エピローグ

 

 西暦二〇九九年七月二十四日午前六時。予定より三日遅れで戻ってきた列車を、ニュー・ニューヨークの市民達は歓声と涙で迎えた。

 ラウンド・ザ・ワールド・ドリーム・エクスプレス。北半球を一本のガイドウェイで繋ぎ、七十二時間で世界一周可能な夢のリニアモータートレイン。世界各国の協力によって実現した、科学文明と平和の象徴。

 この六日間で人類は様々な災厄に見舞われた。人類という種の絶滅、或いは世界自体が崩壊する規模の災厄。人によって記憶している災厄の種類が違っていたり曖昧だったりしたが、とにかく立て続けに恐ろしいことが起きたのは間違いなかった。世界中で沢山の人が死に、幾つもの国が滅び、列車に乗っていた合衆国大統領も亡くなった、ということを一時的に復旧した通信網と口コミによって人々は知っていた。

 その大統領は何やら物凄く危険な人物であったような気もしたが、災厄と戦った勇気ある英雄であったような気も、人々はしていた。

 テロやら謎の敵集団との戦闘やら機械の誤作動やら、何だったかよく分からない生き物の襲撃やらでニュー・ニューヨークもボロボロになっていたが、どうにか生き残った市民達。

 多くの建物が半壊・倒壊したのに唯一綺麗なガイドウェイ。その上を東から減速しながら滑ってくる列車の姿に、彼らは人類復興の兆しを見たのだ。

 朝陽を受けて輝く車体はよく見るとあちこち傷や凹みがあり、やはり平穏な旅路でなかったことが窺える。二十四両編成の筈が何両か減っていることに気づいた者もいるかも知れない。

 それでも夢の列車は世界一周を果たした。予定よりかなり遅れたが、人類の夢は実現した。だからきっと、人類はまた、立ち上がれるのだ。

 泣きながら手を振っている人々を、十九−D室の窓から、イドとシアーシャは穏やかな表情で見下ろしていた。

「後半は、平和な旅だったね」

 サンドイッチを呑み込んで、のんびりした口調でシアーシャが言う。

「そうだな。あんな規模の戦いが毎日続くのかと思っていたが、あれで戦争は終わったんだな」

 イドの声は淡々としていたが、シアーシャはそこに感慨深げな色合いを感じ取っていた。

 ベルリンを出発した時、神楽鏡影は列車に乗り込んだ筈だがすぐにいなくなっていた。誰にも別れを告げずに。

 アルカードゥラの札五枚では疫病神としての力を完全には抑えきれず、不運が洩れていた。投票の決定権を削るために、自身が暴虐な独裁者にならないように、ちょっと無理をしたらしい。

 この先も神楽はあまり人と関わらずに、ひっそりと生きていくのだろう。また再会することがあるのかどうか、シアーシャにも分からなかった。

 エリギゾイトと神楽が呼んでいた白いドラゴンは暫くの間乗客に愛想を振り撒いて食べ物を貰ったりしていたが、これもいつの間にかいなくなっていた。最後に見かけた時は倍くらいの大きさに太っていた。更に成長したドラゴンが人類にとって守り神となるのか、或いは新たな災厄と化すのか、それもまたシアーシャには分からない。

 イギリスからアイスランド、更にグリーンランドまでのルートが無事であることを見届けて、空飛ぶ海賊船は去っていった。列車に残っていた酒類は全て提供させられたが、文句を言う乗客はいなかった。骸骨になった異星人達も最後まで列車に手を振っていた。

 アイスランド大統領とグリーンランド自治政府首相は、熟考の末それぞれの母国で降りていった。国の長として歴史的イベントを完遂させるよりも、混乱している国の立て直しを優先したのだった。

 ヒューストンに行くのでニュー・ニューヨーク駅まで同乗する予定だった異星人達も、北アメリカ大陸に到着する少し前に消えていた。彼らの世界とシアーシャ達の世界は別物だったらしい。

 カナダのオタワ駅で、亡きカナダ首相の護衛だったハレルソンはピートという名の男児を連れて降りていった。オタワにはそれなりに生き残りの住民がいて、なんとかやっていけそうな様子だった。

 仲間達が離れるたび、重ね合わせた薄いフィルムが一枚ずつ剥がれていくように、世界が少しずつ変わっていった。列車に残っていた一般乗客も数人単位だが増えたり減ったりし、彼らが記憶している災厄の内容も別のものになっていたりあやふやになっていたりした。機能停止していた電子機器の一部が復旧し、世界中で連絡を取り合う人達は情報の齟齬にまた混乱しているようだった。

 だが、それも、近いうちに落ち着き、一つの世界として安定するのだろう。

 ラウンド・ザ・ワールド・レイルロード・ニュー・ニューヨーク・ステーション・ビルディングに列車は滑り込む。屋上の自由の女神像は吹っ飛んでいたが、ホームの機能は無事だった。

「乗客の皆様、終点のニュー・ニューヨーク駅に到着しました。長い旅を、本当にお疲れ様でした。皆様のご健勝とご多幸を、心よりお祈り申し上げます」

 車掌兼予備運転士のゼンジロウ・ミフネのアナウンスが流れた。疲労が滲んでいたが満足げな声音でもあった。

 列車が完全に停まるのを待って、二人は客室を出る。他の乗客を見かけぬまま廊下を少し歩き、十九号車からホームに降り立った。

 改札口の手前に集まっていた人達が拍手を送ってきた。彼らもまた疲れていたが、笑顔を浮かべていた。

 シアーシャは出迎えに来てくれた見知らぬ人々より、横に立つイドの顔を見上げていた。

 朝陽を浴びても記憶を失わなくなった男は、「ここが終点か」と言った。

「うん。終点。でもね、私達はこれからも歩いていくの」

「そうか」

「でもね、特に行き先は決まってないの。決まってないけど、ずっとずっと、生きていくの」

「そうなのか」

「大変かも知れないけど、ずっと私のそばに、いてくれるかな」

 シアーシャが尋ねると、イドは考え込む様子もなく、すぐに少女の目を見返して答えた。

「君と一緒ならいいさ」

「……うん。ありがとう、イド」

 シアーシャは目に涙を滲ませながら、最高の笑顔を見せた。

 

 

 ベルリンの決戦から半年が過ぎ、地下深くにある究極生命研究所では一つの成果が形になろうとしていた。

「うむ。今回は成功したな。完璧な出来だ」

 ルーサー・フルケンシュタイン博士は満足げに頷いた。

「さすがー、偉大なる博士でありーます」

 知性を持つ唯一の助手であるロギがパチ、パチと拍手して博士を称賛する。

「『真邪神竜人七号』と名づけよう。これまでは欲張って機能を詰め込み過ぎたために自壊したが、今回は配分にも気をつけたから大丈夫だ」

「混ぜるな危険ーを、混ぜてしまいましーたから」

「恐怖の大王の心臓の欠片をコアに、筋肉はテンタクルズの触手から採り、各部の接合材は『不死の獣』の細胞にヌンガロの遺伝子を組み込んだものだ。今でも問題ないが、活動を続けるうちに細胞が全身に浸透して更に馴染むだろう。コントロール機構は未来人の電子制御チップを用いている。装甲はメギラゾラスの鱗を張り合わせているので核爆発にも耐えられる筈だ。武器は極めてシンプルだな。グラトニーの爪を理論上、無限に伸ばせる。時間をかければ地球さえ輪切りに出来るだろう。素材は全て冥界帰りの劣化した死体ではなく、死にたての死体から回収したものだ。……うむ。過去最高の傑作だな」

 ハンバーガーの包み紙ばかりが散らかった第一制作室に、その『真邪神竜人七号』が無表情に立っていた。LF蘇生液を注入されたばかりでまだ意識もはっきりしていないようだ。人間に近い形ではあるが身長は三メートル弱で、体表面は小さく成形された暗赤色の鱗に覆われている。頭部はポル=ルポラ星人のものを流用したらしく角の生えたトカゲだ。長く太い腕、その手首の内側から左右一本ずつ黒い刃が生えている。一見切れ味が悪そうであるが、実際には宇宙人のバリアでも何でも切り裂いてしまう異常の刃だ。

「では、完成したからにはその力を確かめなければ。まずは月を二つに割ってもらうか。それから次は地球割りに……」

「くしゃみ男は。謎のくしゃみ男の素材は使ってないのか」

「ん、君は」

 博士が振り返るとすぐ後ろに貧相な顔の男が立っていた。

「へっぶしっ」

 男がくしゃみをした。博士の体が爆裂四散した。

「ふぇっぐちっ」

 男がくしゃみをした。ロギが爆裂四散した。

「くっしょんっ」

 男がくしゃみをした。『真邪神竜人七号』が爆裂四散した。

「ほえーっ、へっへーっ、くぢっ」

 男がくしゃみをした。地下研究所が爆裂四散した。

 

 

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