第十五段 選ばぬ者

 

 私は今日も出生調整所を訪れた。

 長い行列で順番を待つ間、前後に並んだ者達は楽しげに話をしていた。前世がいかに幸せだったか。逆にどれだけ苦労させられたか。波乱万丈だったが最後は大勢の家族に見守られて大往生したとか、大富豪の家に生まれて遊び暮らしたとか、派手な事件を起こして死ぬまで刑務所だったとか、貧乏で最後は孤独に餓死したとか。不幸自慢も多いのは、もう終わった人生なのでネタとして語れるということらしい。

 私は、完璧な人生がいいなあと思った。

 漸く私の番が回ってきた。顔馴染みになった係員が愛想笑いを浮かべて言った。

「今日は良い種に当たると良いですね」

 これも聞き慣れた台詞だった。

 カウンターの上に抽選機がある。付属のモニターには「本日の成肉予定数 221452体 決定降着者数116492名 残り104960体」と表示されていた。

 今日は割と残っているな。朝早くから行列に並んでも残りが十万を切ることは多いのに。成肉……人間が生まれる数が増えているせいもあるだろう。

 さて、今日は完璧な条件が当たるだろうか。係員が「では、どうぞ」と開始ボタンを押した。モニターの表示が変わり、並んだ文字と数字が凄いスピードで切り替わっていく。

 私はカウンターに据えつけられたストップボタンを押した。その瞬間モニターは停止して結果を表示した。

 

[素質] 知能4 運動3 容姿2 健康3 運2

[家庭環境] 裕福 両親の仲は良好

[出生地域の環境] 治安やや悪 大気汚染軽度

[ボーナスポイント] 2

 

 地球で受精卵となった個体の能力と、その親や周辺環境のデータだった。ボーナスポイントはランダムに与えられ、素質に好きなように割り振ることが出来る。

 まあ普通だな、と私は思った。ボーナスポイントを容姿と運に割り振ればほぼ平均となる。環境要因がやや気になるが、家が裕福なのは好材料だ。

 でも、わざわざ選ぶほどでもない。このくらいの結果はざらにあった。今更こんなのを選んでもしょうがない。

「どうしますか」

 係員が尋ねた。

「今日はキャンセルします」

 私は答え、その場を去った。後ろで見ていた順番待ちの一人が、「贅沢だな」と呟いていた。

 キャンセルは特に珍しいことではない。折角なら少しでも良い条件で生まれたいと考えるのは当然のことだ。だから納得いくまで抽選を繰り返す者も多い。ただ、素質、環境、ボーナスポイントと全てが良い条件というのは滅多に出ない。宝くじみたいなものだと誰かが言っていた。だから皆数回から数十回試して、こんなものだと妥協して程々の条件で生まれていく。

 私は、妥協するつもりはなかった。

 今日の抽選は私にとって七千八百二十六回目だった。

 私は家に帰り、何もない白い部屋で膝を抱えて過ごした。生まれる前のこの場所には何の娯楽も用意されていない。完璧な条件が揃ったらどんな凄い人生を送れるだろうと、私は噂で聞く人生の情報を元に想像を楽しんだ。

 翌日も行列に並び、私は抽選機のボタンを押した。男性。知能5、運動2、容姿3、健康3、運4、ボーナスポイントは6だった。環境条件も悪くなかったが、七千回もやっていればこの程度のは百回に一回くらいは出る。私はキャンセルした。

 その翌日も、更にまた翌日も、私は行列に並んで抽選し続けた。家庭環境に大富豪というのが出たこともあった。これはかなり珍しいが、素質が悪かったのでキャンセルした。素質が5、5、4、5、4という凄いものも出たが、ボーナスポイントが3だったのでキャンセルした。一度だけオール5を見たことがあるが、やはりボーナスポイントが低かったのと出生地域の治安が最悪だったのでキャンセルした。なかなか完璧なものは出ない。かなりの好条件が出ても、もしかするとまだ後でもっと良いものが出るかも知れないと思うとキャンセルしてしまう。そうすると前のより悪い条件で妥協する気はなくなってしまう。それでいいのだ。どうせ毎日抽選出来るのだから。

 行列に並んでいる者達の立ち話を耳にする。もう輪廻転生で何十回も人生を歩んでいる者もいるようだ。初期条件なんてどうでもいいと言う者もいた。厳しい条件で努力して幸せを勝ち取るのが面白いのだと。ふうん、そういう考え方もあるのか。でも私は妥協する気はなかった。

 一万回を超えた時、知能6という数字を見て驚いた。出てくる素質の上限は5だと思っていたのに。とするとオール6というのも可能性としてはあるじゃないか。更にボーナスポイントを足せば10を超えることも出来るかも知れない。それはどんなに凄いことだろう。ボーナスポイントはこれまで見た中では7が最高だった。でもひょっとすると8や9、或いは10というのもあるかも知れないぞ。私は楽しみになった。

 最高のものが出てくるまで、とことん粘ろうじゃないか。

 私は延々と抽選し続ける。そして、キャンセルし続ける。生まれぬまま抽選回数は二万回を超え、更には五万、そして十万回を超えた。係員も呆れた顔をしていたがもう何も言わなかった。他の者は妥協して生まれ、暫くするとまたこちら側に戻ってきて、また生まれていく。他人に馬鹿じゃないかと言われたことがある。キャンセルしてばかりで結局、何もしてないじゃないかと。放っておいてくれ。私はこれでいいのだ。これで充分、楽しいのだ。次はどんな良い条件の個体に当たるだろうか、ボーナスポイントはどれだけ出るだろうかと考えて楽しめる。悪い結果が出ても明日に期待出来る。良い結果が出たら益々明日に期待出来る。これをキャンセルせず決定していたらどんな人生になっただろうと想像して楽しめる。想像だけで、実際の人生の苦痛を負わずに済む。一日一回の抽選をノーリスクで楽しめるのだ。永遠にこうしていたい。もし本当に最高の条件が出てしまったらどうしよう、などと、私は逆に不安を感じたりもした。だが心配ない、キャンセルすればいいのだ。最高より更に良い条件が、ひょっとすると出るかも知れないのだから。

 四千三百万六千二百三十九回目の抽選のため出生調整所を訪れると、いつもと様子が違っていた。行列はなく、人々は集まって騒いでいる。

「何かあったんですか」

 私が尋ねると、一人が残念そうな顔で答えた。

「核戦争で人類が滅亡したのさ。だから出生調整所も閉鎖だな。まあ、次に人類が誕生するまで待てばいいさ。百万年後か、一億年後か、分からんがね」

 そうか。私は一度も生まれなかったのにな。

 やり遂げたなあ、と私は思った。

 

 

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