第二十段 二人だけの遊び

 

 君よ。

 憎むべき宿敵、僕の全てを奪った魔王の胸に剣を突き立てた瞬間、僕は全てを悟ったのだ。

 君が現れたのは、僕が高校一年の頃だった。当時の僕は普通の少年だった。勉強は苦手だけどそれなりに頑張って成績は中くらいで、友達はいたけれど家に呼ぶほどではなくて、気になっているクラスの女子に告白も出来ず、帰宅部で趣味はネットとゲームくらい。超能力を駆使して世界を救うヒーローに憧れながら、それが叶わぬことにも気づいている。そんな、平凡な、少年だった。

 放課後、本屋で雑誌を立ち読みしての帰り道、君は立っていた。

 僕を待ち構えていたように、真っ直ぐにこちらを見つめていた。年齢は僕と同じくらい、背は高かったが痩せていて、黒い長袖シャツとジーンズという服装だった。整った顔立ちに、口元は皮肉っぽい冷たい笑みを浮かべていた。

 君の目は、何か強いものを、宿していた。

 僕はその時、ちょっとした眩暈を感じていた。この場面を前に見たことがあるような。この少年には会ったことがあるような。そんなデジャヴを抱きながらも、僕は無難に彼の横を通り過ぎようとした。だが君は自分から話しかけてきたのだ。

 「力が欲しいのか」と。

 僕は「ああ、欲しいよ」と答えていた。自然に、予めそう決まっていたみたいに。

 それで君は僕の師になった。君は力を分け与えてくれた。君と、僕にしか使えない特別な力。その使い方を教えてくれた。世界の法則をねじ曲げるための想像力と集中力、そして、何よりも大切な意志力。強い意志さえあれば何でも出来るのだと君は笑った。君の瞳には狂おしいほどの意志が漲っていた。

 力を手に入れた僕は、それを正しいことのために使おうと思った。世にはびこる悪人を倒し、貧困や災害から人々を救い、戦争をなくそうと。皆が幸せになれる世界を作ろうと。僕は悪の存在をスキャンし、人知れず始末していった。夜の病院に忍び込んで難病に苦しむ人達をこっそり治した。真面目に頑張っているのに貧乏な人達の家に無から生み出した金塊を投げ込んだ。災害救助から一歩進み、地震津波ハリケーン山火事などを事前に察知して防ぐようになった。飢餓に陥った国に品種改良した作物をばら撒いた。戦争はどう落としどころをつけるのか悩んだが、取り敢えず侵略側の兵器を全て破壊した。どちらが善でどちらが悪か難しい場合は両方の兵器を破壊した。政治は難しいのであまり手を出せなかった。

 僕は自分の肉体改造も進めた。刃物も銃弾も受けつけず、寝ている間に核爆発に巻き込まれても傷一つ負わない防御力を手に入れた。水中や真空中でも死なず、生身で日帰り宇宙旅行を楽しんだ。太陽やブラックホールに突入して遊んだ。幾ら熱くても痛くても苦しくても根性で耐えれば凌げた。

 僕は嘗て憧れていたヒーローに、なっていた。

 陰で活動しながら僕は普段通り学校に通った。インチキするつもりはなかったので一応真面目に勉強し、そこそこの成績をキープした。友達付き合いも続けたが、「雰囲気が変わったな」と言われることがあった。自信に満ちた、余裕のある態度になっていたらしい。彼女にも告白出来た。毎週デートした。

 僕は、幸せだった。

 自分の求める正しいことを全て実現するにはまだまだ課題が残っている。でもいずれ必ず出来ると思っていた。全ての人間が幸福に生きられる世界を、実現出来る、と。

 君はそんな僕を静かに見守っていた。僕のやることに口出しはしなかった。ただ君は「楽しいか。充実しているか」「今、幸せか」と繰り返し尋ねた。僕は答えた。楽しい。充実している。幸せだ。

 一年が過ぎ、僕の力が師である君に匹敵するようになった頃、突然君は言った。

「そろそろいいか」

 それから君は全てを壊し始めたのだ。

 人が大勢死んだ。善人も悪人も。警察も軍隊も何の役にも立たなかった。国が滅んだ。世界中の火山が爆発した。津波が島を呑み込み大陸を削り取った。無数の隕石が降り注ぎ大地を穴だらけにして膨大な粉塵を巻き上げた。月が、落ちてきた。

 僕の通っていた学校は隕石で跡形もなくなった。クラスメイトは皆死んだ。僕の両親も死んだ。彼女も。せめて彼女だけは助けようと思って、地下深くに作った強力なシェルターに避難させていたのに。君はわざわざ捜し出して彼女を惨殺した。

 君は嘲笑った。僕の努力の全てを無に帰して。僕の信念を、生きてきた世界をメチャクチャにして。

「俺は魔王だ」

 君は言った。

 長い戦いだった。壮絶な戦いだった。世界を完全に滅ぼしてしまおうとする君と、生き残った人類を少しでも守りたい僕の、二人だけの戦争。魔法が一つ撃ち出されるたびに、拳が一つ振るわれるたびに宇宙が歪み、星が銀河が消えた。物理法則は意味を失い、僕と君の肉体もあるのかないのか曖昧となり、終いにはただ意志の力で殴り合うような状態だった。

 どうして。どうしてこんなことを。どうして僕に力を与えた。どうして僕から全てを奪い取った。どうして。どうして。

 人類はとっくに滅亡し、星も何もなくなった宇宙で、僕は何度も君に問いかける。憎しみを、怒りを、悲しみを込めて、君を刻みながら。

 君は答えなかった。最後まで。ただ皮肉な笑みを浮かべ、強い何かを湛えた瞳で僕を見つめていた。

 どうして。

 答えは、君を殺した瞬間に分かった。僕は思い出した。全てが流れ込んできた。

 僕と君しかいなかったのだ。

 世界は、僕と君だけだった。ずっとそうだった。これからも永遠にそうなのだ。

 他人の存在は僕か君が創ったものだった。今回は君が。空間も時間も法則も君が創った。君が宇宙を創り地球を創り人類を創り文明を育てた。君が僕の家族を創り学校を創りクラスメイトを創り彼女を創った。君が僕を創った。

 全ては、何もない世界で、僕を楽しませるために。

 愛だった。僕に味わわせた喜びも痛みも憎しみも悲しみも、全ては愛だった。

 君が僕を生んだ。僕が君を生んだ。そしてまた君は僕を生み、僕は君を生む。延々とそれを繰り返してきた。交代で世界を創り、お膳立てをし、相手を楽しませた。二人しかいないのだから。二人以外には何もないのだから。

 君は僕の友であり、師であり、弟子であり、兄弟であり姉妹であり、親であり子であり、恋人であり同志であり宿敵であった。僕と君とはあらゆる関係だった。

 僕は、君だった。

 僕の味わった喜びから、痛みから憎しみから悲しみから、君の無限の愛を感じた。

 今、魔王という役割を果たして君は消え、僕の楽しみも終わった。

 次は僕の番だった。君を楽しませるために、設定に頭を悩ませよう。世界の法則を決め、環境を整え、文明を構築し人間を配置してから君を生み出そう。あらゆる演出を使って君を振り回そう。君に与える喜びも痛みも憎しみも悲しみも、全ては君のためだ。

 僕は、君を愛していた。

 

 

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