第六段 小説家への道

 

 先生が黒板の数式を指して生徒達に呼びかけた。

「この答えが分かる人は」

 ひろ君が元気良く手を挙げた。

「はーい。分かりません」

 ひろ君の首が飛んだ。

 

 

 インパクトのある冒頭になった。男は一気に短編を仕上げ、プリントアウトした原稿を封筒に収めて出発した。

 久々の外出だった。町の景色は男にはモノクロに見えた。何故なら男の人生はまだ始まっていないからだ。小説家としてデビューしたら漸く本当の人生が始まって、世界の色々なことを楽しめるようになるのだろう。

 男は大きな広場に着いた。中央に一本の柱があり何処までも高く伸びている。

 柱のそばに机が一つ置かれ、タキシードの編集者が書類仕事をしていた。男は歩み寄り声をかける。

「原稿を読んで頂きたいんですが」

「持ち込みですね」

 編集者は澄まし顔で答え、男の原稿を受け取った。パラパラと適当にめくった後で男に告げる。

「先生方に転送しますので待っていて下さい」

「よろしくお願いします」

 男はその場で待った。

 六時間ほどして編集者が言った。

「先生方が寸評を下さいます」

 男は広場の端まで下がって柱を見上げた。柱の天辺、五十メートルの高みに小説家の聖地があった。直径三十メートルほどの円盤型の建物。偉大なるベストセラー作家だけが住むことを許される楽園だ。男もいずれはそこに上るつもりだった。

 円盤の側面が開き、眩い光が洩れた。そこだけはモノクロでなくちゃんとした色彩を持っていたが、ソファーに座るベストセラー作家達の姿は逆光のため輪郭しか分からなかった。

「駄目だね、これは」

 スピーカーを介して偉人の声が届いた。

「前回言われた通り、インパクトのある冒頭にしてみたんですが」

 男は反論を試みる。すぐに別の声が言った。

「冒頭云々より、小説になっていないよ。描写が浅過ぎるんだな。これじゃあ脚本と変わらない」

「もっと丁寧に書くべきね」

 女流作家の声が告げた。

「ご指摘ありがとうございました」

 遥か高みの偉人達に男は深々と頭を下げた。円盤の壁は閉じられ、光は失われた。

 

 

 高代誠は「たかしろまこと」と読む。彼は二十八才で誕生日は八月九日だった。身長は百七十六センチ三ミリ、体重は七十一キロ四百グラムだ。胸板の厚さは二十七センチ八ミリ、肩幅は五十二センチ一ミリだ。腕の長さは七十一センチだがこれは何処を起点にするかによる。親指の長さが六センチで親指の爪の横幅が一センチ五ミリ、長さが一センチ三ミリあった。爪の色はやや赤みを帯びたピンクだが根元付近は更に濃い。爪の白い部分を一ミリ弱に整えてある。左端は少し切り過ぎて肉に食い込んでいる。親指の甲側に毛が十三本生えている。短いもので二ミリ、長いもので七ミリあった。

 続いて人差し指の長さは八センチ二ミリで

 

 

 くたびれた。男が一休みしていると友人がやってきた。

「どうだ、執筆活動は進んでるか」

 友人が尋ねる。

「そこそこだ」

 男は答える。

 二人は大学の同じ文学サークルだった。友人はあっさり就職し、男は小説家を目指した。友人は結婚して子供も生まれ課長になり、男は今も無職だった。しかし男は平凡な人生を拒否したのだった。男の人生は特別でないといけなかった。ベストセラー作家としての特別な人生が男を待っている筈なのだ。

 適当な世間話をして友人は「じゃあ、またな」と去った。この友人だけが、男と世界との窓口だった。

 さあ、頑張ろう。男は作品を仕上げ、原稿を持って出発した。モノクロの世界を歩き、広場の編集者に持ち込み原稿を渡す。

 十一時間ほど待って寸評が来た。聖地の側壁が開いてシルエットが男を見下ろす。

「やっぱり駄目だね」

 声が告げた。

「そもそも、話が面白くないんだよね」

「ありきたり過ぎる。何の変哲もない使い古された話など誰も読みたくはないんだ。ところで君、持ち込みは何回目だったっけ」

「五十八回目です」

「もう諦めた方がいいんじゃない。才能ないよ、君」

 男は何も言わなかった。別の声が続ける。

「ある程度派手さも必要じゃないかな」

「こうなるだろうという読者の予想を少しでも上回ってみることね。そうでないと読者はがっかりするか、何も感じないわ」

 女流作家がまとめ、聖地の壁が閉まっていった。

「ありがとうございました」

 男は頭を下げた。

 

 

「よう」

 三郎は同僚に声をかけた。

「うぎゃああああっ」

 同僚の鼓膜が破裂して両耳から血が噴き出した。

「今日も一日、頑張ろうな」

 三郎は同僚の肩を軽く叩いた。

「ごぶええええっ」

 同僚の肩が砕けた。胴体が潰れた。口から内臓が全部飛び出した。

「ふぇっぷしっ」

 三郎はくしゃみをした。同僚の体は跡形もなく飛び散った。

 

 

 自分は何をやっているのだろうと男は思った。自分は一体何がしたかったのか。もう四十三才だ。何もしないうちにこんな年になってしまった。こんなものが人生なのか。いや、人生はまだ始まってもいない。小説家になってからが本当の人生なのだ。でもこのままデビュー出来ずズルズルと年だけ取って死んでいくのだろうか。いやでも五十代でデビューした人もいるじゃないか。でも本当に自分はデビュー出来るのか。でも今更やり直そうにも四十三才だ。何もせずに四十三だ。いや自分は特別な筈だ。まだまだこれからだ。五十代でデビューした人もいるのだ。でもこのまま年を取って……。

 友人は部長になったらしい。

 ががが、頑張らねば、と男は思った。

 出来た原稿をまた広場に持っていった。その場で待つように言われて七十四時間後、寸評が来た。

「駄目だね」

 遥かなる高みから欠伸がちの声が告げた。

「君の小説は中身が空っぽだ。テーマがないんだな」

「メッセージ性が足りないね。何か訴えかけるものがないと」

「ジャンルを変えた方がいいかも知れないな。今何が流行ってるか、敏感に気をつけていないと。最近は萌えなんて要素もあるよね」

「恋愛の要素が足りないんじゃないかしら。やっぱりどんな作品にも愛は必要よ」

「キャラクターが今一つ立っていない。もっと極端な人物を出してもいいんじゃないか」

「独創性が足りないね。普通の人が思いつかないようなアクロバティックな展開も必要では」

「やっぱり描写が薄いよ。バイオレンスを描くのならとことんやらないと。中途半端が一番良くない」

「どうも君の書く小説にはリアリティがないんだな。資料を集めることも大事だが、自分の経験が小説の役に立つことも多い。人生経験が足りないんだな。奇想天外な話もある程度現実に即した支えが要るものだ。そう、まずは経験だよ」

「事実は小説より奇なりとも言われるしね」

 偉大なるベストセラー作家達は思い思いのことを言った。

「ありがとうございました。頑張ってみます」

 男は、深々と、頭を下げた。

 

 

 男が準備を終えて部屋を出たところで丁度友人に出くわした。

「どうしたんだ、そんな格好で」

 友人は妙な顔をしていた。

「人生経験を積みに行くんだ。小説のために必要なのさ。何しろ『事実は小説より奇なり』だから」

 男は答えた。

「そ、そうか。まあ、頑張れ、よ」

 友人は足早に去っていった。

 男は若い女の死体を背負っていた。攫ってきた女で、手足を切り落として軽量化し、胴を男の胴に結わえつけてある。皮一枚で繋がった生首がブラブラ揺れている。

 男は自分の額にマジックで『愛』と書いていた。

 男は持ち合わせの服をバラバラに切って適当に縫い合わせたものを着ていた。

 男はチェーンソーのエンジンをかけた。

「これが小説家への道だ」

 男はマンションを飛び出した。手当たり次第に通行人に襲いかかっていく。

「愛してるっ」

 チェーンソーを横殴りに振ると女子高生の首がちぎれ落ちた。

「リアリティだっ」

 男はチェーンソーを突き入れた。中年の男の腹が破れてドロドロと内臓が零れ出してくる。

「人生経験だっ」

 尻餅をついて動けない老人に男はチェーンソーを叩きつけた。ガガガガ、と頭蓋骨が爆ぜ割れて骨片が飛ぶ。

「バイオレンスッ」

 男は串刺しにした子供の死体を振り回した。

「メッセージ性だっ」

 逃げ惑う人々を男は追い回した。返り血で男の服も顔も真っ赤に染まっていく。

「萌えだーっ。流行だっ。事実は小説より奇なりっ。経験だっキャラ立ちだっ。描写を丁寧にっ。意外性だっ。愛だっ。リアリティだっ。冒頭のインパクトだっテーマだっ愛だっ事実は小説よりも奇なりっ」

 男は広場に辿り着いた。タキシードの編集者は既に逃げ去っていた。

 中央に立つ柱を男は見つめた。小説家の聖地を支える柱だ。血みどろのチェーンソーを構え直す。

「君、やめたまえ。やめるんだ」

 遥かなる高みのスピーカーから慌てた声がした。偉大なるベストセラー作家の声。

「一体何がしたいんだ君は。訳が分からない」

「アクロバティックな展開です。人生経験なんです。リアリティなんです」

 男は駆け出した。チェーンソーを柱に押しつける。

「やめろ、やめてくれ」

 少しずつ柱が削れ、聖地が傾いていく。遥かなる高みから地に墜ちようとしている。ベストセラー作家達の悲鳴が響く。

「小説家だああああ」

 男も叫んでいた。

 

 

「……。これって、あの事件の話だよね。小説家志望の男の、通り魔の、大量殺人の」

 持ち込み原稿をめくりながら編集者が尋ねた。

「そうです。犯人が僕の友人でしたので。経験を生かして小説にしてみました。遅咲きですがこれでデビューしたいと思います。もう部長のポストも投げ捨てて会社を辞めましたよ」

 彼は自信満々に答えた。

「そうか」

 編集者は原稿を閉じ、煙草に火を点けながら言った。

「うーん。駄目だね、これは」

「ホワチャーッ」

 彼は編集者の脳天に斧を叩きつけた。

 

 

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