プロローグ

 

 西暦二〇九九年七月十八日。ニュー・ニューヨーク市のラブ・アンド・ピース広場は夜明け前から大勢の人でにぎわっていた。

 記念すべきイベントを見届けるために世界中から集まった観光客と、各国の政治家、著名人、それに地元のニュー・ニューヨーク市民達。広場から臨める建物は夜通しライトアップされ、開場の時を待っている。

 人類の偉業の一つとして歴史に残るであろう巨大プロジェクトの出発点であり終着点である、ラウンド・ザ・ワールド・レイルロード・ニュー・ニューヨーク・ステーション・ビルディング。ホテルにデパート、レストラン、シアター、VRゲームセンターなどが詰まった九十九階建て、幅は八百メートルもある超巨大ビルで、屋上には再建された自由の女神像が移転設置されており、市外からでもその威容を見上げることが出来た。

 ビルの三階部分を太い線路が水平に貫いている。正式にはガイドウェイと呼ばれるそれは合衆国を横断し、カナダを通ってアラスカ西端からベーリング海峡を渡りロシア東端に達し、シベリアから中国、インドを経由してヨーロッパの主要都市を抜け、更にイギリス、アイスランド、グリーンランドと長大な海上ルートを経て北アメリカ大陸に上陸し、再びニュー・ニューヨークに繋がっている。一本の線路で地球の北半球を一周するという、荒唐無稽なアイデアを多国家の協力で実現させたのが、このラウンド・ザ・ワールド・レイルロードであった。

 人々は世界を一周する鉄道に乾杯し、自由の女神に乾杯し、人類の未来に乾杯し、とにかく乾杯して騒ぐ。二十二世紀を目前にしても世界中で戦争と宗教対立とテロリズムは繰り返され、貧富格差は解決せず、新たなエネルギー資源の開発は消費に追いつかず、自然破壊と環境汚染は益々悪化している。そんな閉塞感に満ちた世紀末に、夢を見せてくれることを人々は期待しているのだった。

 駅ビル前のこの広場では昨夜のうちから超大物アーティスト達による無料の合同コンサートが開かれていた。新たな大物の飛び入り参加もあって漸く終演に至ったのは午前五時を過ぎてからだ。周辺のファーストフード店や屋台で買い食いと立ち飲みを済ませた人々はかなり出来上がっていた。陽気に騒いだり肩を組んで歌ったりしている酔っ払い達を、数万人態勢の警官が素面で見守っている。世界中の政治家や著名人が集まる大イベントで万が一にもテロや事故が起きないように、彼らは些細な異常も見逃すまいと神経を尖らせていた。

 そんな中で、大声で叫ぶ者がいた。

「人類は絶滅するっ」

 人々の笑顔が曇り、一部はうんざりした表情になって声の主に視線を向けた。

「一九九九年七の月、恐怖の大王は空から降りてきてアンゴルモアの大王を蘇らせる。そして人類は滅亡する、筈だったっ」

 ローブを着た老人が音響機器の片づけられたステージに勝手に上がり込み、拡声器を片手に訴えている。年齢は八十代、下手すると九十才を越えているかも知れない。白髪と白髭を腰辺りまで伸ばし、皺深い顔はやつれて見えたが声には力があり、その目は妙にギラギラしていた。

「しかし恐怖の大王は降臨しなかった。何故なら、目覚まし時計が壊れていたからだ。……。目覚まし時計が壊れていたからだっ」

 人々は笑っていいものか迷っているような、微妙な顔になった。

「しかし恐怖の大王は諦めてはいなかったっ。目覚まし時計は新品に買い替えられた。きりの良い丁度百年後のこの年この月に、満を持して恐怖の大王は降臨する。そして人類は絶滅するのだあああっ」

 老人の絶叫にニュー・ニューヨーク市民は溜め息をつく。

「有名人なのか」

 観光客が尋ねると、市民は肩を竦めた。

「今年こそ来る今年こそって十年ごとに言ってる自称予言者様さ。ああ、このところは毎年言ってるな」

 コンサートと広場の様子をずっと撮影していたテレビスタッフがカメラを老人に向けている。警官達にとっても馴染みの相手なのだろう、数人がステージに近寄るが逮捕しようとはしなかった。

 っと、いきなり別の場所から新たな叫びが上がった。

「恐怖の大王など、そんな時代遅れのロートルはどうでもいいっ。問題は宇宙人だ。宇宙人が地球を狙っているっ」

 人々の視線がそちらに集中する。四十代くらいの太った男が拡声器を持ってステージに上がり込むところだった。自称予言者の老人は目を剥いて睨みつけている。

「宇宙を支配する二大勢力、ポルーポーラとアンジェリドは長い間互いに争ってきたが、地球を新たな拠点にすべく動き出したのだ。宇宙人にとっては地球人など役に立たないし邪魔なだけだから、絶滅させるつもりだっ。UFOに気をつけろ。屋外に出ず、地下室に隠れるんだっ」

「なんであんたはそんなこと知ってるんだ」

 何処かからそんな野次が飛ぶと、太った男は真面目な顔で言い返した。

「ラジオのAM放送を聴いていたら通信が入ってきたんだ。奴らは中波を使って情報のやり取りをしている」

 誰かが「いや、宇宙人ならもっと高度な技術使えよ」と突っ込みを入れた。

「宇宙より、太古の昔から地球に存在する脅威に気づくべきだっ」

 また誰かが拡声器で怒鳴った。

「ドラゴンだっ。ドラゴン、ドラゴンなのだっ。巨大なドラゴンが、南極大陸に眠っているのだっ」

 五十代くらいの、禿げ頭の男だった。彼もまたステージに上がり込み、皆に向かって必死の形相で訴える。

「俺は見たんだ。俺は十五年前まで、南極観測基地に勤務していた。そこで見たんだ。氷河の中で氷漬けになった巨大なドラゴン……百メートル以上あった。尻尾を伸ばせば二百メートルくらいあるかも知れない。奴は……眠っていた……氷河の中で少しだけ動いていたんだ。何万年前からそうしていたのか分からない。……俺は、見たんだ。あのドラゴンが、薄目を開けて、俺を見ていた。目が合ったんだ。奴は、もうすぐ起きてくるぞ。きっと巨大な炎を吐いて南極の氷を溶かし尽くし、人類を燃やし尽くすんだっ」

「百メートル、二百メートル、それがどうした。海の怪物の巨大さを知らんのかっ」

 また新たな参加者がステージに上がり込んできた。「何これ、そういうイベントなのか」と観光客が半笑いを浮かべている。

 今度の予言者は六十代くらいに見えたが、薄汚れたTシャツを着た上半身は筋骨隆々として、よく日に焼けた肌をしていた。

「リヴァイアサン、クラーケン、カリュブディス……伝説は色々とあるが、わしは本物を知っている。巨大な触手がわしらの船を沈めた。最初はインド洋だった。その五年後、南太平洋でもやられた。大西洋でも仲間の船七隻が触手に沈められた。北極海では触手がクジラを攫っていた。わしら海の男達は、あの巨大な触手のことを、テンタクルズと呼んでいた。……いいか、あいつは全ての海にいる。いや、全ての海に手が届くほど巨大な化け物なんだっ。海に近づくな……奴は、いつでもわしらを狙っているんだっ」

「皆さんっ、これまで我々カトリックが隠していたことを告白しますっ」

 次にステージに登場したのはボロボロの僧衣をまとった神父だった。彼は拡声器を持っていなかったが声はよく通った。

「私はローマ・カトリックの元枢機卿でサラネ・ペクシガと申します。皆さんに、ハンガマンガの脅威が迫っていることをお伝えしなければなりません。ハンガマンガとは、次元の穴を通って異世界からやってくる人食いの怪物達のことです」

 「枢機卿だって」「いや、偽者だろ」と人々がざわめく。それが静まるのを待って神父が話を続ける。

「記録に残っている中でハンガマンガの最も古い登場は二世紀のローマ帝国西部です。何処からともなく黒い軍勢が現れ、十数の村を襲い人々を貪り食って消えたとあります。以降、およそ三百年に一度の頻度でヨーロッパに現れ、各地を蹂躙しては短期間で消え去るということを繰り返しているのです。四肢を持ち二足歩行するものもいたそうですが形も大きさも様々で、丈が十メートルを超えるものもいたとか。全身の皮膚が黒く、腹や背中にも口があり、あらゆる生き物を食い殺し丸呑みにし、彼らの通った後には人も家畜も鼠一匹すらも残らなかったそうです。『飢えを撒き散らす者』として『Hunger Mongers』と名づけられました。数百年ごとに現れるハンガマンガによる人民の被害を防ぎ、元の世界に追い返す役割をキリスト教会の聖騎士が負うようになったのは八世紀のことで……」

 ステージ近くの人込みから「話が長いっ。次の奴が控えてるぞっ」と野次が届き、神父は咳払いの後、早口でメッセージを告げた。

「要点を述べます。襲来のたびに、規模が大きくなってきているのです。こちらの世界に繋がる穴の数も、やってくるハンガマンガの数も加速度的に増え、人民に不安を与えないように被害をペストの流行や戦争のせいにして隠蔽してきましたが、次の襲来は間違いなく人類の存亡に関わる規模になるでしょう。襲来に備えて任命された今代の聖騎士は相応しい力を持つ超人です。しかし、彼が聖剣一振りで幾ら奮戦しても人類を守りきるには及ばない。そろそろ次の襲来の時期になります。どうかハンガマンガに気をつけて下さい。黒い軍勢を見たら逃げるのです。ご清聴ありがとうございました。皆様に主のご加護があらんことを」

 神父が一礼すると大きな拍手が上がった。テレビスタッフも完全にイベントと解釈したようで平気で生中継を続けている。

「異世界とか何とかよりヤバいものがあるっろっ。死者の世界らっ」

 赤ら顔の老人が拡声器でなくウイスキーの瓶を片手にステージに上がろうとしていた。

「この世とあの世ろ境界が破れて、死者がこっり側に押し寄せてくるろっ。あの世の王がそう言ってたんら。半年前に心臓発作で救急搬送されて、ちょっとあの世に行っれたんら。そこれ王に会ったんら。この世ろ奴と約束があっれ……」

 かなり酔っ払っているようで呂律が怪しく、ステージにも上りきれずひっくり返ってしまうのを人々が抱き止める。それまで黙って見守っていたローブの予言者が、改めて自説を主張し出した。

「とにかく恐怖の大王を忘れるなっ。リメンバーッ、恐怖の大王っ」

 間髪入れずに太った男が叫ぶ。

「そんなのより宇宙人だっ。地球は狙われているっ」

「海だっ。だが陸にいても気をつけろ。テンタクルズの触手は何処まで伸びるか分からんぞ」

「ドラゴンだっ。南極の氷が溶ける。俺と目が合ったんだ」

「黒い軍勢がもうすぐやってきます。ハンガマンガは人類を食らい尽くすでしょう」

「コンピュータの反乱で人類は滅ぶっ。そして未来から刺客が送られてくるんだっ。え、映画のパクリじゃないぞっ」

「セイン大統領は核戦争を起こして人類を滅ぼすつもりだっ」

 予言者達の叫びに紛れて人込みからジョークが飛び、笑う者も多かったが自国の大統領を馬鹿にされてムッとする者もいた。テレビスタッフは発言者を探してカメラを巡らせ、警官達はタチの悪いデマを飛ばした発言者を一応拘束すべく動き出した。

「くしゃみ男は」

 尋ねる声がした。

「えっ」

 拡声器片手に自説を叫んでいたステージ上の予言者達が固まった。声は彼らの中からしたのだが、そのうちの誰の声とも違っていたのだ。

 いつの間にか貧相な顔の男が立っていた。ボソボソとした喋り声だが周囲にはよく響いた。

「くしゃみ男は参加しちゃ駄目なのか。謎のくしゃみ男……ふーぇ、ふぇ……ふぇっくちっ」

 男がくしゃみをした。

 ステージ上にいた他の男達の頭が爆裂した。

 首から上を失って血みどろで倒れ伏していく予言者達を、人々は声もなく呆然と見守った。いつの間にか貧相な顔の男はいなくなっていた。

 警官達が集まってきて死体をバッグに詰め、清掃員がモップがけをして、ステージは元通りに綺麗になった。

 そして人々は何事もなかったかのように、世紀のイベントを祝って馬鹿騒ぎを再開した。

 

 

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