第二十四段 やっちゃえポイント

 

 大野が帰り支度をしていると、課長がやってきて嫌な薄笑いを浮かべながら書類を机に置いた。

「君、この報告書全然ダメだよ。書き直しだ」

「はあ。不備はなかったと思いますが、どの辺がダメなんでしょうか」

「あのなー、そんなことも教えないと分かんないのか。この仕事何年やってんの」

 そこから課長のネチネチした説教が始まった。今から残業して報告書を書き直さねばならないというのに、説教が終わらないのでそれに取りかかることすら出来ない。

 大野の視界の右隅にある棒グラフが、少しずつ伸びている。常に装着している眼鏡型の透過式ディスプレイに表示されているものだ。アクション候補に殺したい対象として坂上課長の名と顔画像を三ヶ月前から登録していた。今の長いだけで中身のない説教を視聴して、ポイントを入れてくれる国民がいるようだ。

 課長も眼鏡型のちょっとシャレたディスプレイを着けている。国民は皆着けている。某漫画のスカウターみたいに片目だけに着けるタイプもある。小型カメラも内蔵されており、無線通信機能によって見ているものがリアルタイム映像として専用サイトで流されている。全国民の見ているものが、全国民に公開されている。

 そして、国民は一日に一ポイントだけ、誰かの何かに投票して支持することが出来るのだ。

「おい、聞いてんのか。何黙ってんだ」

 課長がイラついた顔をして大野の頭を平手で叩いた。それでも大野が黙っていると連続で叩いてくる。

「何だその目は。この無能が」

 拳で頬を殴られ、革靴の先で脛を蹴られた。大野は無言で耐えている。笑い出してしまわないように。この馬鹿上司がとうとう手を出してくれたお陰で、投票してくれる人が増えて棒グラフがどんどん伸びているのだ。

「おい、お前まさか」

 課長の顔がヒステリックに歪む。状況を察したらしいが、馬鹿じゃないかと大野は思う。パワハラをするなら部下がアクション候補を何に設定しているのかチェックしておくべきだったな。

 棒グラフが一気に伸び上がり、ついに赤いラインを超えた。十万ポイントを得てGoサインが出たのだ。

 ピコーン、ピコーンとディスプレイが鳴り始める。課長のディスプレイも同じ音を出している。視野に映る課長の姿が拡張現実によって赤く縁取りされ、矢印つきで「やっちゃえ!」と表示された。

「ちょ、待て、待った、たすっ」

 課長が慌てて逃げようとする。大野は椅子を振り上げて追い、糞上司の背中に力一杯叩きつけた。

「ぐわっ、やめ、やめて、くれ。誰か、止めて……」

 倒れた課長の体に繰り返し、椅子を振り下ろす。同僚達は呆れた顔で見ていたり、知らぬふりをしていたり、ニヤニヤしていたりした。もしかすると大野だけでなく課長を「殺したい候補」にしていた者もいたのかも知れない。

 グシャリと課長の頭が砕け潰れたところで、「やったな!おめでとう!」と表示され、大野は椅子を放り捨てた。死体から赤い縁取りも消えていき、視界の右隅の棒グラフも殺したい候補名と共に点滅して消えた。

「では、お疲れ様でした」

 大野は同僚達に挨拶して退社した。死体は公務員の後始末人達が片づけてくれる筈だ。

 街を歩いているとあちこちで悲鳴が聞こえる。包丁を持った女が男を追い回している。通り魔かと思ったが、「やっちゃえアクション中! 手出し無用!」と表示されているため警官も来ないし皆見守るだけだ。脇道では男が若い女を強姦していた。しかし「やっちゃえアクション中! 手出し無用!」と表示されているため何も出来ない。

 強姦されている女性が相手を殺したいとアクション候補にすれば、今見ている国民の人数と気分次第では通る可能性があるが、強姦されている最中に設定するのも難しい。大野が今ここで強姦魔を殺すことをアクション候補に設定して投票を求めることは、出来なくもない。しかしこういうイベントを嗅ぎつけて視聴に飛びつく暇な国民が多いといっても、十万ポイントを得るまで時間がかかって間に合わないだろう。それに大野は人を殺したばかりで疲れていたし、早く家に帰りたかったので無視して通り過ぎた。まあ、女性のディスプレイも強姦魔の顔を撮影しているから、後から殺したい相手に設定して復讐を試みるのもいいんじゃないだろうか。

 それにしても、誰々を強姦したいなんて設定しても、それに投票する国民はいないと当初は思っていたのだが、面白そうなら何でも投票してしまうのが人間だったらしい。

 ポリコレとか、ノイジーマイノリティとか、BLMとか、LGBTとか、差別とか逆差別とか、弱者への思いやりとか、キャンセルカルチャーとか、何やら色々な人が色々なことを主張した。これまで良いとされていたこと、悪いとされていたことの境界が崩れ、何が本当に正しいのか、誰も明確な基準を示せなくなった。

 だから政府は、国民自身に決めさせることにしたのだった。

 窃盗或いは強奪は一万ポイント、暴行も一万ポイントだが相手を死亡させると逮捕される。強姦は高くて殺害と同じ十万ポイントが必要だ。放火は多数の死者が出る恐れがあるため百万ポイント必要で、達成して建物に放火した男の映像は大野も見ていたが、途中で大雨が降ってボヤで終わってしまったため皆に失望され、放火した男は殺したい対象として挙げられることになった。最後は四、五人がかりで取り押さえられ、ガソリンをかけられ焼き殺された。

 殺伐とした世の中になったものだと大野は思った。

 コンビニに寄って弁当とビールを買い帰宅する。早速国民実況モニターの電源を入れ、面白そうな実況やポイント急上昇中のアクション候補がないか検索しながら弁当を食べる。

 今日の分の自分の持ちポイント一点を、誰のアクション候補に投票すべきか頭を悩ませるのが、大野の生活で一番の楽しみになっていた。同じ対象に複数回投票することは出来ないので、毎日新しい対象を探す必要がある。また、これまで投票した対象のポイントがどのくらい伸びているかもチェックしておく。姑を殺したい嫁のポイントがもう少しで十万に達しそうだ。ただ、その嫁は姑からも殺したい対象に設定されていて、大野はどちらにも投票していた。

 姑側のポイントもかなり追い上げてきている。さて、どちらが勝つやら。明日には結果が出ているかも知れないなと思いながら大野はビールを飲み干した。

 と、トピックに赤字のタイトルが上がってきたので大野は驚いた。総理大臣がアクション候補に「核ミサイルを中国に撃ち込みたい」と設定していたのだが、その投票が一千万ポイントを突破して、Goサインが出たらしい。

「いやあ、本当にやっちゃうのかあ。どうなるんだろうな、この国は。まあ俺も投票しちゃったんだけど」

 大野は嘆息した。

 その時、ピコーン、ピコーン、と、眼鏡型ディスプレイが鳴り出した。

「え、何。俺のアクション候補はまだ設定してないのに……」

 大野は気づく。

 ピコーン、ピコーン、という電子音が、重なって聞こえる。大野の背後から、もう一つ。

 振り返ると鉈を握った男が立っていた。いつの間にか部屋に侵入されたらしい。見たことのある顔だ。同じアパートの……。

「前々からなあ、お前の足音が、ずっとうるさかったんだよ」

 大野のすぐ下の階の住民だった。野暮ったいゴーグル型ディスプレイを着けた男の顔は狂喜に歪んでいた。

 「やっちゃえアクション中! 手出し無用!」という表示が矢印つきで男を示していた。

 

 

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