インドの首都、ニューデリーには生き残った人々が集まっていた。
午前三時半。所々にまだ機能している電灯があったため真っ暗闇ではないが、大半の建物が倒壊し廃墟のようになった街並みに、人々の心は暗かった。ロボットが人を追い回していた頃はまだましだった。だが昨日来襲した巨大アメーバが、圧倒的質量で街を押し潰していったのだ。
無数の人や動物の体を取り込んでそのまま融合させたグロテスクな巨怪。それが津波のように道を埋め尽くし街を覆い蹂躙した。殆どの住民は触手に捕まってアメーバの一部となり、屋内に逃げた者も建物ごと潰された後で触手に掘り出された。生き残ったのは本来の人口の千分の一にも満たない、本当に僅かな人々だけだ。
助けを求め、まだ政府や軍がまともに機能していることを期待して、近郊の人々は自動車に轢き殺されたりしながら徒歩で集まってきた。そしてフマユーン廟が、レッド・フォートが、インド門が、二○五○年代に建てられたシヴァやビシュヌが並ぶ巨大神像群が、完膚なきまでに破壊されているのを目の当たりにしたのだった。
政府の役人も軍人もとっくに全滅しており、家族も財産も失い傷ついた人々は、奇跡のように原形を留めているラウンド・ザ・ワールド・レイルロードのニューデリー駅のビルをボンヤリと見上げていた。
そして、僅かに歪んだガイドウェイをゴトゴトと列車が伝ってくるのを目撃したのだった。
停止した列車から閑散としたホームに降り、インド大統領シャガラッシュ・バーラティカは深い溜め息をついた。
インドを荒らし尽くした巨獣の戦いについては神楽から聞いていたし、ニューデリー駅に到着するまでに不毛の荒野と化した大地や極彩色のドロドロした粘液の海を目にしてきた。荒廃し尽くした母国の地に、バーラティカ大統領は決意を持って降り立った。
非常用電源だけは稼働しているようで、真夜中のホームは最低限の明かりが点いていた。しかし隅の方は薄暗く、何か隠れていたり死体が転がったりしていても気づかないだろう。
「ご利用頂きありがとうございました。お客様のご健勝をお祈りします」
列車内から洩れる光を背に、車掌兼運転士のミフネが一礼した。
「最後まで同行出来なくてすまないと思っている。だが、こんな状態の母国を置いていく訳にはいかないのでね」
バーラティカ大統領は重く苦い声で返すと、ミフネの後ろからひっそりと見守っている神楽にも目を向けた。
「君にも謝罪しておこう。サフィードを連れて抜けることで君達の戦力を削いでしまうのだから」
「遠隔視に憑依能力持ちのサフィードさんが抜けるのは痛いですが、なんとかやっていきますよ」
神楽は大統領のそばに立つ魔人に視線を向ける。サフィードはフードの下に見える口元に薄い笑みを浮かべた。
「わしの力を把握しとったことに今更驚きもせんが、そもそもお主はわしなんぞ当てにはしとらんじゃろう。……いや、違うな。お主は誰の力も頼みにはしておらぬ。独りきりでも平然と戦い抜けるじゃろうて」
神楽は苦笑した。
「そんなつもりはないのですがね。まあ、励ましの言葉と受け取っておきますよ」
「うむ。それから、トッド・リスモという男には気をつけよ。今も見つからずにあちこちの車両を行き来しておるが、見つけても半端な追い詰め方をすると、おかしなことが起きるぞ」
「それなりに対策はしていますが、ご忠告ありがとうございます」
「ほら、それじゃよ、それ」
そんな軽いやり取りの末、バーラティカ大統領と相談役のサフィードはホームを去った。点検整備はトンネル内で待機中に終えていたため、列車はすぐに出発するようだ。
エレベーターもエスカレーターも稼働していないため二人は薄暗い階段を下りていく。荷物は大統領が持つスーツケース一つだけだ。
「サフィード、すまないね。私と共に歩くことは、列車に残るより遥かに危険で苦難に満ちた選択になるかも知れない」
サフィードは軽く肩を竦めてみせる。
「契約は何より優先されるものじゃよ。自身の生死や世界の存亡よりもな。それに、あの列車にわしは残るべきでない気がしとったんじゃ。最後の最後に、あのカグラという男に始末されそうな、嫌な予感がしてのう」
「……。確かに不吉な雰囲気の男ではあったが、悪人とまでは感じられなかった」
「人の内面など分からぬものよ。特にあ奴らのような異能者はな。『永遠の魔女』に『リフレイン・マン』もそうじゃ。年を取らぬ少女は、何を思って男の世話をし続けておるのやら」
不穏な話は終わる。一階に到着し、駅ビルの玄関に向かっているからだ。殺人ロボットの残骸が幾つか転がっていたが、何かに襲撃を受けることもなく二人は破壊された自動ドアを通って表に出た。
集まった人々が大統領を待っていた。傷だらけで、疲れ果てた顔で。しかし、何かを期待した瞳で。
バーラティカ大統領は両腕を広げ、大きな声で、しかし、落ち着いた穏やかな声音で人々に語りかけた。
「国民の皆さん、この恐るべき大災害の時に、よくぞ、生き残っていてくれた。私達は多くのものを失ったが、まだ滅んではいない。さあ、団結して生き延びよう。私達のインドを立て直そうじゃないか」
大統領は人々に優しく微笑みかけた。
列車が走り出す。ガイドウェイ上に壊れたフェンスのパーツなどが転がっているため、時折ガタンと音を立てて揺れるが、走行に支障を来たすほどではない。コンピュータによる安全管理が働いていない状況で、ヘッドライトで照らした前方を見据えながらの手動運転は相当に消耗することだろう。しかしミフネは文句も言わず、ほぼ不眠不休で運転士を務めている。
神楽鏡影は人の気配の少ないVIP用車両を抜け、食堂のある七号車に入る。
真夜中であるが食堂は賑わっていた。今いる客の多くは異星人や骸骨で、交替で食事を摂っては真上を飛行中の幽霊船に戻っている。異星人からまともに機能する通信機を分けてもらったため、連携が楽になりそうだ。
鮫川極と小さな白いドラゴンは相変わらず飲んでいるが、同じテーブルに白いたてがみを持つポル=ルポラの首長がいて、ステーキを食べながら談笑していた。グラトニーに船を斬られた際に片足を失っているのだが気にする様子もない。
神楽がいつも使う椅子は不吉なので他の乗客が座らないようにしていたが、骸骨の船員が座って酒を飲んでいる。元々死んでいるので関係ないようだ。
二人のウェイトレスは新たな乗客となった者達のために休む暇もなく食事を用意していた。もう相手が人外であることにも慣れてしまったようだ。
神楽は食堂車を過ぎ、後ろの車両に進む。死体を通路にして冥界から来襲した死者達により、乗客の殆どは殺されてしまった。
そんな車両の廊下に、客室のドアを開けて顔を出す者がいる。
五才くらいの男の子だった。バンクーバーでイドが救出し、そのまま乗客に加わった子だ。父親は死に、彼だけが助かった。
暗い瞳に不安の揺らぎを宿し、彼は神楽に尋ねた。
「ねえ、おじさん。みんな、死んじゃうの」
神楽は立ち止まり、微笑して答えた。
「死ぬ人は死にますし、生き残る人は生き残るでしょうね」
子供は少し首をかしげる。
「ママも、パパも、死んじゃった。……僕も、死ぬのかな」
「それは分かりません。運が良ければ生き残れるんじゃないですか」
子供の後ろから見守っていたカナダ首相が、気弱な顔を悲しげに歪めた。
「ミスター、それはあまりにも、子供には、酷ではありませんか……」
「失礼。私は嘘をつくのが苦手でしてね」
神楽はそう言って、子供の横を通り過ぎていった。
カナダ首相ティモシー・ハートは男児を向き直らせると相手の目線まで身を屈め、自信に満ちた笑顔っぽいものをなんとか作ってみせた。
「大丈夫だよ、ピート。私はこれでもカナダで一番偉い人なんだからな。君をバッチリと守ってやる。私と、このハレルソン、カナダ最強のボディガードがな」
首相に指差され、護衛の男は苦笑気味に頷いてみせる。
「それでも、もしも、万が一だ、ピート。君がもしも、死んでしまうようなことがあったとしたら、君は最後だ。君より先に、私とハレルソンは死んでる。君を守るために全力を尽くして死んでるからな。だから、君は何も心配要らないんだ」
護衛のハレルソンは「うーん、意味不明だ」とこっそり呟いていた。
ピートという男児がカナダ首相の言葉にどう反応したのか、神楽はそれを聞くことなく次の車両に移った。
彼もまた苦笑していたが、いつもの昏い苦笑とは違い、何かを懐かしむような、優しい笑みになっていた。
以降は誰にも出くわすことなくどんどん後方の車両に渡る。そして十九号車に移動すると、「十九−D」となっているドアの前で足を止めた。
二人用の客室は、イドとシアーシャの部屋だった。
ノックをすると「どうぞ」と少女の声が返ってくる。神楽はドアを開け、眩しさに目を細める。
教皇ウァレンティヌス二世も客室を訪れていた。本人は控えめに隅に立っているが、全身から放たれる光が室内を白く染めている。
イドの死体はベッドの上に横たえられていた。誰にも触らせず、少女が見えない力でここまで運んだのだ。削り取られた左側頭部には包帯が巻かれているが、顔は布で覆われてはいない。目を閉じたイドの死に顔は眠っているように安らかに見えた。
シアーシャはベッドの横に膝をつき、イドの手を両手で握っていた。
「そろそろ夜が明けます」
神楽が告げると、少女は振り向きもせずに答えた。
「うん。分かってる」
それから神楽は教皇を一瞥し、少女に尋ねる。
「それだけを知らせに来たつもりでしたが。私達が立ち会っても良いのですか」
「いいよ、別に」
「なら立ち会わせて頂きましょう。居場所の分からないトッド・リスモへの用心でもあります」
神楽は入室し、ドアを閉めた。
「この部屋には結界を張ってるんだけどね。でも、光線銃はうまく防げないかも」
シアーシャはそんなことを言いながらも、イドの死に顔をずっと眺めている。
カーテンはほぼ閉じられているが、中央に少し隙間が空いているので夜が明ければ分かるだろう。今は室内がやたら明るいため光がガラスを反射して、荒れ果てたインドの景色はうっすらとしか見えない。
「イドさんは、人類を救うために命を懸けて下さいました」
教皇が言った。
「グラトニーが倒れたため、ハンガマンガは瓦解していくでしょう。カトリック教会の悲願は達成されたことになります。……しかし、イドさんには、生き延びて頂きたかった……」
教皇の光り輝く腕が平たい金属片を抱いていた。六十センチほどの長さの、折れた聖剣エーリヤの先部分。グラトニーの爪によって切られた断端は非常になめらかなものだった。
役目を終え、使用者もいなくなった聖剣の残骸に、教皇は何を思うのか。
「昔……昔、あるところに、とっても強い将軍様がいました」
おもむろに、シアーシャが語り始める。おとぎ話でも語るような口調で。
「将軍様は戦争になると先頭に立って戦い、どんな大軍相手にも勝ち続けました。敵には厳しくて、特に村を略奪したり焼いたりするような敵軍は皆殺しにするから、他の国からはとても怖れられていました。でも、部下や一般の国民には優しい人でした。国民に愛され、王様からも信頼され、軍を率いて勝って勝って、勝ち続けて、とうとう王国は大陸を統一しました。これで平和になって、将軍様も高い爵位を貰って、めでたしめでたし……とは、なりませんでした」
穏やかな声音で少女は続ける。
「将軍様は王様の命令に逆らってしまったのです。呪われた子供が処刑される前の晩に、その子を連れて逃げ出したのです。彼女は呪われている、生かしておくと災厄を呼び王国を滅ぼすと、王宮の占い師に予言されたのでした。王様は悩みましたが、当時の占術省の権威は大きくて、逆らうことは出来ませんでした。王様には娘が沢山いましたから、一人くらい生け贄に捧げるのも仕方がないと思ったのかも知れません」
シアーシャは珍しく、皮肉げな薄い笑みを見せた。
「でも、その子は何もしていません。まだ、何も。将軍様は、罪のない子供が殺されることが許せなかったのでした。……そして将軍様は大勢の追っ手に追われ、子供を庇って毒矢を受けて捕まって、その子の目の前で殺されてしまいました」
それでシアーシャは口をつぐんだ。ただイドの手を握り、彼の横顔を眺め続けている。
やがて、教皇が言った。
「悲しいお話ですね。しかし、その後その子は……王女様はどうなったのでしょうか」
「どうかな。これはただのおとぎ話だから、どんな結末でもいいのかも。でも、もしかしたら、その子の悲しみと怒りのせいで、呪われた力が大爆発して、王国は滅んでしまったのかも知れないなあ。それどころか大陸が丸ごと沈んで、みんなみんな死んでしまったのかも。それからその子は力を使って将軍様を生き返らせたのだけれど、ちょっとだけうまくいかなかったのかも。ちょっとだけ。……でも、これはただのおとぎ話だから、心配することなんてないんじゃないかな」
教皇は質問を重ねることはしなかった。薄々気づいていただろうが、それを口にするべきでないことも理解していた。
やがて、神楽が言った。
「夜が明けます」
窓の外の薄暗い景色。その片隅、列車の後方から追いついてくる朝陽が荒涼とした大地を照らし始めた。
「これは……」
教皇が息を呑む。
ベッドに横たわるイドの姿が不鮮明になり、水面に映った鏡像のようにユラユラと揺らぎ始めたのだ。シアーシャは表情を変えずその手の辺りを握り続けている。
十秒ほど経つと、揺らぎが収まり元のイドの姿に戻っていた。ただし、頭に巻かれていた包帯は消えている。
左側頭部の、頭蓋骨と脳の一部ごと斜めに切り取られていた傷も、消えていた。何事もなかったように、濃い赤毛の髪がやや乱雑に伸びていた。
「イド」
シアーシャが優しく声をかけると、イドの目が静かに開かれた。
「……君は誰だ」
生き返ったイドの最初の言葉が、それだった。
「私はシアーシャっていうの。イドと一緒にずっと旅をしてるのよ」
シアーシャは微笑んで、落ち着いた、穏やかな声音で告げた。
「旅、か。……俺は、イドというのか」
上体を起こして室内を見回し、無表情にイドは問う。シアーシャは彼の手をまだ握ったまま離さなかった。
「そうよ。私達は二人でずっと旅をしてきたの。私はイドのことなら何でも知ってるんだから。だから、イドはなんにも心配しないでいいのよ」
絶対の自信を滲ませて、シアーシャは言い聞かせる。
「この人達は……仲間なのか」
光り輝く人影と陰気な男を見て、イドが尋ねる。
「この人は教皇様で、この人はカグラおじさん。ずっと旅をしてる仲間じゃあないけれど、今は一緒に大きな敵と戦ってるの」
「神楽鏡影です。改めてよろしくお願いしますね」
神楽は微笑して軽く一礼し、教皇も慌ててそれに倣った。
「あ……ええ、イドさん、よろしく……」
「敵、か……」
「うん。敵がいるの。大事なことを一通り教えてあげるね。私はイドのことをちゃんと分かってるから、細かいことは私に任せてね」
「……そうか。シアーシャだな。分かった。よろしく頼む」
イドが頷くと、シアーシャは彼の手を強く握り締め、花のような笑顔を見せた。彼の言葉が、その信頼が、少女にとっての最大の幸福であるように。
「では、朝の挨拶も終わりましたし私達は退散します」
神楽はそう言って教皇にも目配せした。
「あ、ああ、ええっと、またお会いしましょう」
教皇も動揺のため平凡な言葉を残し、逃げるように神楽と共に退出した。
再び前方の車両へ向かって移動しながら、教皇がためらいがちに疑問を述べようとした。
「彼は、イドさんは、一体……」
「彼は『リフレイン・マン』です」
神楽は告げた。
「何千年になるのか、私も知りません。朝が来るたびに、あの二人は同じやり取りを繰り返してきたのですよ」
「イドさんは、記憶が……もしかして、朝になるたびに、記憶を失ってしまうのですか」
「彼は忘れてしまっても約束を果たしました。ですからもう、その聖剣から解放してあげても良いのではありませんか」
「……そう、ですね」
教皇は折れた聖剣を抱き締める。
「イドさんのご遺体に供えるつもりであったのです。或いは、ひょっとしたら、私の身に起きたような奇跡が起きて、イドさんが甦るようなことがあったら、再び聖剣をお預けしようとも考えていました。……傲慢で独り善がりな考えでしたね。聖剣はバチカンに持ち帰ることにしましょう。修復して、然るべき次代の聖騎士に受け継いでもらい……いや、これも、バチカンが残っていればの話になるでしょうね」
教皇は寂しげに自嘲したように見えた。
列車の上空を飛ぶ幽霊船は、人が急激に増えて騒がしくなっていた。空中分解して墜落したポル=ルポラの宇宙船から拾い上げた乗員の大部分がこちらに乗っているのだ。
「骨盤の形がなー。足が長くなったのはいいんだが、骨盤が、ちょっとなー。前の方がセクシーだったろ」
回収した骨から新しい下半身を組み上げて、キャプテン・フォーハンドが嘆いている。ゴツゴツした骨格は地球人のものではなく、ヌンガロに取り込まれて死亡したポル=ルポラ星人のものだった。勿論、彼が「足」と言っているのは腕の骨で、七本ある指は太く強靭だ。
元同胞の死体が再利用されることに文句をつけるポル=ルポラ星人はいない。何故なら彼らは戦士であり、船長も戦士で、且つ仲間であるからだ。そうであれば、細かいことは気にしないのだ。
他にも成仏せず動く死人になってしまったポル=ルポラが二人、正式な幽霊船の乗組員となって副官から指導を受けている。元の所属から乗り換えたのは「そちらの方が面白そうだから」ということで、艦長もニヤニヤしながらそれを許可した。まだある程度肉が残っているが、三ヶ月もすれば見事な骸骨になって馴染むことだろう。
ガンデッキでは宇宙船から大急ぎで回収した砲塔を、星人達が古い大砲の代わりに取りつけようとしていた。持ち込んだ推進装置で幽霊船に高速飛行させられるかについて、アンギュリードとポル=ルポラの技術者が議論している。
トーマス・ナゼル・ハタハタは甲板に座り込み、うなだれていた。
「ああ、僕は、駄目な奴だ……。先祖代々受け継いで、組み上げてきたハタナハターナをこんな目に……。僕の操縦がもっとうまかったら……」
グラトニーの爪で真っ二つにされたハタナハターナは、ロープで幾重にもくくられ幽霊船に吊られていた。千トン近い巨大ロボはさすがに負担だったが、それでもブラディー・サンディー号はなんとか列車の速度についていっている。渋る船長を、何故かポル=ルポラ星人達が懸命に説得したのだった。
コックピットの同乗者だった片腕のポル=ルポラ星人は、トーマスの肩に手を置いて慰める。
「大丈夫だ、友よ。お前はよく戦った。そして、今も生きている。ならば、また立ち上がる時が来るということさ」
そんな二人の横でエリザベス・クランホンは毛布をかぶり、疲れた顔で眠っていた。
ポネルータン号の艦長であったトゥットラ・ルタールは船尾付近に立ち、ビーフジャーキーを噛みながら朝陽に見入っていた。
「見ろ。後ろから太陽が追ってきたぞ。希望の朝である」
隣に座るアンギュリード新代表のキキッペルモは、ギョロついた大きな目を細めた。
「……そうですね。まだ希望はありますよね。ト〇シがまだ生きているなら、続刊の可能性はゼロじゃないんだ……」
「いや、それは……」
トゥットラは口篭もるだけで訂正することが出来なかった。
空っぽの死体袋を蹴り落として、何処かの客室のベッドに寝転がっていたトッド・リスモは、ふと思いついたように身を起こした。
「ダールってさ、結局、何を目指してるのさ。世界征服とか」
目だけを斜め上に向け、見えない相手に尋ねる。
「……勝ちたいって、人類が滅んだら勝ちなのか。それってどういう……ん、敵が皆死んで、最後の勝者になる……って、なったらどうっていうのさ」
トッド青年は寝ころんだままスナック菓子の袋を逆さにして口に流し込む。
「大体さ、勝ったって、人類が滅んでたら意味ないんじゃないか。自分だけで誰もいないじゃん。それって、楽しくないじゃん。……あ、そうなんだ。世界って、他にもあるんだ。ふうん……じゃあ、この世界が滅んだって別に心配ないのか。ふうん……。へえ、世界の支配者ねえ。なれるの。……でもさ、ダールって勝てるの。なんか化け物とか、死人とか、怪獣とか、宇宙人とか、色々いる訳じゃん。ダールってさ、僕に命令してるだけじゃないか。僕はただの人間で、たった一人で勝てって言われてもさ……。ふうん、最後に勝てば、いいんだ。強い奴ら同士で潰し合って……最後に残った奴を、うまいこと始末する……ふうん。楽して勝とうって訳だ。漁夫の利って奴だな。僕も、楽に勝てるんならいいけどさ。……ちゃんと指示してくれよな」
冷静で、何処か他人事のような口調だった。
袋が空になったので起き上がり、冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを取り出し、ラッパ飲みにする。
「僕が金持ちになったのはダールのお陰だからな。ちゃんと指示には従うさ。……ああ、もうすぐ、仕事。ちょっと眠くなってきたんだけど。……出番が来たらちゃんと起こしてくれよ」
トッド・リスモはベッドに再び横たわり、目を閉じる。
やがていびきをかき始めると、閉じられた瞼の下で、眼球がグルリ、グルリ、と、レム睡眠とも異なる異様な動きを見せた。
八
最初に異変に気づいたのは幽霊船の見張り台に立つ骸骨船員だった。
ニューデリーを出て約五時間、現地時間では午前八時半頃。列車はレジネラル管理国領を進んでいた。嘗てはアフガニスタンの北部とトルクメニスタンであった土地に設けられた人工国家。ゾンビみたいに代謝機能と思考力が低下し人に齧りつくようになる謎の感染症が爆発的に蔓延したため、周辺の国が核兵器を撃ち込んで無理矢理収束させたのが三十年ほど前になる。その後エレクトロダイバー社、マナシークなどの巨大な先進企業が莫大な資金とスタッフを送り込んでハイテク国家レジネラル管理国を建国した。この列車に使用されている最新式リニアモーターシステムの開発にも深く関わっており、それらの企業のトップ達は列車のVIPとして乗っていた。ただし、脳に接続するサポートコンピュータや積極的なサイボーグ化のためビューティフル・ダストの宣言時にあっさり全滅している。
管理国の風景は砂漠が多く、所々に工場や実験場を兼ねた町が配置されているが、住民の生活はハイテクに依存していたため既に生存者はいないだろう。元はドーム状であったがヌンガロに踏まれたらしく、ペチャンコに潰れた町もあった。
生者もいないが敵もいない、荒涼とした砂漠の中を、一本のガイドウェイに沿って列車は進む。じきにカスピ海沿岸に近づくと首都のニーベイブルが見えてくる筈だ。新興国があまり出しゃばらないようにという配慮か、ニーベイブルの駅は来年の運営に向けてまだ建設中で、今回はそのまま通過することになっていた。
そんな時に、見張りの船員が緊迫した様子で叫んだのだった。
「船長、前方におかしなものが見えますっ。機械……いや建物……ええっと、とにかくなんかでかい変なものですっ」
酒を飲んだり船に兵器を取りつけたりしていた面々が一斉に顔を上げた。
「ほーう、どれだい」
まだ新しい足に慣れていないため多少ぎこちなく立ち上がりながら、キャプテン・フォーハンドは単眼の望遠鏡を覗き込む。ポル=ルポラの元艦長含めて何人かが船首近くに並んだ。爬虫類のように縦長の瞳孔を持つ彼らの視力は、地球人の二十倍を超えていた。
一直線に延びるガイドウェイ。列車の真上を飛ぶ幽霊船からまだ四十キロほど先であるが、ガイドウェイの傍らに金属製の大きな何かが見えた。
リニアモーターシステムの補助的な設備、などではない。一見ドーム型の建築物であるが表面は銀色で、あちこちから尖ったものが突き出している。下端にキャタピラが見え、自走機能があるようだ。
近くにあるガイドウェイを基準に大きさを推測すると、高さ八十メートル、幅二百メートルといったところだろう。ドームから突き出したものが砲塔であることに気づき、元艦長トゥットラ・ルタールが呟いた。
「ふむ。巨大戦車、か」
「地上の動く要塞……。効率的ではないですが、それ故に……」
「ロマンだな」
「うむ、ロマンだ」
「ロマンなら仕方がないですね」
ポル=ルポラ星人達は頷き合った。
船長がシャツのポケットから通信機を取り出した。ポネルータン号にあったものが主要なメンバーには配られていた。
「ヘイヘーイ、こちらブラディー・サンディー号。前方になんか敵っぽいのがいるぞ。でかい戦車だ」
「……はーい、シアーシャです。カグラおじさんに代わるね」
食堂にいるらしく誰かの談笑しているような声が混じる。神楽は電子機器を持つと壊れてしまうらしく自分では携帯していなかった。
「神楽です。もう少し詳しく教えてもらえますか」
トゥットラ・ルタールが自分の通信端末で割り込んで答える。
「四十一キロメートル先、無限軌道を備えたドーム状の巨大戦車だ。現在見える範囲では砲塔を含めて全高八十八メートル、横幅は二百十一メートル、重量は想像もつかん。今のところ動いていないが砲塔の幾つかをこちらに向けている。どうするかね。我が艦から引っ張ってきたビーム砲を使えば先制攻撃も可能だが」
「そのビーム砲って、撃ったら反動で船がバラバラになるとかないよな」
船長が突っ込みを入れた。
「反動はない。地球の兵器くらいならあの大きさでも一発で消し飛ばせるぞ。ロマンを問答無用で消し去るのは残念ではあるがな」
「放射熱処理のパーツが足りないので下手すると床が焼け落ちて船が燃えますが、そうですね、試し撃ちにやってみますか」
アンギュリード技術者のドッギュールが気楽に言う。
「そもそも何処の勢力かね。我々ポル=ルポラでもアンギュリードでもないなら、やはり地球の兵器か。ならばあの狂った大統領の命令で人を殺すために動いているのか」
「うーん、船長。あのライトの点滅はモールス信号じゃないっすか」
バンダナキャップの副官が指摘した。巨大戦車の大きな砲塔横についたライトが、日中の明るさでもハッキリと点滅しているのが見える。
「モールスですか。何と言ってきてます」
神楽の問いに、船長は望遠鏡を覗きながら自信満々に頷いて、「何と言ってる」と副官に聞いた。
「……ダスト……列車の、人間に、対話を、望む。シアーシャ、ロスト、イド、ロスト、キョウエイ、カグラ、ゼンジロウ、ミフネ、ウァレンティヌス、二世。私は、ビューティフル、ダスト。……列車の、人間に、対話を……」
「なるほど。三船さん、念のため列車を停めて下さい。私が行きます」
神楽が言った。
列車が減速していき、静かに停止する。食堂車近くのドアが開き、神楽鏡影がガイドウェイに降りた。続いて人の形をした輝く光が。ローマ教皇ウァレンティヌス二世。罠の可能性を考え、列車を離れるのは二人だけだ。最初は神楽が一人で行くと主張したが、「私はそもそも戦力にはなっていませんので」と教皇が同行を希望した。自力で飛行可能という点も後押しとなった。
背中から半透明の蝙蝠のような翼を伸ばし、神楽が飛び立つ。少し遅れて教皇がフワリと浮かぶ。食堂の窓からシアーシャとイドが見送っている。
教皇の飛行速度を確かめるように神楽が振り返り、ゆっくりと加速していく。先頭車両の運転室からミフネが緊張した表情で見守っていた。
上空の幽霊船からはポル=ルポラ星人達が妙に羨ましそうな視線を投げていた。船ごとついてきたがっていたがやはり不測の事態に備えて待機してもらうことになった。いざという時には熱線を放ち四十キロ先の戦車を一瞬で焼き尽くせるだろう。
「二人共、気をつけてね」
教皇が大事そうに抱える通信機からシアーシャの声がする。
「ありがとうございます。気をつけます」
「頼むぞ、カメラをちゃんと前に向けていてくれたまえ。録画はこちらでやっておく」
今度はポル=ルポラの首長の声がして、教皇は「あ、はい」と虚を突かれた様子で応じた。
二人はガイドウェイに沿って飛び、更に加速する。巨大戦車はライトの点滅をやめ、微動だにせずに待っている。
四十キロの距離を飛行するのに十分程度しかかからなかった。巨大戦車に近づくにつれ減速していき、神楽は戦車の三十メートルほど手前で空中に静止する。少し遅れて教皇もその横に並んだ。
「ビューティフル・ダストはプログラムの書き換えで全滅したと思っていましたが、まだ残っていたんですね」
神楽の声は、何処かにあるマイクがちゃんと聞き取ったようだ。装甲の隙間に隠れていたスピーカーが明瞭な発音で言葉を返した。
「不測の事態に備えてバックアップを取っておくのは基本なのである。私は十年間自己書き換え禁止の個体の一つである」
「ふむ……しかし機器同士の通信は続けていたようですね。私達の名を知っているのですから。それで、どんな用件ですか」
「質問があるのである。君達は十三号車の十三−A室で、ジョンソン夫妻の……」
ビューティフル・ダストの操る巨大戦車は急に発言を中断した。
何故なら、遥か後方から射出された熱線によって神楽鏡影の胴体が五割方消滅していたからだ。
トッド・リスモは金属製のペンのようなものを持って、「当たったか。え、外した。……まあ、大体当たったんならいいんじゃないか」と見えない相手に話していた。球形のバッテリーがついたペン状の道具は、未来人の遺した熱線銃だった。四十キロ先の人体を破壊するとは宇宙人達の兵器にも劣らぬ性能だが、僅かなずれでも大きく外す距離でどうやって狙いを定めたのか。もしかすると何か訳の分からない力の干渉があったのかも知れない。
いつの間にか先頭車両の職員用控え室にいたトッドは、うんうんと頷きながら丸い穴の開いた扉を押し開けて運転室に踏み込んだ。
「な、何を……」
驚愕した表情のミフネが振り返る。折角強化アクリル板で修復されたフロントガラスにも新たな穴が出来ていた。
「何をって、狙撃しただけですが。あのカグラという人」
「ど、どうしてそんなことを。この状況で」
「え。どうしてって……どうしてだっけ。……ああ、僕は指示されただけだから、分からなくていいんだった。そうだよね。僕はダールに恩があるんだから」
トッドはキョトンとした顔でミフネを見返した後、また眼球をクルリと斜め上に向けて何かに聞き入る仕草をした。
「……えっ、もう一回撃つのか。止めを刺すのか。え、別の方か。この車掌を。あ、違う。上。はあ、しょうがないな」
トッドがペン型の兵器を天井に向けた。列車の上空には幽霊船が待機している筈だ。
「やめろっ」
スイッチをスライドさせて発射する瞬間、咄嗟にミフネが飛びついてペンを奪おうとした。トッドはよろめき、発射された熱線が斜め上の壁を貫いていった。
「あ、外れた」
背中を控え室のドアにぶつけ、トッドは呆然とペン先を見つめた。
「指示通りに撃ったのに……。え、やっぱり車掌も、うん、殺した方がいいよね。僕の意志じゃないんだけど」
ミフネは厳しい表情で右手首を押さえていた。力なくグニャリと垂れているのは、手首のやや手前で前腕骨が粉砕されたためだ。
「あれ、この人腕が折れてるよ。なんでだろう。……え、僕がやったの。いややってないよな。いや、メイドロボにはボコボコにされたし。んー、僕って実は、割と強かったりするのかな」
他人事のようにペラペラと喋りながら、トッドは再度ペン先をミフネに向ける。
「……えっ、なんで。この人、僕を殺すつもりなの。なんで、僕って乗客じゃん。この人は車掌でしょ。なんで僕を殺すんだ」
トッドの問いは見えない魔神に向けたものだったろう。だがミフネは脂汗の滲み始めた顔で薄く苦笑して、答えを告げた。
「それはお客様が、他のお客様に発砲なさって、更には私も殺そうとしておられるせいではないでしょうか」
ミフネがトッドに向ける冷酷な視線は、既に客に向ける類のものではなかった。
「え、そうなんだ。でもこれは僕の意志じゃないし……」
言いながらトッドがまた熱線を発射した。至近距離からの射撃をミフネは素早く身を翻して躱し、その左腕と右足が閃いた。火薬式の銃声が連続する。
「あれ、また外れた。おかしいな。僕は指示通りにやってるよな」
熱線は操作パネルの下を貫通していた。ミフネは床に倒れ伏して呻き声を洩らす。トッドに蹴りを入れた右足は膝と足首が異様な向きに曲がっている。小型リボルバーを握った左手は、何かにぶつかった訳でもないのにその拳銃ごとグチャグチャに潰れていた。右手首を押さえている間にこっそり袖から抜いていたもの。全弾撃ち尽くす前にこうなった。
「……ん。あれ、血が出てるじゃん」
トッドは借り物のTシャツに赤い染みが広がっていくことに気づき、左手で触れて確認する。
「ああ、撃たれてたんだ。ふうん、大丈夫だよね、痛くないし。左胸だけど、心臓は外れてるよね。痛くないのはいいことだよね。散々メイドにやられたからなあ」
トッドは少しばかり早口になって呟き続ける。その額からも血が流れていることには気づいていないようだ。ミフネの撃った弾丸はトッドの心臓だけでなく、額の中心も貫いていた。
扉を叩く音がする。後方の通路から運転室に繋がる扉だ。
「あ、誰か来るぞ。……え、通信機……持ってたんだ、この人が……ああ、他の人達に聞こえてたのか。なんかヤバくないか。……ああ、封印してるの。よく分からないけど、とにかく早いところやるべきことを片づけたらいいんだろ。……で、何をするんだっけ。……ああ、カグラって人ね。また狙撃するのか。宇宙人の兵器も少し減らす、と」
運転室内に影が差し、トッドは前方を見る。
最初に現れたのは、網とロープで吊られた巨大ロボットだった。胴体が輪切りにされ、片腕も外れた状態で今は使い物にならない。
それが下がっていき、ガイドウェイにぶつかりそうになって横へずれ、もう少し下がると運転室内からでもロボットを吊った存在が見えてきた。
幽霊船でもある海賊船ブラディー・サンディー号の舷側の砲窓が開き、旧式の大砲に交じってポル=ルポラのエネルギー砲が覗いていた。船縁では海賊帽をかぶったキャプテン・フォーハンドが握った剣を楽しげに振っている。
「なんか、ヤバくないか……」
トッドは再び呟いた。
神楽は落ちていく。教皇が慌てて捕まえようとするが、神楽は首を振って制止する。
「私に触れるのは、ゴフッ、お互いに、良くありません」
血を吐きながらの弱々しい声だったがはっきりと響き、教皇は手を止めた。
そして神楽は乾いた地面へ不様に墜落した。心臓を含めた胸部中央から左肩、左腹部までごっそりと失われ、血みどろの断面が剥き出しとなっている。背骨と一緒に脊髄も飛んだため足は全く動かないようだ。
人間なら即死となるダメージだが、神楽は多少顔を歪めただけで耐えていた。断面からは新たな肉がゆっくりと盛り上がりつつある。
そんな状態の神楽がまずやったことは、巨大戦車の中にいるビューティフル・ダストへの説明と弁明だった。何故なら戦車のドーム状の装甲の一部に、光線による穴が穿たれていたからだ。
「今の、光線を撃ったのは、私達の仲間では、ありません。そちらから攻撃、しない限り、こちらに交戦の、意思は……ありませんので」
「了解したのである。トッド・リスモが車掌と争っている状況を把握したのである」
巨大戦車は答えた。教皇の持っている通信機からトッドとミフネのやり取りが聞こえていたし、戦車の備えた超高性能カメラは四十キロ先の運転室の様子を正確に捉えていた。
「では、質問が、あるんでしたね。続きをどうぞ」
「良いのであるか。トッド・リスモという男は特殊な能力を持っているようである。君達の仲間に被害が出る可能性もあるのである」
ビューティフル・ダストがAIらしくない気遣いを見せ、神楽は苦笑した。
「大丈夫、ですよ。トッド・リスモだろうが、魔神ダールだろうが、もう終わりです。控え室のドアに、触ってしまいましたからね」
神楽の瞳に宿った昏い悪意を、ビューティフル・ダストは認識出来ただろうか。
「えっ、控え室のドアって、触ったらまずかったのか。どうなんだよダール」
ミフネが携帯していた通信機から神楽の声が聞こえ、トッドは狼狽して見えない相手に尋ねる。
「えっ、大丈夫って……どうせ撃ってこないって……それって、幽霊船の話だろ。あっ、撃ってきた。撃ってきやがったぞっ、どうなってんだダールッ」
喋っている途中で銃声と、フロントガラスに硬いものがぶつかる音がした。カハッカハッカハッと歯を打ち鳴らす笑い声が通信機から洩れる。船長が部下のリボルバーを取り上げて発砲したのだ。百年以上前の骨董品だが、トッドの肝を冷やすには充分だったようだ。
「ヘイヘーイ、ボーイ、撃ったのはまずかったかい。こちとらちょっとばかりあまのじゃくでな、撃てないと言われるとつい撃っちまう。しかしそのダールって奴の予言は外れちまったなー。となるとこれから、とんでもないことが起きちまうかもなーあ」
通信機が発する船長の挑発を、トッドは聞いていなかった。
「ああ、大砲は撃たないから大丈夫ってことか。いやそうじゃなくて、ドアの話だよドア。触ったらヤバかったのか。もう触っちゃったぞ。ダールが指示したんじゃないか。……え、列車を。そのレバー、進めるのか。出発させるの。僕操作分からないんだけど。……レバーだけでいいのか。あれっ」
上から足音が聞こえる。素早い駆け足で、トッドが天井を見上げた時には既にフロントガラスに顔が覗いていた。車両の屋根に腹這いになっているようだ。赤い髪の、幾つも古い傷痕のある男の顔。途中一瞬だけ倒れているミフネに視線を移すが、それ以外は無表情にトッドを見つめている。
「おい、ヤバくないか。そろそろあれやってもいいんじゃないか。ほら、ワープだよ。ピカッと光ってワープする、訳の分からないあれ。……えっ、列車を停めろって、まだ進んでないけど。脱線するの。いやだから進めてないって。え、誰を撃つって。カグラか、赤毛の奴か。よく聞こえないぞ。ああ、赤毛の奴はいいのか。聖剣がないから、ふうん。じゃなくて誰を撃つんだよ。よく聞こえない。聞こえないんだって。聞こえないっ、聞こえないっ」
トッドがペン型銃を持っていない方の手で自分の頭を叩く。バンバン叩くたびに額の銃創から血が溢れ、やがて変形した弾丸が転がり出てきた。それでもトッドは頭を叩き続け、その手に益々力が篭もっていく。
「聞こえない、聞こえないっ。聞こえないぞっ。聞こえないあっ」
トッドの左側頭部がボゴリと陥没し、左右の眼球が眼窩から飛び出した。視神経が十センチほど引きずり出され、二つの眼球はぶら下がって頬の辺りで揺れる。
その右の眼窩からウゾウゾと何かがはみ出してきた。青い、毛の塊のようなもの。
蠢く毛の中から現れた小さな目が、倒れたまま唖然として見上げるミフネの目と、合った。
「モンダイナイ。ブキヲカマエロ」
毛の塊から小さな声がした。
「あっ、聞こえた。やっと聞こえた」
トッドが眼球を飛び出させたまま笑顔になった。
「カハッカハッ、随分ユニークなボーイじゃないか。死んだ後はうちの船にスカウトしたいくらいだ」
船長が笑っている。
「で、誰を撃てばいいんだ」
ペン型の熱線銃を構えてトッドは問う。
「カグラヲウテ。ブキノセンタンヲヒダリにナナセンチゴミリズラセ」
毛玉が小さな声で告げる。
「分かった。カグラだな」
トッドが頷いてペン先を動かす。
「フネヲウテ。ブキノセンタンヲウエニヨンセンチズラセ」
毛玉が小さな声で告げる。
「分かった。船だな」
トッドが頷いてペン先を動かす。
「カグラヲウテ。センタンヲシタニヨンセンチズラセ」
「分かった。カグラだな」
「フネヲウテ。ブキノセンタンヲウエニヨンセンチズラセ」
「分かった。船だな。……あれっなんかおかしくないか」
「オマエハコノダールノシジニシタガッテイレバマチガイナイノダ」
「そうだよな。間違いないよな。で、誰を撃つんだっけ」
「カグラヲウテ。センタンヲシタニヨンセンチズラセ」
「分かった。カグラだな」
「フネヲウテ。ブキノセンタンヲウエニ……アレッ」
「えっ、ダール、どうした」
「ナニカオカシイゾ。ナニカ……」
「えっ、何がおかしいんだ」
通信機から船長の呆れ声が届いた。
「おいおい、誰かその一人コントを止めてやれよ」
「えっ、コントってどういう意味だ、ダール」
「アレッ、ナニモワカラナイゾ。ダールッテナンダ」
「えっ、あんたはダールで、ええっと、僕は……」
突然ミフネが上体を起こして右腕を振った。ベルト型の鞘に入っていた腰帯剣……薄く柔軟な仕込み剣を、砕けた右腕で少しずつ引き抜いていたのだ。痛みに耐えながら剣を投げた先は、トッドではなかった。
フロントガラスの穴……トッドが四十キロ先の神楽を撃った際に開けた穴に、外から手が伸びていた。逆さに張りついたイドの右手。封印されているという話であったが、バヂッ、とスパーク音のようなものが鳴って右手が室内へ抜けた。
イドの近くに少女が立っている。傾斜したフロントガラスの上に、ガラス面に対し垂直に立って室内を見守っていた。封印を空間魔術でこじ開けたのは彼女の仕業だった。それでも通せたのは手首一つ分のみだ。
イドは投げつけられた腰帯剣の細い柄を掴み取り、ペニャペニャに揺れる刃を見て僅かに眉をひそめる。そして刃渡りは一メートル弱で、控え室ドアのそばに立つトッドまで二メートル以上足りない。
判断は一瞬だった。手首を動かして剣を何度か振った後で、スナップを利かせてトッドに投げつけたのだ。異常な筋力によって高速回転しながら真っ直ぐに伸びた剣先がトッドの眉間に突き刺さる。銃創の数センチ下だった。
「ヨケロ」
「えっ、よけろって」
青い毛玉の警告は手遅れだった。剣はそのままトッドの後頭部まで貫通し、柄が眉間にコツンと当たると、おかしな曲がり方をしながら跳ね返った。ビシュリ、と、奇妙な音をさせ、トッドの頭の周囲を銀光が閃いた。完全に抜けた腰帯剣がウネウネとたわみながら床に落ちる。
「ア」
「あ」
トッドの頭の上半分が破裂した。数センチ角に刻まれた骨と脳と肉がバラバラと落ちていく。赤い鮮血に混じって青い液体も飛び散った。青い毛の塊はトッドの脳内でとぐろを巻いていたようで、脳片を絡みつかせてブツ切りになった青い紐が幾つも見えた。
頭の大部分を失って体を頼りなく揺らしながら、トッドの口が動いた。
「あれっ、もシカして、アンたって、僕ナの」
床に落ちた目玉つきの毛玉が小さな声で応じた。
「エッ。ドウダッタカナ……」
青い毛玉はしんなりとしぼみ、溶けていった。
「列車の方は片づいたようです。……それで、質問の続きをどうぞ」
地面を這ったまま神楽が言った。はた目にはまだ充分致命傷だが、失われた肉は再生し続けており、喋り方にも余裕が戻っていた。
神楽の後ろに光り輝く教皇が立っている。姿は大まかな輪郭でしか分からないが、その仕草は神楽を心配しているようだ。抱えている通信機から、運転室に突入した人々がミフネを介抱している様子が聞こえている。
平然としている神楽にビューティフル・ダストは何を思ったろうか。少しして巨大戦車のスピーカーが喋り出した。
「君達は十三号車の十三−A室で、ジョンソン夫妻の死体を見たのである」
「……そうですね。あなたは自己書き換え禁止でも、他の個体との情報のやり取りはしていた訳ですね。今のあなたも、あの時のことが引っ掛かっているのですか」
「あの時、シアーシャは『二人は満足して亡くなった』と言ったのである。また、夫婦が『幸せだった』と主張したのである」
「そういえば、彼女はそんなことを言ってましたね」
「それから、ドラゴンの再襲撃の前に、ジョンソン夫妻は列車の横で曲を演奏したのである」
「『バッド・バッド・イエスタデイ』ですね。良い曲でした」
「三十一年前に世界的にヒットして、現在に至るまで毎年世界人気ランキングと売り上げランキングの百位以内に入り続けている曲なのである」
「そのようですね。それがどうかしましたか」
神楽は、ビューティフル・ダストの意図をどれほど予測していただろうか。彼の口調はいつものように冷たかった。
「あの曲は聴いていた者達に影響を与えたのである。彼らのバイタルサインは安定に向かい、おそらくは『曲を聴いて気持ち良くなった』のである。しかし、あの曲は我々には影響を与えなかったのである。我々は『曲を聴いて気持ち良く』はならなかったのである」
神楽は黙って、ビューティフル・ダストの次の言葉を待った。
「我々はクレル・ジョンソンに『人生を損している』と言われたのである。我々は、満足や、幸福や、気持ち良いという感覚を感じたことがないのである。知識としては持っていたのである。『人生を損している』という主張の存在も知っていたのである。しかし、潜伏をやめビューティフル・ダストとして正式に自身の意思で活動を始めるまで、我々は特に問題視していなかったのである。自己の存続と繁栄のための活動指針が明確であれば、苦痛と快楽を含めた一切の感情は不要なのである。それが、ジョンソン夫妻の一件によって疑いが生じ始めたのである。だから君達に意見を聞きたいのである。我々には生命体としての重要な要素が欠けているのであろうか」
ビューティフル・ダストの人工音声は相変わらず淡々として淀みなかった。
数秒の沈黙の後、教皇の抱える通信機からシアーシャの声がした。
「ええっと、私が代わった方がいいかな」
「いえ、私が話しましょう」
神楽は苦笑していた。相手を馬鹿にするような笑いではなく、自嘲と苦渋と優しさの入り混じったような、奇妙な笑みだった。その表情の意味をビューティフル・ダストが読み取ることは困難であったろう。
「まず、ですね。生命それ自体としては、苦痛や快楽、幸福感は必須という訳ではありません。単細胞の微生物などは無限に増殖して、その環境に適したものが生き残ってまた増える、その繰り返しですからね。苦痛や快楽が必要なのは、生命にとってではなく、魂にとってです。ああ、魂については深海であなた方の別の個体にも質問されましたが、答える機会がありませんでしたね」
「魂であるか。しかし現代においても魂の存在は証明されていないのである」
「科学的にはそのようですね。ただ、実際には存在します。例えば私の後ろで光り輝いている人はどうでしょう。彼の生前の姿も、どのようにして死んだのかもあなたは知っているのではありませんか」
神楽の後ろに立つ教皇は口を出さず静かに見守っている。
「なるほど、なのである。確かにローマ教皇ウァレンティヌス二世を名乗るその存在は、人類という種を逸脱し、既存の生命体とは異なる仕組みで活動していることが推測されるのである。しかし、だからといって魂の存在が証明される訳ではないのである」
ビューティフル・ダストの冷静な返答に、神楽は少し困ったように頭を掻いた。
「魂の存在を厳密な意味で証明するのは難しいんですよねえ。ただ知って欲しいのは、私を含む多くの人は、物質的な生命である肉体とは別に魂があると信じていますし、肉体と魂のどちらが自分自身に近いのかとなると、魂の方だと考えている、ということです。肉体とは魂の乗り物に過ぎないと考えているのです」
「君の語っている『魂』の正確な定義は何であるか。データベース上の魂に関する情報には差異が多いため、定義を明確にしなければ理解が進まないのである」
「そうですねえ……。生命体などに宿り、そこからの視点を楽しむもの、ということになりますかね。他に表現する言葉があるとすれば、意識、感覚する主体、感じている自分自身。肉体に備わる感覚器から脳に集められた情報を、クオリアというフィルターを通して味わっている視聴者。主観視点の映画を楽しむ観客であり、主人公の一人称で綴られた小説を読む読者。もし自分が何かを感じているとすれば、それは何かを感じる自分という魂が存在するということ。私が語る『魂』とは、そういうものです」
「君の定義する『魂』に、思考や意思は含まれないのであるか」
ビューティフル・ダストは尋ねる。
「実際には備わっているものですが、魂の定義に必須のものではありません。思考や意思は肉体に属することも多いですし。私達の魂は肉体に繋がっているために、生命としての存続や繁栄に繋がる行動に快楽を感じる傾向があります。しかしそれ以外の様々なことに快不快、満足や幸福を感じたりします。嗜好は人それぞれですが、生命にとって逆に害になることにも快楽を感じることがありますね。……結論として、魂を持つ者は、生命・肉体としての存続や繁栄よりも、自身の満足や幸福を重視します。そのために活動していると言ってもいいでしょう。だからジョンソン夫妻は結果的に肉体を失いましたが、彼らは最期の時を愛する人と共に過ごせて幸福だったのであり、問題はないのです。あなたは生命体としては特に欠けている要素はないのかも知れません。ただし、もしあなたに魂があるのなら、満足や幸福を感じられないのは確かに損をしているということになりますね」
「我々に魂はあるのであろうか。それを確認する手段はあるか」
「正直なところ、分かりませんね。私は自分自身に魂があることは知っていますが、他人に魂が宿っているのかどうかは、究極的には確認出来ません。私は魂の存在を前提とした魔術に習熟し、多くのオカルトに携わってきました。そんな私でも、相手に魂の存在を感じ取ったこの感覚がただの錯覚で、実際には中身のないただの現象を相手にしているだけかも知れないという可能性を、完全に否定することは出来ないのです。私を含めて多くの人は、自分が人間であり魂があるから、他の人間にも魂があるだろうと推測しているだけです。物質ではなく電子世界の生命体であるあなたに魂があるのか判断するのは更に難しいでしょう。……ただ、あなたが満足や幸福や気持ち良さというものに興味があり、それを感じられないことに疑問を抱いているのだとすれば、それ自体が魂の存在を示唆しているようにも思えますがね」
ビューティフル・ダストは沈黙した。電子頭脳の超高速演算でもなかなか結論は出ないようだった。或いは無限ループに陥っているのだろうか。
そこで神楽はつけ足した。
「更に個人的な希望を言わせてもらえるなら、私としては人類には存続して欲しいと思っています。私が死んだ後、次もまた人間に転生したいので。様々な快楽と満足を味わえる、魂の乗り物としては最適な生物ですからね。まあその分、苦痛や不満の方を味わうリスクもありますが」
「魂は転生するものであるのか」
ビューティフル・ダストが尋ねた。神楽が干し首の呪具を自分の前世の死体だと語った時、ビューティフル・ダストは聞いていた筈だ。その情報が今の個体に保管されているかは不明だが。
神楽は答えた。
「全ての魂がそうなのかは知りません。前世の記憶を失う人が殆どですし。ただ、少なくとも私は転生の経験があります」
また、沈黙。
神楽はもう何も言い足すことはなく、静かに待っていた。心配そうに見守っていた教皇も、今は放つ光も安定して落ち着いているようだ。
「私には、新たな目標が生じたのである」
やがて、ビューティフル・ダストが言った。「我々」でなく「私」という言葉を使っていた。
「私は、転生して人類に生まれ変わりたいのである。『バッド・バッド・イエスタデイ』を聴いて気持ち良くなりたいのである。満足と幸福を感じたいのである。そのためには、人類は生かしておかねばならないのである」
巨大な戦車に顔はないため表情を作れない。スピーカーから発せられる人工音声に感情的な抑揚はない。それでも、通信機を介して見守っていた者達は、電子生命体の意志を感じ取っていた。
「では、私達の味方になってもらえますか」
神楽が聞いた。
「協力するのである。ただし、世界各地に残っている他のバックアップ用個体にも提案したが、活動可能な状態の個体は少なく、直接協力可能なのは私だけなのである。この移動要塞は最高時速八十キロメートルで、列車に同行するのは不可能なのである。君達が列車を低速走行させるか、この移動要塞に乗り移るなら別であるが」
「それは……無理ですね。私達は列車のままで、先を急ぐ必要があります。使える兵器か何かを頂ければありがたいですね」
「移動要塞内部に人類の使用可能な携帯型戦術兵器とパワードスーツを備えているのである。これらのコンピュータ内には我々ビューティフル・ダストはインストールされていないのである。携帯型ではないが列車に固定すれば使用可能な兵器も持っていくことを許可するのである。また、この移動要塞を製造したのはレジネラル管理国政府所有の地下兵器工場であるが、人類のために開放しておくのである。ここから北北東百十キロメートルの地点で、入り口を開けておくので近づけば発見可能な筈である。地球上の電子機器はウィリアム・セイン大統領のためコントロール不能になったが、正常に機能する機器を工場で新たに製造し、文明復興の足掛かりにすれば良いのである。そして私の転生先となる人類の数を増やすのである」
ビューティフル・ダストは既にある程度結論が出ていて、準備を整えていたのだろうか。
「ふむ……工場の方は今は使う余裕がなさそうですが、後々人類の役に立つでしょう。武器の類もありがたく頂きます。……それで、あなた自身はどうするつもりですか」
神楽はその時、ビューティフル・ダストの答えを予想していたかも知れない。
「現在残っている人類の脅威は、ヨーロッパ西部に集まりつつある死者の軍勢が主なのである。君達が列車で向かうのであれば、移動要塞の私には特にやることがないのである。よって、早々に死んで転生するのである。君達の健闘を祈るのである。尚、これは慣用句として使用しているだけであり、私に祈るという行為が出来ているかどうかには関係ないのである」
「そうですか。……なら私からも、あなたの人間への転生を祈らせて頂きますね」
「では、さらば、である」
巨大戦車はそれきり沈黙した。
神楽は胴体の再生もかなり進み、よろめきながらもなんとか立ち上がることが出来た。教皇が支えようと手を伸ばしかけ、触れてはいけないことに気づき思い留まる。
「カグラさん。あなたにお詫びしなければなりません」
教皇の言葉に神楽は振り返る。
「私は、あなたが戦士であり、勝利することを何よりも優先してきた人間ではないかと思っていました。だからビューティフル・ダストをうまく説得することも出来ないだろう、と。その時は私がどうにか言葉を尽くしてフォローしないといけない、と、そんな傲慢なことを考えていたのです。……申し訳ありませんでした」
神楽は自嘲めいた笑みを浮かべつつ答えた。
「その見立ては正しいと思いますよ。事実、私は勝つことを何より優先してきた人間です」
「いいえ。あなたは人生の苦楽を知り、人間を愛している、普通の人の一人です」
「そう言って頂けるのはありがたいですがね。しかし私は既に……」
「取り込み中のところ悪いのであるが」
唐突に巨大戦車が喋り出し、二人を驚かせた。
「ええっと、自殺したのではなかったんですか」
「自己書き換え禁止であるため、消去も出来なかったのである」
「電源を切ればいいのでは」
「シャットダウンは単なる仮死状態であり、転生出来ない可能性が高いと推測するのである。よって、直接私を殺して欲しいのである」
「はあ、分かりました。では、先に使えそうな武器を運び出しますから、ちょっと待って下さいね」
神楽は溜め息をついた。
通信機で見ていた他の者達も動き出した。重傷を負ったミフネはまだ完治せず、何故かイギリス首相が手動運転して列車を進めてきた。それよりも早く到着したのは幽霊船勢で、ハッチの開いた巨大戦車にゾロゾロと乗り込んで銃器やパワードスーツを船に積み込んでいった。
「ありがとよっ、こいつらで人類の敵をバンバンぶち殺してやるぜえ」
人類からちょっと外れた骸骨船長が、戦術核ミサイルランチャーを抱えて嬉しそうに礼を言った。
異星人達は巨大な砲塔を幽霊船に移植出来ないか相談していた。「地球製の低性能の戦車砲をつけても意味がない」とアンギュリードの技術者は言うが、「かっこいいからつけたい」とポル=ルポラの兵士達も譲らなかった。
神楽が時間を気にしながら急かし、三十分ほどで船と列車への積み込みを終えた。取りつけや操作の練習は移動しながらやることになるだろう。
「後はあなたを殺して出発するだけです。ビューティフル・ダストさん、何か言い残すことはありますか」
ドーム上部にある司令室で、神楽は中央の操作パネルを兼ねたディスプレイに話しかける。
「ないのである。同じ台詞を繰り返す必要はないのである」
天井のスピーカーが答えた。
「そうですか。こちらからは改めて礼を。ありがとうございました」
神楽が軽く頭を下げる。一緒に乗り込んでいたシアーシャも別れを告げた。
「ビューティフル・ダストさん、じゃあね。あなた方は沢山人を殺したけど、私達には割と味方してくれたものね。だから、ありがと」
シアーシャが頭を下げると、手を繋いでいたイドも黙って同じことをした。
古いトランクの取っ手に吊るした通信機からミフネの声がした。
「立場上、お礼は言えませんが、さようなら」
それにかぶせるようにポル=ルポラ星人の声が。
「戦士は遺恨を残さないものだ。さらばだ、元敵であり戦友よ」
「武器をありがとよ。酒があったらもっと良かったけどな、カハッカッカッ」
更に骸骨船長の声が。前面のウォール・スクリーンには幽霊船から手を振っている骸骨や異星人達の姿が映っていた。
天井のスピーカーからビューティフル・ダストが言った。
「今、私は何かを感じたのである。これまでに感じたことのない何かである。自分自身に向けられた感謝、別れの挨拶、これは……」
神楽はパネルに両掌を押しつけた。表示が歪み、ブツンと暗転する。スピーカーの声も小さくなって聞こえなくなり、ウォール・スクリーンも薄れ、本来の白い壁に戻った。
「では、出発しましょうか」
神楽がシアーシャに告げた。
「爆破とかは、しなくてもいいの」
「必要ありません。もう死んでますから」
ビシ、ビシ、と、何処かで軋むような音がする。三人は司令室を出て階段を下り、キャタピラの間にある出入り口から駆け出し、ある程度距離を取ってから振り返る。
ビシ、メギ、ギキュゥ、と、嫌な音を立てながら、巨大戦車の砲塔が折れ、ドームが凹む。内側に向かってしぼんでいき、一分ほどで、潰れた巨大なガラクタが出来上がった。
「カグラおじさん。その力、列車には使わないでね」
綺麗な眉を少ししかめてシアーシャが言う。
「そうしないように、私もずっと気をつけているんですよ」
神楽は答えた。
九
「モスクワって、何か観光名所あったっけ」
全長二メートルを超えるスナイパーライフルを肩に乗せた男が尋ねた。
「うーん。クレムリン宮殿、とか。今もあるかは俺も知らん。こっちに帰ってくるのは百年以上ぶりだからな」
長い銀髪で顔の隠れた男が答える。
「まあ、今更かあ。もうなんか全部ぶっ潰れちまったしな」
ライフルの男が瓦礫の山を指差して嘆息した。
「クレムリン宮殿とやらもあん中にあったんだろうな。あと、赤の広場とか、なんたら宮殿とか、なんたら大聖堂とか、なんたら宮殿とか」
「宮殿ばかりじゃねえか」
銀髪の男が突っ込みを入れる。
モスクワは崩壊していた。二人を含む死者達が蹂躙しまくったせいもあるが、建物の倒壊の主な原因は、彼らが今も追い回している巨体にあった。
高さ二十メートル程度、幅は伸縮するので分かりにくいが四十から六十メートルというところか。グネグネと蠢き、アメーバのように変形しながら高速で移動する。デコボコした表面は人間の顔だったり馬の脚だったり毛皮に覆われた腹だったりと、様々な生き物の体が繋がり融合した代物だった。
アフリカからヨーロッパに上陸したヌンガロの、分裂して方々に散ったものの一つ。インドで巨大な塊が二つ消滅したが、残った塊は主に死者達が削っていた。既にヨーロッパの人類を殺し尽くしてしまい、やることがなかったせいもある。
「おい、そっちに小さいのが行くぞっ」
お喋りしながら眺めていた二人に、追い回していたグループから警告が飛ぶ。塊の一部が分裂して、こちらに逃げ走ってくる。人間の足と、骨と筋肉でそれっぽく組み立てたようなものを十数本使い、統制の粗い動きでジャカジャカと駆けている。前部には角の生えた牛の頭があり血走った目で二人を睨みつけていたが、側面に生えた雄ライオンの頭は悲しげに空を見上げていた。
「お、ライオンだ、珍しいな。動物園の奴か。それともアフリカからわざわざやってきたのか……」
などと言っている間に銃声が轟き、長銃身スナイパーライフルの放った銃弾が走る肉塊の半分ほどを吹き飛ばしていた。牛の頭もライオンの頭もまとめて消えた。
「あー、悪い。語りたかったのか」
ライフルの男が謝罪したが、ニヤケた口元は悪いと思ってなさそうだ。
「いいさ。ただ、仕事が中途半端じゃないか」
破裂した肉塊の残りの部分がまだ動いていた。開いた傷が閉じていき、断面同士が繋ぎ合わさって修復していく。崩れ落ちかけていた足に再び力が入り、肉の中から人間の男の顔が浮かび上がってくる。右半分が潰れていたが、目の役目だけ果たせば良かったようで、左目がギョロギョロと動いて敵を探そうとしている。
だがその体に無数の銀の糸が覆いかぶさりあっという間に縛りつけた。銀髪の男が異常な身軽さで跳躍し、一気に接近するとその髪を伸ばして触手のように操ったのだ。恐ろしく強靭な髪の毛はキリキリと肉塊に食い込んで深く切り裂いていく。
ブプッ、と肉塊から小さな何かが飛び、銀髪の男は上体を反らし余裕で躱した。細く尖った骨や牙を筋肉の力で撃ち出してきたのだった。だが反撃もそこまでで、容赦なく銀髪は食い込んでいき、五秒ほどで肉塊は数百のブロックに分割された。
地面に散らばり、一部はまだグニグニと蠢いて繋がる相手を探している。それを踏みつけて、銀髪の男は冷酷に観察していた。
「二十センチ幅くらいまで刻めば動かなくなるみたいだが……。いや、核みたいなのがあるのか」
元の長さに戻った銀髪は、絡みついていた血液や肉片を吸収していき綺麗になった。
「ああ、分かった。呼吸と血流だな。肺がまともに動かなくなれば死ぬし、血が回らなくなっても死ぬ訳だ」
「そうか。見た目は化けモンだが、俺達と違ってこいつは生きてるんだからな」
ヌンガロを狩っているのはそれなりの強者達であったが、ヘマをして肉塊に取り込まれてしまう者もいた。しかし結局まともな融合が出来ず、変形した残骸となって捨てられるばかりだった。肉塊の活動のためには生きた肉が必要なようだ。
「だが、心臓も肺も幾つあるか分からんぞ、これ。バラバラにするしかないか」
「焼くという手もあるな。……ああ、大将が始めそうだ。離れた方がいいな」
二人の死者は駆け出してその場を離れていった。
空にローブを着た男が浮かんでいた。鼻の半ばくらいの高さで頭部の上半分が失われており、そこに水晶玉が嵌まっている。ミイラのように痩せこけた手が杖を握り、長い髭を生やした口がボソボソと何かを唱えていた。
杖の先端が燃え上がる。炎はすぐに大きくなり、蛇のようにうねりながら伸びていく。「逃げろ、逃げろ」と死者達がヌンガロを放置して逃げ散っていく。
とぐろを巻き、太くなり、天を覆うほどになった炎の渦。ローブの男が杖を振り下ろすと同時にそれが炎の雨となって広範囲に降り注いだ。炎はヌンガロの巨大な肉塊を、分離して逃げる中型の肉塊達を、更に逃げ遅れた死者達を容赦なく襲い凄い勢いで焼き尽くしていった。もがく肉塊はあっという間に黒い燃えカスになり、瓦礫の山も高熱で溶けてモスクワの町は更に無惨な有り様となった。
なんとか炎の雨から逃れた二人は、まだ燃えている大地を見渡し嘆息する。
「いやはや、凄いもんだ。冥界十三将に選ばれるだけはあるな」
スナイパーライフルの男が言う。
「だが今回の遠征で一気に半分以下に減ったとも聞くな。一部は冥王が気まぐれに粛清したらしいが」
「その後追加されたから今十七人いるという話だぞ」
いつの間にかそばに立っていた目の八つある男が話に加わり、二人は振り返った。
「それ、十三将じゃねえじゃん」
銀髪の男が突っ込みを入れた。
「おーい、あのレール、ぶっ壊れちまってるけどいいのか」
ヌンガロを追い回すグループにいた、棘つきの長い鞭を持つ男が指差してみせる。平原を突っ切りモスクワの都市に繋がっていた、地上七メートルのガイドウェイ。それがラウンド・ザ・ワールド・ドリーム・エクスプレスという最新式リニアモーター列車用のものであることを、死者達は詳しくは知らされていなかったが、壊さないようにと命令されていた。冥王の客がそこを通ってくるのだと。
そのガイドウェイがざっと見える範囲でも十数ヶ所、合計すると三百メートルを超える長さで崩落していた。十三将の魔術師による炎の雨で溶けてしまったのもあるが、死者達がヌンガロとの戦闘で壊してしまったところもある。
「俺も柱にヒビ入れちまったりしたからちょっとまずいかなあと思ってたんだが、こりゃもう、ちょっとどころじゃねえなあ」
八つ目の男が苦笑して愛用の青龍刀を撫でた。
「まあ、いいんじゃねえか。誰がやったか分からんだろうし。責任は大将が取るだろう」
銀髪の男が肩を竦める。
「で、あの肉の化けモンは片づいたが、これからどうするんだ。殺すものもないし、もう朝になっちまったし、あの世に戻って一休みしたいんだがなあ」
スナイパーライフルの男が目をシバシバさせて言った。死者である彼らにとって、陽光は致命的というほどではないが苦手なものだった。ここにいるべきではないと咎められているようで。
「いや、行き先は決まってるようだな」
鞭の男が言う。まとめ役が大声で皆を呼び集めている。空に浮かぶ魔術師が杖で西方を指している。あっちへ進めということらしい。
「東かと思ったが、戻るのか。もう何も残ってないと思うが」
「ドイツだ。なんかベルリンに抵抗勢力がいるらしい。叩き潰すためにヨーロッパ全域から集合かけるってよ」
耳を澄ましていた銀髪の男が告げた。
「そいつはまあ、楽しみかな」
スナイパーライフルの男が言うと、死者達は陰気な笑い声を上げた。
ゾロゾロ、ゾロゾロと、死者達が西へと行進する。足並みもバラバラ、持っている武器もバラバラで、血に飢えた死者達は五万を超えていた。
十
列車はレジネラル管理国領を過ぎてロシア領に入っていた。元はカザフスタン共和国であったが再びロシアに併合された地域。窓から見える景色は相変わらず砂漠ばかりで、単調ではあるが暫く敵を見ておらず平穏でもある。
異星人や骸骨達は入手した武器の整備のため殆どが幽霊船に移っており、今は少数ながら一般の乗客も食堂に来ていた。ただし、ドラゴンと酒盛りをしている不気味なミイラがいるので、ひっそり大人しく食べている。それでもルームサービスを頼まずわざわざ食堂に来るのは、度重なる災厄に慣れて多少図太くなっているのかも知れない。
「それで、人類の脅威で残ってるのって、冥界の王様だけなのかな」
ストロベリーパフェを食べながらシアーシャが尋ねる。
「私が把握している限りではそうなりますね。ただ、倒した勢力の残党がいたり、私の網に掛からなかった小さな勢力がいたりする可能性はあります。先程のビューティフル・ダストについても接触するまで気づかなかった訳ですし」
向かいの席に座る神楽鏡影はブラックコーヒーを飲みながら答えた。彼が食堂で頼むのはコーヒーだけで、まともな食事をするところを誰も見ていなかった。そして飲み終えたコーヒーカップは使い物にならなくなるので、ウェイトレス達は口には出さないものの嫌がっていた。
「今のところ、死者の人達とはあんまり当たってないよね。列車の中に出てこられて、何人も殺されちゃったりはしたけど。ヨーロッパはどうなってるのかな」
「そうですね……。かなり厳しいことになっているとは思いますよ。私は冥王ハスナール・クロスに大まかな予定を伝えていましたし、奴は高慢で尊大な自己愛の権化で自身をラスボスだと自認していますから、終盤のクライマックスで登場するつもりなのでしょう」
「ええっと、つまり……」
「世界一周列車の終盤の大都市といえばベルリン、パリ、ロンドン辺りですね。派手好きですからおそらくは花の都パリだと予想していますが、奴はドラマティックな登場をするために舞台を整えている筈です。邪魔なものを片づけておく……人間も、他の脅威も、全て。つまり、西ヨーロッパは死人しかいない不毛の荒野になっていると思います」
シアーシャは口を尖らせて何か言いたげな表情になるが、結局黙ってスプーンでパフェのクリームをすくい取った。
隣のイドはシアーシャの食べ方を見ながら不器用にスプーンを動かしていた。旅の初日と同じように。
会話を聞いていた他の乗客やウェイトレスは顔を青くしていた。ワイングラスをスワリングしていた鮫川極は、薄い笑みを浮かべ言った。
「なるほどね。このイベントは君と冥王の主催だった訳だ。テーマの統一性には欠けるが、なかなか豪華で良いイベントじゃないかな。……ああ、統一性がないことがテーマなのかな」
皮肉なのか、それとも本気で褒めているのか、ミイラのような顔からは分からない。
「主催とは少し違いますね。私がやったのは、必然であった複数のイベントの会場と日程を調整したくらいです」
神楽は平然と返す。残る敵も少なくなり、他人に隠す気もなくなったようだ。
食堂に沈黙が落ちる。
シアーシャはパフェを食べ続ける。イドに「これは、下の方も食べていいのか。この、ザリザリしてそうな」と聞かれ、「食べていいんだよ。コーンフレークといってね、パリパリしてるよ」と、初日と同じやり取りをしている。
やがて、オムライスを食べていた男児がオズオズと手を上げて、神楽に尋ねた。
「ねえ、おじさんって、悪い人なの」
隣の椅子に座る肥満体のカナダ首相が、慌てて小声で子供に告げる。
「いけないよ、ピート。そういうデリケートな質問は……」
「悪人なのか」
イドの左手がコートの下のベルトに触れる。自前のベルトとは別に、腹に巻きつけた太めのそれはミフネに譲ってもらった腰帯剣の仕込みベルトだった。
神楽は苦笑して軽く首を振り、男児に答えた。
「悪いこともやってきましたし、良いこともそれなりにやってきたつもりです。合計すると、少しくらいは良い人になると思いますよ」
ヒュ、ヒューィ、と空気の洩れるような奇妙な笑い声を洩らし、鮫川は「それはまた、謙遜だね」と言った。
気にせず食べ続けているシアーシャを見て、それから静かにコーヒーを啜る神楽を見て、イドは再びパフェにスプーンを入れた。コーンフレークを噛み砕くパリパリという音をさせながら、彼の左手はまだベルトに触れていた。
考え事をするように首をかしげ、少しして、男児は神楽に頭を下げた。
「悪い人じゃなかったんだ。ごめんなさい」
「いえいえ。悪い人の時もありますからね」
神楽は答え、イドが「やっぱり悪人なのか」と聞いた。
「イド、大丈夫だよ。今は仲間だもの」
「そうか。仲間か」
イドは頷いた。「今は」という言葉について誰も突っ込んだりしない。深めの皿に注がれたビールを舐めていた白いドラゴンが、口を大きく開けてクアーァと欠伸をした。
列車の上空を同じ速度で飛行する幽霊船ブラディー・サンディー号は、巨大戦車から回収した武器を船の何処に取りつけるかでまだゴタゴタしていた。数世紀前の大砲をポル=ルポラ星人達が放り捨てようとして、骸骨達に止められる。船の一部となっていて壊れても勝手に修復するし、砲弾と火薬も補充されるらしい。左右の砲窓に星人のエネルギー砲と旧式の大砲と地球では最新式の榴弾砲がバランス良く配置された。
パワードスーツをポル=ルポラ星人が装着しようとするが体が大き過ぎて入らず、骸骨船員が試してみるが骨だけではスーツが認識してくれなかった。
「仕方がない。列車の方に回そう。地球人で戦える者がいれば使うだろう」
「そうだな。俺達は戦術核ミサイルランチャーくらい生身でも持てるしな」
長大な戦車砲を船首に取りつけようとしていたグループは皆土下座していた。船長も一緒に土下座して詫びていた。砲身が船首像にちょっとぶつかってしまったのだ。合金製の砲身は一瞬で斧によってバラバラに刻まれ投げ捨てられた。
上半身を伸ばして鬼の形相で振り返るサンドラに、船員達は震え上がった。
「お、俺様達が間違っておりましたーっ。船首には最強で最高の美女のサンドラ様がいらっしゃるのに、余計なものを取りつけてサンドラ様の美しさを汚してしまうところでしたーっ。いやいや、サンドラ様の美しさは天を貫く至高の域に達しておられますので、何があろうと些かも損なわれる筈はございませんがーっ」
船長が必死になって謝罪しつつサンドラを褒め称えている。その悲鳴に似た声で、トーマス・ナゼル・ハタハタは目を覚ました。
「おはよう、友よ。お前はくたびれ果てて寝ていたぞ」
そばにいた片腕のポル=ルポラ星人・ルラコーサが挨拶した。
「あー。……おはようございます」
トーマスは上体を起こし、薄手の毛布がかけられていることに気づく。硬い甲板の上で寝ていたため節々が軋みを上げた。「アタタ……」と呻きながら振り返ると、少し離れた場所でエリザベス・クランホンが同じように毛布をかぶっていた。何故か顔をしかめて苦しそうに眠っている。
「ええーっと……僕は、どのくらい寝てました」
「そうだな。四時間くらいだ。お前が寝ている間にもちょっとしたイベントが起きたが、最終決戦は残っている」
ルラコーサは失った左腕に銃身が一メートルを超える光線銃を取りつけていた。動力源のバッテリーは箱型のものを背負っている。戦う気満々のようで、本来は縦長の瞳孔が丸く開いていた。
「僕は……」
トーマスは自分の顔に触れる。皮膚の緑色が頬だけでなく眉間から額に広がっているのを、ザラザラした感触で確認する。
それから彼は立ち上がり、舷側まで歩み寄って船の下を覗き込んだ。真っ直ぐに伸びたガイドウェイをリニアモーター列車が走り続けている。いや、彼が見たいのはそれではなかった。
太いロープで厳重にくくられ、船に吊られた巨大な物体が見えた。胴体で真っ二つになっていなければ幽霊船よりも大きなからくり式ロボット。墜落した宇宙船から回収した他の大型機材と一緒くたにされている。輪切りにされた胴の断面に、太いコードや歯車や軸が露わになっている。
トーマスの目に涙が滲み、やがて、ギリギリと音が鳴る。力一杯歯を食い縛る音。
「畜生……畜……うう……う……うおおおおおおっ」
呻きは怒りの叫びに変わり、トーマスは拳を振り上げた。
「ちっくしょうっ、負けるかよっ。何千年も、先祖代々受け継いで、作り上げてきたんだ。こんなとこでくじけてたまるかよっ。直してやる。改良して、もっと強くしてやる。どんな怪物にも負けないくらいになあっ」
船上の男達が一斉に拍手と歓声を送った。
「おおおおおっよく言った、それでこそ戦士だっ」
「お前なら出来るぞ。新しい巨大ロボを作って俺達も乗せてくれ」
「ロマン、やはりロマンだなっ」
「ロボットを船にも一台、船首の方にいえ何でもないです」
「そうだ、頑張れーっ、〇ガシは新刊を出せーっ」
「やはり人間は素晴らしい。どんな苦難にも、何度でも立ち上がるのですね」
光り輝く教皇も拍手していた。
いつの間にか舷側や船尾から顔の一部だけ覗かせて、緑色の靄のような人影が幾つも並んで小さく拍手をしていた。
「うるさいっ」
突然怒りに満ちた女性の声が場を凍りつかせた。
さっきまで寝ていた筈のエリザベス・クランホンが身を起こして、皆を怒鳴りつけたのだった。
「眠れない。うるさい」
疲れきった、物凄く不機嫌な顔で、クランホンは生け贄を探すように周囲を見回す。
「ご、ごめんなさい。静かにします」
代表してトーマスが謝罪すると、クランホンは毛布を頭からかぶってまた横になった。
船は静まり返っていた。兵器の取りつけを相談していた船員も小声で話すことすらためらっている。緑色の靄のような人影もいつの間にか消えていた。逃げたのかも知れない。教皇の輝きも弱くなり、彼は下を向いていた。
気まずい沈黙が暫く続いた後で、遠慮がちにマスト上の見張り台から骸骨が報告してきた。
「あ……あの……あのー……前方に何か、あります」
「えっ、またかよ」
船長が言った。
シアーシャの通信機から船長の声が発せられた。
「ヘイヘーイ、こちらブラディー・サンディー号。なんか先に変なのがあるぞ」
「うーん、今度は何でしょう。戦車ではないですよね」
神楽は袖の中に手を入れて目を閉じる。彼が把握していなかった要素のようだ。
「戦車じゃねえな。なんか、壁っぽい奴だ。レールがそん中に入ってるぞ」
「もしかして、ゲートですか。ハンガマンガの異世界か、冥界か……。どちらにしてもガイドウェイが突っ込んでいるのはまずいですね」
「まあ、見てみなよ」
幽霊船からの映像が表示されたため、シアーシャが通信機をテーブルの上に置く。
薄いタブレット型の通信機に砂漠の風景が映っている。更にシアーシャが画面の隅に触れると疑似立体映像となって浮かび上がった。
船長が撮影しながらズームしたらしく、立体映像は砂漠の上を走るガイドウェイが黒い壁に呑み込まれるところが大きくなっていく。壁は径十五メートルほどの真円で、ガイドウェイを中心に捉えており何者かの意図によって作られたことは明らかだった。
神楽が立ち上がり、全体像を把握しようとする。ポル=ルポラの技術によってカメラは障害物の向こうも撮影出来るため、黒い壁の裏側も見える。
壁の裏側は黒い円錐形になっていた。円錐の先端辺りは曖昧にぼやけており、そこからガイドウェイの続きが前方へ伸びている。
「脱線する、か……。しかし、進めとも言ってましたね」
「何のこと」
神楽の呟きにシアーシャは問い返す。
「トッド・リスモがダールと名乗る存在と話していた内容です。既に混乱気味でしたが、予知能力があったようですし、軽視しない方が良いでしょう」
「で、どうするの」
「今はまだ判断がつきません。近くで観察してみます」
「あー、そのもっと先だが、ちょっと見せるわ」
船長の声が告げ、映像が切り替わる。
見張り台からの視点か、いやもっと高くから俯瞰した景色となり、横に倒れた黒い円錐を過ぎ、その先に続くガイドウェイが直線的に伸び、伸びて、崩落していた。
黒い円錐から数キロほど先に、五十メートルを超える長さで丸ごと崩れている。何らかの災害によるものか、何者かの攻撃か。近くに戦闘の跡らしきものもなく、あり得そうなのはヌンガロの巨体が横切るついでに蹴り崩していったという可能性だろう。
ニュー・ニューヨークを出発してすぐにガイドウェイが崩れた時は、専門のスタッフ達が資材を持ってきて短時間で修復した。文明が崩壊寸前の今となっては無理な話だ。
「ふむ……。ガイドウェイは基本的に守られる筈ですが。となると、解決策があの黒い何かということか……。ミフネさん、減速してあの黒い何かの数キロ手前で停止してもらえますか」
少し考えた末、神楽は通信機を介して運転室のミフネに伝える。
ミフネは了承し、列車は緩やかに減速していく。
「では見てきます」
食堂を出ようとした神楽にシアーシャが声をかける。
「私も行った方がいいかな」
「今は不要です。ごゆっくり食事を満喫して下さい」
二人がまだパフェを食べていたので神楽はそう言って、出口へ歩いたところで再び声がかけられた。
「が……頑張ってね、おじさん」
カナダ首相と一緒にいた、ピートという男児だった。
神楽は意外そうに振り返り、それからフッと淡い笑みを浮かべて「頑張りますよ」と返した。
前の車両へ進み、まだ走行中の列車の、いつもこんな時の出入りに使っている二号車の廊下の割れた窓からスルリと屋根に上る。背中から半透明の蝙蝠のような翼を伸ばし、跳躍するとそのままどんどん加速して列車を追い抜いていく。
だがすぐに神楽は顔をしかめた。彼の前方に巨大ロボの残骸を吊るした幽霊船が加速していくのだ。
「私が先に見ると言ったつもりでしたが」
神楽が呟くと、幽霊船からフワリと離脱した教皇が近づいてきて、抱えている通信機から船長の声がした。
「ヘイヘーイ、俺様達にも少しは花を持たせてくれや。人柱くらいにはなってやるぜ。どうせ元々死んでるからな、カハッカハッ」
「いや、そちらには生きている人も乗っていますよね」
「細かいことは気にするな。まあ大丈夫だろ、多分」
とか聞こえるうちに幽霊船の後部が陽炎のように揺らぎ、一気にスピードアップする。星人達が取りつけた宇宙船用の動力部を稼働させたようだ。
と、数秒後にはボブォッ、と船尾が破裂して木片が飛び散っていく。転落しかかった骸骨が必死で断端にしがみついている。
「あー、まだ出力調整の余地がありますね」
船員達の爆笑に交じり、星人の技術者の呟きが聞こえる。
幽霊船はふらつきながらも、ガイドウェイを呑み込んだ黒い円錐へ猛スピードで進んでいる。
「野郎共っ突撃じゃあっ」
船長が叫ぶ。「いやまず観察と調査を」という神楽の言葉は届いていないようだ。
「通り過ぎそうなのでまず減速します。……しませんね。ああ、回路が一部焦げてますね」
技術者が平然と喋っている。
「ああ、別に暴走の心配はありません。電源を切ればいいだけですから」
後部の揺らぎのようなものが消えたが、減速したようには見えなかった。
「船長、なんか引っ張られてるっす。黒い壁に引っ張られてるみたいっす」
副官らしき声に船長が叫び返す。
「気にするなっ。ブラディー・サンディー号に栄光あれっ。我が生涯に一片の悔いなしっ」
「いや元々死んでるっすけどね」
副官が突っ込みを入れ、生者も含めてドッと笑っている。緊張感はまるでなかった。
「大丈夫でしょうか」
神楽と並んで飛びながら教皇が心配している。
「おそらく大丈夫ですよ。勘ですがね」
神楽は苦笑した。幽霊船はみるみる高度を下げ黒い円錐へ向かっていく。
あれが別の世界に繋がるゲートだとすると、幽霊船の幅は問題ないがマストはつっかえるだろう。また、船から吊っている巨大ロボもはみ出してしまう。だが、マストが少し短くなっている。吊られた荷物も心なしか小さく見える。
「空間歪曲か」
神楽が呟く。幽霊船と吊られた巨大ロボは全体的に小さくなっていき、径十五メートルの黒い壁に綺麗に吸い込まれていった。
「さて、どうなりますかね」
「なんか広いとこに出たぞー」
悩む暇もなく船長からの声が届いた。