第七章 プラスマイナスで少しいい人

 

  一

 

 ブラディー・サンディー号が飛び込んだ先は薄暗く、広大な空間だった。

 周囲には様々なものが転がっている。何かの死体らしきものや、壊れた機械らしきもの、刀のようなもの……いや、巨大な生物の爪であろうか。積み上げられて山になっているところもあれば、部品が一個だけポツンと置かれているところもある。互いにある程度の距離を取っており、単なる廃棄物ではないと分かる。

 金属製のプレートがそれぞれのそばに置かれていたり、ワイヤーで括りつけられていたりする。タグとして使われているようだが、キャプテン・フォーハンドが近づいて覗き込んでみると数字が刻印されているだけだった。

 船長は改めて上を仰ぎ見る。無事に浮遊している幽霊船と吊られた巨大ロボ。その向こうに天井が見える。高さは百メートル以上ありそうだ。点々と設置された照明が最小限の光を投げていた。床も材質は金属か石かよく分からないが頑丈そうなもので、ここは巨大な倉庫のようだった。空気がひんやりとしているのは冷房がかかっているのか、それともここが地下なのか。

 下船した他の船員や星人達も興味深げに辺りを調べ回っていたが、バンダナキャップの副官が首を振って言った。

「船長、ここは大したものはないっすよ。単なるガラクタ置き場っぽいっす」

「ガラクタではありませーん。素材です」

 即座に訂正する声に、皆が一斉に振り向いた。

 いつの間にか奇妙な男が立っていた。

 二メートルを超える長身で、白いスーツを着ていた。しかし体のバランスがおかしく、短足でやたら胴が長い。その胴も広い肩幅から細い腰まで、カクテルグラスみたいに綺麗な逆三角形となっている。腕も長く、自然に垂らすだけで指先が床につくだろう。

 男は頭に黒い布袋をかぶって顔を隠していた。右目の部分だけに穴が開き、血走った黒い瞳が覗いている。

「え、誰。この変な人」

 船長がキャラ作りを忘れて正直な疑問を表明した。すぐさま船員達が剣を抜き、星人達が銃を構える。

 銃口を向けられても動揺を見せず、白いスーツの男はピョコリと一礼した。

「ロギはー、ロギと申します。博士の助手であり素材調達役、そしてー、今は皆様の案内役でございーます」

 声音はしわがれつつ微妙に高く、時折おかしなイントネーションになっていた。

 ポル=ルポラの元艦長がジャーキーを噛みながら呟く。

「こいつは大変だ。自分のことを名前呼びする奴が現実に現れるとはな」

「博士というのはどなたのことです」

 問いを投げたのはゲートを通って追いついたばかりの神楽鏡影だった。教皇も一緒で周囲が明るくなったため、到着には皆気づいていた。

「博士のご紹介は、ご自身でなーさるそうですのでー、これからロギが皆様をご案内致します。どうぞこちらーに」

 奇妙な男・ロギは踵を返し、どんどん歩いていく。足が短く、急いでいるふうでもないのに進みは速かった。

「私は行きますが、ある程度の人数を船に残していた方がいいと思いますよ」

 神楽はそう言ってロギについていった。

「ヘイ、お前らは待機しとけ。いつでも戦える態勢でな」

 副官に伝え、船長がそれに続く。

 ポル=ルポラ星人は首長のルーラ・ポポポル・ポルールと元艦長のトゥットラ・ルタール、それから好奇心と冒険心が有り余る三人が同行した。首長は失った左膝に簡単な鉄棒を取りつけて義足にしていた。ポル=ルポラ星人は手足を失っても再生するらしいが、さすがに十日以上かかるということだ。アンギュリード星人は幽霊船に篭もったままだ。

 トーマス・ナゼル・ハタハタはこの場に残り、船員にハタナハターナを降ろすよう頼んでいた。今からでも出来る限り修理したいのだという。エリザベス・クランホンはまだ不機嫌な顔で眠っている。

 そして光り輝く教皇が最後尾となり、一行は早足でゾロゾロとついていく。先導するロギと彼ら以外に動くものはなく、死の静寂に満ちていた。

「ここは異世界ではなく地球だ。北緯五十二度、東経十三度で、ドイツのベルリンに当たる」

 通信機を操作しながらルーラ首長が言う。星人の携帯機器はかなりの高機能だった。

「とすると、約三千キロの距離を一瞬でワープしたことになりますね。得は得ですが、世界一周の定義としては……一割程度のスキップならまあ、許容範囲か……」

 神楽が眉をひそめて呟いている。

「ただし、現在そのベルリンの地下二十キロらしいぞ」

 ポルポルと楽しげに首長が喉を鳴らす。

「おいおい、まさか地上まで階段を上れとか言わないだろうな」

 船長が愚痴っているうちに先が見えてきた。何かの残骸や生き物のパーツが延々並ぶスペースを抜けると、淡い光で縁取られた扉が待っていた。幅も高さも三十メートルを超える巨大な扉。左右に続く壁は床と同じ材質のようだ。

「どうぞお乗り下さい。エレベーターで、ござーいます」

 ロギが近づくと自動的に扉が左右に開いていき、明るいが何もない部屋が見えた。扉のそばで上体を僅かに倒し、指を綺麗に揃え伸ばした右手で室内を示してみせる。慇懃な態度であるが、黒い布袋をかぶった異形の男がやると不気味であった。

 一行は遠慮なく乗り込み、最後にロギが入ってパネルのボタンを押す。階を示すボタンは五十個以上並んでいた。

 扉が閉じ、強い加速度を感じさせるが余計な揺れはなく、無音でエレベーターは動いている。

「そちらは異常ありませんか」

 教皇が持っている通信機に話しかける。砂漠で待機する列車組から、シアーシャの声が「変わりないよ」と応じた。異星人の技術で、何千キロ離れていようが地下深くだろうが関係ないようだ。

「保管していた残骸や死体の一部は『素材』ということでしたね。何を作る素材なのですか」

 神楽がロギに質問を投げる。

「ご疑問の点ーは、博士にお尋ね下さい。博士は意外と、お喋り好ーきです」

 一分ほどでエレベーターが停止した。「地下五キロ」と簡潔に首長が告げる。とすると十五キロメートルをほんの一分で上昇したことになる。

 扉が開かれると明るい廊下に通じていた。

 再びロギが先導し、一行はエレベーターを出て廊下を進む。左右には部屋に繋がるらしいドアが並ぶが、表札はやはり数字が書かれているだけで中に何があるのか推測出来なかった。

 正面突き当たりに『再評価室』という表札のついたドアがある。ロギが近づくと自動で開き、その奥には異様な光景があった。

 ゴミや血や肉片で汚れた広いホールのような空間に、異形の生き物達がひしめいていた。毛むくじゃらのゴリラのような体で、両肘から先がカニのハサミになっているもの。機械の胴体の上にしなびた触手の塊が乗っているもの。鮫の頭部に巨大な昆虫の脚が何本も生えたもの。大型のリクガメの甲羅がくり抜かれ、幾つもの脳が浮かぶ水槽が嵌め込まれたもの。元は人間だったようだが剥き出しの筋肉を増量され、腕が六本あり、体の各部に刺さったコードがコンピュータらしい頭部に繋がっているもの。そんな、複数の生き物を合成したり機械と組み合わせたり改造したりしたような生き物達が、ひっそりと入室者達を見つめていた。

「これは……あまりにも……」

 教皇が絶句している。

「ここの博士とやらは、なかなかいい趣味してるじゃねえか」

 船長の眼窩の青い炎がいつもより大きく燃えていた。

「ありがとうございます。博士は偉大なお方でいらっしゃーいますので」

 皮肉が理解出来ないようで、ロギが礼を述べる。

「やれやれ。とんでもない邪悪の気配がするな」

 元艦長がジャーキーを噛みながら呆れ声で呟いた。

 入り口から向こう側の出口まで、幅二メートルほどの床が赤く塗られて道になっていた。ロギが平然と歩いていき、一行もためらいなくそれに続く。生き物達の視線がそれを追う。視線はロギからは逸れ、神楽達に向いていた。

「この生き物達は博士の……」

 神楽が言いかけた時、カニの腕をしたゴリラが突然物凄い跳躍を見せ襲いかかってきた。大きなハサミが開いて神楽の首を切り落とそうとするが、刃が首筋に触れる前に両肘とも切れて落ちる。

 神楽は右袖をゴリラに向けていた。そこから瞬時に飛び出したキラキラした何かが、あっさりとゴリラの両肘を切断したのだ。

「おいおい、敵かよ」

 船長が両手足で四本の剣を抜き放つ。ポル=ルポラ星人達も動揺なく即座に銃を構えた。

 両腕をなくしたゴリラは着地するとその軽い衝撃で首がゴロリと落ち、少しして首と肘の断面から青い血液を噴きながら倒れていった。

 ゴリラの胴が床にぶつかった音が合図だったように、他の異形達も動き出した。それぞれの凶器を振りかざして神楽達に殺到する。ただし、コンピュータの頭部に増量した筋肉、腕が六本あるものは制御を誤ったのか猛速で逆方向の壁に突進して潰れた肉塊と化した。

 星人達は動揺の欠片も見せずに応戦した。ビューティフル・ダストから貰った自動小銃では血みどろになっても迫ってくる異形が多かったが、熱線銃は複数の敵を貫き肉を蒸発させ、壁に焦げ跡を作った。

「ヒャハーッ」

 船長が喜び勇んで剣を振るったが、新調した足腰にまだ慣れておらず転倒した。そこに腕だけがやたら巨大な猿が掴みかかるが、キラキラした何かが通り過ぎると両手足の全ての指を失ってひっくり返る。

「お、おう、悪い悪い」

 船長が起き上がり猿の首を切ってトドメを刺す。

 キラキラした姿の見えない何か……神楽の使い魔は高速でホールを飛び回り、異形のもの達を切り刻んでいった。星人達の銃と船長の剣も暴れ回り、二百体以上いた異形の怪物達は、三十秒ほどでほぼ全滅した。

 残っているのは最初から攻撃してこず無気力に蹲っている数体のみだ。バラバラになった肉塊がそこら中に散らばり、パーツだけになったのにまだピクピクと動いているものもいる。流れ出た血液は青みがかったものが多かった。

「どーうぞこちらです」

 少し進んだところで振り返り、神楽達を見守っていたロギがこれまでと変わらぬ口調で言った。異形達はロギを襲わなかったし、ロギも戦闘には干渉しなかった。ただ、待っていただけだ。

「彼らはあなたの仲間ではなかったのですか」

 神楽が尋ねる。

「彼らは仲間ではありませーん。失敗作です」

「失敗作は客を襲うように命令されているのですか」

「勝てそうな相手がいれば殺してみーるように命令されているだけです。再評価の機会を与えられていーるのです」

「なるほど。わしらは雑魚に見えたという訳だ」

 ポル=ルポラの首長が熱線銃をロギに向けた。それを神楽が片手を上げて制する。

「行きましょう。足踏みしている時間はありませんので」

 首長は嘆息して銃口を下げ、他の星人達もそれに倣ったがいつでも撃てる態勢は維持していた。船長も足の剣は鞘に戻して二刀だけになる。

 ホールを出るとまた普通の廊下になり、新たに襲われることもなく静かに進んでいく。何度か自動扉を抜け、更にその突き当たりに『第一研究室』という表札のドアがあった。

 ロギがノックすると、「入りたまえ」と声が返ってくる。

「失礼致しーます」

 自動ドアではなくノブを回して開け、一行は広い部屋に入る。

「私の研究所にようこそ。特殊素材の皆さん」

 雑多な機器やプリントの束が積み上がった机で何やら書き物をしていた白衣の男が、こちらに顔を向けぬまま挨拶した。妙にザラついた声音だった。

 それからゆっくりと、椅子を回して振り返る。

「私はルーサー・フルケンシュタイン。この究極生命研究所の主だ」

 男は四十才前後に見えた。オールバックに固めた黒髪は所々に白い筋が混じっている。一見して不細工ではないのだが、その顔立ちは相手に妙な違和感を与えた。目、眉、鼻筋、唇、鼻から口の端へ繋がるほうれい線。それぞれがほんの少しずつ、右上に引っ張られているような形・向きになっているのだ。まるで人工皮膚のマスクをうまくかぶり損ねたみたいに。更に首を左にかしげていることも違和感を強めていた。

 右目にはフレームのやや武骨な片眼鏡を嵌めている。単に見るものを拡大するだけでなく、様々な情報を表示する拡張現実機能つきのようだ。青い瞳は興味深げに神楽達を見つめていたが、温かみはまるで感じられなかった。

 厚めの生地の白衣は汚れ、袖や裾に青い染みが残っている。白い手袋は手首の皮膚を完全に覆い肌を隠していた。

「私達のことを把握しておられるようですから、自己紹介は不要ですかね。いや、そもそも素材が喋るのはおかしかったですか」

 相手に劣らず冷徹な視線を返し、神楽は皮肉った。

 フッと口元を笑みに変え、フルケンシュタイン博士は謝罪した。上っ面で、本心からの謝罪でないのは明らかだったが。

「いや、失礼した。君達はまだ素材ではなかったね。私は死体からしか素材を選ばない主義だ。君達が死んだ後は遠慮なく使わせてもらうことになるが。……ああ、ローマ教皇猊下は例外だ。霊体の類は私の専門外でね」

「先程の『再評価室』では襲われましたが、私達を殺して素材にする予定だったのでは」

「あれは気にしないでくれたまえ。失敗作に機会を与えただけだ。万に一つくらいの確率で、私が見落としていただけで失敗作でない可能性もあるだろうからね。すぐには切り捨てないようにしている。君達にとっても特に問題はなかっただろう。弱肉強食はこの世の真理だから、弱者が死に、強者が生き残る。よし、何も問題はないな」

「完璧なー、論理。さすがは博士です」

 ロギがパチ、パチと拍手して気の抜けた賞賛を送った。

 噛んでいたジャーキーを飲み下すと、ポル=ルポラの元艦長トゥットラ・ルタールが言った。

「なるほど、弱肉強食か。確かに真理ではあるな。とすると、強者によってお前がゴミのように殺されても全く問題はない訳だ」

「そう、全く問題はない。ただし……」

 博士は平然と応じた。話している途中で元艦長が熱線銃を向けようとするのを、神楽が手を上げて制止した。

「自重して下さい。彼はどうやら有言実行者です。自分の体も相当に強化改造しているようですよ」

 それで元艦長は長い舌で高く響く舌打ちをして、銃を下げた。

「理解の早い者がいて何よりだ。私は他人にものを説明するのに不慣れなのでね」

 博士が言った。

 神楽が改めて室内を見回し、博士に尋ねた。

「あなたの目的を聞かせてもらえますか。私は強い力を持つ存在を出来る限り把握しようと努めてきましたが、この終盤で新たな勢力が現れたことに少々困惑しています。あなたの目的が人類や世界の滅亡であったり、目的達成の過程でそれが必要になったりする場合は、お互いに困ったことになるでしょうね」

 地下深くにある究極生命研究所の第一研究室。広い室内には幾つものテーブルと棚が並び、コンピュータ機器に百を超えるモニター、組み立て途中或いは分解途中の汚れた機械類、生き物の内臓や爪の生えた前脚や金色の眼球の瓶詰め標本などがひしめき合っていた。整理整頓とは程遠く、混沌とした博士の脳内を想像させた。

「ふむ」

 博士は椅子からヒョコンと立ち上がり、次の瞬間には一行の先頭に立つ神楽の眼前に移動していた。

「ふむ。ふむ。ふむー」

 素早く回り込んで神楽を右から、左から、背後から、床に這いつくばって下から観察する。片眼鏡がジジーと低く唸っているのは観察精度を上げているのか、大量の情報を処理しているのか。

 更には飛び上がって天井に張りつき上からも見た後で、軽やかに着地して改めて正面から神楽を観察した。顔と顔が五センチほどの距離まで近づき、反射的にだろうか、神楽が右手を博士に伸ばす。彼が敵以外の対象にそれをするのは非常に珍しいことだった。

 博士はまた異常な俊敏さで神楽の手を躱し、後ろにピョンと跳んで元の椅子に尻を収めた。

「失礼した。私の目的を教えるに値する存在かどうか改めて吟味していた」

「お眼鏡にかないましたか」

 神楽が皮肉ると、博士は大仰に頷いた。

「実に良い。特に……その手、だな。良い素材になりそうだ。ロギ、今後は彼が死んだらすぐ回収出来る距離に張りついておくように」

「畏まりました。博士の仰せのまーまに」

 ロギが一礼し、以降は袋から覗く視線は神楽へと固定された。

「それで、あなたの目的は」

「そうだな、目的の話だった。私の目的は自らの手で最強の存在を創り出すことだ」

 ルーサー・フルケンシュタイン博士は軽快に手を叩き、それから大きく両腕を広げてみせた。

「素材は世界中に転がっている。私は良質の素材を厳選し、最適の構成を考え組み合わせる。自然の条件下では本来あり得ないものが私の手で生み出されるのだ。つまり、それは……一つの奇跡、なのだよ」

 博士のザラついた声音には、自信と誇りと信念が漲っていた。そして、かなりの比率で、狂気も。

「偉大なー、目的。さすがは博士です」

 ロギがパチ、パチ、と拍手を送る。

「その後はどうするんですか」

 神楽が尋ねた。

「何」

「最強の存在をあなたが創り出せたとして、その後はどうするんです。何かに使いますか」

 博士は首の傾きを左寄りから右寄りに変え、それからまた左寄りに戻し、左手を顎に添えて言った。

「ふむ。特に考えてないな」

「そんなものですよね」

 神楽は苦笑し、後ろで教皇は絶句していた。

「つまり……ロマンか」

「ロマンだな」

「ロマンなら仕方がない」

 ポル=ルポラ星人達は尤もらしく頷き合って納得していた。

 神楽が次の質問に移る。

「ひとまずあなたの目的は分かりました。それでは、私達を研究所まで招待した理由を聞かせてもらえますか。こちらとしては列車が崩落したガイドウェイをスキップ出来そうなのはありがたいですが、私達の手助けをするためだけにあのワープゾーンを設置した訳ではありませんよね」

「うむ。君達は人類の滅亡を阻止するために戦っているようだが、私はそんなことに興味がなかった。……しかし、考えてみると少し問題があったのだ。これを見たまえ」

 博士は机の上に並ぶモニターの一つを指した。地上の街並みが映っており、何か巨大なものが動いている。博士がコンピュータを操作すると画面が遠ざかっていき高所から俯瞰する視点になった。研究所のコンピュータはビューティフル・ダストの汚染を免れたようだが、ネットワークと完全に切り離しているのか、独自の設計なのだろうか。

 動いている巨大なものは生き物らしかった。表面は黒く、丸い本体に何十本もの腕が生えている。その丈は高層ビルを超えていた。腕がウゾウゾと動いては次々と何かを掴み取り、握り潰していた。本体上面に巨大な口が開いており、潰したものを次々とそこに放り投げては噛み砕き、呑み込んでいく。

 捕まって食われているのは、どうやら人間のようだった。

「あれは、まさか……ハンガマンガですか。王が死んだのにまだ活動していたとは」

 教皇の声は震えていた。恐怖のためか、或いは、怒りか。

「あれは元『死なない獣』だ。素材利用に際して想定外のことがあった」

 あっさりと博士が言った。

「なんと、先触れの四獣の……。やはり既に現れていたのですね」

「まだ死んでいなかったのだが、ロギは襲われたので返り討ちにして殺してしまった。それで素材として回収したのに勝手に蘇生してしまってね。しかし一旦は死んでいたのだから私の主義に反してはいない筈だ。切り刻んで組織培養し、元の百万倍の質量まで増やして構造を整え、制御装置を組み込んだ」

 神楽が尋ねる。

「それで、何が問題なんです。研究所を逃げ出して暴走しているとか。……いや、違いますね、これは」

「暴走はしていない。私の命令通りに今も動いている。私の『黒い沢山の腕二十六号』は死者の軍勢と戦っているのだよ」

 ひどいネーミングであった。死体を材料にこれまで大量に創ってきたためそれぞれへの愛着は薄いのだろう。

 黒い腕が触手のような指で掴み取っているのは血色の悪い戦士達だった。化け物だったり手足の数がおかしい異形だったりするものも混じっているが、多くは武器を持った人間だ。剣や槍でチクチク刺しても『黒い沢山の腕二十六号』には殆どダメージがないようで、溢れる死者達の掴み取りを続けている。

 というか溢れ過ぎる。町は俯瞰で見える範囲で数万の死者がいた。建物の上に立って指揮する死者がおり、腕の付け根を狙って新旧の銃や魔法やよく分からない武器で一斉攻撃も試みられている。しかしついた傷もあっという間に塞がり、黒い腕は建物ごと指揮官を叩き潰した。

 他にも数ヶ所に指揮役がいたが、死者達はあまり統制が取れていないようで勝手に戦っている者も多い。武器も思想も異なる、冥界に墜ちた悪人達を掻き集めただけなのでそんなものだろう。しかし数はとにかく多かった。既に地面は死者の残骸で赤黒い海となっていたが、それを平気で踏んで死者達が突撃していく。損傷の少ない死者は後方で休憩し、少しずつ元通りに再生しているようだ。

「この調子で十時間以上戦っているのだ」

 博士が嘆息した。

「他にも五百体ほど送り込んだが全滅した。最近の傑作である『巨大な目百七十一号』や『電撃獣三百八号』も、圧倒的な物量の前に力尽きた。『黒い沢山の腕二十六号』は奮闘しているが、あれの再生能力も無尽蔵ではない。死者は栄養にならないため自身の細胞を消費し、この十時間で質量が三分の一になってしまった」

「これは、ベルリンの街ですか。この真上の。あなたは人類の都市を守っているのですか」

 神楽の問いに博士は頷いた。

「人類の存亡などどうでも良いと考えていたのだが、ふと気づいてしまってね。ベルリンが滅んでしまうと出前が頼めなくなるじゃないか。アイスバインとビールを楽しめなくなるし、マクドナルドでも自炊よりは千倍ましだ。たまにはベルリン家の濃厚なラーメンが恋しくなる。という訳で、ベルリンには滅んでもらっては困るのだよ」

「ロギのー、料理の腕が下手で申し訳ありまーせん。やはり強い素材と、美味しい素材は違いーますね」

 ロギがうなだれていた。

「つまり……私達をここに呼んだのは、ベルリンを守る手伝いをして欲しいのですね」

「その通りだ。現在ベルリン市民は二十万人程度まで減っている。飲食店が存続出来る程度には生き残らせて欲しい。抵抗しているのがベルリンだけになったため、ヨーロッパ中から死者の軍勢が集まりつつある。冥界からの補充もあるので総勢何百万になるか推定不能だが、頑張ってくれたまえ」

 神楽は思案するように腕を組み、目を細める。ポル=ルポラ星人達は嬉しそうにしていた。圧倒的火力を持つ宇宙戦艦は失われたが、彼らは敵が強大であるほど燃えてくるようだ。

「そうですね……。どちらにせよ敵は倒さねばなりませんし、協力しましょう。その代わり列車がこちらにワープして、ガイドウェイに復帰する際には手伝って下さいね」

「いいだろう。ベルリン市内のガイドウェイは既に破壊されているが、二百三十キロ先からはまだ無事だ。事が終わればそこに復帰出来るよう取り計らう」

「それから、この施設には多くの素材が保管されているようですね。使えそうなものを幾つか頂いてもいいですか」

 博士は顔をしかめたが、また首の傾きを往復させた後で渋々頷いた。

「いいだろう。私の素材を未来の素材が使い、死んだ後に改めて回収される。それもまた、素材の道かも知れないな。第十一層から第四十二層までが素材保管庫だ。直接見て回ってもいいし、素材リストもある」

 博士がコンピュータを操作すると素材リストがプリントアウトされていく。小さな字でナンバーと素材の種類、回収年月日と場所が記されていた。リストは膨大で、何十枚になるか分からない。

 神楽がプリントを睨んでいると、教皇がポツリと呟いた。

「やはり、バチカンは……イタリアごと、全滅していましたか……」

「バチカン市国か。確かに全滅したが、回収した素材もあったな。まだ作りかけの」

 博士がロギに命じる。

「ロギ、教皇を第二制作室に案内してあげなさい。四番テーブルの人間タイプだ。猊下が希望するならある程度の注文に応じよう」

「畏まりました。どうーぞ、こちらへ」

 ロギが教皇を連れて出ていこうとすると「ヘイヘーイ」と船長の声がかかった。さっきから勝手に研究室内をぶらついて素材を見物していたのだ。

「これって、あれじゃねえかい。イドの使ってた奴。アチッチッ、あれっ持てねえわ」

 瓶詰めの棚を回り込んで一行は船長の方を見る。壁際に武器棚があり剣や戦槌が立てかけられていた。その端に、刀身が半ばで折れた両刃の剣があった。

「それは……」

 教皇が慌てて駆け寄り、折れた剣の柄に触れる。彼も死者ではあるが触れても苦痛を受けることはない。彫金された茨の模様。細かな傷の多い刃は教皇の放つ光を反射して鈍く輝いていた。

「ああ、インドで回収した聖剣エーリヤの一部だ。ハンガーマンガーズだけでなく死者や悪属性にも特攻だから、使える者がいるなら役に立つだろう。素材は持ち味を最大限生かせるように構成すべきだ」

 博士が椅子から動かぬまま説明した。

 教皇は法衣らしき輪郭の懐から、布に包まれた細長いものを出す。布を取り去ると聖剣の先の部分が現れた。

「回収して頂き、ありがとうございました。これはきっと、意味のあることなのでしょう」

 教皇は棚から聖剣の根元部分を外し、先の部分と一緒に改めて布で包む。それからロギに連れられて研究室を出ていった。

「他にもいいのありそうじゃね。これなんかどうよ。仕込み杖だろ」

 船長は緩く湾曲した白木の杖を手に取った。仕込みと分かったのは武器棚に収まっていたことと、握りの近くに細い切れ目が走っていたことによるのだろう。或いは、この武器の持つ魔力を感じ取ったのかも知れない。

 やはり見もせずに博士が指摘する。

「その日本刀は扱いの難しい素材だな。生身に持たせると暴走して見境なく生き物を切り刻んでしまうし、機械に持たせても威力を発揮出来ない。奇妙な、発音しにくい名称だった。ム・グーラ……」

 神楽がその正式名称を口にした。

「妖刀むぐらぬぐらです。これは誰が持っていたものですか。私が知る限りは不渡静磨という二百才近い日本人が使っていて、最後に折れました」

「ふむ。最後にこれを持っていたのはロサンゼルスの骨董屋の主人だ。二〇五四年八月に彼は突然発狂して百三十一人を斬殺した後警官に射殺された。それ以前の由来は私も知らないな」

「そうですか……。私の知る経緯とは違いますが、同じもののようですね」

 博士と神楽がやり取りしている間に、船長は仕込み杖を抜き放っていた。軽く反りのある日本刀だが、その刃は切っ先まで全て赤に染まっていた。生き物を斬って暫く経つだろうに、ぬめるような、まだ犠牲者の血で湿っていそうな表面は、ゆっくりと濃淡が蠢いて見えた。

 不吉で陰惨な気配が空気を汚染していくことに皆気づいた。ポル=ルポラ首長ルーラ・ポポポル・ポルールの自慢の白いたてがみが、ビリビリと逆立っている。星人達は無言で銃を構え直した。

「どうですか、キャプテン・フォーハンド。その刀を使いこなせそうですか。無理なら私が使いますが」

 神楽がわざわざ船長の名を呼んだのは我に返らせる意図もあったのだろう。船長は血塗られたような刀を掲げ、一心に見入っていた。眼窩の青い炎が赤く変わり、大きく揺れていた。

「これが……これがあれば怖いモンなんかねえ……これがありゃ、サンドラを……あ、ひょえっ、何でもないです、何でも……」

 炎がすぐ青に戻ってしぼみ、船長は夢から醒めたように何度も首を振った。

「まあ、大丈夫そうですね。しかしむぐらぬぐらがあるということは、もしかすると、あれもあるかも知れませんね」

 神楽はプリントをめくりながら考え込んだ。

 

 

 第二制作室は同じ階にあった。ロギに案内され入室し、四つの手術台のうち一つに横たわるものを見て、教皇ウァレンティヌス二世は呻き声を洩らし顔を手で覆った。

「おお……なんという……なんという……」

 教皇は言葉を続けることが出来ない。彼がそれを正視出来なかったのは、回収された死体がバチカンの若き聖騎士候補者達であったためと、博士の所業のおぞましさ故だった。

「素晴らしき博士の御業はー、まだLF蘇生液も注入されーておらず、未完成でございます」

 ロギが高いしわがれ声で博士を称賛する。

 教皇は顔を覆う手を握り拳に変え、ゆっくりと下ろした。その霊体から発せられる光が台の上の死体を照らす。

 候補者達のパーツが繋ぎ合わされ、異形の大男となった死体を。

「デイビッド。エドワード。パオロ。ケイオス。サラ。タダナリ。ベルナルド。まさか……。ビョルン。ジョルト。ヨアヒム。ニコライ。ゲートの確認のため世界各地に飛んでいた者達まで。アルリク。全員。聖騎士候補者達が、十二人、全員……」

「偉大なーる博士が、テーマに沿って全員揃えよと命じられましたので。食べられた素材、焼けて灰になった素材もありましたが、ロギは頑張りましーた」

 ロギは自慢げに胸を張る。

 重さ二百キロの大剣を振り回せる骨格と筋肉に、常人の十倍の速度で動ける筋肉が重ね張りされている。鋼の硬度を持つ皮膚。岩に綺麗な穴を穿つ指。危険を察知出来る脳と未来予知する脳、超高速思考する脳が一部ずつ、大きな人工頭蓋に収められていた。紫外線と赤外線も見極める眼球。邪悪な心の声を聞き取ると称えられた耳。疲れを知らぬ肺と心臓。心臓は三つある。腕は四本、平らな金属製の顔面に眼球は六個。まだ筋肉と皮膚の縫合は中途半端な状態で、赤黒い死肉が露出していた。

 聖騎士候補者達それぞれの優れていた部分をより合わせ、ツギハギした死体であった。正聖騎士であったマイケル・ティムカンが含まれていないのは、死体を回収出来なかったのか。いや、聖騎士候補というテーマには合わなかったということなのだろう。

「ひどいことを……こんな……ひどいことを……」

 教皇はそれぞれのパーツの持ち主を把握出来ていた。彼が涙を流せる存在であればそうしていただろうが、霊体の今は、輝きの中に輪郭を浮かび上がらせるだけだ。

「いいえ、猊下。責は我々にあります」

 声がした。「おや」とロギが室内を見回している。

「我々が未熟であり、力が足りなかったというだけのことです」

 若い男の声だった。何処から聞こえているのかは分からないまま室内に響いた。

「デイビッド……」

 教皇は彼の名を呼んだ。今度は別の男の声がした。

「猊下、私達のためにお嘆き下さいますな。ただ、虐殺された無辜の民のためにお嘆き下さいますよう」

「ベルナルド」

 若い女の声がした。

「ただ、私達は無念なのです。何も出来ず、人々を守れず敗れ去ったことが」

「サラ」

 また別の男の声が。

「世界を守れず、国を守れず、バチカン本部さえ守れず、誰一人、救うことも出来ませんでした。そのことが恥ずかしく、悲しく、ただ、ただ、申し訳なく、悔やむばかりなのです」

「パオロ」

「我々の罪です。我々は取り返しのつかない罪を犯しました」

「エドワード」

「私はうぬぼれていました。ギフトも努力も私が一番だと。本当に聖剣を持つ資格があるのは自分だけだと。聖騎士の本来の役目の重さより、そんな醜い自負心に囚われていたのです」

「ジョルト」

「僕も同じです。主に頂いたギフトが何のためのものなのか、それを第一に考えるべきでした。努力はしているつもりでした。でも、世界を救うためならその千倍は努力すべきでした」

「ビョルン」

「力を与えられながら誰一人救えず、悔やむだけの醜き残骸。これが私達です」

「ケイオス。ヨアヒム」

「申し訳ありません、僕だけ。列車で移動中に寝ていたら、いつの間にか死んでまして」

「タダナリ……君は子供の頃からそういうところがあったね……」

「ただ、無念です。もし、時を巻き戻せるのなら、もっとうまく、力を尽くして……」

「アルリク」

「そこまでは望みません。ただ、もう一度立ち上がり、剣を握れるのなら。今一度、人類を守るための機会を得られるのなら、我々は、何を捧げてもいいのです」

「ニコライ。いや、聖騎士候補者の皆よ」

 教皇ウァレンティヌス二世は、無念の魂達の宿るツギハギの死体に告げた。

「聖剣エーリヤはここにあります」

 包みを取ると、二つに折れた聖剣はいつの間にか繋がって元通りに修復されていた。鈍い輝き放つ刃に、十二の魂は感嘆の声を洩らした。

「数多の人々が殺され、世界の人口は激減しましたが、それでもまだ人類は滅んではいません。生き残った人々を守るために、戦う者が必要です。その意志があるのなら、この剣を手に取りなさい」

 光量を増した教皇が、輝く剣を死体に差し出した。

 死体の四本の腕がゆっくりと動き、恭しく、包み込むようにして聖剣を受け取った。

「不具合です。博士、不具合が起きーております。死体が勝手に動いております」

 ロギが片手で頭巾の耳辺りを押さえ、別室の博士に通信報告を試みる。

「はあ、問題ない、ですか。死後に奇跡を起こすのが聖人……畏まりましーた。博士の仰せのまーまに」

「しかし残念だ。霊体でなければ聖人の素材として使えたのに」

 研究室でフルケンシュタイン博士は呟いていた。

 

 

 ロシア領で待機していた列車も、博士の設置した黒いワープゾーンを通って研究所の地下倉庫に移動していた。即席で敷かれた金属板が二十二両編成となったリニアモーター列車を支えている。

 同じ倉庫内に幽霊船が浮かび、巨大ロボが横たえられている。トーマス・ナゼル・ハタハタはアンギュリードの溶接機でハタナハターナの断面を修繕しながら、技術者と議論していた。

「うるさいな。元の状態がご先祖達の理想形だったんだから、まずは元通りに直すのが僕の義務だ」

「だが時間がないでしょう。ポル=ルポラの反重力推進装置を取りつければ、自由自在に空を飛んで戦えるロボットになります」

「でもそれは電子制御だろう。ハタナハターナはからくり仕掛けにこだわってるんだ。許されるのはバッテリーとモーターまで、それ以上は駄目だ」

「なら大型のキャタピラをつけるのはどうですか。ここの素材を使えば二時間で動かせるようになりますよ」

「うーん。でもキャタピラの制御は……」

 トーマスは考え込んだ。

 列車から降りた乗客達はカナダ首相の護衛であるハレルソンからパワードスーツと銃器の扱いについてのレクチャーを受けていた。ビューティフル・ダストに貰った、コンピュータが汚染されていない最新式だ。

「あの……俺達も、戦わなきゃいけないのか」

 乗客の一人が恐る恐る尋ねた。政治家でもVIPでもない、そこそこの金持ちで運良くチケットを買えただけの中年男性だった。

「なんか敵がメチャクチャに多くて、猫の手も借りたいレベルらしいですよ」

 元傭兵で強化人間のハレルソンは肩を竦めながら答えた。

「で、でも俺は兵士の経験もないし……未経験者なんて役に立たない、よな……」

「コンピュータのサポートがあるので割と大丈夫ですよ。脳波を読み取って動作をアシストしてくれますし、照準補正もつきます」

「で……でも、それって人が入らなくても、コンピュータだけで動かせるんだよな。ビューティフル・ダストはそうしてたし。俺なんかが入っても、慣れてないからすぐ弾を撃ち尽くして、役立たずになると……」

「臨機応変な判断はやはり人の方が優れていますからね。昔と違って軍用の小銃はマガジン一個に二百発以上入ってますし、このスーツは最新式でマガジンの交換も自動でやってくれるらしいです」

「そんな、でも……俺は、戦うために、列車に乗った訳じゃ……なんでこんなことに……」

「僕らもそうですけどね。人類が滅亡するかどうかの瀬戸際だから仕方なくやってるだけで。まあ、参加するかしないかは皆さんの勝手ですよ」

 ハレルソンはお気楽な態度で相手を突き放した。

「ああ、私の体型でも、ちゃんと装着出来た」

 安堵の息をつくのはカナダ首相のティモシー・ハートだった。パワードスーツの開いた胴部から肥満体を押し込み、頭部以外は装甲がきちんと閉じた状態だ。彼は乗客達に向き直り、気弱な表情のまま自身の決意を告げた。

「私はバンクーバーで何も出来なかった。首相なのに自分の国を守れず、もしかすると生き残っているカナダ国民は、今保護している男の子一人だけかも知れない。でも……いや、だからこそ、かな。私は、ピート君の前で、恥ずかしくない行動を取りたい。私は軍隊経験もないし、実はこれまで殴り合いの喧嘩をしたこともないのだけれど、少なくとも、勇気だけは見せられるかも知れないと、思ってるんだ」

 言い終えるとカナダ首相は微笑して、頭部の装甲も閉じた。

「私の現役時代の装備とは随分と違うな。だが、うむ、悪くない」

 カナダ首相の隣ではイギリス首相のセドリック・アイアンサイドが満足げに頷いていた。

「元パイロットとしては戦闘機に乗りたかったが、この状況では贅沢というものだな。この死に損ないの老骨に活躍の機会をくれたこと、感謝するぞ」

 他のVIP達も感心したり嫌そうにしたりではあったがパワードスーツに触れていた。

「これがレジネラル製の最新式か。祖国にもこんな高性能の兵器があれば……いや、なくて良かった。どうせ民衆弾圧に使われるだけだしな」

 中国国家主席の影武者が護衛達と苦笑している。

「あなた、絶対に生きて帰ってきてね」

「ああ、全力を尽くすよ。君を未亡人にする訳にはいかないからね」

 グリーンランド自治政府首相は妻とイチャイチャしていた。その横でアイスランド大統領が「それフラグじゃないかな」と突っ込んだ。

「あー、君らは結婚して三十年近く経つからフラグじゃあないか。私も何か逆向きのフラグを立てておいた方がいいのかな。この戦いが終わったら結婚するんだ、とか。恋人もいないのだけどね。ハハハ……」

 アイスランド大統領は寂しげに呟いた。

 同じ倉庫内のかなり隅の方で、イドとシアーシャは異常な物体を前に首をかしげていた。

「これは何だ」

 イドが神楽に尋ねる。

「ククリナイフです。ネパールのグルカ族などを中心に使われている刃物で、グルカナイフとも呼ばれます。イドさんの新しい武器にどうかと思いましてね」

 説明する神楽は妙に嬉しそうな顔をしていた。

「これは、実際に使えるのか」

 イドが疑問を呈したのは、床に横たえられたそのククリナイフの全長が、二十メートルを優に超えているためだった。

 柄の部分は一メートルほどの長さがあり、人が握れる程度の太さだった。しかし、刃渡りが二十五メートルに及ぶこの巨大ククリを誰が扱えるというのか。物を断ち切りやすいように重心が前の方にあり、エッジは鎌のように緩く湾曲しているが、刃先は鎌よりも膨らんでいる。刃の厚みは薄いところで二十センチほど、先の方になるとその倍はあった。本来の全長四、五十センチのククリナイフをそのまま拡大したよりは細長く、刃も薄いが、重量は武器というものの限度を遥かに超えていた。

 神楽が言った。

「回収した時に重さを量ったら五十九トンあったそうです。私はこれを使っていた人を知っています。小柄で痩せた老人で、腕も骨と皮ばかりに細かったですよ。しかし、この巨大ククリを軽々と振り回して敵を殺しまくっていました」

 実際にどれだけのものを殺してきたのだろう。巨大ククリの刀身には無数の小さな傷が残り、そこに染み込んだ古い血がうっすらと錆を作っていた。

「それは、その人が物凄く力持ちだったんじゃない」

 シアーシャが可愛らしいジト目をして突っ込む。

「勿論、それもあると思いますよ。しかし、もっと重要なことがあります。使い手の意志です。或いは、説得力と言ってもいいかも知れませんね」

「意志か。意志が強ければ使えるのか」

 イドは無表情に尋ねる。

「精神力とは少し違います。自分は強者であり、この程度の武器は使えて当然だと、欠片の疑念もなく信じ込み、世界に主張するのです。その説得力で世界に押し勝てば、この程度の武器は自在に振り回せるようになります」

「そんなものなのか」

「そんなものです」

 シアーシャは何か言いたげながら黙って見守っていた。

 それから神楽は付け足した。

「そうですね……。イドさん、あなたが世界を救いたいとか、生きている人々を守りたいと思っているのなら、この巨大ククリナイフは必要です。今、あの世から送り込まれた数万とも数十万とも知れぬ軍勢が、人類を皆殺しにするために押し寄せています。あなたは覚えていないでしょうが、既に巨大なドラゴンとも戦いましたし、暗い深海で触手の神も相手にしました。大地を覆う肉塊を一息で吸い尽くすような化け物とも殺し合いました。……さて、この程度の武器、あなたには使えないと思いますか」

 イドは少し考えて、シアーシャを振り返る。次に、パワードスーツを取り囲んでいる乗客達を見やる。

「皆を守りたいな」

 彼はポツリと、そう言った。

「なら使って下さい」

 神楽は巨大ククリを指差して、気軽に告げる。

 イドは巨大ククリに歩み寄り、身を屈めて両手で長い柄を握った。

 ミチッ、と身体の何処かで音が鳴ったが、全長二十六メートルの鉄の塊は、ゆっくりと持ち上がっていった。

「意外に軽いな」

 やはり無表情にイドは言った。

 

 

第六章 七〜十へ戻る タイトルへ戻る 第七章 二へ進む