第十段 幻罪請負人

 

 その国では民族間の虐殺が十年も続いていた。

 最初のきっかけは、地味に迫害されていた少数派の民族が政権を獲ったことで、仕返しを恐れた多数派の民族が先手を取って少数派を襲い始めたのだ。昨日まではお隣さんとして挨拶を交わしていた者達が、一夜にして虐殺者と犠牲者に分かれた。

 警察も軍隊も多数派民族が牛耳っていたため助けにならなかった。少数派民族は難民となって国外に逃げ出し、周辺諸国の後ろ盾を得て二年後に戻ってきた。そして多数派民族への報復の虐殺が始まる。

 だが一年が過ぎると別の大国が多数派を支援するようになった。盛り返した多数派は再び少数派を虐殺し始める。そんな血みどろのシーソーゲームが繰り返され、極限に達した憎悪は互いに相手民族を絶滅させなければ収まらない状態に陥っていた。

 四十五回目の休戦協定が結ばれるが、おそらく一週間もせず破られるだろうと皆が予想していた三日目の朝に、それは現れたのだった。

 それは、『世界平和実現同盟』という旗を立てた一台のトラックだった。装甲は多少施してあるが武装はしていない。荷台には大きな鉄檻が載り、中には一人の男が立っていた。

 左右の格子からそれぞれ二本ずつ伸びた鎖が、男の手枷足枷に繋がっていた。鎖はピンと張り、男は強制的に立たされているのだった。

 男は四十代であろう。高級そうな衣服は薄汚れ、所々が裂けている。伸びた髪と髭に疲弊した顔をしていたが、彼の瞳はふてぶてしい悪党の輝きを備えていた。

 二つの民族が対峙する緊張感に満ちた通りをトラックは徐行していく。何事かと飛び出した人々の視線を受け、檻の中の男が叫びだした。

「全ては俺の陰謀だったんだ。ざまあみろ。何もかも、全てだ」

 服はマイクが取りつけられているらしく、男の声はトラック上部の拡声器からも流れた。声に驚いて更に住民が集まってくる。

「俺はこの国を乗っ取るつもりだったんだ。わざとお前らをいがみ合わせ、互いに疑心暗鬼にさせた。十年前のきっかけとなった最初の殺しも、俺が工作員を使って住民を襲わせたんだ。ハッハッ、お前らはまんまと踊らされて、馬鹿みたいに殺し合いやがった。ワッハッハッ、本当にお前らは糞間抜けだぜ。ざまあみろ、アッハッハッ」

 男はヤケクソになっているらしく、トラックに揺られながら自分の悪事を目一杯喚き続けた。人々は最初あっけに取られていたが、次第にその顔が怒りで赤く染まっていく。彼らは騙されていたのだ。踊らされて国民同士で殺し合っていたのだ。その悲劇と苦難の元凶がこの男だったのだ。人々は多数派も少数派も一緒になってトラックを追いかけ始めた。トラックは檻の男を見せつけるようにのんびり進んでいく。運転手は黒いマスクで顔を隠しており正体は分からない。

 人々は石を投げ始めた。石が檻に当たって固い音を立てる。男は嘲笑い、また同じ内容を怒鳴る。人々は走りながら追い、罵声を浴びせる。怒りと恨みを吐き出し続ける。悔しさに涙を流す者もいた。

 トラックは中央の広場で停まった。取り囲む住民は一万を超し、兵士達は戸惑い顔で見守るだけだ。

 人々が荷台によじ登ろうとした時、突然男が燃え出した。男の足元に発火装置が仕掛けられていたらしい。激しい炎に包まれて男は悲鳴を上げた。

「畜生、ちくしょおおおおおお」

 人々のどよめきはやがて歓声に変わった。男は呪詛の言葉を吐きながら悶えていたが、やがて立ったまま黒焦げ死体となった。

 満場の拍手を浴びてトラックは発進し、何処かへ去った。高揚感が冷めるにつれ、人々は互いの虚脱した顔を見合わせるようになった。

 十年の間、憎み合い、殺し合ってきた二つの民族は、涙を流しながら手を取り合い、再び一つの国民となった。

 その後も『世界平和実現同盟』のトラックは様々な紛争地域に現れた。やはり荷台の檻に悪党面の男が閉じ込められ、紛争の黒幕が自分であることを告白し、人々を嘲笑いながら焼け死んでいくのだ。人々は騙されていたことに驚き、怒り、そして和睦するというお決まりの経過を辿った。いがみ合い、殺し合っていた人々が涙を流して抱き合い、悪魔のような黒幕を罵り、彼が処刑されたことに心を一つにして喜び合った。

 三年後、世界は平和になった。

 至上の目的が果たされ、秘密結社『世界平和実現同盟』の首領は参謀に問うた。

「なあ……皆、気づいていた筈だな」

 参謀は答えた。

「民衆の全員とは申しませんが、何割かは気づいていたと思われます」

「黒幕が、でっちあげた偽者だということに。人々は虐殺の連鎖を断ち切るきっかけが欲しかった。だから偽者と分かっていても彼らは飛びつき、架空の黒幕を憎むことで平和を手に入れたのだ。だが……彼らは、気づいていた。この三年間、八十六ヶ所で架空の黒幕の処刑儀式が行われ、救われた民衆は二億人を超える筈だ。そのうち、一人でも、架空の黒幕への感謝を述べた者がいただろうか」

「残念ながら、我らが把握している限り、一人もおりませんでした」

「同志八十六人の崇高なる死は、報われたのだろうか」

 参謀は、それに答えられなかった。

 やがて、首領は言った。

「決めた。やはり人類は滅ぼそう」

 首領は極秘に開発していた細菌兵器をばら撒いた。二年後、人類は絶滅し、世界は永遠に平和になった。

 

 

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