二

 

 人口八百万、ヨーロッパ有数の大都市であったベルリンも、今は四十分の一程度まで人が減ってしまっている。

 それはほぼそのまま、全ヨーロッパにおける人類の総生存者数でもあった。

 核やBC兵器によるテロを経験し、ベルリンにも多くの地下シェルターが作られていたが、ビューティフル・ダストのせいで入り口の扉は開かず、避難に押し寄せた人々は防犯タレットによって大部分が射殺された。だから今生き残っているのは、警備ロボットもおらず比較的電子制御レベルの低い中規模までの建物で、少人数でひっそりと隠れている者が殆どだった。

 ズゥーン、ズゥーン、と重い地響きが断続的に伝わってくる。人々のごく一部は、時折カーテンの隙間から外を覗き、何が起きているのか確認しようとする。

 ベルリンの美しい街並みも既に半壊し、地上八百四十メートルのベルリンタワーは半ばから上が消失していた。七度の修復を経た国会議事堂のガラスドームも内部から爆発したように外向きにひしゃげている。人を殺すために通りを徘徊していたロボットも自動車も既に動いておらず、ただ不気味な集団が同じ方向へ駆けていく。ゾロゾロ、ゾロゾロと。一見人間のようだが不揃いの武装をして、異形の怪物も交じっていたので敢えて呼びかける人はいなかったし、間違って助けを求めた者はすぐ殺された。

 時折建物群の上に黒く巨大なものがはみ出して見える。巨大な腕のような何か。それに不気味な集団が蟻みたいにへばりついていたり銃や弓矢で攻撃したりしていた。地響きは、巨大な腕が建物や地面に叩きつけられる音だった。

 昨夜からずっと、続々追加される不気味な集団と黒く巨大な何かは戦っていた。

 丸一日以上前に放送されたセイン大統領の宣言により、不気味な集団が冥界から送られた死者の軍勢だということを人々は薄々理解していた。しかし、その死者と戦う巨大な怪物は何なのか。もしかしたら人類の味方であるのかも知れないと、人々は希望を込めて見守っていたのだ。

 だが地響きの頻度は以前より少なくなり、巨大な怪物の動きが鈍っている様子だった。体が小さくなったのか、建物からはみ出して見えることも減った。死者の軍勢はまだ増援を続けており、どうやら状況はジリ貧で悪化しつつあるようだ。

 生き残った人々の顔が不安と絶望に染まりつつあった午前九時。空に黒い点が出現した。

 点は次第に広がって丸となり、いや、立体の円錐に近い形に成長した。尖った部分を上に、丸い底面を下に向け、その直径が五十メートルを超えた頃、黒い底面をヌルリと破って船が降りてきた。

 古い木造の帆船はそのまま落下するかと思われたが緩やかに空中で静止した。甲板に幾つも見える人影は、目の良い者であれば人外であることに気づいただろう。

 朽ちかけたマストには二枚の旗が翻っていた。二本の斧が交差した上に白い女性の顔が描かれた豪華な旗と、差し上げられた四本の剣と白い髑髏が描かれた旗。後者の方が一回り小さくややボロかった。

「あ、あー、テステス。ハローハロー。聞こえてますかー、皆さーん」

 海賊帽をかぶった骸骨が携帯情報端末らしきガジェットを口に近づけると、発した気楽な台詞は拡声されて街に響き渡った。

「聞こえてるならオーケーだ。では開戦の合図を。……死人はあの世に帰りなっ。俺様達以外はなあっ」

 続いてカハッカッカッと歯を打ち鳴らす笑い声は、派手な砲声に掻き消された。

 

 

 舷側砲で派手な音を立てたのは古い火薬式大砲だったが、実際の破壊力はポル=ルポラ製のエネルギー砲が万倍高かった。幅十メートル程度に収束させた黄色の破壊光線が、地上に溢れ返る死者達をあっさり蒸発させていく。バッテリー消費の問題で薙ぎ払うようには使えず断続的ではあるが、熟練のポル=ルポラ骸骨兵が敵の密集地点を狙って砲塔を操作していた。

 戦闘開始から十秒で二千ほどの死者が消滅した。だが素早く砲弾や光線を避けた者、超高熱に耐えきった強者も一部おり、そしてまだ数十万の軍勢が残っていた。

 元々死んでいるので死を恐れる様子もなく、死者達は襲撃者を見上げる。海賊船且つ幽霊船ブラディー・サンディー号は地上二百メートル程度の高度を漂い、そこに攻撃を届かせられる者は少ない。と、太い腕の死者が銛を投げつけた。常に血を絡ませた銛は一直線に飛び、船体に当たる手前でカキンと弾かれた。ポル=ルポラの戦艦から回収した障壁発生装置が、船を球形に包み外部からの攻撃を遮断していた。

 舌打ちする死者達に黒い大質量が振り下ろされる。『黒い沢山の腕二十六号』は消耗してかなり縮んだものの、まだ命令を全うしようとしていた。数十体の死者が潰れて地面と一体化し、しかし二割ほどはビチビチと死肉を蠢かせ元の形に戻ろうとする。

 そこにまた上空から光線が襲い、回復途中の死者を地面ごと溶かし去った。

「物理障壁だっ、魔術が使える奴は……」

 ビルの屋上で指揮官の一人が怒鳴るが、言い終える前に細い光線に首から上を消し飛ばされた。

「この年になって生身の戦闘を楽しめるとはな」

 光線銃で次の標的を狙いながら、ポル=ルポラ首長ルーラ・ポポポル・ポルールが満足げにポルポルと喉を鳴らした。

「折角なので白兵戦も味わいたいですが、銃のエネルギー切れまでは大人しくしておきますか」

 元ポネルータン号艦長トゥットラ・ルタールも隣でそんなことを言っていた。

 幽霊船は『黒い沢山の腕二十六号』を支援するようにその上空をゆっくり周りながら砲弾と光線を飛ばす。死者達には一時退却とかいう考えはないようで、黒い巨体に殺到しつつ、遠距離攻撃可能な者は船を墜とそうと試みていた。球形の障壁が時折光って効果が発揮されたことを示す。携帯用のバッテリーなのでいずれは障壁も持たなくなるだろう。

 フワリと空中に浮かび上がる影が一つ。魔術師らしいローブ姿で杖を持つ死者だった。長い髭を生やしているので男だと分かるが、頭部の上半分は切り取られた状態で、大きな水晶玉が嵌まっていた。

 呪文を唱えるように口元が動き、杖の先端に炎が出現する。蛇のようにグネグネと伸びながらみるみる太くなり、幽霊船に向かっていく。

「ほう、あれが魔術か」

 ポル=ルポラ星人達が発砲するが、光線は途中で軌道を歪められてローブの男には届かなかった。防御のための結界を張っているようだ。舷側砲の太い光線も曲げられて近くのビルを蒸発させるだけだ。

 白い斧が一直線に飛んだ。ウゥーンと高い唸りを発する高速回転で巨大な炎の蛇を引き裂き、その先にいたローブの男もあっさり爆散させる。

「うおおーっ、やっぱ俺様のサンドラは最強だなっ。美しくて愛らしくて最強でサンディーはキュートで最強で美しくて凄く優しいんだっ。や、優しいぞー。だから、その斧は僕には投げないで下さいね」

 最後の辺りの台詞は妙に弱気になっていたが、キャプテン・フォーハンドの誉め言葉に、白い船首像のサンドラはゴリゴリ、と重い音を立てて陰惨な笑顔を浮かべてみせた。

 

 

「急げ、急げ、なんか面白え敵がいるぞ。幽霊船が空からビーム撃ってやがる」

 死者達が喜び勇んで騒ぎの中心へと駆けていく。剣、槍、巨大な熊手、腕に生えた触手、様々な武器を携えて。

 その流れに逆行して黒い影が駆ける。ビルの屋上から屋上へ、ベランダからベランダへと素早く跳躍を繰り返す。音を立てず気配を消しているため気づく者は少なく、気づいても顔色が悪く不吉な空気をまとっていたため仲間と勘違いされていた。

 額に第三の目がある男が親切にも振り返って声をかけた。

「おい、そっちじゃないぞ。敵はあっちだ」

 神楽鏡影は呼びかけを無視して去っていく。

「おい、ちゃんと参加しないと罰を食らわろろろろ……」

 三つ目の男は口からドロドロの液体を吐いて蹲った。他の死者達は「何やってんだ」と笑いながら通り過ぎていく。

 腐っていく三つ目の男から白い煙のようなものが離れ、神楽に追いついて袖の中に戻った。

「死人相手にやはり腐れ風神は効率が悪いな。指喰いメインになるか」

 建物の上を駆けながら神楽は小さく呟いた。

 死者達の流れを見る。ベルリンの外からも集まってきてはいるが、それよりもハイペースで補充されている。ベルリン内部に冥界との通路がある筈だった。

 そのうち、一際大きなビルの正面玄関から死者が溢れ出しているのが見える。屋上に巨大な台座だけある駅ビル……ガイドウェイは既に崩壊しているが、ラウンド・ザ・ワールド・レイルロードのベルリン駅のビルディングだった。アドルフ・ヒトラーの没後一世紀半が過ぎそろそろ再評価すべく銅像を建てようという勢力と、全力で阻止しようとする勢力のせめぎ合いにより結局台座だけで終わってしまったいわくつきのビルだ。神楽は跳躍し、一時的に背中に羽根も生やして二階の窓へ飛び込んだ。

 エントランスホールに死者の列が流れている。まとめ役らしき一人が「出たらでかい敵がいるからすぐ分かる。黒くてでかい奴だ」と指示を飛ばしている。機能停止しているエスカレーターを彼らは地下階から上ってきていた。

 神楽は端の階段から下りていき、一階、更に地下へと下りる。飲食店街であったがとっくに荒らされており腐った死体の一部や警備ロボットの残骸が転がっていた。

 非常用電源で照明だけは点いている。地下二階への階段もあったが、飲食店の一つから死者達が出てくるのを認めそちらに歩み寄った。

「おっ、帰るのか。もう昼間みたいだしな」

 出てくる死者が神楽にそんなことを言った。

 店はマクドナルドだった。死者達とすれ違い中に入ると、店内はテーブルや椅子が端に押しやられ、中央部に灰色の霧が漂っていた。そこに人影が浮かび、明確な形を持ってこちら側に出てくる。

「貴様っ勝手に帰るつもりかっ、許さんぞ」

 霧に両掌を向けて立っていた黒衣の男が神楽を見て怒鳴りつけた。大きな目はただの闇で、掌から灰色の糸のようなものが伸びて霧と繋がっていた。

「今は冥王様から全力特攻命令が出ておるのだ。逆らえば磨り潰されるぞ。貴様ら雑魚の魂なぞ石ころほどの価値もないのだ」

「なるほど。通路を作れる者がいたのですね。当然といえば当然か」

 感心している神楽に黒衣の男は首をかしげる。

「ぬっ、貴様は別の通路から来たのか。だが冥王様の命令は絶対だぞ。早く出撃……」

 スコンと男の首が胴体から離れて落ちた。

 神楽は両手にそれぞれ黒い刃を握っていた。刃渡りは右手のものが一メートル、左手のものが六十センチほどだった。刃は厚めだが幅が狭く、神楽のスイングで少ししなって揺れていたが恐ろしい強靭さと鋭利さを備えていた。

 研究所にあったハンガマンガの王・グラトニーの爪を加工したものだった。使いやすい長さに切断するのにもかなりの手間を要し、握りの部分は最小限のヤスリ掛けをした後で布を巻いていた。愛用の剣が二本共駄目になったため用意したもの。神楽の剣を断ち切ったのがそのグラトニーの爪というのが皮肉ではあった。

「き、貴様、どう……」

 男の生首がまだ喋っているので神楽は爪を振って念入りにみじん切りにした。更に灰色の霧に向かって何度か振ると、爪の触れていない先まで裂けていく。こちら側に形を現しかけていた死者もあっけなく真っ二つにされ倒れた。霧が晴れたのを見て神楽は頷く。

「お、おい、お前、味方じゃねえのかよ」

 店の出口付近にいた死者達が呆れて見ていた。

「地獄の亡者に味方などいるかよ」

 珍しく丁寧語をかなぐり捨て、神楽は牙のような犬歯を剥き出して獰猛な笑みを浮かべた。身構える死者達へ突進し両手の爪で切り払う。サクサクと輪切りの山を作りながら神楽は駆けていく。

「神聖武器の類は使えないからな……」

 置き去りにした輪切り肉の一部がビチビチと盛り上がっていくのを認め、神楽は呟いた。

 駆ける。駆ける。死者の行列を殲滅しながら追い越していく。慌てて銃を向けてきた死者の指が残らず切断されて消える。キラキラした何かが神楽の周りを素早く巡っている。使い魔の片割れである『指喰い』は、指に対する異常な執着があるものの概ね神楽の指示通りに働いていた。

 

 

 ベルリンの別の場所では、同じことを力押しで試みる者達がいた。

 駆けながら武器を振る。荒々しい斬撃が二十人ほどをまとめて真っ二つにし、そのまま暴風に巻き込んだように吹っ飛ばしていく。刃を返して逆向きにまた切り払う。最初の斬撃を跳んで躱した数人が肉塊となって散っていった。

 大通りを押し寄せてくる死者の群れに、無表情に踏み込んでいき勢い良くぶった切る。接近戦は不利と見て素早く散開する手練れもいれば、逆に面白そうに寄ってくる猛者もいる。

「おいおい何だよその武器は……」

 全長二十六メートルの巨大ククリナイフはグワヂャッ、とその猛者の金棒ごと肉体を爆散させた。ついでに死者七人、動かなくなった自動車三台、街路樹一本を横薙ぎに叩き切っていった。刃が通り過ぎたタイミングを狙って数人の死者が飛びかかる。だが巨大ククリは勢い余って建物の壁を浅く切り裂いた後で反転せず水平に一周し、襲撃者の刃が届く前に輪切りにした。

 イドは更に何度かスピンして後方から追いかけてきた敵も薙ぎ払った後、うまく制動をかけて再び前へ走り出す。死者達が押し寄せる根源、冥界との通路を求めて。

 その背を百メートル以上離れた場所から死者が狙撃する。鉛ではなく殺意を固めた超常の弾丸はしかし、イドから二メートルほどの場所で見えない壁に弾かれた。

「チッ、魔術師かよ」

 狙撃手が舌打ちする。

 イドに背負われた少女が両掌を斜め上に向けていた。シアーシャはイドを守るため、見えない障壁を維持していたのだ。イドの動きを阻害しないように背負子を使い、背中合わせになって体を結わえつけている。古ぼけたトランクは少女の尻の下にあった。

 そうしてただ二人だけで、死者の群れの真っただ中にイドとシアーシャは飛び込んだのだ。

 フルケンシュタイン博士が操る万能カメラでも冥界への通路の正確な特定は困難だった。おそらくは建物内か地下、だが不定期に位置が変わっている可能性があるという。死者の軍勢も無尽蔵ではないだろうが、人数的に圧倒的不利な現状では、敵の補充ペースを遅らせる必要があった。

 五十九トンの巨大ククリはさすがに軽々と振り回せる訳ではない。しかしイドは戦いの中で扱いに習熟しつつあった。全身を使って軌道を調整し、薙ぎ払いでは体ごと一回転させれば勢いを殺さずに再利用可能で、反転させるには一瞬寝かせた刃を地面などにぶつけてその反動を使う。異常なリーチと重量は敵の力も技も関係なしにぶっ飛ばしていった。

 肉塊の海を二人は進む。銃や弓矢を使う死者が遠巻きに追ってくるようになり、シアーシャの見えない障壁が断続的に軋みを上げる。

「シアーシャ、大丈夫か」

 ククリを振りながらイドが尋ねる。

「うん。この調子なら後二十分くらいは持つと思う」

 背中のシアーシャが答えると少しして、上空の幽霊船から発射された破壊光線が狙撃者達を焼き尽くした。

「ありがと。まだまだ持ちそう」

 シアーシャは通信機を通して幽霊船のメンバーに礼を言った。

 敵のやってくる流れに逆らい交差点を右に曲がる。その先、灰色の霧が見えた。幅十数メートル、ゆっくりと漂い移動しているようだ。術者らしき者は近くにいないが、或いは冥界側から制御しているのかも知れない。

「あれをどうにかすればいいのか」

 イドが尋ねる。

「うん。斬ってみて。でもあの中に入らないようにね。向こう側に行っちゃうかも知れないから」

 背中のシアーシャが答え、イドが巨大ククリを水平に振りかぶったところで上から風鳴りが襲った。イドは横へ跳んで躱しつつ、回避先を読んだように放たれていた極細の針をククリで弾いた。

 ククリの間合い外でビルの上から二人の男が飛び降りる。長身痩躯の男と背の低い太った男。

「猛将タイプかと思ったが、意外に油断ないな」

 長身の男が言った。ボロボロの衣服をまとい、体毛が濃い。両腕は長く、指に生えた鉤爪は三十センチほどの長さがあり刃物のように鋭かった。素足の指にも短いが鉤爪が生えている。鼻口はやや突き出しており、口を開けると牙が並んでいた。血に飢えた緋色の瞳がイドを見据えている。

「剣士と魔術師のコンビか。他の奴らは手を出すなよ。俺達だけでやる」

 背の低い男がくぐもった声で告げた。東洋風の着物に草履履きで、肌は暗い緑色だ。頬が大きく膨らみ、常に何かを咀嚼しているように顎を動かしていた。

「将軍でもないのに仕切るつもりかよ。獲物は早い者勝ちだろ」

 イドの斜め後ろにいた死者が文句を言う。と、背の低い男が口をすぼめると何かが死者の顔に飛んだ。

「いてっ、てめめめめめ」

 突き刺さったのは毒塗りの含み針だった。その男は顔を押さえた姿勢からガクガクと全身を震わせ、皮膚が紫色に染まっていく。死者にも効く毒とはどのようなものか。

 自分以外への攻撃動作という隙をイドは見逃さなかった。針が標的に刺さったのを確かめもせずに踏み込んでククリを横殴りに振るう。毒針の男は下がりながら濁った瞳がイドの足元を見て失望の色を浮かべた。見えないくらい細い毒針を地面に何本も立てていたのだが、イドのブーツが踏む前にシアーシャの障壁によって全て倒されていたのだ。

 男の逃げるスピードよりククリの刃の方が速い。が、ベジィッ、と割り込んだ鉤爪の男が刃を下から蹴り上げて軌道を逸らした。五十九トンの鉄塊をそうしてのけるには相当な筋力が必要だった筈だ。

 イドは体勢を崩、さずに踏ん張るが、ククリの通り過ぎた後に鉤爪の男が襲いかかった。

「うおぅっ」

 鉤爪の男が驚きの声を上げたのは、咄嗟にイドが跳躍して体をねじ曲げ、強引にククリの軌道を変えて迎撃したためだ。

「針は防ぐから大丈夫っ」

 早口でシアーシャが叫ぶ。飛来する数十本の毒針を気にせず、イドは寝かせた刃を鉤爪の男へ叩きつけた。異常な素早さでそれを躱し、つかず離れずの距離を保つ。

 イドの額に二筋の傷が走っていた。鉤爪の男が躱しざまにやったもの。届かないと思われたが急に腕が倍ほどに伸びたのだ。シアーシャの障壁はイドを隙間なく包んでいる訳ではなかった。

「イド」

「大丈夫だ」

 心配そうなシアーシャに、表情を変えずイドは答える。

 毒針の男はモッチャモッチャと咀嚼動作が大きくなり、手に紫色の塊を吐き出した。ドロドロした毒の玉。もう一つ吐いて、片手に一個ずつ持つ。

「いいか、タイミングを合わせろよ」

「分かっとる」

 イドの周りをグルグルと駆ける鉤爪の男と、投擲体勢になった毒針の男が頷き合う。イドはククリを再び振りかぶったまま動かない。

「よ……しっ」

 イドの斜め後方から飛びかかろうとした鉤爪の男が空中で静止する。見えない力に縫い止められたように。

「ちょ、これはずる……」

 グワヂャッ、とククリの腹を叩きつけられて鉤爪の男は爆散した。

 続いて投げつけられた毒玉二つも何かにぶつかれば破裂して毒霧を撒く仕掛けだったのだろうが、見えない力に包まれて破裂出来ないまま地面に落ちる。

 猛然とイドが突進する。毒針の男は下がりながら百本以上の針を吹き続けるが、全て障壁に弾かれた。もし攻撃せず逃げることだけに専念していれば結果はまた違ったかも知れないが……。

「クソがっ」

 毒針の男は悪態をつきながら跳躍したが、ビルの壁をぶっ叩いて撥ね返った巨大ククリの刃によって股間から脳天まで真っ二つにされた。体の断面からも毒液が散り、それもやはり障壁に阻まれていた。

 二対二の対峙から、十五秒ほどで勝負は決した。

 見物していた死者達が動き出す前に、いや、面白がって拍手する者もいたが、イドはそのまま駆けて灰色の霧を追い、何度もククリを振るって散り散りにした。後方からの銃撃と矢の嵐を横っ飛びに躱す。

「イド、疲れてない」

 背中のシアーシャが尋ねる。

「まだ余裕はある。シアーシャは大丈夫か」

「大丈夫。なら、もう少し敵を減らしておきましょう。その後で、一休みしてお昼ご飯にしようね」

 シアーシャはそう言って優しく微笑んだ。

 

 

 ベルリン内に設置されていた冥界との通路が二つ潰され、死者の補充ペースが低下した。彼らは致命的な損壊を受けても一部は時間が経てば回復して動き回り、また、特異な戦闘力を持つ強者も存在したが、その勢いは少しずつ落ちている。

 『黒い沢山の腕二十六号』はまた少し縮み、動きも鈍くなってきているが、寄ってくる死者達を潰し続けている。

 上空から攻撃を続けている幽霊船では、僅かに弛緩した空気が流れていた。

「ああ、どうも雑魚ばかりで物足りねえな。もっと歯応えのある敵が出てこねえもんかね。この妖刀で切り刻めるくらいの丁度いい敵が」

 キャプテン・フォーハンドが欠伸を噛み殺して愚痴る。適当に撃っていた地球産の自動小銃はあっさり弾切れし、異星人の光線銃は本来の持ち主達が使っていた。

「船長、剣を使う時ってのは船に乗り込まれての白兵戦なんすけどね」

 舵を握る副官が突っ込む。

「白兵戦か。もう少し待つがいい。このペースなら後二時間ほどで障壁が切れるからな。その頃には銃と大砲のエネルギーも尽きておる」

 強そうな敵を狙って単発で的確に倒しながらポル=ルポラ首長ルーラが告げた。

「二時間ねえ。いつになったら終わるのやら」

 船長がそう呟いた時、北東の方角で派手な破壊音と共に何か巨大なものが飛び出すのが見えた。

「うおっ、何だっ」

 甲板にいた者達が揃ってそちらを見る。ビルの屋上を破ってそびえ立つのは白い、グネグネと蠢く、巨大な触手だった。その動きによってビルが崩れていき、触手の全容が露わになる。地上一階部分に漂う灰色の霧から、その触手は生えていた。

「ヘイヘイ、ヘイ……まさか、まさかだよなあ……」

 船長の声は震えていた。

「シー・パスタは死んだ。あのクソッタレな深海で、俺様達が殺したんだ。ほんの一日かそこらで、あの世から戻ってくるこたぁねえだろうが」

 灰色の霧が揺れ、ブリュリ、と触手がもう一本はみ出してきた。周辺にいた死者達も異常事態に動揺しているようだ。その中にひっそり紛れていた神楽鏡影は、渋い顔で見守っているだけだ。いや、実際には使い魔の小さな煌めきが触手の表面を切り裂いていたが、殆どダメージにはなっていなかった。

 白い触手の幅は十数メートル、長さは現れている部分だけでも既に二百メートルを超え、強力な吸盤と同程度の大きさの口がみっしりと並んでいる。

 二本の触手が動くたび、嫌な響き、高周波の音波のようなものがベルリン中に広がっていった。隠れていた生き残りの人達は耳を塞ぎ、死者達も顔をしかめた。「何だ、この不快な感覚は」と星人達も首をかしげている。

 無人のビル内でテーブルにつき、食堂で作ってもらったサンドイッチを食べていたイドが眉をひそめた。

「おかしな音がする」

 シアーシャは水筒からコップに注ぐ手を止め、少し考えてから言った。

「うーん。音とは、ちょっと違うみたい。空間が、悲鳴を上げてる」

「悲鳴なのか」

「うん。空間が破れそう。あ、しっかり噛んで、味わって食べてね。栄養は大事だから。コーヒーは熱いから気をつけてね」

 シアーシャは慌てずいつもの口調で告げ、微笑んでみせた。

 巨大な触手はズルズルと更に伸び、一キロメートル近くになってのたうち回り建物を破壊している。そして高周波の嫌な響きを撒きながら、三本目の触手が現れた時、冥界との通路である灰色の霧が飛び散った。嫌な響きが一際大きくなり、唐突にやむ。

 まだ午前中の晴れ渡った空が暗くなっていく。紫色、暗赤色の入り混じったどす黒い濁り。雲ではない。水に絵の具を溶かすみたいに空が染まっていく。時折赤い稲妻が光り、獣の唸りのような雷鳴が響き渡る。太陽もあっという間に隠れ、数十秒ほどで見える範囲の空、ベルリンの上空が全てそれに変わっていた。

「これはオカルト現象か。誰か分かる者はいるか」

 ルーラ首長が通信機を介して仲間達に尋ねる。

「うーん。多分、カグラおじさんの方が詳しいと思うけど、冥界とこちら側の世界の境界が壊れちゃったみたい」

 シアーシャが砂糖たっぷりのコーヒーを飲みながら答える。

「ということはつまり、どうなる」

「ベルリン一帯は、冥界の一部になっちゃうかな。いつまでもということはないと思うけど。これまでは生きている人の世界で、お日様も照らしてたから死者の人達は弱ってたけど、これからはパワーアップしそう」

「そうか。益々楽しいことになりそうだな」

 首長の声は満足げだった。

「ならそろそろ僕も出ます。最低限ですけど準備が出来ました。不本意ですけど……」

 トーマス・ナゼル・ハタハタの声が割り込んできた。

 

 

 冥界との通路が裂け広がり、もはや通路ではなく完全に繋がり重なってしまった状況を、死者達は肌で感じ取った。ジリジリと責め苛むような陽光が消え、慣れ親しんだ悪意を孕む薄ら寒い大気が満ちていく。微熱のような慢性的な疲労が薄れていき、死者達は快哉を叫んだ。

「この世があの世になったぞ。これで俺達は無敵だぜっ」

 そうイキッていた死者達は、溢れ返る触手の津波にあっけなく押し潰され呑み込まれていった。

 数百本、いやそれ以上かも知れない白い巨大な触手は、グネグネとうねりながら建物の壁に巻きつくとそのままねじり壊し、自動車を押し潰し、吸盤で捕獲した死者をその近くの口がゴリゴリと齧っていく。死者は栄養にならないだろうが、触手の持ち主はそこまで考えていないようだ。ベルリン北東部の建物に隠れていた生き残りの人々は崩れ落ちた天井に潰され、一部は触手に捕らえられ食われた。

 触手の増加と共に無差別破壊の領域はどんどん広がっていく。そんな中、地上十数メートルの空間に黒い円錐が出現し、底面から大型のキャタピラが出現した。それが両側面についた巨体が落下し、地面を低くバウンドする。

「とっとっ、今のでキャタピラが傷んでないですかね」

 トーマス・ナゼル・ハタハタはそんなことを言いながら潜望鏡も使って素早く周囲を確認した。

「大丈夫です。この程度の衝撃で故障するようなものは使ってません」

 アンギュリードの技術者ドッギュールが答える。彼は自身が関わった改造をフォローするために同乗していた。

 全長五十七メートルであった巨大ロボ・ハタナハターナは、腰部分から下が戦車になっていた。まともな大きさではない。前後の長さ十五メートル、幅六メートル、砲塔の取り除かれた丈は二メートル半ほどだった。実戦使用歴はなく、かつて日本の自動車メーカーがその技術力を示すために試作したものらしい。ガンダムが駄目でもガンタンクなら作れると社長が言ったとかどうとか。メーカーの博物館に飾られていたそれは日本列島沈没の際にロギによって回収され、使われる時を待っていたのだ。

「ええっと、触手ですね。メチャクチャ多いんですけど。果てが見えないんですけど」

 視界一杯に溢れのた打つ触手を見て、トーマスは溜め息をつく。その頭を軽くはたき、FBI特別捜査官エリザベス・クランホンが言った。

「敵ばかりで良かったじゃない。フレンドリーファイアの心配がないでしょ」

「そ、そうですね。取り敢えず切り開きます」

 トーマスが戦闘を開始した。ペダルを踏み、感触を確かめながら慎重にレバーを動かす。キャタピラが回転し低速前進しつつ、右腕が斜めに振り下ろされた。近くで蠢いていた触手の一本が三ヶ所で輪切りにされて落ちる。

「うん。問題なく使えますね。というか殆ど抵抗を感じないのがちょっと気持ち悪いです」

 トーマスはそう言いながらも嬉しそうだ。

 ハタナハターナの両拳に、手甲鉤のように或いはアメコミで有名な手から刃を生やすミュータントのように、三本ずつ黒い爪が取りつけられていた。長さは十メートル程度でやや不揃いで、一部は少しねじれ気味だったりするが、その強靭さと鋭利さは超絶的だ。

 ロギはグラトニーの爪の大半を回収していたのだ。神楽の武器は余った切れ端を貰ったものだった。

 トーマスのレバー操作に合わせ、右腕が戻されると同時に左腕の爪が振り下ろされて触手を裂き、次に左腕が戻されながら右腕が振り下ろされる。スパッ、スパッ、と信じられないほどに簡単に触手を切断しながらハタナハターナ・タンクは進んでいく。

「これはいいですね。射程は伸びませんが燃料不要の武器です。省エネで、ローテクなのでハタナハターナのコンセプトに沿っています。あ、録画しておかないと」

 ドッギュールが通信機を窓の外に向ける。ポル=ルポラ星人達に頼まれていたものだ。

 のた打つ触手をキャタピラで踏み越え、っと、滑りそうになって慌ててトーマスはペダルの踏み具合をコントロールし、なんとか体勢を回復させる。

「ふー。ルラコーサさん、大丈夫でしたか」

「おう、大丈夫だ。今の百倍くらい揺らしても問題ないぞ」

 通信機越しに元気な返事が返ってくる。前回はコックピットに同乗していたポル=ルポラ星人のルラコーサは、現在戦車部分の内部に乗り込んでいた。キャタピラの操作権限は持たず、戦車自体に武装はついていないが、敵が死角から接近してきた場合に顔を出して迎撃する役割を買って出てくれたのだ。武器は義手代わりに左腕に繋いだ長銃身の光線銃だ。

「触手の本体は……今探しても無意味みたい。その先は右へ曲がって。そっちが根元に近いから。それに左は死者がゴチャゴチャしてる。スナイパーもいるから今は近づかない方がいいわ」

 左手の指先でこめかみを軽く押さえ、クランホンが指示を出す。

「分かりました」

「では左には私達が向かっても構わないだろうか」

 ハタナハターナに少し遅れて着地した存在から通信が届いた。

「……そうね。今は大丈夫と思うわ。ただ、この機体は小回りが利かないので助けが必要になるかも知れない。一キロ以内の距離にいてくれたらありがたいわね」

 クランホンは多少気を遣った答えを返す。

「分かった、注意しておこう。生きている人々を守るのが我々の役目だからね」

 その声音はさっきの男とは違っていた。

 後方からハタナハターナを追い抜いて駆けていく人影が見える。うっすらと輝くそれは、まだ痙攣している触手をすれ違いざまに寸断していった。目にも留まらぬ剣捌きで、しかもその剣は三振りあった。

「……エリザベスさん、ありがとうございます。こんな僕についてきてくれて」

 タンクを右折させ、触手の海を刻みながらトーマスが背後のクランホンに感謝の言葉を述べる。

「あなたは思慮が浅いし集中力にむらがあって肝心なところでミスをするから、私が見ていないと簡単に死にそうだからね」

 クランホンの答えは容赦なかった。それをドッギュールがじっと見て、「なるほど、これが古き良きツンデレというものですか」と呟いた。

「違う」

「ヒャウッ」

 簡潔な否定と殺意の篭もった視線に、ドッギュールの手足が丸い胴体に半分ほど引っ込んでしまった。それでも通信機を手放さず戦闘の撮影を続けている。

 少し考えてから、「あっ」と声を出してトーマスが振り返った。

「エリザベスさん、もしかして今のはプロポーズですかっ」

「違う」

 右手に脳を破壊する力を込めて殴ろうとして、クランホンはぎりぎりで思い留まった。

 

 

 ハタナハターナ・タンクを離れて異形の騎士は駆ける。身長二メートル三十センチ、体重二百五十キロの巨体だが風のように軽快で素早かった。四本の腕はそれぞれ、鈍い輝きを放つ聖剣エーリヤと、金棒に間違えられそうな分厚い大剣、細くしなるレイピア、そして体の半分を覆えそうな四角の大盾を持つ。装着した防具は金属製の籠手と脛当て、それに胸部と肩を守る胸当て程度で、ズボンは履いているが上腕や腹部の皮膚は露出していた。ただし、防具と同じくその皮膚もうっすらと光に包まれ、縫合痕は見えなくなっている。

 燃えるように逆立った髪は金と黒が混じり合う奇妙なもので、顔は平らな金属製の仮面で隠されている。仮面に開いた六つの目が別々に動いて周囲を警戒していた。

「左のビルの上から銃撃が来ます」「分かってるよ、サラ」「盾で充分防げるな」「でも立ち止まらない方がいい」

 聖騎士は別々の声を発する。仮面に口の穴はないのに声音は篭もっておらず、同時に複数の声が重なることもあった。

 ビルの屋上から顔を出した死者達がライフルと自動小銃を撃ってきた。聖騎士は駆けながら大盾を掲げて防ぐ。と、待ち伏せしていた死人達が物陰から飛びかかってきた。それを三振りの剣であっさり切り倒す。特に聖剣で斬った相手は塵になってみるみる溶け崩れていった。

「雑魚だな」「寄せ集めの死人達だ。強い者が何十万人もいる筈はないよ」「だが油断しない方がいい。今ので目をつけられた」「いやあ、僕達も言ってしまえば寄せ集め状態なんですけど」「ブフッ」「え、今の面白かったか」「後方、上から来ます」

 大質量が飛来する気配に聖騎士は振り返りつつ大剣を叩きつける。猛速の剛剣を、だが敵は空中で身を翻し躱してのけた。

 距離を取って着地したのは黒い毛皮を着た男だった。身長は聖騎士より頭一つ高く、体重は倍以上ありそうだ。熊の頭の剥製を帽子のようにかぶり、そこから繋がった毛皮が肩と背中を覆っている。男の武器は長柄の大斧で、刃は一部欠けていたが数多の敵を屠ってきた不気味な迫力を醸し出していた。

「やるなあ」

 傷痕だらけの顔で男は舌舐めずりした。その右目には深々とレイピアが突き刺さり、先端は後頭部から抜けていた。大剣を躱された時に聖騎士が投げつけたのだ。

「そのまま逃げないで下さいね。レイピアは返してもらいますから」「珍しい格好をしているな。昔の蛮族かな」「あれはベルセルクですね。北欧神話に登場する狂戦士です」「えっ、神話の人物が現代まで生き残っているのか。あ、いや、生きている訳ではないが」「動物の皮をかぶった戦士は普通に実在したみたいですよ。でも千年以上前のことでしょうし。もしかすると、ベルセルクのコスプレをした現代人かも」「プッ、そういうこと言うなよタダナリ」

 声は重なっていたので全てを聞き取れた訳ではないだろう。だが少なくとも笑われたことは理解したようで、男の傷だらけの顔が憤怒に赤く染まっていった。

「このガキが」

 斧を構えて突進してくるところへ逆に聖騎士も前に出た。横殴りに振るってきた大斧を盾で弾くが、男の跳躍と共に斧は異常な軌道を見せてすぐに頭上から襲ってくる。聖騎士は大剣を振り上げ相手の股間を裂こうとする。と、男は素足でその刃に乗った。大剣が鋭利でなかったとはいえ、荒々しい外見に反し相当の技量だった。

 しかしそこまでだ。聖騎士の後頭部へ叩きつけられる斧を、フリーの腕が少し手前の柄を掴んで止めた。そのまま引っ張られ男は空中で体勢を崩す。振り向きざまに切り上げた聖剣が、男の胴を斜めに分断した。

「チッ、楽しむ暇、なかったな……」

 男は地面に激突すると、捨て台詞を呟きながら塵と化していった。

「なかなか強かったですね」「生前の私ならかなり厳しかったと思います」「実質十二対一でしたからね」「気をつけて、また撃ってきますよ」「飛び道具がないのが辛いところだな」「いやこれがある」

 聖騎士は手に残っていた長柄の大斧をぶん投げた。斧はグルグル回りながら猛速で飛び、ビルの屋上から顔を出した銃士達を柵ごと粉砕していった。

 地面に残っていたレイピアを回収し、また聖騎士は話し合う。

「今のうちに出来るだけ敵を殲滅しておくか」「ただ、巨大ロボとあまり離れるのはまずいですよ」「あ、生存者の人がいますね。右のコンビニの地下に三人」「なら保護しないと」「いやでも今は安全な場所に連れていくような余裕はないですよ」「だが人々を守るのが我々の役目で」「ここで敵を倒さねば逆に人々の命が失われるかも知れないんだ」「すみません、研究所の方々でどうにかなりませんか。ワープゾーンを使って避難させられませんか」

 最後の言葉は腰に下げた通信機を介してフルケンシュタイン博士に向けたものだった。

 博士からの返事はなく、「こっちはそんな余裕ねーぞ」という上空の船長のコメントが届く。少しして「ごめんなさい。こっちも戦ってるの」とシアーシャの声が。

 その間にも異形の聖騎士は死者達を迎撃し追撃し塵に変えていった。幽霊船の大砲の音と、巨大ロボの移動するキャタピラの音、そして巨大な触手の群れが建物を押し潰す音が街に響いていた。

 一分ほどして通信機から返答があった。

「よろしい。特別に倉庫の一つを避難場所として生存者のために提供する。その代わり、今後百年間私はマクドナルド無料食べ放題にしてもらおう」

 博士は妙に気が長くケチ臭い条件を口にしていた。

「横から失礼、車掌のミフネです。生存者救出は私達がやりますので」

 別の声が伝えてきた。

「どうもありがとうございました」「これでひとまずは安心ですかね」「意見が割れたらどうしようと思った。考え方の多様性は必要だがこの体は一つだから」「バロムワンみたいに変身が解けてしまったら困りますよねえ」「え、何ですそれ」「分かりにくいですか。ならコンバトラーVはどうです。五人の脳波が同調しないと合体出来ないんです」「いや、知らない……」「タダナリ、そういう大昔のネタやめろよ」

 そんなことを言いながらも聖騎士は凄い勢いで敵を殲滅していく。「何やこいつ、一人でブツブツ会話して気持ち悪いな」と言った死者は一瞬で念入りに十六分割された。

 

 

 昨夜から延々と続いていた銃声や地響き。銃声に砲声が混じり、地響きの頻度が増える。

 更に建物の倒壊する重い音が加わり、それが少しずつ近づいてきて、母子は身を竦め、互いを強く抱き締める。

「お母さん、怖いよ」

 幼い息子が小さな声で言う。大声を決して出してはいけないことは身に沁みている。悲鳴を上げたせいで見つかって殺された人達を何度も目の当たりにしてきたのだから。

「大丈夫。大丈夫よ」

 母は息子の背を撫でながらそう返す。

「お母さん、私達どうなるの。……やっぱり、死んじゃうの」

 娘の声は震えている。お姉さんだからとずっと弱音を吐かずにいたが、既に限界を迎えていた。

「大丈夫よ。きっと大丈夫だから」

 母は娘の背を撫でながらそう返す。父は最初のロボットの反乱で家族を庇って死んだ。母は子供達を安心させるために全力を尽くしているが、自分の体も震えていることに気づかない。電力の供給が止まった地下室。非常用電池式ランタンの薄闇の中で、彼らは互いに涙を流していることにも気づいていなかった。

 そこに突然、眩い光が差し込んできたのだ。天井が破れたのかと錯覚し、彼らは更に強く抱き合いながら目を細めてそちらを見る。

 光は地下室内に出現していた。人の形をした光が立っていたのだ。段ボール箱などの散らばった室内がはっきり照らされているのに、光る人の背後は何故か真っ暗闇だった。その闇から新たな形が浮き上がり、人型の金属装甲が現れた。自動小銃を構えている。

 母は震える手で子供達を背後に押しやり、来訪者に向かって叫んだ。

「ど、どうか……どうか、子供達だけは。私はどうなっても構いません、ですからどうか……」

「ああ、すみません。勘違いなさっているようですね。私はただ光っているだけで、害意はないのです」

 教皇ウァレンティヌス二世が言った。パワードスーツの頭部を外して中身があることを示し、カナダ首相ティモシー・ハートは気弱な顔で告げる。

「あの、取り敢えず、助けに来ました」

「あ……あ、見たことのある、顔です。生きてる方なんですね。私達は、助かったんですね」

 母は顔をクシャクシャにして喜んだ。世界中で放映された三日前のニュー・ニューヨーク駅の記念式典にも出ていた筈なのだが、それでも『見たことのある顔』でしかないことに、カナダ首相は弱々しい笑みを浮かべる。

「はい、助かりますよ。多分……」

 彼は正直者なので、断言することが出来なかった。

 

 

 上空から見るベルリンの街は混沌に覆われている。北東部で出現した巨大な触手の群れは、キャタピラのついた巨大ロボや巨大な刃を振り回す男、死者の軍勢によって迎撃され切られまくっているが、次々と新たな触手が現れて着実に勢力を広げていた。

 ドームの破裂した国会議事堂。ベルリンの観光名所であったブランデンブルク門もシャルロッテンブルグ宮殿もペルガモン博物館もベルリン大聖堂も既に残骸と化している。生きている一般人の姿は見えず、無数の死者達が敵を求めて蟻のように蠢くばかりだ。

 滅びつつあるベルリンを見下ろして、それは声を発した。

「うむ、まだ残っているな」

 中年を過ぎた男の、威厳のある、怒っているような、しかし何処か虚ろな声音だった。

 暗い空に浮かんだ巨大なパンケーキのような黒雲から、それは徐々に形を現していく。

「出オチで死んだ時はどうなることかと思ったが、すぐにリベンジの機会が巡ってこようとは。さあ、生き残った人類よ。絶望に震えよ。泣き叫べ。余が、お前達の待ち望んだ恐怖の大王であるっ」

 声はベルリン中に響き渡り、地上の有象無象達の動きを止めさせた。ちっぽけな者達が自分を見上げる様子に恐怖の大王は昏く笑う。屋内に隠れた人間達も怯え固まっていることをそれは確信した。

 巨大な、あまりにも巨大な影がベルリンに降りようとしていた。毒々しい色彩の、おぞましく蠢く形容しがたい何か。正気の人間の想像し得る限界を突破したその姿を、巨大な純金の王冠だけが辛うじて現実に繋ぎ止めていた。何本もの巨大な足のような腕のような触手のような何かが垂れていく。その一つでも百メートル四方を軽く潰せるだろう。

 だが、何筋もの光線が伸びてそれらを焼き焦がした。空中に浮かぶ船からちっぽけな生き物達が攻撃している。いや、生き物ではないかも知れないがとにかく攻撃してくる。

 おぞましき恐怖の大王は哄笑した。

「は、は、は、は、は。そんなものは効かぬ。余は同じ過ちは繰り返さぬ。一度経験した攻撃は、二度と余には通じぬわ。既に死んでおるから不死身だしな。ちょっと熱いが。だからそろそろ諦めろ。いや余は余裕で耐えられるが、ほんのちょっとだけ熱いから。……むっ」

 恐怖の大王は振り向こうとした。自らの更に上方を。ピユーィ、と、高い笛のような音が響いた。

 形容しがたくおぞましい巨大な肉体に、八筋の切れ目が入っていた。

「ま、まさか……また出オチかあああ」

 恐怖の大王は分割され、そのままバラバラに落下するかと思われたが、毒々しい切断面を晒しながらズルズルと吸い上げられていく。

 

 

 死者達はあっけに取られて見上げていた。冥界と同じ色になった空を埋め尽くすような巨大な、訳の分からない化け物が、輪切りにされて何かに吸い込まれていくのを。

 切断面同士がずれながらも完全に離れることはなく、少しずつ縮小しながら空の一点へ向かって集まっていく。形容しがたい化け物から巨大な王冠だけが外れて落下し、一棟のビルを粉々に押し潰した。

「ああああああああ」

 断末魔の轟きを残し、ジュルジュルと、ゼリーでも啜るように巨大な質量が吸われて消滅した。

 その場所に、黒い怪物が浮かんでいた。

「ヘイヘイ、またか、またかよ。いい加減にしろ。天丼やめろよ」

 その正体に気づき、キャプテン・フォーハンドが毒づいた。

「なるほど。冥界と繋がるとこういうことが起こるのか。これは下手すると、永遠に敵が片づかんのではないか」

 ルーラ首長がそう言いながらも光線銃の照準をそれに向ける。

 都市一つ覆うような膨大な質量を食らったその怪物は、体長二メートル程度しかなかった。天辺に金髪の生えた丸い頭部に、大きな縦の裂け目が開いた丸い胴体。腕と足は二本ずつで、足は細い。空中に静止しているのはほぼ透明な四枚の薄い羽が高速で羽ばたいているためだが、肉眼で見極められる者は少ないだろう。腕の先に四本ずつ、黒い紐のようなものが垂れている。柔軟で何処までも伸び、恐ろしく強靭であらゆるものを空間ごと切り裂く、捕食者の爪。

 ハンガーマンガーズ、通称ハンガマンガの王・グラトニーがそこにいた。

「ヘイヘーイ、ちょっと待った。なんか撃ったらまずいことになりそうな、嫌ーな予感がするんだが」

 船長がルーラ首長を止めようとする。

「だが、撃たん訳にもいかんだろう。遠距離攻撃出来るのはわしらだけだ。このままだと都市が丸ごと食われるのではないか」

「待って下さい。あれは我々が倒すべき敵です」

 通信機から新入りの若い声がした。十二人で一体の聖騎士の、名前は誰も覚えていないがそのうちの一人だ。と、今度は違う声が次々に言う。

「ハンガマンガの王を倒すことが私達の存在意義でしたので」「お任せ下さい。奴も聖剣に惹きつけられると思います」「手を出さなければすぐには襲ってきません」「具合が悪そうです。どうも食あたりを起こしているようです。死者が死者を食べた訳ですからね」

 勢い込んで重なって喋る声に顔をしかめながら、ルーラは答えた。

「うむ、因縁があるのならそれでも構わんが、王が出てきた影響か。黒い獣達も冥界から戻ってきたようだぞ。いや、もしかすると生身かも知れんが」

「た、対処しますっ」

 通信は切れた。

 ハンガマンガの群れが現れた場所は二つ。巨大な白い触手がこちら側に出てくる中心部近くから、触手を物凄い勢いで食らいながら広がっていく群れ。それから、空中に生じた細い裂け目のような歪みのようなものから、黒い獣達がはみ出してきてどんどん落ちてくる。前者は冥界からだろうが、後者はグラトニーの開けた通路によって異世界から押し寄せてきているようだ。落ちた獣の一部はそのまま地面に激突して死ぬ。しかし多くはうまく着地して、仲間の死体から建物や自動車、見ていた死者達まで手当たり次第に食らいつき始めた。

 神楽鏡影は混沌から少し距離を取ってビルの屋上に立ち、どす黒く濁った空に浮かぶグラトニーを観察していた。

「やはり、か。格は落ちたままだ。私を食べた影響はまだ残っている」

 彼は満足げに頷いた。

「再生怪人というのは大抵弱くなっているんですよね。皆さんがそれに気づけばいいのですが」

 通信機を持てないので神楽は祈るだけだ。それから剣に加工したグラトニーの爪を握り締め、彼は死者と触手と黒い獣達の入り乱れる戦場へ身を投じていった。

 

 

 ハンガマンガが黒い染みのようにベルリンの街を広がっていく。動いている触手に食らいつき、切断された触手にも食らいつき、テンタクルズ通称シー・パスタはみるみる削られていく。死せる獣達が死せる触手を食べても栄養にはならないだろうが、一心不乱に食らい続ける。それが彼らの存在意義であるかのように。

 触手を食われてもまたすぐに新たな触手がこちら側にはみ出してきて、ハンガマンガを叩き潰したり吸盤のそばにある口で齧ったりしている。世界中の海を覆うほどの触手を持っていたのだから、数百本程度失ったところでどうということはないのだろう。

 グラトニーは空中の同じ場所に留まり、水平に幾つも並んだ目で下界の様子を眺めていた。

 異形の聖騎士は群れのただ中に飛び込み、凄い勢いで三種の剣と盾を振るっていた。特に聖剣エーリヤはさほど力を込めた様子もないのにあっけなくハンガマンガを両断していく。また、聖剣が特異な匂いでも発しているのか、ハンガマンガの方も他の死者や食材を無視して集まってきていた。

「いやあ、やっと本分を果たせて気分がいいですね」「まだ果たし終わってはいないぞ。これからだ」「そうです。本分は人類を守ることなんですから」「デイビッド、私の腕にも聖剣を握らせてくれませんか。ちょっとだけでいいんで」「いや持ち替えるような余裕はないぞ。それに私の剣技が最も優れているのは皆も理解している筈だ」「ジョルト、わがままを言わないでくれ。私の体なんて灰になったから担当部位が何処にもないんだ」「そんなことより敵が多くないか。幾らでも降ってくるんだが」「というか上からでかいのが来ますっ」

 たかってくる獣達を大剣の横薙ぎで打ち払いながら、聖騎士が聖剣エーリヤを下段に構える。腰を落としてその一瞬後、異形の巨体は垂直に跳躍した。降ってくる獣を盾で弾き飛ばし、大きなものをうまく踏み台にして、二十メートルという異常な高さまで到達する。上昇の勢いを乗せて聖剣を斬り上げると、切っ先から伸びた淡い光の筋が、幅五十メートルもありそうな太った牛に似た獣を綺麗に真っ二つに断ち割っていた。

 分かれた巨大な肉塊が地上の獣達をまとめて潰し、その上に軽々と聖騎士は着地した。まだまだ上から獣は降ってくるので休みなく斬りまくる。

「今のは見事だった。悔しいがやはり剣の腕はお前が一番だな」「それは置いといて、今のはもしかして『大きな獣』じゃないですか」「えっ、先触れの四獣ですか」「ほう、であれば我々は四獣の一角を一撃で倒したことになるな」

 そんなことを言っていると、通信機から気まずそうな教皇の声が届いた。

「あの、残念ながら『大きな獣』ではないと思いますよ。『大きな獣』は二千メートル規模の大きさでしたので」

「ああっ、聞いてらしたんですか、猊下」「は、恥ずかしい……。穴があったら入りたいです」「二千メートルですか。それは、流石に一太刀では厳しそうですね」

 と、通信機から別の男の声が飛ぶ。かなり焦っている様子だ。

「すみませーん、ハタナハターナですがちょっとヤバいです。ハンガマンガの群れに囲まれました」

「あ、いかん。本来は護衛の役目でした」

 聖騎士は慌てて肉塊から飛び降り、駆けていく。その後を黒い獣達の群れが追っていく。ただし一部はその場に留まり巨大な肉塊に齧りついていた。

 

 

 ハタナハターナ・タンクは苦戦していた。キャタピラ操作に慣れておらず、巨体のため小回りも利かない。両手に取りつけた長い爪は硬い敵もバターみたいに切り裂くが、素早い無数の獣相手には効果が薄い。一振りで数十頭殺してもすり抜けた残りがたかってくる。ルラコーサがタンクから上半身を出して義手代わりの光線銃で迎撃する。百分の一秒単位でオン・オフを繰り返す省エネモードだが、ばら撒かれた光弾は獣達を貫いて爆裂させていった。それでも一人だけの弾幕は薄く、くぐり抜けて飛びついてきた獣をルラコーサは鉤爪の伸びた右手で叩き殺した。

「ああっ、タンクの後ろが食われてるぞっ」

 装甲のひしゃげる音に素早く後方を振り返りルラコーサが叫ぶ。

「分かってますっ、分かってますけど」

 通信機からトーマスの悲鳴が返ってくる。タンクが急旋回して振り放そうとするが、食欲の権化達は食らいついて剥がれない。

 と、ズバババババ、と獣達のブツ切り肉を飛び散らせながら異形の聖騎士が到着した。蛇行するハタナハターナに危なげなく接近し、取りついたハンガマンガを手早く処理していく。同時に追いすがってくる群れを大盾で撥ね飛ばし、大剣でまとめて叩き斬る。

「申し訳ありません。遅れました」

「いえいえ、助かりました」

 通信機越しにトーマスが礼を言う。

 聖騎士が来るとハンガマンガは巨大ロボよりそちらに向かうようになった。理解した上で誘導するように聖騎士はタンクから距離を取っていった。

「いや、あんま助かってないぞ」

 ルラコーサが嘆息する。ギャリギャリと異音を発し、タンクの左のキャタピラが波打ったと思うと履帯がちぎれて軸から外れていった。

「あー、無限軌道は一ヶ所でも切れるとダメになるのが弱点ですね」

 ドッギュールが他人事のように喋っている間にタンクは勝手に左折してビルに激突した。ハタナハターナの腕が壁に突き刺さる。

「とっとっ、これは、どうすればいいんですかね。取り敢えずバックを……」

「ちょっと待って下さい。試してみましょう。……はい、どうぞ」

 ドッギュールが通信機ではなく持ち込んでいた箱型の装置を開き、タッチパネルを操作してから告げた。トーマスがフットペダルを踏むと先程とは違う感触が返ってくる。ウゥーンという細かな唸りが下の方から伝わってきた。

「おっ、反応ありましたね。では、最初は軽く、上昇してみましょう」

「え、上昇って、ジャンプ、ですか……」

 トーマスが別のフットペダルを踏み込むと、強い加速度と共に視界が急に流れる。ぶち崩したビルは遥か下へ消え、ハタナハターナは空中にいた。そのまま上へ、上へ、どす黒い空を上昇していく。

「ちょっ、これっ、まっ」

「力を入れ過ぎです。ちょっと緩めて下さい。完全に離すと落下しますよ。力加減に慣れて下さい」

「いや、その、何ですこれ」

「反重力推進装置です。あなたが腕の修復をしている間に取りつけておきました。力場の設定に不安がありましたが、うまくいって良かったですね」

 ドッギュールは平然と語る。トーマスのシートの背もたれにしがみつきながら、クランホンがドッギュールに向ける視線はマッド・サイエンティストに対するそれに変わっていた。

 ハタナハターナは上半身だけで空を飛んでいた。腰部の断面に覗く反重力推進装置は径二メートルほどの光る球体が台座に嵌まったような代物で、光は球体の部分部分で強くなったり弱くなったりを繰り返していた。

「なんかさっきまでタンクの中でトンテンカン聞こえてたぞ。トーマスのご先祖様方がうまいこと調節してたんじゃないか」

 通信機からルラコーサの声が届く。彼は分離して地上に取り残されたタンク部分の上に立ち、まだ獣達を撃ちまくっていた。聖騎士がうまく彼を守っている。

「えっ、そうなんですか。僕のご先祖様が……うーん」

 トーマスは緑色の謎の人影について、異星人達から聞いていなかった。しかし彼の悩みどころはそこではなかった。

「ということは、ハタハタ家としてはハイテクを認める方針なのかな……」

 クランホンが溜め息をついて言った。

「そんなことよりルラコーサを拾いに戻りなさい。取り残されてかわいそうでしょうが」

 ハタナハターナはフラフラフワフワしながらなんとか飛行も安定していき、ルラコーサは無事回収された。

 

 

 『黒い沢山の腕二十六号』は弱体化と縮小が進んでもまだ戦っていたが、ハンガマンガの群れにたかられて数分で跡形もなく食い尽くされた。幽霊船からの援護はほぼ無意味だった。

 教皇とパワードスーツの人々はワープゾーンを使って必死に生存者の救出を続けていた。フルケンシュタイン博士の持つ監視網に加え、聖騎士内で透視能力を持つパオロもしばしば情報提供してくれる。しかし巨大な触手が暴れ大量のハンガマンガが参戦したため状況は益々切迫していた。二十万人程度と言われたベルリンの生存者を、触手に建物ごと潰され獣達に食われる前にどれだけ助け出せることか。

 地下二十キロ、空の倉庫の一層に集められた生存者達は現在五百人ほどだ。彼らは何故かサービスで設置された複数の巨大モニターで、地上の戦闘を固唾を呑んで見守っていた。新たな生存者が届けられるたびに「この中にマクドナルドの店員はいるかね」と尋ねる声が響いた。

 触手とハンガマンガの群れは押し合いを続けていた。触手が獣達を潰すが、圧倒的な数によって食われていく。しかしすぐに新たな触手がやってくる。その余波で周辺の建物がグズグズに潰れ崩れていった。

 本来の死者達は劣勢気味となり、あまり統制が取れていないため飽きて帰ろうとする者も増えてきた。しかし、冥界十三将、いや最新は十七将という噂もあるが、とにかく強力な死者が前線に出て敵を蹂躙し始めた。

 宙に浮かび、半透明な球形の障壁に包まれて移動する女。径五メートルほどのそれに触れたものは敵だろうが仲間だろうが物体だろうが瞬時に粉々にされた。女の顔はおそらく整っていたが目元を銀色のマスクで隠していた。爪を細く長く尖らせた、しなやかな指が振られるたびに、生み出された大小様々な破壊の球体が一直線に飛んでいき空白の道を作っていく。

 もう一人、或いは一体と呼ぶべきか、全長二十メートルを超える大蛇で、頭部の近くに人間の腕が八本生えた怪物が猛威を振るっていた。腕はそれぞれが剣を持ち、物凄い勢いで敵を切り刻んでいく。ハンガマンガが尻尾に噛みつくが、蛇の鱗は超常的な硬さを持っているのかまるで歯が立たなかった。時折口から毒液を噴き出し、浴びたものは腐りながら溶けていく。

 八本腕の大蛇は戦うだけだが球体を操る女の方が号令を下し、死者達は勢いを取り戻し始めた。

 そんな混沌の街を、三人のメイドが見下ろしている。

 一人は人形のように端正な顔立ちで、長い金髪を一房の三つ編みにまとめていた。ホワイトブリム、長袖・長いスカート丈の漆黒のメイド服に純白のエプロンという定番スタイルながら、所々に施された銀の刺繍が上品さと高級感を与えている。グラマラスなのに腰は驚くほど細く、完璧なプロポーションの彼女は無表情に操縦桿を握っていた。

 一人は小柄でまだ十代半ばくらいの外見だった。明るめの金髪はツインテールに決め、あどけなさの残る可憐な美貌は悪意に満ちた無邪気な微笑を浮かべていた。彼女のメイド服はスカート丈が短めでやや装飾過多だ。ボルトアクション式のライフルを抱えているが、まだ狙いをつけてはいない。

 一人は身長二メートルを超える筋骨隆々とした女だった。燃えるような赤い髪、褐色の肌と野性的な美貌は伝説のアマゾネスを思い起こさせる。フリルのないシンプルなデザインのメイド服で、白い手袋は肘上まで覆っていた。その逞しい腕が重機関銃を軽々と持ち、使われる時を待っている。

 メイド達が乗っているのは特殊な形状のティルトローター機だった。左右に伸びたウイングの先端で、丸い枠に縁を保護されたプロペラが高速回転している。本体は前後に長い卵型に近く、操縦席のある前面は風防が殆どなく剥き出しの状態だった。乗員が撃ちまくるのに風防は邪魔ということか。

 一人用の操縦席のすぐ後ろ、一段高いところに後部座席があり、ライフルの少女と重機関銃の女に挟まれて高級スーツの男が座っている。以前は銀色に輝いていた特殊合金製の顔が、今は重い灰色にくすみ、所々に錆が浮いていた。力なくうなだれて動かぬ男を、二人のメイドは武器を持っていない方の腕でいとおしげに抱いていた。

「では、始めましょうか」

 操縦席でメモリーが言った。備えつけの有線マイクを手に取ると、冷徹で、誇り高く、怒りに満ちた声音で告げた。

「偉大なるウィリアム・セイン大統領を称えなさい」

 その声は機体の拡声器によってベルリンの街に響き渡る。命令は必ずしも声として発する必要はなかったが、この混沌状況への参戦を宣言する演出的意図があった。

 死者達は上空からの声に気づいてもあまり気にしなかった。小さなティルトローター機ただ一機で大した敵ではないと判断したのだ。幽霊船の面々は敵を撃つのに忙しくて構っている余裕がなかった。戦っているイドの背中でシアーシャが「えー、あの人達も甦っちゃったの」と呟いた。まだ飛行に苦心しながら戦っているハタナハターナ内で、クランホンが顔をしかめ「あれからなるべく離れて」と指示した。

 メモリーの命令は改変されたビューティフル・ダストに伝わり、とっくに機能停止したと思われていた機械達が動き出した。轢く対象がいなくなり道路に整列していた自動車が、スリープモードに入っていた警備ロボットが、誰もいなくなった電器店に並ぶテレビジョンが、信号機に付属したスピーカーが、ベルリンに残存したあらゆる電子機器が一斉に同じ台詞を唱え始めたのだ。

「ウィリアム・セイン大統領万歳っ。ウィリアム・セイン大統領万歳っ。ウィリアム・セイン大統領万歳っ」

 続いてメモリーは告げた。

「動くものも、動かぬものも、生者も、死者も。愛するプレジデントのために、形あるものは全て滅ぼし尽くします」

「最愛の旦那様のためにっ」

「唯一無二の我が主のために」

 対抗するようにティナが叫び、最後にヴィクトリアが顔を赤らめながら言った。

 セイン大統領の錆びついた指が、ピクリとほんの僅かに動いた。

「ウィリアム・セイン大統領万歳っ、ウィリアム・セイン大統領万歳っ」

 電子機器達は唱え続けるが、戦闘力が残っているのは一部だけだった。トラックが死者達を轢き潰し、弾切れの警備ロボットがアームで敵を襲う。そして一分以内に殆どは返り討ちに遭って破壊された。信号機は延々と大統領を称えるだけだ。

 戦闘力を発揮したのはメイド達であった。

 メモリーが操作パネルに触れると機体のあらゆる箇所から銃身が顔を出した。彼女の腕に内蔵されていた超高出力熱線銃の、更に二千倍の出力の熱線が数十本の白い光の筋となって放出される。シー・パスタの巨大な触手が近くのビルごとあっさりカットされ、ハンガマンガの大型の個体から順に正確な狙いで焼き貫かれていく。

 ティナが狙撃用ライフルを使い始めた。狙いをつけてから発砲、ボルト操作で薬莢を排出し次弾を送り込む動きは流れるようにスムーズで、一秒に三発という素早さだった。百発撃っても弾の補充を必要とせず、群れの真ん中に撃ち込むと数十体がまとめて吹き飛んだ。

 ヴィクトリアが立ち上がり片手で重機関銃を撃ちまくる。こちらも給弾なしで毎分六十万発の超高速連射が雑に敵を粉々にしていった。

「ヘーイ、なんかあっちの方が凄くないか」

 幽霊船から見ていたキャプテン・フォーハンドがティルトローター機を指差して言う。舵取りは副官に任せているし実は暇だったのだ。

「む」

 下界への銃撃を一休みして、ポル=ルポラ首長ルーラがそちらを見やる。

「……うむ、どうやらあちらは弾やエネルギーが無尽蔵のようだな。羨ましいことだ。で、あやつらは何者か」

「えっ。さ、さあ……」

 船長が首をひねるとコキリと骨が鳴る。

「アメリカ大統領と、そのお付きのメイドロボット達よ。もう死んじゃった筈だけど、冥界から戻ってきたみたい。多分敵じゃないかな」

 通信機からシアーシャの声が解説した。

「ああ、核ミサイルを飛ばすと放送していた奴らだな。そりゃあまあ、敵だ」

 元艦長トゥットラ・ルタールが言う。彼のポネルータン号が世界中に発射された核ミサイルの殆どを撃ち落としたのだった。

 と、その声が聞こえたのか偶然かは不明だが、ティルトローター機から数条の熱線が幽霊船に向かってきた。船を包む見えない障壁にぶち当たり、貫かれはしないものの船が小刻みに揺れる。

「まずいですっ。障壁の残りエネルギーがみるみる減っていきますっ」

 アラームの鳴り始めた障壁発生装置を確認し、ポル=ルポラの戦士が焦った様子で叫ぶ。

「ふむ、もう暫く持つと思ったが、いよいよ正念場か」

 ルーラ首長が楽しげに頷いた。

 元艦長と数人のポル=ルポラが光線銃をティルトローター機へ発射した。しかし機体に当たる前に見えない壁にぶつかったように弾かれてしまう。

「驚いたな。地球人の兵器なのに障壁持ちとは。冥界では何でもありということかな」

 船の危機を察したらしく、船首像サンドラがギリゴリと動き出して両手の斧をぶん投げた。高い唸りを上げて回転する二つの斧は、しかし片方がティナのライフルによって撃ち落とされ、もう片方がヴィクトリアの弾幕で軌道を逸らされティルトローター機のすぐ横を通り過ぎていった。

 バンダナキャップの副官が舵をぶん回し、幽霊船の速度を上げ不規則飛行をさせる。だが熱線の束は正確に追尾して障壁にダメージを与え続けた。装置が一際大きな警告音を発した後で、ピヨヨヨーンという気の抜けた断末魔を洩らし、船を守る障壁が消滅した。

 数条の熱線が木製の船体を貫き、甲板にいた数人の骸骨と生身のポル=ルポラ星人一人を焼き裂いた。マストが一本切断されて倒れ、骸骨が下敷きになる。

「ヘイヘイ沈没するぞっ、いや、墜落か」

 船長が自分に突っ込んでいる間に幽霊船ブラディー・サンディー号はグルグルと回りながら地上へと落ちていった。

「ウィリアム・セイン大統領万歳っ、ウィリアム・セイン大統領万歳っ」

 電子機器達は唱え続ける。

「プレジデントに愛を」

 メモリーが機体の熱線銃で地上を焼きながら冷たく上品な声で唱える。

「旦那様に愛を」

 ティナがライフルを撃ちながらセイン大統領に細い体を押しつける。

「我が主に愛をっ」

 顔を赤らめながら重機関銃の銃声に負けぬ大声でヴィクトリアが叫ぶ。

「……愛……」

 男の声がした。壊れかけのスピーカーが発するような、ノイズ混じりの声だった。三人のメイド達の視線が声の主へと集中する。

「……そうか。分かったぞ。やはり、愛なのだっ」

 続く声音は安定し、力強く自信に満ちていた。うなだれていた首が上がり、錆一つない銀色に輝く顔が露わになる。

 冥王によって完膚なきまでに叩き潰されたウィリアム・セイン大統領は今、完全復活を遂げた。

「メモリー」

「何なりと、プレジデント」

「ティナ」

「はーい、旦那様」

「ヴィクトリア」

「我が主、ご命令を」

「私は幸せ者だ」

 セイン大統領は左右のティナとヴィクトリアを抱き寄せ、身を前に乗り出してメモリーの首筋に頬を埋めた。

「プレジデントが復帰なさることは自明でした」

 そう語るメモリーの氷の美貌に、ほんの僅かに微笑が浮かんだ。

「うん。私は君達の声に呼ばれた。そして真実を知った。……愛だ。愛こそが真実だ」

 セイン大統領の合金製の顔が満面の笑みを作った。相変わらず目は笑っていなかったが、超高性能カメラを三つずつ搭載したその瞳は強い光を発していた。

「私は君達を愛している。君達も私を愛してくれている。つまり……全ては愛なのだ。この溢れ返る君達への愛、狂おしいほどの愛を表現するためには……うん、そうだね。私達以外の全てを滅ぼそう」

 やはりそういう結論であった。

「では改めて、私達の愛を表現致しましょう。愛を称えなさい」

 メモリーの命令を受けて地上の電子機器達が台詞を変更する。

「愛万歳っ、ウィリアム・セイン大統領万歳っ、愛万歳っ、ウィリアム・セイン大統領万歳っ、愛万歳っ、ウィリアム・セイン大統領万歳っ」

 そして上空から降り注ぐ熱線の雨が電子機器ごと全てを焼いていった。これまでの更に数百倍規模の、弾切れやエネルギー切れとも無縁な無差別破壊の嵐。力の源は無限の愛なのだから途切れる筈もなかった。

「素晴らしい。愛だ。愛だっ」

 天を抱くように両腕を広げ、セイン大統領は笑顔だった。

「あーい愛愛、ほーら愛愛」

 ティナはライフルを一発撃つごとに笑顔でセイン大統領を振り向いて、頭を撫でてもらった。

「愛を、その……我が主への、愛が……」

 恥ずかしげに口篭もりながら重機関銃を連射するヴィクトリアも笑顔だった。

 無言になって機体を操作するメモリーもこっそり微笑を維持していた。

「愛だっ、愛……うん、何かハエみたいなものが飛んでいるね。撃ち落としておこう」

 セイン大統領が空から自分達を見つめる視線に気づいた。大きさは人間と大差ないが、長い爪を生やし、透明な四枚の羽を高速で羽ばたかせてその場に静止している。

 大統領の左手首がカクンと折れ曲がり、黒い砲塔が伸びてくる。サイコーなガンのマイナーチェンジ版だが威力は増している。破壊範囲の広い拡散モードに切り替えて撃とうとした瞬間、メモリーが警戒を促した。

「後方上より敵です、プレジデント」

「ふむ」

 セイン大統領が上を向く。機体もグルンと百二十度ほどひっくり返る。

 冥界の雲のように漂う紫色の淀みから暗赤色の巨体が出現した。頭と胴体の長さだけで百メートル、尻尾も含めると二百メートルはある怪物。巨大なワニやトカゲに似ているが、首周りから何本も白い角のようなものが生えて頭部を守っていることと、背中に大きな翼が生えていることが明確に異なっていた。

「ドラゴンも戻ってきたのか。いやはや、何でもありだな」

 セイン大統領の口調は呆れたようでもあり嬉しそうでもあった。赤いドラゴン……神楽鏡影によってメギラゾラスと呼ばれたそれは、血のように赤い瞳でティルトローター機の乗員達を見下ろしていた。自分よりちっぽけな存在に対する侮蔑と、隠しきれぬ煮え滾るような憎悪が滲んでいた。

 機体が備えた熱線銃の大半がメギラゾラスに向けられ、一斉に発射された。数十本の熱線全てを一点に集中させたのは相手の異常な耐久力を考慮してのことだろう。

 その一点とは、ドラゴンの左の瞳だった。

 普通ならあっさり眼球ごと頭部を貫通する威力の熱線は、目を潰すほどではないにせよある程度のダメージは与えたようでドラゴンは瞬きしながら首をよじった。檻のように頭部を囲む角が開き、同時に巨大な顎も開く。長い牙の生えた向こうの口腔内にもう一列牙が並んでいた。その更に奥に赤い炎が膨らんでいく。メギラゾラスが本気で炎を吐けば大地はマグマの海に変わる。

 その口内に苦無似の細長い刃物が五、六本投げ込まれた。瞬時に爆発を起こし溜め込んだ破壊のエネルギーがドラゴン内部で逆流する。爆音と共にドラゴンの喉が一瞬ひどく膨らみ、眼球がムリュッと半分ほどせり出した。炎の欠片が飛び散るが、ティルトローター機はうまく躱す。爆弾苦無を投擲したティナがキャハハハと無邪気に笑った。

 距離を取りつつ機体の熱線銃とヴィクトリアの重機関銃がドラゴンを攻撃し続けるが、腹部にまでびっしり並んだ暗赤色の鱗が殆どを弾いている。

「うん、うん、楽しいな」

 セイン大統領が上機嫌に左腕の黒い砲を発射した。ドッゴォーンッと凄い音をさせてエネルギーの塊が飛び、ドラゴンの左前脚と左翼の大部分を消し飛ばした。

「お見事です、プレジデント」

 メモリーが主人を褒め称えるが、その目は空中でまだ動かぬハンガマンガの王を常に観察していた。

 黒い怪物の顔は複数の丸い目が水平に並ぶだけで、表情も何もない。長い爪を生やしたその右腕がユラリとティルトローター機に向けられる。両者の距離は十キロ以上あり、その強力な爪も届くとは思えなかった。

 爪の意図は別だった。標的も違っていた。

 ベルリンの街から物凄い勢いで山が跳ねてきた。黒い山と見えたのは怪物だった。冥界から到着したばかりの、身長五百メートルを超えるハンガマンガの特異個体。

「『大きな獣』だっ。奴が出た」

 地上の乱戦の中で誰かが叫ぶのを、電子機器のネットワークを介してメモリーは聞き取った。

 ずんぐりした体型、スカートのように弛んだ皮膚に隠れた脚。はっきりした関節がないが力強くしなる四本の腕。インドでヌンガロと戦った最盛期よりは随分縮んでいるが、それでも山に等しい大きさだ。その巨大な質量で軽々と跳躍する、信じがたい運動能力であった。

 メギラゾラスは両目から血を流し、片翼を失って落下していく。その巨体を上から『大きな獣』の四本の腕が掴んだ。さすがに驚いたか、ドラゴンの咆哮は妙に甲高かった。

 『大きな獣』の指に生えた爪がドラゴンの皮膚に食い込み、掌に開いた口が肉を齧り取ろうとする。だが強靭な鱗が邪魔をして簡単には齧れないようだ。そこで『大きな獣』の大きな口だけついた頭部がグネリと伸び、ドラゴンの消し飛んだ左前脚断端に食らいついた。

 ドラゴンが吠えながら首をひねり、一拍置いて炎を吐き出した。超高熱の赤い炎は『大きな獣』の黒い毛皮を焼いてみるみる肉を溶かしていく。だが『大きな獣』は痛みを知らぬように食いついて離さない。巨大過ぎて炎の一吹きではダメージが小さいのもあるのだろう。

「ふむ……なるほど。ハンガマンガにとって私達は食いでがなかった訳だ」

 セイン大統領が苦笑してお手上げのポーズを作った。

 メギラゾラスと『大きな獣』は絡み合ったまま落ちていく。その下には、破れた境界を無理矢理押し広げてこちら側に出てこようとしている大量の触手があった。

 地上への激突は爆発に似ていた。白い触手が踊りちぎれ飛び炎が噴き上がり、巨大な黒い山が一度バウンドして再び落下する。辛うじて残っていた周辺の建物が爆風によって一気に倒壊し、隠れていた生存者を虫のようにプチッと潰した。

 

 

 不時着したブラディー・サンディー号は、群がってくる大量の敵への対処を迫られていた。

 周辺の建物は瓦礫の堆積と化し、それを敵が覆い尽くしている。ポル=ルポラ製の障壁発生装置は機能停止し、船への攻撃を防ぐすべはない。死者達から銃弾や投げ槍や火の玉が絶え間なく飛来してボロボロの船に更にダメージを加えていく。しかし飛び道具を使う者はそれほど多くなく、直接乗り込もうと押し寄せる者が大半だ。

 船から見渡せる範囲で数千の死者達。それに数倍するハンガマンガ。死んで冥界から来たものと異世界から来た生身のものでは別物と認識されるのか、黒い獣達は死者と戦う以外に互いにも食らい合っている。そのため四つどもえの乱戦になっていた。

「ハハハーッ、エネルギー切れだっ」

 元艦長トゥットラ・ルタールが笑いながら光線銃を投げ捨てると、ミキミキと音を立てて両手の爪を伸ばした。船縁まで這い上がってくる敵の死者を素手で引き裂いていく。他のポル=ルポラ戦士達も既に同じことをやっていた。

「ヒャッハーッ、やっと俺様の活躍が見せられるぜえっ。このキャプテン・フォーハンド様のなっ」

 船長が叫びながら四本の剣を抜き放ち、甲板に上がり込んだ敵をスパスパと切り刻んでいく。足の代わりについた手まで剣を握ると普通に立つことは出来ないが、その剣の切っ先を甲板に突いて器用に姿勢を維持する。骨だけで体が軽いせいもあるだろうが、見事なバランス感覚だった。そして横にスピンしながら、或いはトンボ返りしながら敵を斬りまくる。特にぬめるような赤い刀身のむぐらぬぐらは、敵をゼリーでも切るようにスルリスルリと輪切りにしていく。妖刀にとっては、死人を斬るなど全く嬉しくないかも知れないが。

 骸骨船員達も剣で戦ったり、舷側の砲窓に入り込もうとする敵を蹴り落としたりしている。新入りのポル=ルポラの骸骨は指先に爪っぽい骨を伸ばして戦っていた。黒いバンダナキャップの副官は必死に操舵輪を回し続けて船の修復を促しつつゆっくりと移動させている。

 彼らの奮闘よりも船首像のサンドラが圧倒的な破壊力を発揮していた。両手の斧を凄まじい勢いで振りまくり、船首に近づいた敵は瞬時にバラバラになっていく。時折斧をぶん投げると幅数メートル直線距離数キロの範囲で敵が爆裂する。投擲した斧はすぐ手元に生成され戻っている。サンドラの美しい顔は返り血を浴びて恐ろしい形相と化し、死者達をも震え上がらせた。

 何人かの船員が未使用のランチャーを取り出して議論している。

「そろそろこれを使うべきじゃないか」

「いや、それ街中で使っちゃまずいだろ」

「でも戦術核らしいから都市一つ消えるようなもんじゃないだろ。ピンチだから使っちゃっていいよね」

 砂漠でビューティフル・ダストの巨大戦車から回収した、戦術核ミサイルランチャーだった。

「そうかなあ……」

「ああもう我慢出来ねえ撃っちまう、ヒャッハーッ」

 骸骨船員が引き金を引くと、肩に担いだランチャーからフシューッと音がしてミサイルが発射された。狙いが適当で更に船員がランチャーの重さにふらついていたため、ミサイルは斜め上に飛んでいき、遥か先の空で閃光を発した。

 一瞬遅れて轟音と爆風が場を襲った。幽霊船も横転しそうになったが辛うじて姿勢を回復させる。

 上空には小さなキノコ雲が噴き上がり、数キロ先の爆心地に近い一帯は更地と化していた。施設の破壊を主目的とした低威力の核兵器とはいえ、もし船員が狙い通り敵集団に当てていれば幽霊船も消し飛んでいただろう。

「い、意外に火力あるな……」

 船員の一人が言った。幽霊船の乗員達は死人と宇宙人ばかりで放射線程度では大したダメージにならない。

「バッキャローッ、てめえ、撃ちやがったな」

 甲板に残った敵を切り落として船長が怒鳴る。

「次は俺様にも撃たせろ」

 船長は違う意味で怒っていた。

 後方の味方をごっそり失っても死者達の勢いは弱まらない。ハンガマンガも相変わらず押し寄せてくる。激戦が続く中、ハンガマンガを殺戮しながら聖騎士が到着した。

「遅れました、皆さん無事ですかっ」「さっきのは核兵器ですか。ちょっと控えて欲しいんですけど」「人間の生存者が巻き添えになりますからね」「僕らも直撃受けたら蒸発します」

 別の声が違うことを喋りながら三本の剣と大盾でハンガマンガを始末していく。船に近づくと巨体を軽々と跳躍させ、砲窓に齧りつく獣をついでに斬り殺してから甲板に乗り込んだ。

「えっ、何、もう一回言ってくれ」

 船長が聞き返しながら戦術核ミサイルをぶっ放した。今度は直進して五百メートルほど先の大型ハンガマンガに命中し一帯ごと消滅させる。前回より強い閃光と爆発で船が激しく揺れ、船員達も押し寄せていた死者達もハンガマンガの群れもバタバタとひっくり返った。

「わ、わざとですかねこの人」「いや、骸骨ですから耳がありませんよ」「それを言うと発声器官もないんですが」「あれっ、この人、足が手になってます」「いかん。ハンガマンガは甲板まで上がってくるより船底を齧っている奴が多い」「下りて戦いましょう」「じゃあ、そういうことで」

 なんとか転ばずに耐えた異形の聖騎士は、一気にそれだけ言うと飛び降りていった。

 船長も一回転してランチャーを放り捨てると、船縁から身を乗り出し下を覗き込む。

「ありゃー、齧られてるな。なら俺様も降りて戦うわ。自信のない奴は降りなくていいぞ。自信のない奴はなーっ」

 わざとらしく大声で呼びかけ、再び四本の剣を握ってクルクル回転しながら飛び降りていった。

「自信のない奴か。挑発されたな」

「ポル=ルポラとしては、挑発に乗らぬ訳にはいかんだろう」

 元艦長や首長が、他のポル=ルポラ戦士達も次々船からダイブしていく。首長は片足が義足であるがそんなことを気にする者はポル=ルポラではないのだ。船員に仲間入りしていた骸骨ポル=ルポラも後を追い、慌てて負けじと他の船員も飛び降りていく。

「ちょっとお前ら、甲板を守る役も必要なんすけどっ」

 操舵輪から離れられない副官が叫ぶ。と、ゴリラのような大柄なハンガマンガの個体が一跳びで甲板まで上がってきた。拳がやたら大きく、パンチ一発で骸骨など粉々になりそうだ。或いは頭部から胸部まで繋がった口で噛み砕くのかも知れない。

「おいおい、だから言ったじゃないすかっ」

 叫ぶ副官の頭上すれすれをウヴォンと恐ろしい唸りが通り過ぎ、ハンガマンガの巨体が粉々に飛び散っていた。船首像のサンドラが振り向きもせずに片方の斧を後ろへぶん投げたのだ。

「あ、ああり、ありがとうございましたサンドラ様っ」

 副官が礼を言うがその声は悲鳴みたいに上ずっていた。バンダナキャップが削り飛ばされ、ついでに頭蓋骨の頭頂部も少し削れていた。

 船の下へ群がってくるハンガマンガを聖騎士や骸骨やポル=ルポラ星人達が迎撃し切り刻む。船がゆっくり動いており、戦うのに夢中で油断した船員が潰されていた。多分後で復活するだろう。

「ヒャッハーッ、幾らでもかかってこいやっ。いややっぱり程々のペースでお願いします」

 どれだけ始末しても延々増援が来るハンガマンガに船長が早速辟易している。ポル=ルポラの戦士達は足や腕に食いつかれながらも平然と引き剥がし強力な爪で戦っている。しかしダメージはみるみる蓄積していた。聖騎士は聖剣エーリヤの恩恵もありハンガマンガを凄まじい勢いで斬り倒しているが、雑魚相手の戦いは終わりが見えてこない。

「えっ、味方ですか」

 いつの間にか近くで戦っている男に気づいて聖騎士が驚きの声を上げた。

 身長二メートルを超える大男で、何故かルチャドーラーのようなマスクをかぶっていた。腹が少し出ていて小太りに見えるが、腕の筋肉の盛り上がり具合からすると実際にはかなりのマッチョのようだ。彼の着ているTシャツには「Muscle!!!」という文字がプリントされていた。肌の血色が悪くどうやら死者のようだが、他の死者とも戦っていたりする。こちらへの殺気がなかったため、彼が死者の足首を持って竜巻が生じるような高速ジャイアントスイングを見せるまで聖騎士も意識していなかったのだ。

「ん、俺のことか」

 群がるハンガマンガを百体ほど叩き潰すとジャイアントスイングに使っていた死者もグズグズに崩れてしまったため、投げ捨ててからマスクの大男は漸く聖騎士を振り返った。

「俺は正義のマスクマン、謎のジャック・オブ・ザ・デッドッ」

 聖騎士の異形に怯む様子もなく、両手を腰に当てて胸を張り、大男は名乗りを上げた。そんなことをしている間にハンガマンガに食らいつかれているが、男はびくともしない。これまで齧り取られた傷もどんどん肉が盛り上がって治っている。

「あ、『イモータル』ジャックだ。ジャック・ペルクマンさんですよね」「誰だ、タダナリ。有名人か」「プロレスラーですよ。特異体質で不死身の。すみません、後でサイン頂けますか。ファンなんで」「タダナリー、趣味が多過ぎだろ」

 正義のマスクマンはフッと余裕の笑みを口元に浮かべてみせた。

「いいだろう。こいつらを全部片づけたら書いてやる。だが、メルカリに売ったりはするなよ」

 聖騎士はハンガマンガを殲滅しながら礼を言う。

「ありがとうございます。ところでやっぱり死んでも不死身なんですね。でも服まで元通りになるのはどうやってるんですか」

「ああ、こういうのは気合いと根性だよ。ここはあの世に繋がってるみたいだし簡単さ、お前らでも出来るぞ。気合いと根性さえあれば何でも出来るんだぜ」

 正義のマスクマンは体中を齧られながら獣数体をまとめて両腕で抱え、締め潰していた。

「なるほど、気合いと根性ですか」「なら私達もやれるのでは」「そうだな、気合いと根性なら誰にも負ける気はしないもんな」

「気合いと根性……。くしゃみは」

「えっ誰、急に」

「伏せろっ」

 正義のマスクマンが大声で叫び素早くその場に伏せた。聖騎士も一瞬固まるが勘の良いメンバーのお陰で巨体を沈め、そのすぐ上を「へっぐじっ」の間の抜けた声と共に暴風が掠めていった。その場にいたハンガマンガと死者が千体ほど、それと反応が遅れた骸骨船員数体がくしゃみ一つによって爆裂四散した。

 マスクマンがすぐに立ち上がり、くしゃみを放った貧相な顔の男を背後から抱えるとジャーマンスープレックスを決めた。地面に叩きつけられ男の頭部がグシャリと潰れ、腕を何度か軽く痙攣させるともう動かなくなった。

「な、何ですそれは、敵ですか」「そういえばアメリカの公園でくしゃみで爆発した人がいたとか……」

「フン。七回もやられたらさすがに対応出来るわな」

 マスクマンはそう言うと、何故か素早く背後を振り返った。天丼が来ないか心配になったようだ。

「こいつのことは口にしない方がいい。噂をするとすぐに出てきやがるからな」

 その後でマスクマンは再度後ろを振り返っていた。

「ふむ、気合いと根性か……」

 聖騎士とマスクマンのやり取りを離れた場所で聞いていたポル=ルポラ首長ルーラ・ポポポル・ポルールが呟いた。

「なるほど、ここは既に冥界だ。精神力さえあれば何でも出来るのだな」

 隣で戦っていた元艦長トゥットラ・ルタールも頷くと、その体がみるみる倍くらいに膨れ上がり鉤爪もより鋭く長く伸びていく。

「わしらは戦闘民族だ。精神力では誰にも負ける訳にはいかんな」

 首長ルーラの義足がポロリと外れ、本来なら再生に十日以上かかる筈だった左足の断端からどんどん肉が盛り上がっていく。自慢の白いたてがみが銀色に輝きバリバリと雷光を放ち始めた。

「えっ、気合いと根性でいいのか」

 セイン大統領一派の熱線攻撃で死んでいたポル=ルポラ戦士の死体が起き上がった。死後船員になって骨だけで戦っていた戦士達も肉がつき始めて雄叫びを上げた。腕を増やす者や尾を伸ばして振り回す者もいた。

「へーえ、肉も生えてくるのか。俺様のハンサムな顔を五百年ぶりに復活させてみるかあ」

 船長が髑髏顔を撫でながら言う。

「えっ、船長の顔はそんなに……」

 生前から付き従ってきた部下が突っ込みを入れ、「う、うるせー」と横殴りに振られた剣を伏せて避けると早足で逃げていった。

 気合いと根性で幽霊船の面々が勢いを盛り返し、操舵輪を回す副官は安堵の息をつく。そこに、甲板に誰かが落としていた通信機から声がした。

「すみませーん。さっき思い出したんですが、そちらの船の方にうちの議長が乗ってませんか。キキッペルモという新議長なんですが。通信機はそっちにあるみたいなんですが出ないんです」

 ハタナハターナに乗っているアンギュリード技術者ドッギュールからの通信だった。

「あー、そういえば乗ってたっすね。甲板にはいないから、船倉にでも引き篭もってるんじゃないすかね。それか死んだか」

 副官はあっさり答えた。

 そのアンギュリード新議長キキッペルモはガンデッキにいた。

 砲窓から入り込んでくるハンガマンガを船員達が頑張って迎撃しており、剣と牙のぶつかる音や船員の叫び声で騒々しい。

 そんなガンデッキの隅でキキッペルモは耳を押さえ、目を閉じて蹲っていた。

 彼の足元には通信機が着信を知らせランプを点滅させているが、マナーモードになっているため音は出ない。

「どうしてこんなことになってしまったんだ。どうして……」

 キキッペルモはただ呟いている。

「俺はただ、『HUN○ER×HU○TER』の続きが読みたかっただけなのに」

 いつの間にか勝手に生成される砲弾が少しずつ彼の尻を押し、ズルズルと舷側へ追いやっていく。彼は目を閉じているため気づかない。耳を塞いでいるため戦闘音も聞こえていない。

「議長なんかにさせられて、責任が重くなって、アンギュリードの命運を背負わされて、皆には文句ばかり言われて、一挙手一投足が批判されて、でも愚痴を零す相手もいなくて、俺の無能がばれて地球人には迫害されて、ギュリペチ要塞と無人戦闘機が破壊した分の莫大な賠償金を請求されて、捕まって拷問されて生きたまま解剖されて、きっとその動画がコンテンツになって売られて賠償金の足しにされるんだ。そして俺が死んだ後もアンギュリードの不幸は全部俺のせいにされて、アンギュリード史上最悪の大罪人として未来永劫罵倒され続けるんだ。あー、『HUNT○R×HUNTE○』が続いてさえいれば俺の心は救われたかも知れないのになあ。もう作者は死んじゃったのかなあ。ああ、考えてみたら俺が読んだことのない名作が地球にはまだまだ沢山眠っているんだろうなあ。保護しないと。って、あちこち破壊されて電子機器も使えなくなって図書館も燃えちゃったからあまり残ってないんだろうなあ。畜生、どうしてこんなことになってしまったんだろう。でも何処か地下深くのシェルターに大量のコミックが保管されている可能性もあるかも知れないな。でも俺は大罪人だから読ませてもらえないんだ。台に縛りつけられた俺の目の前で拷問官が凄く面白そうにコミックを読んで大笑いするんだ。でも俺には一ページも読ませてくれないんだ。そんな拷問を五十年くらい続けるんだ。もし『○UNTER×HU○TER』の続きが出ても俺にだけは読ませてくれないんだ。あ、そのストレスで俺は念能力に目覚めてしまうかも……アダッ」

 頭に何かがぶつかり、キキッペルモは長い堂々巡りから漸く我に返った。耳から手を離し目を開けると、激戦の最前線がそこにあった。

「弱え。弱過ぎるな、こいつら」

 キキッペルモの目の前に男が立っていた。全身血まみれで、両手にそれぞれ大型の鉈を持っている。体中傷だらけでそこから大量の出血が続いているのだが、どうやらそれがこの死者の自己イメージのようだ。

 キキッペルモは足元に落ちたものを見る。彼の頭にぶつかったそれの正体は、骸骨船員の切断された片腕だった。他にもバラバラになった骨のパーツや黒い肉塊がガンデッキに散らばっている。砲窓での押し合いを制してただ一人残ったのがこの男らしい。

「骨と獣ばかりで辟易してたが、今度は卵、かな。ククッ、ハンプティ・ダンプティ、塀の上、か」

 男が血みどろの顔で凄惨な笑みを浮かべると、頬の傷口がパックリと開いて白い歯列が覗いた。そこから血が溢れてきてボタボタと落ちる。

 キキッペルモは一杯に見開いた目で男の顔を見上げている。細い手足がプルプルと震え、頭と融合した卵形の胴体に引っ込みかけてはまた伸びるという無意味な行為を繰り返す。

「あ……はい、念、能力が、ですね……」

「割ったらどうなるんだろう。黄身と白身があるのかな。それとも赤身なのかな」

 男が笑顔のままで二振りの鉈を振り上げる。その動きで血が飛んでキキッペルモの顔にかかる。男自身の血か獣の血か分からないものが。

「あ、あの……話を……」

 キキッペルモの顔が泣きそうにクシャリと歪む。白い肌に青が差していく。

「ハンプティ・ダンプティ、落っこちた」

 二振りの鉈が振り下ろされる瞬間、「ふざけんなああっ」の怒号と共に青い閃光が血まみれの男を船の側壁ごと吹き飛ばした。鉈も男も、跡形もなく粉々に消えた。

「えっ、何っすかこれ。船の横っ腹が吹っ飛んだんすけど」

 船上で副官が呆然と呟くうち、なくなった側壁から飛び出した卵型宇宙人が青く光りながら怒鳴り始めた。

「ふうううざけんなこのボケエッ、いい加減にしろこのクソボケナスがああっ。なんで俺がこんな面倒臭いクッソ面倒臭いことに巻き込まれなきゃならねえんだよ。お前のせいかお前のせいかお前のせいなんだろ。俺はなあ、ただ漫画が読めりゃ良かったんだよ。誰だよ漫画を読めなくした奴はお前かおい返事しろよお前だろお前だろお前だろうが、お前ら全員ぶち殺してやるっ」

 キキッペルモは宙に浮かび、その顔面に無数の青筋を走らせていた。それは静脈ではなく動脈だ。アンギュリード星人の血の青と同じ光が、心臓の拍動に合わせて彼の全身から放たれる。その光を浴びた死者や獣達は粉々に分解されて吹き飛んでいく。

「おおっ、あれはまさか伝説の……。まさか私の代で目にすることになろうとは」

 甲板の通信機からアンギュリード技術者ドッギュールの声が聞こえた。

「知っているのかライデン」

「え、今の誰です。いや、そんなことより、あれはスーパーアングリー・アンギュリードに相違ありません。内気で臆病で陰湿陰険卑劣な我々アンギュリードが真の怒りに目覚めた時、あらゆる敵を殲滅し尽くす破壊の権化が降臨すると伝えられていました。しかし長いアンギュリードの歴史においても、これまで二人しか発現しなかった幻のモードなのです」

「ええっと、もしかしてドッギュールさんって、自分の種族が嫌いだったり……」

 トーマスの台詞は途中から怒号に紛れた。スーパーアングリー・アンギュリードと化したキキッペルモが青い閃光で周囲を爆殺しながら低空を飛び回り、溜め込んだ鬱憤を吐き散らしていた。

「いいか、文化ってのはなあ、保護されなきゃいけねえんだよ。表現の自由を潰しちゃならねえんだよ。クソ野郎のろくでなしでも名作を生み出す可能性は残ってるんだよ。だから無闇矢鱈に殺すなっ。創作者を保護しろっ。図書館を守れっ。違法コピーは取り締まれ。でも俺には見せろっ。電子書籍は高いっ。立体映像の視聴は疲れるっ。途中で広告を挟むなっ。ゲームのDLC商法はやめろっ。新しい機種になったら古いゲームがプレイ出来なくなるのはなんとかしろっ。ガチャは悪い文明っ。クソ忙しい時期にイベントやるなっ。詫び石寄越せっ。天井つけろっ。復刻イベントは常設にしろっ。初心者に優しくしつつ古参の立場も守れっ。いやそれよりも、ト、ト……トガ〇は仕事しろよおおおおおおっ」

 

 

 破壊と混沌の荒れ狂うベルリンを、ラウンド・ザ・ワールド・レイルロードのベルリン駅の上から鮫川極はのんびり眺めていた。

「なんともはや、実に、素晴らしい」

 駅ビルの屋上に、ラウンド・ザ・ワールド・ドリーム・エクスプレスの食堂車両である七号車だけがいつの間にか設置されていた。中にいるのは鮫川と酒盛り相手である白いドラゴン、そして覚悟を決めてついてきたウェイトレス一人だけだ。

「様々な勢力が入り乱れての大乱戦。超能力が飛び交い、巨大な怪物同士が取っ組み合い、上空からは破壊光線が乱舞する。僕がまだプロデューサーだったらカメラを千台くらい用意して撮影しまくり、見せ場を編集して一大スペクタクルとして売り出すのだが。まあ、視聴してくれる人類が絶滅しているかも知れないところが難点だな」

 ワイングラスを優雅にスワリングしながら鮫川は語る。テーブルの上に寝そべる白いドラゴンはキューと可愛らしく鳴いて相槌を打つ。鮫川の言葉を理解しているのかは不明だ。

「残念な点を挙げるとすれば、戦力の大半が死者であることだな。致命傷でも回復するし、回復出来ず滅ぶことになっても気にしない連中だ。つまり、緊張感が足りないんだなあ」

 鮫川はステーキ皿に手を伸ばしナイフを取る。次の瞬間食堂の窓の一つがいきなり割れて黒い何かが飛び込んで……こずに爆裂四散した。

 一拍遅れて悲鳴を洩らししゃがみ込んだウェイトレスが、十秒経っても何も起きないので顔を上げる。

「い、今のは何だったのでしょうか」

「以前解体してやった獣がリベンジに来たようだ。もう片づけたがね。一度倒した敵が再登場する場合、戦闘に時間をかけるのは良くない。視聴者に飽きられてしまうからね。再生怪人が弱いというのはそういう理由もあるのだろうな」

 鮫川の手からステーキナイフは消えていた。窓から飛び込もうとした『速い獣』に投げつけて爆散させるのに使ったのだ。

 フォークを取って一切れだけ残っていた肉に突き刺すが、ドラゴンの期待を込めた視線に気づく。鮫川はミイラのような顔に苦笑を浮かべて最後の肉を差し出し、ドラゴンは嬉しそうにハグハグと食べる。

 ワインを飲み干して、鮫川はウェイトレスに告げた。

「またステーキを頼む。成形肉でも合成肉でもないものがまだ残っているということだったね。それから趣向を変えてブランデーにしよう。ストレートでじっくりと……ああ、そうか。今の僕には体温がなかったな。ホットにしてくれたまえ」

 鮫川はそう言って、先端の鋭く尖った金属製の指をカチリと鳴らす。その後に彼は奇妙な動きをした。自分の後頭部に素早く手を回し、すぐ目の前に戻したのだ。

「気づかないとでも思っていたのかな」

 白目の部分が真紅に染まった、大きな瞳を黒光りさせて、鮫川は指でつまんだ毛玉に尋ねた。

「マテ。コウショウヲシタイ」

 毛玉が小さな声を発した。

 妙に光沢のある、青い毛の集まりだった。毛虫のようにやや細長く、体長は十数センチ程度でモゾモゾと蠢き、先端部だけでなくあちこちの毛の間から小さな眼球らしきものが覗いていた。

「ダールというのは君のことだね。乗客の青年に取り憑いて事態を振り回したそうだが、顛末は僕も聞いている。それで、敗者復活を狙って僕の体に潜り込もうとしたのかな。死者が死者に取り憑くというのも妙な話だがね」

 魔神ダールが車両に入り込んだのは十分ほど前だった。こっそりゆっくり壁を這い上り、天井に張りつき、『速い獣』の爆散に紛れて這い急ぎ、注文の隙を狙って鮫川の首の後ろを目掛けて降ってきたのだった。

「コウショウヲシタイ。コノダールハオマエノヤクニタテル」

 青い毛玉の小さな眼球の、小さな赤い瞳が鮫川の目を見据えていた。

「さて、どうだろう。おかしな力を使っていたらしいが、僕にはただの喋る虫にしか見えないな」

「コノダールハ、トッド・リスモノモウソウノサンブツダ。ジンチヲコエタチカラデ、トッド・リスモヲツゴウヨクタスケルソンザイトシテウマレ、ヤガテドクジノイシトヨクボウヲモッタ。コノダールハ、サイショウゲンノロウリョクデ、カチグミニナリタイノダ」

「ああ、自己紹介はもう充分だ。人知を超えた力を持つというのなら五秒以内に使うことをお勧めする」

 ダールをつまむ鮫川の指に少しずつ力が込められていく。

「オマエハメイオウニスリツブサレル」

「ふむ……」

 ダールの指摘に鮫川は指を止めた。

「ヨリシロナシデ、キセキヲオコスヨリョクハナイガ、ヨチハデキル。オマエハメイオウ・ハスナール・クロスニヨッテ、デモンストレーショントシテツブサレル。ソレヲフセギ、カチノコルタメニナニヲスベキカ、コノダールガアドバイスシテヤル。マズハ、『ダールニシタガウ』トトナエロ。トナエサエスレバ、オマエハワガオンケイヲウケラレル」

「……。ふうん」

 鮫川は興味を失ったように指を開き、青い毛玉をステーキプレートの上に落とした。余熱でジュッと音がして毛先が少し焦げる。

「ナニヲスル。コノダールノヨチヲシンジナイノカ」

「信じていない訳ではない。君にとって都合の悪い内容は隠しているだろうということも含めて、それなりに信用しているとも。ただ、僕はもうそういうのは、どうでもいいんだ」

「ナニ。コノママデハ、オマエハヤブレサルノダゾ。スリツブサレ、キエルノガコワクハナイノカ」

「おやおや、君の予知とやらの信頼度がどんどん下がっていくな」

 鮫川は陰惨な笑みを浮かべながらフォークを毛玉の中央に突き刺した。フォークの先端はあっさりプレートを貫いて毛玉を固定する。

「僕はこれまで随分と殺してきたし、自分が殺されもした。敗れ去るのも磨り潰されるのも経験済みで、消えたとしても特に怖くはない。何がどうなろうが僕は僕でしかなく、真理も不変だからね。今更砂場遊びの小さな勝ち負けなどに興味はないのだよ」

「ス、スナバアソビダト。コレハセカイノハケンヲカケタ……」

「そんなことよりも、自分を魔神だ何だと主張している毛虫が自慢の予知を外して、どんなふうに悶え苦しむのか、そちらの方に興味が湧いてきたな。真理についてじっくりと、啓蒙してあげようじゃないか」

 鮫川の黒々とした瞳が嗜虐の悦楽に輝き始めた。片手でプレートをつまんで持ち上げると、以心伝心でドラゴンが口から光線を吐いた。適度に火力を調節した白い光が下からプレートを加熱し、青い毛玉を踊らせていく。

「ヤ、ヤメロ。アツイ。ヤメロ。コノマジンダールヲナンダト……」

 ウェイトレスは厨房から黙って様子を見守り、焼き上がったステーキを出すタイミングを窺っていた。

 

 

 全長二十六メートルの巨大ククリを振り回しながら、ふとイドが呟いた。

「覚えがある」

「どうしたの、イド」

 背負子に座るシアーシャが尋ねる。

「戦っていた気がする。俺はいつも、こんなふうに」

 シアーシャは驚きに目を見開くが、イドからはその表情は確認出来ない。少女は平静を装った声音で返す。

「そうなんだ」

「敵が沢山いた。倒すべき敵が。こんな奴らでは、なかった気がするが」

 不気味な死者達と黒い獣達の絡み合う地獄のような乱戦にイドは突き進んでいく。一振りで百体近い敵が輪切りにされぶっ飛んでいく。別の相手と戦っていた敵も、こちらに向かってくる敵も、圧倒的なリーチと質量の暴力であっさり破壊されていく。

「どうして俺は、戦っていたのだろう。敵が憎い訳ではなかった。戦う必要が、あったんだ」

 戦いながら考え込むイドに矢の雨が注ぐ。翻したククリの刃で大半を防ぎ、洩れた数本の矢はシアーシャの見えない障壁が弾いた。

「そう、だ。皆のためだった。誰かの……。守るために……守りたかった……」

 ミチッ、と、ククリの柄を握るイドの腕に力が入る。

 倒壊しかかったビルの陰から巨大なハンガマンガが顔を出した。径三十メートルほどの丸い口の周りに触手のような長い腕が多数生えており、死者でも同胞でも構わず掴んで口に放り込んでいく。だがイドに手を伸ばしたところでククリの一閃によって真っ二つになり、もう一閃で爆裂した。

 一瞬も気を抜けぬ激戦の中で、イドはまだ考えている。シアーシャは黙って彼の言葉を待っている。

「守るべきものは……まだ残っているのか」

 イドの自問するような呟きに、シアーシャは答えた。

「かなり減ってしまったけれど、まだいるよ」

 自分もそのうちの一人だなどとは、彼女は主張しない。

「そうか。……なら、敵を滅ぼさなければ。やり方を、思い出した」

 イドの鼓動が倍以上に加速するのが背中のシアーシャに伝わっている。イドの脳から発せられた意志が心臓に届き、心臓から無形のエネルギーが送り出され全身を巡っていく。濃い赤髪が燃えるように逆立ち揺れる。滲み出る力が全身を発光させるが、イドはそれをコントロールして体内に引き戻し、光るのは深い緑色の瞳だけとなった。

「シアーシャ」

 動き出す前に、イドは背中の少女に声をかける。

「何」

「ずっと前から、君を知っていたような気がする」

「……うん」

 頷くシアーシャの目にうっすらと涙が滲んでいた。

 イドが駆けた。一直線に連なる残像を残し、彼の通り抜けた後は死者も獣も粉々に砕け散っていた。元々常人離れしたイドの身体能力が、数十倍規模で強化されていた。

 溢れる敵を瞬時に殲滅しつつイドが超スピードで進む。ククリのスイングは敵の目に留まることなく破壊という結果のみを残した。死者が飛び道具を使うにも狙いを定めることすら出来ず、また、ククリの間合いを遥かに超える場所に立つ死者も何故か斬られていた。

 凄い勢いで大通りを掃除して敵の多い方を選んで右折、何の抵抗もなく進撃する途中でシアーシャの警告が飛ぶ。

「イド」

「分かってる」

 半透明の球体が飛来してイドは素早く横に避ける。充分な距離を取って、高速で通り過ぎていくそれをイドの目は冷徹に観察していた。触れたものを粉々にしていく破壊力の結晶。ビルの壁を削り取っても殆ど減衰しないのを見届け、イドは黙って頷いた。

 滑るように大蛇が接近してくる。頭部の近くに人間の腕が八本生え、それぞれに剣を握った異形の強者。鎌首をもたげ剣を振り上げた姿勢から恐ろしい妖気が染み出していた。

 イドが巨大ククリを横殴りに振るう。と、予期していたように大蛇は素早く伏せて暴風をくぐり抜けた。そこに半透明の破壊球がイドへ飛んできていた。大蛇は自分の体でイドの視線を遮り破壊球の接近を隠していたのだ。後方に目元を銀色のマスクで隠した女が浮かんでいた。美しい口元が勝利を確信して歪む。

 だが、次の瞬間イドに迫る破壊球は真っ二つになって霧散し、八十メートルほど離れていた女も彼女を包む球体障壁ごと水平に断ち切られていた。何か言いたげに口を開くが、言葉らしきものが出る前に女は爆裂した。

 連携の失敗に動揺することもなく大蛇が襲いかかる。八本の剣で猛速の連撃を加える、べきその先にイドはいなかった。大蛇の丸い目が彼方を駆けてゆくイドの背を追い、続いて長く切り裂かれた自身の胴を認めた。何も出来ぬまま冥界の将は爆散した。

 雑魚の群れを片づけた先に巨大な触手が踊っている。境界線が破れたとはいえテンタクルズがそのまま現世に全身を移動させるのは難しいようで、通路だった場所から少しずつ触手の数を増やしている。死者と獣が触手を潰すペースよりも補充の方が速く、ここから見える範囲でも百本以上がそびえ立ち蠢いていた。

 イドは一旦立ち止まり、大きく深呼吸する。心臓の鼓動が平常に戻っていく。

「大丈夫。無理しないでね」

 シアーシャが言う。イドに背負われて相当に振り回された筈だが具合の悪そうな様子もない。

「大丈夫だ」

 イドは答え、深呼吸を繰り返すうちにまた鼓動が加速していく。静まっていた瞳の輝きが強くなり、動き出そうとしたところで触手の山が爆発した。

「ちゃんと説明してくれよ名前だけで再登場しても誰だったか分かんねえんだよハーレムなのに個性がなくて区別がつかねえんだよ最初は期待出来そうだったのに結局テンプレ展開に収束していくのやめろよ取り敢えずでテンプレヒロイン入れるのもやめろよそんな義務みたいな読者に媚売っとけみたいな適当な配置されても読む方は楽しくねえんだよ」

 青い光をまとった何かが訳の分からない叫びを上げて遠ざかっていく。撒き上がった触手の束が粉々に分解され雨のように降ってくる。

「あー、あれは味方」

「そうか」

 改めてイドは巨大ククリを構えた。

 数十本の触手がまとめて吹き飛んだが、新たな触手が顔を出しつつあった。

 足元の地面が爆発し、イドの姿が消える。

 出る途中だった触手群、幅二百メートルほどの範囲がまとめて水平に断ち切られ、蠢きながら落ちていく。

 一瞬後、左隅に残っていた触手も斬られ、更にその次の瞬間には奥の触手がすっ飛んだ。バラバラと地面に落ちた触手達は無目的にグネグネともがいている。イドは元の場所に立ち、近づいてくる触手だけは切り飛ばしつつ、触手が出てきた根元の方を見つめていた。

 テンタクルズの通路は今や径三百メートルほどとなり、白い触手の断端が切り株のようになってみっしりと並んでいる。それらが引っ込むと暗い大穴が残った。

「イド、あそこには落ちないでね」

 シアーシャが警告する。

 奥の見通せない大穴から白い肉の先端が現れた。続々と顔を出し伸び上がっていく新たな触手の群れを見ながらイドはまだ動かない。

 真上に伸びた触手の長さが百メートルを超えて横に広がり始めた時、巨大ククリが閃いた。

 充分な溜めを経た一閃は触手の束を根元付近で残らず切断した。触手が地面にばら撒かれ、端の方をハンガマンガ達が齧っている。

 断端はまた引っ込んでいった。そしてまた新たな触手が現れる。ある程度まで伸びるのを待ってイドはククリを振り、まとめて断ち切る。

 次は触手の断端が引っ込んだ後、暫く動きがなかった。後方から獣の群れが駆けてくるのでイドは数度ククリを振って片づける。

 と、大穴から触手の束が勢い良く噴き出してきた。これまでより本数が多く、ぎゅうぎゅう詰めで大穴がまた嫌な軋みを上げる。

 イドはそれもまとめて斬った。

 また触手が出てくる。またイドが斬る。また触手が出る。またイドが斬る。触手の主も意地になっているのか、同じ結果になっても延々と繰り返す。イドも無表情に、延々と、斬り続ける。

 突然地面が盛り上がった。大穴を中心にして一気に径五百メートルほどが浮き、激しく揺れ、ねじれ、破れていく。崩れかけたビルが倒れ、ちぎれた触手や獣達が巻き込まれる。イドは素早く後方に跳躍しつつも、盛り上がりの中心から目を離さない。

 大穴に何かが見える。透明な浅い盛り上がりが……と、更に崩壊の範囲が広がり径一キロメートルほどの大地が崩れた。

 咄嗟にシアーシャが空中に見えない足場を用意し、イドはその上に立つ。更に跳躍して広範囲の崩壊から逃げるべきだろうが、イドは穴から現れようとしているものをまだ見据えていた。

「イド」

 シアーシャが声をかける。

 透明な盛り上がり。元はほぼ平面であったものが、狭い通路を押し壊しながらはみ出してこようとしているためごく浅くながら膨らんでいる。端の方は土砂や瓦礫がどんどん乗っていくが凹んだり傷ついたりする様子はない。

 膜状になった透明な層の奥に、底知れぬ闇が覗いていた。先程までの暗い穴とは異なる、不気味で圧倒的な気配がこちら側の空間それ自体を震わせる。

 殺し合いに慣れた不遜な死者達も思わず動きを止めた。

 恐怖というものを知らぬ獣達もその場に伏せたり逃げ出したり、パニックになって転げ回ったりした。

 既にイドの足の下には透明な闇が広がっている。シアーシャが作った見えない足場がチリチリと微かな音を立ててゆっくり崩れていく。

「目だ」

 イドがぼそりと呟くと、足場を蹴って跳んだ。後方ではなく、前方へ。冥界からはみ出そうとする巨大な邪神のその眼球に、身を投げ出すように。

 フヒュッ、とイドが鋭く息を吸う。刃渡り二十五メートルの長大な殺戮凶器を大上段に振りかぶる。ククリの峰が、背負子に腰掛けるシアーシャの額から二十センチほどの場所で停止する。柄を握る両腕に凄まじいエネルギーが凝縮され発光し、その光がククリの刃に移っていく。

 イドの顎の筋肉が盛り上がり、全霊を込めた斬撃が振り下ろされた。流麗なスイングは一繋がりの銀色の残像と化し、本来の刃渡りを超えて巨大な眼球へ伸びる。

 透明だが恐ろしく強靭な角膜を、銀の剣閃があっさりと貫いた。深い闇を光が何処までも切り裂いていき、更に前後に広がって角膜を縦に割っていく。

「イドッ、足場を……」

 落ちていくイドにシアーシャが告げる。生成されたばかりの新たな足場をイドは感知して両足で強く蹴る。弾丸のように前に跳んだ二人の後ろで、透明な液体が真上に噴出する。眼球を割られて中身の房水が溢れたのだ。それは縦長の壁のようになって数百メートルの高さまで伸びる。だが見えない足場を作っての跳躍を繰り返し、イドが遥か先の地面に着いた頃には液体の噴出は勢いを失っていた。

 素早く振り返る。径一キロメートルの裂けた角膜は大地を震わせながら沈んでいく。

 ……イタイ、モウイヤダ……

 イド達の頭に、いやベルリンにいた全ての生者と死者の頭に声のような何かが響いた。

 それから巨大な角膜は消え、残った直径一キロの暗い穴は向こう側から乱暴に閉めようとしたみたいに歪んだ形で縮んでいき、三百メートルほどになって止まった。もう、出てくるものもない。

「諦めたみたい。……イド、大丈夫」

 背中のシアーシャが尋ねる。

「大丈夫だ。次へ行こう」

 イドは言った。

 

 

「テンタクルズが撤退したようです。……あー、シー・パスタとも呼ばれてましたね」

 カナダ首相ティモシー・ハートへ、別行動するハレルソンからの通信が入った。人々の歓声も混じって聞こえる。丁度生存者を地下倉庫に送り届けたところなのだろう。彼らは地上のリアルタイム映像を観ており、戦況をある程度把握している。

 異星人の通信機を持つメンバー達のやり取りも、こちらに流してもらう設定にすることも出来る。だがハート自身は大量の情報が入ってくると混乱するので切っており、パワードスーツ同士の回線のみ開いている。

「よく分からないが、それは良かった」

 ハート首相は答えつつ、天井が崩れかけた暗い部屋をライトで照らしながら進む。暗視モードにすることも可能だが、こちらの存在を示すためにも光らせている。

「すみません、救援に来ました。生存者の方はー」

 この部屋ではないようだ。生存者の捜索は通信機を持ったまま壁を素通り出来る教皇やフルケンシュタイン博士の万能カメラが主に担当し、連絡を受けたミフネが手の空いているパワードスーツに指示、ワープして救出して戻る、というパターンになっている。都市の破壊が進行しており一刻を争うため、パワードスーツは単独出張が多くなっていた。

「生存者の方ー」

「ぬあがああああっ」

 歪んだドアを押し開けるといきなり奇声と共に鉄パイプが振り下ろされた。ハートは一瞬ビビッたが、金属製のメットは凹みもしない。

「落ち着いて、敵ではありません。落ち着いて、助けに来たんですよ、お、落ち着いてっ下さいってば」

 何度も叩かれながら説得し、漸く相手は鉄パイプを落として泣き始めた。痩せた若い男で、ろくに眠れていなかったのだろう、目の下にひどい隈が出来ている。

「じゃあ避難しましょう。安全な場所がありますから。……と、その方も」

 奥に横たわる女性に気づき、ハートは尋ねる。男は泣きながら何も言わず首を振った。

「亡くなって、いるのですね。失礼しました。こちらです。すみません、時間がないので」

 男を急き立ててハートはワープゾーンに戻る。真っ黒い壁に男は怯えたが、大丈夫だと何度も説明し、結局手を繋いで一緒に渡った。

「帰還しました。生存者一人です」

 微妙に光量の足りない広い地下倉庫に到着する。呆然と立っている男に、生存者が集まっているところを指差すと、よろめきながら歩いていく。

 と、立ち止まってこちらを振り返り、男は言った。

「あ、あの……ありがとう」

「どう致しまして。あなたが助かって良かったです」

 ハートは答え、メットの中で寂しく微笑した。男に気づいた生存者達が笑顔で迎えている。

「お疲れ様ーでしたー。次の要請までお待ち下ーさい」

 黒い壁のそばに立つロギが間延びした喋りで見せかけの労りを示す。黒い布袋を頭からかぶった助手は生存者の救出に自ら動くことはしないが、ワープゾーンの調整だけは受け持ってくれていた。

 どうせすぐに次の指示が来るだろうが、ハート首相は生存者達を見渡して思ったことを口にする。

「どのくらい救出されたのかな。五千人くらいは助けられたろうか」

「現時点で千七百三十七名ーです。ただーし一人は救出後すぐに出血多量で死亡しましーたので、実質的には千七百三十六名ですーね」

「……。そうかあ……。最初は生存者が二十万人いると聞いた気がするが、やっぱり、厳しいなあ……」

 ハートは嘆息した。ロギは布袋に開いた一つの穴から片目だけでこちらを見守っているが、ハートの感傷に興味などなさそうだ。いや、目の血走り具合からはとんでもなく不穏なことを考えているのかも知れない。

「ハート首相、よろしいですか。生存者三名の救出をお願いします。地下室です。教皇猊下が接触済みですから素直についてきてくれると思います」

 ミフネからの連絡が入った。同時に銃声が聞こえるから、向こうは救出作業中に敵と遭遇したようだ。それでもミフネの口調は冷静で、比較的安全な場所をハートに割り振ってくれている。

「目標地点とお繋ぎしました。では、行ってーらっしゃいませ」

 ロギが一礼し、ハートは「行ってきます」と言いながら黒い壁に進んでいった。

 

 

「連載途中で絵柄が変わるのはしょうがない。でも途中で話のジャンルが変わっちまったら駄目だろうがっ。なんで超能力宇宙大戦が途中から宗教の話になるんだよっ。なんで不死身の男のアクションものが途中から宗教の話になるんだっ。言霊のせいにするなっ、作者は自分だろうがっ。期待していたのに、期待していたんだよっそれがどうして途中から……。いやギャグ漫画が途中からシリアスに変わるのは許せるんだ。でもたまにはギャグも入れてくれっ。……いや、結局、作者自身の意志なら途中でジャンルや作風が変わっても仕方がないのかも知れないな。編集の都合とかどっかの団体の圧力とかでなければ。一番悪いのは期待させておいて完結させないことだ。何だよ休載五十年ってっ。結局〇ガシが……あれっ、ここ何処だ」

 怒りの化身となったキキッペルモはいつの間にか荒野を飛んでいた。空はどす黒く、時折赤や紫の色が混じり雷鳴が轟いている。ベルリンの上空もそんな感じではあったが、何か違う。

 眼下には乾いた荒れ地が広がるばかりで、ベルリンの街並みも瓦礫も見えない。完膚なきまで破壊され砂と化した、という訳ではなさそうだ。

 そんな大地に巨大なものがいた。

 無数の白い触手に覆われた、恐ろしい気配を持つものだった。触手一本一本の幅は十メートルほどもあり、物凄く長い。全身を目測しようにも果てが見えず、上部は暗い空に溶け、下部は地中に埋まっているようだ。

 ……イタイ、イタイ……

 声のような思念のようなものがキキッペルモの頭に響いた。

「お前のせいかあああっ」

 キキッペルモの憤激が青い光となって巨大なものを照らす。

 ……グギャベッ……

 恐ろしい気配を持つ巨大なものは粉々に爆散した。

「……あ。別に、こいつのせいじゃなかったかも知れないな。ト〇シの件は……」

 キキッペルモが我に返って呟くと、地上から声をかける者がいた。

「君君ぃ、駄目だよこっちに来ちゃあ」

「え、はい。……えっ」

 キキッペルモは驚いてそちらを見る。

 荒野にポツンと綺麗な白い床があり、そこで高級そうなソファーにリラックスした姿勢で座る人影がいた。姿は真っ黒に塗り潰され、輪郭だけが分かる状態だ。

 ローテーブルに置かれたポテトチップスをつまみながら、人影は渋みのある声で続ける。

「ん、んー、ここは今控え室みたいなものなんだから。こちらはラスボスとしての登場間近で気持ちを整えているところでね。デモンストレーションもとっくに済ませたし、本番直前に覗きに来るなんて、無粋な真似はしないでくれたまえ」

「あ、すみません。帰りますね」

 キキッペルモが謝罪すると、人影は無言で空を指差した。その先にゆっくりと渦を巻いているところがあり、中央の丸いところから淡い光が洩れている。

 キキッペルモは浮遊してそこに入ると、まだ戦闘で騒がしいベルリンに戻ってきた。

「はあ。なんか言いたいことを全部吐き出したら、くたびれちゃったな……」

 キキッペルモは瓦礫の上を歩き、丁度良さそうな窪みに体を横たえると死んだように眠りについた。

 

 

「右っ、ドラゴンの背中に回り込んでっ。レーザーが来るっ」

 エリザベス・クランホンの指示に従いトーマス・ナゼル・ハタハタは素早く操作する。反重力推進装置の挙動にも慣れ、自由自在という訳ではないが墜とされない程度の動きが出来ていた。

 上半身だけになった巨大ロボット・ハタナハターナは、ドラゴンを正面に据えたまま右へ回り込む。全長二百メートルを超える暗赤色のドラゴン……メギラゾラスという名前らしいそれは、左目だけをグルリと動かしてハタナハターナを捕捉していた。しかし、こちらに構っている暇はない筈だ。

 セイン大統領の搭乗機が数十本の熱線を飛ばしてドラゴンを焼いていく。ドラゴンの陰にいなかったらついでに焼かれていた筈だ。ハタナハターナの装甲は短時間の照射には耐えるが、一点集中照射を浴び続けると無事では済まないだろう。トーマスはティルトローター機の位置を意識して、ドラゴンを盾にする位置をキープし続けた。ちなみにあの熱線がレーザー光線の定義に当て嵌まるのかは不明だが、彼らにとってはどうでも良いことだ。

「後ろっ尻尾っ」

「おい尻尾が来るぜっ」

 周囲警戒に専念するルラコーサの叫びは、超能力を持つクランホンの声より僅かに遅れた。

 背後から長い尾が水平に迫っている。トーマスはギリッと歯を食い縛り集中する。ペダルの踏み具合を調整し二本のレバーを大きく動かした。

 ハタナハターナの巨体が振り返りつつ胴を傾け、更に少し下降する。そのぎりぎり上を通り過ぎる尻尾を、左腕に取りつけた三本の爪が切り裂いていった。

「ビューティフォーッ」

 ルラコーサが歓声を上げる。尻尾を切り裂きはしたが切断には足りなかった。トーマスはすぐに姿勢を戻してドラゴンの陰にい続けた。

 メギラゾラスは翼や左前脚が再生していたが、絶え間ない攻撃に晒されボロボロになっていた。強靭な鱗もあちこち剥げ落ち血を滴らせている。それでも戦意が衰えることはなく、咆哮の後にティルトローター機へ向けて巨大な炎を吹きつける。かなり広範囲なもので、ハタナハターナからの視界も炎に遮られた。

 セイン大統領を乗せメイドが操る機体は急上昇して避けた。ドラゴンは炎を吐きながらそれを追う。更にそれをハタナハターナが追いすがり、爪で斬りつけようとしたところでクランホンがトーマスの頭を掴んで叫んだ。

「後ろに下がってっ」

「アダッ、ちょっ」

 トーマスが痛がりながらハタナハターナを下がらせる。急激な逆進によってアンギュリードの科学者ドッギュールがコックピット内をバウンドした。

 次の瞬間、斜め上からドラゴンの胴を貫通した高エネルギー弾がハタナハターナの腰の下を掠めていった。下半身があったら吹き飛んでいただろう。たまにしか使われないが、セイン大統領の左腕の砲塔が力を発揮したようだ。

 メギラゾラスの巨大な胴が赤熱し内側から膨らんでいく。小刻みに炎混じりの息を吐いてなんとか耐えているが、開いた大穴と体中の傷からボダボダと大量の血を流し続け、全く余裕がなさそうだ。生前のように三つのドラゴンが融合していたなら強敵だったかも知れない。しかし今の武器は巨体と耐久力と出の遅い炎くらいで、更には生前より幾分動きが鈍いように見えた。

「ふうむ。神話の生物が地球人の科学兵器に敗れるのか」

 ドッギュールが撮影しながら呟く。

「いやあ、死人のあれを科学兵器と呼んでしまっていいんですかね」

 トーマスが突っ込みを入れるが、我に返って背後のクランホンに尋ねる。

「ええっと、ドラゴンにトドメを刺した方がいいですか。今なら刺せそうですけど」

 このメンバー内でクランホンは完全に司令塔と化していた。

「待って、先に大統領を弱らせないと……よけてっ」

 再びの急な警告にもトーマスは素早く反応して回避機動を取ったが、少し間に合わなかった。

 ハタナハターナの右腕が、肘のやや上で切断されていた。

「ああっまたっ」

 トーマスは悲痛な叫びを上げる。

 黒く薄いカーテンのようなものがハタナハターナの本体と右腕の間に張られていた。それが何であるか、彼らは既に経験している。

 カーテンの持ち主はハタナハターナの上方にいた。浮遊しているというより宙に静止しているように見える、黒い怪物。体長二メートルほどなのに、自分の数億数兆倍もの質量を平気で啜り食らうハンガマンガの王・グラトニー。

 長く伸びた黒い爪の軌跡がそれぞれ薄いカーテンのような残像となり空間に留まっている。ハタナハターナは片腕で済んだが、全長二百メートルのドラゴンは四本の爪で五枚にスライスされていた。すぐには分解せずゆっくりとずれていき赤い断面を晒す。切断された角が数本落ちていく。ワニやトカゲに似た頭部の左端がベラリとめくれ、ゴボゴボと湿った音をさせながら炎の欠片を噴いた。

「弱ったところを掻っ攫うつもりだったのかい。王にしてはみみっちいな」

 ルラコーサが毒づく。

「急いで離れて。このままだと私達も吸われる」

 クランホンの指示に、「畜生、腕が……」と呻きながらもトーマスは従った。薄いカーテンはハタナハターナを固定しようとしたが、反重力推進装置のパワーが勝り、ある程度移動すると吸引から解放された。

 スライスされたドラゴンの向こうではティルトローター機が片翼を失ってその場でグルグル回っているのが見える。グラトニーは一挙動で三つの敵を切り裂いていたらしい。

「やっぱり、まるで攻撃が見えなかった。こんなのどうやって倒せばいいんだ」

 トーマスは歯軋りする。その肩に手を置いてクランホンが告げた。

「やっぱり、あいつは生前より弱くなってるわ。インドで戦った時より動きが遅い」

 ティルトローター機から数十本の熱線が伸びた。機体の姿勢はまだ不安定なのに熱線は正確に上空のグラトニーに向かっていた。

 そして熱線は虚空を貫いた。その場にグラトニーはおらず、咄嗟に切り離された薄いカーテンはスライスされたドラゴンを保持出来ずに落とし、ゆっくりと空気中に溶けていった。

 メギラゾラスと呼ばれたドラゴンは、バラバラになって力なくただ落下していく。疑似冥界と化したベルリンにおいて『気合いと根性』さえあれば幾らでも再生して戦える筈だが、その気力も尽きたようだ。やがて地響きを立て大量の瓦礫と土埃を巻き上げて大地に激突し、動かぬ肉塊をハンガマンガの群れが食い散らしていった。

「あそこに」

 クランホンが指を差した先にグラトニーが浮かんでいた。

 無傷で熱線を躱したかと見えたが、実際には違っていた。丸い胴の左端が大きく抉れ、透明な羽も欠けたのか飛行が不安定になっている。

 一方、ティルトローター機は失った片翼の断端から金属棒が伸び、装甲が生え変形して輪を作り、その内側に新たなプロペラを再生させた。挙動が安定し、再び数十の熱線と無数の銃弾がグラトニーを襲う。セイン大統領の笑い声が聞こえていた。

「うわっ、ずるいなあれ。ハタナハターナもあんなふうに自己修復機能があれば……」

「いやいや、あれは駄目ですよ。ボロボロのガンダムにいきなり首と腕が生えてきたら興醒めでしょう。巨大ロボの美学に反しますよ」

 嘆息するトーマスにドッギュールがよく分からない突っ込みを入れる。

 ハタナハターナの脅威度は低く見られているらしく、ティルトローター機の攻撃はグラトニーへ集中していた。グラトニーは素早く動いて躱しているが、やはり先程よりも動きが悪いようだ。脇腹からの出血が黒い筋となって不規則な飛行の軌跡を表していた。

「ええっと、どうしますか。参戦出来そうにないんですけど」

 巨大なドラゴン相手ならまだなんとかなっていたが、超高火力の遠距離攻撃可能な敵と超高速移動で超高火力の敵に混ざるのは難しかった。

「ちょっと待って。何か……来る……下からっ」

 ズゥゴォーッン、と大地を揺らして巨大な黒い塊が地上から飛んできた。

 

 

 ズタボロに焦げ崩れ、登場時よりかなり小さくなってはいるが、それは『大きな獣』だった。地上でドラゴンと絡み合い転げ回りながら争った末、炎で焼き尽くされたと思われたが、時間をかけて再生したらしい。

 全長二百メートルほどまで縮んだ『大きな獣』はそれでも異常な跳躍力を発揮してティルトローター機に向かっていた。劣勢のグラトニーから助太刀するように指令が飛んだのか、独自の判断なのかは分からない。『大きな獣』は数が減り短くなった腕を王の敵に伸ばした。

 ティルトローター機を操るメモリーは何処までも冷静だった。機体を急上昇させつつ数十条の熱線を二手に分ける。片方はグラトニーへの牽制に。もう片方は最高出力で巨大な獣を切り裂くために。熱線が黒い肉にスルスルと食い込んでいく。

 と、その『大きな獣』の陰から長大な刃を振りかぶった影が飛び出したのだ。

 シアーシャを背負ったイドは『大きな獣』が跳躍した時にボロボロのスカート部分に飛び乗っていた。そしてそのまま巨体の背を駆け上がり、『大きな獣』の跳躍が頂点に達する直前で踏み台にしたのだった。

 既に感知していたのか、熱線の一部がすぐさまイドに向かう。しかしイドも異常な反応速度で巨大ククリの刃を体の前にかざし盾にした。

「おや」

 後部シートのセイン大統領が驚きの声を洩らしたのは、異星人の障壁さえも破る高出力の熱線が、ただの鉄板に弾かれたためだ。

 いや、ただの鉄板ではなかった。かつて超常の殺人鬼が愛用した、数多の人々の血を吸ってきた希代の殺戮凶器であったのだ。

 イドに向けられた熱線は八本。その全てがククリの刃で弾かれ、うち四本がティルトローター機へ綺麗に撥ね返った。激しい戦闘で機体を守る障壁は回復しておらず、一本が機体下部の熱線銃を破壊し、一本が右翼を支えるアームを傷つける。後部シートに飛び込んだ一本をぎりぎりのタイミングでヴィクトリアが盾で防いだ。

 最後の一本は、操縦席のメモリーの頭部左半分をほぼ消滅させていた。

「メモリー」

 セイン大統領が声をかける。

「問題ありません、プレジデント」

 メモリーは右半分だけになった美貌で冷静な声を返す。機体の姿勢も安定している。ティナが「クヒッ」と小さな小さな声で笑った。

 その時、イドは機体の目の前にいた。

 かざしていたククリを改めて構え直し、大上段から凄まじいスピードで渾身の斬撃を振り下ろす。

 セイン大統領は左腕から黒い砲塔を生やし迎撃しようとしたが、その前にヴィクトリアが再び盾を掲げた。左手の手甲を拡大させたそれは熱線を防いだ時よりも更に大きく分厚くなり、ヴィクトリアは腰を落として不沈の体勢となった。

 その盾を、巨大ククリの鈍い刃が豆腐でも切るように切り裂いていく。一緒くたに機体の上部も裂ける。盾が無意味なことを悟りすぐさまヴィクトリアは右手で大剣を抜き水平に捧げてククリを防ごうとした。

 バギンッ、と音を立てて砕けたのは大剣であり、負荷に耐えられなかった手足の複数の関節であった。

 ティナがセイン大統領の体を引き寄せながらククリの刃の側面に蹴りを入れた。それで僅かに刃の軌道が逸れるが、ヴィクトリアと機体の運命を変えられるほどではない。

 メモリーが機体を急降下させた。頭部が半分になっても判断力と操作は的確で、ククリの斬り下ろしによるダメージをほんの少しであるが軽減させた。

 結果、ヴィクトリアは右肩から股間まで真っ二つになり、機体は上半分まで裂けたものの、なんとか分解を免れクルクル回転しながら落ちていく。

 イドの後方でビシリッ、とガラスの割れるような音がした。

 熱線から逃げていたグラトニーが、好機と見て襲いかかってきたのだ。方向からはティルトローター機が本命のようだったが、右手の爪はイド達にも伸びていた。それが、シアーシャが張っていた見えない障壁に引っ掛かったのだ。

 障壁が割れるまでの十分の一秒にも満たない時間。だがグラトニーの異常な高速移動はそこで一旦停止し、予知により待ち構えていた者達に好機を与えることとなった。

 落下を始めていた『大きな獣』の傷の中から大男が飛び出し、グラトニーに組みついたのだ。

 

 

 縦回転しながら落下するティルトローター機は一秒半で姿勢を安定させ反撃の態勢を取り戻した。

「ヴィクトリア」

 セイン大統領が胴の裂けたヴィクトリアを抱き上げる。

「め……面目ありません我が主。修復まで少々時間が……」

 ヴィクトリアは動けぬまま自身の力不足を恥じていた。

 機体の数十の熱線銃とティナのライフルは上方に浮かぶ敵に向けられる。巨大ククリを握ったイドは無表情にそれを見下ろしている。また刃で弾く自信があるのか。

 しかし発射する直前に機体が強い衝撃に襲われた。メモリーも頭部のダメージでさすがに索敵能力が落ちていたのだろう。姿勢を安定させ上を向いた機体のすぐ下に、ハタナハターナが高速で滑り込んできたのだ。胴を寝かせた姿勢から健在の左腕でティルトローター機をぶっ叩いた動きは、ぎりぎりで回転レシーブを届かせるバレーボール選手のように美しかった。

 ティルトローター機は再びクルクル回りながら打ち上げられる。ロボットの腕に取りつけられたグラトニーの爪によって機体は切り裂かれ、傷が入っていた右翼のアームが衝撃で完全に折れる。熱線はあらぬ方へ伸び、唯一異常な精度でイドに向かって飛んだライフル弾は、その精確さ故にククリの刃に撥ね返された。

 機体が裏返り座席からイドを狙えなくなる。セイン大統領は左腕から伸びた黒い砲塔を構える。

 機体が回転を続け、再び視界にイドが現れる。

 イドはティルトローター機のすぐ前にいた。巨大ククリを大上段から振り下ろす。必殺の力を湛えて分厚い刃が発光していた。

 セイン大統領の『サイコーなガン』が凝集したエネルギー弾を発射した。

 数万もの敵を瞬時に蒸発させるエネルギー弾は、しかし、イドの左横を通り過ぎていった。砲塔の向きから軌道を読んだイドが、シアーシャの用意した見えない足場を踏んで横に身を躱したのだ。

 そして光る巨大な刃がティルトローター機の歪んだ機体をゼリーでも切るように割っていく。逃れようのない速度と圧力を眼前にして、セイン大統領の銀色の顔は笑っている。

 と、大統領の前に小さな影が立ちはだかる。ボルトアクション式ライフルを斜めに掲げて刃の軌道を少しでも逸らそうと試みるが、巨大ククリに対しては蟷螂の斧に等しかった。ライフルが割られ、刃が可憐な顔にめり込んでも、ティナは勝ち誇った笑みを浮かべていた。愛する者のために最後の盾になったのは、他のメイド達でなく彼女なのだから。

 巨大ククリの刃はティナを脳天から唐竹割りにした。その後ろに座るセイン大統領も同時に唐竹割りにした。真っ二つになって横たわるヴィクトリアの胴を更に四つに割った。半分の頭でなんとか機体を操作していたメモリーの首の付け根から股間までをやはり唐竹割りにした。ティルトローター機もそのまま唐竹割りとなった。

 二つに分かれた機体が落ちていく。見えない足場を蹴ってイドが追いすがり、再度ククリを振り下ろした。機体が更に分割される。イドがまたククリを振るう。更に振るう。まだ振るう。

 ティルトローター機と四体の死せる機人達は、空中でバラバラに刻まれていった。

 

 

 ハンガマンガの王・グラトニーの一瞬の隙に飛びかかったのは、全身を淡い光に包まれた、身長二メートルを超えるツギハギの聖騎士だった。人工頭蓋に収められ繋げられた複数人の脳。平らな金属の顔面に六つの眼球。四本の腕が持つのは大盾と大剣とレイピアと、そして多くの獣達を屠ってきた聖剣エーリヤだった。

「爪が来る防いで防いでっ」「いや盾じゃ駄目だ避けてうまく弾いてレイピアでジョルトッ」「全部は無理だ片足は捨てるっ」「ここを逃がしたらもうチャンスはない全力でっ」「どうか、どうか主よ最後の力をグオオオッ」

 グラトニーの左腕の爪が斜めに薙いでくるのを盾が割られながら減速させレイピアがうまく流し、爪の一本は防ぎきれずなんとか身をよじり右足の切断だけにダメージを抑えた。

 爪を凌ぎ真っ直ぐ向かってくる聖騎士を、グラトニーは高速空中機動で躱そうとした。だが投げつけられた大剣がグラトニーの透明な羽根のうち二枚を奇跡のようなコントロールで根元から切り離していた。バランスを崩したグラトニーに異形の聖騎士が組みついた。レイピアが最後の羽も切り飛ばし、聖剣の切っ先がグラトニーの脳天から胴体まで潜り込んでいく。

「くたばれクソッタレ野郎っ」「いやそんな汚い言葉を使うのは」「いいんじゃないですかそんな心境ですし。このクソッタレッ」「いやでもそういう汚い台詞が後世に残るのは」「私も正直になりたい。クソッタレエエッ。ああすっきりするなあ」「二度と蘇らないように聖剣でグチャグチャに掻き混ぜてやらないと」「そうだなこれを最後にしたい」「これ以上は無理ですしね」「何か言い残すことはあるかグラトニー。喋れなくても断末魔の悲鳴くらいは上げてみせろよ」

 ハンガマンガの王と聖騎士は絡み合い落ちていく。聖騎士は突き刺した聖剣を抜かず激しくこじって体内を破壊し続ける。

 と、グラトニーの胸腹部にある縦長の口が開き、悲鳴ではなくグベッブッ、というゲップに似た音を出した。

「あっ、吐きますよこいつ」

「ゴベベベエエエッゴボッボエエエ」

 口からドロドロしたものが噴き出した。インドの戦いで吐いたような極彩色の粘液ではなく、毒々しい色をしたおぞましい何か。グラトニーは恐怖の大王をきちんと消化出来ていなかったようだ。そもそも死者であるグラトニーに消化能力が残っているのか定かではないが。

 撒き散らかされた粘液は聖騎士にもかかる。その体から煙が上がり、鎧も肉も溶かしていく。

「ちょっ、これは重度の汚染物ですよ」「でもこいつから離れる訳にはいかんよなあ」「うん、仕方がないな。このクソッタレのグラトニーよ。一緒に地獄へ落ちようや」「プッ、何の台詞ですかそれ」「我々は天国の方に召されると思いますが」「いや、ちゃんとこいつが地獄に落ちるまで、ついていって見届けないといけないだろう」「そうですね。私達にはその責任がある」「あ、ジャックさんにサイン貰い損ねたなあ」「向こうで貰ったらいいんじゃないか」「あー、そうですね。きっとまた会える気がします」

 聖騎士の体が溶けていく。グラトニーの体も恐怖の大王の毒で溶けていく。グラトニーの爪の生えた腕が落ちる。聖騎士の腕も落ちる。グラトニーの口から粘液が噴き出し続ける。それに混じるどす黒い液体はグラトニーの体液のようだ。聖騎士の顔の鉄板が溶け、眼球が溶け落ちていく。

 それでも聖騎士は残った腕で聖剣を握り締め、グラトニーの体内を抉り続けた。

 

 

「ああ、どっちも落ちていく」

 セイン大統領の機体とイド達、グラトニーと聖騎士の顛末を見下ろして、トーマスはちょっと寂しげに呟いた。

「僕は、大したことは出来なかったなあ」

「いや、見事な連係プレイだったぜ。落ちる敵を打ち返してまた斬らせるなんてな」

 ルラコーサは素直に賞賛した。

「美しい。宿敵同士が溶け合いながら落ちていく」

 ドッギュールは妙に感動した様子で通信機のカメラ部分を眼下へ向け、記録に努めていた。

「まだ仕事が残ってるでしょ。後ろ」

 クランホンが指摘する。イド達が踏み台にしたり中に隠れたりしていた『大きな獣』はズタボロ状態で落下していくところだ。トドメを刺された訳ではないのでまだ動いている。

「そうですね。インドでは結局勝てなかったし、きちんと自分の仕事を果たしますか」

 トーマスはレバー操作で方向転換しつつペダルを踏み込み、ハタナハターナを『大きな獣』へ向け突撃させた。

 

 

 シアーシャのサポートもあり無傷で地面に着地したイドは、飛散した残骸の中にまだ意志を持つ欠片を見つけていた。

 銀色の特殊合金で出来た、ウィリアム・セイン大統領の顔面の、左半分。頭部から削ぎ落とされ、電子頭脳はそちら側に僅かしかついていないが、その半分の顔は明確な敵意を持ってイドを見返していた。

「……何故だ。何故、私達の邪魔をする」

 その顔が、ノイズ混じりの声を絞り出した。

「何故、私達の行く手を阻む。何故、愛の証明の邪魔を、する。……何の権利、いかなる正当性があって、私達の愛を、否定しようとするのか」

 絶対の信念、別名絶大なる狂気を以てセイン大統領は問いかける。

 メモリーのちぎれた左手首と、ティナの金髪のツインテールの一房、ヴィクトリアの折れた大剣の先が、そのセインの欠片に寄り添うように触れていた。

 イドは巨大ククリを正眼からやや上に構え、喋る欠片を無言で見下ろしている。必要と判断すればまた何百回でも切り刻むだろう。

 だが、その時、どす黒い空に無数の小さな光点が生じていたことに、剣士と少女は気づいたろうか。セイン大統領の生前の妄執。天空で生成された数万発の核ミサイルがベルリンに降り注ごうとしていることに。自分達を巻き込むため使用を控えていたが、こうなっては使ってしまっても全く問題ないのだった。

「愛のためです」

 少女の言葉に驚いて、イドは首だけで振り返る。

 背負子に乗って背中合わせになっていたシアーシャは、体を反転させてその美しい顔をイドの頬に寄せていた。

 彼女は自信満々で、輝くような笑みを浮かべていた。

 それを見て、イドは少し考えてから頷き、「愛だ」と言った。

「そうか。愛か……」

 セインの左半分だけの顔が、ゆっくりと口角を吊り上げて苦笑を形作った。空に浮かぶ無数の光点が同時に消えていく。

「うん、愛なら、仕方がないな……」

 それだけ言うと、第六十三代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・セインであったものは急速に色褪せていった。三体のメイド達の欠片もシンクロしたみたいに同じ変化を辿る。

 荒れ果てたフィールドには、錆びて動かぬ機械の破片が散らばるのみとなった。

「終わったようだな」

 イドは言った。ククリを下ろすが油断はしていない。まだ都市規模の戦闘自体は終わっていない。

「イド、大丈夫。疲れてない」

 シアーシャが尋ねる。

「疲れたが、大丈夫だ。まだ戦える」

 イドは答える。

 新たな敵を求めて踵を返し、イドはふと瓦礫に突き立つものに目を留める。

 それは、聖剣エーリヤだった。

 他には何も残っていない。グラトニーの肉片も、聖騎士の残骸も。

「折角だから、拾ってあげて」

 シアーシャが言うと、イドは聖剣に歩み寄り、左手で引き抜いた。折れてもおらず、刃欠けもなく、聖剣はまだ淡い輝きを保っていた。

 

 

 グラトニーの消滅によりハンガマンガ達は勢いをなくした。既に死んでいたものは動かなくなりしぼんで消えていった。生きているものは元々統制など取れていなかったが更に混乱し、共食いが目立ってくる。次元の穴から新たな後続はもう現れず、元の世界に帰っていくものもいた。

 ベルリンを蹂躙する敵は雑魚の死者ばかりとなり、そちらの援軍もかなりペースが落ちている。

 研究所の地下倉庫で巨大モニターを通してベルリンの様子を見守っていた生存者達も、ひとまず安堵の息をついていた。教皇やミフネが先頭に立って続けている救出活動のお陰で、地下倉庫に移された生存者は現在二千五百人を超えていた。地上は大規模な戦闘で瓦礫ばかりとなったが、もう少しくらいは救出出来るだろう。後五百人か、千人くらいは。

 そんな時に、ヒヨヨヨヨヨヨ、というか細い鳴き声を、皆は聞いたのだ。

 地上で戦っていた者達は、敵も味方もつい空を見上げた。どす黒い濁った空を何かが飛んでいる。

「見ちゃ駄目ーっ」

「それを見るなっ、目を閉じてっ」

 シアーシャとエリザベス・クランホンの叫びが通信機を介して伝播していく。

 それは、神楽がカルクモン或いはカルクーマと呼んだ黒いドラゴンだった。カナダの空に現れた時よりも小さく、細い尾も含めた全長は五十メートルほどだろう。細長い胴体に、嘴のように尖った口。前脚と一体化した翼も後脚も貧弱で哀れに見えるほどだ。

 しかし、ドラゴンの全身から滴るタールのような黒い粘液は、物質化した死と悪意の塊だった。

 生きているハンガマンガ達は、それを見上げると全身の穴からどす黒い血を噴き出してバタバタと息絶えていった。

 死者達は元々死んでいたので大したダメージにはならなかった。ただ、背筋のゾワゾワするような嫌な感触を覚えたくらいだ。

 奮戦を続ける幽霊船では、船長が「ああ、また出やがったのか」と面倒臭そうに吐き捨てた。まだ生きているポル=ルポラの戦士達は黒い血を噴いたが、半数以上が取り敢えず気合いと根性で耐えた。

 シアーシャは皆に警告するとすぐに両手でイドの目を覆い、黒い傘の形をした障壁を二人の上に浮かべてそれが見えないようにした。近づいてきた死者はイドが気配だけでククリを振って真っ二つにした。

 神楽鏡影は空を見上げて舌打ちしつつ、死者の一団を強襲してグラトニーの爪剣で八つ裂きにした後でまた素早く物陰に隠れた。

 ハタナハターナは力なくしぼんでいく『大きな獣』の体を切り刻んでいたところだった。突然クランホンが叫びを上げてトーマスの頭を押さえつけたので、操作を誤りハタナハターナは上下逆さまでスピンすることになった。ドッギュールは手足を引っ込め防御モードでコックピット内を転げ回る。ルラコーサは勇気を重んずるポル=ルポラの特性として「見るな」と言われるとつい見ようとしてしまったが、クランホンに思いきり頭を蹴られて諦めた。

 研究所の地下倉庫に警告の声が届いた時、生存者に紛れていたバチカンの若い司祭がカナダでの出来事を思い出した。咄嗟に「皆さん目をつぶって下さいっ、モニターを見ないでっ」と両手を振って必死に叫び、生存者の多くは大型モニターから司祭へ視線を移して助かった。しかしそのままモニターを見ていた百人ほどが、空を飛ぶそれを目にして黒い血を噴き出し即死することになった。ちなみに若い司祭はなんとなく存在感が薄く、パワードスーツの装着者からあぶれてしまっていたのだった。

 第一研究室のモニターを見ていたルーサー・フルケンシュタイン博士は「おや、またあの黒いドラゴンか」と呟いた。頭を傾けて軽くトントンと叩くと、耳の穴からドロドロの黒い粘液が垂れてくる。トレイに粘液を出しきり、目に滲んでいたものも片眼鏡を外してティッシュで拭き取り、最後に鼻を噛むとそれでスッキリした。

「ああ、いけない。マクドナルドが」

 博士は地下倉庫の惨状に気づいて大型モニターの電源を切った。

 パワードスーツを着たカナダ首相ティモシー・ハートは、行動を間違えた訳ではなくただ、運が悪かった。生存者の救出に一人で向かったが、建物が崩落し生存者は死亡、更に死者達がやってきて戦闘となった。相手は強くなかったのでなんとか撃ち散らし、一息ついたところで空を弱々しく飛ぶそれを見たのだ。ポル=ルポラの通信網からの音声を切っていたのもまずかった。

「首相、空を見ちゃ駄目だそうです。気をつけて下さい」

 護衛であるが今は別行動を取っているハレルソンから通信が届いた時、既にハート首相の視界は黒く染まりつつあった。

「ああ……すまない……すまない……ピート君に……」

 視線読み取り機能でなんとか右下の『自動戦闘』にカーソルを合わせ、感覚のない指を動かしてオンにすると、ハート首相は立ったまま息絶えた。

 ラウンド・ザ・ワールド・レイルロードのベルリン駅ビル屋上で、鮫川極と白いドラゴンはそれを眺めていた。

 テーブルの上で片づけられぬままのステーキプレートには、焦げた青い毛が少しばかり残っていた。

 ふと鮫川は空になったグラスを見下ろし、ウェイトレスに「ワインはまだかね」と言った。

 そのウェイトレスは全身をブルブルと震わせ、目耳鼻口から際限なく黒い血を流していた。今にも崩れ落ちそうだったが、ワインボトルとグラスの盆をなんとか掴んでいる。

 彼女はよろめきながら、どれほど視力が残っているのか分からない状態で、鮫川のテーブルまで辿り着いた。注文の品を置くと、その場に膝をつく。

「も……申し訳、ありません。お注ぎするのは……どうか、お客様ご自身で……」

「そういえば、君にはまだチップを払っていなかったな。ただ、僕は今現金の持ち合わせがないんだ。代わりに何で払えばいいだろう」

 死神の問いに、これまで恐怖を抑え込み職務を果たしてきたウェイトレスは、最期の願いを絞り出した。

「……で、では……どうか、人類を……守って……」

「ふむ。僕は何かを守ったりするのは苦手な方なのだが……ああ、もう死んでいるか」

 白いドラゴンがキューと寂しげに鳴く。ウェイトレスは力尽きて蹲り、噴き出した黒い血で全身がゆっくりと溶けていくところだった。

「なら、仕方がないな。チップ分くらいの働きはやってみようか」

 自分でワインをグラスに注いで一気に飲み干すと、鮫川は久しぶりに椅子から立ち上がった。

 改めてベルリンの街を見回す。暗い空を飛ぶ黒いドラゴンと、破壊され瓦礫ばかりになった地上。ハンガマンガは殆どいなくなり、死者達が勢いを盛り返している。冥界から送り出された援軍は随分と質が下がって雑魚ばかりになっているが、ちらほらとまとめ役に強い死者がいる。冥界十三将と呼ばれていた者達に匹敵するだろう。今は何将になっているか鮫川は知らないし興味もない。ただ彼は尖った指で順番に指差して数え、十八人いることを確認した。

「わざわざ潰して回るのも面倒だし、投げるものは……ああ、これがあったか」

 鮫川は天井に突き刺さっているもの達を見上げた。機械の断面を晒した女性の手首や片足、黒い獣の足や尻尾、五センチほどの長さのワイヤーに、同じく五センチ長で折られた刃。それぞれ等間隔で並び、二つの列を作っている。

 冥界に渡る前のメモリーと『速い獣』のパーツ群だった。列車がまだロシアを通っていた頃に鮫川自身が作ったもので、皆怖がって撤去出来ずそのままになっていたのだ。

 鮫川は右手でメモリーの右手首を、左手で肉塊のついた短い刃を引き抜くと、二つの方向に無造作に投げる。

 強化ガラスの窓にスコンと綺麗な穴が開き、タイムラグなしにベルリンの北東部と南東部で小さな爆発が起きた。

 死者達のまとめ役のうち二人。やたら大きな弓と矢を持った射手と、腕が六本ある身長五メートルの巨人が、鮫川の投擲したものに貫かれて粉々に爆散したのだった。督戦していた将軍が消えたため周りの死者達はバラバラに逃げ散っていく。

 鮫川はすぐに天井から次のパーツを引き抜いて別の方向へ投げた。またベルリンの二ヶ所で強者が爆裂する。鮫川がまたパーツを抜いて投げる。将軍が消える。

 流れ作業のように淡々と、十秒ほどで十八人の冥界の将が全滅した。一仕事終えたように手を叩くと凶器の指同士がぶつかり澄んだ金属音が鳴った。

「ああ、ドラゴンも片づけないといけなかったか」

 ヒヨヨヨヨと鳴きながらフラフラと飛んでいる黒いドラゴンを鮫川は見る。それから、テーブルを振り返ると小さな可愛らしい白いドラゴンがいる。

「ふむ……」

 白いドラゴンが鮫川を見返してクアァと鳴く。どういう意思が篭もった鳴き声なのかは不明だが、取り敢えず鮫川は小さな飲み友達をむんずと片手で掴んだ。先程までとは違って丁寧なフォームで投げたのは、多少は情が残っていたのかも知れない。白いドラゴンは窓ガラスをぶち抜いて物凄い勢いで回転しながら飛び、黒いドラゴンの胴体と片翼を削り取ると、そのまま空の彼方に消えた。

「少しカーブがかかってしまったな。……まあ、いいか」

 鮫川はテーブルに戻ると、一人でワインを注いでまた飲み始めた。

 

 

 目を閉じたままなんとかハタナハターナの姿勢を立て直したトーマスに、エリザベス・クランホンがまた叫ぶ。

「落ちてくるっ、迎撃して、右っ」

「えっ、み、右……」

「目を開けないでっ。もっと速く右へっ、少し前にっ」

 クランホン自身も目を閉じたまま、眉間に皺を寄せ指示を出す。トーマスはもう余計なことを言わず素早く操作して応じた。

「もう十メートル前に。よしそこで止まって。上から来る、迎撃して、後二秒、一秒、今っ」

 トーマスが手探りでスイッチを押しながら中央のレバーを引いた。健在な左腕が乗っ直ぐになり、意識的に姿勢を斜めにしたハタナハターナの胴体がグオオオオンと凄い唸りを上げて高速の水平回転を始める。続いて別のスイッチを押し込むと胸部装甲の一部がスライドして開き、十二本の金属製の杭が伸びた。更に片腕のせいで重心が狂い、ハタナハターナは止まりかけたコマのように回転軸がグネグネにぶれていく。

 そして、左腕に取りつけられたグラトニーの爪と胴体から生えた十二本の杭が、落下してくる黒いドラゴンをバラバラに引き裂いていった。

 ヒヨヨヨヨ、という不吉な鳴き声がグビェッ、という嫌な断末魔を最後に聞こえなくなった。トーマスは目を閉じたまま、それでもたっぷり三十秒ほどハタナハターナを回転させ続けた。その間他の三人はコックピット内をメチャクチャにバウンドしまくっていた。

 漸く回転を止めて、目を閉じたままトーマスは尋ねた。

「エリザベスさん、もういいですか。敵をやっつけましたか。ハタナハターナは戦いに貢献出来……オエエエエッ」

 トーマスは盛大に吐いた。

「……ええ……敵はやっつけた……みたい……ついでに、私も……やっつけた、けどね……」

 あちこち骨折したクランホンが暗い諦念の篭もった声で答えた。ルラコーサは元々頑丈だし、ドッギュールも硬化していたので無事だった。

 

 

 カルクモン、またはカルクーマと呼ばれていた黒いドラゴンが無数の肉片となって地上に散らばったところに、光り輝く人影が飛来した。

 教皇ウァレンティヌス二世。物質を透過出来るためベルリン中を飛び回って生存者の捜索を続けていたが、黒いドラゴンの出現を聞いてやってきたのだった。

「もう討伐は出来ているようですね。……ただ、ここが冥界と繋がっている現状では、また復活してもおかしくはないでしょう」

 瓦礫にへばりついたドロドロした肉片の一つに輝く手を伸ばし、触れた。

 シュワシュワと薄い煙を上げて肉片が溶け、縮んでいく。「ウッ」と声を洩らしたのは教皇自身にも何かしらダメージがあったのだろう。

 教皇は携帯していた通信機が送信モードでないことを確認してから、また近くの肉片に手を触れる。

「……聖騎士候補であった若人達も、役目を果たせたようで何よりでした。私達は既に死んでいる身なれば、生きている皆さんに貢献出来るなら、それで充分です」

 それから教皇は無言で淡々と黒い肉片を消し去っていった。

 

 

 黒いドラゴンが墜ち、ハンガマンガもいなくなり、死者達も将軍級の指揮官が消えて戦意を失いつつあった。

「あー、なんか、もうやめねえか」

 幽霊船と戦っていた死者の一人が、お手上げのポーズを作って仲間に言った。

「店なんか全部崩れてるし、楽な獲物はとっくに見かけねえし、相手はこんなんばかりだ。もうこっちにいる意味ねえだろ」

 指差した先は剣を振り回す骸骨だったり、雄叫びを上げる爬虫類顔の宇宙人だったり、敵にラリアットを食らわせるプロレスラーだったりした。

「まあ……そうだな。上役もいないしな。俺達そんなに強くないし」

 仲間の死者が嘆息して頷いたところに、ヒョーンと軽快な跳躍でやってきた骸骨が赤い刀を振った。話をしていた二人の首がまとめて飛ぶ。

「お前らさぁ、そんなこと言わずに遊んでいけよ。俺様も大物の一匹や二匹狩っときたいんだよ。なあ、いねえのか大物は」

 キャプテン・フォーハンドは海賊帽をかぶった髑髏顔で敵達を見回した。死者達はワッと逃げ出し、向かってこようとした気の強い一部の死者はポル=ルポラ星人の鉤爪や『イモータル』ジャックのドロップキックで粉砕された。それから船首像のサンドラが二丁斧をぶん投げると、逃げていく死者の列はまとめて胴体を輪切りにされた。

「はーあ。これで終わりかねえ。大物を狩り損ねちまったなあ」

 船長が愚痴る。妖刀むぐらぬぐらを振って血脂を落とすが、実際には刀身に血脂は殆どついていなかった。

「ハハハハハハハ」

 大きな笑い声が聞こえる。船長はビクッとして慌てて船首像を振り返り、サンドラが笑っているのでないのを確認して安堵した。

「ふう。驚かせやがって。この馬鹿でかい笑い声は誰だ。大物の敵か」

「ハハハハハハ。ハハハハハハッ。私である」

 ベルリン中に響き渡るような大声の後に、どす黒い空を突き破って巨大な影が飛び降り、大地を揺らせて着地した。

「私はビューティフル・ダストである。人類を救うために冥界からやってきたのである」

 そう名乗ったものは全長百メートルを超える人型ロボットだった。表面装甲は胴体と前腕、下腿部が赤色で、それ以外が白っぽい銀色に輝いている。腕にはミサイルの発射口らしきものが幾つも空いており、指の先も熱線か何かを発射しそうな光を帯び、更には似たような穴が胴体も数百ヶ所に並んでいた。その顔はロボットらしい直線と角で構成されていたが、中性的で美しい造形であった。

「えっ、かっこいい。ずるい」

 漸く目を開けることを許可されたトーマスが、ハタナハターナよりも巨大なロボットを見て嫉妬の炎を燃やす。

「いや、あれはちょっとやり過ぎだな。戦闘ロボは人に似せ過ぎると逆にかっこ悪くなるんだぜ」

 ルラコーサがしたり顔で品評する。ドッギュールは黙ってロボットを撮影していた。

「私の情報を保存する電子媒体がないのに私は存在している、つまり、私の魂が存在することが判明したのである。ということは私は転生も可能なのである。よって、転生先候補である人類は滅んではならないのである。逆に人類の敵は滅ぼすのである。ハハハハハハ。人類万歳、なのである」

 赤と白の巨大ロボットから無数の光線が伸びて地上を襲った。それぞれが恐るべき精密操作で死者達を貫いていく。やる気を失っていた死者の群れは更に逃げ惑うが、光線は容赦なく追い丁寧にそれを切り裂いていった。

「ハハハハハ。私は不必要な笑い声を上げているのである。どうしても笑いたくなってしまうのである。おそらく喜びとはこのような感覚なのであろう。今後の転生も楽しみなのである。人類は産めよ、増えよ、地に満ちよ、なのである。ハハハハハハ」

「あのー、もしもーし、そこのビューティフル・ダスト、を名乗るロボットさんよぉ、悪いんだけどさー」

 船長が赤い刀を振り振り、通信機を拡声器代わりに使って紅白ロボに呼びかけた。

「む。何であるか。君は死者であるが、人類の協力者であったな」

 ロボの瞳が光って船長にスポットライトを当てた。

「もう大部分片づいちゃってるんだけど。後は雑魚を散らすだけだから。残念だけど、参戦がちょーっとばかり、遅かったねー」

「む。……そうであったか。確かに……時機を逸したようなのである」

 ロボの巨体のあちこちからライトが照射され瓦礫ばかりとなったベルリンをスキャンしていった。

「まあ、少しは生存者も保護されてるっぽいから。世界規模だと生存者はもっといるしな。だから安心しなよ」

「そうであるか。では、人類の復興と繁栄を願っているのである。さらば。トオッ」

 何故かかけ声を発して、紅白の巨大ロボが跳躍すると、そのまま暗い空に溶けて見えなくなった。

「でかい出オチだったな……」

 見守っていた『イモータル』ジャックが呟くと、隣で「そうか。出オチか」と相槌を打つ者がいた。

「チョイサーッ」

 ジャックがすぐさま裏拳でくしゃみ男の頭部を粉砕した。

 

 

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