第二十三段 神殺しの狂犬 〜彼はいい人なんだけどたまに噛むんです〜

 

 顎の大きな男は気がつくと白い空間にいた。

「おめでとうございます。あなたは異世界転生の権利を得ました」

 白いフワフワした服を着た美しい女性が男の目の前に立ち、穏やかな笑みを浮かべて告げた。

「はあ。あのー、どちら様ですか」

「私はハルルオンという世界を管理する女神です。トラックに轢かれて亡くなったあなたの魂を私の世界に転生させてあげます。チート能力もしっかりおつけしますよ」

「はあ。異世界転生、ですか。でも僕、死んでないんですけど」

「えっ、いや死んでますよね。大型トラックに、ドーンって」

「僕、割と不死身なんで」

「いやいや、私が呼んだのはあなたの魂だけで……」

 女神は首をかしげながら顎の大きな男の体に触れてみる。

「あれ、おかしいわ。肉体がある」

「ギャバォグゥッ」

「ぎゃあああああ」

 男が突然女神の首筋に噛みついた。女神は死んだ。

「あ、噛んじゃった。ごめんなさい」

 白い空間の床が破れ、男は落下していく。その下には異世界の大地が広がっていた。

 

 

 顎の大きな男は町に到着した。

「あの、すみません。冒険者ギルドってありますか」

 男が尋ねると、門番は怯えた顔で答えた。

「あ、ああ、大通りを真っ直ぐ行って、あそこの角を左だ」

「はあ、ありがとうございます」

 門番の目は、顎の大きな男が持っているものをずっと見つめていた。

 顎の大きな男は言われた通りに歩く。通りかかった住民は男が引き摺るものを見て皆顔を引き攣らせた。

 冒険者ギルドに入ると美人の受付係がいたので男は早速話しかけた。

「すみません。初心者なんですけど、獲物の買い取りをお願いします」

 顎の大きな男がカウンターに置いたのは、首のちぎれかけた女神の死体だった。虚ろな目を開いたまま、血まみれで、引き摺られた足の皮膚は剥がれ、町に着くまで何日もかかったため腐臭を漂わせている。

 受付係は悲鳴を上げた。

「あ、解体が必要でしたか。それとも討伐証明部位だけで良かったとか。ああ、そうか、最初に冒険者登録しないといけないんですね。Fランクから開始なのかなあ」

 顎の大きな男は逮捕された。

 

 

 一週間後、顎の大きな男は釈放された。

 解剖の結果、死体が人間でないことが判明したからだ。

「お世話になりました」

 男は頭を下げた。

「もうこんな紛らわしい真似はするなよ」

 ギルドマスターは渋い顔で言った。

「それにしても、あの死体は一体何だったんだ」

「なんかこの世界の女神様らしいですよ。名前は聞いてませんけど」

「ハッハッ。冗談がうまいな坊主」

 ギルドマスターは笑って男の肩を叩いた。

「ギャバォグゥッ」

 顎の大きな男はギルドマスターの手に噛みついた。

 

 

 半年後、顎の大きな男は王宮で謁見の間にいた。

 あれから色々あった。ギルドマスター以下三十四人を噛み殺した罪で処刑されそうになったが、そこに魔族の軍勢が攻めてきたので有耶無耶になった。男は魔族を噛み殺し、巨大な怪物を噛み殺し、伝説のドラゴンを噛み殺し、攫われていた少女を救出したがついつい噛み殺し、悪の大魔王を噛み殺した。

「この世界は救われた。よくぞやってくれた、勇者よ」

 王は顎の大きな男の肩に手を置いて礼を言った。

「ギャバォグゥッ」

 顎の大きな男は王の頭に噛みついた。そのまま一息に全身を呑み込んでしまう。

「う、うわああっ、また勇者が乱心したっ」

 居合わせた大臣や将軍や姫君が叫ぶ。

「ギャバォグゥッグゥッググゥーーーーッ」

 顎の大きな男は空間に齧りつく。謁見の間が歪み、人々も建物も男の口にどんどん吸い込まれていく。王宮が呑み込まれ、王都が呑み込まれ、大陸が呑み込まれ、空も呑み込まれ、そして世界は消えた。

 

 

 顎の大きな男は居酒屋で友人と飲んでいた。

「ふうん。そんな冒険をしてきたのか」

 つまらなそうに友人は相槌を打つ。彼は顔を包帯でグルグル巻きにしており、片腕は金属製の義手だった。

「確かにちょっとした冒険でしたね。あの世界はもう消えてしまいましたけど」

 顎の大きな男はそう言うと、遠い目をして続けた。

「でも、僕は思うんです。あの愛すべきハルルオンの人々は、今もまだ僕の中で生きているんだって」

 顎の大きな男の腹がギュルギュルと鳴り出した。

「ちょっとトイレに行ってきます」

 五分後、トイレから戻ってきた顎の大きな男は、悲しげな顔をして言った。

「ハルルオンの人々は、流れていってしまいました」

 

 

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