第十六段 ファイナル・デスティネーション・ツアー・バス

 

 国武は煙草を喫いながら、老人達をバスに乗せる家族達を見守っていた。手伝わない国武に誰も文句は言わない。彼らも分かっているのだ。これが国武の最後の煙草なのだと。

 彼らは老人達の手を引き、或いは抱え上げてシートまで連れていく。認知症の老人が抵抗しているのを、家族がシートに無理矢理縛りつけている。事前に鎮静剤でも飲ませたのか、フラフラしている老人もいた。手足が痩せ細り酸素マスクをつけた老人はもう寝たきりになって長いのだろう。

 シートベルトを締めてやり、家族達は老人に何やら話しかけている。どんなふうに言いくるめようとしているのだろうか。「楽しいバス旅行だよ」とでも言っているのだろうか。国武は苦笑した。

 建前上は、その通りなのだがなあ。

「全員乗り込んだ。出発だ」

 一応の上司である笹川が国武に声をかけた。彼と最初に会ったのは四日前で、話をしたのは二度だけだ。

「じゃあ、しっかりやってくれ」

「分かってますよ」

 国武は煙草の吸殻を落とし、靴で踏み潰した。笹川は黙ってそれを見ていた。

「よろしくお願いします」

 見送りに並んだ家族達が国武に頭を下げた。彼らの疲れきった顔を見て、自分もそんな顔をしているのだろうかと国武は思った。

 国武は運転席に座ると、マイクを通して乗客に挨拶した。

「今回、運転手を務めさせて頂きます国武と申します。皆様、どうかごゆっくりバスの旅をお楽しみ下さい」

 乗客達の反応は様々だった。「家に帰して」と喚く者、呻き声を洩らすしか出来ない者。状況が分かっていないらしく「ありがとうございます」と妙に深々と礼をする者。だが大半はただぼんやりと、窓の外を眺めているだけだった。

「それでは、出発します」

 国武はバスを発進させた。乗客の家族達は手を振りながら見送っていた。

 七十二才にもなって大型第二種免許を取得するのは大変だったが、この役割を果たすためには必要なことだった。後はナビに従いつつ、所定の場所を意識していればいい。

 バスの中はまだ騒がしかった。「船が出るぞー」と叫ぶ老人がいる。国武は「演歌でもかけましょうね」とオーディオをオンにした。彼らが気に入るかどうかは知らないが。

 安楽死が、認められなかったから、仕方がないのだ。

 この種のバスツアーには符牒がある。新聞広告に載る際にはツアーの名称に「ファイナル」や「フィニッシュ」「エンディング」など終末を示す言葉がつく。主催する旅行会社はペーパーカンパニーで、新しく出来ては潰れの繰り返しだ。裏にはヤクザが関わっている。更に警察にも繋がっているという噂もあった。

 ツアーを必要としている人達は符牒に敏感で、高額の旅費を払って応募する。ツアーに参加するのは自分達ではなく、重度の認知症や長患いの寝たきり老人、つまり、彼らにとって重い負担でしかなくなってしまった親達だ。

 特別養護老人ホームは常に定員一杯だ。自宅でヘルパーを頼むと金がかかる。家族で介護をするのも自分の時間を削られ心身共に消耗していく。回復の当てのないボケ老人のために、何年も十何年も自分の人生をすり減らすのは、理不尽ではないか。

 国武自身も年老いた母を自宅介護してきた。妻には離婚され仕事も辞めて、つきっきりでの介護。この地獄はいつ終わるのだろうと考え、十七年経って漸く母が亡くなった時はホッとしたものだ。蓄えもとうに尽き、借金ばかりが膨らんだ。特に、間違ったことはしていないのに。

 四十五才の息子は会社員で、幸せな家庭を築いている。国武は、自分の息子には同じような思いをさせたくなかった。

 これで借金を返しつつ、息子に少しは遺産も渡せるな。ペーパーカンパニーだが、その辺の取り決めはしっかりしている、筈だ。これまで何百件も同じことは起きているのだから。後のことは奴らを信用するしかない。

 高速道路を経て山道に入っても乗客達はまだうるさかった。何人かが「飯はまだか」と叫んでいる。国武はオーディオのボリュームを上げた。

 バスは山沿いのうねる道を上っていく。ナビに黒須峠の名が映った。そろそろだな。

 大きく左折するカーブが見えた。右は崖だ。錆びたガードレール。崖から下までは五十メートル以上あるという話だった。

 誰だって、好きで親を殺したがっている訳じゃない。

 だが、仕方がないのだ。

 事故ということにしなければならない。ドライブレコーダーに音声も記録されているので、国武は念のため「うっ胸がっ」とわざとらしく呻くと、内心では「あらよっと」と唱えながらハンドルを大きく右へ切った。ついでにアクセルも目一杯踏みつける。急加速に老人達がどよめく。いや、分かってない者も多いのだろうな。

 バスはガードレールを突き破った。

 これで、いいのだ。これで……。崖を転がり落ちるバスの中で、国武は自分にそう言い聞かせていた。

 

 

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