三

 

 神楽鏡影は腕組みして立っている。

 建物の殆どが倒壊し、瓦礫ばかりとなったベルリンの街。神楽の見ている先も同様に瓦礫の山だったが、元はドーム状の何かだったのか、薄青色の緩く膨らんだ壁の破片も混じっていた。

「カグラおじさん。ここは」

 相変わらずイドに背負われた状態で到着したシアーシャが神楽に尋ねる。イドは右手で全長二十六メートルの巨大ククリを引き摺り、左手に聖剣を握っていた。

「ベルリン大聖堂です。今は跡形もありませんがね」

 振り返って神楽は答える。彼らの立つ辺りは大聖堂を臨めるルストガルテン公園であったようだ。瓦礫は少ないが地面は荒れ果て、噴水も破壊されている。

「ここに何かあるの」

「そうですね……。幾つか候補があったのですが、歴史の長さと権威を併せ持つことが選ばれた理由ですかね」

「何に選ばれたの」

「それは仲間が集まってからにしましょう」

 神楽は言った。

 そのうちに幽霊船が低空飛行でやってきた。折れたマストも船腹に開いた穴も修復され、必要とあれば高空高速飛行も出来そうだ。パンプアップしたポル=ルポラ星人達や『イモータル』ジャックも乗っている。ちなみにサンドラの豪華な旗は無事だったが、キャプテン・フォーハンドの海賊旗は切れ端しか残っていなかった。

「ヘーイ、カグーラ。ちゃんと戦ってたかあ。俺様は千人くらいは斬ったぞ。いやいや、二千くらいは斬ったかもなあ」

 キャプテン・フォーハンドが船上から声をかける。

「地味に戦っていましたよ。ただ、私にとってはこれからの方が本番ですので」

 神楽は苦笑しつつ応じた。

「んー、本番か。まだ何か残ってたかあ。……いや、待てよ、俺様はひょっとすると一万人くらいは斬ってたかも……」

 神楽は再び大聖堂のあった場所へ向き直った。

「おーい、いたよ、いましたよー。側溝に挟まってましたーっ」

 骸骨船員達が卵体型のアンギュリード星人を抱えてきた。スーパーアングリー・アンギュリード状態が解除された後、くたびれ果ててまだ眠っているキキッペルモだった。

「丁重に甲板に上げてくれ。アンギュリード最強の戦士だ。いや、わしが運ぼう」

 ポル=ルポラのルーラ首長が船から飛び降りると、太い腕でキキッペルモを抱え、跳んで戻っていった。

 上半身だけのハタナハターナが静かに着陸する。右腕も失い、装甲は傷だらけで歴戦の風格を醸し出していた。中の人はコックピットから出てこないが、相当に疲れているのかも知れない。

 光り輝く教皇がフワフワと飛んできた。生存者の救出も一通り終わったらしい。

「イド。その剣をその人に返してあげて」

 シアーシャに促され、イドは聖剣の柄を先にして教皇に渡す。

「ありがとうございます。これを持った聖騎士達の最期は、どんなものだったでしょうか。もし見ておられたのなら……」

 尋ねられ、シアーシャが答えた。

「うん。全力でグラトニーを倒して、満足そうに消えていったよ」

「そうですか……。ありがとうございました」

 教皇はまた礼を言った。

 それから教皇はふと思い出したように神楽に歩み寄って尋ねた。

「先触れの四獣の『見えない獣』は、結局出てきたのでしょうか」

「私の把握する限りはいませんでした。ただ、『見えない獣』ですから、誰にも気づかれないままに現れて、ひっそりと死んでいたのかも知れませんね。今となってはどうでもいいことですが」

「確かに……そうですね」

 そんなやり取りをしている間に、パワードスーツの男がよろめきながらやってきた。

 大型ヘルメット型の頭部機構は破壊され、ゼンジロウ・ミフネの疲弊した顔が露わになっている。銃弾を撃ち尽くしたらしく自動小銃も捨て、研究所で手に入れたか自前のものか、本物の日本刀を持っていた。それも刃こぼれして先端は折れている。

 神楽達からは少し離れた場所で立ち止まり、血の混じった唾を吐くと、ミフネは呼吸を整えようとしていた。

「ミフネさん、お疲れ様でした。救出隊の皆さんも」

 教皇が声をかける。

「いえ。猊下こそ、お疲れ様でした。そう多くは助けられませんでしたが、私達にはこれが精一杯でした」

「救出隊で、亡くなられた方もおられるのですね」

「はい……。参加して下さった乗客の皆さん十九人のうち、六人、亡くなられました」

「それは……残念です……」

 しんみりとした二人の会話を、他の者達は黙って聞いていた。

 上空から降ってきた人影が音もなく着地した。片手に椅子、片手にテーブルを持った鮫川極だった。早速椅子に腰掛け、優雅な動作でワインをグラスに注ぐと、ミイラのような顔を神楽に向けた。

「さて。いよいよクライマックスかな」

「……期待なさっているほどの盛り上がりはないと思いますよ。どうせすぐに終わりますから」

 用心深く鮫川の様子を観察しながら神楽は答えた。

 鮫川はヒュ、ヒュー、と空気の洩れるような細い笑い声を上げた。

「心配しなくても、横槍を入れるつもりはないよ。脇役の務めを果たすだけさ」

「それはありがたいですね」

 神楽は本気で信じているのか分からない口調で返し、それから大聖堂跡地に向き直る。

 いつの間にか黒い布袋をかぶったロギが、二メートル幅くらいだけ残った壁の陰からひっそりと神楽を覗いていた。生存者救出の手伝いを済ませたので、神楽が死んだら死体を回収するようにという博士の指示を守っているのだ。

 神楽は、ゆっくりと、右手を上げて前方を指し示し、いつもの少し掠れた声ではなく、妙に響く声で告げた。

「そこです」

 仲間達のうち、感覚の鋭い者はそこに何かを見た。或いは何かの気配を感じた。

 だがそれはすぐに消えた。

「今のはどういう演出かな」

 鮫川の問いにも、神楽は黙って同じ場所を見据えていた。

 十秒ほどして、その荒れた地面が小さく盛り上がった。

 地表が破れ、キラキラした細い何かが顔を出す。植物が芽吹くように真上に伸びていき、同時にみるみる太くなっていく。材質はガラスか水晶のような透明で硬質なもので、変形成長していく以外は揺れもせず、膨大となった質量を支えている。

 柱のようにある程度まで垂直に伸びた後で水平方向にも広がっていく。枝のように、葉のように、花弁のように。透明でありながら各部が色を帯びていき、きらびやかで巨大なオブジェクトが出来上がっていく。

 神楽と仲間達はただただ見守るばかりであったが、その視線が上へ、更に上へと修整を強いられる。

 高さが百メートルを超え、様々な色に輝く天辺の花が仏像の蓮華座のような形状となり、その幅が十五メートルほどに成長したところで停止した。花の中央には、何もない。

 どす黒い空の数ヶ所に穴が開き、それぞれから眩い光の筋が降りて花を照らした。その輝きに皆が目を眩ませた、一瞬の後、花の中央に誰かが座っていた。

「待たせたね。ラスボスの登場だ」

 片膝立てて余裕ぶった態度で、冥王ハスナール・クロスが告げた。

 

 

  四

 

「ん、んー。これはいけないな。位置が高過ぎて、君達には私の顔がよく見えないんじゃないかあ。君達との関係を無意識に反映させてしまったのかも知れないな」

 ハスナール・クロスの声音は渋みのある中年男性のもので、鼻につくような気取った喋り方をする。大きな声ではなかったが、意図に沿ったものだろう、彼の台詞はベルリン中によく響いた。

「君達のために少し下げよう。これではまともに会話も出来ないからな。ん、んー、最後の決戦の前にお互いの理念や決意を述べることは大切だからね」

 垂直に伸びた柱が静かに沈んでいき、五十メートルほどに縮んで止まった。それで居合わせた者達は改めて冥王の姿を見定めようとする。

 ハスナール・クロスは漆黒のローブのような衣をまとっていた。袖や裾に金の縁取りがされ、高級そうな品だ。同じく金縁の赤い布を胸部に重ねがけしている。首から下げたペンダントは金色の十字架だったが縦の柱の上部と下部が同じ長さだった。

 頭にかぶった王冠は太陽を象徴すると言われる放射状の出っ張りがなく、三日月型の飾りが上部に一つついていた。大型の宝石が散りばめられているが、陽性の豪奢さではなく何処か病的な暗さを感じさせるデザインだ。悪人ばかりの死者の国の王冠としては相応しいように思われた。

 それを頭からあっさり外して軽く放り上げたりしながら弄び、ハスナール・クロスは言った。

「ん、んー、センス、センスだなあ。センスは大切だ。色々と考えた末、ゴテゴテと飾るよりもシンプルが一番という結論になった。飾り過ぎると中身が空っぽみたいに見えてしまうからね」

 キラキラ輝いている台座の派手さを彼は自覚していないのかも知れない。

 ハスナール・クロスは三十代後半から四十代前半に見えた。人種はアングロサクソン系と思われるが甘い目元や濃いめの頬髭はアラブ系も連想させる。モデルや俳優のように整った美男子ではあるが、顔の左側にある十字の傷が不吉な印象を与えていた。それに加えて見た者に好感より嫌悪感を抱かせるのは、口元に浮かぶ薄い笑みのせいだろうか。他人を徹底的に見下していることを本能的に理解させる冷笑だった。肩の下までストレートに伸ばした明るい金髪は、光の反射加減で銀色にも見えた。

 彼の瞳は右が金色、左が薄い銀色のオッドアイだった。その左瞼を縦断して額の左側から左頬まで細い傷痕が走り、更に左頬で水平の傷痕が交差している。そちらの傷は端が鼻筋にかかるくらいで止まっていた。

 皆が冥王を観察している間、冥王も揃った面々を確認していた。

「ん、んー。まあよく集めたものだなあ。テンタクルズと敵対していた幽霊船の連中に、ハンガマンガに備えていたバチカン。今ここにいるのが聖騎士でなく教皇のゴーストというのは、んー、王道を外していて面白いな。ドラゴンに対抗するローテク巨大ロボット。ポル=ルポラ星人とアンギュリード星人は両方仲間にしたのか。他にも予定になかったものが幾つか混ざっているな。それぞれボロボロではあるが、ん、んー、よくぞここまで辿り着いた。歓迎しようじゃないか」

 それぞれに順に視線を投げ終えると、ハスナール・クロスは大袈裟な動作で拍手してみせた。少し遅れて地面から大勢の拍手が加わり、仲間達は柱の根元を見る。

 いつの間にか柱の周囲に千人以上の死者が生えていた。胸部から下は地面に埋まった状態で、生気のない顔で拍手を続けている。

「あー、彼らのことは気にしないでくれたまえ。ただの拍手と声援要員だ。ちょっとばかり予定と違ってしまってね。ん、んー、本当はヨーロッパの人類を全滅させて、パリかロンドンで舞台を整えて、悠然と君達を迎える筈だったんだなあ。それがベルリンに変更になってしまった。まあ、驚きがあるのは良いことだ。どうだろう、お祭り騒ぎを楽しんでもらえたかな」

「長過ぎてだれましたね」

 神楽が即答した。ラスボスを名乗る宿敵を前にして気負うこともなく、ただその声音は冷え冷えとしてそっけなかった。

「ん、んー、そうかあ。君達が存分に活躍する機会をプレゼントしたつもりだったが、残念だな」

 ハスナール・クロスは僅かに首をかしげ、右手を軽く上げてみせる。その動作に反応して埋まっている死者達の一人が大声で叫んだ。

「冥王陛下は偉大なりっ」

 続いて他の死者達が声を合わせて復唱する。

「「「冥王陛下は偉大なりっ」」」

 ハスナール・クロスが右手を下げると彼らはすぐ静かになった。

「さて。久しぶりだな、神楽。直接会うのは何年ぶりだったか。んー、五十年ぶりくらいにはなるか」

「七十四年ですね」

 神楽が答える。

「おや、君の方がよく覚えていたな。私にとってはどうでも良いことだったが、君にとってはそうでもなかったのだろうね。私を殺したと思ったのに、札が手に入らなくて慌てたろう」

 神楽はそれには答えなかった。

「ん、んー、札が九枚あればそう簡単には滅びないんだなあ。冥界でのんびり静養していたが、ちょっと気まぐれに冥王になってみたんだ。世界を支配する『アルカードゥラの札』の奪い合いも最終決戦になる。派手にやりたかったから、君の提案を受け入れた訳だ」

「……あの、質問をよろしいでしょうか」

 教皇が手を上げた。

「んー、何かな。言ってみたまえ」

 冥王は高みから寛大に質問を許す。

「その『アルカードゥラの札』というものはどういうものなのでしょうか。札の奪い合いとは」

「ふうう、そこからかあ。君達は何も知らされていないんだなあ」

 冥王はやれやれというように嘆息し、持っていた王冠を軽く投げ上げてうまく頭に乗せた。

「『アルカードゥラの予言』とも呼ばれるものです。世界に関する一つの神話であり、理念であり、力でもあります」

 神楽が冥王から目を離さぬままに説明を始めた。

「世界は十二人の賢者によって創造された、という神話です。世界の起点となるアルカードゥラという会議場で、彼らが話し合い、多数決によって世界のルールを決定し、構築していった。物理法則も、どのような生物が発生し、進化していくのかも、人類がどのように文明を発展させ、どのように滅び、また生まれるのかも、彼らの多数決によって決められていたのです。『予言』と勘違いされたのは、彼らが決めた通りに世界が動いたからです」

 その後を冥王が続けた。

「賢者は嫌になったらその役割を他人に引き継がせることが出来る。んー、世界の管理なんて、真面目にやっていたらうんざりする仕事だからね。実際、私が一枚目の札を手に入れた時、創世に関わった賢者は誰も残っていなかったよ。で、その賢者の資格を証明するものが『アルカードゥラの札』という訳だ」

 冥王が右手を開くと光が洩れた。掌の上にカードのような四角の輪郭が複数枚浮かぶが、皆がよく見ようとするとすぐに手は閉じられカードのようなものも消えた。

「ん、んー、大事なものなのであまり見せびらかしたくはないんだな。盗まれたらことだからね。……というのは冗談だ。札は魂に繋がっていて、本人の同意がなければ他人が奪うことは出来ない」

「殺せば奪えますけどね」

 神楽が言うと、冥王はニヤリと嫌な笑みを浮かべてみせた。

「その通りだ。私も他の賢者を殺して集めてきたし、君もそうだ。札を持っていれば死ににくくなり、自分自身や周囲の状況をある程度コントロール出来るようになるが、それでも完全な不死身という訳ではない。特に、同じ札持ちは天敵といえるな。さて、私の札が九枚、君の札が三枚。合計十二枚でアルカードゥラの全ての札がこの場に揃ったことになる。……ん、んー、つまり、これが世界一周列車を軸とした一連のイベントの本命であり最大の対立軸、『アルカードゥラの札』を巡る宿敵同士の戦いなのだ」

 冥王ハスナール・クロスが芝居がかった口調で告げると、埋まった死者達が一斉に拍手を始めた。そして再び冥王が喋り始めるとピタリと拍手はやむ。

「神楽、アルカードゥラを経由して君から提案が届いた時は、何をトチ狂ったのかと思ったものだ。異なる脅威によって人類が滅びる定めの世界を繋ぎ合わせ、負ける筈の勢力を集めて逆転させる、と。失敗した君を嘲笑うつもりだったが、結果的には提案に乗って良かったな。君はうまいこと味方を集め、敵同士潰し合ったのもあって私以外の脅威は片づけた。エンターテインメントとしてなかなか楽しめたよ」

「楽しんで頂けたのなら何よりです。敗れ去る前の良い思い出になったのではありませんか」

 神楽が挑発的な皮肉を述べる。冥王は怒り出すかと見えたが、またニヤリと余裕の笑みを浮かべた。

「ん、んー。まだだ。まだ始めるのは早い。折角だから、質問コーナーを設けようじゃないか。神楽の仲間になって戦った君達。何か質問や意見があれば受けつけよう。んー、私は寛大だからね」

 冥王が右手を軽く上げると死者達がまた反応した。

「冥王陛下は寛大なりっ」

「「「冥王陛下は寛大なりっ」」」

 代表の一人が唱えた言葉をすぐに残りが唱和する。

「バチカンの教皇はさっき質問したから、他の者から何かないかね」

「ではわしから質問しよう」

 幽霊船に乗っていたポル=ルポラの首長ルーラ・ポポポル・ポルールが手を上げた。

「複数の世界を繋ぎ合わせて一つにしたということなのだな。異世界や並行世界という概念については地球のコミックで知ってはいたが、現実となるとわしにはよく分からんし、ひとまず置いておこう。それよりも気になるのは、人類が滅びる定めであったというところだ。わしらの場合は、ポル=ルポラとアンギュリードの戦いに巻き込まれて地球人が滅亡したということになるのだろうが、それでは、ポル=ルポラとアンギュリードの勝負自体はどうなったのであろうか。いや、どうなる定めだったのか、ということになるのか。既に和解したし、今後存亡を懸けて争うことはもうないだろう。だが、心に区切りをつけるためにも、可能ならば聞いておきたい」

「んー、私の強大さについての質問でないのは寂しいが、まあいいだろう。君達は存在が混ざっているらしいぞ。二つの異星人の勢力は複数のパラレルワールドに存在していたそうだ。詳しいことは神楽に聞きたまえ」

 早速神楽が話を引き継いだ。やはり視線は冥王から外さぬまま。

「ポル=ルポラとアンギュリードが衰退した原因については世界間で異なっていますが、あなたが知りたいのはそんなことよりも勝負の結末ですよね。実際にはまだ確定していない、飽くまで私に読み取れた範囲での未来ということになりますが、よろしいですか」

「ああ、構わない」

「地球を舞台にしての開戦時、ポル=ルポラとアンギュリードの戦力はほぼ互角でした。あなた達の結末は、双方消耗し尽くしての共倒れです。地球人も含めて全ての勢力が絶滅します」

「……そうか。なるほど……確かに、そうかも知れないな。ありがとう」

 首長ルーラは見事なたてがみを引っ張りながら少しの間考え込んだ後、神楽に礼を述べた。

「通信機で失礼しますが、次の質問をいいですか」

 ハタナハターナの方から声がした。コックピットにいるアンギュリードの技術者ドッギュールが、通信機の拡声機能を使って質問を投げたのだ。

「よろしい。遠慮なく質問したまえ」

「あなたは冥王ということで、つまり死者の世界の王なのだと思いますが、こちら側の世界に侵攻して生者を殲滅するのはどういう意図があってのことでしょうか。また、神楽氏と勝負をつけて、その後はどうするつもりなのですか」

「ん、んー、なかなか良い質問だな」

 冥王は機嫌良く頷いた。

「まず冥界からこちら側に攻め入った意図だが、実は深い意図はない。人類が憎いとか、恨みがあるなんてことは特にないんだ。ラスボスとして、私の力を見せつけたかっただけのことだ」

「なるほど、デモンストレーションの的として人類を使ったのですね」

 ドッギュールは声音は平然としたものだった。臆病な性質といわれるアンギュリード星人にしては胆が据わっている。或いは、興味があることだけに意識が集中して、他人の心の機微などには疎いのかも知れない。

「それから、神楽に勝った後の予定はまだ決めていないんだ。アルカードゥラの札を全て手に入れれば、世界のあらゆることが私の思い通りになる。だから気ままに世界を滅ぼしたり、適当に世界を創り直したりするのではないかな、多分」

「なるほど、分かりました」

 ドッギュールの声に別の男の声が重なった。

「デモンストレーションのために人を殺しまくったのか。あんたは悪だっ、死ぬべきだアダダッ」

 ハタナハターナの操縦士トーマス・ナゼル・ハタハタの怒りに満ちた声は、最後辺りで打撃音と苦鳴に変わった。余計なことを言うなとエリザベス・クランホンに殴られたのだ。

「いいぞ、いいぞっ」

 冥王は手を叩いて喜びを示した。

「こういう命知らずの馬鹿が身の程知らずの啖呵を切ってこそ面白くなる。勇者に拍手だ」

 冥王の拍手に合わせて埋まった死者達も拍手を送り、それは十数秒後、ハタナハターナから「失礼しました」と恥ずかしそうな声が発せられるまで続いた。

「私からも質問、いいかな」

 次に手を上げたのはイドの背中に乗ったままのシアーシャだった。

「君は、えー、何とかの魔女、だったか、いいだろう」

 冥王は少女の素性を本当に覚えていなかったのか。それとも、相手のことを何とも思っていないというアピールなのか。シアーシャは気にした様子もなく質問を投げる。

「アルカードゥラの札というのは、持っているだけで『自分自身や周囲の状況をある程度コントロール出来る』って冥王さんは言ってたけど、それって、忘れた記憶を思い出したり、忘れないようにしたりも出来るのかな」

 彼女の質問の意味を理解していたのは仲間内でも少数だった筈だ。イドもまた自分のこととは思っていないようで、ただ油断なく冥王を見据えていた。

「んー、記憶、かあ。おそらくは出来るだろうね。札が一枚でも充分だろう。まあ、私は篤志家ではないのであげるつもりもないが」

 冥王が右手を上げると、死者達がまた大声で唱和した。

「冥王陛下は篤志家にあらずっ」

「「「冥王陛下は篤志家にあらずっ」」」

「ありがとう、参考にするね」

 それでもシアーシャは微笑して礼を言った。

「はいはーいはーい、ヘイヘーイッ、先生質問でーすっ」

 今度は船上からキャプテン・フォーハンドが両手を振ってアピールした。許可される前に質問する。

「この茶番はいつになったら終わって戦闘が始まりますかーっ」

 甲板にいた仲間達がドッと笑った。彼らも冥王の勿体つけぶりにうんざりしていたらしい。

「ん、んー、私はね、君達の準備が出来ているのならいつでもいいんだ。ただ、始めると一瞬で終わってしまうからね。んー、他に質問がなければそろそろ始めてもいいのかな」

 冥王は余裕を演じていたが、傷のある左瞼が怒りでヒクヒクと痙攣しているのを対峙者達は見逃さなかった。

「くしゃみ男のことは……」

 甲板に現れた貧相な顔の男が何か言いかけたが、即座に『イモータル』ジャックが飛びかかって首を百八十度ひねり折り、船から投げ落とした。

「ふう。油断するとゴキブリみたいに湧いてきやがる。おっと、こっちは気にしないでくれ。ノーカウントだ」

「んー、では質問コーナーは終了とするかあ。おや、どうも何か言いたげな顔が残っているな」

 冥王の視線の先には、椅子に座って黙々とワイングラスを回している鮫川極がいた。元々ミイラのような顔のため表情は判別しにくいが、スワリングの速度が凄いことになっており中のワインが蒸発してしまっていた。

「ああ、興醒めだ。がっかりだよ。本当に」

 じっとりとした幽鬼のような声音には怒りが滲んでいた。

「僕も生前は多少の映像コンテンツ制作に関わった身でね。その立場から言わせてもらおう。最後の敵が傲慢なのは良い。いちいち大仰で芝居かがっているのも許せるし、その方が効果的な場合も多い。……だがね、自分でラスボスなんて名乗っちゃあ駄目だろう。それは視聴者を夢から現実に引き戻し、クライマックスを台無しにしてしまう。君はラスボス失格だよ」

「あー、んー、またそこに突っ込まれてしまったかあ」

 冥王は苦笑しながら金色の髪を掻き上げる。同時にメヂメヂメギッ、という不気味な音がした。

 鮫川極が変形していた。椅子もテーブルも潰れて薄っぺらになり、ワインボトルとグラスも粉々になっている。見えない力に掴まれたみたいに、鮫川の体は手足の関節や胴体が奇妙によじれていたが、それでもまだ潰れてはいなかった。

 反射的にイドや戦場の戦士達が身構える。ミフネはただあっけに取られて動けずにいる。神楽は冷静に横目で鮫川の様子を確認していた。

「それはそれとして、んー、どうだろう、その状態から反撃出来るかな。既に君の体は完璧に捕らえていてね。君の筋力がいかに超常的なものであっても、それを発揮するためには適切な姿勢とある程度のフリースペースが必要ではないかな。ああ、こんなことを言っている間に終わってしまった」

 ギチギチ、ブヂッ、と鮫川の首が三百六十度回転し、胴体から引きちぎられた。断端から黒い血がダラダラと漏れる。

 宙に浮かぶ生首となった鮫川の顔は、それでも平然としていた。

「最後まで観ていたかったが仕方がないな。まあ、こんなつまらない敵はみっともない負け方をするのが定番だから、わざわざ観る必要も……」

 言い終える前に鮫川の頭部はクシャリと潰れ、径数センチ程度の丸い肉塊となって地面に落ちた。胴体の方は雑巾を絞るみたいにねじれ、ねじれ、細い棒状になって倒れた。

「冥王陛下は最強なりっ」

 冥王の合図に反応して死者の一人が叫ぶ。

「「「冥王陛下は最強なりっ」」」

 唱和が済むと、場は重苦しい沈黙に支配された。

 仲間者達の多くは、実際にその戦いぶりを見ていなくても、鮫川が異常な強者であることを悟っていた。それが、何の反撃も出来ないままあっさりと始末されたのだ。

「博士、死体を回収したーいのですが、何故かこの場から動けまーせん。……はい、様子を見ーます」

 少し離れた場所でロギが頭巾に片手を当てて博士と通信している。

「ん、んー、では改めて、君達に事実を告げよう」

 冥王ハスナール・クロスは両腕を広げ、大仰で芝居がかった仕草で告げた。

「君達は既に負けている。私が登場した時点で君達の勝ち目はほぼゼロだったが、話をしている間に完全になくなってしまった。君達、動けるかね。んー、一歩も動けないだろう」

 指摘されてすぐ、イドが巨大ククリを持ち上げようとした。しかし見えない力に押さえつけられたみたいに上がらなかった。続いて前に踏み出そうとするが、そもそも足が動かない。さすがにイドの表情も厳しくなっていた。

 船上の者達も体が動かず驚いている。船首像のサンドラも斧を振り上げようとしているがゴリゴリと音を立てるだけだ。

「根性を出せば少しは動くぞ」

 ジャック・ペルクマンが言うが、それでも時間をかけて十センチほど動いただけだ。

「動きませんっ、ハタナハターナが壊れたっ」

 通信機の拡声機能でトーマスの叫びが聞こえた。

「ん、んー。私の力をサイコキネシス、所謂念力とか、透明な無数の腕や触手を伸ばしているのだとか思っているかも知れないが、違うんだな。私は空間自体を支配しているのだ。支配を済ませていればこんなふうに」

 冥王が左手で彼方のビルを指差す。建物の大半が破壊され倒壊してしまった中で、まだ比較的原形を留めていたラウンド・ザ・ワールド・レイルロードの駅ビル。それが突然土台ごと宙に浮き上がったのだ。

 冥王が指をクルクル回すと、幅数百メートルの駅ビルが同じようにクルクル水平回転した。そして拳を握り締める動作と共に、巨大な駅ビルは屋上に置かれた食堂車ごと一瞬で潰され小さく丸められた。

「既にベルリン中が私の手の中にある。もうね、君達をちぎるのも潰すのも自由自在という訳だ。ん、んー、神楽、どんな気分かね。この時のために長い時間をかけて準備して、武器と仲間を集めたろうに。残念ながら、なーんの役にも立たなかったなあ」

 大いなる愉悦を湛えて、冥王ハスナール・クロスは微小な敵対者達を見下ろしていた。その力は冥王の座に付随するものか、或いは九枚のアルカードゥラの札によるものだろうか。多数決によって世界を操る力の四分の三を一人で独占しているのだ。出来ないことはないのかも知れない。

 慌てる者はいたが、恐怖している者はいなかった。既に幾多の死線を越えてきたのだ。そしてまだ、絶望するには早過ぎる。

 シアーシャはイドの肩越しに神楽鏡影を見ていた。慌ててもいない、恐怖など欠片もないその横顔を。

 視線に気づいたらしく、神楽がシアーシャを振り向いた。

「預けていたものがありましたね。出してもらえますか。まさか冥王ともあろう者が、怖気づいてトランクを開けさせないなんてこともないでしょうから」

「ん、んー、私は気にしないよ。存分に武器でも何でも出したまえ」

「冥王陛下は寛大なりっ」

「「「冥王陛下は寛大なりっ」」」

 死者達が唱和する間にシアーシャはイドの背から飛び降りて、背負子に乗せていた古ぼけたトランクを下ろした。蓋を開け、手を突っ込んで数秒、目的のものが取り出される。

 それは、一房のバナナだった。まだ熟れておらず、少し青みがかっている。

「あなたに預けていて良かった。新鮮なままですね」

 神楽が言った。彼が袖の中に収納していたものはやはり腐っていたのだろう。

「一本で構いませんので、投げてもらえますか」

「うん」

 シアーシャは端の一本をちぎって神楽へと投げた。神楽は素手で受け止める。これまでは直接触れないように注意していたのに。

「んー、それは、バナナかな。まさかとは思うが……」

「ええ、バナナですよ」

 神楽は手際良くバナナの皮を剥いて、中身を食べた。呑み下す時にザリザリと妙な音がした。新鮮だったバナナが彼の口の中で乾燥しきってしまったように。

 それから神楽はバナナの皮を地面に投げ捨てた。青みがかっていた皮が今は黒ずんで溶けかかっていた。

「ハスナール・クロス。予言しましょう。あなたはそのバナナの皮で滑って転んで滅び去ることになります」

 そっけなく、自明の事実であるかのように、神楽鏡影は告げた。

 冥王は笑おうとした。だが左瞼が怒りにヒクついて笑顔を整えようとしている間に、キャプテン・フォーハンドが歯を打ち鳴らして大きな笑い声を上げた。

「カハッ、カッカッ、この場面でそんな古いギャグを飛ばすとはなあ。ヘイ、カグーラ、馬鹿馬鹿しくて逆に面白いぞ」

 船長の笑い声に緊張を崩され、他の船員達もケタケタと笑い出した。ポル=ルポラの戦士達も笑い、『イモータル』ジャックも太い声で笑う。「え、笑っていいんですか、これ」とトーマスの戸惑う声も聞こえた。ミフネは疲れた顔で笑いをこらえ、教皇は光っていたので笑っているのかどうか判別出来なかった。

 イドは落ちたバナナの皮を見て、笑っている他の者達を見回した。それからもう一度バナナの皮を見て、真面目な顔で考え込んだ後、やっと「フッ」と軽く笑った。そんなイドの顔を見てシアーシャも微笑した。

「それだけか」

 冥王の底冷えするような声が響いた。

 神楽は宙に浮いていた。見えない力によって瞬時に五メートルほど持ち上げられ、手足をねじ曲げられていた。

「おい、それがお前の切り札か。これだけ大きなイベントを起こしておいて、最後の最後でこれか。本当に、それだけかよ」

 いつもの余裕ぶった口調も忘れ、冥王の整った顔は怒りに歪んでいた。ベキ、ベキ、と骨の砕ける音がする。神楽の胸郭が少しずつ破壊されているのだ。

「まだ気づかないのか、クソ馬鹿野郎」

 上っ面の丁寧語を捨て、神楽は陰気な顔に冷笑を浮かべてみせた。

「ハスナール、お前はもう負けている」

 言った神楽の頭部がクシャリと潰れて頭蓋骨や脳の欠片が飛び散った。あっけない神楽の死。仲間達が少なからぬ動揺を示す中、シアーシャは冥王の方を見据えていた。

 冥王の座る場所は、極端なアップダウンを経たものの、神楽が最初に指差した、まさにその場所だった。

 他の仲間達は何も感じなかった、或いは気配のようなものを感じただけであったが、シアーシャはそこに明確な姿を認めていたのだ。

 冥王はつまらなそうに嘆息した。

「いかんなあ。ついあっさり片づけてしまった。んー、ラスボスらしくじっくりいたぶり殺すつもりだったのに」

「ここだよハスナール」

 すぐ背後、いや耳元で聞こえた昏い囁きに、冥王ハスナール・クロスは一瞬で総毛立っていた。目を見開いて立ち上がろうとするが体がうまく動かない。その両肩に血色の悪い神楽の手が乗っていた。

「俺はずっとお前に触っていたぞ。気づかなかったのか」

 予め分かたれ、魔術によって姿を隠蔽していた神楽の半身が告げた。

 冥王の顔がクシャクシャに、ねじれる。怒りと、焦りと、恐怖と、何やら形容しがたい感情によって。

「何故だっ、何を、何をしたっ」

 冥王が叫ぶ。空間を支配している筈が、ベルリン内の全ての対象の生殺与奪を握っている筈が、すぐ後ろにいる神楽を殺せない。引き剥がせない。動けない。見開かれた目が充血し、プシッと結膜の毛細血管が切れて血が溢れ出す。

「強大な力はアルカードゥラの札だけではないということだ。地獄から追放され天国からも拒絶された大災厄、最悪の疫病神の力を俺は譲り受けた。お前に勝つためにな。触れるだけであらゆる不調を引き起こし破滅へ転げ落ちていくこの力に、お前は十分以上も浸かっていたんだぞ」

 説明する神楽の声音は黒い喜びと怨念が滲んでいた。

 冥王が立ち上がる。いや、立ち上がったのではない。神楽が掴んだ肩を持ち上げて力ずくで立たせたのだ。冥王の頭から王冠がずり落ちる。

「さて、予言成就と行こうかっ」

 神楽が冥王を抱きかかえ、蓮華座のような地上五十メートルの高みからダイブした。地面に捨てられた、腐りかけのバナナの皮に向かって。

 落ちる。二人が落ちる。頭から落ちていく。

「ぬおおおお、認めんっ俺は認めんぞっ、こん、ガフッ、こんなのでっ」

 冥王が叫ぶ。血を吐きながら。目と鼻から血を流しながら。

 二人の体が光を発する。大気圏に突入する隕石のように。体から火花が散る。空間支配の能力で落下を防ごうとして不具合を起こしているのだ。暗い空に白い亀裂が走る。遠くのビルが爆発する。

「ぬおおお、こんな、こんな馬鹿な……」

 喚く冥王の頭を神楽が押さえつける。体勢をコントロールしてバナナの皮へ誘導しようとする。冥王がうまく動かない手足を死にかけのカエルのようにビクつかせる。

 落ちる。押さえる神楽と必死に抗う冥王が共に落ちていく。頭が下になっていた体勢が少し戻り、しかしそれをまた神楽が押さえて前のめりにする。仲間達は固唾を飲んで二人の行く末を見守っている。

 地面に激突する寸前、二人の体は前のめりのベクトルであったが、最も地面に近いのは冥王の足だった。

「ぬおああああああ」

 その足が、狙い澄ましたようにバナナの皮を踏み、ズュリュンッ、と物凄い勢いで滑った。二人の体が前転する。

 二人分の体重に五十メートルの位置エネルギー、それに極量の災厄を詰めた破壊力が、冥王の顔面と地面との間で炸裂することとなった。

「おがっ」

 ゾョビャッ、と嫌な音がして何かが飛んだ。十メートル以上離れた場所に落ちた薄いものは、削ぎ落とされた冥王の顔の皮と肉であった。

 それで終わりではなかった。二人の回転はまだやんでいなかった。落下のエネルギーがそのまま回転のエネルギーに変わってしまったみたいに猛スピードで宙返りする。冥王の血みどろの顔から血飛沫が散り、一部が神楽の笑顔にもかかる。

 その場で前回りして、また冥王の足がバナナの皮を踏んだ。回転のスピードが更に加速する。

「ごぇっ」

 また冥王の顔が地面に激突した。髪の束がついた頭皮と頭蓋骨の欠片が飛ぶ。

 宙返りが続く。一回転してまた冥王の足がバナナの皮を踏んで滑る。またスピードが増す。

「うおげっ」

 また冥王の頭が地面で削れる。金髪の束と骨の欠片と脳の一部。

 また宙返りとなる。また冥王の足がバナナの皮で滑る。また加速する。

「えべべ寒い、何か寒いっ」

 冥王が叫ぶ。骨片と脳が飛び散る。宙返りする。バナナで滑る。加速する。また冥王が削れる。宙返りが続く。バナナで滑る。また加速する。同じ工程を繰り返しながら回転速度はどんどん増していく。

「いや暑い、いや寒い、あれっ痒いっおぽっぽぽぽぽ」

 冥王の頭部がどんどんすり減っていく。それを抱える神楽は満面の笑みで、冥王の足がバナナを踏むように、頭部が地面を擦るようにうまくコントロールしている。熟練の職人が精密作業をこなすみたいに。

「痒いっ美味いっ暑いっ寒いっ早いっ美味いっ安いっメシ……メッシメッシーナ……」

「メッシーナとロギンズだなっ。『ジョジョの奇妙な冒険』の第二部の登場人物だっ」

 甲板で寝ていたキキッペルモがいきなり跳ね起きて叫んだ。

「どどっげどっげまままままままま」

「あっ、これは『ドッゲエーッマーチーン!』かっ。『バオー来訪者』の悪役の台詞だ。さあ、次の問題を出せっ」

 キキッペルモが嬉しそうに呼びかけるが、冥王の声はもう聞こえなくなっていた。回転する二人は流れる残像になってよく見えないが、おそらく脳も発声器官も失われたのだろう。

 仲間達はただ見守っている。高速縦回転する冥王と魔人から肉片が飛散していくのを。肉片、骨、血みどろの衣服の切れ端、腸の一部、骨、肉片、指、骨、肉、皮膚、軟骨、肉、腱、布、骨。

「ビューティフル……」

 船長がうっとりと呟き、ゴリゴリと音を立てて船首像が頷いた。

 やがて、唐突に回転が停止し、神楽が音もなく着地した。

 彼は何も持っていなかった。抱えていた冥王はもういない。頭から上半身、下半身、そして足先まで、綺麗に削り終えていた。飛び散った欠片もいつの間にか溶け去り、冥王ハスナール・クロスの痕跡はもう何も、残っていなかった。

 地面には嫌なものを擦り続けた赤い凹みが出来、そのそばに、すり減ったバナナの皮がへばりついていた。

「勝ちました」

 丁寧語に戻り、穏やかに神楽は宣言した。

 あまりにも一方的で、あっけない決着に、戸惑い混じりの奇妙な沈黙が暫く続いた。

「……め」

 最初に喋り出したのは、地面に体を埋められた死者達の一人だった。唱和の先導役であった男だ。

「冥王陛下は、クソ野郎であったーっ」

「「「冥王陛下はクソ野郎であったーっ」」」

 すぐに残りの死者達が唱和した。

「新たな冥王陛下、バンザーイッ」

「「「新たな冥王陛下バンザーイッ」」」

 顔色は悪いが明るい笑顔だった。ハスナール・クロスの治世は相当に厳しかったらしい。

 新冥王呼ばわりされて少し困った様子の神楽に、上の台座から王冠が転がり落ちてきてスコンと頭に乗った。

「まあ、それは後回しにしましょう」

 神楽から少し離れた場所に頭を潰された神楽の死体が倒れていたが、少しずつ姿が薄れていき消滅した。生きている方の半身に回収されたのだ。

 そして、神楽の前に札が浮かんできた。縦十センチ、横七センチ程度の淡く光るカードが九枚。アルカードゥラの札。ハスナール・クロスが完全に滅んだので倒した者に所有権が移ったのだ。

 続いて三枚がその横に並び、宙に静止する。神楽自身が元々持っていた札。

 何も書かれていない白いカードだったが、皆が見ているうちに黒色で数字が浮かび上がった。ローマ数字で「T」から「]U」まで、分かりやすいように神楽の意思でそうなったのだろう。

 一枚一枚は、何の変哲もないシンプルなただのカードに見えた。発光しているのが珍しいのと、鋭敏なセンスの持ち主なら奇妙な存在感に気づくくらいだろう。

 だが、その札の所有者である神楽鏡影は違っていた。

 自然に立っているだけで恐ろしい圧力のような、或いは吸い込まれそうな引力を神楽は備えていた。彼の意思一つで存在を消し飛ばされそうな、重い不安を見た者は感じるようになっていた。

 どす黒い空の数ヶ所から眩い光の筋が降りて、スポットライトのように神楽の姿を照らした。

「これで私は、世界の支配者になりました」

 そう宣言する神楽の瞳から、狂おしい輝きが溢れていた。

 

 

  五

 

「えっ」

 それは誰だったか。船長であり、教皇であり、通信機の拡声機能を介したトーマスであり、他にも何人かが思わず驚きの声を洩らした筈だ。

 だが、不気味な沈黙の後、問いかける勇気を出したのはシアーシャだった。

「もしかして、ラスボスって実は、カグラのおじさんだったりするのかな」

「いいえ、違いますよ」

 神楽は答えてから淡い苦笑を浮かべ、ゆっくりと、長い溜め息を吐いた。

 ほんの数秒前まで、彼の瞳は狂喜に染まっていた。圧倒的な力と恐ろしい意思。何か絶望的なことが起きそうな予感を見る者に抱かせたのだ。

 だが、今の神楽は、疲れて虚脱した、満足げではあるが同時に寂しげな気配をまとっていた。

「私はずっと、一番になりたかった。自分の価値を確かめたかった。それが達成出来た今、私はこれまでにない充実感を味わっていますが、ただの独り善がりな自己満足であることも理解しています。この先やりたいこと、成すべきことも私にはありません。……結局のところ、ハスナール・クロスと同じですよ。彼は既に過半数の札を持っていて世界をどのように改変することも出来ましたが、そのつもりも特になかった。ただ、自分というものを完成させて満足したかった。それだけのことです。……イドさん」

「何だ」

 返事をしたイドに向かって何かが飛んだ。巨大ククリで迎撃するのではなく、彼は手で受け止める。

 それは、淡く光るカードの一枚だった。「T」の数字が描かれた、アルカードゥラの札。

「あげますよ、それ」

「いいのか。大事なもののようだが」

 イドは札に関する一連のやり取りにはついていけていなかったが、その程度のことは分かっていたようだ。

「いいんですよ。私には、疫病神の力を抑えられる程度の札があれば充分ですから」

「そうか。シアーシャ」

 イドは横に立つ少女に渡そうとしたが、彼女は首を振った。

「いいのよ。それはイドが持ってて。……カグラおじさん、ありがとう」

 少女の微笑に、神楽もまた微笑で返した。それからイド達の近くに立っていた輝く人影に目を向ける。

「教皇猊下。どうぞ」

 投げられた札に慌てた教皇はうまく受け止めきれなかったが、札は教皇の胴体に当たるとそのまま吸収された。

「よろしいのですか。話をお聞きした限り、これは私のような凡人が持つべきものではないのでは。世界の一端を担う覚悟が必要になる筈です」

「私は宗教というものを信用していません。ただ、猊下、あなたは人間としては随分とましな方だと思いますよ」

 神楽の口調は皮肉げだったが、教皇に向ける視線は優しげなものだった。

「もしご自分には不相応だと思われるのでしたら、他の相応しい人に譲ればいい。生き残った地球人の中に猊下より覚悟を持った者がどれだけいるかは分かりませんがね」

「……では、ひとまずお預かりします」

 教皇は一礼した。

「次に、船長さん」

「ホーイ」

 待ってましたとばかりに船長が手を上げる。次の瞬間にはその骨だけの手に札が握られていた。

「ありがとさん。三番か。あ、これって番号とか変えてもいいんだよな」

「ご自由にどうぞ。札の所持者同士が連絡を取る時の目印になるだけですから」

「そうかあ。やはり髑髏のマークにするか。いやそんなことより使い道だよな。船の改造とかにも使えるのか。待てよ、まずは俺様の肉を復活させて元のハンサム顔に……アギェッ」

 上機嫌だった船長が悲鳴を発したのは、船首像のサンドラが体を伸ばして振り返り、船長を見つめていたからだ。いや正確には見つめていたのは船長が握る札で、それからギシリと軋みを上げながら恐ろしい笑みを浮かべてみせた。

「は、はい、札は愛するサンドラにお譲りさせて頂きます。最愛の妻ですからね。はい、僕はサンディーさえ幸せならそれでいいんです満足ですともサンディーがそれで穏やかで優しい奥さんになって下さればそれで……」

 船長が札の所持者でいられたのはほんの十数秒だった。船員達は無言でうなだれ、船長の眼窩に揺らめく炎も弱々しく悲しげだった。

 船首像の中に札が溶け込むと、白い石材だった表面に人間らしい色彩がつき始めた。それが良いことなのか悪いことなのか、取り敢えず神楽は目を逸らして次の名を呼んだ。

「トーマスさん、いえ、トーマス・ナゼル・ハタハタさんでしたね」

「は、はいっ」

 拡声器越しに返事が来たので神楽は巨大ロボへと札を投げる。札は頭部の窓を素通りしてコックピットへ飛び込んだ。

「良かったじゃないか、兄弟」

 コックピットにいたルラコーサの喜ぶ声が聞こえる。

「あ、ありがとうございます。この札で……分かりました、ハタナハターナを強化すればいいんですね。いや、でも不思議な力を強化に使うのは邪道のような……」

「いえ違います。ハタハタさんの場合は人間でいられる時間を延ばすのに使った方がいいですよ」

「えっ。あ、そうか。僕はもうすぐ地底人に……」

「地底ではなく少し位相のずれたところに棲む種族だと思いますが、まあ、細かいことは置いて、伸ばした時間で研究を続けたり子孫を残したりすればいいんじゃないですか」

 瓦礫の下からひっそりと見守っていた緑色の靄に包まれた人影達が、神楽の言葉に両手を上げて喜んでいた。

「……そうかっ。つまり僕はこれでエリザベスさんにプロポーズすればアダダッ」

 トーマスの声は途切れた。緑色の謎の人影達が互いの顔を見合わせ、残念そうに首を振った。

「さて、これで残りは八枚」

 目の前に並んで浮かぶカードを見て神楽は呟いた。

「ポル=ルポラの代表者さんとアンギュリードの代表者さん」

「わしだ」

 甲板にいたルーラ・ポポポル・ポルール首長が手を上げた。

「は、はい、何か下さるんでしょうか」

 同じく甲板にいたキキッペルモが妙に緊張しながら答える。冥王と神楽のやり取りの間ずっと寝ていたので、何を配っているのか理解していなかった。

「では、どうぞ」

 二枚のカードが船へ飛び、二人の異星人はそれを受け取った。キキッペルモの方は咄嗟に怯んで逃げようとしたがカードが追いかけて勝手に手に収まった。

「ふむ。我が種族の立て直しに使えるだろうか」

 ルーラの言葉に神楽が答える。

「それなりには使えると思いますが、気をつけて下さい。あなた方の立場は地球に移住する少数民族です。派手なことをすれば逆に存亡の危機に瀕することになるでしょうね」

「なるほど。忠告痛み入る。で、トゥットラ」

「何です」

 隣にいたトゥットラ・ルタール元艦長が応じると、ルーラはあっさりとその手に札を置いた。

「わしは引退する。次の首長はお前だ」

「え、どうしてです、いきなり」

「どうも戦死したようだからな。この地が生者の世界に戻ればわしは消えるしかない。ポル=ルポラの命運はお前に任せた」

 元の体より倍以上大きくなり、何度撃たれても斬られても再生を繰り返した首長であったが、鱗で隠れていない目の結膜はどんより黒ずんで死者の色に近づいていた。

「その札を持っていれば死なずに済むかも知れませんよ。大体死んでいても普通に動いている人が既にいるじゃないですか」

 トゥットラは教皇を指差して反論するが、ふと思いついて首長に問うた。

「まさかずっとこの船に乗って冒険を楽しもうなんて思ってませんよね」

「……。頑張れよ、これからは若い者の時代だ」

 ルーラ首長はそう言ってトゥットラを船から蹴り落とした。

 同じ甲板では船員から札の説明を聞いたキキッペルモが、「ならこの札で『HUN○ER×H○NTER』の続刊を書かせることも……」と口走って呆れられていた。

「これで残り六枚。大体バランスが取れたようですが、投票のことを考えるともう一枚くらい減らすべきかも知れません。誰かの希望に私が賛同するだけで世界を改変出来るのはまずいでしょうから……。三船さん、欲しいですか」

 神楽に尋ねられ、ゼンジロウ・ミフネは少し迷う表情を見せたが、結局首を振った。

「……いえ。私はただの雇われ人です。荷が重過ぎます」

「クァー」

「そうですか。フルケンシュタイン博士はどうでしょう。欲しいということでしたら、ちょっと悩みますが……」

「いえ、偉大なーる博士は、不要だと仰っておられーます。死体を素材にして最強の存在を創り出すといーう目的にー、余計な力が混じるのは良くないーとーのことです。貰った力のお陰で目的が達成されるというのは、非常に腹立たーしいとー」

 ロギが博士の言葉を伝える。

「クァー」

「ふむ、その心情は理解出来ますよ。ならば……」

「クァー」

 さっきから可愛らしく鳴いてアピールしているものに神楽は目を向けた。

 いつの間にか教皇の足元に白いドラゴンがいた。鮫川によってボールのように投げられたが、無事に戻ってきたらしい。ひっくり返って腹を見せ、無害さを主張しているようだ。

「えーっと、エリギゾイト、さん……。欲しい、ですか」

「クァーッ」

「人類を滅ぼそうとしたり無闇に暴れたりしないと誓えますか」

「キュゥーン」

「……まあ、いいでしょう。あげますよ」

 神楽が投げた『Z』の札を、小さなドラゴンはピョンとジャンプして口で咥え止めた。

「さて、これで帳尻は合いましたね」

 神楽は言った。パンと手を叩くと、浮かんでいた残り五枚のカードは神楽の胸へ吸い込まれ消える。

「皆さんに渡した札は、私の目的に協力してくれたことのお礼であり、お詫びでもあります。疫病神の力を受け継いだ私が負けないということは確定していました。しかし最初からその力を派手に使えば、ハスナール・クロスは直接対決を避け、搦め手を使ってきたかも知れません。よって、私の切り札を隠すためにあなた方の存在を利用しました。結果としてあなた達もそれぞれの戦いに勝利しましたが、それらの勝利は私にとっては飽くまでおまけでした」

 神楽は淡々と語る。札が三枚から五枚に増えたお陰だろう、病人のようだった顔色の悪さは随分とましになっていたが、不吉な雰囲気はあまり変わっていなかった。

 骨の指で耳の穴らしき場所をほじりながら船長が言った。

「あー、別に気にしてないぜ。なかなか楽しかったしな。土産も貰ったことだしこれで文句を言ったらバチが当たりそうだ」

 ポル=ルポラのルーラ首長、いや元首長も頷いた。

「うむ、楽しかった。マスター・カグラよ、良い祭と良い結末にこちらこそ感謝している」

 他の誰も糾弾する者はおらず、神楽はニコリと微笑むと話を続けた。

「今後、重なり合った世界はまた離れていき、ただの似通った並行世界に戻るでしょう。ただし、アルカードゥラの札を持っていれば所有者同士で連絡を取れますし、世界間を渡ることも可能です。私は何の予定もありませんが、皆さんもご自由になさって下さい。札を持っているせいで命を狙われることがあるかも知れませんし、これまでのように所有者同士で殺し合いが発生するかも知れませんが、まあ、取り敢えずは皆さんの幸福を祈らせて頂きます」

 これで締め括りかと思われたが、体を地面に埋めたままになっている死者達の方から声がかかった。

「あのー、よろしいでしょうか。カグラ様とおっしゃるのですね。新たな冥王陛下になって下さるのでしょうか」

「あー、その件がありましたね」

 神楽はやっと思い出したように頭に乗った王冠を手に取った。

「私は王の役割など向いていない人間ですから、他の方にやってもらいましょう。鮫川極さんなんか、どうせまたあちらで復活するでしょうからいいんじゃないですか」

 死者達の間から「ヒェッ」と悲鳴が上がった。代表者が恐る恐る意見を述べる。

「いえ、その、申し訳ありません。鮫川様は、その、『苦痛の伝道者』として非常に有名なお方でして。サディズムの極まった王様はちょっと……」

「なら俺がやろうか。どうせ死んでるしな」

 船にいたジャック・ペルクマンが手を上げた。

「このまま海賊の仲間入りもいいかと思ってたが、冥界でプロレスやるのも悪くない。どうだい、俺にその資格はあるか」

「ふむ。ありそうですね。私の最初の見立てよりも百倍くらいタフですし、ヒールですが邪悪ではない。お願いしましょう」

 神楽の投げ渡した王冠を受け取ると、『イモータル』ジャックは船から飛び降りた。

「たまにはこっち側にも顔を出すかもな。死人と生者で試合やろうぜ。死人側は多分ヒールばかりだがな」

 ジャックが王冠をかぶってみせると、死者達が万歳を唱えた。

 そして、後始末の段階に入った。博士が使役する合成された何か達によってガイドウェイが修復され、食堂車を失って二十一両編成となったリニアモーター列車がうまく載せられる。車両の壁や窓に開いた穴も奇麗に塞がれた。ロギは作業の合間に頻繁に現れたり消えたりして、ベルリンのあちこちから素材を回収していた。ただ、死者の残骸から採った素材は出涸らしのようで質が悪いらしかった。

 生きている異星人達は列車でアメリカまで帰ることになった。歴史的和解の地・ヒューストンで二つの種族は再出発する予定だ。

 死んでいる異星人達は幽霊船に乗り込んだ。生きのいい乗組員が増えたと船長は笑っていたが、船首像も生きのいい笑みを浮かべたので皆悲鳴を上げていた。

 トーマスはハタナハターナの応急処置と充電を行い、反重力推進装置で飛行してニュージーランドに帰ることになった。何故かエリザベス・クランホンも同行するようだ。別にプロポーズを受けた訳でもないらしいが。「やはりツンデレという奴ではないですか」とドッギュールが言っていた。

 教皇は聖剣を携えてまずバチカンを目指すらしい。既に全滅していると聞いても、やはり戻らねばならない、と。彼のことだから生存者を見かけたら手を差し伸べるだろうし、旅路は苦労ばかりが多いかも知れないが、歩みを止めることはないだろう。いや、空を飛べるので歩く必要はなかった。

 中国国家主席の影武者とその護衛達はベルリンに残ることにしたようだ。母国に帰っても危険なので、知っている人のいない土地でひっそりと生きていきたいらしい。

 出発の準備を一通り終えたところで、地上に出てきていたルーサー・フルケンシュタイン博士に神楽は言った。

「色々とお世話になりました。博士の研究が進展することを祈っていますよ」

 神楽が自然に差し出した手を握り返し、上機嫌に博士は答えた。

「ああ。この数日で随分と高級素材が手に入ったのでね。一つの完成形が見えてきた気がするよ」

「そうですか。ところで最強の存在が完成したら、やはりその力を試してみたくなりますよね」

「それは当然だ。本当に最強なのか確かめなければならないからね」

 それぞれのパーツが微妙に右上にずれたような顔で、博士は重々しく頷いた。

「では、お元気で」

 手を離して神楽は一礼したが、その時の口元は意地の悪い微笑を浮かべていた。

 列車に本来の乗客やスタッフが残らず乗り込むと、生き残ったベルリンの住民達が盛大な拍手と歓声を送った。

 ゼンジロウ・ミフネが運転室の窓から敬礼して、静かに列車が滑り出していく。幽霊船が気まぐれのようにそれに並走し、甲板から骸骨達が住民に手を振る。それを見送った後で、ハタナハターナは南東へ飛んでいく。

 その頃には既に、ベルリンの空は明るく晴れていた。

 

 

第七章 二へ戻る タイトルへ戻る エピローグへ進む