を受け取らねばならない」

 ルナンは歩き出そうとして、足がふらついて転びかけた。その腕を、騎士の左手が素早く掴んだ。温かい手だった。その点は、カイストも人間と変わらなかった。

 怪物馬が身を沈め、騎士が軽々とルナンを引っ張って馬上に乗せた。騎士の前だった。

 馬が長い首をうまくひねり、そのゴツゴツした顔をルナンの目の前に突き合わせた。普通の馬に比べやや内側に寄った丸い目は、穏やかで知的な光を湛えている。

 と、怪物馬は、頷くように頭を軽く下げてみせた。ルナンも思わず一礼すると、馬は静かに首を戻した。ルナンはおかしくなった。

「その小娘はどうした」

 太った男が尋ねると、仮面の騎士は平然と答えた。

「新しい依頼人だ」

「オハッハッ。流石はスケルトン・ナイトだ、契約には貪欲だな。そんな小娘が幾ら払えるのかは知らんが」

 太った男は下卑た笑い声を上げた。

 怪物馬はその荒々しい外見と違い、歩いても殆ど揺れなかった。

 ルナンは依頼を引き受けてもらえたことに、ひとまず安堵した。強大な帝国軍に対し、このキルマというカイストがどれだけ太刀打ち出来るか分からないが、今はすがるしかなかった。彼女の生まれ育ったワズトーの村を守るために。

 

 

  二

 

 カイストを捜せと村長は言った。

 帝国の軍勢がワズトーの村に迫っている。血に飢えた十万の兵を率いるのは、その残虐さで近隣諸国に恐れられるゼトキア・ファルスフォーン将軍だ。

 最初に襲われたのは国境付近にあるテロッサ第二の都市、マズルだった。三万の住民は皆殺しにされた。住民の生首は長い杭で串団子状に貫かれ、廃墟と化した市内に数千本の杭が飾られたという。

 その二日後にタラートの村が襲われ、二千五百の住民は皆殺しにされた。バラバラにされた住民の体が、焼け野原と化した村の中央に山積みにされた。

 現在、帝国軍はグンザの村を攻撃している最中だろう。或いは、既に七千の住民は皆殺しにされ、残虐なデモンストレーションも済ませて軍はワズトーへ向かっているかも知れない。

 ルナンの住むワズトーは、人口千二百に満たぬ小さな村だ。帝国軍の手にかかればひとたまりもなく蹂躙され、無人の荒野と化すだろう。村長はテロッサ王に援軍を求めているがなしの礫で、村を放棄して逃げたとしても待っているのは餓死だけだ。

 マズル全滅の報が届いた晩、村長はルナンを含めた十数名を集め、村を出てカイストを捜せと告げた。

 十四才のルナンにも分かるように、村長は説明した。

 カイストは、世界を渡り歩く、特殊な能力を持った戦士だ。そこらの自称魔術師がやっているような面倒な儀式も呪文も使わずに、一睨みで相手をミイラにするカイストがいる。超高値で取り引きされている銃器や科学兵器も必要とせず、投げつけた小石で一キロ先の敵指揮官の頭を潰したカイストもいる。帝国の将軍も多くはカイストだ。

 流れ者の強力なカイストを捜し出して雇うのだ。帝国の大軍勢から村を守ってもらうために。

 カイストはプライドが高いが、報酬には無頓着な者も多いと村長は言った。

 たったの十ルカ硬貨一枚で、巨大な魔物を退治した者もいる。丸っきり無報酬で動いた者もいる。逆に、報酬として依頼人の命を要求したカイストもいる。

 もし命を要求されたのなら、喜んでそれに従えと村長は言った。

 ワズトーの村は貧しい。金も資源も相手を満足させるほどはないし、差し出す余裕もない。

 だから、報酬に腕が欲しいと言われれば腕を切り落として渡せ、命が欲しいと言われれば死んでみせろ、それが村のためなのだ。そして村長はルナンの顔をちらりと見て付け足した。

 もしその体を抱きたいと言われたなら、喜んで身を捧げろ。どんな要求にも応じろ。今までお前達を育ててきた村のために、そのくらいは当然のことなのだ、と。

 ルナンは自分が探索役の一人に選ばれた理由を知った。鏡を持っていないので川の水面に映る自分の顔しか知らなかったけれど、村の者からはもう数年したら美人になると散々言われてきた。男達の妙な色目遣いにもルナンは気づいていた。成長すれば、一番の権力者である村長の妾にされるか、或いは村がもっと良い待遇を受けるために、テロッサ王へ性奴として差し出されるだろうという噂もあった。

 彼女は暗い諦念を抱きながら、そんな未来を受け入れていた。幼い頃に両親を失い、この村に養われてきたルナンには、それしか道はなかったし、人生をそんなものだと思い始めていた。

 だから、村長の命令に対しても、気だるい溜め息を呑み込んで、黙ってそれを受け入れることが出来た。フィーナやクレイなど仲の良い友達も何人かいたし、ルナンは彼女なりに村を愛してもいた。村を捨てて逃げる気にはなれなかった。彼女はカイストと呼ばれる者を捜すために、力を尽くすつもりだった。

 村で一番脚の速い馬を貰い、ルナンはカイストを求めて東へと駆け続けた。テロッサの領内では何処も帝国軍の侵入に戦々恐々となっていた。カイストの噂を聞くことはあまりなかったし、いたとしても既に誰かに雇われていた。

 無駄に日は過ぎ、ルナンの焦りは募るばかりだった。

 荒野を渡る途中で六本足の群れに出くわしたのは不運という他はない。六本足はその名の通り六本の脚を持つ狼で、保護色を使うためかなり接近するまで犠牲者は気がつかない。常に集団で行動する、獰猛で狡猾な生き物だ。滅多に村の外に出ることのないルナンでも、その恐ろしさは知っていた。

 ルナンは馬を急き立てて必死に逃げたが、一度獲物に目をつけた六本足は簡単には諦めない。四十頭以上もいて、逃げきる望みは薄かった。死を賭けた追いかけっこが二時間以上も続き、疲労した馬の速度が落ちていく。

 窮地のルナンを救ったのは、痩せ馬に乗った一人の旅人だった。殺到する六本足の群れも、助けを求めるルナンの叫びも気にならぬかのように、その男は悠然と馬を進めていた。

 しかし男はただの一瞬で、四頭の六本足を輪切りにしてみせたのだ。男が軽く手を振ると、目にも留まらぬ速さで銀光が伸びて狼達を切り裂いていく。途端に六本足の群れは強襲をやめ、二人の周囲を用心深く回り始めた。

 旅人がまた手を振り、十数メートル離れた一頭が真っ二つになるに及んで、漸く群れは諦めて去っていった。

 ルナンの初めて見る、異様な能力を持った男だった。

 礼を言うルナンに、旅人はマクバル・アズスと名乗った。まだ若い、飄々とした雰囲気の男だ。帽子代わりに白い布を被り、金属の輪で留めてある。肌は浅黒く、眉は常に軽く上がっている。男の手には、一節三十センチほどの細長い刃が連なった不思議な武器が握られていた。

「ええ、私はカイストです」

 あっけなくマクバルは答えた。ルナンは思いがけぬ出会いに歓喜しつつ、村の事情と依頼の内容を説明した。

 だがマクバルの口から出たのは、期待を裏切る断りの言葉だった。

「現時点では、私には荷が重過ぎますね。帝国の兵力は常時五百万を超え、有力なカイストも多数抱えています。Cクラスの私には、到底不可能な役割です。出来ない依頼は引き受けないというのは基本的なことですよ」

「で、でも、そうしたら私の村は……」

 泣き出したルナンに、マクバルはちょっと困った顔で別のことを提案した。

「隣国のトラケンをご存知ですか。莫大な貢ぎ物によって帝国の脅威を免れている、中立の商業都市です。そこに一人のカイストがいます。今は富豪に雇われていますが、明日にはフリーになる筈です。彼ならば或いは……」

「その人は、強いのですか」

 ルナンが尋ねると、マクバルは微笑した。

「強いですね。Bクラスの中でも相当なものでしょう。サマルータではこの三十年間、白銀のディンゴが最強のカイストと言われてましたが、もしかするとそのディンゴよりも強いかも知れませんね。……ただ、彼は気難しい男です。あなたと契約してくれるかどうかは分かりません。私も昨日、剣術の指南を受けようと彼を訪ねたのですが、あっさり断られてしまいましたよ。まあ、頼んでみることですね。帝国に太刀打ち出来るようなカイストは、今は彼だけでしょうから。急げば明日、トラケンで彼に会うことが出来ますよ」

 意味の分からない言葉もあったが、それでもルナンは一筋の光明にすがった。

「その人の名は、何というんですか」

「キルマです。この世界では綽名の方が有名になってますね。彼は、『スケルトン・ナイト』と呼ばれています」

 それでルナンは、トラケンへ向かうことに決めたのだ。

 マクバルと別れた後、ルナンはほぼ丸一日を休みなしで駆け通し、トラケンに辿り着いた。市場の店頭に並ぶ見たこともない品々と人の多さに眩暈を覚えながら、ルナンはスケルトン・ナイトの居場所を尋ねた。

 そして今、ルナンは、目的のカイストと同じ馬に乗っている。

 

 

  三

 

 キルマの雇い主であった肥満体の男は、商業都市国家トラケンの有力者の一人でゴスメロといった。派手な色の衣を幾重にも纏い、両手の指には大きな宝石の指輪が合計十四、五個も嵌まっている。右手中指で一際強く輝く濃紅色の宝石を、ゴスメロは大事そうに撫でていた。それが、今回の勝負でせしめた戦利品らしかった。

 宮殿のような建物にルナンは圧倒されていた。白い綺麗な塀が何処までも続き、四階建てか五階建てもありそうな広い屋敷がそびえている。清潔な身なりをした大勢の召使いがゴスメロとキルマ達を出迎え、恭しくお辞儀した。貧しい村に住むルナンにとって、それはお伽話や噂でしか触れたことのない世界だった。

「ベオニールにも美味いものを食わせてくれ。すぐに出発する」

 下男に導かれ大人しく厩へ入る黒馬を見ながらキルマが言った。それが馬の名前らしい。

「それは勿論だよ」

 振り向いてゴスメロは笑った。やっぱり、下衆な感じのする笑みだった。

 絨毯の敷き詰められた長い廊下を歩きながら、ゴスメロが猫撫で声でキルマに言った。

「あのベオニールは素晴らしい馬だ。名馬は一日に千里を走るというが、ベオニールはその十倍を余裕で駆けるだろう。どうだね、あの馬をわしに売る気はないかね」

「何度言っても無駄だ。あいつは俺の所有物ではない」

 大鎌の先端を床に当てないように持ち、キルマは答えた。彼の背丈は百八十センチを幾らか超えているだろう。湾曲した鎌の刃は柄と同じく黒で、尖った先端は横ではなく、槍のように前を向いている。真っ直ぐに突き出せばそのまま相手の体に潜り込む。

 あれだけの人を斬り殺した鎌だが、血糊は全く残っていなかった。

 キルマの言葉に、ゴスメロは分厚い唇を丸くすぼめてみせた。

「ほう。ならば、あれは誰のものかね」

「誰のものでもない。あいつは俺の友人で、自分の意思で行動している」

 キルマは即座に答えた。横で聞いていたルナンは少しだけ安堵した。彼は冷酷非情という訳でもないらしい。

「ほほう。孤高の魔人スケルトン・ナイトに、友人がいたとは驚きだ」

 おどけた口調でゴスメロは言った。しかし、キルマを見る雇い主の目には、隠しきれない侮蔑の色があった。

 広間の大きなテーブルには、ルナンがこれまで見たことのない豪華な料理が並んでいた。スープは出来立てで湯気を上げている。既に勝利を見込んで準備させておいたのだろう。壁際には召使い達と衛兵達が控えている。衛兵は儀礼的に槍を立てて無表情に立っていた。

「さあさあ、遠慮なく食べたまえ。その客人もな」

 奥の席に着いたゴスメロは早速食べ始めた。手前の席にキルマが座り、大鎌を椅子に立てかける。召使いが追加の椅子を持ってきてキルマの隣に置いてくれたので、ルナンはそれに腰掛けた。

 キルマは少しの間、黙ったまま動かなかった。僅かに顔を俯かせ、耳を澄ましているようにも見えた。

 ルナンの空腹は耐え難かったが、キルマよりも早く料理に手をつけるのはいけないと思ったので、我慢して待っていた。

「どうした、食べないのか」

 ゴスメロが不審げに問うた。

 やがて、キルマは黒い仮面を外し、ルナンに言った。

「食べていいぞ」

 髑髏の顔も二度目となれば、インパクトも和らいでくる。キルマの静かな物腰は恐怖を薄れさせた。

「頂きます」

 ルナンは一礼して、食事に手をつけた。給仕が差し出した湿ったタオルで汚れた手を拭き、切り分けられた肉や野菜や何だかよく分からないものをフォークで摘まみ、自分の皿に盛ってみる。肉の一片を口に運んでみると、信じられないほどに美味しかった。甘い痺れのようなものが、口の中から頬や喉まで広がっていく。最初は遠慮がちに食べていたルナンも次第にペースが上がってきた。村の人達には申し訳ないが、食べられる時に食べてしまおう。こんな機会は一生のうちに最初で最後かも知れないのだから。

「ほほう、なかなか良い食いっぷりだな。客人は」

 そんなルナンを見てゴスメロは楽しげに笑ったが、視線に混じる好色な気配を少女は敏感に感じ取っていた。この男は嫌いだ。

「契約の報酬を貰おうか。この一年、お前の護衛を務めた分と、今日の遊びに付き合わされた分だ」

 キルマが言うと、ゴスメロは大袈裟に肩を竦めた。

「気の早いことだな。心配せんでも用意してある」

 ゴスメロが指を鳴らすと、召使いの一人が部屋の奥へと消えた。

「いやはや、あのスケルトン・ナイトを雇えて、わしは満足じゃったよ。実力は噂に違わずじゃ。今日はあのシャリックの糞野郎に一泡吹かせることも出来たしな。奴め、兵隊を失って自分の国まで無事に帰れるかのう。ウェハッハッ」

 ゴスメロが喋っている間、キルマは黙々と食べていた。どうやって食べるのかとルナンも横目で見ていたが、飲み物は顔を上向けて一気に喉まで落とし込み、固形物は噛まずにそのまま飲み込んでいるらしい。大きな肉もやはり噛みちぎったらすぐに飲む。唇も頬の肉もないため、のんびり噛んでいたら外に零れてしまうのだ。ルナンは興味本位で覗き見た自分を恥ずかしく思った。

 やがて召使いが大きな布袋を抱えてきた。中身が一杯に詰まっていて袋の表面がデコボコしている。随分と重そうだ。

 召使いが袋をキルマの横に置いた。ゴスメロが言う。

「一年分の契約金、一千万ルカに、今日の特別料金、二百万ルカだ。数えて確かめるかね」

 ルナンには気の遠くなるような額だった。それだけあれば、ワズトーの村人全員が、何年も遊んで暮らせることだろう。しかしキルマは全く興味がないようで、袋の方を見ようともせず素っ気なく返す。

「いや」

「意外じゃな。契約に厳しいスケルトン・ナイトなら、報酬もきちんと数えるかと思っとった」

「もう確認した」

 給仕が注ぎ終わった杯を一気に飲み干して静かに置き、キルマは言った。

「このグラスに何が塗ってあったかも確認済みだ。同じものを飲み食いすれば安心させられると思ったのか、ゴスメロ」

「な、何を言って……」

 ゴスメロの脂ぎった顔から血の気が引いていく。

 どういう意味だろう。ルナンは状況が掴めなかった。何かおかしい。険悪な……いや、ゴスメロの顔に浮かぶのは圧倒的な怯えだ。雇い主の富豪と、契約で雇われた戦士。そういう関係ではなかったのか。

「俺を殺せばベオニールを手に入れられると思ったのか。だがこの程度の毒、俺には効かんぞ」

「い、いやわしは……」

 指輪の煌めく両手を上げて、ゴスメロは弁解しようとした。その両手はそのままに、真ん中にある首だけが飛んでいた。

 でっぷりと肉のついた顔がグルグル回りながら飛び、天井の隅にぶつかってそのままめり込んだ。胴体からは血が噴いたりやんだりを繰り返し、両手が意味もなくヒラヒラと踊る。

 天井の生首から何かが垂れ下がってくる。血だろうか。ルナンは見たくなかったが見てしまった。それは、血の絡みついた眼球だった。

 いつの間にか握っていた大鎌を引き戻し、キルマは立ち上がった。黒い仮面を髑髏の顔に装着する。給仕達は主人の死を見せつけられて悲鳴を上げた。衛兵達は凍りついていたが、キルマの黒い仮面が向けられると、武器を捨てて我先に逃げ出した。

 ルナンは訳が分からない。雇い主が、自分の雇った男を毒殺しようとしたのか。そんなことをしていいのか。しかもキルマもあっさりと相手の首を刎ねて。契約というのは、そんな殺伐としたものなのか。

「よくあることだ」

 呆然とするルナンに告げ、キルマは報酬の詰まった袋を軽々と持ち上げた。

「行くぞ。ワズトーの村まで案内してくれ」

 悠然と歩いていくキルマを、ルナンは慌てて追いかけた。

 邸内は大騒ぎになっていたが、主人を殺した仮面の魔人に立ち向かう者はいなかった。

 

 

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