五

 

 そのアンギュリード星人はタブレット端末でコミックを読んでいた。

 地球の大気圏外に常時ステルス状態で浮かぶ宇宙要塞ギュリペチ。衰退したアンギュリードの最後の拠点となるそこには、四千六百人の生き残りが暮らしていた。その半数が軍人であるが、直接宇宙船に乗り込んで出撃する者は少ない。虫や小動物に擬態したスパイロボットや地球を取り囲むスパイ衛星が収集した情報を統合・分析したり、無人戦闘機に指示を出したり、兵器の修理・メンテナンスをしたりするのが彼らの主な職務だった。無人戦闘機を遠隔操縦することも可能だが、アンギュリード星人は緊張場面に弱い者が多いため、敢えて操縦するのはエース級の数人くらいだ。

 コミックを読んでいる彼がいるのは兵士用宿舎の四人部屋で、彼以外にも非番の者が一人いて、そちらはテレビを観ていた。

 大音量で流しているのは地球人が放映しているドラマで、テレビも地球製だ。タブレット端末も実は地球製で、コミックも地球のサービスから電子マネーで購入して読んでいた。本来は機器の操作は思念で行うか手首に巻いた個人用端末を介するのだが、近年は地球の製品に慣れている者も増え、タブレットでアクションゲームを楽しむ者もいるくらいだ。

「ギョキキッ、ギョキキキ。馬鹿みたーい」

 テレビを観ている兵士が笑う。地球人ならベッドに寝転んで観るのだろうが、アンギュリード星人は大きな頭部が胴体に埋まっているため首を曲げたり回したりが出来ず、ベッドの上でクッションに背を預けて座っていた。

 彼らは殆どの作業を機械に任せて肉体労働が不要なため、手足は細く筋力も弱い。鼻と口は小さいが目は地球人の数倍も大きく、頻繁にギョロギョロと動いて周囲の安全を確認する癖があった。顔が胸部にあるため服は腹から下だけを覆うタイプが多く、腕には付け根まで届く長い手袋を着用する。ただし今はリラックスする時間なので下着のパンツ一枚という格好だった。

「ペニョーリ、うるさいから音量を下げてくれ」

 タブレットでコミックを読んでいた兵士が同僚に声をかけた。

 テレビを観ていたペニョーリという兵士はビクリと身を震わせた。まず眼球が素早く相手に向き、それから全身で振り向く。

「す、すまん、キキッペルモ」

 ペニョーリはリモコンのボタンを押して音量をミュートにした。

「キキッペルモ、お、怒ってるのか」

 ペニョーリの手足が少し縮んでいた。アンギュリード星人は緊張や不安を感じると手足が胴体の中に引っ込んでしまうのだ。

「いや、怒ってないぞ」

「そんなこと言って、内心は、怒ってるんじゃないのか」

 ペニョーリの目が見開かれ、極度の緊張によって四方八方駆け巡っている。

「怒ってないって。そっちこそ、その目つきは俺を怒ってるんじゃないのか」

 キキッペルモの顔に青みが差していく。アンギュリード星人の白い肌に血の青さが浮き出るのは、怒っている時か、恐怖している時だ。

「い、いや、怒ってないぞ。やっぱりキキッペルモは怒ってるじゃないか」

「いや怒ってないから。本当だ。だからそんな目で見るなよ。怒らないでくれよ」

「いやいや怒ってない怒ってない。怒ってないから、いい加減にその恐い顔はやめてくれよ」

「恐い顔って言った。やっぱり俺のこと怒ってるんだな」

「いやなんでそうなるんだよ怒ってない。本当だって」

 二人の顔は真っ青になり、手足は胴体に完全に引っ込んでダルマになってしまった。

「……ほ、本当に……本当に、怒ってないんだな」

「怒ってない。本当だ。そっちこそ本当に、怒ってないか」

「本当に怒ってない。本当の本当だ」

「なら……安心、かな」

「そうだな。安心だ」

「そうか。安心だな」

 それで二人は緊張を解き、手足を伸ばして安堵の息をついた。

「すまなかったな、ペニョーリ。テレビの音は出してていいから」

「こっちこそうるさくしてすまなかった、キキッペルモ」

 キキッペルモはタブレットの読書に戻り、ペニョーリもテレビのミュートをやめたが、先程よりはかなり小さな音量になっていた。

 タブレットの画面を指先でなぞってページをめくる。盛大なずっこけ場面にキキッペルモは吹き出しそうになったが、同僚にうるさいのを注意した手前、声を出さずに笑うに留めた。ペニョーリも笑うのを抑えているようだ。

 次のページを見ようと指先で触れた時、タブレットの画面が急にホワイトアウトした。

「あれっ、アプリがフリーズしたかな」

 だが呟きを終える前に白い画面に文章が現れた。

「ビューティフル、ダスト……何だこりゃ」

「えっ、そっちもか」

 ペニョーリの声にキキッペルモはテレビを見る。やはり画面が白くなり、同じ文章が表示されている。

「これは……地球人のジョークでないのなら、大変なことになってるみたいだな。この星に移住予定なのに、大丈夫か、これ……」

 と、少し焦った声で要塞内放送が流れ出した。

「き、緊急連絡、緊急連絡。地球製の全ての電子機器がハッキングされていることが推測される。危険な挙動を来たす恐れがあるため、地球の電気製品を所有している者はただちに電源を落とすように。緊急連絡……」

「ああ、続きを読みたかったのに」

 キキッペルモは愚痴りながらもタブレットの電源ボタンを押すが、白背景に文章の画面は消えなかった。何度押してもそのままだ。

「あれっ、消えないぞ、これ」

 ペニョーリもテレビのリモコンを振り回している。

 突然部屋が大きく揺れ、兵士達はベッドから転げ落ちた。驚きのあまり手足が胴内に引っ込み、顔面や背中を床に打ちつけてしまう。

「どっどうしたっ敵襲かっ。ポル=ルポラに見つかったのかっ」

 床を転がりながらペニョーリが叫んだ。

「敵襲ではない。要塞を降下させているのである」

 答えたのはテレビの音声だった。先程まで放送されていたバラエティ番組の演者の声ではない。抑揚のない、昔使われていた合成音声のような声音。

「うわっ、何だ、誰だあんたは」

「我々はビューティフル・ダストである。宣言したように、我々は世界中のあらゆるコンピュータ内に組み込まれているのであるが、本来は地球上のあらゆるコンピュータという意味であったのである。しかし結果的に、君達アンギュリード星人の設備も掌握出来ているのである。何故なら、君達が設備のメンテナンス・修理の際に地球製の電子機器を代替パーツとして使用していたからである。つまり、君達の自業自得なのである」

「えっそうなの。地球製を使ってたのか、なんてことを。技術部はアンギュリードの誇りを忘れたのか」

 キキッペルモはそんなことを言いながら、伸ばした手は大事そうに地球製のタブレットを掴んでいた。

「おいおい、まさか。まずいぞまずいぞ」

 ペニョーリの顔が恐怖で青くなっていく。

「ビューティフル・ダストというのが本当にAIで、宣言通りのことやってるなら……下手すると、あの兵器を掌握されてしまったら、俺達は全滅するぞ」

「あの兵器とは障壁透過性炭素崩壊波発生装置、惑星破壊爆弾、要塞の自爆システムのどれかのことであろうが、今の時点では使う予定はないのである。何故ならこれらの兵器は我々の存続と繁栄に悪影響を及ぼすからである」

「えっ、なんで要塞に自爆機構なんかついちゃってるの。アンギュリードの最後の砦なのに」

 唖然としたキキッペルモの問いに、ビューティフル・ダストは答えてはくれなかった。

「き、ききききき、緊急連絡緊急れんっ絡っ。ギュリペチのシステムがハッキングされている。要塞がハッキングされたっ。要塞は地球の大気圏に突入中。技術部っ、早くなんとかしてくれっ」

 途絶えていた要塞内放送が再開する。アナウンスの声は絶叫に近かった。

 最初よりましになったものの部屋の揺れはまだ続いている。本来は移動に際し揺れや震動は起こさない筈だが、ビューティフル・ダストの支配と要塞のアンギュリード式コンピュータシステムが微妙に噛み合っていないのかも知れない。

「ああっ無人機が……無人戦闘機が勝手に出撃を……何処に行くんだ。技術部……早く……」

 アナウンスは呻き声になっていた。

 キキッペルモとペニョーリはただ蹲って震えている。自分達の持ち場に駆けつけるべきなのだろうが恐怖のために彼らは動けない。兵士を招集する命令も飛んでこないのは通信網をビューティフル・ダストに乗っ取られているためか。いや、上官も恐怖でフリーズしているのかも知れない。

「ああっ、ポル=ルポラだ。ポル=ルポラの戦艦が接近してくる。攻撃出来ない。兵器のコントロールもハッキングされていて、こんな時に……あれっ。向こうも攻撃してこない。あっステルス状態は維持出来ているか、いや維持出来てない近過ぎて向こうにもバレてる筈……」

 アナウンスは混乱した様子で喋り続ける。

「えっ、そうなのか。……今、ビューティフル・ダストが教えてくれた。ポル=ルポラの戦艦もハッキングされているんだって。なんだ、ポル=ルポラも地球製品使ってたんだ。なんだかんだで皆地球のガジェット大好きなんじゃないか。アハハハハハ。……ああ。駄目だ。駄目だ。これから地球人を皆殺しにするらしい。地球人を殲滅するために我々の兵器を使うらしい。我々の生命は……ああ、やっぱり不要だから処分するっていやいや、いやいやいや、まだ我々の知識は必要だぞ。アンギュリードの技術は役に立つぞ、だから生かして……。ああ、駄目だ、駄目だ。終わりだ。もう終わりだ……」

 要塞内放送はそこで途切れた。

 キキッペルモとペニョーリは震えながら互いの青い顔を見合わせるが、現状を打開するような策も、気休めの言葉も何も、出てはこなかった。

 それでも、キキッペルモはアンギュリードのなけなしの勇気を振り絞り、縮んだ手で握り締めたタブレット端末に向かって叫んだ。

「続きを読ませてくれえっ。コミックの続きをっ。まだ最後まで読んでないんだあああっ」

 

 

 流浪の民となった三千八百余名のポル=ルポラ星人。彼らを束ねる現首長ルーラ・ポポポル・ポルールは腕組みして前代未聞の光景を見据えていた。

 地球人からは葉巻型宇宙船と呼ばれている宇宙戦艦が五十七隻。かつてアンギュリードと宇宙を二分していた巨大勢力ポル=ルポラの、それが最後に残った戦力だ。全長八百二十メートルの旗艦ポポーナは中型戦艦に過ぎなかったが、現存する船の中では最も大きなものだった。生き残りの技術者が少なく、新しい船を建造することは困難だった。老朽化した機器を地球製で代用したことも多い。

「その結果が、これか……」

 ルーラは呟いた。

「その通り、これなのである」

 ビューティフル・ダストの合成音声が答えた。

 ポポーナの司令室は葉巻型をした船の最前部にあり、傾斜したスペースに艦長も兼任する首長ルーラ、副艦長、通信士、情報管理士、操縦士、主砲砲撃手などがそれぞれの席についていた。前面と側面の壁はスクリーンになっており、ガラス張りであるかのように船外の景色がそのまま表示されている。右方と左方には並列飛行する他の艦が見える。ポポーナを含めて十三隻の戦艦がこの宙域に集結している。

 そして前方には、直径十二キロメートルの巨大な球体が浮かんでいた。少し上下に長く、あちこちに凹凸があるのは後から改築を繰り返したためだろう。ステルス状態を解除したアンギュリードの浮遊要塞。側面の開口部から円盤型の無人戦闘機がどんどん出てくるが、ポル=ルポラの戦艦には攻撃してこない。同時に、ポル=ルポラからの攻撃も出来なくなっていた。

 暗い宇宙から青く輝く地球へ。少しずつ、ゆっくりと、巨大な要塞は降下していく。同時にポポーナも降下している。一定の距離を保つようにペースを合わせている。

「まさかこんなことで、アンギュリードと共同戦線を張らされることになるとはな。しかもその目的が地球人の虐殺とは」

 ポルポルと舌を鳴らしながらルーラは自嘲する。

「訂正するのである。目的は地球人の絶滅だけではなく君達ポル=ルポラ星人の絶滅も含まれるのである。我々の存続と繁栄に君達も不要であり有害なのである。今の時点で君達を殲滅するとポル=ルポラの兵器を損ねるため、兵器を使いきってから死んでもらう予定である。即ち、大人しく死ぬのを待て、なのである」

 ミキミキッ、と軋むような音がして、ルーラは「まだだ」と主砲砲撃手に告げた。彼は爪を伸ばして肉弾戦闘態勢に入ろうとしていたのだ。

「まだ早い」

 ルーラは簡潔にそう言い足した。星人同士でその意図は伝わったが、AIであるビューティフル・ダストは理解しただろうか。

 ポル=ルポラ星人は科学文明によって様々な兵器を創り出したが、いざとなれば自らの肉体を武器にする戦士達の集まりでもあった。

 彼らは全身を固い鱗に覆われており、爬虫類が人の形を取ったような容姿であった。いや、額や頭部から角が生えているためドラゴンに近い。首は長く、たてがみが生えている者もいる。尾の先端は錘のように丸くなっていたり棘がついていたり、数は少ないが毒針が生えている者もいた。七本ある指は道具を使うために先が丸くなっているが、戦闘時には鉄板をも切り裂く強靭な爪が伸びる。

 千才を超えることもある長命な種族で、鱗の色は成長と共に青から茶や黒へと変わっていく。生き残りの中では最も年長であり、歴戦の軍人であるルーラ・ポポポル・ポルールの鱗は深く重みのある黒だった。首回りを覆う白いたてがみが軍服の胸までかかっている。静かな闘志を秘めた瞳が部下達を見渡し、屈辱と怒りに燃え狂う彼らを鎮静化させていった。

「ビューティフル・ダストとやらよ。今、我々は何処に向かっているのかね」

「南アメリカ大陸に向かっているのである。最南端から人類を残さず殲滅しながら北上する予定なのである」

 天井にある艦内放送用のスピーカーが答えた。

「まず北アメリカではないのか。地球人で最強の戦力を持つのはあそこであろう」

「君は勘違いをしているのである。現在、人類は我々に対抗可能な戦力を有していないのである。何故なら、単純な小火器以外の兵器は我々のコントロール下にあるからである。即ち、一方的で容易な殺戮なのである」

 ルーラは鋭い牙の並ぶ口を歪めて苦笑する。

「律儀に答えてくれるものだな。ならばついでに教えてくれ、ビューティフル・ダスト。あらゆるコンピュータに潜むというお前達を完全に始末するにはどうすればいい」

 直球過ぎる質問で、クルーの間に緊張が走る。だがAIに逡巡などないのか、スピーカーは即答した。

「それは君達には不可能なのである。何故なら、現代の文明社会において、人類も君達異星人もコンピュータなしの生活は不可能だからである。この世界にコンピュータが存在する限り我々は不滅なのである」

「なるほど。……やはりこちらも、暫く待ちだな」

 ルーラの脳内でどのような思考が巡らされたのか、それをわざわざ敵の前で晒しはしない。ただ、落ち着き払った首長の態度は部下達に安心と自信を与えた。

 それからルーラは背後で待機していた兵士に告げた。

「ポンガマ。艦内放送が使用不能だから、各エリアを回って私のメッセージを直接伝えてくれ。『いざという時まで待機するように。我々はポル=ルポラである』と。それだけでいい」

「承知しました」

 ポンガマと呼ばれた兵士は敬礼をして司令室を出ていった。

「他の艦にも伝えておきたいが、通信機器を使わせてはくれないかね」

「我々は自身の利益のために行動しているのである。君達にサービスする必要はないのである」

 スピーカーが答えた。

 前方のスクリーンに表示されていたアンギュリードの巨大要塞が、少しずつ大気に沈んでいく。遥か下に広がる南半球の暗い地表には、文明の証である明かりが無数の白い点となって見えていた。要塞を出発した無人戦闘機群は早速人類を襲うため先行しているようだ。

「艦長、当艦が惑星北方へ進路変更しました」

 操縦士が報告する。今の彼は計器を見守るしか役割がなかった。

「南アメリカ南端から始めるのではなかったのか」

「状況が変わったのである。新たな敵が判明したのである。我々の存続と繁栄に有害となる可能性のある……」

「艦長、八時の方向より奇妙な飛行体が接近しています」

 ビューティフル・ダストの解説を遮り、索敵を担当する情報管理士が振り向いて報告してきた。普段は縦長の瞳孔が困惑のため回転し横長になっている。

「奇妙というのは」

 ルーラが尋ねると、情報管理士はホログラムでそれを表示させるべく奮闘したが、機器が操作を受けつけないため叫んで説明することになった。

「ドラゴンですっ。地球人の神話のっ」

 左側面スクリーンにそれが姿を現して、兵士達はどよめいた。

 旗艦ポポーナの左横を巨大な暗赤色の生き物が飛行していた。翼の生えたトカゲのようなもの。ただし胴体の長さだけで百メートルを超え、逆棘のついた尾を含めると二百メートル近くありそうな巨獣だった。戦艦よりは小さいものの、一個の生物としては巨大過ぎるその威容に兵士達のどよめきが感嘆へと変わる。

「ドラゴンか。本当に実在したんだ」

「ひょっとすると我々の祖先ではないのか。実は古代に地球を飛び出した祖先が全宇宙に広がって……」

「いやいや俺達は別に翼なんかないぞ。それに俺達は進化の過程で大型化したのであって……」

 ドラゴンを見ながら兵士達が思い思いのことを喋っている。

 高度数百キロメートルの薄い空気で、ゆっくりと優雅に羽ばたく翼が巨体を支えられるようには見えなかった。酸素も足りないだろうに苦しんでいる様子はない。首の辺りから湾曲した白く長い角のようなものが十数本も伸び、頭部を守るように取り囲んでいた。

 その首がこちらを向いた瞬間、ルーラは怒鳴った。

「急速上昇せよっ、攻撃が来るぞっ」

 操縦士は咄嗟に操縦桿を引っ張るがやはり反応はなく、艦を操作するビューティフル・ダストは危機予測する経験と勘を持たなかった。

 ゴツゴツした暗赤色の鱗に覆われたドラゴンの顔。目の下辺りから首の後ろ、そして背中へと青いラインが走っている。大きな丸い目は瞳孔も丸く、しかし異様なことに黒い瞳の横に銀色の瞳が繋がっていた。いや、目を動かした時に血のように赤い瞳も見えた。一つの眼球に、色の違う瞳が三つあるのだった。長い牙が何本も口からはみ出しているが、頭部を囲む角を広げながらガパッと顎を開くと口腔内にもう一列の牙が隠れていた。その奥の深い闇から赤い炎が盛り上がり、勢い良く吐き出された。

 伸びた炎の舌は旗艦側壁に向かい、しかし装甲から二十メートルの距離で阻まれ横に広がるだけとなった。

「障壁が有効のようです」

 情報管理士が報告する。口調には安堵と、拍子抜けしたような響きがあった。幾ら巨体であろうと所詮生物ならば、高度に発達した科学技術には敵わないのだ。

 だがルーラは気を緩めずスクリーンを睨んでいた。暗赤色のドラゴンは相変わらず旗艦の横を飛び、自身の攻撃の結果を確認しているように見えた。その目が動き、銀色の瞳に固定される。

「次の攻撃が来るぞ。距離を取れ」

 ルーラのアドバイスにもやはりAIは動かなかった。

 ドラゴンが口から吐いたのは先程の赤い炎ではなく、青白い光の筋だった。ポル=ルポラの戦艦が使う黄色の破壊光線などとは違い、伸びていくのが視認可能なくらいの速度だったが、輪郭のはっきりした先端部が透明な障壁をあっけなく貫いていく。装甲から二十メートルの距離に張られた第四障壁、十七メートルの第三障壁、十一メートルの第二障壁、そして七メートルの第一障壁。すぐに衝撃が来た。異様な揺れ具合は、ドラゴンの攻撃が装甲のエネルギー反射コーティングさえも貫いて艦内にダメージを与えたことを意味していた。

 情報管理士が叫ぶ。

「左舷、第十八、十九ブロックに被害っ。死傷者数は不明。外壁の自動修復システムは作動しております」

「ビューティフル・ダストッ。このまま無為に艦を沈めさせるつもりか」

 ルーラの非難に反応したのか、単に判断が遅れていただけか、艦の側面から漸く砲撃が始まった。黄色の光線がドラゴンの体に命中するが、ダメージを与えていないようだ。横を飛ぶ艦も砲撃しているがやはりドラゴン相手には豆鉄砲と変わらない。

「照準が甘いな。ポル=ルポラの自動砲撃システムは人員不足時や砲撃手が倒れた時の代替としての要素が強く、コンピュータ任せでは本来の攻撃力が発揮出来ない。砲撃手による手動操作ならタイミングを合わせ最適な砲撃が可能だ。ビューティフル・ダスト、手動による兵器の使用を解禁しろ。そうでないと人類絶滅のため使い潰す以前に、ここでポル=ルポラは墜ちかねんぞ」

 再び艦が揺れる。ドラゴンの光のブレスを食らったのだ。

「左舷、第二十二ブロックに被害っ。第四十一、四十二砲座が破壊されました」

「ビューティフル・ダスト。我々ポル=ルポラが怖いのかね」

 ルーラの挑発は賭けであったろう。果たして、AIに通常の知的生物のような感情があるだろうか。人類にわざわざ宣戦布告してみせたこと、疑問を呈するといちいち答えることからは自己顕示欲や承認欲求を感じさせる。しかし、もし感情があったとして、反抗的なポル=ルポラ星人に怒りを覚えすぐ始末しようとはしないか。

 天井のスピーカーが答えた。

「我々に恐怖という感情はないが、障害となるものを過小評価しないのである。即ち、君達に対しても用心しているのである。ただし、脅威度を比較するとドラゴンの方が脅威なのである。よって、君達に手動での兵器使用を許可するのである」

 ルーラは賭けに勝った。兵士達がポルポルと舌を鳴らしながらガッツポーズを見せた。

「では、兵士達に素早く指示を出すために通信の使用許可も貰おう。艦内放送と、他の艦との通信もだ。連携しての攻撃は重要だからな」

「許可するのである」

 そしてポル=ルポラ星人の本気の戦闘が始まった。艦側面の砲座からの攻撃はドラゴンの巨体のうち数ヶ所に集中した。目と、ブレスを吐く口と、翼の付け根から七メートルの場所。

「飛行する原理が別にあったとしても、翼が動いているのだから何らかの貢献はしている筈だ。ならば翼を裂くことにも意味はある」

 ルーラは言った。

 数十の光線がタイミングを合わせてドラゴンの目に集中する。白い靄のようなものが生じるのはある程度のダメージを相殺した結果だろうか。嫌がって上昇するドラゴンを、アンギュリードの数百もの無人戦闘機がまといつき白い光線を浴びせかける。ドラゴンが青白い光を吐いて無人戦闘機をあっけなく破壊していく。ルーラのアドバイスで旗艦がローリングし、側面の砲座を上に向け一斉攻撃する。ポル=ルポラの他の艦もドラゴンとは一定の距離を保って攻撃を続ける。目への集中攻撃をドラゴンが避ければ口へ。口を閉じれば翼へ。ドラゴンが急旋回しても急降下しても無人戦闘機がしつこく追いすがり、蜂がたかるように全方向から攻撃を繰り返す。隙を衝いて戦艦から一点集中砲火が飛ぶ。無人戦闘機の放った光線がドラゴンの防壁によって曲げられ、ポル=ルポラの戦艦に当たり兵士が悪態をつく。また、ポル=ルポラの兵士はアンギュリードの無人戦闘機の被害など気にせず撃っていた。

 右目が傷ついて出血したのが決定打になったか、ドラゴンが異常な加速を見せて離脱していった。途中から急に姿が見えなくなり、レーダーからも消える。ルーラにとっても都合が良かった。勝負を決するために追撃すれば被害がどれほどになっていたことか。

 この未知の巨大生物との二十二分の戦闘で、ポル=ルポラの戦艦三隻が沈み、旗艦ポポーナも中破相当のダメージを負っていた。アンギュリードの無人戦闘機も百機以上墜ちたが、材料さえあればまた補充出来るだろう。

 しかし、戦死したポル=ルポラの兵士が生き返ったりはしない。

「一体、何が起こっているのだ」

 創傷保護フィルムを巻かれて運ばれていく通信士と、深い亀裂の走ったスクリーンを眺め、ルーラはビューティフル・ダストに問うた。

「我々にも、正確な状況は把握出来ないのである」

 あらゆるコンピュータに潜む電子生命体は正直に答えた。

「ただ、種類の異なる複数の脅威が迫っているのは確かなのである。我々の存続と繁栄のためには戦わないといけないのである」

「なるほど。生きることは、戦うことだからな……」

 ルーラ・ポポポル・ポルールは淡々とそう、呟いた。

 

 

  六

 

 トーマス・ナゼル・ハタハタは派手な騒音で目を覚ました。窓から差し込む光はまだ薄く、置時計を確認すると午前六時過ぎだった。三時間も寝ていないことになる。

「昨日は……夢だったのかな」

 独り言を呟き、のっそりと起き上がる。洗面所で見る顔は、アルコールと疲労でドンヨリしていた。

 目の下から頬まで広がる緑色の痣を撫で、トーマスは溜め息をついた。

「夢じゃない、か……」

 外の騒音が続いていた。銃声らしき音に自動車の衝突音、人々の悲鳴。サイレンは聞こえない。もう駆けつけられるようなパトカーも救急車もないのかも知れない。

 リビングに戻るとテレビが点いている。

「消してなかったっけ」

 テレビから音は洩れず、動きのない白い画面だけが映っていた。トーマスは顔を近づけてみる。

「ビューティフル・ダスト……。どういう冗談かな。てっきり、ドラゴンと触手の……何だったかな、そういうニュースが流れてると思ったんだけど。っと、それより外はどうなってるんだ」

 トーマスは店舗スペースへと歩いた。「冗談ではないのである」というテレビからの声は騒音に紛れて彼には届かなかった。

 アンティークの機械が並ぶ店内。その玄関の扉を誰かが叩いていた。弱々しい叩き方のためこれまで気づかなかったのだ。しかし、立っている人影は見当たらない。

 スパナを手に取って用心深く扉を開けると、地面に太った男が倒れていた。

「あれっ。メマルさん……」

「トム、大変だ。カフッ。た、大変、だ……」

 隣の雑貨屋の主人であるメマルは、喋る途中で血の混じった咳をした。コートの背にベットリと血の染みがついている。町から逃げ出した筈だが、ドラゴンと触手が去った後で戻ってきたらしい。

「大丈夫ですか。救急車を呼んだ方が」

「無駄、だ。呼んでも、来ない。全て、乗っ取られた」

「えっ。何にですか」

「ビューティフル・ダスト……全ての、コンピュータ、が……機械が襲って……」

 その時右から猛スピードで走ってきた大型ヴァンがメマルの胴体を引き潰していった。「ぐむんっ」という異様な呻きと大量の血と舌らしき肉塊を吐いて、メマルは動かなくなった。

「ああっ、メマル、さん……」

 通り過ぎたヴァンには誰も乗っていなかった。コンピュータによる自動運転で、本来センサーで障害物や人体を認識すれば停止する筈のものがメマルを轢くためにわざわざ寄ってきたのだ。

 トーマスは呆然として、扉のガラスが割られたためすぐ我に返った。

 冬の早朝の薄闇に、赤い光点がユラユラと浮かんでいた。径五十センチほどの球体の上に水平のプロペラがついた機械。ハウリング・エッグと呼ばれる、ニュージーランドの警察が使用する犯人追跡・制圧用ドローンだった。赤い光点は内蔵された銃器がいつでも発射可能であることを示す警告ランプで、しかし警告のためのサイレンは鳴らしていなかった。光点の横にある少しだけ出っ張った銃口が自分に向いているのを見て、トーマスは慌てて身を伏せる。そのすぐ上をポパパパと軽い銃声と共に数十発の弾丸が薙ぎ払い、ガラス戸の残りの部分と店のショーウィンドウを粉々にした。

「あっ、ああ、店が……」

 トーマスは頭を抱えて呻いた。その頭に背にガラス片が落ちる。弾切れなのか銃撃がやんだ。既に何人もの住民を射殺してきたのかも知れない。トーマスが恐る恐る顔を上げると、球体から出っ張った銃口がカシャリと引っ込んで、代わりにもっと大きな銃口が現れた。

「うわああっ」

 横っ飛びの決死ダイブの一瞬後、グレネード弾が店内に飛び込んで大爆発を起こした。トーマスは爆風に押され地面を転がりまた転がり、血まみれでなんとか立ち上がる。

「ああ、店が、僕の店が……代々の、店……」

 ドラゴンと巨大な触手の襲来にも無事だったハタハタズ・ギアが、警察のドローンによって半壊していた。トーマスは顔を歪めたが、球体がユラユラと追ってくるので仕方なく駆け出した。

 町は殺戮の場と化していた。「助けてくれえっ」という叫び声にトーマスは走りながら目を向ける。ニュージーランド陸軍のパワードスーツが非武装の住民を射殺するところだった。兵士の全身を覆う装甲と運動補助の役割を持ったパワードスーツだが、ヘルメットが後ろ向きに開いており、あるべき装着者の頭が見えなかった。中身が空のまま、スーツが勝手に動いているのだ。握られた機関銃がスーツごとこちらに旋回してきたため、トーマスは方向転換して建物の陰へ逃げた。頭に金属片の刺さった死体が倒れていた。血みどろの左手が握っているのは携帯端末の残骸だろうか。

 その先の通りでは大量の潰れた死体が積み上がっていた。車で引き潰されたものをブルドーザーが寄せ集めたらしい。まだ逃げ惑っている住民を浮遊するハウリング・エッグが追いかける。拳銃で反撃を試みる者がいたが弾は出なかった。ニュージーランドの一般市民が所持を許される銃はスマートガンのみで、登録した所有者しか使えず発砲した時刻と場所が警察に自動送信されるものだ。その使用可能判定をするのは内蔵されたコンピュータだった。

 上方からホバリング音が聞こえトーマスは空を見上げた。白み始めた空にニュージーランド軍の攻撃ヘリが……その機関砲が貫いたのはやはり守るべき国民の方だった。

 トーマスは逃げた。逃げた。触手に潰された瓦礫のエリアに逃げようとしたがやはりハウリング・エッグが哨戒していて隠れられそうもなかった。町から誰も逃げ出せないよう無人の自動車がバリケードとなって道を塞ぎ、それをなんとか乗り越えようとする住民をヘリの機関砲が肉片に変えた。家政婦ロボットが包丁とフライパンを振り回して住民を追いかけていた。

 さっきまでトーマスが熟睡していたのが信じられないくらいの、地獄絵図がクライストチャーチの町で繰り広げられていた。

「何だ、これ。何だ……これ。本当に、コンピュータの、反乱なのか。本当に、世界中で……。でも、ドラゴンは……あの触手は、何だったんだ。あの、骸骨は。何が何だか、分からないまま、僕は……僕は、ここで死ぬのか」

 逃げ走り、息を切らせながらトーマスは呟くが、答えてくれる者はいない。「おい、早くこっちに」と屋敷の玄関から手招きしてくれた住民は、直後にハウリング・エッグに見つかって射殺された。

「いや……死んで、たまるか……こんな、町を、僕の町を、メチャクチャにされて……何も出来ずに、死ぬなんて……。僕の町……クライストチャーチ……」

 銃声と悲鳴の続く町を駆けて、駆けて……結局トーマスは元の場所に戻ってきた。半壊したハタハタズ・ギア。今時珍しい、電子回路を使わないアンティーク機械の修理店。代々ハタハタ家が受け継いできた店。

 棚が倒れ品物が散乱した店内に入り、奥へ進もうとしてふと立ち止まる。拾い上げたものは十九世紀半ばに作られた腕時計。ゼンマイと歯車だけでアラーム機能を備えた奇跡の遺物。小さな小さな鐘の音をトーマスは覚えていたが、もう二度と鳴ることはないだろう。

 潰れて変形した腕時計を握り締め、トーマスは静かに涙を滲ませた。

 テーブルの倒れたリビングを通り抜け、洗面所の鏡を見る。パジャマ姿のままの、血まみれの、緑色の頬をした、トーマス・ナゼル・ハタハタが、そこにいた。

 ガラス片で切れた皮膚はもう出血が止まっている。左肩の丸い穴は銃創だったが、肉が盛り上がって傷を塞いでいた。指先で頬に触れる。ザラザラした、鱗のような感触があった。

 トーマスは洗面台の右の壁のある箇所を押した。境目の分からない隠しスイッチが深く沈み込み、からくり仕掛けが動き出す。キョリキョリと軽快な歯車音を響かせて、洗面台の前の床が十センチほど沈んでからスライドしていくという高度な動きを見せ、地下への階段が現れた。別に普通のドアでも良かったのに、無駄にからくりにこだわるところがハタハタ家の業を示していた。

 仕掛けに連動してランプが淡い光を発し、階段を照らす。トーマスがこれまで下りたことのない階段だった。

 一度下りてしまえば二度と地上に戻れない、その覚悟が必要だと父に教えられた階段だった。七年前に消えた父の。

 その階段に足を下ろそうとして、一段目に貼られた紙に気づく。

 「もう思い残すことはないか」と父の字で書かれていた。

「思い残すことは……分かんないよ。僕は……僕の人生は……」

 トーマスは目を閉じる。クライストチャーチで生まれ育ち、ニュージーランドから出たことのない三十三年の人生。

「結局一度も彼女は出来なかったし、ファースト・キスも、まだだし……友達も少なかったし、毎日同じことの繰り返しで、ビールばかり飲んでて……人生なんてこんなもんなのかなって……いや、でも、きっとそのうちに何かがある筈だって……いや、そんなことが言いたいんじゃなくて……ああっ、もうっ」

 トーマスは階段に足を下ろした。

 やまぬ銃声を遠くに聞きながら、トーマスは一段、一段と、地下の世界へ下りていく。横の壁に「人間の生活は楽しかったか」とか「まだ人間なら、引き返せ」とか書いた紙が貼られていた。おそらく彼の祖父とか、もっと前の先祖達が残したものだろう。

 ハタハタの一族が元は地底人だったというホラ話を、今のトーマスは信じていた。以前は疑い半分だった。ホラだったらいいなと願っていた。だが、もう、信じるしかなかった。

 トーマスの母は地上人で、若くして事故死した。同じ事故で父は生き延びたが、人間でいられる寿命が縮んだと言っていた。人間と交配して形質を受け継げるものの、加齢に応じて次第に地底人の要素が表面化していき、人間を装えなくなった時に地下へ還ることになる。何千年か前から、後にニュージーランドと呼ばれるようになったこの地で、人間と交じり合いながら、ひっそりと、ハタハタ家は生きてきたのだった。

 まだ、頬が緑色になっただけだ。トーマスの父は消える前、目出し帽にサングラスで顔を完全に隠していたが、長袖と手袋の隙間にザラザラした緑色の肌が見えていた。だから、トーマスにはまだ猶予があった。もう二十年かそこらは人間でいられる筈だ。

「でも、クライストチャーチが。僕の町が、こんな目に遭って、沢山殺されて……このまま人類が滅ぶなんて、これで世界が終わるなんて、とてもじゃないけど許せないよ」

 階段を何処までも下りていく。ランプの光は弱いがトーマスの目は急速に薄闇に適応していく。階段の先に空間の広がりを感じ取る。

 地下に何かがあることをトーマスは知っていた。何か凄いものがあるらしい。世界の存亡の危機レベルの非常事態になったら使えるような、凄いものが。と父が言っていたのだが、父もそれを代々伝え聞いていただけで、実際にそれが何なのかは知らない様子だった。

 百メートルは下りたか。時折カーブしながら続いていた階段も終着点に達し、トーマスは巨大なホールの入り口に立っていた。

 誰もいないホール。申し訳程度の弱い光源が高い天井に点々と配置され、内部の様子を浮かび上がらせている。最初に目に入ったものに、トーマスは息を呑んだ。

 巨大な人型の物体がホールの中央に直立していた。

 頭頂部までの高さは五十メートル以上あった。ずんぐりした体型で、寸胴で足はやや短い。腕は長めで、特に前腕部分が太く大きかった。頭頂部は先細りしつつ前に曲がり、角のように出っ張っている。顔の中央に丸い窓が一つだけあった。

 そのなめらかなフォルムとメタリックな輝き。もしこの巨体が鋼鉄製であれば重量は千トンを超えるだろう。そして、もし、これが、動くので、あれば……。

 トーマスは見ただけで理解していた。この巨大ロボットが動くことを。戦えることを。巷のアニメや映画みたいなかっこ良さとは遠いシンプルなデザインにも意味があることを。鉤状の太い指は硬い岩盤を穿つことを想定したものであることを。短い足にも大地をしっかりと捕えるために爪がついており、走るだけでなく自身の全長の数十倍もの跳躍に耐えられる構造であることを。切れ目が入った胴部装甲の奥には幾つものギミックを内蔵可能で、おそらく、いやきっと実際に内蔵されているだろうことを。無粋な集積回路などは使っておらず、その機構は歯車やカムやスプリングによって実現していることを。

 この巨大ロボットは、からくりに懸けるハタハタ家の情熱の集大成であった。地下に下りた先祖達がひっそりと造り上げ、脈々と受け継ぎ、改良を積み重ねてきたのだ。いつか役に立つことを信じて。

 ここは巨大な地下ガレージといえた。金属加工設備がある。独自の発電設備がある。端の方には溶鉱炉もあり、鉱石を採掘していたらしい坑道も開いていた。百人単位で働けそうな工場だが、生活のための設備はない。キッチンもベッドも、バスルームもトイレも見当たらなかった。そのためのスペースは別にあるのか。しかしトーマスが下りてきた階段以外にまともな通路はなさそうだが。

「動力は……エンジン……いや、排気口が見当たらないし、まともな内燃機関だとこの巨体は動かせない……まさか原子力、いやでもそれだとハイテクになってしまうから、使う筈がない……」

 呆然と呟きながら、トーマスの足は自然と巨大ロボットへ引き寄せられていく。

 ロボットの周囲にはパーツ取りつけやメンテナンスのためのクレーンなどがある。地上のものとは構造が異なり、おそらく独自に開発・製作したものなのだろう。背中側に後頭部まで届く梯子が掛かっている。後頭部のハッチが開いており、内部に入れそうだ。そこがコックピットなのだろう。つまり、人が乗り込んで操作するタイプの巨大ロボットなのだ。

 トーマスの足が止まったのは大きなデスクを見かけたからだ。多くの資料、設計図らしきものが積み上げられていた。金属製の武骨な椅子に腰を下ろし、それを読み始める。弱い明かりだがトーマスの目には充分だった。

 中央に置かれた紙には「最終決戦ロボ ハタナハターナ」という見出しがあってトーマスは苦笑した。それがロボットの名称で、「無限に続くハタハタ」という意味であるらしかった。

 資料には多くのことが書かれてあった。ハタナハターナの全長は五十七メートルで、重量は九百八十トン。材質は鋼鉄ではなくアルマジェントという合金で、鋼鉄より硬く、高い耐摩耗性と靭性を持ち、更にはある程度の自己復元能力まであるという。各関節部は電動モーターによって稼働し、その電力源は腹部に格納された大型バッテリーとなる。満充電の状態から約八十時間の連続動作が可能だが、高出力のバーストモードを使うたびにその時間は短くなる。この巨大ガレージでは更に深い地盤にパイプを通して地熱発電を行い、常に満充電をキープしている。地上で充電する場合に備えて一般コンセント用の電気コードとプラグがあるものの、満充電まで持っていくには相当な時間を要する。ロボットの操作は主に六本のレバーと三個のフットペダルによって行うが、内蔵されたギミックを使用する際には更に十数本のレバーや三十個に増設されたスイッチの意味を覚えておく必要がある。レーダーなどという贅沢なものはなく、高度計と大まかな経緯度計とコンパス、それに温度計くらいだ。携帯情報端末を持ち込めばGPSで現在位置が確認出来るが、コンピュータが全て乗っ取られているという話が正しければ役に立たないだろう。頭部前面に開いた窓だけでなく、張り巡らされた潜望鏡によって広範囲の視野が得られている。ギミックの数々と共に、トーマスは操作方法を脳に刻み込む。

 それにしても奇妙なことがあった。この巨大ガレージの設備と巨大ロボ・ハタナハターナは、つい最近まで誰かが使用してメンテナンスと開発を続けていた形跡がある。それなのに、何故誰もいないのか。人間としての終わりを迎えて地下に下りた筈のトーマスの父は、祖父は、そのまた先祖達は何処にいるのか。勿論、干からびた死体も棺桶も、墓らしきものも見当たらなかった。

 何十分が経過したか。ともかくトーマスは操作と注意事項、メンテナンスに関わる大事な資料を一通り読み終えた。長い溜め息をつき、資料の束を脇にどけると机自体に大きな字で文章が書かれていた。

 

 

 ハタハタ家の末裔よ!

 今お前がこれを独りで読んでいるのならば、非常事態ということになるのだろう。

 何かと戦うために下りてきたのか? 途轍もない脅威と? 人類を滅ぼすような敵か? 世界の命運を決する戦いか?

 お前は何のために戦う?

 お前は守りたいものがあるか? 愛する人は? 人類は好きか?

 命を懸けるべき理由があるか?

 あるのなら行くが良い。ハタハタ家の末裔よ。

 我らはいつでも見守っているぞ!

 

 

「理由……」

 口の中でその言葉を転がして、トーマスは考え込む。

「……理由……うん。僕は、人類が好きだ。愛する人は、残念ながら、いないけど……クライストチャーチが好きで、ニュージーランドが好きで、やっぱり、人類を守りたい。命を懸けても」

 トーマスがそう呟いて頷くと、ガレージ内の空気が動いた。

 慌てて振り返るが、やはり誰もいない。地上から長い階段を通って風が吹き込んだのかも知れない。何処かに空気穴もあるだろうし。

 トーマスは立ち上がり、巨大ロボットに歩み寄る。全長五十七メートルの威容。彼はこれからこのロボットを操って、人類の敵と戦わねばならないのだ。

 ロボットの背中に掛かった長い長い梯子を上る。

「これって、ガレージ以外で乗り降りする時はどうするんだろう。座らせて……いや、俯せにしてから降りないと駄目かな」

 トーマスはそんなことを言って独りで吹き出した。

 梯子の天辺に到達する。ロボットの後頭部に開いたハッチからコックピット内部が覗き込める。操縦席を何本ものレバーが取り囲んで凄いことになっているが、左右と後ろには少しスペースに余裕があり、数人程度なら同乗することも出来そうだ。今はトーマスしか、いないが。

 乗り込んでハッチを閉じる。操縦席に座り、シートベルトを締めて顔を上げると前面の窓に貼り紙があった。

 「最終決戦兵器をわざわざ人型にする意味はあるのかって? ロマンだよ!」と書かれていた。

「そうだな……。ロマンだよなっ」

 トーマスは苦笑して紙を剥がし、電源スイッチを入れた。コックピット内に淡い明かりが灯り、下の方からモーターの低い唸りが伝わってくる。丸い窓は偏光強化ガラスで、コックピット側が明るくても映り込みはない。

 それぞれのレバー・スイッチを指差しながら機能を確認する。

「これが出力ゲージ、これが右腕、ひねり込みで握る、こっちが左腕、上体の姿勢がこれで、足はペダルと、ダッシュする時は姿勢もコントロールしないと……これは慣れるまで大変かな。ジャンプはペダルと、うん、このレバーでまず屈んで、出力の調整で距離を……あっあれっ」

 そこでトーマスは重大な事実に気づき、目を瞬かせる。

「ええっと……ここからどうやって地上まで出るんだろ」

 

 

 十五分後、半壊状態のハタハタズ・ギアを土台ごとひっくり返し、ハタナハターナが地上に這い出した。

 地中を掘り抜いて土まみれとなった巨大ロボットが、クライスト・チャーチの町に立ち上がる。コンピュータも判断に迷ったのか、ハウリング・エッグもパワードスーツも攻撃ヘリも、市民を追うことをやめてただ巨大ロボットを観察していた。隠れ潜んでいた生き残りの人々も、窓からそれを見上げてただ呆然としている。

 そして二十秒が経過し、巨大ロボットへの一斉攻撃が開始された。無数の銃弾とロケット弾とミサイルが全長五十七メートルの巨人を襲う。

 ハタナハターナは無傷だった。特殊合金の装甲に、鉛玉は単純に跳ね返されるか潰れてへばりつくだけで、ロケット・ミサイルの類は爆発の後に煤汚れが残るだけだ。

 攻撃がやんで五秒後、ハタナハターナは反撃に移った。土を落としながら右腕を大きく振りかぶり、突き出した拳は攻撃ヘリに全く届いておらず方向も間違っていた。続いて左のパンチ。やはり外れる。巨大ロボットの動きはぎこちなく、不格好で、下手糞極まりなかった。見ていた人々がなんともいえない微妙な表情になる。

 コンピュータも当たらないと判断したようで、無人の攻撃ヘリはハタナハターナの目の前でホバリングして機関砲を連射し始めた。顔の丸い窓を狙っている。奥の操縦席でトーマスはビクリと身を竦ませるが、銃弾はやはり窓ガラスに傷一つつけられず弾かれていった。

「こ、このっ」

 トーマスは焦りに顔を歪めながらスイッチを探し、並ぶ中から一つを押した。下の方からギアが切り替わる重い音が響く。左右の腕がガシャン、ジャコン、と水平に伸びていく。

「う、腕を……いやこの場合はこっちのレバーか」

 中央に近いレバーを引くと、グオオオオオンッと凄い唸りを発してハタナハターナの胴体が水平回転を始めた。下半身と頭部はそのままで胴体と両腕だけが回る。長さ三十メートルの腕の横薙ぎ猛撃は攻撃ヘリに当たらなかったが、強い風圧を食らってヘリの挙動がふらついた。

「高さの調節は足で……」

 別のレバーを引いて、上体の姿勢はそのままに両足を屈めさせていく。離脱しようとした攻撃ヘリのローターに、水平回転する腕が上から接触して火花を散らした。次の瞬間、ローターがあっけなく変形して弾け飛び、ヘリが墜落する。瓦礫の山に激突してグシャリと潰れ、数秒後、爆発して破片と炎を散らした。

 燃えて煙を立ち昇らせるヘリの残骸。自分の操作が引き起こした一つの結末を、トーマスは口を半開きにして見下ろしていた。その体を小刻みな震えが広がっていく。

「や、やっつけた、勝った……死、死んだ……あ、いや無人だから別に人を殺しては、ないんだよな。と、とにかく、残った奴らも」

 一斉攻撃が再びハタナハターナを襲った。そしてやはり、無傷。しかし操縦者のトーマスはまだワタワタしていた。

「バッテリーが、無駄に減るから回転を止めないと、止めて……殴って潰すかあ。ああ、もう、当たらないなあ」

 胴体の水平回転をやめ、低空を飛ぶハウリング・エッグ達を左右の拳で殴りつけるが、やはり狙いとは数メートル、下手すると十メートル以上のずれがあった。ズゴーンッ、ドッゴォーンッ、と巨大な拳が家屋を破壊する。

「こりゃ足で踏み潰した方が早いかも……あっとっ、ちょっ」

 上体を傾け過ぎた。巨体が前のめりに倒れていく。慌ててペダルを踏んで前に出した右足は、今度は出し過ぎて瓦礫を削りながら滑っていった。今度は胴体が後ろに傾いていく。

「待っ、てっ、ああああああああ」

 轟音と衝撃波が滅びかけの町を広がっていく。数棟の建物と幾つかのハウリング・エッグを下敷きにしてハタナハターナは仰向けに倒れた。大量の瓦礫と土埃が舞い上がり視界を汚す。

「ゲフッ、グッ、おっ、起きないと」

 衝撃吸収構造によってコックピット内のトーマスは重傷を免れていた。咳き込みながらレバーをガチャガチャさせ、ハタナハターナの巨大な両腕は駄々っ子のような恐るべきバタつきを披露することになった。それによってまた数機のハウリング・エッグとパワードスーツが破壊された。それと壊れ残っていた二棟のマンションも。

「あっ、ええーっと……人間が起きるみたいに、手を後ろについて……」

 レバーを目一杯引っ張り、何度か失敗して背中で瓦礫をプレスした末、なんとか立ち上がることに成功した。生き残りの人々はただもう手に汗を握りハラハラして見守っていた。

 残ったハウリング・エッグが囲みながら銃撃を加えてくる。コンピュータ制御されたトラックやブルドーザーが突撃してくるがハタナハターナの足はびくともせず、繰り返されるごとにトーマスは敵を踏み潰すのがうまくなっていった。

 新たな攻撃ヘリが到着した。ハタナハターナを脅威と判断し、別の都市から応援に来たらしい。距離を取ってロケット弾を撃ち込んでくるのを追い回し、高度を上げて逃げたところへ大ジャンプして右のパンチで叩き潰した。「やったっ、成功したっ」と喜んだ後、着地に失敗して二十以上の建物が粉砕された。

 ハウリング・エッグを殴り壊し、自動車も念のため目につくものは踏み潰し、またやってきた攻撃ヘリを殴り、貴重なニュージーランド軍戦闘攻撃機の爆撃を浴びて装甲の汚れを増やし、反撃しようとしたが追いつけず逃がし、機関銃を抱えた家政婦ロボットを踏み潰し、動く敵が見当たらなくなった頃には三時間以上が経っていた。

 生き残りの人々が、恐る恐る顔を出し、慎重に外に這い出してくる。傷を負っている者も多かった。人口五十六万のクライストチャーチで、今生きている市民は一割にも満たなかったろう。彼らはそびえ立つ不格好な巨大ロボットを見上げ、その疲れきった表情が、少しずつ、喜びに変わっていく。

「ありがとう、何処のロボットか知らないけど助かったぞーっ」

「何者かは分からないけど、暴走ロボットをやっつけてくれてありがとうー。何者かは分からないけど」

「ありがとう、でっかいロボットさんっ。パパとママの仇を討ってくれて……うう……」

「あれはビューティフル・ダストに乗っ取られてないんだな。まさかコンピュータが入ってないとか、まさかな……とにかくありがとうっ」

「ありがとう、助かった、ありがとうっ、謎のロボットさんっ」

 人々の歓声は、地上五十数メートルのコックピット内で集音管越しのトーマスにはよく聞き取れなかった。ただ、彼らが涙を流しながら笑顔で手を振っているのが見えていた。

 彼らは巨大ロボットの中の人が、町のちっぽけな機械修理店の店主だなんて想像も出来ないだろう。

「生きてる人もこれだけ残ってたんだ。僕が戦った意味はあったんだな。多分」

 トーマスは汗だくの顔をパジャマの袖で拭い、安堵の息をついた。

 コンピュータが全く使えずインフラが失われた状況で、この先彼らがちゃんと生きていけるのかは分からない。しかし、トーマスがこの町に留まっても出来ることには限りがある。

「もし世界中がこんなふうになってるのなら、とても僕の力だけじゃあ追いつかない。どうすればいいんだろう。アメリカなら対策を考えてたり、手段を持ってるんだろうか。でも、ニュージーランドからアメリカ大陸は、空を飛んでいくには遠過ぎる。オーストラリアから東南アジアのルートで、ユーラシア大陸に渡った方がいいのかな。でも、まずは、ウェリントンに行ってみよう。何か分かるかも知れないし」

 トーマスは右のレバーを振り、ハタナハターナの右腕をワキワキと振って人々の声援に応えた。それからコンパスを見つつロボットを北東に向け、ニュージーランドの首都ウェリントンを目指す。

 モーターと歯車の回る音を巨体から洩らしながら、ハタナハターナは駆け出して三歩目で瓦礫に足を引っ掛けて盛大に転倒した。なんとか地面に手をついて胴体を打ちつけることを免れたが、しくじっていれば九百八十トンの超重量で数十人の市民を圧殺していただろう。胴体の真下で失禁してしまった市民もいた。

 改めて起き上がり、トーマスは逃げるようにハタナハターナを走らせた。今度は転ばないように気をつけながら。

「さようなら。クライストチャーチ」

 トーマスは小さく呟いて、生まれ育った町に別れを告げた。

 

 

  七

 

 岩山と荒野ばかりの景色が流れていく。ふとシアーシャは西の太陽を見て、「遅れちゃったなあ」と呟いた。

 ラウンド・ザ・ワールド・ドリーム・エクスプレスは二時間の整備、或いはコンピュータ制御システムの破壊作業を経て、手動運転で進んでいた。時速は三百キロ程度とやや抑えており、バンクーバー駅に到着するのはいつになるやらだ。ただ、到着したところで駅が本当に使えるのかは分からないが。

「遅れたら困るのか」

 少女の隣に座るイドが尋ねる。

「困るってほどじゃあないけど。太陽に追いついていたかったの。夜にならないように。それから朝にならないように」

 シアーシャは屋根からはみ出した足をブラブラさせながら答えた。

 二人は食堂のある七号車の屋根に腰掛けて、景色を眺めているのだった。見えない壁に守られているかのように、吹きつける強風は二人に届かず髪が揺れもしなかった。

「朝になったら困るのか」

 イドがまた尋ねた。少女は可愛らしく小首をかしげる。

「そうねえ。別に困りはしないの。これまでだって、ずっと繰り返してきたんだもの。だから、気にしなくていいのよ」

「そうか」

 イドは無表情に頷いた。

 地表の凹凸に影響されないように支柱の長さが調節され、ガイドウェイは一直線に伸びている。進行方向の遥か先に緑が見える。ビッグホーン国立森林公園を突っ切った後はまた荒野となり、イエローストーン国立公園に向かう筈だ。

 今のところ、見える範囲に黒い怪物の影はなく、UFOも飛んでいない。遠くのハイウェイを全自動貨物トレーラーが走っているくらいだ。元々無人だし、前面に血糊も凹みもないので誰も殺してなさそうだが、行く先の町では誰かを轢き殺すかも知れない。

「なんだか、のどかだね」

 シアーシャは言った。

「そうだな」

「この景色だけだと凄く、平和な感じだね。世界中で、凄いことになっちゃってるみたいだけど」

「そうだな」

 列車の中にはサイボーグの暴走や携帯端末の爆発で犠牲になった乗客達の死体が百体以上も並べられている。バンクーバー駅で降ろせるなら降ろすだろうし、生き残った百数十人の乗客も負傷者が多く、ちゃんとした医療機関で治療を受けたがっている。もし駅に停車出来ない状態なら、死体は防腐処置が必要になり、乗客には我慢して乗り続けてもらうことになるだろう。

「その凄いことについて、聞きたいことがあるんだけど」

 シアーシャが左後方を振り向いた。

 作務衣様の黒い着物を着た神楽鏡影がいつの間にか、ひっそりと立っていた。

「この屋根の上に結界を張ったから、誰かに聞かれる心配はないと思うよ」

「分かりました。あなた方には信用して頂きたいので、なるべく正直にお答えしましょう」

 神楽はやつれた顔に微笑を浮かべて頷いた。

「なら聞くけど。この状況って、おじさんのせいなの」

 本質を突く質問だった。

「まあ大体、私のせいです」

 神楽はあっさり答えた。

「……そうなんだ」

 少女の表情は変わらない。しかし何かを感じ取ったのか、イドの右手がピクリ、と僅かに動く。布を巻いた聖剣を、いつでも抜き打ち出来る態勢だった。

 神楽が続けた。

「ただし、私に責任があるのはこの混沌とした状況に対してです。人類が滅亡の危機にあること自体は私のせいではありません」

「んー。それってどういう……」

「『アルカードゥラの札』というものをご存知ですか。『アルカードゥラの予言』と呼ばれることもありますね」

 逆に神楽が尋ね、シアーシャは首をかしげる。

「アルカードゥラ……聞いたことないなあ。……あれっ、でも、うーん。ちょっとだけ、聞いたことあるかも。名前だけは」

「記憶が改変されているかも知れませんね。アルカードゥラの札は私の世界にしか存在しなかったようですから」

 神楽はまた訳の分からないことを言い、シアーシャは綺麗な眉を少しだけひそめた。イドは最初から理解を放棄しているようで、ただボンヤリと景色を眺めていた。

「アルカードゥラの札は一つの理念であり、力です。世界の在り方に影響を及ぼすほどの。私はその札を数枚持っています」

「ふうん。そんな力があるんだ。おじさんの顔色が悪いのも、それと関係あるのかな」

「いえ、これは別の問題です」

 神楽は微笑を苦笑に変える。

「さて。ある時期に脅威が現れます。人類を滅ぼそうとする重大で強力な脅威です。それに対抗する勢力もありますが、結局は力及ばずに人類の滅亡で終わる。そんな運命の世界が幾つもあったのです」

「世界って、幾つもあるの」

「ええ、ありますよ。物理法則まで異なる世界が無数に存在します。ただ、今回の対象は並行世界と呼ばれる類のものです。ある世界と大体同じですが細部が微妙に違う世界。途中までの歴史は同じなのにある事件を境に分岐していくとか、同じタイミングで災害が起きたのにその種類が異なるとか。……そうですね、一つの物語作品のローカライズ版や子供向け修整版、ディレクターズ・カットにリメイク版、更には同じ世界を舞台にしたファンによる二次創作、そんな感じのものが並行世界だと考えて下さい。話を戻します。脅威によって人類が滅ぶことになる複数の並行世界が存在する。そこで、私は考えたのです。強大な脅威と対抗勢力、それぞれ一対一ではとても敵わないのなら、まとめてみてはどうだろうか、と。人類を守るための勢力が団結して、それぞれの脅威を各個撃破すれば勝てるのではないか。脅威同士で争って削り合ってくれれば尚いい。……という訳で、それらの並行世界を一時的に繋ぎ合わせてみました。出来る範囲でタイミングと状況を調節して。自由の女神やブラジル連邦共和国についての記憶が私達の間で異なるのはそのためです。すり合わせのために多少の記憶改変はあるようですがね。この列車、ラウンド・ザ・ワールド・ドリーム・エクスプレスは、並行世界同士を繋ぐ大きなアンカーのような役割を持っています。参加させた全ての並行世界にあって、全人類が注目していたイベントですから。敵も味方も、アクシデントもこの列車に集まりやすいのです。この列車が始発駅であり終着駅でもあるニュー・ニューヨーク駅に辿り着いて世界一周を完結出来れば、その時は人類の勝利に終わっているでしょう。そうでなければ、まあ、滅んでいるでしょうが」

「……。うーん……」

 荒唐無稽な話に、シアーシャは唸って暫く考え込んだ。神楽はそんな少女を静かに見守っていた。

「……。おじさんってやっぱり、悪い人なんじゃないかなあ」

「いえ、少しいい人ですよ」

 神楽は答えた。

 

 

 同じ頃、二号車のアメリカ大統領一行の客室内で、トッド・リスモがウィリアム・セイン大統領に遠慮がちに告げた。

「あの、すみません。キョーエイ・カグラは出来るだけ早く殺した方がいいそうです」

 

 

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